天使長に憧れたエバ
2023年6月7日テネシー清平水曜礼拝
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文亨進二代王
한국수요예배 (Sanctuary韓国語礼拝) 06_07_2023
トルチャンチとコロラド山岳訓練
0:00 翻訳minion
今日は私たちの孫娘のトルチャンチ(1歳の誕生日のお祝い)だろ。清恩(チョンウン)のトルチャンチ
さあ、私たちの若い青年たちと、今回スモーキーマウンテンに行って、若者たちは焼く8時間行進訓練をしましたね。もちろんコロラドのロッキー山脈ほど難しくはありません。それほど高くありません。そして、平坦です。
しかし、8時間訓練したのだが、全身が痛いだろう。翌日。8時間(訓練したから)。今週末、子供達は12時間訓練します。12時間の訓練。マスクもつけて。次に最後の1週間、軽く何日間か、残りの4日間は休んで、体を完全に休ませて、次に出発する時、この子たちは鍛錬された体で、コロラド山脈(に行きます)。
問題が何かと言えば、2日間、適応しなければなりません。ものすごく高いから。
だからそのような状況を、これからは少し見ていて、若者たちが大きな挑戦をしているので、それはとても良い訓練です。今は訓練中だ。
今週末にお前たちは12時間の訓練があるから、それは8時間よりもはるかに難しいだろ。はるかに難しいから、お前たちは準備しなければならない。
天使、家庭を偶像崇拝するな
さあ、私たちはスモーキーマウンテンに行った時、ヨハネの黙示録22章をやりましたね。ヨハネの黙示録22章。最後の聖書の句節ですね。22章が最後の部分ですね、聖書の。最後の章。
さあ、(ヨハネの黙示録)22章を一緒に見ましょう。
ヨハネの黙示録22章です。1節から訓読します。
22:1御使はまた、水晶のように輝いているいのちの水の川をわたしに見せてくれた。この川は、神と小羊との御座から出て、22:2都の大通りの中央を流れている。川の両側にはいのちの木があって、十二種の実を結び、その実は毎月みのり、その木の葉は諸国民をいやす。22:3のろわるべきものは、もはや何ひとつない。神と小羊との御座は都の中にあり、その僕たちは彼を礼拝し、22:4御顔を仰ぎ見るのである。彼らの額には、御名がしるされている。22:5夜は、もはやない。あかりも太陽の光も、いらない。主なる神が彼らを照し、そして、彼らは世々限りなく支配する。
22:6彼はまた、わたしに言った、「これらの言葉は信ずべきであり、まことである。預言者たちのたましいの神なる主は、すぐにも起るべきことをその僕たちに示そうとして、御使をつかわされたのである。22:7見よ、わたしは、すぐに来る。この書の預言の言葉を守る者は、さいわいである」。
22:8これらのことを見聞きした者は、このヨハネである。わたしが見聞きした時、それらのことを示してくれた御使の足もとにひれ伏して拝そうとすると、22:9彼は言った、「そのようなことをしてはいけない。わたしは、あなたや、あなたの兄弟である預言者たちや、この書の言葉を守る者たちと、同じ僕仲間である。ただ神だけを拝しなさい」。
22:10またわたしに言った、「この書の預言の言葉を封じてはならない。時が近づいているからである。22:11不義な者はさらに不義を行い、汚れた者はさらに汚れたことを行い、義なる者はさらに義を行い、聖なる者はさらに聖なることを行うままにさせよ」。
22:12「見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう。22:13わたしはアルパであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終りである。22:14いのちの木にあずかる特権を与えられ、また門をとおって都にはいるために、自分の着物を洗う者たちは、さいわいである。22:15犬ども、まじないをする者、姦淫を行う者、人殺し、偶像を拝む者、また、偽りを好みかつこれを行う者はみな、外に出されている。
22:16わたしイエスは、使をつかわして、諸教会のために、これらのことをあなたがたにあかしした。わたしは、ダビデの若枝また子孫であり、輝く明けの明星である」。
22:17御霊も花嫁も共に言った、「きたりませ」。また、聞く者も「きたりませ」と言いなさい。かわいている者はここに来るがよい。いのちの水がほしい者は、価なしにそれを受けるがよい。
22:18この書の預言の言葉を聞くすべての人々に対して、わたしは警告する。もしこれに書き加える者があれば、神はその人に、この書に書かれている災害を加えられる。22:19また、もしこの預言の書の言葉をとり除く者があれば、神はその人の受くべき分を、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、とり除かれる。
22:20これらのことをあかしするかたが仰せになる、「しかり、わたしはすぐに来る」。アァメン、主イエスよ、きたりませ。
22:21主イエスの恵みが、一同の者と共にあるように。
「水晶のように輝いているいのちの水の川を。」
落葉ではなく、「その木の葉」、ハハハ。
「彼らの額には、御名がしるされている。」御名がしるされている。ハハハ。そうですね。ここにある王冠の額には誰の名前が書かれていますか?付いていますね。見えますね。
「しかり、わたしはすぐに来る。」
アーメン、アジュ
わあ!だから最後の1章に、22章に、その様な場面が全て出てきますね。生命の水、キリスト、左右、左右にあり、次に生命の水、生命の木、左右、生命の水、中間、神様の宝座に出てくるのです。
そうしながらここには天使もいますね。天使が現れるのですが、8節で天使が出てきて、今やヨハネは天使の前で敬拝をして天使を偶像崇拝しようとするではないですか。
人々は天使を考えたら、翼のある小さな赤ちゃんを考えるではないですか。ローマのせいで。
天使はそうではありません。一度見せてください。AI天使を探してみなさい。わあ・・・。聖書に出てくる天使は化け物のようです。
聖書に出てくる天使は、ものすごく恐ろしいのです。化け物のようです。ケーストダウン(Cast Down)の歌で、AIが作った、聖書の聖句を持ってAIが作った天使を入れましたね、そこに。その最後の部分で。
しかしその最後の部分は悪魔ではなく、それは天使です。
聖書で、・・・これ、これ、これを見なさい。聖書でこのように描かれています、天使を。これはエゼキエル、エゼキエルの天使が現れた。車輪の中に車輪があって、目がついている。これだこれ。これが神様の宝座の横で火に燃えて羽ばたいて全ての翼に目がついている。これは初めて見るでしょ?
これは不思議ですね?聖書ではこのように描かれています。翼が6つあって。
だからとにかく完全にローマが描く天使は完全に詐欺です。
だから天使を見たら、ものすごく怖くて、エゼキエルであれヨハネであれ、それにただ仕えようとする。ものすごく恐ろしいので。
それは不思議ですね?面白いでしょ?ヨハネの黙示録に天使がこのように出てきます。神様の宝座の前に。
だからこのように恐ろしい(天使を)、人が見た時、恐ろしい姿の、他の世界から来た存在のように見えます。不思議ですね?いやあ・・・。
天使はローマ教皇の中で、そしてカトリックに出てくる天使は完全に詐欺です。それはヘブライの伝統、ローマ異端神の伝統、ヘレニズム神を表現する、そのような天使を描きました。そいつらは。それはただ吸収したのです。それはローマの伝統。
しかし聖書に出てくる天使は、このように(恐ろしく)出てきます。
だから人のような姿ですが、翼が6枚あって、6枚の翼で顔を隠して羽ばたいて足も隠します。ある天使は頭が4つあって。1つは人間の顔、1つは牛の顔、1つは鷲、他に何がある?牛、鷲。蛇の頭もあります。
だから実際、聖櫃(契約の箱)の部分に、聖なる、その位置にあるではないですか。そこにも本来イスラエル民族が天使まで全て描きました。至聖所。
次に、タブナックル、聖櫃(契約の箱)の上に天使が2体いるではないですか、翼をこのようにして。ケルビム。だから、ケルビムに天使が2体、彫られているのではなく、本来聖櫃の壁の部分に描かれています。壁にも天使達が。イスラエル民族たちが。神様が聖書でそのような内容を描きなさいと、すべて出てきます。イメージが。
しかし、侍ってはいけません。侍ったら完全に偶像崇拝、大きな罪悪になります。しかし天使は完全に怪物のようですね。
だから、ルーシェルはかっこいいやつだ。エバはそのような光り輝く天使を見て、「アダムは普通だな。私は光り輝くルーシェル、そのように大きくて力の強い翼まであるそのような男性と居たい。この男と一緒に付いて行ったらお金と資産がたくさんあるでしょう。」ハハハ。エバはそうでした。
天一国の女性たちは、外の世界が言うような偽りの姿ではなく、男性の質、神様を愛する男性、質の高い男性。王と祭司長の役割をすることが出来る男。天一国の男性女性たちは、ただ世間が言う地位とお金と紙のお金、そのような詐欺の内容ではなく、実体的な資産。実態的な資産を言います。
最も重要な資産は、神様の関係。神様の関係から出てくる重要な祝福された関係。そこから祝福家庭が生じるではないですか。祝福家庭が。
神様に侍る家庭、その父母訓練
しかし祝福家庭自体を偶像崇拝してはいけない。神様に侍る家庭。神様の仕事をする家庭、夫婦。その関係を通して出てくる子供たち。子供たちは実体的な資産。生きている資産。生涯共にすることができる資産。間違って育てたら父母の敵になる。
だから、父母の訓練がそれほど重要です。親の訓練が。解放釈放時代、2世たちは解放釈放時代の福を受けたので、これから親の訓練をしながら、父母の訓練を通して子供たちがどのように秩序を立てながらも、同時に子供たちを正義的に訓練して成長させることができる、そのような部分を予め学びます。あらかじめ。あらかじめ学びます。
赤ちゃんが小さい時からすでにそのような思考で予め学び、予め訓練して、実践することははるかに難しいので、とりあえずは学んで、勉強しながら実践しなければならないのですが、子供達と実践するとき親はどのように実践するのか、はじめはわからないが、だから訓練しながら、お父様の三代王権の近くにいて、その子たちがコーチングを受けながら、直さなければならない部分は直して、上手にしている部分は上手にして。そのようにしながら自分の子供達と訓練することができる、そのような生き方が始まる。
だから、コロラドに行く男性たちは、自分の妻も子供たちと、今回は行進はできないが、キャンプの訓練自然の訓練するようになります。
自然の訓練は小さな子供たちも、初めて自然に入って、初めてのキャンプ訓練もして、そのようなことを初めて、子供たちとキャンプするとき、訓練する時、どのようなものが必要なのか、準備しなければならないのか、そのような部分を通して、子供たちは自然を愛して、外で遊ぶ、外にいたい、愛の種を植えるのです。
現代の子供たちは外に出ようとしないではないか。これ、テレビとコンピューター、インターネット詐欺の罠。グローバリストの罠だ、罠。外に行って遊ばない。
外に行って遊んだら子供達は膝を擦りむいてこけて立ち上がって、このようなことを学びます。
だから私たちの子供たちは訓練、親、お父さんお母さんから親の訓練を受けて、孫、孫娘を育てるとき、孫、孫娘も、赤ちゃんが走り回ってこけたら、「えーん」と泣くではないか。泣きながらお母さんが走って行って「わあ、大丈夫?」このようにしてはいけない。
「おお、よくやった。大丈夫。立ちなさい。」遠くから「立ちなさい。そうそう、立ちなさい。」遠くから「そうだね、立ちなさい。」このようにしなければなりません。
家にばかりいるとお母さんが全てするようになる。子供たちを殺す。滅びる。外にいたらお母さんたちは子供が一人でこけて怪我をしても、大きな怪我ではないから。子供はオーバーにする。「お母さん、来て。抱っこして。」そのようにする時。そうしてはいけない。
外の自然はそのようなものだ。「立ちなさい。わあ、よくできた。」立った時に激励してあげて。「よくやった。よくやった。」このようにしながら子供たちは何を学ぶ?独立した訓練、自分が自分の力で立ち上がることができることを学ぶ。それでもいつもお母さんが激励してくれる。しかしお母さんはしてあげない。
多くのお母さんの問題は子供たちにしてあげることだ。子供達にしてあげてはだめだ。子供を激励しても、してあげてはだめだ。特に大きくなればなるほど。
その年齢の子供にはしてあげなければならないだろう。こんなに小さな時はしてあげなければならない。トモハの子供ぐらいの時はしてあげなければならないが、歩き始めて倒れて、そうだろ?その年齢から子供は訓練しなければならない。その前はしてあげなければならないだろう。(訓練)してあげなければ赤ちゃんは死んでしまう。歩き始めてから、訓練から、倒れても「おお、よしよし。立ちなさい。」このようにしながら激励して、してあげてはダメだ。
問題はお母さんたちが、1歳2歳3歳4歳5歳6歳7歳8歳11歳12歳13歳14歳20歳30歳、全部してあげる。継続してしてあげる。そうすれば子供は左派の詐欺師になる。強いやつにはならない。完全に詐欺師、完全に政治サタン主義になる。
だから、お母さん達はしてあげたいのだが、してあげたら、お母さんの愛を表現できると思うが、子供をまず考えなければならない。自分の感覚ではなく、子供をまず考えなければならない。子供にしてあげない。女の子も同じだ。
おじいさんが孫、孫娘を訓練させる時、女の子にはるかに親切にするが、孫は男なので、男の孫はおじいさんを怖がる。そして、男の子は女の子よりも大きくなればなるほどお父さんの権利とお父さんの姿を愛しながらも尊敬しなければならない。恐れなければならない。
しかし息子がいなくても、娘たちも同じだ。娘たちは男の子よりもはるかに秩序を早く守る。幼い時から。しかしある時は、娘たちがものすごく言うことを聞かない時は、時にはお父さんが捕まえなければならない。娘たちにも怒って、その子たちが出場を理解するようにしなければならない。
しかし無理に怒ってはいけない。言うことを聞かないから棍棒でパンパンパンと打って、これはオーバーだ。その子たちをテストする。お父さんお母さんが来なさいと言って逃げる。(それを)捕まえて「逃げたらダメだ。お父さんが呼んだだろ。」と捕まえる。
子供が学ばなければならない。お父さんが言った時は逃げることはできない。だからこの子達もおじいさんに、おじいさんもテストする。しかしおじいさんはまだ早い。膝を悪くしたが早い。年は取ったが、早い。だからその子たちは逃げることができない。逃げようとしたら捕まえる。「おじいさんが言ったら逃げたらいけない。分かったか?」「はい・・・。」このようなことを学ばなければならない。
だから父母訓練をしながら、完全に左派の奴らのように、ベーターのやつらのようにしてはいけない。
子供は強く訓練するが、しかし罰をオーバーにしてはいけない。しかし男の子は女の子のように育ててはいけない。男性は愛らしく、お父さんは愛らしく強く。分かった?男性たち。
だからそのような部分を通して、男の孫たちは秩序を立てたので、孫娘たちは簡単だ。お兄さんたちが秩序を立てたので。
しかしそのようなことは、その子たちは本から授業で学ぶのに、実践するときは、自分が学んだことは上手にできないではないか。まだ白帯なので。
しかし訓練しながら、コーチングを受けて、このようなことをどのようにするか、そうすれば1人目2人目3人目、はるかに簡単になる。
しかし子供たちは10歳くらいから再び、12歳くらいになった時、子供たちは、その時から頭でお父さんお母さんに勝とうとする。
例えば韓国にいる日本のお母さん。日本のお母さんは韓国語が完璧ではないではないか。だから子供たちは10歳くらいになればお母さんがバカだと思う。日本で教授であったとしても関係ない。韓国語自体が上手にできないから。自分がお母さんよりも利口だと思う。そうだね。
だから子供たちはその年齢で錯覚をする。
ここでも子供たちが英語を学べば、英語が母国語になりお母さんがバカだと思う。10歳くらいになった時に。だからその前に訓練しなければならない。
その前にキリスト教弁証論と原理をどのように説明するか。このような事を予め準備しなければならない。
子供がそのように悩み始める前にそのようなことを予め学び、あらかじめ理解し、そのようなことを説明することができるように。それを準備しなければならない。子供たちはみなサタン側になろうとするでしょう。10代の時、10代の前。その時準備したのでは遅い。10年前に準備しなければならない。
だから男性たち、女性たちも、お父さんお母さんたちが継続して聖霊大学に通いながら授業をずっと受けなければならない。継続してインターネットのズームミーティングシステムを通じて勉強しなければならない。
子供たちが10代になった時子供たちに神学的な内容も説明することができるように。あらかじめ勉強しなければならない。
ある男性たちは神学の勉強をする時は利口で、ある子はよく理解できていないではないか。
それでも、よくできていない人も、学んでいない人よりもはるかによく分かっている。ある人は勉強する才能があるではないか。学ぶことに。
しかし、よく理解できない男性女性も、勉強しない人よりも、神学の勉強をした人がより多くわかることができるだろう。勉強しなければ完全にパンクだ。ただ適当にするだけだ。子供たちに対する準備をひとつもしない。しかし未来の子供たちの関係のために、それを予め準備しなければならない。
30:11
つづく
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