Wednesday, September 6, 2023

ヘブライ語原語にみるキリスト教聖書の改竄◆ 2023年8月30日テネシー清平水曜礼拝 <2> 文亨進二代王

ヘブライ語原語にみるキリスト教聖書の改竄

2023年8月30日テネシー清平水曜礼拝

<2>

文亨進二代王

翻訳監修編集:fanclub三原

訓練の生き方:韓国語水曜礼拝2023年8月30日

훈련에삶(한국수요예배08_30_2023)


イザヤ53章、預言の二面性

2:12:02 翻訳 grazia

今何時だ?  聖書を見たか? 

イザヤ書53章、この子達はキリスト教についてよく分からないので、イザヤ書53章がどれほど重要なのかを知らない。キリスト教世界でイザヤ書53章がとてもとても、とてもとてもとても重要な預言の柱だ、柱。


イザヤ書53章は、どれ程重要な柱なのか分かりません、キリスト教神学に於いて。とても、凄まじく重要な部分だ、凄まじく。だから、この子達はキリスト教についてよく分からないので、わからない筈だ。


だから、これはキリスト教預言神学に於いて、とてもとてもとても、一番に重要な句節だ。何故なら、イザヤ53章を通して、見なさい、これはイエス様が来る前の、数百年前の予言なのだが、これはイエス様を予言したものだとこのように言う。苦労する神様の僕、神様の苦痛を受ける僕。読んでみよう。


王妃様: イザヤ書53章です。1節から読みます。


53:1だれがわれわれの聞いたことを

信じ得たか。

主の腕は、だれにあらわれたか。

53:2彼は主の前に若木のように、

かわいた土から出る根のように育った。

彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、

われわれの慕うべき美しさもない。

53:3彼は侮られて人に捨てられ、

悲しみの人で、病を知っていた。

また顔をおおって忌みきらわれる者のように、

彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。

53:4まことに彼はわれわれの病を負い、

われわれの悲しみをになった。

しかるに、われわれは思った、

彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。

53:5しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、

われわれの不義のために砕かれたのだ。

彼はみずから懲しめをうけて、

われわれに平安を与え、

その打たれた傷によって、

われわれはいやされたのだ。


OK、だから5節がとても有名です、これが。

“われわれの咎のために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。“ 

有名な句節ですね、これは。とても有名な句節だ。

だから、これを通して「見ろ、イエス様が来る数百年前にイザヤ予言者が預言していたではないか」「我々は、神様は何故イエス様を送られたのか、十字架で死ぬために送られた」これがキリスト教神学だ。「だから、私たちのために死にに来られた」こう言う内容だ。証拠はどこにある? イザヤ書53章。大部分のキリスト教が言っている証拠が53章だ。「イエスが私たちのために死にに来た!」  それはどこからくるのか、旧約聖書のどこにそんな予言があるのか、「ここにある」このように言います。イザヤ書53章。とてつもない、とてつもない柱です。キリスト教では柱だ、柱柱柱!

とても重要な柱。


OK、次に、10節、10節から12節まで。


53:10しかも彼を砕くことは主のみ旨であり、

主は彼を悩まされた。


砕くことを願われた!  願われた! 主の砕かれるのを願われた、彼の、主の、砕かれるのを願われた!  次。


彼が自分を、とがの供え物となすとき、


ああ! だからここにも出ていますね。イザヤ書は何だ。

若者たち、これは旧約聖書か、新約聖書か?旧約か新約か?大人が答えてはいけません。

旧約だ、旧約!  イエス様が来る前、ユダヤ人たちが持っている聖書は旧約聖書。

トーラー、タナック。分かりましたね。それだから、ユダヤ人の聖書にイエス様が出てくるというのだ、キリスト教徒達はこのように言いますね。ユダヤ人の聖書に。ユダヤ人の聖書に、旧約聖書に、「ユダヤ人の聖書に”われわれのために死に来られる主が”イザヤ書53章に出てくる」このように言う。

ところで、ヘブライ語の、ユダヤの聖書を見てみると、10節まで行くとどうなる?ユダヤ人たちはどんなメシアを待っているのか?


彼が自分を、とがの供え物となすとき、(韓国語訳:その魂を贖いの祭物としてささげるに至ると)

その子孫を見ることができ、(韓国語訳:彼はその種を見るようになる。

その命をながくすることができる。

かつ主のみ旨が彼の手によって栄える。


「その子孫を見ることができ」次に「その命をながくすることができる。」


その魂を贖いの祭物としてささげるに至ると、彼はその種を見るようになる。次に、その日は長くなるであろう。

“種を見る“ だから、ユダヤの聖書では、ユダヤ人たちがメシアについて話をする時、ユダヤ人が信じるメシアとは何ですか?ユダヤ教、ユダヤ、エルサレムの、イスラエルの王です、王。次にその王はどうなりますか? “種を見るようになる(その子孫を見ることができ)“そうですね。  10節に。家庭を持つことになる。

だから、ユダヤ人たちに尋ねれば、ユダヤ人がメシアを考えた時に、「ああ、そうだ、メシアには家庭があるだろう、結婚するだろう」と、当然だ。そうですね。イザヤ書53章10節にあるのだから。


しかし、キリスト教徒たちに聞いてみれば、違います。キリスト教徒たちの立場からは、イエス様は死にに来られた。何故なら原理の概念がありません。原理の概念。

Twe(Dual) prophecy 預言の二重性ですか?二重預言性。預言の二重性。

人間が自由意志に従って、人々がイエス様を受け入れれば、イエス様はイスラエルの王になることもでき、人々が否認すればイエス様は他の道に行きます。

これは、原理のTwe(Dual) prophecy 預言の二重性、分析システム。


そうですね? ですから、人々はどのように初臨の時、すべて知っているかどうかに従って、決定することに従って、こちら側に行くことが出来ますし、あちら側に行くことが出来ます。


それだからイエス様は死にに来たのではなかったのだが、人たちは、当時のユダヤ人たちが否定すれば死の道をいくことになります。

しかし! 神様はその死の道を通して霊的な救いの道を開いてくださいました、主がまた来られる時まで。再び。


ところで、ユダヤ人たちはメシアがいらした時に何をしたか。イエス様はいろいろなことをなさり、ご苦労もされ、魂もイエス様は贖いの祭物になって捧げられたりもして、そして、血統と血筋を立てられます。これは重要な部分です。


ユダヤ聖書とユダヤ人のメシア預言の重要な部分です。夫人と子供達。

しかし、キリスト教徒にこれを言うと「ああ、どうしてイエス様に夫人がいるのだ。」「イエス様が夫人に会いに?夫人がいなければならなかった?子供をもうけなければならなかった?ああ、あり得ない」キリスト教徒はこれを受け入れることができません。

しかしユダヤ聖書、ユダヤ民族にそれは当然のことだ。自分の国の王には必ずエバはいなければなりません。そして、子供がいなければならない。不思議でしょう、これは。


しかし、キリスト教はその預言をイエス様のその預言を、33歳まで家庭を実際に持つことができなかったではないか。市民たちの否定を通して。迫害を通して。

だから、キリスト教徒たちは、「いやこれは神様のみ旨だった。初めから、創世記から神様は既に、イエス様をわれわれを救われるために送られた」と、このようになってしまったのです。


これは問題が多く生まれるのです。

イザヤ書が言う、しもべとはイスラエルのこと


2:23:00 翻訳 clean

これは、多くの問題が生じました。どんな問題? 

どうしてか?

早く見よう!

イザヤ書41章から、苦難の僕。 イザヤ書53章で苦難の僕の単語を見ましたね。僕の単語はヘブライ語で何ですか?アブディ。アブディと言ってみて下さい。僕はアブディという意味です。

キリスト教徒たちはこのイザヤ書53章を見て、見ろ見ろ。苦難の僕に対する預言ではないか、私たちの為に死に来られた主ではないか、と言いますね。

ですから苦難の僕はイエス様だと言います。しかしイザヤ書聖書では何と言っていますか?


見よう!イザヤ書41章8節

41:8 しかし、わたしのしもべ、イスラエルよ。


ストップ。何と言ってますか?

イザヤ書41章8節で何と言ってるか?

「私の僕。アブディ。」同じ単語です。

イザヤ書53章も同じアブディです。

私の僕(アブディ)、イスラエルよ。」ここで誰が僕ですか?イスラエルが僕ではないですか。

人が僕ではないでしょう。預言する未来のメシヤではないです。

イザヤ書が言う僕はイスラエルの国です。国。

見て下さい。

しかし私の僕はアブディ、同じ単語のアブディ。お前、イスラエルよ。

合ってますか?OK


もう少し見ましょう。

イザヤ書42章6節。一度見てみよう。

42章6節。

42:6 わたし、主は、義をもってあなたを召し、あなたの手を握り、あなたを見守り、あなたを民の契約とし、国々の光とする。


ここで誰が義なるものですか?人ですか、それとも国ですか?

誰が義なるものですか?え?

私、ヤハウェが義を持ってあなたをと言う時、誰ですか?誰に言ってますか?今、神様は?

イスラエル!そうですね。すぐ前の21章で何と言ってましたか?

お前、イスラエル、僕」そうでしょう?「アブディ」そうでしょう?まだイスラエルに対して言っていますね。


ですから「イスラエルは神様の、国は苦難を受ける僕として、義を求めなさい」と言う意味でしょう?


では43章10節。

4:10 あなたがたはわたしの証人、―主の御告げ―わたしが選んだわたしのしもべである。

何だって?「わたしのしもべ。」何の単語ですか?「アブディ」またアブディです。

主のお告げ、あなたはわたしのしもべ。証人。わたしのしもべとして、「しもべ、アブディ」、同じアブディです。OK?


その次。

44章1節。

4:1 今、聞け、わたしのしもべヤコブ、わたしの選んだイスラエルよ。


わたしのしもべヤコブ。ここではしもべ、ヤコブと言ってますね?しかし「わたしのいしもべ、ヤコブ」と何ですか?「わたしのしもべヤコブ、私の選んだイスラエルよ。


ヤコブの別の名前は何ですか?(イスラエル)そうでしょう?

ヤコブは天使とすもうをした後、何という名前を受けましたか?

イスラエル。

ヤコブは何ですか?イスラエルではないですか。

ヤコブの種はイスラエルになるではないですか。

そうでしょう?

お前たちこれ知らなかっただろう?


だから、私たちの子供達は、この子達は、キリスト教文化に対して知らない。お前たちはキリスト教会で成長しなかったから。

しかしキリスト教では重要なのです。

こういう聖書の勉強をしなければならない。分かったか?こういうのが重要だ。


ここでも、わたしのしもべヤコブ。しかしヤコブは誰か?イスラエル。

ヤコブの種から何が来ますか?イスラエルの国。そうでしょう?


まだ神様は誰に言っていますか?わたしのしもべヤコブ、わたしの選んだイスラエルよ。

聞け、と誰に言っていますか?イスラエルの国。そうですか、違いますか?OK


44章21節。

44:21 ヤコブよ。これらのことを覚えよ。イスラエルよ。あなたはわたしのしもべ。わたしが、あなたを造り上げた。


ヤコブよ、イスラエルよ。覚えよ。あなたはわたしのアブディ(しもべ)だ。

そうでしょう?

また出て来たでしょう?


45章4節。

45:4 わたしのしもべヤコブ、わたしが選んだイスラエルのために、わたしはあなたをあなたの名で呼ぶ。あなたはわたしを知らないが、

4節、4節。

わたしのしもべ、アブディ、ヤコブ、わたしが選んだイスラエル。


そうですね。また出てくるでしょう?

神様はずっとひたすら41章から誰に対して言っていますか?イスラエルの国。ずっと続けて言われてるでしょう?


48章20節

4:20 バビロンから出よ。カルデヤからのがれよ。喜びの歌声をあげて、これを告げ知らせよ。地の果てにまで響き渡らせよ。「主が、そのしもべヤコブを贖われた」と言え。


そのアブディ(しもべ)、ヤコブは誰ですか?イスラエル。

ですからイザヤ書はずっと。

キリスト教ではイザヤ書53章だけ見て、見ろ見ろ、苦難の僕、イエスと言うではないですか。


しかしそれは、原理なしでは説明する事が出来ません。

原理はこの預言の二重性を通して、市民がイエス様を受け入れれば、イスラエル国も勝利します。そうですね。苦難の僕になるけれど、しかし勝利する苦難の僕になります。合ってますか、違いますか?


イエス様を否認すれば、イスラエルの国が罰を受けますね。

神様が別の道、摂理を作られなければいけません。

それは十字架の道を作られたではないですか。しかしそれは完成した道でなく、それを通してイエス様が再び来られなければなりません。再び。

最初に全て終える事が出来なかったから、再び来られなければなりません。そうでしょう?

人々の決定、選択、自由意志を通して、そうでしょう?


その次、49章3節

49:3 そして、私に仰せられた。「あなたはわたしのしもべ、イスラエル。わたしはあなたのうちに、わたしの栄光を現す。


わたしのしもべ、わたしの栄光を現す、何ですか?アブディ(しもべ)は誰ですか?イスラエル!


ですからひたすら41章からずっと、イスラエル、イスラエル、イスラエル、しもべはイスラエル、アブディはイスラエル、アブディはイスラエル、アブディはイスラエル、アブディはイスラエル。


イザヤ書の主語をわざと誤訳したキリスト教


その次、53章に来たら突然、国でなく、苦難の僕は人になります。キリスト教では問題が起こりました。

ですからキリスト教は一般市民にヘブライ語を習うなと言うではないですか。

ヘブライ語を習う様になれば、こういうのを見る様になるから。問題、問題。


その次、イザヤ書53章8節

53:8 しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。


OK ここで、わたしの民のそむきの罪のために打たれ。

英語の聖書を見ると、これをheと言った。 heは何かと言うと、一人の人と訳しました。

 

どこだ?韓国語でどこだ?ああ、これだ、そうだね。韓国語では英語の聖書に従ってしましたね。ヘブライ語聖書では単語が何ですか?ラモー。ラモーと言って見て下さい。ラモー。

ラモーは何の意味か?私たちという意味です。


キリスト教聖書ではどうしたかと言うと、イザヤ書はイエス様が必ず死なれる為に来られた、という事を証明する為に、全てのキリスト教聖書でヘブライ語の単語、ラモー、”私たち”を”彼”に置き換えました。

ヘブライ語を読めばこれは、”私たち”です。それは何か。私たちの国、イスラエル。

その言葉は何か。


このイザヤ書53章のキリスト教が言う様に「見ろ、見ろ、見ろ、イエス様は死に来られた。」これは神学的に弱いのです。

ヘブライ語を知れば、これは崩れます。しかし原理を通して、私たちは知る事が出来ますね。

原理を通して、預言の二重性を、両面性をこのシステムを通して、人々が自由意志によって、あっちにもこっちにも行く事が出来る。


ですから、こっちになった時、国も苦難の僕になる事がある。なぜ?主がそのイスラエルの国の王になれば、国も苦労するでしょう、一時苦難に遭って世界を屈服し、その次に天国が始まります。

そうでしょう?


イエス様がイスラエルの王になれば、国、イザヤの預言が言う41章、42章、43章、44章、45章、48章、49章、50章にずっと出てくる、私たちの国イスラエル、そうでしょう?


そのイスラエルは苦難の僕になり得ました。

イエス様を受け入れていれば。世界を救う苦難の僕。そうでしょう?その国が。

どうしてイザヤ書でずっとヘブライ語で、続けて「私たちの国、私たちの国」、と韓国人の様に言ったではないか。合ってませんか?私たちの国、イスラエルとずっと言うではないですか。

韓国人も”私たちの国”と言うではないですか。日本人も”私たちの国”と言いますか?

”我が国”あ、そういいますね。私の国、私たちの国という意味でしょう?


とにかく”私たちの国”とずっと言います。

ですから原理を通してこれが開かれますが、キリスト教神学では崩れます。

特にヘブライ語学者たちがこれを暴露しましたね。キリスト教聖書は「ラモー、私たち」という意味も変え、「彼」にしました。英語の聖書で。

何故?イエス様は死に来られた事を証明する為に。

しかし、その言葉は、ヘブライ語聖書の神様の御言を修正したことになります。


これはキリスト教の立場で大きな罪です。大きな罪。

キリスト教がインターネットに出れば出る程、キリスト教の預言のシステムが崩れています。


「イエス様は死に来られた!」これは崩れています。

しかし原理を通して理解する事が出来るだろう。

主を反対すれば、イエス様は独りで苦難の道を行かなければなりません。

イスラエルがイエス様を受け入れれば、イエス様は勝利したイスラエルの王として、国と共に苦難の道に行くが、天国を建てる事が出来るということです。

何の事か分かりますね?


そして、そうなったら、イエス様は再び来られる必要がないだろう。何故?ヘブライ語の預言まで全て家庭も立てて、王家まで立てて、全て実践したから。


原理に出てくる様に、そうですね。

キリスト教神学が崩れています。唯一原理だけがこれを説明する事が出来ます。


イザヤ書7章14節の処女とは若い女という意味


その次、イザヤ書7章

キリスト教の立場で、ソラ・スクリプトゥラ”唯一聖書(聖書のみ)”ではないですか。

”唯一聖書”と言いながら、イザヤ書53章8節をわざと間違って翻訳しました。

“唯一聖書”、“唯一聖書”と言ったのに、聖書を修正した。キリスト教神学が。

これは途轍もない罪だ!キリスト教神学の中で途方もない罪だ。

わあ、原理が全てを暴露しました。


イザヤ書7章14節。

7:14 それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。


処女が!そうですね。

見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み。


そう出ていますね。

おーここも問題があります。

何の問題?処女という単語は何か?

ヘブライ語でアルマと言って下さい。アルマ。

アルマはどういう意味か?若い女という意味です。処女という意味ではありません。

生娘。ここの処女は生娘という意味です。マリヤはキリスト教神学で生娘です。

合ってませんか?そうでしょう?

マリヤは生娘です。これはキリスト教神学で柱です。マリヤが生娘だという神学。

しかし、ヘブライ語聖書を見ると、何と言いますか。

キリスト教神学で「見ろ、見ろ、見ろ、イザヤ預言者が、マリヤを預言した、見ろ。」と言います。


イエス様が来られる前、マリヤが生まれる前、数百年前にユダヤ教の聖書でイザヤ預言者が、

マリヤの預言をした、みろ「処女、生娘」という意味でしょう。

キリスト教神学ではマリヤは生娘ではないですか。

童貞女。合ってますか?キリスト教神学でこれは重要な部分ではないですか。

バージンマリア、童貞女。


これも崩れました。何故?

この単語アルマとは若い女という意味です。童貞女ではありません。童貞女はヘブライ語で何ですか?ベッスーラ。

ベッスーラ言って見て下さい。

ベッスーラは童貞女という意味です。


イザヤ書で童貞女マリヤを預言しませんでした。イザヤ書7章14節に出てくる単語は何ですか?

アルマ。ベッスーラではありません。

キリスト教神学が再び崩れます。 

何の事か分かるでしょう?


事実、童貞女が子供を産むのも大きな奇跡ではないでしょう。

何故?神様が土から人を創られました。その方が遥かに難しいでしょう?

童貞女は卵子があるではないですか。若いではないですか。

童貞女は卵子がありますか、ありませんか?あるではないですか。


サラは90歳で子供を産みましたが、サラは卵子がありましたか、ありませんでしたか?卵子がないお婆さんが子供を産む方が遥かに大きな奇跡でしょう、実際は。

童貞女のマリヤより、もっと難しい奇跡は何かと言うと、サラが卵子の全くない女、完全にお婆さん、卵子が100%死にました。その100%死んだ卵子の子宮で子供を産むのはもっと大きな奇跡です。


童貞女は卵子がまだ多いではないですか。そうでしょう?(笑)

ですからキリスト教では、童貞女マリヤの神学もヘブライ語で、インターネットに出てくるので、今ではこの神学も崩れています。


2:44:03~2:51:09  翻訳 cham

ああ、そうだ、そうだ。処女は、米国語、英語で見なさい・

英語で「Therefore the Lord himself shall give you a sign; Behold, a virgin shall conceive, and bear a son, and shall call his name Immanuel.」

聞きましたか?ハハハ。Behold, a virgin shall conceive 童貞女。

ありません。それは、翻訳にヘブライ語に行けば、童貞女という意味ではありません。若い女という意味です。若い女は当然、子供を産むことができるでしょう。

これは問題ですね、これは。問題です、問題。


その次に私達は、今、時間がないから、とにかくダニエル9章にも。ダニエル9章預言にも70週、ダニエル預言もそれも崩れています。

私達は今度の日曜日に、もう少しそれも勉強するだろう、それを。OK?



ヘブライ語原語にみるキリスト教の根本的間違い


だんだんとキリスト教徒達が多く来るから。このような現実をキリスト教徒達、だからキリスト教徒達は自分の子供達にヘブライ語で教えないではないですか。何故?ヘブライ語は旧約聖書、神様のみ言なのに。すべてのキリスト教徒達は100%それを信じなければなりません。そうしなければキリスト教ではない。旧約聖書、神様のみ言でないと信じれば、キリスト教ではありません。


アハハ。それでは神様は旧約聖書、ヘブライ語で来たのに、ヘブライ語で教えない、子供達に。何故?このような問題らが現れます。童貞女の問題、イエス様が死ぬために来た問題、このような内容が現れます。

牧師達が言う事とヘブライ語で出てくる聖書の事が違います。


原理で、原理の立場で、私達はこれ2つ消化、理解することができますね。何ですか?預言の両面性神学で。私達は理解することができるでしょう。人達が選択された民族の自由意志を通しながら、こちらに行くこともでき、あちらに行くこともできる。


だが、キリスト教はそれがない。イエス様は死ぬために来た!一つの道だけある。一つの道。死ぬために来た!その結論がたくさんあります。

人間がもう少し良くできていたら、イエス様が、、、。このようなことがないのです。

それは異端だと言います。だから私達は異端の王でしょう。ハハハ。

二代王は銃弾頭の王、異端でしょう。ハハハ。そうでしょう?


ところで、問題は何か?旧約聖書、キリスト教徒達は旧約聖書を神様のみ言と認めなければなりません。

ところが、どうなりましたか?この聖書を翻訳した人達がわざと修正しました。神様のみ言を。


あ、ところで、ヘブライ語は神様のみ言、旧約聖書なのに、それを修正したというのだ。それではキリスト教が言うソラ・スクリプトゥラ、唯一聖書、それも崩れます。自分らが修正しているから。自分らが旧約聖書を修正したから。


あ、あー、問題が生じますね、これは。

だから、メシアに対する部分ももう崩れている、自分達の預言された神学らが崩れている。

インターネットでこのようなことが暴露されるから。


ところで、このようなことが暴露されながら、どうなりますか?原理のみ言が上がってきます。原理のみ言は、私達はすでに90年代に、お父様はすでに80年代に語っておられたではないですか。


私達は異端、異端まみれ、異端、異端、異端、死ね、死ね、これだけ聞いたではないですか。80年代から。

しかし、結局インターネットが出た後で、すべての学者達とヘブライ語まで全部暴露されて、お父様が合っていましたね。


その言葉は、新約聖書は全部詐欺だ、このような意味ではないだろ。違うだろ。神様が新約聖書を通しながら、それは私達の基盤でしょう。私達は新約聖書も神様の聖書だと見るでしょう。


だが、間違って翻訳された部分がこれは、だから、間違えて翻訳された部分があるために、キリスト教の信仰がこちら側に行ったではないですか。イエス様は死ぬためにだけ来た!このようになってしまったではないか。


だが原理はこれは違う、でしょう。何の話かお分かりでしょう?


だから、成約聖書、成約新約時代は、旧約新約時代を完成させるでしょう。ここに上げるでしょう、上げる。すべてのことが透明に見えるように。暴露されるでしょう。そしてその秘密が全部開かれるでしょう。


旧約そして新約聖書の中にいるユダヤ人とか、キリスト教徒達とか、主様に、再臨主様に会うことができるように。

あー、だから、キリスト教預言神学は完全に崩れている。たくさん違っています。たくさん違っています。


不思議でしょう?だから、このような内容を通しながら、お父様が伝道することができる環境を作ってくださっているのです。


キリスト教徒達が、今や原理を分かることができるように。祝福中心家庭になれるように。天一国の王と王妃になれるように。神様の王国を建てることができるように。


このような役事を準備されていらっしゃる神様に大きな感謝の拍手を送りながら、(拍手)もしも、その神様の王国のために、勇ましく戦い出る宗族王と王妃と平和軍男女軍男女警察になって、神様を愛し、隣人を愛しながら、神様に栄光をお返ししたければ、皆お立ちになって、神様に大きな感謝の拍手をお捧げいたします。

アージュ―、アージュ―、アージュ―。


さあ、お座りください。もう少ししなければならないでしょ。ハハハ。(聖歌隊が準備されて)そんなに早くどうして?OK、OK。さあ、賛美しましょう。


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