Tuesday, December 26, 2023

鉄の杖クリスチャンの根本は犠牲の愛、恩讐を愛する愛◆2023年12月20日テネシー清平水曜礼拝 <2>文亨進二代王

 

鉄の杖クリスチャンの根本は犠牲の愛、恩讐を愛する愛

2023年12月20日テネシー清平水曜礼拝

<2>

文亨進二代王

翻訳監修編集:fanclub三原

58:10 翻訳 clean


鉄の杖王妃。新約聖書時代から成約キリスト教時代へ



こういう内容を通して若い王妃たちは新しい食口を伝道し同参させて、君たちの熱心な訓練を見て、従って、外の人たちが感動して、新約の世界と成約時代の違いがある事を悟る様になります。


何故?新約時代は教会時代です。

新約時代は新婦の時代です。新郎を待っています。ですから新約時代は女性的です。

だから問題が何かと言うと、女性的になると段々教会が死んでいきます。

イスラム教は男性的だから、強くて悪い男ですが、強い天使長の男の文化です。

だからこれはキリスト教を抑圧して食ってしまいます。

男性たちがベータ化します。何故?新婦の位置にいるから。

夫を待つ位置。だから遥かに女性的です。


しかし成約時代は再臨主、新郎が来られたのです。

新郎が来られたので、教会が、アダム中心的なアダム主義、男性的になります。

女性的にならずに。

ですから娘たちも激しく危険な事をする様になります。

ただ思いだけで神様を愛するのではなく、神様を愛しながら実践!訓練!しながら、弱い姿でなく、強く、神様を愛して隣人を保護する事の出来る女平和軍警察、男平和軍警察になるのです。

新約は妻、新婦時代、成約は誰の時代?新郎の時代。新郎は誰ですか?真のお父様、イエスキリスト。再臨のキリスト。

合ってますか?


再臨メシア、お父様が訓読会でいつもアダム主義について話されました。天国はアダム主義です。エバ主義ではありません。アダムとエバ、全ての息子娘たちがアダム主義にならなければなりません。

ですから全ての人が強くならなければならない。

善良で優しいけれど、恐ろしい鉄の杖パワーと恐ろしい事も出来なければならない。

男と女。

この女性たちは怠けているから問題だ!


鉄の杖の試合チームを作って女性たちがハイライトにならなければならない。

何の事が分かるだろう?ビデオを作る時。

男性たちは勿論上手いが、女性たちが上手く出来る様にしなければならない。

そうしてこそ、世界万民が見て、わあ、神様の王国で女性がこの様に素敵なのか、子供を育て、夫を尊敬する妻、しかし悪なる者を撃ち殺す事の出来るパワーがなければならない。

生死主管し、生死を超越する女性たち。神様の娘たち。

分かったか、女達!

1:02: 25 翻訳 grazia

だから私たちの女性たちが、・・・男性たちも試合に出ていくのだが、 しかし、女性たちがかっこよく出ていかなければならない、女性にたくさんの訓練をさせなければならない。そして、お父様の文化とお父様、神様の王国を代表する鉄の杖文化なので、うちの女性たちが緊張して始めは上手くできないが訓練しながら試合をすればするほど上手くなって、「ああ、あなた方は何故こんなによくできるのか?」-「何故そうなのかわかりますか? それを通して、新郎、キリストが戻ってきたからです」。

このように言うのだ。 どういうことか分かりますね?

「女性たちが鉄の杖王妃になった理由は!?」「再臨主の為に。」

ですからそのような部分を証しと伝道の役事に同参することができる、そのような内容となるように願いながらお父様に感謝の拍手をお捧げいたします。アージュ、アージュ、ハレルヤ。


鉄の杖王国試合チーム、カーアームズの試合銃を携えて鉄の杖王国の服を着て、それからビデオを撮って試合に臨み、一般の人達と試合をするのです。これはどれほど良いことでしょうか。コミュニテイの中だけでなく、出ていって一般の人たちと試合をするのだ。

上手ならば我々もタクテイカルゲームに入ることができるがそれは少し難しいので、ビギナー初歩のチームの内容をして、それを通して精誠を尽くし経験を積んで、いろいろな賞を受賞したりすれば、州、国家、国際試合まで出ることができるようになります。


ですから、うちの長老様や権士様、牧師様もうちの若い女性たちの為に祈祷しなければなりません。うちの若い王妃チームの為に祈祷しなければなりません。この子たちが怠けた詐欺師にならずに一生懸命訓練し、お父様の鉄の杖王国と三代王権と鉄の杖王国世界で、伝道の役事を同参することができるように、選抜される鉄の杖試合チームに、拍手ー! 


とにかくそのような部分などを若い人たちは練習しなければなりません、練習、訓練。訓練が重要だ。


クリスマスを大いに祝う、その理由


私たちは今日聖書の聖句を見ましたか? 

ああ、クリスマス、クリスマスなのでエレミヤ記10章を見ましたね。エレミヤ記10章、クリスマスの時に、クリスマスの木を切って家の中に入れて金を飾り、このようにするのはエレミヤ記10章から罪だと出ていると言うことです。


あるクリスチャンたちは、「見なさい、エレミヤ記10章で木を切って家に置き金を飾るのは完全に異邦神、罪だ」と言います。


1節から4節まで見ましょう。


王妃様 エレミヤ記10章1節です。


0:1イスラエルの家よ、主のあなたがたに語られる言葉を聞け。 10:2主はこう言われる、

「異邦の人の道に習ってはならない。

また異邦の人が天に現れるしるしを恐れても、

あなたがたはそれを恐れてはならない。

10:3異邦の民のならわしはむなしいからだ。

彼らの崇拝するものは、林から切りだした木で、

木工の手で、おのをもって造ったものだ。

民のならわしはむなしいからだ。彼らの崇拝するものは、林から切りだした木で、


切り出した木! オーケー、木工の手で、オーケー。


彼らの崇拝するものは、林から切りだした木で、

木工の手で、おのをもって造ったものだ。

10:4人々は銀や金をもって、それを飾り、

くぎと鎚をもって動かないようにそれをとめる。


ああ、オーケー、こう言いますね。

クリスマスの木を切って持って来れば、それは異邦神文化だ。

見なさい見なさい、これをすれば知らず知らずのうちに異邦神を奉る罪になる、罪。そうですね? こうなります。しかし見なさい、再臨主であるお父様もクリスマスパーティ、クリスツリーの木を飾られたではないですか。クリスマスパーティ、クリスマスツリーをされました。


ですが、どうして再臨主がクリスチャンたちの言う異邦神の行いをされるのかということです。


ですからエレミヤ記10章にもこのように出ていますね、「もしもクリスチャンたちがクリスマスツリーを飾れば、お前たちは地獄に行く!クリスマスツリーを飾れば。何故ならばクリスマスツリーは異邦神の内容なので。このようになってしまう。


ところで、エレミヤ記を10章を続けて読んでいくと、そこで(読むのを)止めてまうとそう言っているが、ずっと読んでいくとどう出ているのかというと、木を切って斧で削り工作するとある。  

どういうことか?削り出して仏像のようなものを作りだすということ。

そのようにして削るとマルスなど、色々な神の様なものを造るではないか、次に釘で止めて銀や金をつけます。そうすると仏像もそうですね。それは罪になるのです。


ですから、クリスマスツリーを削って持ってきて、元々のクリスチャンたちはクリスマスツリーを家の中に入れて木に敬礼をしたりはしません。そんなことはしませんね。偶像崇拝はしないですね、ただ木を切って持ってきて、良い香りとイエス様のお誕生や奇跡を思うのです。


ですから、エレミヤ記10章を見てみると木を切って家に入れて、それを偶像とすること、それは主であるヤハウェの神様は完全に禁止にされます。そうですね。

たとえば10章、14章! 14節、


王妃様:エレミヤ記10章14節です。

10:14すべての人は愚かで知恵がなく、

すべての金細工人は

その造った偶像のために恥をこうむる。

その偶像は偽り物で、

そのうちに息がないからだ。


造った! 何だって? 偶像。自分が造った偶像が問題であって、木自体が問題ではない。だからクリスマスツリーを飾っても良いです、はっはっは。地獄には行かない、クリスマスツリーを飾っても良い。この木を悪い神像に削ってはいけません。


ですからクリスチャンの国々の中心は、イエス様は生まれて、牧会をして死んで復活した、これではないか。このストーリーがクリスチャンの国々の中心ですね。

これがどうして重要なのか?どうしてこのストーリーが重要なのですか?

もちろんイエス様は死ににきたのではないですが、でも死ぬことになりましたね。イスラエル民族とその市民の不信によって。それで死ぬことになりましたね。


ローマ強大国の犯罪者として死ぬことになったではないですか。

ですから、この「生まれて牧会をして苦労して死んで復活した」、このストーリーがクリスチャンの国々の中心です。全てのクリスチャンの人々のアイデンティティの中心でなければならないのです。

イエス様が参戦勇士のようにイスラエルの民が、自分たちの判断ですが、参戦勇士のように、殉教者のように天のお父様のみ言葉を聞いて殉教しました。殉教、死にました。血を流して。そのイメージがクリスチャンの根っこです、根っこ。 

十字架にかかったイエス様。


ですからイエス様はその当時十字架にかかって死ぬ時にパワーがありましたか? パワーが一つもありませんでした。それだからパワーを中心とした話ではありません。パワーもなかった、人気がありましたか? 人気もなかった。12名しかいなかった。人気もなかったのだ。人気、有名度もなかった。

だから、パワーもなく人気もなく、有名度もなく、むしろ人の嘲弄され犯罪者として扱われ、罪もないのに罪人として、どうなった、死刑になった、死刑に。無罪の人が不正義に死にます。!

そうか、そうでないか。


ですから、このストーリーの根っこは何ですか。そのような多くの非難と迫害を受けて死刑にまでされた罪のない人。


クリスチャンの根本は犠牲の愛、殉教の王

1;13:53 翻訳 minion

人は、どうしてその道を行ったのか?

何故ならば、何ですか?何故ならば愛故に。犠牲の愛.


だから主のストーリーの中心は何ですか。犠牲の愛。だから、主のストーリーの中心は何ですか。神様は愛だ。犠牲になられるお父様だ。犠牲の愛。これはキリスト教文化において、根っこになります、根っこ。文化の根っこ。


だからキリスト教の文化の根っこは、パワー、知識、テクノロジー、物質、富ではない。

クリスチャンの文化文明権の根っこは何ですか?神様の犠牲的な愛。自分の子女たちのために犠牲になるだけでなく、敵のためにも犠牲になる愛。死ぬ愛。


これは参戦勇士の中でも参戦勇士の王ですね。これは、殉教者の中でも殉教者の王なのです。このような愛。貧しく悲惨に死刑になって死んだではないですか。


お父様は興南監獄の時、貧しく悲惨に迫害を受けながら無罪のお父様も3回殺されたではないですか。共産党のやつらに。そしてその共産党のやつらが確認もしました。お父様の体が死んだことを。専門家たちが。


だから飛行機拷問の絵のコンテストをするのではないですか今回。

飛行機拷問の絵のコンテストをして、誰が芸術的にお父様が飛行機拷問をされて公式的に北朝鮮の医師たちがお父様が殺されたことを3回確認して、専門家たちが、その場面を私たちが描きます。


主がそのような悲惨な道を、無罪の主がそのような悲惨な道を、七死八段階完成を、そのようなことを描いて、私たちは銃器に刻んでおいて、Tシャツに刻んでおいて、私たちの壇上にもあげます。天一国の王と王妃が忘れることができないように。

これは主の愛です。祝福家庭も世界のためにどんな死も遭わなければなりません。どういうことか分かりますね。これがキリスト教の文化文明権の根っこです、根っこ。犠牲的なお父様の愛。


クリスチャンの根本は恩讐を愛す愛


だから、米国の内戦で北側と南側が戦ったではないですか。奴隷制度のために。1800年代に。戦争したではないですか。北側は南側に勝ったではないですか。北側は南側に勝ったのですが、銃器を奪いましたか?


今、南側の人たちは北側の人を殺そうとするのですが、その人たちが皆勝った次に、どのようにしましたか?銃器所有を再び与えました。これは説明することができませんね。一般の国の立場では説明することができません。


自分の敵が、今、殺して勝ったのですが、さらに銃器所有を与えると?これは話になりません。もちろん段階で与えました。もし北側と戦った人なら銃器所有を受けることができず、次の世代から銃器所有を合法化して。


とにかくそのような段階別にしましたが、それでも今を見てみなさい。100年後に誰が銃器所有が強いですか?南側がさらに強いです。考えてみなさい。北側が南側に勝って銃器所有を与えなければ、南側はどれほど弱くなっていたでしょうか、今。


今、米国の北側にいる人は南側に来ているではないですか。北側がものすごく共産化されて。


しかしどうして、お互いに殺し合いながら、お互いに銃器で頭を抜いて、お互いに殺しているのに、勝った側が、北側が南側に段階別に再び銃器所有まで全て戻したではないですか。


これはどこから出てきますか?どうして、本来、戦争法はこのようではありません。戦争法において、本来他の国を侵略したら、その国にある全てのものは自分のものにします。女性たちを性暴行。物質は全て自分のものになり、土地も全て自分のものになります。


それをしませんでした。米国の北側は。土地も与えました、南側の人たちに。黒人たちに無料で土地を与えました、奴隷であったら。

どうしてこのような戦争法が出てきますか?これは話にならない戦争法ではないですか。


孫子兵法。これにはそのような言葉は出てきません。他の人が侵略して、その人たちに土地も与えて、奴隷たちを解放して、その人たちに銃器を与える。これは戦争の歴史においてなかったことです。


他の国を侵略したら、女性たちは全て王の娼婦になるではないですか。軍人たちの娼婦になるではないですか。土地も全て持っていくではないですか。そうですか?違いますか?


どうして米国において反対に、そうしたのか?勝った次に、土地も戻して黒人たちを解放して、黒人たちに土地まで与えて銃器まで与えました。これは話にならないでしょ?これはお父様の愛。キリスト教の文化において、お父様の愛の法式が出てきます。


敵も完全に滅亡させないで、敵が悔い改めるようにして、これがどれほど驚くべきことですか。これは孫子兵法において全く出てこないことです。孫子兵法、そいつは完全に暴君ではないですか。

もちろん頭の良い暴君です。しかし暴君の法ではないですか、これは。


だからそいつらの中心はパワー。キリスト教文化文明権の中心はパワーではない、自由と責任と愛です。いやあ・・・。どれほど驚くべきことですか、これは。


だから、その犠牲の愛が文化文明けんの中心になるので、米国も、もちろん、中東、イラク戦争、アフガニスタン戦争、お父様は反対されましたが、その前の戦争も私たちは解放、・・・韓国も同じです。韓国も解放したではないですか、米国が。


どうして?韓国の資産を全て掌握するようにするのではありません。韓国の人たちが自由になるようにしました。そうではないですか?


お父様が韓国の工場を初めて、ワシントンDCにあるワシントンタイムズ、そのような部分をたくさんしたではないですか。ワシントンタイムズの前に。朴大統領とお父様が工場のシステムをたくさん持ってきたではないですか、韓国に。TIC(統一産業)というではないですか。私たちの大きな財閥の会社を。


李相烈会長も、TICを運営されたではないですか、一時期。その工場も、大きな銃器を作りましたね。軍隊のために。バルカン砲、M1カルビンなどなど、戦車、様々な部分を私たちが作りました。メシアが作りました。わあ!それが話になりますか。

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