2026年4月3日金曜日

神様の心情を縁(ゆかり)とする◆ 2026年3月11日 ソウル聖殿礼拝 世界を救う心情の縁(ゆかり)<3> ティム・エルダー宣教本部長

 神様の心情を縁(ゆかり)とする

2026年3月11日 ソウル聖殿礼拝

世界を救う心情の縁(ゆかり)<3

ティム・エルダー宣教本部長

翻訳minion監修fanclub

エルダー本部長礼拝 서울성전대예배2026 03 15 



聖書の中にある神様の心情


さあ、御言選集を見てみましょう。

皆さんはティム・エルダーの話を聞くためにここに来たわけではないですよね。そうですよね?

率直に言えば、御父様の御言を、御父様の御言を聞きたいから。御言の中には心情があります。

皆さん、聖書という本は、今、皆さんが見ていますが、私が少し一言お話しします。

聖書。聖書という本は、世界のどの本よりも、最も多く売れたのが聖書だと言われています。

ところが、その聖書は少し不思議な本なのです。矛盾が多く、理解しにくく、なぜこんな本が世界の他のどの本よりも、シェイクスピアよりも、そしてどんな作家よりも多く売れているのか。

摩訶不思議です。

でも、なぜそうなのかというと、聖書の御言の中には、神様の心情があるのです。だから人々は、ただ言葉だけ、御言だけを読んでいるのではなく、御言を読んで、神様の心を感じ取ることができるので、聖書に頻繁に心が向くのです。頻繁に心が向いて行きます。

聖書を見ると、読むと、なんだか心が落ち着く。そう言う人がたくさんいます。信仰がなくても、信仰のない人もそうです。


ですから、御言は一つの器だと言うことができます。一つの器です。その器の中にあるのが神様の心情です。


しかし、ある人はただ言葉だけを見て、そこに心情があることに気づかず、またそれを体験できないような人もいます。

そういう人たちは、何か条件が足りないからそうなのか、とにかくそういうことです。


だから聖書を見ると、「ああ、これは何だ? これ全て神話ではないか。これは全部嘘だ」と、そう感じる人もいます。その御言の中にある心情を理解できなければ、そう感じるしかないでしょう。


しかし、御父様の御言の中にも、そうした御父様の心情があり、神様の心情がそこにあるのです。

なぜ私たちが毎朝訓読するのも、同じ内容を繰り返し繰り返し訓読するのも、また、家庭盟誓を何十回、百回、あるいは何千回と続けて私たちが家庭盟誓をするのも、単にその御言を私たちが覚えることも重要ですが、それ以上に、その御言の中に込められた心情を私たちがもっと深く体得するためにしているのです。


それを今、経験することができる、体得することができる、そのレベルは、私たちの心の中次第です。私たちの心がもう少し発展したら、人格が神様に近づけば、御言の中に込められた心情をより深く経験し、体得することができるのです。

本当に不思議ですね。同じ御言を読んでも、昨日は読んでもあまり感じることがなかったのに、今日読んでみると涙が出てきた、というようなことを、皆さんは経験されたことがありますか?私はあります。


神様の心情


さて、それでは御父様の御言を読みながら、その中に込められた心情を探ってみましょう。

だから今日私たちが語ろうとしているのは、神様の心情です。

これは『御言選集』第26巻、1969年の御言です。


神様の心情について論議しようというのです。神様の心情を知るためには、堕落による悲しみを体験しなければなりません。これまでの復帰歴史の途上で、み旨に従って出てきた数多くの先知先烈たちが、出場しては失敗した、そのような情景に自分自身を配置しておいて、歴史を超越した位置で神様を前に侍り体験しなさいというのです。


しかし、私たちが神様が経験されたそのような悲しみを100%体験することはできません。そうすれば死んでしまいます。

私たちが人間として、それは耐えることができません。ですから、神様は少しずつ、時には私たちにそれを与えてくださいます。

自らの体験を通して悪を除去し、善を擁護するという一つの主体意識を持つようになる時、ここから新しい歴史と新しい天民思想が始まるという事実を、私たちは否定できません。

私たちが新しい天民ですね。天の人々、天民です。

ですから、苦労しても一番下からしなさいというのです。このような事情を引き継いでいく過程では、必ず神様が共にしてくださるのです。子供が死ぬ場、慟哭する場、誰にも抑えることができず慰めることのできない悲惨な環境に置かれる時には、父母が同参するというのです。


分かることができなければ同参する事ができず、分かれさえすればどのような事情があったとしても、そこに必ず同参したくなるのが父母の心ではないでしょうか?そのような親の愛よりも何倍も大きな愛を持つ神がいらっしゃるなら、その方が人類の父であるなら、そのような悲惨で痛ましい事実に直面した人がいる時には、神は必ずそこに臨まれるというのです。


その人が歩む道には、常に神が共におられなければならないのです。そうなれば、いかなる試練や苦痛があろうとも、その試練や苦痛がその人を飲み込んでしまうことはできません。


しかし、このような試練と苦痛こそが、真に完全に帰結させることができる一つの条件となるのです。それゆえ、試練と苦痛、それは悲しみの象徴ではなく、むしろ私をもって永遠の光とならせることができる善の価値を決定づけ、新たな出発の縁を結ばせる絶対的な要因となるのです。


ここにおいて、勝利の旗を掲げて現れない限り、この悪の世界を征服し、打破することのできる主体的な個人、主体的な団体、主体的な世界思想は起こらないということです。このような意味において、私はこれまで、涙を飲み込み、皆さんに無情に送り出したこともありました。皆さんが嘆いていることをはっきりと知りながらも、鞭を振るわなければならない時もあったのです。

なぜそうせざるを得なかったのか?それは、皆さんが原則的な過程を経て出ていかなければならない運命の道にいるからです。それが、これまでの非運の世界に魅了されていた環境を打破するために避けて通ることができない作戦法による公式だったからです。


この御言をくださった御父様に、感謝の拍手を送りたいと思います。[拍手] 


私たちには、常に良いことばかりがあるわけではありません。サンクチュアリに入ってきたからといって、良いことばかりがあるわけではありませんね。

むしろサンクチュアリに入ってきたら、その試練がさらに増えることもあります。

なぜなら、サタンは出て行かないからです。

そうしたことを私たちが打破してこそ、私たちは今、神様の心情を体得し、そして神様とより深い縁を結ぶことができるということが重要なのです。


私たちは一日に罪をたくさん犯していませんか?罪というのは、行動だけではありません。

罪の中には、私たちの言葉も含まれ、さらには私たちの考えまでも含まれます。

イエス様は、男性が女性を見て、「あの人と少しセックスできたらいいな」と、ただ考えるだけでも、それは堕落したのと同じだと、非常に厳しい御言を語られましたね。


考えさえも罪だと、このようにおっしゃっているのです。ですから、私たちは皆、罪人だと言えます。罪人だと言わなければなりません。

しかし、私たちは少しずつ人格を、昨日より今日、今日より明日と、人格を少しずつ完成させていく過程にあるのです。


神様の心情と一つとなる


そのためには何でしょうか?神様の心情を私たちが体恤(共感)して、神様の心情に従わなければならないのです。神様の心情を知れば、罪を犯すことはできません。

ですから、人が完成し、人格が完成し、直接主権圏に入れば、罪を犯すことはできないと言うではないですか?犯そうとしても犯せないのです。


なぜなら、神様の心情と今、一つになっているからです。そして、神様が本来、人間を創造された目的は、愛の対象、完全な愛の対象、心情の対象を必要とされたから、人間を創造されたのです。

これは実は、これまでのキリスト教では想像もできなかった内容です。キリスト教では、神は遙か上におられ、私たちはここにいて、とてつもない隔たりがあるため、私たちが神に近づくことさえできないと言うのに、しかし、創造原理を見れば、そうではありません。神は、私たちと完全な主体と対象の関係を結ぶために、私たちを創造なさったのです。主体と対象の関係は、これは横的な関係です。

御言の中にそのようなみ言があります。縦的な関係では、心が一致することはできないとおっしゃいます。縦的な関係では。必ず、完全に一体となるためには、それが横的な関係でなければならないのです。


しかし、その横的な関係になるためには、私たちが責任分担を完成させなければならないのです。ですから、私たちの中で一人として、これまでそのようなことを経験できませんでした。また、私たちが人生を送る間にそれを経験できるかどうかは分かりませんが、必ず未来にはそのような世界が来るでしょう。

人間が本来、神の創造理想、本然の創造理想を成し遂げた時には、そうなるだろうというのが、御父様が私たちに与えてくださった途方もない希望です。希望です。私たちは単なる人ではありません。私たちは神の子女として創造され、そして今、そのように成長しつつあるのです。


生成AIの問題


最近、AIが大きな問題になっていますね。AIは人間ができることはすべてできると言いますが、AIにはできないことが、私の見るところ二つあります。


いくら科学が発展しても、AIには血統がありません。ですから、AIを持って人間に似たロボットを作ったとしても、そのロボットに神の血統があるはずがありません。


二つ目は、神の心情がありません。AIには絶対に神の心情があるはずがありません。なぜなら、神の心情というのは、どんなプログラムをしてもできるものではないではないですか。言葉で表現することはできません。それは、体恤(実感)してこそ、私たちが理解し、知ることができるものなのです。

しかし、AIにはそれができないのです。AIとは何でしょうか?結局のところ、0と1の融合に過ぎないのではないでしょうか?そこには心情がありません。


そこで最近、ある食口が英語の天聖経を自分で録音しています。録画しています。でも、やってみると、これが無駄なことをしているのではないかと、このような気持ちが湧いてくるのです。なぜなら、AIの声が私の声よりずっと美しいので、これならいっそAIに全部やらせたらどうかな、とそう言っていたのです。

そこで私はこう言いました。「絶対にその様に考えないでください。あなたの声には心情があり、AIの声には心情がない。これが決定的な違いだ」と言いました。


最近YouTubeを見ていると、AIを使ってメディアを作っている人がたくさんいますね。AIかそうでないか見分けることができます。私は今、AIでしょうか?どのようにしてわかりますか?ティム・エルダーがAIではないということを、皆さんはどうやって証明しますか?もし、私が話す言葉の中に心情があるなら、私はAIではありません。しかし、もし私の声を聞いても、神様の心情を皆さんが感じることができないなら、もしかすると私はAIかもしれません。


心情を感じてください。私がAI かもしれません。これからもAIは、決して心情的に御父様のみ言を私たちに伝えることはできないだろうと、私は思います。

様子を見ましょう。後で、クアンタム(量子)とかいろいろありますが、結局のところ、心情というのは体感してこそ私たちが受けることができるのです。体恤(共感)してこそ受け取れるものなのです。


ですから、私たちが創造原理を見たら、四大心情圏、家族盟誓の3番にもありますが、四大心情圏を完成させると誓い、それが今や人格完成の重要な過程ではないでしょうか?四大心情圏。これが人間と、そして他のすべての万物との違いです。


サタンも、どんなに努力しても心情を持つことはできません。人間ではないので。神の息子でも娘でもありません。ですから、それが私たちが神の心情を体恤(実感)し、持つことによって、天使長を主管できるようになり、サタンに勝つことができ、そしてこのサタン世界を打破する、そのような私たちになることを、私たちがもう一度感じましょう。

ありがとうございます。


今日はここまでにし、祈りを捧げます。


祈祷


天の御父様、ありがとうございます。私たちに心情を与えてくださったことに感謝いたします。また、御父様が抑えることのできない、このような心の衝動通して、私たちに常に愛をくださり、私たちを育ててくださる、そのようなお父様であることを私たちは知っています。


私たちが御父様を知らず、神を知らず、ある時には多くの場合、神から離れ、裏切ってしまうこともありますが、そのたびに御父様は心情を持って私たちを再び探してくださり、再び立ち上がらせてくださり、再び私たちに愛を注いでくださり、再び私たちを励ましてくださる、その恵みに感謝いたします。


今日この場に集まったすべての食口、そしてこの放送をご覧になっているすべての食口が心を一つにして、私たちは今は辛子種のような小さな集団ですが、その集団を通して神様がサタン世界を打破されるということを私たちが知り、そのような過程に私たちが参加できる恵みに感謝しながら、今日この場で神様に感謝いたします。

このすべての内容を、祝福中心家庭ティム・エルダー、ユ・ノスク家庭の名においておささげし報告申し上げます。アジュ 

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