文亨進二代王
文亨進天一国二代王帰還勝利報告大会(昌原)御言2022 0515
문형진 천일국 2대왕 귀환 승리보고대회창원말씀
聖霊役事はお父様がなされる
3:42:31 翻訳grazia
お父様はご自身を愛してる人をご存知です。ご自身を追求される者をご存知です、神様は。人を、人間を欺すことはできても神様をだますことはできません。そうでしょう?
そのようなことからお父様はとてつもない平和を下さいました。その日(ボンネッコルに行かれた日)の晩に。
ああ、拍手しないでくださいよ。ずうっと拍手ばかりしようとしているじゃないですか。今あの時の状況を説明しているのに、ずうっと拍手をしようとしているではないですか。少し我慢して下さるといいですね。
今、あのストーリーを話しているのに。
あの真っ暗な夜にやっとその日に現れて真実を語り、お父さん(真のお父様)と一つになったことを説明され、その次は「手になれ」と、手。
「お父さん(真のお父様)が皆、誰が誰だか知っているから。お前(二代王様)はお父さん(真のお父様)の手になりさえすればいい。」
ずっとこのように仰られて、それがどれほど大きな、どれほど大きな慰労、重さと緊張の全ての霊がさぁ~っと聖霊の役事によって消えました。
ですから、このような集会に来さえすれば今では、私たちはストレスではなく喜びと期待が。ああ、お父様は何をなさろうとされているのか、どのような役事をなさろうとされているのか誰も予想することはできないですか。
お父様がどんな役事をなさるのか、むしろ気になって、むしろ面白くて、むしろ会いたくて、二代王様と三代王権がその聖霊の何かショーをつくるのではなく、お父様が全てご存じで、お父様が全て進行され「お前たちはただ手足にだけなれ。」、いやぁ、その御言がどれほど驚くべき内容か。アボジ、カムサハムニダ! アボジ、カムサハムニダ!
天を見上げ、膝をついて、どれほどの感謝をお捧げしたらよいのか分かりません。 本当に! こうしてお父様を愛する食口達がたくさん来たのに、何かTシャツまで2022年王の帰還、王の帰還Tシャツまで着て、ドラマや映画の題名みたいに。
それは事実ですが、それでも人間的に見ればもっと大きなストレスを受けます。ハハハ。
ああ、そのようなことが重要なことではなく、このように多くの数の、100名数千名、お父様を実際的に愛する人たちが集まる時に聖霊が、聖霊様がどれほど喜ばれるか。お父様の聖霊がどれほど喜ばれるでしょうか。お父様の聖霊がどれほど踊り歌われるでしょうか。
イエス様の弟子たちは皆背信したではないですか。12名もいなかったではないですか。え? イエス様の弟子たち12名もいなかったのに、お父様の弟子たちは、祝福を受けた人たちは数百万人ですが、それでも12名よりは、はるかに多くお父様の権威圏に戻りお父様を讃美し、天のお父様、再臨のイエスキリストに侍っているではないですか。ア~ジュ~!(拍手)
12名、失敗した12名の弟子がイエス様の聖霊の役事で世界をひっくり返したではないですか。勿論何百年もかかりましたが、全世界を覆したではないですか。そのイエスキリストから新しい時期に、新しい時代に、完全に時間が創造しましたね。時間が再び創造されたではないですか。
今は、2022ではないですか。それはイエス様が生まれた時から始まったから、そうするではないですか。イエス様を背信し悔い改めた11名が世界を覆したのです。そのような立場から見た時、この全世界の聖殿食口達を見てみると数千名がお父様を守り、数千名がお父様を捨てませんでした。
勿論あの暗闇の時代に、自分が知らなかった時に、韓氏オモニが立てた堕落した内容と堕落した天一国歌を歌ったけれど、“沈黙を破って”の後すぐに帰ってきたではないですか。それはお金で計算できるものではありません。何故なら、韓グループと郭グループは盗んでいったお金だけはあるけれど、お父様の権威圏にいる聖殿は、人は完全ではないので時々お互い喧嘩をしたり争ったりしますが、それでも愛があります。根本的な愛。キリストを中心とした愛。お父様に対する愛。その愛をお金で計算することができません。
3:51:41 ~翻訳minion
実は、そいつらが数千兆を盗んでいって、自分達がお金持ちになったと考えていますが、実際は私たちが最も富んでいます。お父様の愛と、お父様の生きている 生命の価値を、私たちはそれをもって生きているからです。
左派の言論達は常に、文総裁の後継者は、数千兆を持っていると、ずっと宣伝、継続して雑誌にそのように宣伝します。しかし、お父様の後継者、相続者、代身者は、数千兆よりも遥かにたくさんあります。(アジュ、拍手)数千兆よりも。
お父様の聖霊があるから、寂しくありません。
全世界の悪口と嘲笑いと唾を吐かれて死ねという言葉を聞いても、私はもっとも富んだものです。
お父様の愛、生きているキリストが私の父、その愛を毎日毎日、その生命の水を毎日毎日飲むことが出来るから、その愛の源泉から毎日毎日、薬水を飲むことができるから。私が最も富んだ者です。
キリストを知っている人達は、喉の渇いた人たちではありません。 永生の生命の水を飲む人達です。 そのような永生の水を飲んで、...実体的な水も飲まなければなりません、実際。
水と生命の水の内容が出てきたから、 食口たちが突然水を飲みだしたね。だから、清平の薬水、
(2分ほど音声が切れる)
・・・会うことが出来る、そのような貴重な心情。
ですから祈祷を受ける前に、悔い改めをしなければなりません、悔い改め。
悔い改めはどんな意味ですか? メタノイア、メタノイア、メタノイアは、私は中心ではありませんという意味です。私は中心ではない。私はキリストを、ただひたすらキリスト私の中心に立てるという決心。
私はお父様を再び、私の人生の完全な中心に立てる。 これが悔い改めという意味です。 私が見つめている罪を見ますが、私が追求しているものを見る、これがメタノイアという意味です。
ですから、お父様の聖霊の役事、悔い改めの役事も、ある方は火の聖霊を受けて、完全に、ある方は地面でバタバタしながら、火が出るから、全身をパンパンと叩いて、皆さんそれをご覧になったでしょう?
ある人は異言を言い始めて、ある方達は、悪魔がついている人が、サーッと出て行くのを、首の後ろから、ばーっと出て行くのを、見たと。蛇、蛇が自分の首に巻きついている感覚がサーッと出て行く、そのようなことがおきました。
誰にも分かることはできませんね。「ああ、その勧士はバタバタと跳ねている。その勧士は・・・」こう言いますが、そのようなことは関係ない。皆さんは、その勧士の事情はわかりません。秘密を知りません。その人が今、何を受けているのか、知らないではないですか。世界で見えない世界、見えない胸の中を分からないではないですか。
しかし、神様はご存知です。 お父様はご存知です。そのような内なる事情と、その中にある秘密を全てご存知です。
ですから、そのような役事が起こったとき、私達は「ああ、その人が治癒されてはいけない、その人は私のことをあんなに嫌っていたのに。」とその人が呪いを受けるのを願う。むしろ嫌いな人が役事を受けたら、「お父様、感謝します。」 私はその人のことが嫌いでも、「お父様、感謝します。」とするのです。 なぜなら、誰もその人のことを分からないではないですか。
(5分ほど音声切れる)
人は知ることが出来ないのです。お父様だけがご存知です。
「ああ、どうしてあの人、麗水で受けたのにまた来るなんて駄目でしょ。」そう言う人もいます。しかし関係ありません。どうして人が祈祷を受けに来るのか、お父様を願うからです。自分の力では打ち勝つことの出来ない内容。自分がどんなに努力しても、そういう内容が多いのです、人には。
祈祷を受けようとすることに、お互いに支持する心で。平素、その人のことが嫌いでも、
私が嫌いな人も聖霊の役事を受けて、役事が起こっていたら「お父様、感謝します。役事してください。」その人のために祈祷して、そうしなければなりませんね。そうですか?違いますか?そうですね。
私たちは一人一人、皆、完璧な人ではありません。 皆、罪人ではないですか。お父様の前で。 どんなにその人を責めても、その人を問い詰めても、皆、 神様の前では罪人ではないですか。 ですから信仰で、私を嫌う人 、私はその人を見ただけで熱が出る、そのような人がいても関係ないでしょ。それは関係ありません。
信仰によって来て、信仰でお父様を求めて、信仰で来たのなら、その条件を立てたのなら、さらにお父様の役事が起こったのなら、悔い改めの役事が起こったのなら、「お父様、感謝します。賛美します」と賛美しなければなりませんね。 そうですか?そうではありませんか?
そのようなお父様の勝利と、役事に出てくる内容が、私たちはその治癒を見て、「お父様、感謝します。賛美します。」 そのようにする時、お父様は喜ばれますか?嫌がられますか?
その人が嫌いな人でも、その人のために祈祷をして、その人は本当に嫌いな人だけど、だけどお父様の役事を受けているから、 「お父様、感謝します。」それをお父様は、喜ばれるでしょ、そうですね。
なぜなら、ある瞬間、 ある人がその人のことを嫌いでも、その人が私をあんなにした、そのようなことがあっても、その人がお父様の権威圏に戻ってきて、悪口を言われて罵られて唾を吐かれて友達を失って来た勇気のある、それだけでも勇気のある人ですね。そうですね。
ですから、天一国の文化文明圏は、人々は完璧ではありませんが、私たちは平和軍警察としてお互いに応援して、お互いに支持して、夫婦が良くなることを望み、お互いに親子関係が良くなることを望み、平和軍警察として天の国を守ることを望む。このような文化です。
同じグループ、同じ組織でなくても関係なく、天一国の民として、お互いがお父様の息子娘として、それがどれほど重要ですか。
ですから、お父様が今日はどのように動かれるのか気になりますね。
麗水で祈祷をたくさんしたから、昌原で祈祷をしないようにしましょうか?
昌原でも、お父様の役事を、火を受けたい人もいて、お父様の愛と御手を経験したい人もいて、愛さえあればそれは重要な条件です。
そのような祈祷を受けたければ、両手を上げて立ってください。ハレルヤ、お父様、感謝します。
今日は、お父様を賛美する心で、お父様の前で悔い改める心で、天にいらっしゃる私のお父様に再び触れて下さいと悔い改める心で。皆さんは、お父様がくださった王冠があれば、それを持って天に向かって掲げてください。掲げて。
次に、賛美から始めて、聖歌隊、若者が賛美しますから、賛美しながらそれを聞いて黙祷する心で、悔い改める心で、お父様に向かって祈祷しましょう。
さぁ、アボジカムサハムニダ
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