Monday, May 19, 2025

キリスト再臨アドベント35 なぜ神はサタンを殺せないのか?◆ 文信俊三代王◆The Advent by Shinjoon Moon_ Principle Series

The Advent by Shinjoon Moon_ Principle Series

キリスト再臨アドベント35

なぜ神はサタンを殺せないのか?   

文信俊三代王








翻訳&提供:Michiyo H.



35. (20250421) 

Why can't God just kill Satan? 

なぜ神はサタンを殺せないのか?



[なぜ神はサタンを殺さないのでしょうか?

もし神が全能で全き善であられるなら...なぜサタンを一掃して悪を終わらせないのでしょうか?

このビデオでは、私は、この質問に対する2つの一般的なキリスト教の答えと、それらが不十分だと思う理由を探ります。

そして、神の不変の性稟とご自身の原理への献身が、実際にどのようにサタンを存在から消し去らせないようにしているのかを考察し、統一教徒としての私の視点をお話しします。]


最近聞いたある質問について話したいと思います。

その質問は、「なぜ神はそのままサタンを殺ないのか?」というものです。


表面的には非常に単純に聞こえますが、こんな感じです。

神には他の属性もありますが、全能で全き善であられます


そして、基本的にあらゆる形のキリスト教において、サタンは、神の子女たちと被造物の間に混乱と誘惑を呼び起こす、宇宙における主要な存在です。

結局のところ、エデンの園でエバを誘惑し、それ以来、人類を誘惑し続け、世界を支配し続けているのはルシファーでした。


身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食いつくすべきものを求めて歩き回っている。 (ペテロの第一の手紙5:8)


ヨハネの第一の手紙5章19節に記されているように、「全世界は悪しき者の配下にある」。

ですから、なぜ神はサタンを殺せないのでしょうか?

それはこの問題に対する素晴らしい解決策のように聞こえます。

サタンを殺すだけで、誘惑が減り、悪が減り、その結果、より多くの魂が救われるでしょう。

あるいは、神がまだサタンを殺していない理由は、このすべてがおとぎ話であることを証明しているのかもしれません。


さて、この質問について考察するために、私はまず[パート 1.]で、いくつかの一般的な回答を提示し、それらが善意や良い意図から生じているものの、問題を解決するものではないことを示そうと思います。

[パート 1.] 一般的な回答と私の批評

そして、[パート 2.]では、統一教徒として、この事に対する私の意見を述べたいです。

[パート 2.] 統一教徒としての私の意見


以下の2つの回答は最も多く寄せられた回答であったので、私は特にこれら2つを取り上げたいと思いました。


1.神はサタンの裁きを遅らせておられ、ご自身の完全な御旨を実現されるために、今はサタンを通して働いておられる。


2.神はサタンを裁かれません。なぜなら裁きはあなたから始められるからです。


YouTubeでこの質問を入力したら、私が見つけた中では、これらの回答が最も多く寄せられました。


議論のこの部分の前置きをすると、

私は、これらの回答が謙虚さと思いやりの心から来るものだと理解していると申し上げたいです。

そして、これら2つの回答がどこから来ているのか、ある程度は同意します。

しかし、このような回答は、善意から生じているとはいえ、反論に答えるどころか、話が前に進まなくなると私は思います。

ということを認識した上で、最初の理由を見てみましょう。

1. 神はサタンの裁きを遅らせたが、サタンを御旨のために用いておられる。

この回答は次のようなものです。

神は今まだサタンを裁いておられませんが、黙示録19章から20章に記されているように、終わりの日にサタンを裁かれ、火の池に投げ込まれます。

生きながら、硫黄の燃えている火の池に投げ込まれた。(19:20)

火と硫黄との池に投げ込まれた。(20:10)

この火の池が第二の死である。(20:14)

しかし、今のところ、十字架が最高の例となったご自身の完全な御旨を成就するために、神はサタンを通して働いておられます。


これに答えるために、まず私に絶対的に断言させてください。

聖書には、神は最終的にサタンを裁かれると書かれています。

しかしながら、この回答は、なぜ神が最初の時にサタンを殺さなかったのか、

あるいは、なぜ今すぐ殺さないのかという疑問の答えにはなりません。


伝統的な神学では、サタンは神に敵対し、神の子女たちを永遠の苦しみと神からの分離に引きずり込む主要な存在です。

ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔い改めに至ることを(ペテロの第二の手紙3:9)」望んでおられる、愛に満ちた天の父である神は、人々が悔い改めに至るのを妨げている者を排除したいと願うでしょう?そうでしょう?


(ペテロの第二の手紙3:9) ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔い改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。


そのことを別の視点から見るために、例をあげて見ましょう。

家に人を誘い込み、最終的に彼らを殺す連続殺人犯が逃亡中だと想像してみてください。

10年後、彼はついに捕まり、評判の良い裁判官の前に引き出されます。

もし裁判官が群衆に向かって、「私たちはついに、私たちの地域社会を悩ませてきた男を捕まえた。しかし、それにもかかわらず、我々は30年後に彼を罰するだろう。」と言ったとしたらどうでしょう?

群衆は何と言うでしょう?

「もしあなたが優秀な裁判官で、刑を執行する権限があるのなら、なぜ今すぐ彼を投獄しないのですか?なぜ、さらに30年も彼に時間をあげるのですか?」というようなことを言うでしょう。

もし裁判官が群衆の道徳的怒りを無視したとしたら、群衆は裁判官が悪であると結論づけるのは理にかなっているでしょう。


この回答の場合も同様に、サタンが裁かれるのは間違いなく真実ですが、彼の死刑宣告が延期されていると言うだけでは、真摯に答えを探している人々の助けにはなりません。

では、神はサタンを通してご自身の完全な御旨を成し遂げようとされている、という後半部分についてはどうでしょうか?

まあ、これは全くの間違いではないけれど、全くの真実でもないと私は思います。

聖書と常識から、神の子である私たちも、あるいはサタンも、神の完全な支配下にあるわけではないことを知っています。

そうでないとすれば、もし全てが細部にわたって支配されているのであれば、なぜ堕落や悪が存在するのでしょうか?


聖書によると、神は何かを望んでおられる時、人間の自由意志という偶然性のために、その願いが挫折したり、実現されないままになることが時々あることは否定できません。

その一例として、神が預言者ゼカリヤを通して、「『あなたが主を捨てたために、主もあなたがたを捨てられたのである』。(歴代志下24:20)」と宣言されたことが挙げられます。

ヨアシ王が神を捨てて偶像崇拝を始めたのは、明らかに神の御旨ではありませんでした。

神は常に、民が命を選ぶことを望んでおられます。


主なる神は言われる、わたしは悪人の死を好むであろうか。むしろ彼がそのおこないを離れて生きることを好んでいるではないか。(エゼキエル18:23)


他にも多くの例がありますが、このような例から、私たちは、悪は神によって引き起こされるのではなく、神の愛と真理と善に反して行動している存在によって引き起こされることを知っています。

したがって、悪や不従順が起こるときはいつでも、それは神の願われた御旨ではありません。

しかしながら、私たちが悪にもかかわらず、耐え忍び諦めずに困難を乗り越えていく時、創世記50章20節にあるように、神はどんな悪の行為も一新し、より大きな善に造り変えることができると私たちに約束しておられます。


あなたがたはわたしに対して悪をたくらんだが、神はそれを良きに変らせて、今日のように多くの民の命を救おうと計らわれました。

この原理が実現した最高の例は、十字架上です。

十字架は神が望まれた道ではなかったにもかかわらず、神は人の邪悪な欲望を驚くべき祝福へと造り変えられました。

ですから、神がサタンを通して働くというのは、まったく真実ではありません。

むしろ、神は、悪のために意図されたものを、御旨の完全な成就のために積極的に用いることができるものにすっかり変えることができるのです。


では、この考えを踏まえて、2つ目の回答に行きましょう。

覚えていらっしゃると思いますが、2つ目の回答は、

2. 神はサタンを裁きません、なぜなら、裁きはあなたから始めるだろう。

というものです。


最初に断っておきますが、この論法は、神の前では誰もが皆罪人であることを指摘していると、私は理解しています。

それは真実です。

でも、その程度には大きな差があることを、私たちはよく知っていることを認めなければならないと思います。


この世の神(第2コリント4:4)、そして、「悪しき者が支配者(第1ヨハネ5:19)と言われるサタンは、神の子女たちが道を踏み外して神から引き離されるように導き、計り知れないほど長い間、積極的に働いてきましたし、今もそうしています。

聖なる神の前では誰もが罪人であるけれども、特に何世代にもわたる悪魔の犯罪を考慮すると、その罪の程度は、比類ないものです。

聖書は、ある者は他の者よりも厳しく裁かれることを明示しています。

例えば、キリストは次のように述べています。


(ルカによる福音書 12:47-48)

47 主人のこころを知っていながら、それに従って用意もせず勤めもしなかった僕は、多くむち打たれるであろう。

48 しかし、知らずに打たれるようなことをした者は、打たれ方が少ないだろう。


この聖句は、他の多くの聖句とともに、霊的な領域において神からの分離の度合いがあることを示しています。

したがって、神への反逆の指導者であるサタンは、最も罪深い存在なのです。


例えるなら、もし医者がガン患者を治療する場合、不健康な細胞をすべて取り除く必要はありません。

むしろ、体全体に大きな害をもたらしている最も深刻なガン細胞を明確に標的にするのです。


これは、ヨハネの黙示録において、人類は個々に裁かれる一方で、サタンが火の池に投げ込まれるという、神がなさる正にそのことです。

ですから、聖書の中に、このようなことが起こりうるという直接的な例が示されています。

つまり、神の方法はオール・オア・ナッシング(全か無か)という方法ではないことを証明しています。

この反論に対する回答は、もし神がサタンを殺したいのであれば、全人類と悪の痕跡の全てを滅ぼさなければならないという誤った二分法を描いています。

ですから、この回答は、真摯に探求している人々にはあまり役に立たないと私は思います。


この反論に対する2つの回答を見てきましたが、いずれも不十分です。

[パート 1.]


それで私は自分の意見を述べたかったのです。

[パート 2.]


はっきりさせておきたいのは、これはこの質問に対する私の意見であり、私自身の伝統である統一神学からの答えであるということです。

私たちの神学で特に強調されているのは、「サタンは、神が御自身の原理に従わないと実際に非難し、時には神が一方的に介入できないように妨げている」という考えです。


一見すると、サタンの言いがかりのために神が何かをしないというのは、おかしなことのように思われます。

そして面白いことに、最初に聞いたとき、私も同じように思いました。

「なぜ神は気になさるのか?ただサタンを殺せば問題は解決するのに」、というように。


しかし、それはもっと深いところにあると思います。

もう少し説明すると、

私たちの伝統では、神が堕落を止めることができない3つの理由があります。

そのうちのひとつは、

1. 神のみが創造主であり続けなければならない。

ということです。

簡単に言うと、事態が悪くなったからといって、神がもう一つ別のルールを作り上げることはできないという考えです。

それは、神がサタンが勝利したと必然的に認めることになるからです。


たとえば、あなたが新しいカードゲームを作ったとしましょう。

友達を誘って遊んでいます。

しかし、ゲームの途中で友人が勝ち始めたとしましょう。

それに対して、あなたが負ける側にならないように新しいルールを作ったとすれば、

あなたは事実上、あなた自身のルールで友人があなたを打ち負かしたことを認めたのです。

言い換えれば、あなたは間接的に、彼がもう一つ別のルールを作る原因、あるいはそのルールの創造者であることを認めたことになります。

さらに悪いことに、あなたの友人は、あなたが勝つために、恣意的にルールを変更し不正を働いたと、当然ながらあなたを非難するでしょう。

事実上、彼はあなたの人格と誠実さを疑うことになるでしょう。

このように、あなたの一貫性を保ち、ゲームの唯一の創造者であり続けるために、あなたは試合に勝つまで、本来の原則に従ってプレーし続けることでしょう。

この例えのように、神はこの天の戦いにおいて、永遠の原理を破ることはないでしょう。

なぜなら、彼のみが世界の創造主として存在し続けなければならないからです。

もし、神が御自身の原理にさえ従わないのであれば、神は、サタンも絶対的な主体の立場、あるいは創造主の立場に属すると認めることになるでしょう。

神は技術的には法則を変更したり無効にしたりすることができるけれど、実際にそうすることができないという、これに類似した原理は、C.S.ルイスの『ナルニア国物語』に例示されています。


私は明らかに多くのことを読み飛ばして、関連する登場人物は、人類を象徴するエドマンド、サタンを象徴する白い魔女、そしてキリストを象徴するライオンのアスランです。

物語の中で、エドマンドはアスランを探している兄弟のもとを去り、白い魔女と行動を共にします。

しかし、エドマンドは彼女の陰謀に気づき、悔い改めてアスランのもとに戻ります。

ライオンに会うと、魔女は宇宙の基本法則に訴え、この永遠の原則によれば、人類が彼女のもとに来る結果として、代償を支払わなければならないと皆に告げます。

さて、アスランは理論的には魔女を殺すことができましたが、宇宙の中にある法則を維持するという崇高な目的のために、彼はそうしません。


私は、この話は本当に真実だと思いますし、神がサタンをそのまま殺すことができない理由と直結していると思います。

秩序と正義の不変の基盤としての神御自身の絶対的権威を維持するために、神はサタンをただ殺すわけにはいかないのです。

神は宇宙とその原理の唯一の創造主であり続けなければなりません。


さて、それでは、神は何をされているのでしょうか?

神はどのようにサタンの支配を決定的に終わらせるのでしょうか?

エデンの園ではアダムが、ひいては全人類が、彼の血統を通して堕落しました。

ですから、新しいアダムがこの地上に現れ、最初のアダムが行ったことを逆転させ、彼のもとに来るすべての人に救いを与えるプロセスを始めなければなりません。

この方が、コリント人への第一の手紙15章45節にあるように、最後のあるいは第二のアダムとして来られるキリストであり、神の本質の受肉なのです。


聖書に「最初の人アダムは生きたものとなった」と書いてあるとおりである。しかし、最後のアダムは命を与える霊となった。


しかしながら、ステパノの言葉に言い換えれば、選ばれた民の不信仰のために、メシアは裏切られ、殺されました。(使徒行伝7:52)

これは悲劇的な二次的路程であったにもかかわらず、イエスの忠実さによって、イエスは御自身に頼るすべての人々に霊的な救いを与え、神の王国創建という御業を完全に完成させるために再臨されることを約束されました。


ペテロの第一の手紙1章5節にあるように、キリストが再臨されるとき、キリストを仰ぎ見るすべての人々に、

終わりの時に啓示されるべき救い」をお与えになるでしょう。

この救いと王国が一刻も早く実現するよう祈りましょう。


いつもと違うスタイルのビデオをご覧いただきありがとうございます。

次回もどうぞご期待ください。

そして、あなたとあなたのご家族がとても祝福された一日を過ごされますように。

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