馬歩による統一原理 讃美訓練
◆2026年7月2日台湾聖殿 韓国語木曜礼拝<2>
文亨進二代王
翻訳minion
馬歩による統一原理 讃美訓練 基礎講座
その暗闇の中で、辛い部分の中で、ストレスの中で讃美する習慣を作らなければなりません。
でも、これを作るのは大変です。これを身につけるのは大変です。
だから、若者達は、エネルギーも気力も強いから、彼らが、そのエネルギーを使い、讃美の中で、彼らに難しくさせてやるのです。
この讃美は3分ですが、君たちは3分間、馬歩(馬歩)をします。君たち、馬歩を知ってるでしょう?私たちが武道する時、ちょうどこうやってうまくやるのです。馬歩、パッ、そう、だから、こういう内容を通じて、苦労させるようにした。体を酷使させる。
何故なら、ストレスを与える。何のことか分かるか?
歌の練習だけじゃなくて、これは訓練だから、体を打つのと同じように、私たち若者達は鉄の体を作る訓練をしてるだろう。
お互いに打ち合うような訓練みたいに、自分が自分の訓練の中でもっと辛くして、その辛さの中で集中し続けて、「お父様、ありがとうございます。お父様、ありがとうございます。」と。お父様、ああ、ストレスの中にある讃美で訓練するのだ。分かった?
だから、みんな、若者達、ちょっと前に出てきて、食口全員に見えるように。
家で食口たちも見ていれば、食口たちもこの様にできる。君たちは夫を見つめていればいい。夫を見つめて、お互いを見つめ合って。オーケー。君じゃない。オーケー。
オーケー。ちょっと、場所を空けて。場所。ああ、OK。
それから、おや、これ何?これ、パントクラトールじゃない?これオリジナルで作ったの?信宮が作ったのか?どうやって作った?カスタムデザインしたのか?プリント、カスタムプリント、知ってる?どうやってやる?
ああ、ウェブサイトでやってるか。前を見せて。前は何?前を見よう。前。おっ、わあ、面白いね。すごくいいデザインだね。
OK。集中。
さあ、じゃあちょっと食口達に見せる。馬歩、馬歩、さあ、下りて。
馬歩、馬歩、下りてって。OK、OK。さあ、しっかり掴んで。OK。
あ、李会長さんはいいです。年配の方たちには、3分はきついです。年配の方たちは、もう少し広めにして、ほんの少しだけやればいいです。あまり深く、深くやりすぎないでください。
これは最初は簡単ですが、3分後には倒れます。年配の方たちは。
今、うまくやろうなんて考えてはいけません。まだやってないのに。じっとして。
膝の上に手が付かないように。手、おい、早く。
さあ、だからこの訓練、脚、脚の訓練。これ、脚の訓練。脚の訓練にもなるし、それにこれは鉄の体の訓練。鉄の体訓練。だから武道してる子たちはみんなやってる、鉄の体訓練。
こういう内容を通じて、体を酷使して、その苦痛の中で、讃美するんだ、OK、上がって。
近すぎる、君たち、近すぎる。
だから讃美も訓練になる。分かった?
讃美はただ歌だけじゃなくて、讃美の訓練にもなる。なぜ?讃美しながら、私たちは讃美しなきゃいけないけど、困難の中で讃美する習慣を作らなきゃいけない。
でも、歌の練習だけじゃダメだ。そうだろう?
だから、私たちは体と心の統一訓練を活用し、武道や平和軍警察の武道訓練も活用して、体を使い、体を酷使するような、あの馬歩のような姿勢を、簡単に言えば、誰もが馬歩できるね? それを通して、讃美するのだ。
オーケー。それから、姿勢も変える。オーケー?馬歩、馬歩しながら、ただの合唱じゃない。
ここにも統一マークがあるだろ?そう、これも「退け」という意味だ。
また、そうする時、讃美する時、こういう風にやる時は、完全に気が違う。
わかったか?オーケー。
さあ、準備しよう。さあ、原理、原理の統一マーク、みんな前見て、統一マーク。前見ろ。統一マークを、讃美に出てくるけど、まず統一マークをここから始める。オーケー?
ここから始めて、二代王様が「次!」という時に、さっと降りて来る。
わかった?
「次」と言った時に、さっと降りてきて。「次」でさっと上がって。オーケー。次、さっと上がる。次、さっと上がる。次、さっと。OK。
若者達はこれから馬歩しながら。
お前たちもやればいいね。場所を空けて。場所を空けてくれ。
お前、こっちへ、こっちへ行って。OK。大丈夫。OK。うん、OK。
さあ、食口のみんなもこれ全部やる。
私たちと一緒に、私たち以外も、ビデオを録画しながら、やるんだ。OK。さあ、赤ちゃんのお母さんたちは少し後ろにいて。おばあちゃんたち、赤ちゃんの面倒を見るのを手伝って。オーケー。
実際は赤ちゃんたちもこれ、うまくできる。オーケー?
讃美が流れるけど、年配の方たち、深くしゃがみすぎないでください。倒れます。本当に。
これをしたことがない方たちだから、欲を出してはいけません。
「私が若いから、私がやれるから」と、そうしたら翌日体が痛くなります。
だから、年配の方々、テレビ見ている年配の方々も、それはやめて、ただ足を広げていればいいです。
広く、広く開いて、下がらないでください。下がらないでください。分かりましたか?年配の方々は下がらないで、若者達が下がります。馬歩で。オーケー。わかった?
How long the song?どれくらい長い?歌がどれくらい長いか見てみよう。
オーマイゴッド。これは本当に長い歌だ。これ。この歌は本当に、この歌は本当にすごいけど、5分間もあるから、わあ、お前ら終わりだ。
死んでしまう。オーケー。
こんな感じでやってみよう。これをこうやるけど、1分後に一度、原理を描いて、その次にみんな起き上がる。ちょっと休んで、それからまた下がれと言ったら、また下がる。わかった?
だから、最中に多分三回、原理を描くことになる。統一原理を描く。オーケー?
体と心、讃美の訓練。
どういうことか?
苦しみの中、痛みの中で讃美する訓練。
そうだろう?分かるか?
馬歩による統一原理 讃美訓練実技
年配の方々は降りてこないでください。前にいる子たちだけが下げればいい。オーケー。さあ、信国、お前も早く出てこい。お前も出てこないと、みんなお前を憎むよ。
早く早く早く早くじっとしてじっとしてじっとして。じっとして。さあ
讃美 「真の父母様億万歳」 さあ馬歩。
「私が人を疑うとき私は苦痛を感じます。」さあ原理を始めます。
次。
「審判するとき、私は耐えられません。私が人を憎む時」 呼吸を続けて。
「私は存在の価値を失います。」次(手を下げる)悪魔よ、退け。
「しかし、もし私が信じたら」 捕まえろ。呼吸。
「私がもし愛すれば、」 次。すべてを受け入れます。下へ、下へ、下へ。
「今日、私の頭と体は苦痛と悲しみに震えています。」 次。集中、集中、集中しろ。
「私が間違っているのでしょうか」困難の中でただそのまま。次。(手を上げる)
「はい。私は間違っている」痛みの中で、讃美。
「しかし、私が騙されたとしても」苦しみの中で、痛みの中で、讃美。
「私はやはり信じます。」 次。(手を胸の前に合わせる)
「私が反逆に遭ったとしても」上がって。オーケー。
「私はやはり許します。」 目をつむって。呼吸して。お父様、ありがとうございます。
「私が反逆に遭ったとしても、私はやはり許します。」 さあ、又下がります。馬歩。下がれ。
女性たち、下げて。
「おお主よ、愛する痛みよ。」 次。(手を上げる)
「私の手を見てください。この私の胸に、主の手を置いてください。」 次。(手を横に)
「私の心臓は深き苦悩のゆえに張り裂けんばかりです」 痛さに集中しないで。讃美して呼吸。
「しかし、裏切った者たちを愛したとき
私は勝利を勝ち取ります。
もしあなたも私のように愛するならば」呼吸、呼吸に集中。次!
「私はあなたに栄光の王冠をお捧げします」
「七死復活八段完成」我慢、次!
「七死復活八段完成」アボジカムサハムニダ、次!
「七死復活八段完成」呼吸、呼吸、次
「七死復活八段完成」次、
「真の父母様、億萬歳」我慢、我慢
「真の父母様、億萬歳」上がって、呼吸、呼吸
「真の父母様、億萬歳」ハレルヤ!拍手!
おお、よくやった、よくやった。さあ、オーケー、さあ、座りなさい。しばらく座りなさい。しばらく休みなさい。
やったことのない人には分からない。やったことのない人には分からない。
だから、このような訓練を通じて、今、見えますね?讃美も、訓練になります。私たちが讃美の訓練をすれば、歌の訓練だけすれば、若者たちは寝てしまうではないか。
しかし、讃美の訓練をすれば、若者たちは寝ることができない。そうですね?
しながらも、武道の力もできて脚の力も武道の力もできてきて、お前のベースとバランスの力もできて、同時に運動にもなって、同時に鉄の体の訓練です、鉄の体の訓練。
自分の体に、どうしようもない、そのような訓練を通して、辛さを負担しなければならないではないですか。そうですね。馬歩しながら。その辛さと痛みを負担しなければならない。そうですね。
それでも、その中で、「アボジカムサハムニダ。」そして讃美、讃美。これは、実はできませんね。最初はできません。
しかしお前たちは、讃美の訓練をすればするほど脚の力もついてきて、このようにすればするほど、その痛みの中でもこの歌がだんだん聞こえる。今日はおそらく歌が一つも聞こえなかっただろう。そうだね?歌が聞こえなくて、ただ次を期待するだけ。そうだね?二代王の「次」の声だけを待っている。
だから、私たちはそうです。そうですね。これを通して若者たちは見たというだね。
痛みと困難とストレスの中に、頭が空っぽになってしまう。そうですね。
だから5分以内に、私たちはお前たちの頭が白くなるのを見たではないか。
そうでしょう?
この子たちは讃美しなければならなかったのに、讃美できなかったではないですか。あまりにも痛すぎるから。讃美できないで、ただ「次、次、次はいつ来るのだ、次」。
ただその痛みが解消されることだけを待っているではないですか。
考えてみなさい、私たちの霊的生活にも痛みがある時、困難がある時、私たちは神様に「神様、これを早く早く解決してください。早く次、早く次の話をしてください」こうですね。そうですね。
「早く早く、次の話をしてください」。
これだけを待つではないですか。そうですね?
だからこの短い、たった5分の中で、私たちは私たちがどのように反応するかすべて見えます。全て露わになります。そうですね?
だから、この讃美の訓練は、どのようなキリスト教の宗派にない訓練です。なぜ?彼らには平和軍警察訓練をしています。
平和軍警察の訓練がないから、このような鉄の杖王国の武道訓練や、神を愛し、隣人を愛し守るといった文化と現実の武道生活がないから、どんなキリスト教宗派にもありません。
そうですか?そうではないですか?
だから、讃美を通して、これはただ、讃美だけではなく、讃美の訓練になります。訓練。
私たちはそのストレスの中で、これは痛いではないですか。お前たちの足も痛かっただろ?そうだな?
だから、ストレスと痛みの中で、自分は讃美するというが、実はストレスと、5分の中で、5分のストレスと痛みの中にも讃美できないで、ずっと「早く解き放ってください。早く解き放って」といったことばかり待っている。
だから私たちの心も見えます。これは。
だから、これは讃美の訓練、みんな言ってみてください。讃美の訓練になります。今や、この子たちがこのような訓練をしながら、お前たちも武道の訓練が終わった後に、この歌もするように。分かった?
だから、終わりの締めくくりとして、最後の締めくくり、締めくくりの訓練として。
この子たちはこれをやっているではないですか。1ヶ月、2ヶ月、3ヶ月、4ヶ月、1年、1年後を見てください。1年後、この子達は痛みの中でも讃美しています。ターっと。まさに。そうですね?
なぜ?私たちが痛みや辛さを訓練するようになれば、私たちも強くなる。
これはキリスト教、どんな新約教会、ユダヤ教、旧約教は分からない、ありません。わかりません。
だから、お父様は私たちに何を与えてくださいましたか?多くの辛い訓練もたくさん与えてくださいました。
それから2006年から、天一国の民たちを訓練させるようにとお父様は命じられましたね。二代王に。
だから、この訓練は、若者達が私たちの一世の方たちのように、宣教に出て行って、そういうこと全部、そのような訓練をしていないが、それでも平和軍警察訓練を通じて、この子達もこの痛みと辛い中で、どのようにして心の姿勢とどのようにして讃美するのか、その訓練もしなければなりません。
そうですね。
ビデオも出るから、お前たちも見るでしょう。足がどれだけ震えていて、どれほど大変か。
しかし、それはいいことだ。それはいいこと。
各教会で馬歩による統一原理讃美をしなさい
食口たちも、そして、若者達も一緒に、礼拝が終わったら、韓国や日本の食口たちも礼拝が終わってそれぞれの教会で、このような讃美をみんなで一緒にやればいいではないですか。礼拝が終わった後。
100回定州解放を100回するように、食口達が皆集まって、これを全部撮ったから、そうでしょう、撮ったから、みんなで一緒に、点けて流して、みんなで一緒にやります。
次に、年配の方たちが、あまり欲張って、「若者達がついてこい」と言ったら、倒れます、本当に。
これは普通の辛さではありません。
だから年配の方々も最初は少し(腰を)落として、それから少しずつ。年配の方は無理をしすぎてはいけません。心臓発作で死にます。霊界に行きます。訓練しながら霊界に行くかもしれません。欲張りすぎると。
だから、年配の方々は、おじいちゃんやおばあちゃんであることを認めなければなりません。認めて、心は若くても体は若くありません。
だから、心が若いからといって体を若者のようにしたら、霊界に早くバイバイ、聖和式に行ってしまいます。
だからそのようにしないように。
お年寄りは欲張りすぎないで、若者たちと比較して一緒にしないでください。分かりますか?
テレビで見る食口たちはわかります。
だから若者達は少しきつい訓練をしてもいいけど、お年寄りたちはほんの少しだけ、ほんの少しだけ、ほんの少しだけやればいいです。お年寄りたちは、生涯を通じて苦労してきたので。
だから、若い頃にこのような訓練は良いです。子供たちが大きくなっていく中で、私たち若い世代もこのような訓練をすれば、もうこれは讃美だけではありません。これが見えますね。この違いが見えますね。
歌の練習、讃美の練習をしながら、讃美の訓練の違い。
若者達も今日、それを感じたか?感じなかったか?違うか、違わないか?完全に違う。
訓練と讃美の練習、讃美の訓練、完全に違いますね。そうでしょう?
歌の練習をする時、私たちは日曜礼拝の準備をするために、準備のための練習やパフォーマンス、公演の準備をすることにもなりますが、もちろん祈りながらしなければなりませんが、準備する時でも。
それでも、これは訓練とは違います。
パフォーマンス、その公演の準備する讃美は、簡単に言えば歌に少し祈りが入るけど、それでも歌の練習ですね。実際。
そうですか?そうではないですか?
だから、辛い部分がありません。だからこれは、声の公演の練習であって、訓練とはまた違います。
讃美の訓練をする時は、自分一人で部屋ですることもできます。部屋で一人で練習することもできます。自分がストレスだらけの時、夫と本当に喧嘩したい時、その音楽を流して、このようにすることができます。
自分一人で部屋で練習できます、これは。そうですね。
だからこれは訓練とは違います、訓練を通して、私たちは統一原理を描いて、統一原理の中にある姿勢をしっかりと掴んで、その姿勢で悪魔を出ていけと追い払う姿勢。
「ああ、すべて受け入れます。お父様。すべて受け入れます」。そうですね?
すべて。良いことも、悪いことも、辛いことも、希望に満ちたことも、過酷なことも全て。そうですね?すべて栄光を受けてください。そうですね?
そうですか?そうではないですか?
私たちの年配の方々は後ろでされるので、そのような感じが、若者達がちょっと苦労している感じが見えるでしょう?そうですね?
そのように苦労しているのを見て、同感もするし、感動もするし、そうですね。なぜ?次の世代も強く訓練を受けてこそ、サタンの攻撃にも勝つことができるではないですか。
そうですか?そうではないですか?
皆さん、ご存じですね。皆さんは、どれほど多くのサタンの攻撃を受けているか。一世の方々は。一世の方たちは最も多く受けました。刑務所にもたくさん行って。
だから、若者達は、そのような道はいきませんが、それでも平和軍警察訓練はとても重要なことです。
国を強固にし、また強い男性、女性、自分の心と体を主管することができる男性、女性、そして神を愛し、隣人を愛する男性、女性、そして心から、その困難の中でも神を讃美する。
馬歩による統一原理讃美は脊椎を青くし、悪魔を撃退する
だから、そうですね。1番目に、科学的に、私たちが讃美するとき、科学的に私たちの脊椎を赤くしますか?それとも青くしますか?青くします。そうですね?
だから、科学的に、私たちが讃美するとき、脊椎は青くなります。その讃美の中に没頭すると。
そうですね?そうですか?そうではないですか?
その讃美にはまるようになれば、脊椎は科学的に青くなり、そこから私たちは神の恵みを感じることができます。そうですね?突然涙が溢れてくることもあり、突然「アボジカムサハムニダ。」と溢れ出たり。
なぜなら、私たちがストレスを感じたり辛い思いをしている時の脊椎は、どんな色ですか?
赤色です。赤、赤色です。
それから、でも神様は、その赤い脊椎のストレスの中で、何をするようにおっしゃいますか?「讃美しなさい。感謝しなさい」。
そうおっしゃいますね。だから「アボジカムサハムニダ。」ふーーーーーー。それから
「チャンプモニム、億万歳」そうですよね?
そのような部分を通して私たちの脊椎が、青くなります。科学的に私たちの赤い脊椎が青くなる訓練を神様がしてくださいます。
脊椎が赤い時は「感謝しなさい」。それから何?「讃美せよ」。
そうですね?「アボジカムサハムニダ。」ふーーーーーー。
だから、この子達もこの馬歩する時、「アボジカムサハムニダ。」ふーーーーーー。「アボジカムサハムニダ。」ふーーーーーー。このようにしなければなりません。継続して。
そして、体が辛いので、呼吸も早くなるではないですか。だから、その急ぐ状況の中でも、「アボジカムサハムニダ。」を継続して集中しなければなりません。そうですね。
ですから、科学的に見ても、神様が私たちに与えてくださったその命令、その力の中に、「感謝せよ」「讃美せよ」というこの二つの内容も、私たちの脊椎を青くする。青くします。
次に何を勉強しましたか?
二つ目は、讃美する時、悪魔の世界、悪鬼の世界も混同してしまう。悪鬼の世界にも力がなくなってしまう。
なぜ?悪鬼の世界では、私たちが恐れてこそ、怖がってこそ、あいつらに力があります。
そうですか?そうではないですか?
皆さんも悪魔を見たら、真っ暗な夜に悪魔に会ったら、悪魔が皆さんを脅したり、悪霊がまとわりついたり、苦しめたりして、このように皆さんを恐怖に陥れるでしょう?そうですね?恐怖。
その恐怖に継続して陥ると、そこにずっと押しつぶされます。押しつぶされて、それから、陣頭指揮もしてくるではないですか。
次に、ここにずっとハマり続けたら、気が狂ってしまう。そうでしょう?
だから、この悪魔の世界も、こいつを攻撃しようとしたのに、こいつは歌を歌って
いる。これは、何だ? 悪魔たちも混乱する。わかりましたか?
「いや、こいつを今、苦しめようとして来たのに、私が何をしてもこいつはただ歌を歌うだけ。自分がどうやって戦うか分からない」。
そうでしょう?自分がどのようにして戦うか分からない。
人は恐怖に陥ってこそ、自分が近づいて首を絞めて、することができるではないですか。そうでしょう?
でも、人が、悪魔
が近づいて来ようとした時、「アボジカムサハムニダ。」ふーーーーーー。「チャンプモニム、オンマンセ」悪魔が「おい、なんだ?これは。お前、怖くないのか?」
そうでしょう?
それから悪魔は何ですか?悪魔も私たちの後ろで、「あ、こいつはどうして怖がらないんだ?あ、こいつの後ろにエホバ、創造主がいる。あーーーー!」と逃げていく。理解できますか?
私たちのお父様を見るようになります。「こいつの後ろにはキリストがいる。あああーー!」「こいつの後ろにお父様がおられる。ああーーー!」
そうですね?
だから、その悪魔が記憶するようにしなければなりません。悪魔を混乱させるようにしなければなりません。しかし、悪魔も記憶するようになります。
私たちの後ろに、私たちが誰の息子や娘なのか、キリストを見るようになります。恐怖に陥ると、悪魔が私たちを陣頭指揮することができます。自分の力が強くなるではないですか。
しかし、その恐怖、悪魔たちが攻撃しに来た時、そこから逃げずに「アボジカムサハムニダ」と、讃美する時、悪魔が「えっ、何だ?」次に、悪魔は私たちの後ろにいるキリストの宝血、お父様の宝血を見るでしょう。
そうですか?そうではないですか?
だから悪魔たちも、ア〜と退くのです。
退けパワーは私たちから来るのか?悪魔は私たちの後ろに、キリストが私たちの後ろで光を放っているのです。それが、私たちの光を覆うように、そうでしょう?キリストの光です。
だから、讃美にもそのような力があります。
そうしながら悪魔の世界にも打ち勝つことができるパワーです。科学的に私たちの脊椎が青くなり、悪魔の世界に打ち勝つことができるパワー、悪魔たちが恐れる「チャンプモニム、オンマンセ」と讃美、愛の讃美。
あの真っ暗な、真っ暗な夜に悪魔の攻撃がきた時、悪魔たちが現れて皆さんの首を絞めようとした時、その時、「あああ・・・。あああ・・・。あああ・・・。」このようにしたら悪魔が勝つではないですか。皆さんは倒れて。
そうですか?そうではないですか?
しかし、その状況で「アボジカムサハムニダ。チャンプモニム、オンマンセ。チャンプモニム、オンマンセ。チャンプモニム、オンマンセ。チャンプモニム、オンマンセ。バイバイ」
「わあ、お前の首を絞めようとしたのに何してるんだ、この野郎」。
そうですね?そうですか?そうではないですか?
舞攻による統一原理讃美は霊的戦い
だから、私たちには科学的な事実も出てきて、霊的な戦いの現実も出てきて、次に、私たちは中国の礼拝でも勉強しましたね。霊界から出てくるビデオを見たでしょう?
霊界の先祖たち。先祖たちも降りてきて私たちと踊りを踊ります。
先祖たちは見えませんが、アベルの聖霊たちや、解放された先祖たちも生きているではないですか。
この方々も私たちと一緒に讃美します。霊と肉、霊肉協会。その人たちも、先祖たちが降りてきて、一緒に踊りを踊って、一緒に讃美を歌って、一緒に悪魔たちを追い払う。
だから、中国語の礼拝で、私たちが讃美する時、若者達が「舞攻(ムゴン)ムゴン、ムゴン」とするではないですか。舞攻(ムゴン)、ムゴンの踊り、見ましたか?この「ムゴンの踊り」を通して、霊的な戦いと闘いを象徴する、踊りです。そうですね?
だから、ここを見てください。悪魔たちや先祖たちも出てきて、全て打ちます。そうですね?だから、この「チャンプモニム、オンマンセ」をする時も、私たちの若者たちも今、チャンプモニムオンマンセ、舞攻、踊攻(ヨンゴン)、舞攻の踊りを今学んでいるではないですか。
善と悪の戦いにおけるこのメッセージは何ですか?
つまり、善と悪の霊的な戦いの中で、私たちは自分の力で悪魔世界に勝つことはできません。
キリストの宝血によって勝たなければなりません。理解できますか?
だから、『チャンプモニムオンマンセ』で、悪魔が最後に死ぬではないですか。
今回、私たちは悪魔のマスクまで注文しました。
中国の人たちも、皆さん、ご存知の通り、中国は古代文化ですね。古代文化文明圏。韓国のように古代文化文明圏の中で、古代の宗教、すべての古代宗教がどのように神学を教えていますか?
絵や音楽、踊り、そして祭りといった文化を通じて神学を教えます。なぜなら、古代のキリスト教と全く同じです。
あの当時、人々は本を読むことができませんでした。そうですか?そうではないですか?読むことができません。
だから、すべての古代宗教は、自分たちの神学を、祭り、踊り、儀式、歌、絵を通じて教えました。そうですね?
なぜなら、古代のおじいさんやおばあさんたちは本も文字も読むことができなかったではないですか。
徐々に現代の時代も、インターネットがあるのに、人々が文字を読む確率は下がり続けています。知ってますか?知ってますか?
インターネットやAI、チャットGPTなどが出てきたので、人々は読みません。サマリー(summary)にかけようと。
要約版でもなく、YouTubeのビデオを要約した人の説明を作ります。
要約版を読むことさえもしません。それもものすごく面倒くさい。最近の人は怠け者なので。そうですね。
YouTubeの動画に出ていた要約の人、そのコメンテーターが要約した動画をただ見る。
だから、徐々にインターネットが発達しながら、すべてのチャットGTP、AI、このような内容を通して、人々は全ての世界の情報が手にあるのに、徐々に読むことができません。
いやあ・・・。これは本当に、アイロニカルな内容ですね。
いや、このような、現代の時代に誰もが読むべきだと考えるではないですか、実際。
そのような約束をされたではないですか。発展しながら、それが全部下がっているではないですか。ほら見てください。全部下がっているではないですか。読むことができる能力が全部下がっているではないですか。
だから、テクノロジーが発展しながら、そいつらは私たちに何を約束したんですか?
「ああ、人間はもっと賢くなる、もっと知恵深くなる、あらゆる分野でそうなる」こうではないですか。
このテクノロジーを通して、人々はますますバカになっている。バカ。このテクノロジーを通して、自分で読む能力もなくなっていきます。
そうしながら、YouTubeで誰誰のコメンテーターの要約だけを聞きます。
それでは、これの問題点は何か?共産党がコメンテーターを主管したら、共産党の話だけを聞くようになります。理解できますか?
そうですか?そうではないですか?
だから、聖書の訓練、聖書を読むことが重要です。読むこと。
自分の目と自分の頭を使って読むこと。原理を読むこと。
読むことは良い、重要な訓練です。
どうして?この現代時代の内容を通して、人々はますます愚かになっています。さらに下がっています。ですから、それも事実なので、古代の時代のように、現代の時代も今や古代時代のようになっています。
今や人たちは、読みながら学ぶのではなく、絵を見て、祝祭を見て、踊りや公演を見て、このようにして学んでいるのです。
だから私たちも、中国の宣教でも、古代の宗教が皆そうしているように、私たちもこのようなチャンプモニムオンマンセの歌、絵、絵の中に、すべて神学を教えているではないですか。ここ、聖殿に入れば、絵で信仰も神学も学ぶではないですか。そうですか?そうではないですか?ここを見てください。よく見てください。ここを見るだけでも神学を見るではないですか。そうでしょう?そうですね?
そうしながら、その歌や、それから踊りも、踊りは単なる踊りではなく、霊界の戦い、善と悪の戦いを代表しているではないですか。
一つの祝福家庭がいて、一つの悪魔がいて。そうですね。
その悪魔が、今回私たちがマスクを注文したので、1人の人が悪魔のマスクを着けることになります。
それから、若者達が笑顔で訓練をするので、私たちの食口達もたくさん来た時、公演少し大きくしたければ、いくつかのチームが出て行ってするのです。一緒に。それも面白いですね。ただ前に二人だけではなく、たくさんのチームが出てきて、チャンプモニムオンマンセの踊りをします。
その次に、だから、白い服を着た奴が祝福家庭を代表して、黒い服を着た奴が悪魔のマスクと、悪魔の世界とサタン、悪鬼、ヤクザ、霊界のヤクザを代表します。
そうですね。次に、その踊りの中に戦い、「チャンプモニムオンマンセ」のパワーで戦いを戦わなければなりません。
そうですね。
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