2022年9月7日テネシー清平水曜礼拝
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文亨進二代王
20220907 성전교회 수요예배
1:21 翻訳minion
勝利者イスラエルとお父様の相続権威権限
創世記48章です。
48:8ところで、イスラエルはヨセフの子らを見て言った、「これはだれですか」。 48:9ヨセフは父に言った、「神がここでわたしにくださった子どもです」。父は言った、「彼らをわたしの所に連れてきて、わたしに祝福させてください」。 48:10イスラエルの目は老齢のゆえに、かすんで見えなかったが、ヨセフが彼らを父の所に近寄らせたので、父は彼らに口づけし、彼らを抱いた。 48:11そしてイスラエルはヨセフに言った、「あなたの顔が見られようとは思わなかったのに、神はあなたの子らをもわたしに見させてくださった」。 48:12そこでヨセフは彼らをヤコブのひざの間から取り出し、地に伏して拝した。 48:13ヨセフはエフライムを右の手に取ってイスラエルの左の手に向かわせ、マナセを左の手に取ってイスラエルの右の手に向かわせ、ふたりを近寄らせた。 48:14すると、イスラエルは右の手を伸べて弟エフライムの頭に置き、左の手をマナセの頭に置いた。マナセは長子であるが、ことさらそのように手を置いたのである。
さあ、私たちは日曜日にこの内容を見ましたね。
今、ヤコブはイスラエル、名前が変わりました。天使と相撲を取った後に。ヤコブはイスラエルで、ヨセフはお父さんで、ヤコブはおじいさんで、ヨセフはお父さん、次に、エフライム、マナセとエフライムも出てくるね。
ところでここに置いて、エフライムは弟、マナセはお兄さん。だからイスラエルの伝統において、お父さんがお兄さんに、長子に、祝福をくださいました。右手で。だからヨセフは右手の 前でお兄さん、マナセを立てたではないか。ではエフライム、弟は、お父さんの左手の前に立てたではないか。そうですね?
しかし、ヨセフがどうしたかといえば、このように反対にしました。反対に。これはイスラエルの伝統において、これはあり得ない内容です。
しかし再びカインとアベルが、アベルも弟だが、神様はアベルの供え物を取られましたね。カインはお兄さんであるにも関わらず、カインの供え物は取られなかったではないですか。
だから、この長子権を復帰するために、今、お兄さんが弟になります。お兄さんが弟になります。 だから弟が長子になります。
しかしカインとアベルの内容だけではなく、ここにも出てきますね。ヤコブとヨセフ、ヤコブはおじいさん、ヨセフ、お父さんとマナセ、エフライムに出てきます。
ところでヨセフ、お父さんが、見てみなさい、継続して読んで、お父さんがどのようにしたか見てみよう。
15節です。
48:15そしてヨセフを祝福して言った、
「わが先祖アブラハムとイサクの仕えた神、
生れてからきょうまでわたしを養われた神、
48:16すべての災からわたしをあがなわれたみ使よ、
この子供たちを祝福してください。
またわが名と先祖アブラハムとイサクの名とが、
彼らによって唱えられますように、
また彼らが地の上にふえひろがりますように」。
48:17ヨセフは父が右の手をエフライムの頭に置いているのを見て不満に思い、父の手を取ってエフライムの頭からマナセの頭へ移そうとした。
ああ、お父さんの手を掴んだということです。 お父さんの手を掴んで動かします、お父さんがもう年を取ったので、今や痴呆になったと。ハハハ。
郭グループが同じことをいつも言っています。お父様は2008年まで頭がしっかりしていて、弟を立てたので、その瞬間から痴呆と言う。アイゴ、本当に 狂ったこと、狂った行動。
だから郭グループも、そのような馬鹿な、愚か者たちが「お父様の御言を聞かなければならない。」「お父様の御言を聞かなければならない。」「 顕進様を後継者として立てた。あるいは、副会長として建てた。お父様の決定を認定しなければならない。」
このように言いながら、それでも2008年にお父様が2代王を宣布された時、その瞬間から、お父様の言うことを聞かなくていいそうです。ハハハ。その前はお父様の言うことを聞かなければならず、その後はお父様の話を聞かなくても良いそうです。詐欺師だろ。完全に詐欺師だろ。話になりません。
とにかくヨセフお父さんがおじいさんを、ヤコブ、イスラエル、おじいさんの手を動かすのです。自分の思う通りに。
だからイスラエル支派にヨセフの名前はありません。ヨセフの名前はなく、その二人の息子、 エフライムとマナセ、その息子たちは入っています。 しかしヨセフの名前は消えてしまいます。 見えません。
だからイスラエルの十二支派を考えれば、ヨセフは入らなければならないではないか。 ヤコブの息子ではないですか。 ヤコブのひとりの息子ではないですか。 しかし入っていません。
いや~、だからお父さんだけそのような権威圏があるということです。お父さんは、自分の後継者の経験があるでは ないですか。 だから、どこですか?17節ですか?18節を一度見てみましょう。
48:18そしてヨセフは父に言った、「父よ、そうではありません。こちらが長子です。その頭に右の手を置いてください」。 48:19父は拒んで言った、「わかっている。子よ、わたしにはわかっている。彼もまた一つの民となり、また大いなる者となるであろう。しかし弟は彼よりも大いなる者となり、その子孫は多くの国民となるであろう」。 48:20こうして彼はこの日、彼らを祝福して言った、
「あなたを指して、イスラエルは、
人を祝福して言うであろう、
『神があなたをエフライムのごとく、
またマナセのごとくにせられるように』」。
このように、彼はエフライムをマナセの先に立てた。 48:21イスラエルはまたヨセフに言った、「わたしはやがて死にます。しかし、神はあなたがたと共におられて、あなたがたを先祖の国に導き返されるであろう。 48:22なおわたしは一つの分を兄弟よりも多くあなたに与える。これはわたしがつるぎと弓とを持ってアモリびとの手から取ったものである」。
許さなかった(拒んで言った)私も知っている。私も知っている。(わかっている。子よ、わたしにはわかっている。)2回も言っている。
ストップ。わあ。19節に出てきますね、これが。私も知っている。私たちの息子たちよ、私も知っている。そうですね?私も知っている。私も知っている。2回出てくる。
48:19父は拒んで言った、「わかっている。子よ、わたしにはわかっている。彼もまた一つの民となり、また大いなる者となるであろう。しかし弟は彼よりも大いなる者となり、その子孫は多くの国民となるであろう」。
だから息子がお父さんの手を動かしながら、お父さんの任命権が、これは手だけではない、お父さんの任命権。あ~、お父さんの権威。
しかしそれ(ヨセフが父に言ったこと)をしたので、ヨセフの名前は出てこない。出てこない。12支派にはない。その代わりに、ヤコブは二人の息子に、これは孫達ですね。この孫達に祝福をくださったではないか。 この二人の息子がお父さんであるヨセフの代わりに入りました。 イスラエルの12支派に。
いや〜、だからイスラエルの12支派を見たら、10人は息子であり、二人は孫です。ハハハ。 それは不思議ですね。 いや〜、どれほど驚くべきことですか。これは。
一度韓国語で探してみましょう。12支派。
49章にありますね。すぐ次に。 ルベン、シメオン、リバイ、ユダ、ゼブルン、イッサカル、ダン、ガド、ナフタリ、ヨセフ、ベニヤミン・・・これは12支派ではない、12支派のリストではなく、これは祝福された者達だね。だからここで、ヨセフが入っている、祝福された者達の中に。
ところが、一般の12支派のリストを探してみなさい。 イスラエルの12支派のリストを。
テックチーム、12支派のリスト。探したか?OK.
OK、
ルベン、シメオン、ユダ、イッサカル、ゼブルン、ダン、ナフタリ、ガド、アシュル、ベニヤミン。しかしどうなった?ヨセフは入ってないではないか。エフライム、マナセ、孫達だ。孫達。お父さんがいない、お父さんが。ハハハ。お父さんがいないということなのだ。それは不思議ですね。
今、49章を見たら、祝福と呪いが出てきます。祝福と呪いが。全ての支派の息子たち、ここにヨセフも出てきます。 その公式的なリストにはヨセフは出てきません。おじいさんが、孫達を祝福してくださった、孫達に。ヨセフはどうなりましたか?お父さんの手を掴んだのです。あ~、 自分がお父さんよりも分かっていると。これは郭グループと同じではないですか。韓氏オモニと同じではないですか、これは。
しかし今、韓氏オモニや郭グループと話をする時、私たちは何も言いませんでした。「どうか、どうか、この道を行かないでくださいと、どうか、どうか、この道を行かないでください」と。次に、私たちが追い出された後も静かにペンシルベニアに出て行って、お父様の牧会を常にしました。
しかし、今、組織的に、そいつらは徐々に攻撃して、無くそうとして告訴した。
今、食口達が続けて地獄に行くから、そのサタン主義を助けるから、自分達も知らないで、堕落しているから、それだから、私達はどうすることもできずに韓氏オモニを暴露しなければならない。 その息子として戦わなければならない。
なぜ?お父さんの手を掴んで、自分たちがこれを主管すると、いや~。お父さんの手を掴んで
しかし何ヶ月間の間 、韓氏オモニにしがみついて泣いて、「どうか、どうか、この道を行かないでください。どうか、どうか。」考えてみてください。お父様が後継者、代身者、相続者を立てられた時、私も立てられた後で、全ての組織の会長にされたのです。家庭連合の会長、 UPFの世界会長、 カープの世界会長、青年連合の会長、南北統一運動の会長、とにかく私たちの歴史において、これだけ多くの位置に世界会長を立てたことはないではないか。そうでしょ?
お父様の後継者を立てられながら、その全ての組織に私を立てられたのです。皆さんも見ましたね、それを。全て見たでしょ?
私がどうして、私自身をそのような位置に立てるのですか?お父様の命令に従ってこそ、その組織、世界の全ての組織の世界会長になれるのです。どうして私が、「お前降りてこい。私がその位置に入る。」ハハハ、あり得ない内容です。
お父様が、その権威圏にいらっしゃるので、お父様だけが決定することができます。 誰が本人の後継者になるのか、妻がそれを選択することはできず、息子達が選ぶことができず、女性達も選ぶことができず、男性達も選択することができない。できません。
これは宗教の伝統ではないですか。おじいさんは、年をとっても、ヤコブだからイスラエルの祝福を受けたではないですか。イスラエルの国として祝福を受けたではないですか。 ヤコブの名前がイスラエルになったではないですか。
その種から、全てのイスラエル民族に神様が選ばれた民族が出てくるから、その種から。そうですね?
だからそのお父さんが、この場面ではおじいさんですね?そのおじいさんが与えたい祝福が、それはヨセフの権威ではなく、これはヤコブ、イスラエルの権威です。
ですからお父様は実際、私を選択されて信俊も選択されました。私は選べなかったではないですか。そうですね?私が、私の息子の中で選んだのではありません。 お父様の命令に従って 、信俊を選択されたので、信俊は謙遜な弟、慈悲深いお兄さんとして訓練されて、さらに信俊をお父様の聖霊の役事で、様々な次元で、今は完全にキリスト教弁証論の完全に専門家になってしまった。
三代王信俊の神学探究心
(信俊は)自分のお金を儲けて、自分(信俊)は、ダンキンドーナツで6ヶ月間働きました。アッパがさせて、訓練、この子達は外で、外の社長等を理解しなければならない。ある子供は1年2年させて、この子は6か月か、まだ幼いから、16歳だった時に、幼い時に、16歳だった時に6ヶ月間、自分は学校もあるから6ヶ月間だけ。夏休みと。
ダンキンドーナツで働きながら16歳の子供が、自分で働いたお金を、それを使って、この大学の博士次元のキリスト教弁証論の専門家たちが、 YouTube に出てくるキリスト教弁証論の王たちだ。ウィリアム・クラーク(william clark)、このような人たちとセミナー、自分が稼いだダンキンドーナツのお金で買って、そのインターネットに入って勉強して。これは全てお父様の聖霊の役事だろ。
アッパがキリスト教弁証論の基本的内容を教えました。 しかしその心を、誰かがその心をくださったのです。 キリスト教弁証論を分かりながら、どのようにして無神論者たちと戦うのか学んで、またキリスト教のすべての内容、立場を理解して、その立場で原理の価値、今はそのような部分で、そのような講義案、授業を作っています。
それをどのようにして、アッパ、オンマは後ろで、さまざまな訓練を通しながら、謙遜な弟、慈悲深いお兄さん、さらに働きながら、 一生懸命働く性格、恐れるな、そのような内容はアッパ(お父さん二代王)が植えることができます。武道訓練、そのようなことはアッパが植えることができます。
しかしその心、お父様を証したい、キリスト教弁証論まで深く、深く、狂ったように掘って行って、おそらく、私たちの若者の中でこの子がキリスト教弁証論を最も高いレベルです。 子供達の中で。 ものすごく勉強をしたから。このくらい(厚い)本を。
しかし、どうしてそのような心を、その心は与えることができません。それは全てお父様の聖霊の役事です。 だから、そのような心をくださったのです。そのような心をくださったから、キリスト教を掘って掘って掘って入って入って、 キリスト教の全ての立場を学び、キリスト教の専門家になってしまいました。
だからキリスト教の専門家まで、今やキリスト教の全ての立場まで学び、無神論者達とどのように戦うのかを学び、そして今は原理の立場がどのようなものであるのか、その価値を感じるようになりました。 なぜなら、聖書とキリスト教の立場を深く分かるから。
キリスト教の立場と、神学を深く理解できない人は原理の価値がわかりません。 むしろキリスト教の神学とキリスト教の聖書が深く分かる人、遥かに深く分かる人は原理の価値を見るようになります。 キリスト教の学者たちが、どのように言うかといえば、統一教会は簡単になくなることはないだろう。(それは)40年、50年前でした。 統一教会は簡単になくならない。なぜなら統一教会は、ただ文鮮明総裁のカリスマを中心とした宗教ではなく、これにはシステム神学がある。 システム神学、組織神学。
組織神学があるので、原理とお父様の御言は組織神学です。その学者たちがそれゆえに統一教会は、ただ文鮮明総裁のカリスマゆえに、・・・そのような宗教はたくさんありますが、カリスマだけではなく組織的神学があるからと。
しかし今は聖書とキリスト教に対して分からなければその価値が分かりません。 なぜなら原理はキリスト教徒たちが、キリスト教の信者たち の種類は多いですね。キリスト教の信者たちの中で、聖書を読まない人たちがほとんどです。
さらに専門的に勉強をした人たちは教会に通っても、毎週礼拝に来ても、勉強した人たちは大変小さなプロです。約5%以下に入るでしょう。 しかしその神学を理解する、深く理解する人は原理の深さを感じるようになります。 このような内容が実際原理に全て出てきます。長子権復帰。
しかし今、聖書を知らなければ、「ああ、そうみたいだね。そうみたいだね。」このようになってしまいます。 このようなレベルであって、その聖書の歴史と聖書の内容とキリスト教の神学を分かりながら、キリスト教神学の問題を色々と分かりながら、キリスト教徒達が悩まなければならない部分、お互いに戦う部分を理解したら、原理がこのような答えを、パンパンパンと与え、悟りを得ます。
だからカインとアベルも、アベルの責任は謙遜にお兄さんの心を理解して、このようにしようとする。 カインの責任は弟の選択を受けたから、弟を支持すること。 自分の目的と意思と自分の欲望と、自分が望むことではなく、お父様が望む内容を支持すること。
だから自分も超越しなければなりません。
しかし本来歴史を見たらカインは全く同じに行動します。 なぜならお兄さんだから。 お兄さんだから 、「お前に何がわかる」、このようになってしまいます。 常に。 弟を選択して「お前に何がわかる。」 私はお前のうんちのおしめまで洗ったのに。 それが事実ではなくても、お兄さんたちは自分は弟より知っていると思う。
しかし神様はただ知識のために選ばれたのではありません。 弟が知識が多いので、弟がハーバード大学を出たので、それゆえではありません。 神様が弟を善の歴史に対して、選択されなければならない内容が・・・。
もちろんお父様の立場において、お父様の清い血統、絶対性を守って、お父様の前に従順で、お父様を信じて。
だから、信仰の信じる基盤だけでなく、実体基盤。だから、原理の立場においてどうして重要かといえば、信じるだけでは駄目です。 信じるだけではダメで、実践しなければなりません。 これを。
実体基台神学
それは何だった?あの牧師が何と言っていた?オンマが訪ねた牧師。あーそうだった。王妃が5タラント、2タラント5タラント1タラント、そのような例え話が出てくるではないですか。 イエス様から。 だから1タラント2タラント5タラント、主が自分の僕達に対して1タラント2タラント5タラントをどのようにするか見ながら、1タラントをもらった人はただ埋めたではないですか。その価値が無くならないように埋めました。2タラントはそれを繁殖させて、5タラントは更に繁殖させて。
だからキリスト教の牧師たちは、これをどのように解釈するのか、王妃がキリスト教の牧師を見て、このキリスト教の牧師はこのように解釈するそうです。
だからそれが何かといえば、1タラントは10億です。2タラントは20億、5タラントは50億。
だからこのキリスト教の牧師が、神学の世界にいるキリスト教の人がどのように説明するのか。これはただ2タラント5タラントに、このお金を増やした人を褒めたことは、この人たちの実績のためではなく、この人達の態度と心の為だとこのように説明しました。
そうしながら1タラントをもらった人、僕はただ土に埋めたから、主人の心を理解できなかったからそのように怒られた。
しかしこれは問題ですね。 これはただ信仰の基盤を理解する人の中で。信仰の基盤があって実践しなければならない責任があるではないですか。それは、はるかに男性的な、お父さんの立場で見る目です。言葉だけではダメで実践しなければならない。それは天のお父様、父の立場です。 信仰だけを見ることは、はるかに女性的立場です。ただ態度だけ直せばできるから。 はるかに女性的です。弱いです。
しかし、この牧師がもし、・・・王妃が尋ねました。 この牧師の解釈に対して、どのように考えるか聞いてみたところ、弱い解釈、大変女性的な解釈。信仰と態度だけではだめです。信じることと態度だけして、怠け者のように家でビデオゲームだけして 何をするというのですか。 神様の手足にならなければならないではないですか。
ヤコブ書に出てくるではないですか。 実践のない信仰は死んだ信仰だ。その意味は実践で私たちは救いを受けるのではないが、しかしその実践によって神様の手足になりながら神様に喜びを返すことが出来ます。それが重要なのです。
ただ神様を信じることだけでなく、信じながら神様の良いエキスを受けるのではなく、良い恵沢を受けるのではなく、良い救いを受けるのではなく、信じながら、ただ恵沢を受けるのではなく、今や手足になり苦労の道、十字架の道を行かなければなりません。それははるかに難しいのです。
一般のキリスト教の信徒達も、これを理解することができません。信じれば全て救われる、信じれば救われる、このような部分。
だから祈福信仰(ご利益信仰)、福だけを受けたい信仰、 富だけを受けたい信仰。神様は品物になってしまったのです。商品化されたのです。
神様は私に従えば 十字架を持って、嘲笑を受けて憎しみを受けて 恨みを受けて、死ぬような目にあいながらついてきなさい、このように言われたではないですか。 それは手足にならなければならない。信じるだけでなく本当に信じるなら難しい道に行くようになるということです。
だから原理の立場において、その牧師を見たとき、その牧師はよい内容を教えながら、しかしキリスト教の立場は、今はキリスト教の教会があまりにもベータになってしまいました。
左派のやつらと戦わないで、同性愛の人たちと戦わないで、堕胎と戦うこと、・・・それは様々な小さな教会がそのようにして、大きな教会は全て恐れます。 そのようなことにも戦いません。
政治的内容は何も語りません。 「なぜなら神様は政治について何も言わなかった」、このような愚かな言い訳を言います。
イエス様は誰を罵ったか。パリサイ人。 パリサイ人は誰でしたか?イスラエルの宗教人たちでしたが、同時にイスラエルのローマのためにイスラエルを主管する政治家たちでした。 宗教人ですが同時に政治家です。 イエス様を最もひどく攻撃した人は誰ですか?こいつらたち。
(イエス様は)政治家たちをひどく、お前の父親はサタン、その息子だ。そのような悪口を、お前は毒蛇だ。そのような悪口は全て政治家たちに対してです。
33:24
ー つづく ー
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