Wednesday, June 19, 2024

キリスト再臨アドベント21◆ バプテスマのヨハネが地獄にいる理由◆文信俊三代王◆The Advent by Shinjoon Moon_ Principle Series

日本語訳

The Advent by Shinjoon Moon_ Principle Series

キリスト再臨アドベント21

バプテスマのヨハネが地獄にいる理由

文信俊三代王

翻訳&提供:Michiyo H.


21. (20240606) 

Why John the Baptist is in Hell

バプテスマのヨハネが地獄にいる理由

 

[今日は、伝統的に尊敬を集める預言者であったバプテスマのヨハネが、いかにイエスの宣教を妨げ、最終的にイエスを十字架という不運な道に送る一因となったかを見ていきましょう。]


 バプテスマのヨハネは、伝統的に最も偉大な預言者と謳われてきました。

しかしながら、預言者ヨハネの責務を検証してみると、

(ルカ1:17) 整えられた民を主に備えるであろう。

聖書は、バプテスマのヨハネに関する伝統的な解説とは正反対の絵を描いています。

 

キリストのヨハネに関する御言葉は、人類の救い主を宣べ伝えるという彼の責務の放棄を示しています。


旧約聖書から始めると、沈黙の400年以前の最後の預言者マラキは、イスラエルの頑な心をメシアに向けるエリヤの到来を預言しました。

(マラキ4:5) 見よ、主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす。

 

何世紀も前に語られたこの預言に端を発し、ユダヤの人々はエリヤの再来がキリストの到来に先立つという信仰を熱心に持ち続けました(例えば、マタイ17:11、マルコ9:11)。

これは、律法学者やパリサイ派の人々が、エリヤがメシアの到来を告げなければならないと反論して、キリストの救世主としての主張を日常的に退けていたことからも明らかです。

 

新約聖書に目を向けると、

天使ガブリエルは、祭司ザカリヤに、ザカリヤはみまえに先立って行く男の子を産むという知らせを伝えます。

(ルカ1:17) エリヤの霊と力をもって、そして、

        整えられた民を主に備えるであろう

 

バプテスマのヨハネの誕生後、聖霊によって語るザカリヤは、以前の預言をさらに詳しく説明します。

(ルカ1:76-79) 幼な子よ、あなたは、いと高き者の預言者と呼ばれるであろう。主のみまえに先立って行き、その道を備え、罪のゆるしによる救をその民に知らせるのであるから。これはわたしたちの神のあわれみ深いみこころによる。また、そのあわれみによって、日の光が上からわたしたちに臨み、暗黒と死の陰とに住む者を照し、わたしたちの足を平和の道へ導くであろう。

 

このように、天使ガブリエルの宣言とザカリヤの預言に基づけば、バプテスマのヨハネの使命は明らかです。

彼は、「エリヤの霊と力をもって」、イスラエルを永遠の平和をもたらす道へと導くのです。

この預言の計り知れない重要性は、いくら強調しても、しすぎることはありません。

ヨハネの正体と使命について推測の余地はないのです。


 

イエスは、マタイ11章14節のように、幾つかの場面でヨハネをエリヤであると明言しています(マタイ11:14, マタイ17:12-13, マルコ9:13)。

(マタイ11:14) もしあなたがたが受けいれることを望めば、この人こそは、きたるべきエリヤなのである。

 

従って、前述の理由から、エリヤの使命を引き継いだバプテスマのヨハネは、キリストの到来を告げ知らせるべきであり、そして、「整えられた民を主に備える(ルカ1:17)」べきでした。

 

しかし、後述するように、ヨハネの宣教において、キリストに従順であった最初の兆候はあったものの、ヨハネが次第にイエスの主張を疑い始め、その結果、「光についてあかしをする(ヨハネ1:8)」という責務を怠ることになったことを、福音書の記録は明らかにしています。

 

ヨハネの失敗の最初の指標は、ユダヤ教の指導者たちから質問されたとき、キリストと天使ガブリエルが、彼はエリヤであると主張したこと(マタイ11:14, マタイ17:12-13, マルコ9:13)を、彼がきっぱりと否定したことです(ヨハネ1:21)。

 

彼がエリヤであるという宣言をヨハネが否定することによって、ヨハネは間接的に、キリストが偽預言者であるか、あるいは自分自身を高めるために嘘をついているかのどちらかであると述べたのです。

 

1世紀のユダヤ人なら、どちらの人物を信じるでしょうか?

 

一方は、ヨハネの誕生には奇跡と預言があっただけでなく(ルカ1:11-22、1:64-79)、

ユダヤ人社会の著名な階層に生まれ(ルカ1:8)、

イスラエル全土に何百人もの信者を持ち、幼い頃から荒野で審美的な信仰生活を送りました(ルカ1:80)。

祭司やレビ人に「彼がメシアかどうか」を尋ねさせたほど、輝かしい存在でした(ヨハネ1:20)。

 

また一方、

人々が婚外子と疑ったイエスは(マルコ6:3、ヨハネ8:41)、ナザレの貧しい大工でしたが、30年後に突然、永遠の命への唯一の道は彼を通してであり、彼は永遠の神の子であると主張しました。

イエス自身の家族と当時の聖職者たちは、イエスは狂人か悪霊にとりつかれた者だと認識していただけでなく(例えば、マルコ3:21)、

さらに、イエスが取税人や売春婦と交際していたため、熱心なユダヤ人たちはイエスの宣教を中傷しました。

 

もう一度あなたに問います。

もしあなたが1世紀のユダヤ人だとしたら、崇敬と尊敬を集めるバプテストのヨハネと、一見クレイジーな悪魔に取り憑かれたイエスのどちらを信じると思いますか?

 

残念ながら、答えは明白です。

キリストと天使ガブリエルがヨハネをエリヤだと主張したのをヨハネが全面的に否定したことは、律法学者や祭司たち、そして一般大衆がすでに抱いていたイエスに対する否定的な評価をさらに悪化させました。


 

父と子と聖霊を直接目撃した後でも(マタイ3:13-17、マルコ1:9-11、ルカ3:21-22、ヨハネ1:32-34)、ヨハネはイエスが本当にメシアなのかどうか、明らかに疑念を抱いていました。

 

この疑念は、ヨハネが投獄されていた最後の数日間に、弟子たちにイエスがメシアであるのか尋ねに行かせたときに表面化します。

(マタイ11:3) 「『きたるべきかた』はあなたなのですか。それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか。」

 

ヨハネが自分を信じていないことに対するイエスの苛立ちは、彼の反応に表れています。

(マタイ11:6) 「わたしにつまずかない者は、さいわいである。」

 

ヨハネの弟子たちが去った後、イエスはバプテスマのヨハネに関する姿勢をさらに明確にされました。

(マタイ11:7-11) 「あなたがたは、何を見に荒野に出てきたのか。風に揺らぐ葦であるか。預言者を見るためか。そうだ、預言者以上の者である。『見よ、わたしは使をあなたのさきにつかわし、あなたの前に、道を整えさせるであろう』と書いてあるのは、この人のことである。あなたがたによく言っておく。女の産んだ者の中で、バプテスマのヨハネより大きい人物は起こらなかった。しかし、天国で最も小さい者も、彼よりは大きい。

 

イエスが述べているように、バプテスマのヨハネはメシアのための第一メッセンジャーであり、人間の中で最も偉大な本質的地位を持っています。

しかしイエスは、天の王国で最も小さい者はだれでも、ヨハネよりも偉大であると断言します。

イエスがマタイによる福音書5章19節で明らかにしているように、天の王国で最も小さい者というのは、尊称とはほど遠いのです。

(マタイ5:19) これらの最も小さい戒めの一つでも破り、またそうするように人に教えたりする者は、天国で最も小さいものと呼ばれるであろう。

 

キリストは、彼の戒めに無頓着で、この欺瞞を他人に広める者は天国の最下層にいると教えています。

従って、キリストが述べるように、ヨハネが天の王国で最も小さい者よりも低い者であるならば、彼の住処は地獄です。

このように、イエスがヨハネの住まいは地獄にあると述べたのは、ヨハネがキリストを信じ、キリストに仕えていない証拠なのです。

 

彼は必ず栄え、わたしは衰える(ヨハネ3:30)」というヨハネの発言は、イエスを支持していることを指しているのではありません。

正反対です。この発言は、ヨハネがキリストと一体化するという責任から自分自身を切り離したことを明らかにしています。

 

もしヨハネがイエスの主席メッセンジャーであったなら、世代を超えて待ち望まれていたメシアによる救いが目前に迫っていることを告げ知らせるヨハネの宣教が縮小することなどあり得るでしょうか。

王国がユダヤ全土に宣べ伝えられるにつれて、ヨハネの地位は自然に高まることになります。

 

キリストに従う者として、クリスチャンは私たちの主と同じ運命を分かち合うように召されています。

(マタイ16:24) 「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。」

 

使徒たちは、この弟子としての代価を認識し、イエスがキリストであることを宣言し、彼らが殴られ、拷問され、最終的に殺されるまで、イエスの名を宣べ伝えることに駆り立てられました。

 

しかし、彼が最初に「見よ、世の罪を取り除く神の小羊(ヨハネ1:29)」と宣言したにもかかわらず、ヨハネが実際にキリストに従い、キリストと同じ運命を分かち合った形跡はありません。

 

ヨハネのこの疑念と不信仰の態度は、弟子たちの間に広まりました。

ヨハネの弟子たちは、イエスの宣教を高揚させるどころか、イエスに対して見下すような言葉を使い、答えを詮索し、問いかけています。

(マタイ9:14) 「わたしたちとパリサイ人たちとが断食をしているのに、あなたの弟子たちは、なぜ断食をしないのですか。」

 

ヨハネの最も親しい弟子たちの思い上がった質問は、ヨハネがキリストの名を宣べ伝えることを怠っていたことをさらに裏付けるものです。

 

最初は信仰があることを示していましたが、キリストに対するヨハネの信仰は、やがて彼自身の疑いによって息の根を止められ、この疑いはユダヤ全土に広まっていきました。

イエスがほかの町に入られたとき、なぜ誰もイエスのメシアとしての使命に気づかないのでしょうか?

 

もし、ヨハネがキリストを宣べ伝える責務を果たしていたのであれば、なぜイエス御自身がメシアであることを宣言する前に、イエスがメシアであるという認識がほとんどなかったのでしょうか。

 

それどころか、イエスの正体について当惑する人々の姿が見られます(マルコ8:27-28、ルカ9:18-19、ヨハネ7:25-31、ヨハネ7:40-44、ヨハネ9:17)。

 

ヘロデが 「ヨハネの説教を、なお喜んで聞いていた(マルコ6:20)」ことを考えると、もしヨハネが行く先々でイエスのことを説いていたなら、なぜヘロデはイエスの正体について混乱したのでしょうか?

 

前述の証拠はすべて、ヨハネが自分の信奉者たちをキリストのもとに連れてくることができなかったために、

イエスはヨハネの使命を背負わざるを得なくなり、奇跡の役事をもってご自身の基盤を築かなければならなくなったことを示しています(ヨハネ10:38)。

 

従って、バプテスマのヨハネに関する先入観にとらわれない説明をすれば、ヨハネは、メシアを告げ知らせるという使命において、少しも成功を収めなかっただけでなく、ヨハネがイエスの主張と矛盾することによって、キリストの宣教を実際に妨げたことを、聖書は示しています。

 

イエスの伝道にヨハネが与えた影響を見てみると、事実上、ヨハネの伝道の成果はまったく見られませんでした。

ヨハネの使命は、

(ヨハネ1:7) この人はあかしのためにきた。光についてあかしをし、

不幸なことに、ヨハネがイエスの宣教を実質的に支えたという証拠はほとんどないというのが現実です。

 

しかし、聖書の中では次のように語られています。

(マルコ1:3) 『主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ』

 

実際、主の宣教は妨げられ、イスラエルの民の間に彼に対する疑念が増大しました。

 


このように、バプテスマのヨハネの失敗は、イエスを苦難のしもべの道へと送る上で大きな役割を果たしたのです。

不幸にも、キリストの再臨まで摂理は延長されました。

 

私たちのシリーズでは、イエス・キリストの生涯における神の摂理に関して、さまざまな視点を詳細に観察してきました。

親が自分の子供をすぐに災難から救いたいと思うように、天の父である神は、堕落の直後に人間を復帰したいと願われたのです。

 

従って、私たちのシリーズの次の回では、当初の創造原理の新たな視点を持って、創世記を再訪します。

堕落の時から現代に至るまで、人類を復帰するための、神のたゆまない努力を目撃することになるでしょう。

 

ご期待ください。

ご視聴ありがとうございました。

祝福された一日となりますように。

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