エパタ(開け)!耳と口を開かれた再臨主の奇跡
再臨主の目撃者
【「聴こえない、どもる私」を治された再臨主】
台湾:パク・ソンジャ権士編
マルコによる福音書7章
7:34 そして天を見上げ、深く息をして、その人に「エパタ」、すなわち「開け」と言われた。
7:35 すると、すぐに彼の耳が開き、舌のもつれが解け、はっきりと話せるようになった。
"귀 먹고 말 더듬던 나"를 회복하신 재림주님// 대만 박성자 권사님편
再臨主の目撃者【「聴こえない、どもる私」を治された再臨主】台湾 パク・ソンジャ権士編
天一国の皆様、こんにちは。今日も再臨主の目撃者のチャンネルへ来られたことを歓迎いたします。
私たちは今、台湾に来ています。 台湾 に来たので、台湾の食口を一方お迎えし、再臨の主とどのように出会われ、どのように愛するようになり、どのように証するようになった人生を歩んでこられたのか、 伺わずにはいられないと思います。
本日、 とても特別な、私がこの方の証を朝に伺ったのですが、この証しを思い出すと目に涙がにじむほど、本当に台湾で活動を長い間してこられ、生活してこられたご家庭です。朴成子(パク・ソンジャ)勧士ニムです。こんにちは。簡単な自己紹介をお願いできますでしょうか?
こんにちは。私は6500家庭、韓国と台湾で祝福を受けた国際祝福家庭です。私は韓国人で、故郷は全羅南道羅州郡南平邑オナム里です。そこは文氏の先祖が住んでいたところです。そこで1961年12月21日に生まれました。
王妃様:一度どのようにして教会に出会うようになられて、また幼い頃に障害がおありだったと朝に伺いましたが、そのお話もぜひお聞かせいただきたいです。
1.幼い時からの聴覚障害と耳が聞こえるようになった奇跡
私の韓国の両親は男の子が1人で、7人の女の子をもうけ、私はそのうちの5番目です。5番目なのですが、一男七女の中で私が私たちの家の中で犠牲を払うように生まれたと聞きました。
生まれた時、兄や姉たちが 大変驚いたそうです。と言うのも、 赤ちゃんの耳が両方聞こえず、生まれたばかりの頃から子供が泣いており、両方の耳には膿があったのですが、膿の中に血が混ざっていたと聞きました。
そして両親は子供を抱いて医者に連れて行ったところ、医者が「このお子さんは生きるのが難しいでしょう。諦めた方がいいかもしれません」と言われたので、父はずっと戸籍に載せずに観察していたそうです。
お父さんが「もし亡くなったら心の準備をしなければならない」と考え、子供を戸籍に載せずにずっと様子を見ていたのですが、言葉も話せず、聞くこともできず、歩くこともでず、動くことも。耳が聞こえないため、何もできない、そのような不具者の状態で3年間 生きていたと言います。
そして3年後に戸籍に載せたのです。ですので、現在の年齢よりも戸籍上の年齢は3年少なくなっています。 その後もずっと死なないで生きたのですが、 この子供が毎日毎日苦痛の中で 生活します。 なぜなら、 村の子供たちがいじめ、 私の家の周りの子供たちは 私たちのうちが来るのを 嫌がって、「障害者が生まれたところだ」と 考えて、かなり距離を置かれ、不便な環境の中にいました。
そのようにしながら、この障害のある子供をどのように育てたら良いか悩んでも、方法がなかったそうです。それで、家の近くにある普通の小学校に入学したのですが 小学校に入ってもずっと聞こえないため、ずっといじめられ、それで小学校5年生になったのです。小学校5年生の時に、校長先生が担任の先生からお聞きになり、「こんなに良い 子供が聞こえないのはかわいそうだ」とおっしゃって、校長先生が直接いらっしゃり、私を連れて光州 にあるカトリック系の大きな病院に入院させ、最初の手術を受けました。
手術を受けて、その手術というのは両方の耳にあった血膿を切るための手術をするために 校長先生がその病院にお願いして手術をしたのですが、まず右耳から行いました。しかし、手術が終わって退院しましたが、良くならず、そのままの状態だったのです。
ですから校長先生もとても 失望されて、医者に尋ねたところ、「私が思うには治療は難しいでしょう。もうこれ以上はできない」と お話しされました。
王妃様:生まれた時から鼓膜がなかったと。
ですから血膿があったため、言ってみれば腐っていたのですね。生まれた時にあったかなかったかは分かりませんが、その治療を受けた時、医者はもうすでに両方の鼓膜がないと言っており、神経が全て死んでいると言われたのです。私が聞こえないため、文字で書いて私に見せてくださいました。
手術が終わり退院する日、私が病院から家に戻る のですが、家族が私を連れて一緒に家に行ったのですが、右耳を手術したので、私が このように歩いていると、右側から何か大きな石が飛んできたのです。手術したばかりでまだ包帯を巻いていた状態で退院したのですが、右耳の手術したところに、これくらいの石が正確に飛んできて、 ここ(右耳)を包帯をパーンと打ったのです。
見てみると、これくらいの大きさで、近所の子供たちが遊びで投げた そうです。 しかし どうしてそのように正確にここに、 まさに手術した ところに当たったのか。 そしてその日、私はその石に当たって倒れたのです。石の力がとても強くて。倒れて、家族は 本当に周りの、家族たちは「手術をしてもダメで、どうしようか。死なないし。」そのような状況で中学校に入り、高校に入りました。
王妃様:私の弟が実は精神薄弱で生まれたのですが、 その当時韓国にはそのような障害者施設などがありません。特別学校などもありませんので、本当に体に障害があったり、特別な助けが必要な子供たちも、普通の一般の小学校、中学校、高校に行くのが 当然だったではありませんか。ですから、その苦しみを一身に浴びられたのですね。
ですから、私が中学校の時に、卒業するクラスになったのですが、いじめがものすごくひどかったです。 どれほど酷かったかといえば、授業を受けてトイレに行くと、クラスの友達が自分の机をひっくり返して、例えば、私が試験を受けて点数が良かったりすると、「カンニングをした」と誤解され、「耳が聞こえない子がなんでこんなに点数が良いのか」と。
実際私は、 耳が聞こえないので1人で一生懸命本を読む努力をしていました。 しかし、周りのクラスメイトは、 ずいぶん誤解しました。
またある日、卒業試験を受けていたのですが、先生が「皆さん、目を瞑ってください」と言われたのですが、私は聞こえずに目を開けていたら、急に拳で頭をガーンと殴られたのです。頭がガンガンする状態で試験を受けようとすると、本当に悲しくて試験を受けながら、試験用紙が涙で全部濡れてしまいました。
後で先生が「あなたはなんでずっと泣いているのか」と尋ねられ、私は耳を見せました。話すことがとても辛くて。先生はとてもびっくりして衝撃を受け、「これほどひどい状態なのに治療を受けないと」と「ごめんね、ごめんね」と言いました。
そして高校に入学したのですが、その高校の体育の先生は、軍隊を出たばかりの力のある先生だったのですが、体育の時間に何か言われたようでしたが、私は聞こえないので反応がなかったため、急に来て大きな靴を履いていたのですが、その靴でガーンと叩かれ、また倒れたのです。
私がその日、「もう生きていても仕方がない」と思い、自殺をしようと、学校には鞄を持っていかず、学校の近くに 川がありました。川の近くをずっと歩き、「私はなぜこのような風に生まれたのだろうか。神様、もし生きていらっしゃるなら教えてください。私がなぜ何か罪を犯したのですか?私は何も罪を犯した覚えがないのに、なぜこのようなことを受けなければならないのですか? 後ろで同級生が何か言っても聞くことができなければ頭を殴られ、それで頭を ずいぶん殴られて、その当時はいつも頭が痛かったのです。
ですから その日、自殺をしようと、自殺衝動が起こり、ずっと 歩いて歩いて カバン も持たずに日が沈むまで家に帰りませんでした。
しかし、6000家庭の お姉さんが何か感じて 川辺に来て「ソンジャ~!」と呼びながら回るのです。その声が とても大きいようなので、家族が私を探していると思い、ずっと立っておりました。するとお姉さんが来て私を抱きしめ、ずっと泣いたのです。
そうしながら、私を見て「ソンジャ、死んではいけない。それでも生きなければならない。」と そのように言うのです、 お姉さんが。そして、そのお姉さんが私を心配して 連れて行ったのが、倫山ハルモニの祈祷苑でした。
その祈祷苑に上がっていくのですが、その時はひどく雨が降っており、雷も鳴っておりました。しかしその時まで、私は聞こえないので、雷がなれば 人々は驚いて反応するのですが、私は聞こえないので反応 しませんでした。皆が雷の音を聞いてびっくりしている様子を見て、「なぜあのようにしているのだろう」周りの人は皆、雨の音を聞いて反応しているのが見えました。ですから私も心の中で「神様、今まであの音が何なのか、音があるのか、 人々を見たら反応をするのですが、私も反応したいです」と。
祈祷園の場所は山で、山にある木もあり、雨がひどく大きな音で振ってもその雨の音も聞こえません。ですから心の中で「あの人たちが反応しているように、私も一度だけでも反応できたら良いです。どうか助けてください」と一人でそう言っていたら、急に 私の体に熱い何かの日が急に稲妻のように入ってきたのです。
王妃様:聖霊様が突然、臨まれたのですね。
ええ、その火が私の感覚では頭のてっぺんから入ってきたのを感じました。
そして、その時までは、血膿が溜まっていたのですが、その火が自分の体に入ってきて、しばらく私が寝てゴロゴロともがいていたようです。
正気を取り戻して立ってみると、不思議なことに血膿が乾いていたのです。「変だ、 どうしてないのか?」と思って、 反対側も本当にありません。なくて、初めて音が聞こえたのです。
これは、雨が降る音があるのだな。 そして、その日、このような音を聞いて反応するのだな。
それで初めて神様に感謝しました。「神様、聞いてくださったのですね。」これからも神様が聞いてくださり、守ってくださるような気がしました。心の中で。
初めて本当に満ち溢れる感謝と喜びというものが心の中に、 他の人にとっては全く何でもないことなのに、そのように感じられたことが本当に感謝でしたし、もう一つは、神様が常にそばにおられたのだと感じたのです。
その時から「ああ、私は今までなぜ死ぬことばかり考えていたのだろう。これからは生きることを考えていこう」 そして、その時から心の姿勢が変わり 始めて、一生懸命するようになりました。卒業して入ったのがソウルにある中区教会に入りました。そこに入った理由は、私がまだ耳が聞こえないため、できること、 掃除すること、聖殿の掃除を 一生懸命しながら献身生活をしようと自ら入ったのです。
2.祝福の奇跡
その時、 牧会をしておられた金牧師が、私が年も年でしたので私を見て、「6500家庭、今マッチングが始まるから行ってみよう」と言われたのです。私は「ああ、私のような人が祝福を受けたら、主体がどれほど苦労するでしょうか」と思い、断りました。「だめです。私を連れて 行ったら本当に苦労します。私は一人でこのように掃除をして献身生活を送り、このように生きていきます」と言いました。 そしたら 教区長が「いや、私たちは全て委ねよう。全て委ねて、与えられたら従って ダメでも大丈夫だから、行こう」と言って推薦状を書いてくださいました。
そして、教区長が 私を連れて行った ところがマッチングをする場所でした。私はそこでひれ伏し、「神様、私がここに来るのは大変過分なことです。私にできることは何もありません。でももし神様が私に恵みを施してくださるのならば、私は無条件に今日から一生懸命生きることだけを考えます」と、ひれ伏してずっとお祈りをしていた のですが、何か感じるものが、 誰かが私を訪ねてくるような感じがしたのです。
それで私はうつむいているのですが、 最初、私がその日 行った時、紫色のスーツを着ていたのですが、お父様が「 紫色、立ちなさい」と おっしゃいました。しかし私は「私を立たせることはないだろう」と、心の中で「紫 色」という言葉は聞こえました。
王妃様:少しずつ聞こえるようになられて、 御言も少し聞こえるようになっていたのですね。
ですが 完璧ではありませんが、ポイントが一つずつ一つずつ聞こえ始めていたのです。 その時「私ではないだろう」と思い、頭を下げておりましたら、誰かが私のそばに来て、見るとお父様が横にいらっしゃったのです。
お父様がいらっしゃって、「あなたはどの国の人と祝福を受けたいのか」とおっしゃいました。私は「いいえ、私はとても、私が 願うことを話すことも願うこともできない 状態なので、お父様がしてくださればします」と私が申し上げました。とても大きく言ったそうです。その言葉を。「お父様がお決めくだされば受けます」とはっきり言ったと周りの人が言っていました。
それが終わって、お父様は私が聞こえないのを全てご存知であるかのような感じでした。本当に近くで、 大変感銘深く聞くことができるように、お父様がおっしゃった言葉を私は正確に覚えています。そしてその時、お父様が「あなた、私についてきなさい」と。なぜなら、私が座っていた 場所が端の方、後ろの方でした。
王妃様:そこまでいらっしゃったのですね。
後ろの部分で、 そこまでいらっしゃったことも不思議で、お父様が私を連れて前に行かれたのです。お父様の手元にまだ写真がなかったので、ただ このように歩いて来られて、「前に来なさい」とおっしゃられたので前に出て行って、敬礼を捧げて、アジアの方で祝福の書類を継続して私の前で一枚一枚めくりながら、アジアの祝福書類がこんなにたくさんありました。慎重に ご覧になるのです。
それで、私の心の中で「私の肉親の親よりも私をずっと気にかけてくださる方だ」という考えが湧き上がりました。 そして、心の中では「ダメでも大丈夫 です。お父様がこのように私を気にかけてくださることが、どれほど幸せなことか」と感じました。
その日、ずっとアジアの方々の書類をご覧になって、香港の方をご覧になって、タイの方もご覧になって台湾は少し後ろの方にあったようです。 台湾の主体の写真を本当にじっくり長い間ご覧になり、私にくださいました。
私は「お父様がお決めくだされば受けます」と言いましたが、外国のことは全く考えておりませんでした。 その時まで。韓国の人も難しいのです。 韓国語 も吃りますし、当時はいろいろなことで、出来ないと考えました。しかし、見ると「台湾」と書いてあるのです。
私が 当惑するので、 お父様が私の表情をご覧になりました。 ご覧になりながら、私が当惑しているので、(お父様がニコニコしながら、頷かれる様子)
王妃様:「 大丈夫よね」そんな感じ。
そう。ですから、 そんな感じです。
それでも当惑しているので、お父様が「あなたはできる」と、
ですから、お父様の表情を見てみると、
王妃様:そのように言ってくださるような。
お父様が「私を信じなさい。あなたはできる。私を信じなさい、信じるね?」そのようにおっしゃっている表情のように感じました。
そしてお父様は私と大変近くにいらっしゃいました。お父様が このように座っていらっしゃって書類をご覧になっておられるのですが、私はその前にいたのですが、初めて何か香りを感じました。
お父様の肉身から 出てくるのか、お父様の霊的なものであるのか、私の感覚ではとても良い香り、香水のような香りが 継続して出てくるのです。その香りに私は酔うのです。
「ああ、お父様は罪がないからこんなに良い香りがするみたいだ」。
このような香りを 私は初めて 感じました。その香りが、私がそのお父様の隣にいる間ずっと香りが出ているのです。
そして、とても不思議な経験をして、お父様が「できる」とおっしゃられたので、お父様の表情や全体の雰囲気から、「あなたはできる、あなたはうまくできる、できるできる」 そのような感覚が継続してくるのです。
それで、私が「お父様がお決めくだされば受けます」と言ったその言葉に責任があるので、心の中で「お父様、 致します。ありがとうございます」と敬拝を お捧げして出てきました。
出てきて、後で、私は3年間動員をして活動し、夫は台湾で7年間献身いたしました。
それで夫が韓国に動員として来ました。鍾路教区に来ました。それで、たまに会って話をしたのですが、夫が私に くださる信頼というものが、とても強烈でした。「ああ、この人となら、私が一生懸命努力すればできるだろう」私が見るところ、夫は7年間ずっと献身生活をしたので、 夫は信仰がとても情緒的で、信仰的に安定感がありました。その当時、私が見る主体は、本当に様々に、ほとんど完璧に近いほど、信仰に、お父様に対する孝行や生活の真摯な ことも、言葉へ 対する責任を果たすということも、そして周りの人々を一生懸命に面倒を見る姿に感動いたしました。
そしてその後、私が台湾に来て、私の 様々な心の姿勢が「私は無条件に 新しい生活を送るので、一生懸命に暮らさなければならない。」 時間をその時から浪費しない方です。他の人たちよりももっと努力して、台湾に来てから今まで努力をしています。
真のお父様の預言の成就
王妃様: 私はお話を聞きながらこのような考えをしました。これはお父様の預言の成就の一つではないかと、 このように考えたのですが、どうして私がそのような話をするかといえば、二代王様が初めて牧会をされて、お父様に「あなたが私を受け継いでやりなさい」とおっしゃられた時、とても重大な責任なので、二代王様はすぐに返答が出来なかったため、「心配しなくてもいい。多くの人があなたを助けるから。多くの人が準備されている」、このような事をお父様がおっしゃられたのです。
その後継者の相続をしてくださったのですが、後ろで、もちろん公式にはそのような話はなかったのですが、 式が終わってそのようなお話を私たちと交わしてくださいました。
勧士任を見ながら、 お父様がその時言われたその預言の一人として、お父様があらかじめ34年前にもうご存知で、お二人をマッチングさせてくださったのではないかと。韓国の娘を台湾の嫁に 送ってくださり育ててくださったのではないか」と、そのように思いました。
3.6500双集会で真のお父様が下さった御言
今も鮮明に覚えているのは、台湾に来て10年ほど経った頃だったと思います。その時、6500家庭の集まりが、真のお父様をお迎えするということを、私が電話で連絡を受けました。「どこでされるのですか?」と聞いたところ、清平で お父様が直接 6500 家庭の夫人たちが 一緒に、その スケジュールがあるという知らせを聞いて夫に話したら、夫がすぐに飛行機のチケットを手配してくれて、私が参席しました。参加したのですがそこに行った6500家庭の夫人たちは皆、一生懸命生きてきた方々でした。一生懸命生きていなければ、そこに来ることもしません。
集まった人たちは 一生懸命生きていて、その時、証しをする時間がありました。
ある姉妹がお父様の前に出て、このようなことを訴えたのです。
「お父様が祝福をしてくださった時、良い暮らしができるとおっしゃったじゃないですか。でも、なぜ私の夫は交通事故で霊界に行ってしまったのですか?」とそのような話をするのです。 それで私 がその時、夫が交通事故に遭って霊界に行ってしまったら、一人で子供を4人育てなければならないし、本当に、このような苦痛もあるのだなと感じました。
証しをする時、家族のようで、「お父様、良い暮らしができるとおっしゃったじゃないですか。だけど、なぜうちの夫は交通事故で霊界に行ってしまうのですか」と、 このように言ってから、お父様がじっとご覧になって、その時 お父様がお話しされる時も私の横で、私が前列で、私はよく聞こえないだろうと思い、いつも最前列に行ったのです。一番前にお父様がいらっしゃれば、最前列に座ったのです。
王妃様:そこも早く 行って座られたではないですか。
はい、 あらかじめ前の方に行って、そこで1時間2時間 座って、その場所を取られないようにして、そこでお父様が立ってお話をされていました。
そしてその時、 もう一度また同じ香りが、マッチングしてくださった時の、あの香りがその日も同じように感じられました。 そして「ああ、本当にお父様は、天からこられたメシアだな」と・・・
王妃様:それでは、お父様の香りを、勧士任だけ香って、これは不公平ではないでしょうか?(笑) 冗談です。
その場所をずっと 守って私が座っているのですが、その香りに酔って 時間がどのように過ぎたか、すごく幸せでした。
証しをしていた時、「お父様、 どうしてなぜこうなのですか、ああなのですか」と言う人を見る、お父様の表情が本当に愛に満ちた表情で、お父様がじっとご覧になり、「あなたの借金(蕩減)を返済してあげているのだ、 あなたの借金(蕩減)を。 それをわからなければならない。」このようにおっしゃいました。
そこで悟ったことは「ああ、私が朴家の、朴家の借金(蕩減)を返しに来たんだ。朴家の家族の中で、私が障害者として生まれて、私がこのように生き抜いたら借金(蕩減)が返せるのだ」ということに気づいたのです。
その時、そこに参席して気づいたことは、借金(蕩減)を返すということ。
今も、「ああだこうだ」と自分の苦しみを話している人がいたら、「ああ、借金(蕩減)を返しているのだな」というのが自然に出てきます。
王妃様:お父様の御言ですからね。
そして、私の心に刻まれたのです。その「借金(蕩減)を返す」ということ、そして「できる」という言葉が、今もお父様の音声が私にこのように「あなたはできる」というその表情、目をこう開いて「できる」とそのようにされたことが。
王妃様:おっしゃったのが聞こえなかったのですが、主の声が聞こえ、主の声が刻まれたので。
その2つが今もはっきりと心に残っています。「やれる。できる、できる」、そして「借金(蕩減)を返す」。
王妃様:苦難がある時には、「ああ、これも霊的に借金(蕩減)を返して、神様がもっと大きなことに用いようとなさっているのだ」と、今日視聴しておられる苦難が多い天一国の食口の皆様にも、今日お話しされた証が大きな力になれば良いなというように、必ず力になると思います。
4.子女祝福を下さった奇跡
私が絶対にお話したいことが一つあります。
台湾に来て出発した時、長女がおりました。5年経っても二人目の子供を授からなかったので、夫に「お祈りしましょう」と言ったら、夫が「清平に行ってこよう」ということで、清平で40日の精誠を尽くし、そして台湾に来て120杯の敬拝を毎日朝5時に二人で捧げたのです。「二世の子をください」と。
そして120日という期間を定め、「できれば子女祝福も神様、ください」とそのように。
それで120日過ぎる頃、ある日、ずっと120回やっていたら膝が痛くなってきました。それで120日の終わりの頃、兆しが来たのです。「二人目が来る」という感じがしたのです。そして本当に来ました。ええ、二人目をそのようにして授かり、願う通りに私たちがお祈りするように、神様は全て聞いてくださるのだから、これからはこの状態から、まあ、親孝行をしていこうということで、心持ちを親孝行することに切り替えました。生活が苦しいというところに留まらずに、ずっと前進しようと思ったのです。
試練と困難の中で感じる神様の恩恵
王妃様:私が、お話を聞いていますと、多くの苦しみの中でも神様が中心は何なのか、「私があなたを助けて、祝福家庭を守って、家庭にも祝福を与えてあげる」という、その一番大切な本質を忘れやすいけれども、その本質に立ち返るように訓練をしてこられたのだなと思います。
はい、私が今まで経験してきた過程を見ると、苦労や試練を乗り越えて、試練を通して成長していくのがよく分かりました。
もしも、その苦労がなかったら、その尊さが分からないのです。ただ当たり前のことだとしか思わないからです。
しかしいつも、苦労を乗り越えていきながら、もっと大きな神様の恵み、真のお父様の愛、こういうことがもっとずっと大きく心に響きます。
ですから、これからもずっと新しい出発をする気持ちで生きていこうと思います。
食口の皆さんに
私の考えでは、基元節に夫と一緒に参席したのですが、その時、その状況を二代王様が基元節を主管なさっていたならば、今、世界的に摂理はもっと早く良い方向に行ったのではないでしょうか。
台湾に来て家庭連合を通して聞いたのは、真の家庭のその分裂についてでした。
その時、文顕進派、郭錠煥(カク・ジョンファン)派、また独生女派、このような分裂の話を聞いた時、私の心が痛みました。
どれほどの苦しみだったかと言うと、私が生まれた時から耳が聞こえなくて、両方の耳が聞こえなくて苦しかった、その苦痛よりももっと大きく感じました。
私が思うには、真のお父様が相続してくださった二代王様を中心とした相続者、代身者を通して摂理が進んでいくように、文顕進派も独生女派も協助して、神様が願われるその地上天国を建設しなければならないと思います。
今現在、二代王様はその荒野でたくさん苦労され、そして成されたその三代王権の勝利によって、今現在、全世界が真のお父様の願われるその理想世界の方向に向かっていることを、私ははっきりと見ました。
今は三代王権の勝利によって、台湾にもその祝福の波が来ています。
今回、その三代王権の勝利によって、この台湾がものすごい祝福を受けているのを見て、多くの人たちが同参してくだされば良いなと思います。ありがとうございました。
王妃様:私達がこのように台湾で、韓国の娘が台湾でこのように祝福家庭として生活しているのを見て、このように試練の中でも本当にお父様にもう一度掴んで、「あなたはできる」と言われたその御言、お父様の表情、お父様の恵み、お父様の香り、そういうのを全部今日私たちが共有して相続を受けた感じがいたしました。
今日はどうだったでしょうか。次回、またもっと良い、もっと特別な再臨主の目撃者をお迎えしていきたいと思います。今日の放送はこれで終わりたいと思います。ありがとうございました。
No comments:
Post a Comment