LIVE第62回_真の萬物の日
世界基督教統一神霊協会創立70周年
先祖解怨祝福式
訓読
翻訳提供:江利川大陸会長
『文鮮明先生御言選集』第16巻259~261ページ(1966年6月19日)
皆さん! 私たち統一教会は、世の中にない日を定めました。統一教会で記念する四大名節は、大韓民国の歴史的な大きな名節とは比較することもできない名節です。
人間たちが最も願う日はどのような日ですか? それは「父母の日」です。すなわち父母をもつことができるその日を願っているのです。
人類は堕落することによって父母を失ってしまったので、復帰することの中で最も重要なことは父母を迎えることです。父母を迎える場に行くまでは子女になることができません。ですから、「父母の日」を定めなければなりません。「父母の日」が世の中で完全に蕩減復帰されたのちに「子女の日」がなければなりません。そうして、真なる父母と真なる子女の因縁を中心とする「父母の日」と「子女の日」が決定したのちに、「万物の日」を定めなければならないのです。
皆さんの中で、きょうこの場に初めて参席した人がいるかもしれませんが、この「万物の日」がどのように出てきたのでしょうか? エデンの園でアダムとエバが堕落することによってまかれた罪の種が、彼らの息子たちカインとアベルによって収穫されました。ですから、罪の種をまいた父母が復帰されなければならないのです。そして、天宙史的な父母復帰基台を中心として、忠孝の道理を果たすことのできる子女の基準を復帰しなければなりません。この基準が決定したのちに初めて「万物の日」が出てきたのです。
今日、この地上に広がっている万物は、とてもかわいそうな立場にいることを、皆さんは知らなければなりません。神様の希望の中でつくられた万物だったのであり、神様があらゆる精誠をすべてこめてつくった万物でしたが、人間が堕落することによって、万物は人間の代わりに贖罪の過程を経なければならず、悲しく犠牲を被らなければなりませんでした。人を殺して祭祀を捧げることはできないので、万物を祭物として犠牲の祭祀を捧げてきたのです。
祭物として捧げられる万物も悲しいですが、神様の愛する息子、娘たちがこの地で多くの血を流していったことは、さらに悲しいことです。このような摂理を数千年の間してこられた神様がいらっしゃるという事実を考えるとき、誰が否定しようとしても否定できない曲折が、神様の摂理の中に貫かれていることを知らなければなりません。
歴史を立て直すために、歴代の大勢の聖賢、烈士たちが血の祭壇をつなげてきました。また、本来の創造理念を中心とすれば、想像もできず、考えてもいけない、見てもいけない哀れで寂しい道を歩んできたことを皆さんは知らなければなりません。犠牲の場を避ける道がなかったのです。
自分の一度の犠牲によって人間を救うことができるその日を待ち望んだにもかかわらず、復帰摂理の責任を背負ってきたこの地上の大勢の聖賢、烈士たちは、方々で血涙を流して倒れていきました。
今日、皆さんが大韓民国の三千里半島と向き合うとき、この民族を救うために血と汗を流しながら、祭物あるいは囚われの身となって追い立てられ、追い詰められ、血を吐いて息絶えた凄惨な運命の道を行った人たちがいたことを、皆さんは考えなければなりません。神様が愛される息子、娘たちが血涙を流し、死の峠を越えていかなければならなかったというこの悲しい事情を知らなければならないのです。
人間が堕落していなければ、この天地の間にこのようなことはなかったはずですが、堕落したためにこのようなことが起こったのです。しかし、一日も早くなくならなければならないことです。
神様の国のために、霊的なイスラエルを形成したきたキリスト教徒たちに、今までどこに神様をお迎えして暮らすことのできる地がありましたか? 人間は暮らせる地があり、家がありましたが、神様が「永遠の私の地であり、私の家だ」とおっしゃることのできる地と家があったのかというのです。神様は今まで流浪の身でした。したがって、皆さんも、ここから追われればあそこに、あそこから追われればここに避難しなければならない流浪の身を避けられない神様の身内だと考えなければなりません。
神様は、悪主権に苦しめられながらも、善主権の一日を立てるために6000年間、摂理してこられました。その一日の代表者を迎えるため、もろ手を合掌して待ち望みながら痛ましい血と汗の祭壇を築き、善主権の本郷の地を求めてきたのが今までの宗教だったのです。皆さんは、善を探し立てるまで、その背後の痛ましさと悲惨さと死の歴史を知らなければなりません。
審判の役事を通して怨讐たちを処断し、罪悪の歴史を収拾することによって、神様の恨を解いてさしあげる責任を果たす天の王者が出てくることを願うのが神様の希望であることを、皆さんははっきりと知らなければなりません。
先生は神様に、「お父様、私の一生涯の苦労は残ることなく過ぎていくものですが、一片丹心であなたを愛し、忠誠をつくそうとする真心からの情熱だけは残るようにしてください。そのためであれば、死の道も意に介さずにまいります」と祈祷したことがあります。
このような場で先生が願うことは、皆さんが神様の前に一個人を中心として祈祷し、一家庭、一氏族、一民族、一国家を中心として祈祷し、億千万世まで神様が訪ねてこられる安息の基盤を準備しなければならないということです。このような安息の基盤を、個人的、家庭的、氏族的、国家的に準備して神様の前に捧げなければなりません。
ですから、今まで私たちが個人復帰の基準を取り戻すと同時に、神様が許諾なさることのできる万物復帰の基盤を築いてきたのです。
私たちは、1960年度に1次7年路程を出発しました。この路程において、真の息子、娘が出てくる前に「真の父母の日」、「真の子女の日」が出てくることはできなかったため、「父母の日」、「子女の日」を先に立てました。そして、3年路程を経たのち、「万物の日」を定めたのです。この日を定めてからすでに4年が過ぎました。
このような日を、今までは、大韓民国の人たちだけでなく、30億の人類も知りませんでしたが、今後、世界万民が称えることのできる歴史的な一日になることを皆さんは知らなければなりません。
先祖解怨祝福式Ancestor Liberation 06/06/2024
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