Tuesday, January 24, 2023

第56回真の神の日慶祝行事◆ 文信俊三代王 ◆証言 2023年1月22日

 第56回真の神の日慶祝行事 文信俊三代王 証言

2023年1月22日 



三原編集訳

(司会)皆さん、次のゲストの文信俊様のために 暖かい拍手をお願いします。


(三代王様)

ありがとうございます。

ありがとうございます。

今日の神の日に、私の証しをお許しくださり感謝致します。


この場でお話できることは本当に大きな光栄です。

真のお父様が、私に従って行くことを願われたその使命を見る時

本当に私には資格がないと感じました。

たとえ神様が95%をなされ、そして私が5%の(責任分担を)・・・

どうして私が中心人物なのだろうか?

私がどのようにして、6千年の聖書歴史で待ち望んできた王国を取り戻す責任を負って、

どうしてこうなったのか?(涙をハンカチを取り出して拭きながら)

どうして私が地上のキリストの象徴的な代身者の位置に立つことができるのでしょうか?


歴史の隅々をよく見てみると、私は偉大なキリスト教徒を見ることができました。

チャールズ·スポルジョン(Charles Spurgeon)、ウィルバーフォース(Wilberforce)のような信仰の英雄たち、

どうして神様はそのような人たちを中心人物として立てなかったのでしょうか。

つまり、(真のお父様は)人を間違って選ばれたのではないでしょうか。

私はただ近所のダンキンドーナツでサンドイッチを作るに過ぎない人です。

自分自身を振り返ると、打ちのめされた一人を見つけます。

神様が本当に私のような者をお使いになれるのでしょうか。


そして、私は悟りました。

しばしば神様は他の誰よりも最も足らない人をその摂理のために立てられます。

どうしてでしょうか?何故なら戦いに勝って勝利が得られた時

誰もが戦いに勝利したのは、その人のおかげではないことが分かるからです。

神様が戦いを勝利に導かれたのです。


そして次のコリント第2の手紙(12章9~10節)を見ると、

「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱い所に完全にあらわれる」

また栄光の賜物の最後の節から悟りました。

「足らぬこの身を如何にせん」

そのフレーズは本当に正しいということをです。


私は不足であり、私は壊れており、私はふさわしくありません。

私は神様がこの足らない者を神様の完全な御旨のために使われることを祈ります。

ふさわしい人を呼ばれるのではなく、主の召命によって資格があるようになります。

神様が泥をこねて造るように、私をお造りになり

どんな形であれ、神様が望まれる器になることを祈ります。


しかし、時々その道に本当に希望がないように見えることもあります。

神の王国は、手を伸ばせば届く近い距離にありました。

しかし、韓氏オモニの天宙的堕落によって、

私たちは、真のお父様が奮闘され、血を流され生命を捧げ、築きあげたすべての基盤を失ってしまいました。


私はこのような疑いと不確実性と苦痛の時間に

本当に真のお父様が誰なのか、真のお父様のおっしゃったことが何なのか、

そして「もし韓氏オモニがその責任分担を果たせなければ、私は山を再び起こす」

1999年10月15日におっしゃったこの御言と約束をつかむことを祈ります。


私が主を心の限りを尽くして信じることが出来るように切に祈ります。

私個人の理解に頼らずに

私のすべての道においてキリストを尊敬するよう祈ります。


二代王様が歩まれる道を眺める時

本当に私は驚かざるを得ません。

「天下を得てもその魂を失えば何の益があるのか!」

この聖書の言葉のまま生きておられます。


しかし、なぜ二代王様と過去の数多くのキリスト教徒は、

すべての憎悪と嘲弄と殉教の苦難の道を歩まければならなかったのでしょうか?

どうして私がその道を歩まなければなりませんか?

なぜ安楽と快楽の人生を追求してはいけないのですか?


私の人生はキリストが私にその道を歩むことを命じられたからだと悟ります。

どうしてその要請を断ることができますか。

断れば私に人生をくださった方を否定することになります。

私がその方の敵であるとき、私のために十字架の道を行かれた方を否定することになります。

涙の道を通じて私に霊的そして肉的復活をくださった方を否定することなります。

主の優しさ、慈悲、親切、善良さ、愛、信実さ、恵み、

そして赦し、その全てを忘れて、

ただ70-80年の短い地上生活の間、その方に仕えることを断ることになるのです。

私が言いたいことは、そのような要請を断れる人は本当に愚かだということです。


私はまだ学ばなければならないことが多く、色々な面で足りないということを知っています。

しかし、私は神様の息子が放たれる輝きを反射し照らす月として存在できるよう切に望みます。

それで私は聖歌13番(誓い)の内容のように

私は、遠くて遠いあの茨の道、血に染まった険しいその道、その道を誓って行きます。

ほんとうに、ありがとうございます。

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