Saturday, February 9, 2019

原理原相論試論◆夜の神の存在原相論 1.天宙天地創造神の父母性と夜の神、昼の神の父母性




原理原相論試論なるものを書いていましたが、その続きです。今回は夜の神の存在原相論と第して、以下の項目で3回に分けて試論を載せたいと思います。 

今回は最初の1.天宙天地創造神の父母性と夜の神、昼の神の父母性です。

ファンクラブ三原

 夜の神の存在原相論

1.天宙天地創造神の父母性と夜の神、昼の神の父母性

2.真の父母性がイエス様、真のお父様の最高の神性であるために。

3.天宙天地創造神、夜の神・昼の神の真の父母性は男性である。

4.絶対卵子は被造物である。

5.夜の神の位相における天宙天地創造神の原相性相

6.原相性相の、一性性相による女性要素、女性性質の創造

7.夜の神の一性性相による形状の創造
8.一性性相原相は天宙真の父母の愛の性相である。
9.夜の神の「絶対有 絶対無 二性性相」による超爆発的天宙天地創造。
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原理原相論試論 夜の神の存在原相論
第一創造主、天宙天地創造の神が時空間を創造される前の存在位相におられるときのことを特に夜の神と称する。天宙天地創造の神はこの時空間が無い位相の時に真の父母思想により創造原理を創造されのである。


先に論じた原理原相論試論原理講論及び原理本体論の問題点を提議し、また、真のお父様が言われる天の父母様、女性神、両性具有神について究明することに費やした神学論であった。
またこの原理原相論試論の創造原理では、時空間創造前後の位相と、時空間創造後の夜の神が、昼の神としての被造物世界に存在される存在様相について論じてきた。
そのため、時空間創造後の神の存在様相、即ち昼の神の存在様相について多くを裂かざるを得ず、夜の神についてはあまり論ずることができなかった。
また、夜の神・昼の神の位相関係夜の神様の父母性にて夜の神様について論じてみたが、体系化するまでには到らなかった。

したがって、この夜の神の存在原相論では、夜の神の存在様相、夜の神の原相に焦点を置き論じる。つまり、時空間創造の前のロゴス・創造原理、真の父母思想構想についてであり、その真の父母思想構想以前の、夜の神の位相の太初における根本的原相、存在様相についてである。

さらには時空間がどのようにして創造されたのか、その時空間創造以前の天宙創造の原相と時空間創造天宙天地創造の関連について論じる。

1.天宙天地創造神の父母性と夜の神、昼の神の父母性
1-1.夜の神・昼の神の混乱

原理原相論、「夜の神の父母性」において真のお父様の御言を中心に夜の神に父母性について論じた。
ここでは真の父母性の三位一体論の観点から、夜の神の位相における天宙天地創造神の父母性について論じる。

その理解を深めるために、夜の神、昼の神に対する理解に混乱が見受けられるのでまず最初に簡単に整理する。
夜の神、昼の神というとき大きく2つに区分される。

まず神ご自身についてである。
天宙天地創造の神には、時空間創造以前を夜の神、時空間創造後を昼の神と区分して言うことがあるが、同じ天宙天地創造の神、同じ方である。
2つ目は神の子、アダムとエバにおいてである。
神様は第一創造主、アダムは第二創造主、孫は第三創造主です。
天聖教205-255 P1547
アダムとエバの双方を第二創造主という立場で昼の神という。
特にアダムは夜の神の精子から来たので夜の神ということがある。夜の神と昼の神が戦うという表現があるが、これはアダムとエバが戦っているということである。
このように、夜の神という表現は、天宙天地創造の神、第一創造主の時空創造以前のこと特に指して言っているのか、時空間創造以前を起源とする天宙天地創造の神、第一創造主の精子から来たという意味の真のアダムのことを言っているか区別する必要がある。
同じように、昼の神というとき、時空感想造後の天宙天地創造神、第一創造主のことを、時空間創造後であることを特に強調して昼の神と言っているのか、天宙天地創造の神、第一創造主から創造されたアダムとエバを、第二創造主として強調するため言っている昼の神か区別する必要がある。
この混乱の基本的原因は多くが天宙天地創造神、第一創造主を夜の神と昼の神とに分けて別々の神のように考える錯覚により、一神論を論じているつもりが二元論になってしまっていることに起因している。
例えば、天聖教には「神は父母である」という記述は多く出てくるが、この神、創造主は昼の神であって夜の神でないと理解し、昼の神が夜の神より位置が低い存在、より劣る存在のように扱っている場合もある。これらは神の父母性を二元論でしか捉えることが出来ず、時空間創造後にあらわれた神の神性であると誤解しているためである。
このような誤解混同を避けるために、最初に夜の神、昼の神という切り口で分けて見るのではなく、夜の神、昼の神とは単に同じ存在の時空間創造前と時空間創造後の存在様相としてとらえるべきである。つまり夜の神、昼の神という個別の神が存在するのではなく、同じ神の単なる存在様相として表現に過ぎないと捉えるということである。
その上で個別の存在として天宙天地創造の神、真のアダム、真のエバの三者の存在において、それぞれを時空間創造前と創造後の存在様相を、夜の神、昼の神として捉えれば整理が容易であろう。
1-2.第一創造主において夜の神も昼の神も同じ天宙天地創造神である。
ここでは天宙天地創造の神、第一創造主においての夜の神と昼の神は同じ神であることを論じる。
創造主、天宙天地創造の神において、天宙天地創造以前の神の状態を夜の神、天宙天地創造後に現れる神の状態を昼の神という。
このように天宙天地創造前と創造後の神の存在様相が違うだけで、天宙天地創造の神、第一創造主において、その本質は違わない。
一般的に、創造主とは第一創造主のことであり、真の父母を第二創造主ということもあるが通常、創造主と言う場合、天宙天地創造神、第一創造主のことである。
つまり天宙天地創造の創造主が昼の神として天宙天地創造後に現れる、そのご自身の存在様相はご自身がつくられた創造原理の通りに現れているに過ぎず、同一の神である。
天宙天地創造の神が昼の神の存在様相は、その創造原理によって造られた時間、空間、そして実体化された創造原理というプリズムを通して見える姿に過ぎず同じ天宙天地創造の第一創造主である。
役者がどのような演技の姿をして現れてこようと、どのような演技をしようと、その本人そのものが変わることはないことと同じである。
それにもかかわらず夜の神、昼の神という時、この同じ天宙天地創造の神という観点が理解されず天宙天地創造の神を別の存在のように扱ってしまっている二元論、あるいは多元論を散見する。
これを見分けるためには、その存在様相に関係なく、唯一神という天宙天地創造神の根本本質を貫いているかどうかで見ていけばよい。
天宙天地創造の唯一神そのものが分裂することは無いからである。
これは神の父母性においても同じである。天宙天地創造神の父母性は徹頭徹尾一元論である。
1-3.第一創造主の天宙天地創造前の真の父母性と、天宙天地創造後の真の父母性
 
ヨハネによる福音書1章1節
「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」
「ことばは神と共にあった。言は神であった」ですが、非常に興味深い概念、ロゴスの観念です。ロゴス( λόγος )、つまりみ言は大変な概念なのです。強大な神様の始まりが、み言であったというのです。もちろん、キリスト教の背景において、それは地上に来られるイエス・キリストとして表されるものであり、神様のみ言が肉となったものです。 そして、「言は神と共にあった。言は神であった」というところに注目してください
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根本。原因。初めに言があった。 この言が神様と一緒にいらしたのだからこの言は、神様ご自身である。 ロゴス。神様はロゴス。すべてのユダヤ-キリスト教の根本的な神様のアイデンティティは何か? ロゴス。
その言がどうなるか? 肉になることで、イエス・キリストですね。そのように出ますね。肉になることで、私たちを救ったから、このような内容でしょう。
初めにあったことば、即ちロゴスは創造原理である。では創造原理のその根本中心思想は何か?
性相と形状、陽性と陰性の二性性相という創造原理の根幹原理の目的は結局、アダムとエバが完成し実態の真の父母となり子女を繁殖することである。それが故にアダムとエバを第二創造主と言ったり、昼の神と言ったりするのである。
よって初めにあったことばであり創造原理は有形実体世界に身体を持って存在する真の父母を創造することを目的とする真の父母思想を中心として第一創造主が夜の神の位相にあるときに創造したロゴスである。
真の父母思想が根本中心思想となったのは夜の神の時の天宙天地創造神(略して夜の神)の心情が真の父母であるからである。夜の神の時の真の父母の心情が動機となり真の父母思想がつくられ、それが中心となって初めにあったことば、創造原理が造られたのである。
このロゴスをもって森羅万象が創造されたのであり、このように夜の神の時の神性は真の父母であるがゆえに、夜の神の時の天宙天地創造神(夜の神)の本質神性は真の父母である。
夜の神の時に真の父母の神性がなければ真の父母を創造目的として構想することさえもできないのは自明の理である。夜の神の時、真の父母の神性を本質神性として持っていたがゆえに真の父母思想によって、真の父母をいかに天宙天地創造後作り出すことができるか構想された結果、初めにあったことば、時空間創造後に真の父母を実体化させるための創造原理が創造されたのである。
当然ならが、時空間創造後の昼の神の時における天宙天地創造神の神性が真の父母である。この神性は、時空間創造後においてはアダムに現われ、アダムとエバが完成し結婚することにより実体化する。
このように天宙天地創造神の、真の父母性は、夜の神の時における天宙天地創造神の神性であり、時空間創造後の昼の神の時における天宙天地創造神の神性なのであり、時空間創造前も時空間創造後もその神性は不変である。
真のお父様の御言:
二性性相の中和的主体であると同時に、愛の根本であるお方が神様です。「原理講論」に「真の愛の起源」という言葉を入れなければなりません。「真の愛の起源が神様だ」という言葉を入れなければならないというのです日本語天聖教1563P
このように、ことば(ロゴス、創造原理)の存在以前に真の愛があるということである。その真の愛の起源が夜の神の位相の時の天宙天地創造神なのである。
真のお父様の御言:
「九十年の人生を捧げて生きてきた私の生涯は、ひとえに天宙の真の父母であられる神様を解放してさしあげ、父母の位置を取り戻してさしあげ死亡圏であえいでいる人類を救い、神様の懐にお返しすることでした。このみ旨のため、私は独りで艱難を貫いて勝利し、父母を失った孤児の身の上に転落した無知蒙昧な人類を導き、この世界の救援の道を歩んできました。」
「天地人真の父母定着実体み言宣布大会」(2010年7月8日, 天正宮博物館)実体み言講演文17ページ
このみ言でみるように、真のお父様は、最晩年期の最後の大会でも「天宙の真の父母である神様を開放することが、真のお父様の九十年の生涯であった」と言われた。
天宙の真の父母である神様とは、天宙を創造された神であり、天宙天地創造の神であるがゆえに時空間を創造された夜の神の時の天宙天地創造神(略して夜の神)である。また、夜の神様の時の天宙天地創造後の存在様相である昼の神としてあらわれる夜の神の時の天宙天地創造神(夜の神)のことである。よって天宙天地創造の神、夜の神の神性は天宙真の父母である。

この真のお父様の遺言とも言える御言の神学的内容は、神はことば(ロゴス、創造原理)とともにあったが、そのロゴスは真の愛によって創造されたということであり、その真の愛の性質とは父母の愛であるということである。
  真のお父様の御言:
神様とは、いったい誰ですか。神様は創造主でありながら、縦的な真の愛の父母です。真の愛を中心とした、縦的な父母だというのです。完成したアダムとエバは、真の愛を中心として横的な父母です。その二つの父母が一体となるのです。(250-38,1998.10.10)日本語天聖教2010年版P1662
このようにこの天宙の真の父母は、縦的な真の愛の父母であり、そのような夜の神の時からの縦的な父母である。縦的な父母であるがゆえに夜の神の位相であろうと、昼の神の位相であろうとその本質は真の愛の父母である。

この内容が端的に表されている御言がある。


 真のお父様の御言:

世界の指導者の皆様! 万有の創造主であられる神様は、全人類の真の父母です。ある特定の宗教や人種、あるいは特定の地域の人々だけのためにいらっしゃる、そのような制限された概念の父母ではありません。その名称を「ヤハウェ」と言ってもよく、「アッラー」、あるいは何かほかの名前でもよいのです。重要なことは、神様は確実に存在され、万人の真の父母として、今も生きて創造のみ業を継続していらっしゃるという事実です。御自身が太初に立てられた天理原則に従って宇宙万象を経綸され、歴史を摂理しておられるのです。  

平和メッセージ8 2006年10月14日 第五回蒙古斑同族世界平和連合総会


万有の創造主である神ご自身が太初に立てられた天理原則とはロゴスのことであり、創造原理のことである。この神は天宙天地創造前に、つまり時空間創造の前にこの天理原則を御自身で立てられたのであるから明らかに夜の神である。
そしてこの夜の神が全人類の真の父母なのである。
このように万有の創造主は天宙天地創造神であり夜の神であり、天宙の真の父母なのである。
このように夜の神が真の父母としての神性をお持ちであることは否定することができない。

このように天宙天地創造の神に於いて昼の神は夜の神の実体世界での性相としての存在様相であるから、天宙の真の父母である神は天宙を創造した神であり、夜の位相の時からの神である。
完成したアダムとエバは、銃的な真の父母の真の愛を中心とした横的な真の父母であるがゆえに昼の神である。

天宙の真の父母である天宙天地創造神は夜の神の位相の神であり、横的な真の父母であり昼の神である完成したアダムとエバと三位一体となり、夜の位相の神は、実体世界・形状の存在様相である昼の神として現れる。それは夜の神ご自身が立てられた天理原則従って宇宙万象を経綸され、歴史を摂理しておられるからそのような昼の神の姿で現るしかないのである。  

真の愛の起源が天宙天地創造神の夜の神の位相にその根があり、愛の中心は心情であるが、その真の愛の情とは即ち真の父母の心情であり、その真の愛によって創造された結果が二性性相の中和的主体である。
つまり二性性相の中和的主体とは夜の神が立てられた天理原則によって創造された被造物であり、夜の神とともにあったことば、ロゴスである。
このような心情と愛と思想とその関係性ゆえに夜の神とロゴスとそして真のお父様は三位一体なのである。
ロゴス、創造原理は、夜の神様の真の父母思想により二性性相の中和的主体として創造された。
夜の神様の真の父母思想の根本は真の愛であり、その真の愛の性質は真の父母という愛の性質なのである。
ロゴス、創造原理は、夜の神のこの真の父母思想により創造されたが、被造世界創造以前に神とともに存在しているがゆえに、神と言ってもよいということである。
それゆえ、原理原相論試論は、「ロゴスは神ご自身である」という神学を証す内容でもある。
この夜の神の父母性ついては拙稿「夜の神様の父母性」も参考頂きたい。
原理本相論創造原理編は、このような男性にしてたった一つだけの存在としての天宙天地創造の神について、夜の神の時の存在様相と昼の神の時の存在様相を扱っている。
1-4 ロゴスが二性性相の中和的主体である理由
原理原相論では、原理講論においても原理本体論においても、神の存在様相として到達した創造原理の二性性相の中和的主体というその存在様相は、神ご自身のことではなく、神とともにあったことば、ロゴスのことであることを究明した。
この内容の概略を以下に説明する。
光と時間空間の世界で創造され、その創造された被造世界に存在する我々が、その御言にロゴスによってつくられたこの被造世界の共通内容から推論して行き着く先は結局、その神とともにあったロゴスであ。
しかしこのロゴスの存在様相を、原理講論も原理本体論も、神ご自身の存在様相として捉えてしまっている問題がある。
また光と時間空間を創造された以降の昼の世界に於ける第一創造主の存在様相は、夜の神の時にご自身が造られた創造原理に基づいて二性性相の中和的主体として現わざるをえない、何故なら光と時空間を創造された以降の一切の全てがこの創造原理によって造られた被造物であるからである。
二性性相の中和的主体であるこのロゴスは、ともにおられた夜の神様の真の父母思想により創造された被造物である。
ロゴスが二性性相の中和的主体であるのは、この真の父母思想も中和的主体であるからである。
被造物、被造世界をいくら観察して帰納法的に推論しても結局、到達点は、神と一体であるロゴスまでである。
これがこの被造世界から推論されたロゴスを元に展開された統一原理、統一思想、本体論の限界でもある。
真のお父様や、亨進様が神を中和的二性性相であると言われる時、それは神そのものではなく神とこのロゴス(創造原理)、真の父母思想が三位一体として存在する神性が天宙天地創造神の神性である、つまりロゴスが二性性相の中和的主体であるなら、このロゴスとともにおられた神もまた二性性相の中和的主体という神性があるということである。しかし夜の神の時の天宙天地創造神そのものは二性性相の中和的主体では無いことは留意しなければならない。
*詳細は原理原相論試論 を参照頂きたい。
1-5.アダムとエバ創造に見る夜の神と昼の神
次に人類最初の男性と女性であるアダム・エバという観点で夜の神と昼の神をみる。
天宙天地創造の神は、その真の父母思想によりアダムとエバを創ることを目的として天宙を創造したのであるからアダムとエバの神性は昼の神である。アダムとエバの創造を創造目的とした創造原理をもとに天宙天地創造が始まり展開されたのでアダムとエバの神性は第二創造主である。
アダムとエバを比較した場合、アダム(最初の男性)は天宙天地創造神が夜の神の時、真の父母思想が発想される前から天宙天地創造神ととともにあった夜の神の精子、絶対性の精子から来たがゆえにアダムの神性は、昼の神の神性とともに夜の神の神性を持つ。
一方エバ(最初の女性)は天宙天地創造の最終的創造目的であり、もっと言えば夜の神の時から存在する絶対性の精子の受精のために、絶対性の卵子を創造することが天宙天地創造の目的であるからエバの神性は昼の神と言える。
二性性相は陽陰(男女)の二性性相と性相形状(霊人体と肉体)の二性性相があるが、有形実態世界(形状世界)における陰性の万物創造は太初の光あれと、神が言われたときから創造され存在した。
しかし、無形実態世界(性相世界・霊界)において、エバが創造されるまでは性相・霊人体を持つ存在は存在しなかった。
エバの創造まで霊人体をもつ存在は、神、天使、アダムだけであり、その霊人体は男性なのであり、エバの創造によってはじめて女性の霊人体がこの天宙天地創造世界に現れたのである。
それが故にエバを昼の神と言うことができる。
アダムとエバにもこのような昼の神としての神性があり、特にアダムには夜の神の神性がある。
アダムは夜の神の神性と、昼の神の神性を持つ。
エバは天宙天地創造の昼の神の神性だけを持つ。
アダムは夜の神の精子から来たので天を表し、
エバは夜の神の被造物である絶対性の卵子から来る昼の神であるから地を表す。
以上から、アダムとエバの神性を比較する場合、アダムを夜の神、エバを昼の神と言うことが可能である。
それが故に、真のお父様は、ご自分のことを夜の神にたとえ、韓氏オモニを昼の神にたとえ、夜の神と昼の神が戦っているという表現もされたのである。
1-6.夜の神と昼の神と聖霊の三位一体
キリスト教会では男性として常識である聖霊が、家庭連合では長らく聖霊を神と別に独立して存在する女性神であると間違って解釈されてきたがゆえに、女性神が独立した個として存在すると考える信徒もいる。
聖霊は女性神ではないし聖霊という別の個の神は存在しない。
聖霊は男性神である天地使創造の創造原理を通して現れる神の女性的表象であり、その表象の性別は当然ながら男性である。この男性である神の女性的表象を我々は聖霊として感じるのであるから聖霊は男性である。
つまり聖霊は夜の神が天宙天地創造後に現れる天宙天地創造の神である夜の時の神の存在様相、夜の神の表象れである。
このように天宙天地創造の神において天宙天地創造前の夜の時の神(夜の神)であろうと天宙天地創造後の昼の時の神(昼の神)であろうと、まったく同じ方であり、天宙天地創造神は男性であり一なる神である。
そしてこの男性である一なる神の根本神性は真の愛の真の父母である。
一つの白い光はプリズムにより7色になるように、光は光であり別のものではない。光と虹は同じ光で見え方が違うだけである。これと同じように天宙天地創造の神において夜の神と昼の神を別々に考えてしまうのは、光と虹という存在が別々に存在していると誤認識することと同じである。我々は虹を見ても光が自然のプリズム現象によってそのような様相になることを知っているが故に、光と個別の存在とは考えない。
これと同じく、一なる天宙天地創造神は夜の神の時にご自身が創造された創造原理というプリズムを通して我々には昼の神として現れるに過ぎないのであって、同じ神である。
また創造原理というプリズムを通して現れる神の二性性相における女性的表象が聖霊として現れるということである。第一創造主、一なる天宙天地創造の神において、夜の神も昼の神もそして聖霊も同じ神である。
このように聖霊は男性である。聖霊は非常に女性的であり母性に溢れている。しかし聖霊は女性神ではない。聖霊の女性的表象も男性である神からこの母性がくる。この母性は男性である神の要素のひとつなので男性である。故にその聖霊の根源である男性である神が女性的母性を持っているのは当然である。
この神の女性的母性もまたこの男性である一なる神の根本神性である真の愛の真の父母性から来るのである。



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