2023年12月29日金曜日

キリスト再臨アドベント12◆クリスマスに隠された男/文信俊三代王◆The Advent by Shinjoon Moon_ Principle Series ”The Man Behind Christmas”

日本語訳

The Advent by Shinjoon Moon_ Principle Series

キリスト再臨アドベント12

クリスマスに隠された男

文信俊三代王

翻訳&提供:Michiyo H.


12. (20231225) 

The Man Behind Christmas


クリスマスに隠された男


クリスマスのイルミネーションやお祭り騒ぎを越えて、クリスマスの背後にある真の意味とその人に目を向けて見ましょう。



舞台を整えましょう。

ナザレのイエスは貧しい大工で、父親の大工所で30年ほど働いていました。

その年齢にもかかわらず、彼はまだ結婚していませんでした。それは、ユダヤの文化ではひどくひんしゅくを買うことでした。

さらに悪いことに、事実上同時代の人々は皆、人々の非難を証拠に、イエスが不品行の結果生まれたと信じていました。


(マルコ6:3、ヨハネ8:41に見られる非難)

 *参考聖句(編者追加)

マルコ6:3この人は大工ではないか。マリヤのむすこで、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。またその姉妹たちも、ここにわたしたちと一緒にいるではないか」。こうして彼らはイエスにつまずいた。 


ヨハネ8:41あなたがたは、あなたがたの父のわざを行っているのである」。彼らは言った、「わたしたちは、不品行の結果うまれた者ではない。わたしたちにはひとりの父がある。それは神である」。


その結果、イエスはユダヤ社会の目には自動的に除け者として映ったでしょう。


そのイエスが、ユダヤ人の前に突然現れて、次のような過激な発言をしたのです。


(ヨハネによる福音書10:30) わたしと父とは一つである。

そして、

(ヨハネによる福音書14:6) わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。


(マタイ23:27-28)

さらに彼は、当時の 「聖なる」人々を糾弾し、「白く塗った墓」、サタンの子と呼び、取税人や売春婦と食事をしていました。

*参考聖句(編者追加)

マタイ23:27偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは白く塗った墓に似ている。外側は美しく見えるが、内側は死人の骨や、あらゆる不潔なものでいっぱいである。 23:28このようにあなたがたも、外側は人に正しく見えるが、内側は偽善と不法とでいっぱいである。


この人は何者なのでしょうか?

ユダヤ人の目には、彼は嘘つきと映りました。

彼の家族から見れば、彼は狂人でした。


しかし、彼を知る人々の目には、彼は主です。

名高いイギリスの学者で作家のC.S.ルイスによる、この有名な「嘘つき、狂人、あるいは主」のトリレンマ(三段論法)は、イエスのアイデンティティを検証するための基礎となります。

引用すると、

単に人間に過ぎないのに、イエスが言ったようなことを言う人は、自分がポーチドエッグ(落し卵)だと言う人と同じレベルの狂人であるか、さもなければ地獄の悪魔である。彼を愚か者として黙らせることも、唾を吐きかけて悪魔として殺すことも、彼の足元にひれ伏し、彼を主、神と呼ぶこともできます。しかし彼が偉大な道徳教師であるというような恩着せがましい言い方をしてはなりません。彼は私たちにその可能性を残していません。彼はそんなつもりはありませんでした。」


この12月、世界中でキリスト降誕のシーンが設置される中、私はトリレンマの最後の「主」に焦点を絞り込みます。

メシアとは誰なのか?


その問いに答えるには、創造全体の原型である「園」に立ち戻らなければなりません。

私たちの天の父は、天の血統の中心点であるアダムを通して喜びと幸福を体験されるという目的のために、人間をお創りになりました。

エバの創造と彼らの将来の神聖な結合によって、神を中心とした血統が生まれることになります。


しかしながら、アダムとエバは、まだ成熟する成長過程にあったときに堕落し、世界を罪によって汚してしまいました。


堕落の過程を逆転させ、人類を神の血統に接ぎ木するために、神は第二のアダム、すなわち神の実体であるイエス・キリストを遣わされました。

イエス・キリストは、その真髄において、人間の肉身を着た神、なぜなら、彼は神のロゴスの肉体的化身であるからです。

(ヨハネ10:30) 

神との完全な一致によって、彼は天の父と同じ天の心、絶対的な愛の心を持っているのです。


私たちは、この美しい愛の表現が、十字架の路程において、段階的に上昇して絶頂に達するのを目の当たりにします。

ゲッセマネの園で、天の父に対する揺るぎない孝行愛のために、イエスは血の汗を流し、深い苦悩の中で慟哭されました。

彼は、神が王国の実現のために、これ以上待たれることを願わなかったのです。


しかしながら、イスラエルが拒絶したため、他の選択肢はなく、王の王は苦難のしもべの道を歩まなければなりませんでした。

その結果、彼は殴打され、つばを吐きかけられ、むち打たれ、拷問され、あざけられ、軽蔑され、十字架につけられたのです。


それにもかかわらず、敵に対するイエスの御心は揺らぐことがなかったのです。

引用すると、

ルカによる福音書23:34に記されているように、「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか、分からずにいるのです。


この犠牲的な愛の美しい模範を通して、私たちは天の父と完全に連携するキリストの心を目撃します。

目に見えない神の体現としてのキリストは、アダム以来、原罪の呪いを受けずにこの世に生を受けた唯一の存在です。

彼だけが、堕落した人類を救う唯一無二の資格を持っています。彼だけが世の救い主です。

(ヨハネ15:4-6)

*参考聖句(編者追加)

ヨハネ15:4わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。 15:5わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。 15:6人がわたしにつながっていないならば、枝のように外に投げすてられて枯れる。人々はそれをかき集め、火に投げ入れて、焼いてしまうのである。 


従って、堕落した人間である私たちの唯一の希望は、救いのために真のぶどうの木に自分自身を接ぎ木することなのです。


しかし、メシアは基台なしに現れることはできません。

もしそうすれば、サタンに殺されるだけだからです。

そのため、神はイエスの前に2,000年もの間、ご自身の息子が立つことのできる基台を作るためにご苦労されたのです。

神は堕落の直後から2,000年にわたり、一人の人を遣わすために働き始められました。


イエス・キリストがその人です。

この基台の上に、キリストは、神の創造の本来の理想を実現に至らせ、罪を完全に打ち破ることを願われました。

彼は地上に天の王国、すなわち、正義の裁きによって万国を導き、平穏で豊かであり、道徳的で罪がない社会を創造するはずでした。

キリストだけが、この理想世界のビジョンを実現させる資格と能力を備えているのです。


このように、肉体的な観点から見てもあらゆる点で私たちと同じであったこの一人の人は、これまでに存在した人の中で最も貴重な存在です。



(ポール・ウォッシャーの話: 一人の人が数時間の苦しみで、どうやって多くの人を永遠の地獄から救うことができるのか。)

「その一人の男は、彼ら全員を合わせたよりも価値がある。山もモグラ塚もコオロギもピエロもなんでもあらゆるもの、あらゆる惑星、あらゆる星、あらゆる美の形、あらゆる歌うもの、あらゆる光をもたらすもの、それらすべてを天秤にのせて、その反対側にキリストを置くと、キリストはそれらすべてを凌駕する。彼はそれらすべてを凌駕している。」


キリストというお方は、クリスチャンとしての私たちの希望の基いです。

毎日毎日挫折しながらも、私たちはキリストを模範として、王国の福音を広めています。


ですから、今年のクリスマスは、お祭りやプレゼント、家族との時間を楽しみますが、クリスマスに隠されたその人に焦点を当てましょう。

嘘つきや狂人としてではなく、単なる賢い教師でもなく、キリストの真の姿を見ましょう。

むしろ喜んで、私たちの主であり救い主である良き羊飼いのもとに集まりましょう。主だけが救いの力を持っているからです。


メリークリスマス。


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