Monday, February 21, 2022

God's Epic Quest <全文>神の壮大なる探求 地上における神の王国◆HJショーン・ムーン牧師の厳選されたみ言

 Give me some truth ! kijoksoriのブログさんから全文一挙掲載許可頂きました。

翻訳:kijoksori:出版販売された(著作権のある)本の翻訳であるため扱い注意

God's Epic Quest

神の壮大なる探求

地上における神の王国 

(HJショーン・ムーン牧師の厳選されたみ言)

<全文一挙掲載>

 

 

神様があなたを救ったとき、強制的に救ったのですか?そうではなく、あなたとの関係を作ってくださったのです。もしかしたら、夢の中で神様の言葉があなたの心に入ったのかもしれません。神様はあきらめませんでした。やがて、ある時点で、あなたが神の愛を体験したのは、神があなたの心に個人的に触れたからですが、あなたが逃げようとしても、神は決してあきらめませんでした。あなたは神の言葉を読み、神の真実があなたの心に入ることができたのです。

 

HJショーン・ムーン牧師

  


謝辞

 

ショーン牧師の説教を書き起こしてくれたBeatrice Clybum氏、資料をまとめてくれたCarol Pociecha-Palm Lewis Peartman氏、David Kanagy氏、KamLisbeth Rozier氏、Karen Drum氏、校正をしてくれたRosemary Byre Yokoi氏、レイアウトと表紙のデザインをしてくれたPierAngelo Beltrami氏、編集協力をしてくれたGregg Noll氏とKerry Williams氏に深く感謝しています。

 

 

はじめに


独立戦争の苦難の時期に、当時のほとんどが自己満足に終始していた人々に真実を語りかけたのは、黒装束の説教師たちでした。自由の大義を支持する人々は少数派でした。他の人々は、眠っていたり、快適に過ごしていたり、現代の多くの人々のように、仲間からの圧力を恐れていたりしました。人々を勇気づけ、正義感を呼び覚ましたのは説教師たちだったのです。そして、イギリス兵が人々を全員の武装を解除し、永久的な専制政治を敷くためにやってきたとき、彼らは、説教師たちと一緒に戦いに参加したのです。


神は人類に対するビジョンをエデンの園で宣言しました。「神は彼らを祝福して言われた。海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ。」(創世記1:28)歴史とは、この三大祝福という神のみ旨を回復するために、神が時を超えて働く過程なのです。何と壮大なる探求でしょう。そして、神はそれぞれの時代に、神の探求に一緒に参加するように呼びかけています。今こそ、私たちがこの英雄的な探求に挑む番なのです。


ここに掲載されているショーン・ムーン牧師の言葉は、この戦いの先頭に立って、政府や官僚の専制政治に反対する声を上げています。彼は、政治的サタニズム、拡大し続ける社会主義、そして私たち自身や子供たちへの洗脳に反対する活動を先導しています。彼の父親は、1948年に福音を宣べ伝えたため、北朝鮮の共産党収容所に投獄されました。北朝鮮に残っていた彼の一族は、その後、全員亡くなりました。彼の父親は、ワシントン・タイムズをはじめとする世界各地の自由主義新聞を創刊しました。文鮮明先生の末子であるショーン・ムーン牧師は、父から後継者として選ばれました。これが、彼が人生をかけて取り組んでいるミッションなのです。


ショーン牧師のみ言の後には、メッセージが語られた日付が記されています。講演はさまざまな場面で行われ、彼は即興で聴衆に語りかけていました。ここでのみ言は3つの章に分かれており、それぞれがあの創世記1:28の祝福の一部を表しています。第一は、生ける永遠の神と一つになり、宗教を通してではなく、生きた関係として、神の成熟した子供、キリストの共同相続人としての地位を主張できるような関係を持ちたいという父の切望を体験するためのその探求です


第2章では、生ける神を中心とした家族について書かれています。ショーン・ムーン牧師は、家族を「SWATチーム」に見立て、親と子が一緒に行動し、訓練することを説いています。配偶者を敬い、家族の一人一人を敬い、一人一人の子供に時間を割き、伝道することを勧めています。このような投資的な家族生活は、成長と創造のためのスペースを生み出します。


第3章では、神から与えられた地球上の所有権を行使することについて語っています。これは、私たちが投資して価値あるものを作り、子供たちに引き継ぐ権利があるということです。また、王様や女王様として、自分の命や家族、そして汗を流して作ったものを守る権利があるということです。


アメリカ独立軍は、自分たちが新しい歴史の先頭に立っていることを認識していたのでしょうか。それは、当時から「全世界が見渡せる丘の上の都市」を建設することだったのです。自由への熱い思いは、神によって彼らの心に植え付けられ、トーマス・ジェファーソンが独立宣言を書く何十年も前に、神から与えられた権利について語っていた黒装束の説教師たちによってかき立てられたのです。


しかし、私たちのすべての自由が攻撃されています。ムーン牧師は警鐘を鳴らしている。私たちには、その呼びかけに応えるための貴重な時間があります。


牧師と愛国者の皆さん、目を覚まして、あなたの民の真の羊飼いとなってください。私たちを通して戦われるのは神だから、警鐘を鳴らすために必要な今の時代の黒装束の説教者になってください。このような時代に生きているということは、神の本然の世界である三大祝福をもたらすための壮大な探求の一部となる機会を持っているということなのです。


リチャード・A・パンザー博士 米国統一サンクチュアリ会長


※翻訳が正確でない部分もあるかも知れません。

翻訳:kijoksori:出版販売された(著作権のある)本の翻訳であるため扱い注意


第1章 キリストと共同の相続人

 

木に実がなると「実り」をもたらすように、私たちの人格も、生ける神との真の関係を築き、神の原理に忠実であり、自分の良心にも忠実であるという最初の祝福を果たすまでに成長すると、実りあるものとなります。成長には時間がかかります。木は小さな種から始まります。木は小さな種から始まり、まず苗木になり、次に若木になり、そして森のすべての生き物に日陰と保護を与える塔のような構造を持つまでに成長します。このようなことは、人間以外の、物理的な世界では意識せずに起こりますが、神は人間に、自分自身のアイデンティティと運命を神と共同で創造するという唯一の役割を与えました。

 

もし子であれば、相続人でもある。神の相続人であって、キリストと栄光を共にするために苦難をも共にしている以上、キリストと共同の相続人なのである。

(ローマ人への手紙8:16-17)

 


 

1.1 宗教ではなく、神との関係

 

神に感謝すると、驚くべきことに、その後は純粋な心で神に感謝することができるようになります。「うーん、わかった、ちょっと言ってみようかな」というようなひそかな反発ではなく、「神に感謝、主に感謝!」というような本当の意味で、です。すると、私はとても解放された気分になりました。私はより良い夫になり、より良い父親になりました。(2021.06.20)

 

(詩篇9:1-2)

わたしは心をつくして主に感謝し、あなたのくすしきみわざをことごとく宣べ伝えます。いと高き者よ、あなたによってわたしは喜びかつ楽しみ、あなたの名をほめ歌います。

 

(テサロニケ人への第一の手紙5:18)

すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。

 

神様があなたを救ったとき、強制的に救ったのですか?そうではなく、あなたとの関係を作ってくださったのです。もしかしたら、夢の中で神様の言葉があなたの心に入ったのかもしれません。神様はあきらめませんでした。最終的には、神様があなたの心に直接触れて、あなたは神様の愛を体験したのです。あなたが逃げようとしても、神様はあきらめませんでした。あなたは神の言葉を読み、神の真実があなたの心に入ることができたのです。

(2020.10.14)

 

(テサロニケ人への第一の手紙2:13)

これらのことを考えて、わたしたちがまた絶えず神に感謝しているのは、あなたがたがわたしたちの説いた神の言を聞いた時に、それを人間の言葉としてではなく、神の言として――事実そのとおりであるが――受けいれてくれたことである。そして、この神の言は、信じるあなたがたのうちに働いているのである。

 

(イザヤ書30:18)

それゆえ、主は待っていて、

あなたがたに恵を施される。

それゆえ、主は立ちあがって、

あなたがたをあわれまれる。

主は公平の神でいらせられる。

すべて主を待ち望む者はさいわいである。

 

法の原理は、神格とその神性から現れます。神は善であり、だからこそ私たちに悪ではなく善であるように呼びかけておられます。神は忠実であり、貞節であり、忠誠心を持っておられます。だからこそ、結婚の際には、貞節で聖なる者となり、女王や王に忠誠を尽くすようにと呼びかけておられるのです。神は嘘つきではないので、"嘘をつくな!"と言われます。それ(嘘をつくということ)は神性ではなく、神格でもありません。これらの法は、神性と神格が拡大されたものなのです。(2021.05.23)

 

(ローマ人への手紙 12:2)

あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。

 

(サムエル記上2:2)

主のように聖なるものはない、

あなたのほかには、だれもない、

われわれの神のような岩はない。

 

キリストが私たちの中にいるときだけ、私たちはとてつもない、とんでもない能力を持つのです。どんなヒーマンよりも、どんなアベンジャーよりも、現代や古代のどんなスーパーヒーローよりもすごい力を、です。それは問題ではありません。それどころではありません。なぜなら、それらはすべて偽物だからです。それらはすべて偽りの神々であり、父なる神との関係に結びつかないスーパーヒーローだからです。アーメン! しかし、私たちは違います。だからこそ、キリストのうちにある人は、銀幕、映画のことですが、銀幕を見るどんなスーパーヒーローよりも偉大なのです。キリストにある人は誰でも、スパイダーマン、バットマン、ヒーマン、スーパーマン、キャプテン・アメリカよりもすでに偉大なのです。重要なのは キリストといるということは、神とともにあるなら、すでに彼らよりも高いレベルにいるということです。アーメン! そして、あなたは自分自身のために生きているのではなく、神の目的のために生きているのです。あなたは神の目的のために生きているのです。神が喜び、幸せになるために生きているのであり、それはあなたに喜びを与えます。ほら、これってWin-Winでしょ。私たちが神に仕えるとき、私たちは幸せになり、人生の目的を果たし、私たちはそこから喜びを感じ、神もまたそこから喜びを感じ、私たちはそれに応えることができるのです。パワーがあります。 (2021.02.06)

 

(ヨハネによる福音書15.10-12)

もしわたしのいましめを守るならば、あなたがたはわたしの愛のうちにおるのである。それはわたしがわたしの父のいましめを守ったので、その愛のうちにおるのと同じである。わたしがこれらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにも宿るため、また、あなたがたの喜びが満ちあふれるためである。わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。

 

(詩篇97.7)

すべて刻んだ像を拝む者、むなしい偶像をもってみずから誇る者ははずかしめをうける。もろもろの神は主のみ前にひれ伏す。

 

 

自由を求める心情は、聖霊によって私たちの中にあります。そして、もし私たちが神を知っていて、私たちが単なる二足歩行に進化した両生類ではなく、高度に進化した猿の一種でもないことを理解するなら、私たちは、全能の創造主である神との関係を持っていることが理解できるはずです。神は愛の神であり、人間に自由意志と自由を最大の贈り物として与えてくださいました。私たちはそのような関係を持っていることが分かるはずです。そして、誰もその心に宿る炎を消すことはできません。Gulag(ソ連の強制収容所)、死のキャンプ、あらゆる強制収容所で好きなだけやっても、聖霊が与えたその心を消すことはできません。 (2021.01.17)


(ガラテヤ人への手紙5:1)

自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのである。だから、堅く立って、二度と奴隷のくびきにつながれてはならない。


(コリント人への第二の手紙3:17)

主は霊である。そして、主の霊のあるところには、自由がある。


(使徒行伝15:8)

そして、人の心をご存じである神は、聖霊をわれわれに賜わったと同様に彼らにも賜わって、彼らに対してあかしをなし、



キリストの体である私たちは、世界における神の手と足です。サタンもサタンのからだを持っていて、自分の王国に物理的な影響を与えるために、手と足、つまり人間をこの世で使います。神は、私たちが霊の実を受け継ぐだけでなく、特に主が戻ってきたときに、神が最初から遺したものを受け継ぐ権威を持つことができるようになることを願っておられます。詩篇2:8にあるように、「わたしに求めよ、わたしはもろもろの国を嗣業としておまえに与え、地のはてまでもおまえの所有として与える。」とあります。それは、私たちが財産を崇拝する者になるためではなく、神がご自身の子供たちに与えてくださった恵みの賜物を、神のように管理する者になるためです。アーメン!(2021.04.04)


(創世記1:27-28)

神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。


(ペテロの第一の手紙4:10)

あなたがたは、それぞれ賜物をいただいているのだから、神のさまざまな恵みの良き管理人として、それをお互のために役立てるべきである。



神様はモーセと共におられました。イスラエルの人々と共におられました。彼らが完璧でなくても、彼らが奴隷であっても、神は彼らと共におられました。彼らと共におられるために、煙の柱と火の柱に象徴される超自然的な存在を彼らに示されながら、神は彼らに「私はあなた方と一緒にいるだけでなく、戦いの最前線にあなた方と一緒に立っているのだ。あなたは一人ではありません。キリストは「私はあなたを見捨てない」と言われました。彼は私たちを見捨てず、戦場で私たちと共に立っているのです。(2021.05.02)


(創世記26:24)

その夜、主は彼に現れて言われた、「わたしはあなたの父アブラハムの神である。あなたは恐れてはならない。わたしはあなたと共におって、あなたを祝福し、わたしのしもべアブラハムのゆえにあなたの子孫を増すであろう」。


(ヨハネによる福音書14:9)

イエスは彼に言われた、「ピリポよ、こんなに長くあなたがたと一緒にいるのに、わたしがわかっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのである。どうして、わたしたちに父を示してほしいと、言うのか。


(歴代誌下32:8)

彼と共におる者は肉の腕である。しかしわれわれと共におる者はわれわれの神、主であって、われわれを助け、われわれに代って戦われる」。民はユダの王ヒゼキヤの言葉に安心した。



イエス様は死を克服しましたが、死を真っ直ぐに見つめていました。ゲッセマネの園で、イエス様は泣かれました。それは痛みを伴い、ストレスもありました。聖書には、血の汗をかいていたと書かれています。つまり、ゲッセマネの園でのキリストも、ものすごいストレスと痛みを感じていたのです。死に直面しなければならなかったのです。しかし、コリント人への第一の手紙にあるように、「死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。」(コリント人への第一の手紙15:55) と。 なぜなら、彼はそれに直面したからです。彼はそれに直面し、それを超越しました。彼が「私は平安だ!私は神の御心を行っている!」と言ったので、もはや死は彼を支配する力を持っていませんでした。キリストはこう言いました。「また、からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。」。(マタイによる福音書10:28) (2021.01.10)


(マタイによる福音書26:39)

そして少し進んで行き、うつぶしになり、祈って言われた、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」。


(ヨハネによる福音書17: 1-26)

これらのことを語り終えると、イエスは天を見あげて言われた、「父よ、時がきました。あなたの子があなたの栄光をあらわすように、子の栄光をあらわして下さい。あなたは、子に賜わったすべての者に、永遠の命を授けさせるため、万民を支配する権威を子にお与えになったのですから。永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります。わたしは、わたしにさせるためにお授けになったわざをなし遂げて、地上であなたの栄光をあらわしました。父よ、世が造られる前に、わたしがみそばで持っていた栄光で、今み前にわたしを輝かせて下さい。

わたしは、あなたが世から選んでわたしに賜わった人々に、み名をあらわしました。彼らはあなたのものでありましたが、わたしに下さいました。そして、彼らはあなたの言葉を守りました。いま彼らは、わたしに賜わったものはすべて、あなたから出たものであることを知りました。なぜなら、わたしはあなたからいただいた言葉を彼らに与え、そして彼らはそれを受け、わたしがあなたから出たものであることをほんとうに知り、また、あなたがわたしをつかわされたことを信じるに至ったからです。わたしは彼らのためにお願いします。わたしがお願いするのは、この世のためにではなく、あなたがわたしに賜わった者たちのためです。彼らはあなたのものなのです。わたしのものは皆あなたのもの、あなたのものはわたしのものです。そして、わたしは彼らによって栄光を受けました。わたしはもうこの世にはいなくなりますが、彼らはこの世に残っており、わたしはみもとに参ります。聖なる父よ、わたしに賜わった御名によって彼らを守って下さい。それはわたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためであります。わたしが彼らと一緒にいた間は、あなたからいただいた御名によって彼らを守り、また保護してまいりました。彼らのうち、だれも滅びず、ただ滅びの子だけが滅びました。それは聖書が成就するためでした。今わたしはみもとに参ります。そして世にいる間にこれらのことを語るのは、わたしの喜びが彼らのうちに満ちあふれるためであります。わたしは彼らに御言を与えましたが、世は彼らを憎みました。わたしが世のものでないように、彼らも世のものではないからです。わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、彼らを悪しき者から守って下さることであります。わたしが世のものでないように、彼らも世のものではありません。真理によって彼らを聖別して下さい。あなたの御言は真理であります。あなたがわたしを世につかわされたように、わたしも彼らを世につかわしました。また彼らが真理によって聖別されるように、彼らのためわたし自身を聖別いたします。

わたしは彼らのためばかりではなく、彼らの言葉を聞いてわたしを信じている人々のためにも、お願いいたします。父よ、それは、あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、みんなの者が一つとなるためであります。すなわち、彼らをもわたしたちのうちにおらせるためであり、それによって、あなたがわたしをおつかわしになったことを、世が信じるようになるためであります。わたしは、あなたからいただいた栄光を彼らにも与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためであります。わたしが彼らにおり、あなたがわたしにいますのは、彼らが完全に一つとなるためであり、また、あなたがわたしをつかわし、わたしを愛されたように、彼らをお愛しになったことを、世が知るためであります。父よ、あなたがわたしに賜わった人々が、わたしのいる所に一緒にいるようにして下さい。天地が造られる前からわたしを愛して下さって、わたしに賜わった栄光を、彼らに見させて下さい。正しい父よ、この世はあなたを知っていません。しかし、わたしはあなたを知り、また彼らも、あなたがわたしをおつかわしになったことを知っています。そしてわたしは彼らに御名を知らせました。またこれからも知らせましょう。それは、あなたがわたしを愛して下さったその愛が彼らのうちにあり、またわたしも彼らのうちにおるためであります」。


「私は誰も殺していないし、誰もレイプしていない」というように、他の人と比べて自分が良いと思っています。私たちは自分を他の人と比較しますが、神は私たちにこう言っています。「いや、他の人と自分を比較しろと言っているのではなく、私と自分を比較しなければならないと言っているのだ 」と。そして、神聖さにおいても、力強い愛においても、正義においても完璧な聖なる神と自分を比較するとき、なんということでしょう!子供の頃についた一つの嘘も、その後についた多くの嘘も、自分ではついていないと言っていても、ついていたことがわかっていても、嘘をつかない神の前では、それらすべてが目に余るほどの力を持っているのです。(2021.06.20)


(コリント人への第二の手紙10:12)。

わたしたちは、自己推薦をするような人々と自分を同列においたり比較したりはしない。彼らは仲間同志で互にはかり合ったり、互に比べ合ったりしているが、知恵のないしわざである。


(エペソ人への手紙4:25)

こういうわけだから、あなたがたは偽りを捨てて、おのおの隣り人に対して、真実を語りなさい。わたしたちは、お互に肢体なのであるから。


 

しかし、キリストと共にある者にとっては、創造主と被造物という認識があり、自分の罪を自覚し、救い主を必要としているという認識があるのです。私たちは一人ではできません。努力しても完全な人間にはなれないし、努力しても天国には行けないのです。私たちは、自分の行いで、罪のない、汚れのない状態になって、神の前に立つことはできません。キリストの愛が必要であり、キリストとの関係が必要であり、キリストの贖罪が必要であり、キリストの癒しが必要であり、キリストとの触れ合いが必要であり、キリストの臨在が必要なのです アーメン! それが私たちを神のもとへと導くのです。 (2020.12.06)

 

(マタイによる福音書 9:10-13)

それから、イエスが家で食事の席についておられた時のことである。多くの取税人や罪人たちがきて、イエスや弟子たちと共にその席に着いていた。 9:11パリサイ人たちはこれを見て、弟子たちに言った、「なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人などと食事を共にするのか」。イエスはこれを聞いて言われた、「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。『わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、学んできなさい。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」。

 

(ヨハネによる福音書6:44)

わたしをつかわされた父が引きよせて下さらなければ、だれもわたしに来ることはできない。わたしは、その人々を終りの日によみがえらせるであろう。

 

迷っている人への思いやりが重要です。人々の自由意志を奪うという意味ではありません、人々には自由意志があります。人には自由意志がありますから。でも、迷っている人を思いやる気持ちは大切です。それは、「よし、今の僕を受け入れてくれ!」と言うためではありません。「おっと!駄目だ!駄目だ!神は今のあなたを救うことができますが、あなたは自分の罪を悔い改めなければなりません。罪から離れなければなりません。私は罪によって死に、キリストにあって生きるようになります。」と言いなければならず、また、キリストを自分の人生の中心に据えなければなりません。そして、あなたは清められるのです。神の中にサタニズムを持ち込むことはできませんし、神の近くに罪を持ち込むこともできません。(2021.03.07)

 

(使徒行伝3:19)

だから、自分の罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて本心に立ちかえりなさい。

 

(ローマ人への手紙6.23)

罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである。

  

例えば、あなたが罪を犯して、見知らぬ人が罰金を払ってくれて、あなたを逃がしてくれたとします。その人に対して、ものすごい感謝の気持ちが湧いてきますよね?私はこの人を知らないし、この人がそんなことをする必要はない。彼は私を保釈する必要はなかった、私が誰かも知らなかったんだ。なぜあんなことをしたんだろう?そして、あなたはそれを知りたいと思うでしょう。もしこれがあなたの人生で起こったとしたら、よく考えてみてください。それはとても価値のあることで、「なんてことだ!私はこの人にひどいことをしたくない。感謝の気持ちを持ちたい。何とかして彼に借りを返したい。何らかの形で役に立ちたい、どんな形でも、と思うでしょう。その不相応な愛に報いたい、返したいという自然な心を感じるでしょう。そして、それがクリスチャンの高潔さの原点なのです。だからこそ、キリストにある人々は良いことをするのです。良いことをすることで救われると考えるからではありません。良いことをすることで救われると考えるのではなく、何のために良いことをするのでしょうか?神に感謝し、神に喜びをもたらすためです。それはとても簡単なことです。私たちが良いことをしようとするのは、それが神を喜ばせるからです。私たちの罰金を支払い、私たちを死刑から逃れさせてくれたその人に対して、どんな場合であれ、私たちは感謝しています。だから、「Praise God! (神を讃えよう!)Thank You so much!‘ありがとうございます!」。 だからこそ、キリスト教の世界では、良いことが起きたときも、悪いことが起きたときも、「Thank you Jesus! Thank You God!(イエス様、神様、感謝です!」なのです。(2021.02.28)

 

(エペソ人への手紙5:20)

そしてすべてのことにつき、いつも、わたしたちの主イエス・キリストの御名によって、父なる神に感謝し、

 

(詩篇136:2)

もろもろの神の神に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。

 

キリストにあっては、ユダヤ人も異邦人も、自由人も奴隷も、男性も女性もありません。私たちは皆、キリスト・イエスにあって一つなのです。私たちは一つであり、一つになるのです。しかし、だからと言って、自分の価値観で生きたり、悪魔的な価値観をキリストに持ち込むことはできません。そうではありません。罪に結びついたもの、サタンに結びついたものを殺さなければならないということです。だからこそ、キリストは「私のために死ぬ者は命を得、生きようとする者は死ぬ」と言っているのです。アーメン!彼がそのような比喩を使っているのは、私たちがそのサタンの文化との関係を断ち切り、彼にしがみついて、今度は恋に落ちなければならないからです。罪と恋に落ちるではありません。違います。罪とではありません。キリストとの新しい関係に恋をしなければなりません。この関係は、日々のことだけではなく、永遠に豊かになるもので、一時的なこの世の目的だけでなく、永遠の価値と永遠の命で私たちを満たしてくれます。それは信じられないような贈り物です、皆さん! (2021.03.07)

 

(エペソ人への手紙3:16-19)

どうか父が、その栄光の富にしたがい、御霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強くして下さるように、また、信仰によって、キリストがあなたがたの心のうちに住み、あなたがたが愛に根ざし愛を基として生活することにより、すべての聖徒と共に、その広さ、長さ、高さ、深さを理解することができ、また人知をはるかに越えたキリストの愛を知って、神に満ちているもののすべてをもって、あなたがたが満たされるように、と祈る。

 

(ペテロの第一の手紙2:24-25)

さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。あなたがたは、羊のようにさ迷っていたが、今は、たましいの牧者であり監督であるかたのもとに、たち帰ったのである

 

(ローマ人への手紙8:2)

なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則は、罪と死との法則からあなたを解放したからである。

 


 

第1章 キリストと共同の相続人

1.2 神を愛しなさい、あなたの隣り人を愛しなさい

 

「人が友のために命を捨てること以上に大きな愛はない。」これが父なる神の心情である。私たちは、父なる神の心情を持って、戦争で戦った退役軍人や戦死した兵士たちのように、そのような心を持たなければなりません。(2020.10.14)

 

(ヨハネによる福音書15:13)

 人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。

 

(ヨハネの第一の手紙3:11)

わたしたちは互に愛し合うべきである。これが、あなたがたの初めから聞いていたおとずれである。

 

あなたの最も近い隣人は、あなたの妻または夫であり、そしてあなたの子供、その他のあなたの家庭の人々であり、非常に近い隣人です。アーメン! (2021.01.24 )

 

(エペソ人への手紙5:25)

夫たる者よ。キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように、妻を愛しなさい。

 

 私たちはお互いに愛し合い、お互いのために祈り、外に出て友人に会わなければなりません。できる限り、集会所で会うようにしましょう。彼らが教会を閉鎖しようとしているとは思わないでしょうか?人々が集う場所、人々が話したり、同情したり、心の関係や友情の絆を築くことができる場所をすべて閉鎖しようとするでしょう。それを狙ってくるのではないかと?もちろん、来ますよ。もちろん、彼らはそのために来ているのだから! (2021.01.24)

 

(ヨエル書2:15-16)

シオンでラッパを吹きならせ。断食を聖別し、聖会を召集し、民を集め、会衆を聖別し、老人たちを集め、幼な子、乳のみ子を集め、花婿をその家から呼びだし、花嫁をそのへやから呼びだせ。

 

(詩篇119:157)

わたしをしえたげる者、わたしをあだする者は多い。しかしわたしは、あなたのあかしを離れません。

  

キリストの光は、異なるタイプの力です。キリストの光は、一時的な力だけを与えてくれるのではありません。キリストの光は、私たちに一時的な力を与えるのではなく、神との関係を与え、その関係を通して私たちに力を与えるのです。その関係は、私たちの中にある、神に似せて作られた私たちの本来の姿を刺激します。神は愛であり、私たちの心に愛が増えると、私たちは何をしたいと思うでしょうか?私たちは人々を守り、人々をキリストに引き合わせたいのです。私たちは人々を救いに導きたいと思っています。私たちは、人々を目覚めさせたいのです。 アーメン! それが本当の力です。今、あなたは世界に影響を与えています。他の人々の永遠の魂と人生に影響を与えています。(2021.02.06)

 

(ヨハネによる福音書13:34-35)

わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。 13:35互に愛し合うならば、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての者が認めるであろう」。

 

(マタイによる福音書5:14)

あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。

 

(ローマ人への手紙5:10)

もし、わたしたちが敵であった時でさえ、御子の死によって神との和解を受けたとすれば、和解を受けている今は、なおさら、彼のいのちによって救われるであろう。

  

敵を愛しなさい。イエス様が「あなたの敵を愛し、あなたを迫害する者のために祈りなさい」と言うとき、それは、彼らがあなたを自分たちの味方に引き入れて、あなたを破壊し、神の意志を破壊し、福音を破壊することを望むという意味で、彼らを愛するということではありません。イエス様が言っていることではありません。それは明らかに、彼が言っていることではないのです。しかし、この文脈では、「あなたの敵の価値を見なさい!」と言っています。彼らはあなたをあざけり、迫害し、あなたを憎んでいると言っているのです。そういう意味では、私たちの教会を嫌っている人たち、私たちのことを「ムーニー」「洗脳キャンプ」「カルト」など、どんな呼び方をしていたとしても、実は嫌っている人たちが重要なのです。(2020.12.18)

 

(マタイ5による福音書5:44 )

しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。

 

 神様には道筋がある。イザヤ書32章は、このような狂気に満ちた状況の中でも、最終的には、神には道があることを思い出させてくれます。神にはまだ道があります。神にはまだ手段があるのです。たとえそれが困難であっても、一見乗り越えられないように見えても、人間には不可能かもしれませんが、神には不可能なことはありません。神は砂漠にも川にも道を作り、階段がないときは階段を作ってくださいます。最悪と思われる時は、実はサタンが一番弱い時なのです。(2021.05.09)

 

(マタイによる福音書19:26 )

イエスは彼らを見つめて言われた、「人にはそれはできないが、神にはなんでもできない事はない」。

 

(ルカによる福音書1:37)

神には、なんでもできないことはありません。

 

 神は堕落した人類を救おうとしています。神の子供たちを、捕食者サタンから、サイコパスのサタンから、そして人類が自分のものではないにもかかわらず、彼らを支配しようとする者から救おうとしているのです。神はこの壮大な探求に参加しています。神の子供たち、神の家族、神の孫たち、神の血統、神の部族を救うために英雄的な冒険をしているのです。神は彼らを救うために存在しているのです。そして、その任務に神と一緒に参加するすべての人は、一緒にその壮大な探求の旅に参加するのです。(2021.05.09)

 

(エレミヤ書31:3-4 )

主は遠くから彼に現れた。わたしは限りなき愛をもってあなたを愛している。

それゆえ、わたしは絶えずあなたに真実をつくしてきた。イスラエルのおとめよ、

再びわたしはあなたを建てる、あなたは建てられる。あなたは再び鼓をもって身を飾り、出て行って、喜び楽しむ者と共に踊る。

 

(ローマ人への手紙8:18-22)

わたしは思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない。被造物は、実に、切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいる。なぜなら、被造物が虚無に服したのは、自分の意志によるのではなく、服従させたかたによるのであり、かつ、被造物自身にも、滅びのなわめから解放されて、神の子たちの栄光の自由に入る望みが残されているからである。実に、被造物全体が、今に至るまで、共にうめき共に産みの苦しみを続けていることを、わたしたちは知っている。 

 

人類には始まりがありますが、それは永遠です。だからこそ、関係がとても重要なのです。交わりがとても重要であり、兄弟愛や姉妹愛がとても重要であり、王と祭司のコミュニティがとても重要なのは、それがキリストの体、聖徒の交わりだからです。(「聖者の行進」を歌いながら)「おお 聖者達が行進して行く おお 聖者達が行進して行く 主よ 私もあの列に加わりたい!」それが関係というものです!(2021.04.04)

 

 

聖者の行進“When the Saints Go Marching in”【英語歌】アニメーション_English song英語曲「聖者の行進」“When the Saints Go Marching in”のアニメーションです。うた はなP∞---- 歌詞 -------------------------Oh, when the saints go marching inOh, when the saints go marchin...

youtu.be

 

 

(ヨハネによる福音書13:34-35)

わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。 13:35互に愛し合うならば、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての者が認めるであろう」。

 

(使徒行伝2:42)

そして一同はひたすら、使徒たちの教を守り、信徒の交わりをなし、共にパンをさき、祈をしていた。

 

 

人々を守ることができるのは、政府や警察ではありません。(人々を守ることができるのは)あなたと私なのです。「神を愛し、隣り人を愛せ!」それが十戒の核心です。神のすべての法則をまとめたものです。平和警察・平和民兵の訓練の根幹は、「神を愛しなさい!厳しい訓練を経て、汝の神を愛し、汝の隣人を愛せ!」という愛なのです。その愛の倫理は、お父様の愛から来ています。(2020.10.14)

 

(ルカによる福音書10:27)

彼は答えて言った、「『心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。また、『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』とあります」。

 

人々は準備をしていなければなりません。私たちは祈っていなければなりません。お互いに話し合わっていなければなりません。共に祈っていなければなりません。一緒に会っていなければなりません。さらに一緒にキャンプに行ったり、一緒にバーベキューをしたりしなければなりません。私の言っていることが分かるでしょうか?お互いのために祈らなければなりません。お互いのために祈らなければならないし、お互いに関わらなければならないのです。アーメン! (2021.01.24)

 

(ローマ人への手紙 13:8)

互に愛し合うことの外は、何人にも借りがあってはならない。人を愛する者は、律法を全うするのである。

 

(ヤコブの手紙 5:16)

だから、互に罪を告白し合い、また、いやされるようにお互のために祈りなさい。義人の祈は、大いに力があり、効果のあるものである。

 

 

さて、これはどういうことでしょうか?それは、人々がお互いに守らなければならないということであり、お互いのために立ち上がらなければならないということなのです。それは「神を愛し、隣人を愛する」ことが、正に今、現実になるということです。「どこかの絵に描いた餅のような政治家が私たちを救ってくれる」ということではないのです。違います。そうではないのです。今こそ、現実に「神を愛し、隣人を愛する」ことがなければ、すべてが終わってしまうのです。これが文字通り、最後の、最後の、最後の一線なのです。(2021.01.24)

 

(マタイによる福音書22:37-39)

イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。 22:38これがいちばん大切な、第一のいましめである。 22:39第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。

 

(ヨハネの福音書15:13)

人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。

 

 

最終的には、愛についてです。愛なのです。あなたは人類を愛していますか、それとも権力を愛していますか。あなたは神を愛していますか、それとも政治家の望むものだけを愛していますか。あなたはどちらを愛しますか?どちらのために戦うのですか?なぜなら、自分よりも大きなものに対する愛が心になければ、大きな戦いをすることはできないからです アーメン! (2021.01.10)

 

(ルカによる福音書10:27)

彼は答えて言った、「『心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。また、『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』とあります」。

 

(マルコによる福音書12:33)

また『心をつくし、知恵をつくし、力をつくして神を愛し、また自分を愛するように隣り人を愛する』ということは、すべての燔祭や犠牲よりも、はるかに大事なことです」。

 

(歴代志上19:13)

「勇ましくしてください。われわれの民のためと、われわれの神の町々のために、勇ましくしましょう。どうか、主が良いと思われることをされるように」。

 


 

第1章 キリストと共同の相続人

1.3 王は祭司として、王妃は伝道者として

 

クリスチャンの結婚の目的は、神が言われたように、王と祭司になることです。結婚の祝福において、男性は王としての戴冠式の準備をし、妻は女王としての戴冠式の準備をしているのはそのためです。男性は司祭としての聖職に就くための準備、女性は伝道者としての聖職に就くための準備です。皆さん、分かりますか?これは、彼らが神を代表する小宇宙のミニストリーとなり、神の王国のために次世代の羊飼い、王、祭司、女王、伝道者などを育てていくためです。それは神との契約です。(2021.06.20)

 

(創世記2:24 )

それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。

 

 

キリストはアルファ男性の父であり、人を祭司や王に変えます。本当のアルファ男性はイエスです。アルファ男性は羊飼いのように愛をもって統治します。(2020.10.14)

 

(イザヤ書40:10-11)

見よ、主なる神は大能をもってこられ、その腕は世を治める。

見よ、その報いは主と共にあり、そのはたらきの報いは、そのみ前にある。

主は牧者のようにその群れを養い、そのかいなに小羊をいだき、

そのふところに入れて携えゆき、乳を飲ませているものをやさしく導かれる。

 

(ヨハネの黙示録1:5-6)

また、忠実な証人、死人の中から最初に生れた者、地上の諸王の支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。わたしたちを愛し、その血によってわたしたちを罪から解放し、わたしたちを、その父なる神のために、御国の民とし、祭司として下さったかたに、世々限りなく栄光と権力とがあるように、アァメン。

 

 

家庭のミニストリーのヘッドパスター(主任牧師長)、それが祭司です。夫たちは、清らかさを持ち、儀式であっても、女王のために時間を投資しなさい。私たちは、父親として家庭におけるキリストの代表者であり、祭司として召されています。いわば、ミニストリーのヘッドパスターなのです。私たちが夫であるときには、このカテゴリーで考えることが重要です。私たちは、この小さなミニストリー、家庭のミニストリーの牧師長のようなもので、次の世代の子供たちを弟子にして、神のように良い羊飼いになるように神から召されているのです。私たちはこの目的のために召されているのです。(2021.05.23)

 

(テモテへの第一の手紙3:12)

 執事はひとりの妻の夫であって、子供と自分の家とをよく治める者でなければならない。

 

(テモテへの第一の手紙3:4-5)

自分の家をよく治め、謹厳であって、子供たちを従順な者に育てている人でなければならない。自分の家を治めることも心得ていない人が、どうして神の教会を預かることができようか。

 

神は、ダビデに油を注いでイスラエルの王に任命し、王国を建設します。しかし、様々な誘惑のために、ダビデは王として堕落し、やがてダビデの後に続く王たちも堕落していきます。ソロモンの人生でも、サタンが使う誘惑はいつも同じなのです。(2020.11.29)

 

(ネヘミヤ書13:26)

イスラエルの王ソロモンはこれらのことによって罪を犯したではないか。彼のような王は多くの国民のうちにもなく、神に愛せられた者である。神は彼をイスラエル全国の王とせられた。ところが異邦の女たちは彼に罪を犯させた。

 

(列王紀下17:21)

主はイスラエルをダビデの家から裂き離されたので、イスラエルはネバテの子ヤラベアムを王としたが、ヤラベアムはイスラエルに、主に従うことをやめさせ、大きな罪を犯させた。

 

 神は、堕落する前に、神の子であるアダムとエバに神の王国と世界を遺すことを意図していました。アダムとエバは、地上の神の王国の真の継承者となるはずでした。しかし、ルーシェルーがエバの純潔を奪い、アダムを汚したことで、最初の強姦者、小児性愛者となったのです。アダムとエバは夫と妻になり、力強い結婚生活を送り、結婚生活の中で力強いセクシュアリティとロマンスを持つように意図されていました。その結果、彼らは繁殖行為を行う準備が整って、子供や孫を持ち、そこに神の王権と神の王国を作ることになりました。神が直接支配することで、地上に素晴らしい天の王国ができ、そこでは強力な天使長たちが奉仕者となり、彼らが仕えることになります。そして、アダムとエバが王と女王としての適切な地位を占め、神を舵取り役として、神を父として、神を心に抱き、博愛と寛大さ、人類への愛をもって、王国を統治し、次の世代に強い王と祭司に育てることを喜んだことでしょう。(2021.03.13)

 

(申命記6:2)

これはあなたが子や孫と共に、あなたの生きながらえる日の間、つねにあなたの神、主を恐れて、わたしが命じるもろもろの定めと、命令とを守らせるため、またあなたが長く命を保つことのできるためである。

 

(コリント人への第一の手紙7:3-4)

夫は妻にその分を果し、妻も同様に夫にその分を果すべきである。 7:4妻は自分のからだを自由にすることはできない。それができるのは夫である。夫も同様に自分のからだを自由にすることはできない。それができるのは妻である。

 

家庭に安定をもたらすのは父親であり、また、王と祭司の役割を持つのも父親です。だからこそ、政治的なサタンの領域では、常に父親が攻撃されているのです。「父親は破壊されなければならない、父親は弱体化されなければならない。」と。(2020.12.06)

 

(マルコによる福音書7:10)

モーセは言ったではないか、『父と母とを敬え』、また『父または母をののしる者は、必ず死に定められる』と。

 

神は、あなたを家族の祭司として、家族の中の王として、暴君のように支配するのではなく、羊飼いとして任命しているのです。つまり、あなたは次世代の少年少女を導こうとしているのですが、彼らは奴隷ではなく、羊でもなく、何になるために育てられることになっているのですか。羊飼いです。つまり、あなたは羊を羊にするために訓練しているのではなく、この子を将来の羊飼いであり、王様であり、祭司であり、女王であり、伝道者になるために訓練しているのです。(2021.05.23)

 

(ペテロの第一の手紙5:2-4)

あなたがたにゆだねられている神の羊の群れを牧しなさい。しいられてするのではなく、神に従って自ら進んでなし、恥ずべき利得のためではなく、本心から、それをしなさい。また、ゆだねられた者たちの上に権力をふるうことをしないで、むしろ、群れの模範となるべきである。そうすれば、大牧者が現れる時には、しぼむことのない栄光の冠を受けるであろう。

 

 

夫たちよ、妻を愛しなさい。男性として、家庭におけるキリストの代表として、エペソ5章に「夫よ、妻を愛しなさい」とあるように、たとえ時に妻が、かわいらしくないことがあっても、私は妻を愛さなければなりません。時には妻がかわいらしくないことがありますか?しかし、私たちは力や暴力でそれを変えることはできないという真実を、私たちは皆知っています。私たちは、「キリストが教会を愛するように、彼女を愛しなさい」と言われています。ですから、妻がたまに(ないかもしれませんが)愛せなくなることがあり、そのような問題に取り組むときがありますが、司祭がするように愛情をこめて愛するのです。エペソ人への手紙では、特に男性に対して、結婚生活においては、愛をもって対処しなければならないと命じているのです。(2021.05.23)

 

(エペソ人への手紙5:33)

いずれにしても、あなたがたは、それぞれ、自分の妻を自分自身のように愛しなさい。妻もまた夫を敬いなさい。


(救いは)新約聖書のレベルでは、私たち個人的な信仰に留まります。つまり、私たちの信仰は個人的なものであり、私たちの救いも個人的なものなのです。しかし、救いの目的がイスラエルの民がそうであったように、神の御心は血統全体が救われることにあります。アーメン! その血統の中では、誰もが個々の責任を持っています。それは事実であり、決して消えることはありません。たとえ私たちの子供であっても、キリストを信じるという個々の決断をしなければなりません。家庭内で父親であることと同様に、良い祭司であること、そしてもちろん伝道的な熱意を持った妻であること、女王としての伝道者であること、それらの役割は、子供たちを教育し、子供たち自身もキリストを受け入れることができるようにすることなのです。(2021.02.28)

 

(エペソ人への手紙6:4)

父たる者よ。子供をおこらせないで、主の薫陶と訓戒とによって、彼らを育てなさい。

 

(使徒行伝4:11-12)

このイエスこそは『あなたがた家造りらに捨てられたが、隅のかしら石となった石』なのである。この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」。

  

特に、私たちが家庭の王と祭司に召されているとき、そして今、子どもがいるとき、このことを理解することはとても重要です。なぜなら、私たちは家庭の中で規律を教えなければなりませんが、同時に祭司の立場にもならなければならないからです。私たちはキリストの代表でなければなりませんから、あなたの基本的な性質は愛でなければなりません。正義があっても、規律があっても、矯正があっても、それは愛に基づいて行われなければならないのです。それは大変なことです。「私の子供は小さいから、私は常に彼らよりも肉体的に強くいられる」というような、力に基づくものであってはならないのです。それはあまり長くは続かないのです。キリストのような性質、倫理に基づいていなければならないのです。(2021.06.20)

 

(ペテロの第一の手紙5:2)

あなたがたにゆだねられている神の羊の群れを牧しなさい。しいられてするのではなく、神に従って自ら進んでなし、恥ずべき利得のためではなく、本心から、それをしなさい。

 

(ヨハネの黙示録5:10)

わたしたちの神のために、彼らを御国の民とし、祭司となさいました。彼らは地上を支配するに至るでしょう」。

 

神様には、結婚が存在しなければならない理由があります。アーメン! 結婚は制度、神との契約を守るためのものですが、人間の性欲を満たすための適切な場所でもあります・・・例えば、一夫多妻制の文化、つまり多くの異なる性的パートナーを持つ文化では、より多くの暴力が発生することを示す多くの研究があります。ですから、マルクス主義者や左派の性的解放の神学は、「自由であれ!」と主張しています。「ああ、自由であれ!やりたいことをやればいいんだ!気持ちよくなれ。女性は結婚という束縛から解放されなければならない。結婚すれば奴隷になり、夫の下で抑圧され、夫婦の契りに束縛されることになる」。これは、アメリカのフェミニズムの「母親」たちが教えたことです。よく言われることですが、結婚は奴隷制度だが、外に出て男性のように多くの異性と関係を持ち、基本的にふしだらな生活をすれば、解放され、力を得て、幸せになり、権力や権威を感じることができると教えているのです。しかし、当然ながら、それは正反対な結果になります。(2021.05.23)

 

(ヘブル人への手紙13:4)

すべての人は、結婚を重んずべきである。また寝床を汚してはならない。神は、不品行な者や姦淫をする者をさばかれる。

 

(エペソ人への手紙5:3)

また、不品行といろいろな汚れや貪欲などを、聖徒にふさわしく、あなたがたの間では、口にすることさえしてはならない。

 

 

祭司でもある王は、自分の名前や自分の知名度のためではなく、国のため、神のため、神の御心のため、つまり自分よりも大きなもののために義務を負っているのです。アーメン! (2020.11.01)

 

(コリント人への第一の手紙15:58)

だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。

 

(ヨハネによる福音書7:16-18)

そこでイエスは彼らに答えて言われた、「わたしの教はわたし自身の教ではなく、わたしをつかわされたかたの教である。神のみこころを行おうと思う者であれば、だれでも、わたしの語っているこの教が神からのものか、それとも、わたし自身から出たものか、わかるであろう。自分から出たことを語る者は、自分の栄光を求めるが、自分をつかわされたかたの栄光を求める者は真実であって、その人の内には偽りがない。



 


第1章 キリストと共同の相続人

1.4 自由と責任:神/キリストは社会主義者ではない

 

アダムとエバの堕落の時には、多くのことが危険にさらされている状態だったのです。アダムとエバが自由意志を行使して何をするかがとても重要だったのです。神に従わないのか、神に従うのか?彼らは神に従うべきでした。自分たちが奴隷だからではなく、ロボットだからでもなく、神を愛しているから、自分たちの父を愛しているからです。神が与えたすべての祝福を見ているからです。彼らには(大脳側頭葉の)扁桃体の機能があり、脳があり、考える能力があり、自分を省みることができるからです。そして、「わぁ!神様がくれたものを全部見てみよう!」と言うことができました。神様が与えてくれたものを見てみよう。私たちには感謝すべきことがたくさんある!」と言うことができたはずです。しかし、何が起こったのでしょうか?彼らは否定的なことに目を向けようとしました。サタンが入ってきて、「ああ、あなたは神のようになれる。彼はあなたに嘘をついている、彼は真実を語っていない。あなたは神のようになることができる。」と言ったのです。彼はそれをエバに伝え、エバはサタンと一緒に落ちていきました。それはリンゴのことではなく、サタンとの倫理的に赦すことのできない関係のことだとわかっています。エバはサタンの花嫁となり、そしてもちろん、サタンはエバの純潔を奪ったのです。(2021.02.06)

 

(ヨハネの第一の手紙2:5)

しかし、彼の御言を守る者があれば、その人のうちに、神の愛が真に全うされるのである。それによって、わたしたちが彼にあることを知るのである。

 

(ヨハネの第一の手紙5:2-5)

神を愛してその戒めを行えば、それによってわたしたちは、神の子たちを愛していることを知るのである。神を愛するとは、すなわち、その戒めを守ることである。そして、その戒めはむずかしいものではない。なぜなら、すべて神から生れた者は、世に勝つからである。そして、わたしたちの信仰こそ、世に勝たしめた勝利の力である。世に勝つ者はだれか。イエスを神の子と信じる者ではないか。

 

 

本当の意味での自由(liberty)と解放(freedom)を維持するためには、規律ある文明が必要です! これは建国の父たちが言ったことです。自由な共和国のためには、道徳が必要です。なぜなら、不道徳で快楽主義的な国民は、常に何を選ぶでしょうか?共産主義です。皆さん!彼らは常に賄賂を選びます。彼らは常に社会主義を選びます。彼らは常にそれを選ぶのです! (2020.11.29)

 

(テトスへの手紙 1:8-9)

かえって、旅人をもてなし、善を愛し、慎み深く、正しく、信仰深く、自制する者であり、 1:9教にかなった信頼すべき言葉を守る人でなければならない。それは、彼が健全な教によって人をさとし、また、反対者の誤りを指摘することができるためである。

 

(箴言1:7)

主を恐れることは知識のはじめである、愚かな者は知恵と教訓を軽んじる。

 

自由があり、自由市場があれば、人々は神から与えられた創造性を発揮し、主権を行使することができます。彼らはビジネスを立ち上げることができます。そのアイデアが製品やサービスという形で具現化され、他の人々に利益をもたらすことができるのです。そして、それがどれだけ他人のためになるかによって、自分がどれだけ報われるか、どれだけ儲かるかが決まるのです。つまり、自分がどれだけ人の役に立ち、人のためになるかに正比例するのです。すべてが完璧というわけではありませんが、数百人から数千人の人々がすべての法律や規制を作る中央集権的な社会主義や共産主義よりもはるかに優れています。(2021.03.07)

 

(ガラテヤ人への手紙5:13)

兄弟たちよ。あなたがたが召されたのは、実に、自由を得るためである。ただ、その自由を、肉の働く機会としないで、愛をもって互に仕えなさい。

 

(コリント人への第一の手紙 3:13-14)

それぞれの仕事は、はっきりとわかってくる。すなわち、かの日は火の中に現れて、それを明らかにし、またその火は、それぞれの仕事がどんなものであるかを、ためすであろう。 3:14もしある人の建てた仕事がそのまま残れば、その人は報酬を受けるが、

 

 

人類の究極の目的は、神とつながり、神を理解することです。これはある意味、私たちの責任でもあります。左翼は、責任という概念が嫌いなので、これを嫌がります。(2020.12.02)

 

(ヨハネによる福音書17:3)

永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります。

 

(イザヤ書26:9-10)

わが魂は夜あなたを慕い、わがうちなる霊は、せつにあなたを求める。

あなたのさばきが地に行われるとき、世に住む者は正義を学ぶからである。

悪しき者は恵まれても、なお正義を学ばず、正しい地にあっても不義を行い、

主の威光を仰ぐことをしない。

 

 

それだからこそ、神は私たちに、いつも「私の命令に従いなさい。私の命令に従いなさい。」と最初から教えて下さっているのです。それは射撃場で私たちを助けてくれるからです。狙いを正しく保つために、ライフルの照準の合わせ方などを教えてくれるのです。この場合、射手は右に射過ぎているので、今度はそれを引いて、神が私たちに望んでいるものを射るようにしなければなりません。ご存知のように、距離が遠くなればなるほど、ほんの少しのずれが大きくなり、時間とともに非常に大きくなります。近距離ではこのような角度(非常に小さい角度)から始まりますが、距離が長くなると本当に大きな角度に開いていきます。(2021.06.20)

 

(ヨハネによる福音書14:15)

もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきである。

 

(サムエル記上15:22-23)

サムエルは言った、「主はそのみ言葉に聞き従う事を喜ばれるように、燔祭や犠牲を喜ばれるであろうか。見よ、従うことは犠牲にまさり、聞くことは雄羊の脂肪にまさる。そむくことは占いの罪に等しく、強情は偶像礼拝の罪に等しいからである。あなたが主のことばを捨てたので、主もまたあなたを捨てて、王の位から退けられた」。

 

 

ジープを組み立てたとか、山に登ったとか、どんなことでも良いのですが、もしあなたが何か誇れることをしたことがあれば、もしあなたが何か大変なことをして、実際に働かなければならなかったことをして、それを誇りに思っているのであれば、それは喜びから来るものではないことが分るでしょう。ほとんどの場合、痛みによってもたらされるのです。 アーメン! それはほとんどの場合、痛みによってもたらされます。(2020.11.29 )

 

(箴言14:23)

すべての勤労には利益がある、しかし口先だけの言葉は貧乏をきたらせるだけだ。

 

(箴言21:17)

快楽を好む者は貧しい人となり、酒と油とを好む者は富むことがない。

  

お互いの成果を比較してはいけません。私たちは皆、お互いの成功のために祈り、私たちを導き、助けてくれる神に賛美を捧げなければなりません。他の人の功績を妬んではいけません。その人のために祈り、できる限りサポートしなければなりません。お互いに成功してほしいと思うべきです。私たちは自分のためにやっているのではありません。私たちの大きな目的は、神の摂理の成功のためです。私たちは、より積極的に活動している人たちに感謝すべきです。そうすれば、私たちは神のためにもっと成功したいと思うようになるでしょう。(2020.11.18)

 

(コリント人への第一の手紙13:4)

愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、

 

(ローマ人への手紙8:28)

神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。

 

しかし、見ていてください。神の霊が再び人の心と精神の中で立ち上がり、男性、女性の心と精神の中で火が燃え上がるでしょう。彼らは、「ああ、大変だ!このままこの道を進み、彼らのレトリック(言語表現)に脅されて、彼らのプロパガンダに脅されて、彼らに霊的に立ち向かおうとすることまでも脅されたら、我々は何も得られないだろう」と気づくでしょう。そして、1776年の精神、建国の父の精神、勇気と忠誠の精神、神に従う精神、しかし、「悪魔に立ち向かえば、彼は逃げていく。」ヤコブ書4:7の精神が、再び人々の中で立ち上がり始めるでしょう。なぜならば、これが最後の砦だからです、皆さん!私たちは、この世界で他に住む場所はありません。ここなのです!どこにも逃げられないし、どこにも隠れられないのです! ここにいる愛国者の皆さん、オンラインで参加している皆さん、後から見ている皆さん、一人一人に敬意を表します。あなたがた一人一人に敬意を表します。メディアに屈服させられないようにしてください。戦いが最も激しい時にこそ、諦めようと思う時にこそ、相手がパンチを繰り出してきて、やられてしまうような戦いの時こそ、あきらめてはいけません。 なぜなら、その戦いに賭けられているものがあまりにも高貴だからです。家族だけでなく、孫や国、世界中の自由がかかっているのですから。賭けられているものは、巨大で、私たちは今、壮絶な時代にいます。だからこそ、私たちは壮大な人間にならなければなりません、皆さん。壮大な時代に、壮大な人々でなければなりません。神を讃えましょう(2021.01.17)

 

(ヤコブの手紙4:7 そういうわけだから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ちむかいなさい。そうすれば、彼はあなたがたから逃げ去るであろう。)

 

(コリント人への第一の手紙16:13)

目をさましていなさい。信仰に立ちなさい。男らしく、強くあってほしい。

  

ところで、サイコパスは非常に頭がいいことがあります。多くのサイコパスを心理学的に分析したところ、彼らは非常に高いIQを持っていたそうです。彼らは大量殺人か何かを行う前に、計画を立てたり、準備をしたり、様々なことをしています。そして、そのような人たちの多くはスーツを着て、権力の集中する場所に行くのです。どこかと言えば、それは政府です!しかし、彼らはそれを隠しています。スーツで隠しているので、サイコパスの傾向を隠して、分からないようにしているのです。彼らは親切に話します。 「今日はお元気ですか?」そして、裏では権力を維持・拡大するためにあらゆるひどいことをしようとしているのです。 モラルもなければ、悪事を働くことへの良心の呵責もありません。

(2021.04.11)

 

(詩篇55:21)

 その口は牛酪よりもなめらかだが、その心には戦いがある。

その言葉は油よりもやわらかだが、それは抜いたつるぎである。

 

(箴言20:24-25)

人の歩みは主によって定められる、人はどうして自らその道を、明らかにすることができようか。軽々しく「これは聖なるささげ物だ」と言い、また誓いを立てて後に考えることは、その人のわなとなる。

 

 サタンは幻想で動いています。つまり、自分(サタン)が実際よりも組織化されていて、より強力で、より影響力がある存在であると信じさせようとしているのです。実際には、裏で多くの内輪もめがあり、お互いに刺し違えています。なぜでしょうか?泥棒の巣窟に名誉はありません。彼らは常に権力を得ようとしており、そのためには互いに殺し合い、互いのトップに対してひどい扱いをするのです!わかりますか?彼らには道徳的な大義名分はなく、統一された精神的な目的もありません!彼らの目的は、権力と、それが物質的にもたらす利益なのです! しかし、他のサイコパスがどれだけそれを望んでいるか?言っていることがわかりますか?(2021.04.11)

 

(エレミヤ書9:5)

人はみな、その隣り人を欺き、真実を言う者はない。

彼らは自分の舌に偽りを言うことを教え、悪を行い、疲れて悔い改めるいとまもなく、

 

 

ですから、皆さん、今はエキサイティングな時です。覚えておいてください。うろたえないで下さい! 思いとどまらないで下さい! 気落ちしないで下さい! 落胆しないで下さい!それが彼らの狙いだから、戦いたくないのです!思い出してください!思い出して!クリスチャンの皆さん、プレトリブ(携挙を信じる人々?)!「あなたは全てを奪われてしまいます。車を運転していて、天国へと蒸発してしまうのです。戦う必要はありません! 戦わないで!戦わなくていいんだ! 戦わなくていいんだ!艱難辛苦も何もありません!何もない!」(このような声に対して)抵抗しなければならないのです。(2020.11.29)

 

(マタイによる福音書24:21)

その時には、世の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような大きな患難が起るからである。

 

(ダニエル書12:10)

多くの者は、自分を清め、自分を白くし、かつ練られるでしょう。しかし、悪い者は悪い事をおこない、ひとりも悟ることはないが、賢い者は悟るでしょう。

 

(イザヤ書41:10-11)

恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。驚いてはならない、わたしはあなたの神である。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる。見よ、あなたにむかって怒る者はみな、はじて、あわてふためき、あなたと争う者は滅びて無に帰する。

 

 

使徒行伝の1章は、強力なリマであるだけでなく、キリスト教全体の出発点でもあります。ユダヤ・キリスト教の全体的な世界観は、私たちは、宇宙の創造主であり設計者である神によって創造されたというものです。つまり、知的な存在がいて、数学と建築術を使って、私たちが住んでいるこの信じられないような宇宙を創造した存在がいて、私たちもこの神によって創造されたのです。そして、この神は愛の神であり、この神は私たちに何を与えたのでしょうか?神とサタン、善と悪のどちらかを選ぶ自由意志を与えてくださったのです。これは皆さんにとって素晴らしい出発点です。(2020.11.22)

 

(ヤコブの手紙1:25)

 これに反して、完全な自由の律法を一心に見つめてたゆまない人は、聞いて忘れてしまう人ではなくて、実際に行う人である。こういう人は、その行いによって祝福される。

 

(創世記1:27)

神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。




第1章 キリストと共同の相続人

1.5 ショーン牧師(文亨進氏)の祈り


父なる神様、今日の美しい日と、私たちに授けてくださるみ言に感謝します。エデンの園に戻るために、列王記上とソロモン王の学びと神殿の建物に感謝します。


父よ、私たちは自由になり、あなたの子どもとなり、主権を持ち、地を受け継ぐことができるエデンの園に戻りたいのです。私たちのためではなく、私たちの欲張りでもなく、私たちが地を治めることができるためです。


神よ、私たちの心の中に義を起こしてください。神よ、私たちの心の中に聖霊を起こしてください!神聖さ、純粋性、忠実性など、国や世界を自由に保つために不可欠なすべての美徳を起こしてください。ガラテヤ人への手紙第5章に「自由を得させるために、キリストは、私たちを解放してくださったのである!」とあるように、キリストの体に属するすべての人々が、放蕩な文化から自由の文化へと立ち返ることができるように祈ります。


神よ、私たちがもはや奴隷ではなく、悪魔のしもべでもなく、罪のしもべでもなく、彼の放縦と彼の王国の奴隷でもなく、今や彼の支配、罠、私たちに向けられた彼の戦争の武器から解放され、あなたが敵の火の矢を彼自身に向かうようにひっくり返してくださったことを感謝します。神様、あなたが私たちに与えてくださった救いと恵みの贈り物に感謝します。私たちが罪人であったにもかかわらず、あなたは私たちを愛し、私たちに近づき、私たちを追いかけ、私たち自身の罪、私たち自身の弱さから私たちを救ってくださいました。そうすることで、私たちはあなたの中で正しい者となり、このアニメーションのような自由のコンテストにおいて、歴史上の壮大な瞬間に、すべての人々が活性化され、この押し寄せている邪悪な波、マルクス主義とサタニズムの波に立ち向かうために、あなたと一緒に悪に対抗する戦線に立つことができるのです!この時代において、私たちを奮い立たせてください!


今日、ここに集まったすべての人々と共に、賛美と祈りを捧げ、あなたの尊いお名前で祈り、すべての賛美と栄光と名誉をあなたに捧げます。アーメン!!アーメン!(2020.11.29)



  

第2章 家庭:神の王国の礎

 

アダムとエバが「成熟」した後に、彼らは「増える」(繁殖)ようになっていましたが、それは常に神を中心とした家庭の状況下で行われることを意味していました。この家庭には、正しい男性と勇気ある女性がいて、家庭が神の王国の最初の土台の象徴であるという考えの下、お互いに愛し合うのです。神を中心とした家庭は、結婚という永遠の契約を結んだ両親から始まり、氏族、社会、国、そして世界へと広がっていきます。その世界はどのようなものでしょうか?それは、地上の神の王国にほかなりません。

 

(ヨハネの第三の手紙1:4)

わたしの子供たちが真理のうちを歩いていることを聞く以上に、大きい喜びはない。

  


2.1. 子どもたちとの1対1のトレーニング

 

子供たちは、個別にたくさんの愛を感じています。他の兄弟姉妹と一緒にいるわけではないので、彼らと競争する必要はありません。子供たちは、ただママとパパと一緒にいて時を過ごし、同時に素晴らしい祝福を受けることができます。(2021.05.09)

 

(詩篇127:3-5)

見よ、子供たちは神から賜わった嗣業であり、胎の実は報いの賜物である。壮年の時の子供は勇士の手にある矢のようだ。矢の満ちた矢筒を持つ人はさいわいである。彼は門で敵と物言うとき恥じることはない。

 

(箴言1:8-9)

わが子よ、あなたは父の教訓を聞き、母の教を捨ててはならない。それらは、あなたの頭の麗しい冠となり、あなたの首の飾りとなるからである。

 

 

イサクはヤコブに祝福の言葉を与えた。「あなたの子孫は祝福され、あなたの行う業は祝福され、あなたの敵はあなたの足の下で呪われるであろう!」イサクはヤコブを祝福したのです。だから、信八(신팔、シンパル:二代王夫妻の長男)との 「デートナイト」には、ママは信八に、なぜママが信八がいてくれて感謝しているのか、彼は赤ん坊だったこと、彼は5歳だったこと、などの3つの祝福の言葉を与えます。そして、今度は信八がママに3つの祝福の言葉をかけるのです。「ママはとても美しい、ママはとても素晴らしい、ママはとても賢い」と。そうやって始まって、パパにも同じことをするのです。(2021.05.09)

 

(創世記28:1-3)

 イサクはヤコブを呼んで、これを祝福し、命じて言った、「あなたはカナンの娘を妻にめとってはならない。立ってパダンアラムへ行き、あなたの母の父ベトエルの家に行って、そこであなたの母の兄ラバンの娘を妻にめとりなさい。全能の神が、あなたを祝福し、多くの子を得させ、かつふえさせて、多くの国民とし、

 

(マルコによる福音書10:15-16)

よく聞いておくがよい。だれでも幼な子のように神の国を受けいれる者でなければ、そこにはいることは決してできない」。そして彼らを抱き、手をその上において祝福された。

 

自分の子供を他の子供と比べないでください。彼らの日(デートの日)には、他の兄弟姉妹のことは忘れています。競争する必要はありません。ママの注目を集めるために争う必要もありません。彼らだけの日であり、個人の時間なのです。ママとパパと子供が一緒に、感謝の気持ちでいっぱいの素晴らしい体験をするのです (2021.05.09)

 

(エペソ人への手紙1:16)

わたしの祈のたびごとにあなたがたを覚えて、絶えずあなたがたのために感謝している。

 

(民数記6:24-26)

「願わくは主があなたを祝福し、あなたを守られるように。願わくは主がみ顔をもってあなたを照し、あなたを恵まれるように。願わくは主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜わるように」』。

 

 

男性は家庭では王であり、祭司です。(ヨハネの黙示録1:5)だから、私たちは子供たちを伝道しなければなりません。親が信者だったからといって、子供たちが信者になることはありません。アーメン!その保証はありません。当然ですが、保証はないのです。あなたがすべての正しいことをしても、それでも、サタンはあなたを攻撃することができます。サタンは、キリストの体、イエスを信じる人々、神を中心とした家族を信じる人々を破壊しようとします。あなたは攻撃の対象ですから、攻撃されることを予期しし、準備しておきましょう。アーメン!(2021.04.04)

 

(ヨハネの第三の手紙1:4)

わたしの子供たちが真理のうちを歩いていることを聞く以上に、大きい喜びはない。

 

(ヨハネの黙示録1:5-6)

また、忠実な証人、死人の中から最初に生れた者、地上の諸王の支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。わたしたちを愛し、その血によってわたしたちを罪から解放し、わたしたちを、その父なる神のために、御国の民とし、祭司として下さったかたに、世々限りなく栄光と権力とがあるように、アァメン。

 

 

皆さんに自分たちの子供を放ったらかしにするために、彼らがあなたに言い聞かせ、押し付けた現代の嘘があります。それは、「あなたはすべてをこなすべきだ」というものです。仕事をして、子供を産んで、素晴らしい結婚生活を送ることができます。しかし、それは全く真実ではありません。1日に十分な時間がないのですから、そんなことはできません。何かが崩壊しているのです。(2021.04.02)

 

(箴言 14:12)

人が見て自ら正しいとする道でも、その終りはついに死に至る道となるものがある。

 

(エペソ人への手紙5:15-17)。

そこで、あなたがたの歩きかたによく注意して、賢くない者のようにではなく、賢い者のように歩き、今の時を生かして用いなさい。今は悪い時代なのである。だから、愚かな者にならないで、主の御旨がなんであるかを悟りなさい。

 

 

若者がマッカーサーや現場の軍司令官を尊敬するのはいいことだと思います。それはとても重要なことです。とても大切なことです。このような男性は、若い世代の男性が尊敬するお手本です。(2020.11.29)

 

(箴言17:6)

孫は老人の冠である、父は子の栄えである。

 

(エペソ人への手紙6:1-3)

子たる者よ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことである。「あなたの父と母とを敬え」。これが第一の戒めであって、次の約束がそれについている、「そうすれば、あなたは幸福になり、地上でながく生きながらえるであろう」。

 

 

勉強が一番大事なのではありません。経験がもっと大切です。(2020.10.14)

 

(箴言24:16)

正しい者は七たび倒れても、また起きあがる、しかし、悪しき者は災によって滅びる。

 

(伝道の書12:12)

わが子よ、これら以外の事にも心を用いよ。多くの書を作れば際限がない。多く学べばからだが疲れる。

 

 

子供たちは隣人を愛するように訓練され、スキューバダイビングなどあらゆることをするようになるでしょう。彼らはコンピュータの前でゲームをすることはありません。それは地獄です。そこに自由は全くありません。(2020.10.28)

 

(箴言22:6)

子をその行くべき道に従って教えよ、そうすれば年老いても、それを離れることがない。

 

(コロサイ人への手紙3:17)

そして、あなたのすることはすべて、言葉によるとわざによるとを問わず、いっさい主イエスの名によってなし、彼によって父なる神に感謝しなさい。

 

 

子供に教会を押し付けてはいけません。それは偽物です。彼らは、神のみ言を読むことで神を感じることができる必要があります。あなたは聖霊に触れられています。戦場で最も勇気のある人は、神に出会う人です。平和警察・平和軍の子供たちを育てているのだと考えてください。(2020.10.14)

 

(申命記31:6)

あなたがたは強く、かつ勇ましくなければならない。彼らを恐れ、おののいてはならない。あなたの神、主があなたと共に行かれるからである。主は決してあなたを見放さず、またあなたを見捨てられないであろう」。

 

(テモテへの第二の手紙3:16)

聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。

 

(テモテへの第二の手紙1:14)

そして、あなたにゆだねられている尊いものを、わたしたちの内に宿っている聖霊によって守りなさい。

 

 

10歳までに、肉体的な訓練を始めるべきで、特に息子たちは強くなるべきです。父親は10歳から息子たちを訓練すべきです。息子たちを成長させるための訓練をすべきです。もし子供たちが父親を尊敬することを学べば、良い人間になるでしょう。もし父親が子供を教育しなければ、子供は間違った道を歩むことになるでしょう。(2020.10.28)

 

(箴言13:24)

 むちを加えない者はその子を憎むのである、子を愛する者は、つとめてこれを懲らしめる。

 

(箴言15:5)

愚かな者は父の教訓を軽んじる、戒めを守る者は賢い者である。

 

(箴言17:6)

孫は老人の冠である、父は子の栄えである。

 

 

一日中家の中にいて、テレビゲームをしている子供がいます。彼らは弱く、そのようにして体を壊しています。女性は、自分を上質な存在だと思うように教育され、肉体労働をする男性を見下すようになります。そのような体を使って働く男性は強くなり、肉食動物が襲ってきたときに家族を守ることができるようになるのです。(2020.10.28)

 

(伝道の書 5:12)

働く者は食べることが少なくても多くても、快く眠る。しかし飽き足りるほどの富は、彼に眠ることをゆるさない。

 

(箴言20:11)

幼な子でさえも、その行いによって自らを示し、そのすることの清いか正しいかを現す。

 



第2章 家庭:神の王国の礎

2.2 スワット(特別機動隊)パートナーとしての夫と妻

 

あなたは神のような女性について話しています。自分を完全に否定して、キリストに自分を捧げた女性のことを言うのです。これは、キリストの真の花嫁の典型であり、私たちは彼女を真の母として尊敬しています。(2020.11.01)

 

(箴言31:26-30)

彼女は口を開いて知恵を語る、その舌にはいつくしみの教がある。彼女は家の事をよくかえりみ、怠りのかてを食べることをしない。その子らは立ち上がって彼女を祝し、その夫もまた彼女をほめたたえて言う、「りっぱに事をなし遂げる女は多いけれども、あなたはそのすべてにまさっている」と。あでやかさは偽りであり、美しさはつかのまである、しかし主を恐れる女はほめたたえられる。

 

 

夫たちは、妻と一緒にトレーニングをするようにしましょう。最低でも週に1日はトレーニングをするようにしましょう。あなたがどんなに忙しくても、それは重要でありません。週に1日は、女王を連れ出すのです。あなたの一日を持つようにしましょうy。美しい食事、ランチなど何でも構いません。冬のキャンプに、彼女がその気になれば、彼女が一日の中にそれを含めるかも知れません! さあ、頑張ってみましょう。ほとんどの女性は行かないでしょう。そうです。ただ正直に言っているだけなのです。彼女を良い場所に連れて出して、そして忘れてはいけないのは、家族の中で感謝の態度を作らなければならないということです。これは素晴らしいトレーニングであり、継続して行わなければならない、とても重要なトレーニングです。これは、あなたの5%です。あなたはそれをしなければなりません。そうです!私たちの結婚生活でもそうしなければなりません。だから、私たちは常に女王とデートしているのです。 私たちは女王との関係にワクワクしているのです。 アーメン!!男性諸君!(2021.02.28)

 

(ペテロの第一の手紙 3:7)

夫たる者よ。あなたがたも同じように、女は自分よりも弱い器であることを認めて、知識に従って妻と共に住み、いのちの恵みを共どもに受け継ぐ者として、尊びなさい。それは、あなたがたの祈が妨げられないためである。

 

(エペソ人への手紙5:28-29)

それと同じく、夫も自分の妻を、自分のからだのように愛さねばならない。自分の妻を愛する者は、自分自身を愛するのである。自分自身を憎んだ者は、いまだかつて、ひとりもいない。かえって、キリストが教会になさったようにして、おのれを育て養うのが常である。

 

 

あなたの夫のために祈りましょう。彼を励まし、尊敬しましょう。それが、あなたがなるべき妻の姿です。いつも人を見下して、友達に文句を言う女性を評価する男性がいるでしょうか?そのような女性を愛する男性はいないでしょう。あなたの夫に感謝しましょう。いつも彼を支えてあげてください。男性はそんな女性にいつでも感謝するのです。(2020.10.28)

 

(エペソ人への手紙5:33)

いずれにしても、あなたがたは、それぞれ、自分の妻を自分自身のように愛しなさい。妻もまた夫を敬いなさい。

 

(箴言12:4)

賢い妻はその夫の冠である、恥をこうむらせる妻は夫の骨に生じた腐れのようなものである。

 

 

男性は、妻の尊敬と支えから力を得ます。ある女性が悪口を言っても、夫がそれに答えなかった場合、夫は傷ついていないと思ってしまいます。しかし、自分を表現する方法はたくさんあります。沈黙も問題です。夫はその雰囲気を感じ取り、子供たちも感じるのです。夫があなたに対してロマンチックでなくても、文句を言わないでください。自分の態度を考えて、毎日彼を失望させないようにしましょう。(2020.10.28)

 

(コリント人への第一の手紙7:3)

夫は妻にその分を果し、妻も同様に夫にその分を果すべきである。

 

(テモテへの第一の手紙3:11)

女たちも、同様に謹厳で、他人をそしらず、自らを制し、すべてのことに忠実でなければならない。

 

(箴言19:13-14)

愚かな子はその父の災である、妻の争うのは、雨漏りの絶えないのとひとしい。家と富とは先祖からうけつぐもの、賢い妻は主から賜わるものである。

 

 

もしあなたの夫がうまく祈れないなら、彼をサポートするようにしましょう。彼はあなたの祭司です。不満を言ってはいけません。そうでなければ、あなたは霊的な自殺をして、サタンの手の中で踊らされることになります。もしあなたが被害者意識を持っているなら、自分の配偶者をテレビで見たドラマの人物と比較するようになりますが、それは霊的な自殺行為です。あなたは夫を支え、励ますことに取り組む必要があります。もしあなたが彼を馬鹿にしたり、文句を言ったりするなら、彼は決して祭司にはなれません。あなたの子供たちはあなたたちの関係を見て、祝福を感謝することはないでしょう。(2020.10.28)

 

(ヤコブの手紙5:16)

 だから、互に罪を告白し合い、また、いやされるようにお互のために祈りなさい。義人の祈は、大いに力があり、効果のあるものである.

 

(エペソ人への手紙4:29)

悪い言葉をいっさい、あなたがたの口から出してはいけない。必要があれば、人の徳を高めるのに役立つような言葉を語って、聞いている者の益になるようにしなさい。

 

(エペソの人への手紙4:32)

互に情深く、あわれみ深い者となり、神がキリストにあってあなたがたをゆるして下さったように、あなたがたも互にゆるし合いなさい。

 

 

若い頃から、投資の考え方を持つべきです。ビジネスオーナーになる方法や、大家族の価値についての考え方を身につけなければなりません。大家族の価値が分からない人々は、むしろ、赤ちゃんは重荷であると教えています。母親が子供を資産ではなく、重荷と考えるのはなぜでしょうか?動物だって、自分の子供を愛しています。人間は動物よりも悪く、子供を負債と見なします。国の制度で子供を育てるための費用を計算します。これは全くのナンセンスです。国の制度は、女性が子供を産むことを支援します。子供ほど特別なものはありません。子供は負債ではありません。 (2020.10.28)

 

(詩篇127:3-5)

見よ、子供たちは神から賜わった嗣業であり、胎の実は報いの賜物である。壮年の時の子供は勇士の手にある矢のようだ。矢の満ちた矢筒を持つ人はさいわいである。彼は門で敵と物言うとき恥じることはない。

 

(詩篇139:13-16)

あなたはわが内臓をつくり、わが母の胎内でわたしを組み立てられました。わたしはあなたをほめたたえます。あなたは恐るべく、くすしき方だからです。あなたのみわざはくすしく、

あなたは最もよくわたしを知っておられます。わたしが隠れた所で造られ、地の深い所でつづり合されたとき、わたしの骨はあなたに隠れることがなかった。あなたの目は、まだできあがらないわたしのからだを見られた。わたしのためにつくられたわがよわいの日のまだ一日もなかったとき、その日はことごとくあなたの書にしるされた。

 

(マラキ2:15)

一つ神は、われわれのために命の霊を造り、これをささえられたではないか。彼は何を望まれるか。神を敬う子孫であるゆえ、あなたがたはみずから慎んで、その若い時の妻を裏切ってはならない


女王には人と実際に会っておしゃべりする時間が必要なのです!男性は、肩を並べて何かをすることで絆を深めることができます。一緒にハーレーを修理するとか、外に出てバスケをするとか、そういうことです。私が言っていることがわかりますか?肩を並べるようなことをして、絆を深めることができるのです。女性にとって、顔を合わせて話をしながら、絆を深める時間はとても重要です。目の動きに関する研究では、顔を見たり、相手の表情を読み取するときの目の動きは、女性のほうが男性よりも27倍も多いと言われています。目の動きに関する非常に多くの研究があります。だから、私たちは配偶者と顔を合わせる時間が必要なのです。今、多くの男性は「親密な関係の中で、俺は彼女を見ているのだ」と思っている人が多いようですが、それは間違いです。違うのです!それは彼女のためではないのです!対面の時間は再誓約の時間であり、彼女はあなたを再び見て、あなたが彼女に関わり、投資していることを知ることができます。このようなことは絶対に重要なことです。そのためには、配偶者とのデートやトレーニングの日、そしてそれを真剣に受け止めることです!真剣に受け止め、それを毎週一貫して行う人は、祝福されます。神はあなたを祝福するでしょう。そうすることによって、あなたが完璧になることはありませんが、神はあなたを祝福してくださるでしょう。(2021.02.28)

 

(コロサイ人への手紙3:13-15)

互に忍びあい、もし互に責むべきことがあれば、ゆるし合いなさい。主もあなたがたをゆるして下さったのだから、そのように、あなたがたもゆるし合いなさい。これらいっさいのものの上に、愛を加えなさい。愛は、すべてを完全に結ぶ帯である。キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。あなたがたが召されて一体となったのは、このためでもある。いつも感謝していなさい。

 

(サムエル記下7:29)

「どうぞ今、しもべの家を祝福し、あなたの前に長くつづかせてくださるように。主なる神よ、あなたがそれを言われたのです。どうぞあなたの祝福によって、しもべの家がながく祝福されますように」。

 

 

皆さんは、自分の身近な5人の人によく似てきます。愚痴をこぼす妻たちと親しくしていると、彼女たちに似てきます。あなたは祭司である夫をサポートする必要があります。二人とも人格的に欠けています!あなたがご主人のことで泣いたり文句を言ったりすることを、子供たちはどのように受け止めているでしょうか?あなたはその結果を考えていません。あなたは家族を破滅に導いているのです。(2020.10.28)

 

(箴言13:20)

知恵ある者とともに歩む者は知恵を得る。愚かな者の友となる者は害をうける。

 

(箴言21:19)

争い怒る女と共におるよりは、荒野に住むほうがましだ。

 

(テトスへの手紙2:4-5)

そうすれば、彼女たちは、若い女たちに、夫を愛し、子供を愛し、慎み深く、純潔で、家事に努め、善良で、自分の夫に従順であるように教えることになり、したがって、神の言がそしりを受けないようになるであろう。

 

 

女性の皆さん、もしあなたが夫を尊敬できなければ、夫は失敗するでしょう。彼はあなたと離婚するでしょう。彼は最高にカリスマ性を持った祭司ではないかもしれませんが、あなたは彼をサポートする必要があります。チームプレーヤーはお互いを信頼しているものです。妻よ、夫に敬意を払いましょう! 「神様、感謝します!」夫を批判することはやめましょう。あなたは彼を霊的に殺しています。人はこのようなことを考えません。妻は夫に泣き言を言います。聖霊があなたを通して働く雰囲気を作りましょう。神は、あなたの夫を助けるために、聖霊を送ってくださいます。あなたは自分のイメージのことを考え、神との関係のことは考えていません。あなたの夫を批判しないでください。あなたは神ではありません。あなたは人を救うことができない人です。救いは神によってのみ起こります。自分が人を救うことができると考えることはやめましょう。 (2020.10.28)

 

(ペテロの第一の手紙3:1-4)

同じように、妻たる者よ。夫に仕えなさい。そうすれば、たとい御言に従わない夫であっても、あなたがたのうやうやしく清い行いを見て、その妻の無言の行いによって、救に入れられるようになるであろう。あなたがたは、髪を編み、金の飾りをつけ、服装をととのえるような外面の飾りではなく、かくれた内なる人、柔和で、しとやかな霊という朽ちることのない飾りを、身につけるべきである。これこそ、神のみまえに、きわめて尊いものである。

 

(マタイによる福音書19:5-6)

そして言われた、それゆえに、人は父母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである』。彼らはもはや、ふたりではなく一体である。だから、神が合わせられたものを、人は離してはならない」。

 

(詩篇37:39)

正しい人の救は主から出る。主は彼らの悩みの時の避け所である。

  

トレーニングは私たちを鍛えます。肉体的なトレーニング、よりハードなトレーニング、アウトドアのトレーニング、ブッシュクラフトのサバイバルトレーニング、あるいは武道のトレーニングなどです。それらはすべて、私たちの内なる精神と内なる忍耐力、そして痛みに対する耐性を強化します。しかし同時に、私たちは配偶者との関係にも注意を払わなければなりません。祝福を受けたら、その関係に投資しなければなりません。なぜなら、最終的には、サタンが巧妙にひびを入れて破壊しようとする場所だからです。アーメン! ですから、王と女王との関係は、良好で強く、しっかりしたものでなければなりません。 私たちはそれらに投入しなければなりません。少なくとも週に一度は、顔を合わせる時間が必要です。アーメン!(2021.02.28)

 

(ヘブル人への手紙12:11-13)

すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。それだから、あなたがたのなえた手と、弱くなっているひざとを、まっすぐにしなさい。また、足のなえている者が踏みはずすことなく、むしろいやされるように、あなたがたの足のために、まっすぐな道をつくりなさい。

 

(マタイによる福音書19:5-6)

そして言われた、それゆえに、人は父母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである』。彼らはもはや、ふたりではなく一体である。だから、神が合わせられたものを、人は離してはならない」。

  

ルツの物語に登場するボアズは、彼女と結婚したら、彼女に投資して、彼女を育てていくことを理解しています。キリストも、贖い主として、民を救ったら、花婿として、花嫁に投資して、育て上げようとしているのです。アーメン! キリストが私たちを救ってから、「よし、もう自分の道を進んで、私を悩ませないでくれ!」と言うようなものではありません。そうでしょう?キリストは私たちと関わり続け、私たちの信仰の歩みに投資し続けてくださるのです。同じように、家庭の祭司として、私たちはパートナーである女王に投資していることを確認しなければなりません。女王は、子供たちを伝道して、信仰的な道に進むように、また、私たちの王国の国民になることを信仰的な方法で助けてくれます。それがあなたのパートナーであり、サタンとサタンの王国に対抗するという意味で、善なる犯罪のパートナーなのです。アーメン!(2021.02.28)

 

(ペテロの第一の手紙2:9-10)

しかし、あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である。それによって、暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下さったかたのみわざを、あなたがたが語り伝えるためである。あなたがたは、以前は神の民でなかったが、いまは神の民であり、以前は、あわれみを受けたことのない者であったが、いまは、あわれみを受けた者となっている。

 

(エレミヤ書24:6-7)

わたしは彼らに目をかけてこれを恵み、彼らをこの地に返し、彼らを建てて倒さず、植えて抜かない。わたしは彼らにわたしが主であることを知る心を与えよう。彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。彼らは一心にわたしのもとに帰ってくる。

 

自分がそこにいないからといって、すべてが崩壊するわけではありません。 ほら、それって自己崇拝ではないですか。もしあなたが子供たちを正しく育てたなら、もしあなたが妻を訓練して、彼女を力のある強い女性、高貴な女性、神のような女性にしたなら、あなたは何を恐れるのですか?何を恐れるのでしょうか?あなたは5%の責任を果たしましたが、何を恐れるのでしょうか?神がコントロールしているのです。神が船の舵を捜査しているのです。何を恐れるのですか?なぜ死ぬことを恐れるのですか?あなたは霊界を信じていませんか?死後の人生を信じていないのですか?キリスト教の中心的な柱の一つは、私たちがこの世の恩義を受けずに、天に宝を蓄えることではありませんか?白帯のようですね。(2020.11.13)

 

(マタイによる福音書6:20 )

むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。

 

(ヘブル人への手紙13:4-6)

すべての人は、結婚を重んずべきである。また寝床を汚してはならない。神は、不品行な者や姦淫をする者をさばかれる。金銭を愛することをしないで、自分の持っているもので満足しなさい。主は、「わたしは、決してあなたを離れず、あなたを捨てない」と言われた。 だから、わたしたちは、はばからずに言おう、「主はわたしの助け主である。わたしには恐れはない。人は、わたしに何ができようか」。




第2章 家庭:神の王国の礎

2.3 家族のスワットチーム

 

神はあなたに夫婦の関係を与えました。これこそが、最強チームであり、原動力なのです。夫と妻、それこそが動力源なのです。そして、両親と一体となるべき子供たちがいます。彼らはスワットチームのようにしっかりとしていて、最高の存在でなければなりません。だからこそ、王国は中央集権的な警察や軍隊ではなく、「神を愛し、隣人を愛しなさい」という武装した市民の集まりなのです。あなたの子供やあなたが隣人と一緒に訓練を受け、集団でみんながお互いを守っているのです。ちょうど、大きな銃の集会に行った場合、銃の集会が一番安全な場所であるのと同じです。(2021.05.09)

 

(ルカによる福音書10:27)

彼は答えて言った、「『心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。また、『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』とあります」。

 

(創世記2:24)

それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。

 

(エペソ人への手紙6:1-4)

子たる者よ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことである。「あなたの父と母とを敬え」。これが第一の戒めであって、次の約束がそれについている、「そうすれば、あなたは幸福になり、地上でながく生きながらえるであろう」。父たる者よ。子供をおこらせないで、主の薫陶と訓戒とによって、彼らを育てなさい。

  

父親は羊飼いであり、母親は教育者です。二世の子供の80%が教会を離れてしまうのは、父親が王様でも祭司でもなかったからです。多くの親が子供をそのように育て、ロボットにしてしまったのです。それは良い教育ではありませんでした。子供が質問しても、答えてくれませんでした。子供たちは人間関係を作る方法を学ぶ必要がありました。それは親から教わるべきことです。子供のレベルに合わせて、少しずつ証しをしてていく必要があります。皆さんは、人々が困難な状況に置かれているときに心配してあげましたが、子どもたちの話を聞かず、質問にも答えなかったので、子どもたちは去ってしまったのです。あなたは牧師、シェパードのようなものです。子供たちが質問してきたら、答えてあげないといけないし、教育も受けないといけないのです。(2020.10.28)

 

(申命記11:19)

 これを子供たちに教え、家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、それについて語り、

 

(コロサイ人への手紙3:20-21)

子たる者よ、何事についても両親に従いなさい。これが主に喜ばれることである。 3:21父たる者よ、子供をいらだたせてはいけない。心がいじけるかも知れないから。

 

(ペテロの第一の手紙5:1-3)

そこで、あなたがたのうちの長老たちに勧める。わたしも、長老のひとりで、キリストの苦難についての証人であり、また、やがて現れようとする栄光にあずかる者である。あなたがたにゆだねられている神の羊の群れを牧しなさい。しいられてするのではなく、神に従って自ら進んでなし、恥ずべき利得のためではなく、本心から、それをしなさい。また、ゆだねられた者たちの上に権力をふるうことをしないで、むしろ、群れの模範となるべきである。

 

 

重要なのは、社会の中で他の人が皆さんの息子をどう見るかということです。他の人が評価するようなスキルや資質を身につけさせる必要があるのです。どんなに悪態をついても、どんなに上手に話しても、正直で、困難な仕事から逃げないようにしましょう。(2020.10.28)

 

(詩篇78:72)

こうして彼は直き心をもって彼らを牧し、巧みな手をもって彼らを導いた。

 

(エペソ人への手紙6:4)

父たる者よ。子供をおこらせないで、主の薫陶と訓戒とによって、彼らを育てなさい。

 

(箴言23:11-12)

彼らのあがない主は強くいらせられ、あなたに逆らって彼らの訴えを弁護されるからだ。あなたの心を教訓に用い、あなたの耳を知識の言葉に傾けよ。

 

 

羊飼いの心は、自分の子供たちのため、そして後の世代のために死ぬことができなければなりません。人は自分のことしか考えません。主の愛を知らないのです。神の愛は人のために死ねることなのです。(2020.10.14)

 

(ヨハネによる福音書10:11)

わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる。

(ヨハネによる福音書3:16)

神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。

 

(ローマ人への手紙5:6-8)

わたしたちがまだ弱かったころ、キリストは、時いたって、不信心な者たちのために死んで下さったのである。正しい人のために死ぬ者は、ほとんどいないであろう。善人のためには、進んで死ぬ者もあるいはいるであろう。しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。

 

 

力を持っていて、永遠に続くものは何ですか?関係!神様との関係、隣人との関係。そのような関係は、私たちの人生に意義と力を与えてくれますが、悪魔はそのようなものを望んでいません。なぜでしょうか?それがあれば、私たちは強いコミュニティを作り、強いネットワークを作ることができるからです。それぞれの家族には、強い父親、強い母親、そして子供たちとの強い関係があり、それぞれの家族は、悪魔が壊すことのできない霊的なSWATチームのようになるでしょう。しかし、それは自然に起こることではありません。私たちは投入しなければなりません。それをしなければならないのです。聖書は何と言っていますか?「私の母であり、兄弟である者が神の言葉を聞く」と言っていますが、何を?「実践しなさい!」 彼はただ聞くだけでなく、それを実行するのです! アーメン!(2021.02.06)

 

(ヨハネの福音書17:22-23)

わたしは、あなたからいただいた栄光を彼らにも与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためであります。わたしが彼らにおり、あなたがわたしにいますのは、彼らが完全に一つとなるためであり、また、あなたがわたしをつかわし、わたしを愛されたように、彼らをお愛しになったことを、世が知るためであります。

 

(箴言27:17)

鉄は鉄をとぐ、そのように人はその友の顔をとぐ。

 

(マタイによる福音書12:49-50)

そして、弟子たちの方に手をさし伸べて言われた、「ごらんなさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。天にいますわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」。

 

 

趣味のライフスタイルのためのトレーニング、例えば、バイクの編隊走行、柔術、飛行機、戦車などなど。このようなトレーニングは、子供たちや家族にとって良い思い出にもなります。また、子どもたちは、両親が自分の楽しみのために生きている人ではなく、より高い目的のために生きていることを知ることができます。(2020.12.02)

 

(創世記18:19)

「わたしは彼が後の子らと家族とに命じて主の道を守らせ、正義と公道とを行わせるために彼を知ったのである。これは主がかつてアブラハムについて言った事を彼の上に臨ませるためである」。

 

(マタイによる福音書20:28)

れは、人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためであるのと、ちょうど同じである」。

 

(マタイによる福音書7:12)

わたしは彼が後の子らと家族とに命じて主の道を守らせ、正義と公道とを行わせるために彼を知ったのである。これは主がかつてアブラハムについて言った事を彼の上に臨ませるためである」。

 

要するに、男性を含めなければ、男性の攻撃性の問題を回避することはできないのです。皆さんだけではできない、できないのです!ということです。良い男性がいなければ、社会を破壊してしまう問題を回避することはできません。皆さん、男性抜きでは、できないのです。あらゆるソーシャル・エンジニアリングを駆使しても、世界中のどんな政府があっても、そのような男性を行動させることはできません。彼らが若いときに行動を起こすようになるときには、家庭に父親がいるものです。父親は子供たちの最初のトレーナーのようなものです。彼らの最初のコーチのようなものです。父親は野球やサッカーを教えるだけではありません。銃の撃ち方を教え、その力の責任の取り方を教えているのです。資産の見方や財産の管理の仕方などを教えているのです。彼は父なる神について教えているのです。父親はお金やそのようなものについてだけでなく、神についても教えるべきです。私たちは祭司であり、家庭内の祭司でもあります。だから、私たちは彼らの最初の神学的教育者になるのです。(2021.05.23)

 

(箴言29:17)

あなたの子を懲しめよ、そうすれば彼はあなたを安らかにし、またあなたの心に喜びを与える。

 

(テモテへの第二の手紙3:15)

また幼い時から、聖書に親しみ、それが、キリスト・イエスに対する信仰によって救に至る知恵を、あなたに与えうる書物であることを知っている。

 

(箴言22:6)

子をその行くべき道に従って教えよ、そうすれば年老いても、それを離れることがない。

 

強い家庭の全体的な原動力は重要です。私たちはそれを馬鹿にするかも知れません。違います!間違っています。戦術的には非常に大きなもので、サタンがそれを破壊したいと願う激戦地なのです。なぜなら、もし私たちがその社会的ユニットを壊すなら、それはグリーンベレーのSWATチームやその他の特殊部隊をバラバラにするようなものだからです。サタンはそこに入り込んで、男性 対 女性、夫 対 妻といった混乱と分裂を作り出すことができるのです。フェミニズムはそのように設計されているのです。妻に恨みや怒りを抱かせ、結婚を奴隷のベッドと呼んだりします。皆さんがフェミニズムを受け入れれば、過激なフェミニストの女性たちは、奴隷の主人として皆さんを奴隷のように支配することになるでしょう。強い家庭の全体的な原動力は重要です。私たちはそれを馬鹿にするかも知れません。違います!間違っています。戦術的には非常に大きなもので、サタンがそれを破壊したいと願う激戦地なのです。なぜなら、もし私たちがその社会的ユニットを壊すなら、それはグリーンベレーのSWATチームやその他の特殊部隊をバラバラにするようなものだからです。サタンはそこに入り込んで、男性 対 女性、夫 対 妻といった混乱と分裂を作り出すことができるのです。フェミニズムはそのように設計されているのです。妻に恨みや怒りを抱かせ、結婚を奴隷のベッドと呼んだりします。皆さんがフェミニズムを受け入れれば、過激なフェミニストの女性たちは、奴隷の主人として皆さんを奴隷のように支配することになるでしょう。自分を守ってくれる夫もいないし、それによって強固な社会的ユニットが形成されることもありません。だから、彼ら(フェミニストたち)はそれを打ち破らなければならない、破壊しなければならないのです。しかし、神の王国では、私たちはそれ(強い家庭)を構築しなければならないのです。アーメン! (2021.02.28)

 

(マルコによる福音書10:7-9)

それゆえに、人はその父母を離れ、ふたりの者は一体となるべきである』。彼らはもはや、ふたりではなく一体である。だから、神が合わせられたものを、人は離してはならない」。

 

(ペテロの第一の手紙3:6-9)

たとえば、サラはアブラハムに仕えて、彼を主と呼んだ。あなたがたも、何事にもおびえ臆することなく善を行えば、サラの娘たちとなるのである。夫たる者よ。あなたがたも同じように、女は自分よりも弱い器であることを認めて、知識に従って妻と共に住み、いのちの恵みを共どもに受け継ぐ者として、尊びなさい。それは、あなたがたの祈が妨げられないためである。最後に言う。あなたがたは皆、心をひとつにし、同情し合い、兄弟愛をもち、あわれみ深くあり、謙虚でありなさい。悪をもって悪に報いず、悪口をもって悪口に報いず、かえって、祝福をもって報いなさい。あなたがたが召されたのは、祝福を受け継ぐためなのである。

 

若い親たちは子供たちに最高の贈り物をしていますが、それは何でしょう?それは「若さ」です。ビール、ドラッグ、アルコール、性病にかかった売春婦などに、自分たちの若さを捨てるのではなく!違います!そうではありません!彼らは自分たちの人生を捨てているわけではありません。彼らは自分たちの若さを将来のために投資し、自分たちの子供に青春を与えているのです。彼らの子供たちは、一緒に懸垂をしたり、一緒に腕立て伏せをしたり、一緒に走ったり、柔術やトレーニングをしたりできる若者と一緒に成長することができるのです。両親は子供たちと一緒にすべてのことをすることができます。これは何と素晴らしいことでしょう。親とそういう関係を持つことがどれだけ大きな祝福であるか、あなたには理解できないでしょう!アーメン!同時に、賢く投資した若い人たちは、スキルに賢く投資し、結婚に投資し、子供に投資し、40歳になる頃には、今では子供と一緒に信じられないような冒険をすることができます!パームビーチに行ってイルカやサメと一緒に泳いだり、テキサスに行ってナマズ狩りや豚狩りをしたりできるのです。友達や近所の人だけでなく、自分の子供たちと一緒に。 自分は皆さんの子供たちと話しているのです。別のレベルがあるのです、皆さん。自分の子供と一緒にそのようなトレーニングをすることができたら。もう一つのレベル!(2021.03.07)

 

(テモテへの第一の手紙4:12)

あなたは、年が若いために人に軽んじられてはならない。むしろ、言葉にも、行状にも、愛にも、信仰にも、純潔にも、信者の模範になりなさい。

 

(箴言1:8-10)

わが子よ、あなたは父の教訓を聞き、母の教を捨ててはならない。それらは、あなたの頭の麗しい冠となり、あなたの首の飾りとなるからである。わが子よ、悪者があなたを誘っても、それに従ってはならない。

 

これがすべての議論です。つまり、ユダヤ・キリスト教の倫理、ユダヤ・キリスト教の原則、ユダヤ・キリスト教の世界観に基づいた基本原則を持つことは差別的だということです。基本的には、キリストの戒めである「神を愛し、隣人を愛しなさい」ですが、それに加えて何でしょう?家族を守る、核家族を守る、男と女が一緒に結婚することを守る、その制度を守る、なぜならそれは子供にとって最も安全な制度だからです。それを壊すと、ノンバイナリー(自分自身を男性、女性のいずれでもないと認識している人)のカップルなどによって、社会が荒廃してしまいます。シングルマザーの場合でも、児童虐待率が11.3倍に跳ね上がったことがわかっています。社会学的に見ても、キリスト教的な世界観とキリスト教的な家族の構造が最も安全であることがわかります。つまり、男性と女性が強い関係を持ち、神の契約の下で強い結婚関係を築き、その環境の中で愛をもって子どもを育てることができるのです。アーメン!(2021.05.30)

 

(ローマ人への手紙12:9-13)

愛には偽りがあってはならない。悪は憎み退け、善には親しみ結び、兄弟の愛をもって互にいつくしみ、進んで互に尊敬し合いなさい。熱心で、うむことなく、霊に燃え、主に仕え、 望みをいだいて喜び、患難に耐え、常に祈りなさい。貧しい聖徒を助け、努めて旅人をもてなしなさい。

 

(イザヤ書41:6)

彼らはおのおのその隣を助け、その兄弟たちに言う、「勇気を出せよ」と。

 

(マルコによる福音書10:6-9)

しかし、天地創造の初めから、『神は人を男と女とに造られた。それゆえに、人はその父母を離れ、ふたりの者は一体となるべきである』。彼らはもはや、ふたりではなく一体である。だから、神が合わせられたものを、人は離してはならない」。




第2章 家庭:神の王国の礎

2.4 絶対性

 

結婚している人は、(気持ちが)安定しているだけでなく、社会的にも経済的にも安定しています。なぜなら、彼らは常に交尾をしようと走り回る野獣ではなく、その性的関係は結婚のために特別に保護されているからです。同僚にはそういうものはありません。違います。それらの関係は、性的な関係とは離れた関係なのです。私が言っていることがわかりますか?トレーニングパートナーは脱性的な関係、ジムの友人は脱性的な関係なのです。それで、(結婚を除く)そういったすべての関係が、社会的にも経済的にも明快になり、人々はより生産的になることができるのです。だからこそ、強い家族構成を持つ社会は生産性が高いのです。より多くの経済的富を生み出し、より多くの起業家精神を生み出します。すべてが完璧というわけではありませんが。若者たち、誤解しないでもらいたい。すべての家族が完璧だということではありません。まだまだ問題は抱えています。しかし、より多くの割合の人々が強力な長期的な結婚の契約関係にある場合、図らずも、社会全体に多くの社会学的利益が次々と生まれてくるというのです。アーメン!(2021.02.28)

 

(マラキ書2:14-15)

「なぜ神は受けられないのか」と尋ねる。これは主があなたと、あなたの若い時の妻との間の、契約の証人だったからである。彼女は、あなたの連れ合い、契約によるあなたの妻であるのに、あなたは彼女を裏切った。一つ神は、われわれのために命の霊を造り、これをささえられたではないか。彼は何を望まれるか。神を敬う子孫であるゆえ、あなたがたはみずから慎んで、その若い時の妻を裏切ってはならない。

 

(ヘブル人への手紙13:4)

すべての人は、結婚を重んずべきである。また寝床を汚してはならない。神は、不品行な者や姦淫をする者をさばかれる。

 

(詩篇103:17-18)

しかし主のいつくしみは、とこしえからとこしえまで、主を恐れる者の上にあり、その義は子らの子に及び、その契約を守り、その命令を心にとめて行う者にまで及ぶ。 

 

クリスチャンとして、私たちは同棲するべきではありませんよね?結婚に向けて、自分自身を純粋に保つべきなのです。聖書の世界観では、同棲は姦淫であり、西洋の人々はそれに慣れてきたかもしれませんが、これまでの伝統ではありませんでした。私たちの中では、結婚している男性と女性が本当に聖なるものではなくなってきています。だから、結婚生活に問題があっても、「もうやめよう。どうせ出会い系みたいなものだし、次の相手を探そう」となるわけです。(2021.06.20)

 

(コリント人への第一の手紙6:18-19)

不品行を避けなさい。人の犯すすべての罪は、からだの外にある。しかし不品行をする者は、自分のからだに対して罪を犯すのである。あなたがたは知らないのか。自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。

 

(ヘブル人への手紙13:4)

すべての人は、結婚を重んずべきである。また寝床を汚してはならない。神は、不品行な者や姦淫をする者をさばかれる。

 

(雅歌8:4)

エルサレムの娘たちよ、わたしはあなたがたに誓い、お願いする、愛のおのずから起るときまでは、ことさらに呼び起すことも、さますこともしないように。

 

胎内にいる赤ちゃんは、母親の胎内に入る前から神の計画があったことが、聖書にはっきりと書かれています。神は 結婚を推進しています。“pro-LGBTQ AIIAPPPCC”ではありません。結婚とは、男女の結婚です。聖書には「それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。」(創世記2章24節)とあり、キリストも結婚についてパリサイ派の人々に答える際に、この聖句を繰り返しています。つまり、キリストはプロライフ(生命を守る方)なのです。また、男女間の結婚にも賛成です。神は女性も作ったので、トランスジェンダーではありません。(2021.04.04)

 

(エレミヤ書1:4-5)

主の言葉がわたしに臨んで言う、「わたしはあなたをまだ母の胎につくらないさきに、

あなたを知り、あなたがまだ生れないさきに、あなたを聖別し、あなたを立てて万国の預言者とした」。

 

(マタイによる福音書19:4-6 )

イエスは答えて言われた、「あなたがたはまだ読んだことがないのか。『創造者は初めから人を男と女とに造られ、そして言われた、それゆえに、人は父母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである』。彼らはもはや、ふたりではなく一体である。だから、神が合わせられたものを、人は離してはならない」。

 

(創世記1:27)

神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。

  

神がエペソの信徒への手紙第6章で語っている愛と尊敬がなければ、長期的な関係を保つことはできません。夫は妻が愛せないときがあっても無条件に愛し、女性は夫が尊敬できないときがあっても無条件に尊敬します。そのような「愛と尊敬のダイナミズム」を持ち、それによって夫婦関係の中に王国を築くことで、生き生きとしたものになるのです。そこには力があり、磁力があり、ロマンスがあり、愛があり、親密さがあり、すべてが美しくなるのです。しかし、そのような夫婦関係を表す場所があり、それは美しく、力強く、社会や周りの人々を変えていきます。(2021.05.09)

 

(エペソ人への手紙5:33)

いずれにしても、あなたがたは、それぞれ、自分の妻を自分自身のように愛しなさい。妻もまた夫を敬いなさい。

 

(コリント人への第一の手紙7:3-5)

夫は妻にその分を果し、妻も同様に夫にその分を果すべきである。妻は自分のからだを自由にすることはできない。それができるのは夫である。夫も同様に自分のからだを自由にすることはできない。それができるのは妻である。互に拒んではいけない。ただし、合意の上で祈に専心するために、しばらく相別れ、それからまた一緒になることは、さしつかえない。そうでないと、自制力のないのに乗じて、サタンがあなたがたを誘惑するかも知れない。

  

ユダヤ・キリスト教文化は、通常の社会で、配偶者との関係以外の人間関係から性的な要素を取り除きます。ですから、性的なものの場所も、愛や親密さ、ロマンスなどの場所もありますが、それは結婚生活の中でのことです。そこでは、実りあるものとなり、神への栄光と喜びをもたらします。(2021.05.09)

 

(ヘブル人への手紙13:4)

すべての人は、結婚を重んずべきである。また寝床を汚してはならない。神は、不品行な者や姦淫をする者をさばかれる。

 

(テサロニケ人への第一の手紙4:3-5)

神のみこころは、あなたがたが清くなることである。すなわち、不品行を慎み、各自、気をつけて自分のからだを清く尊く保ち、神を知らない異邦人のように情欲をほしいままにせず、

 

(イザヤ書62:5)

若い者が処女をめとるようにあなたの子らはあなたをめとり、花婿が花嫁を喜ぶように

あなたの神はあなたを喜ばれる。


性を武器にして、人々を快楽主義者に仕立て上げようとする昔からのやり方です。だからお父様は、「サタンは最初の小児性愛者であり、初めて子供を捕食した者であり、暴行犯である」とおっしゃったのは、サタン世界のすべてがそれによって結びついているからです。全世界のポルノは、裸の女性で皆さんを誘い、それがゲイに向かい、獣に向かい、そして子供に向かっていきます。 そう、常に、常に、子供に向かっていくのです。なぜなら、これらの悪魔崇拝者の最高階級層は、サタンのように子供を食い物にしており、何でも利用するからです。(2021.04.04)

 

(マルコによる福音書9:42)

また、わたしを信じるこれらの小さい者のひとりをつまずかせる者は、大きなひきうすを首にかけられて海に投げ込まれた方が、はるかによい。

 

(レビ記18:17)

あなたは女とその娘とを一緒に犯してはならない。またその女のむすこの娘、またはその娘の娘を取って、これを犯してはならない。彼らはあなたの肉親であるから、これは悪事である。


(レビ記18:21-23)

あなたの子どもをモレクにささげてはならない。またあなたの神の名を汚してはならない。わたしは主である。あなたは女と寝るように男と寝てはならない。これは憎むべきことである。 あなたは獣と交わり、これによって身を汚してはならない。また女も獣の前に立って、これと交わってはならない。これは道にはずれたことである。

 

 

民族を弱体化させたければ、フリーセックス文化を放り込んでしまえばいいのです。中国政府は、中国でマルクス主義革命を行ったとき、毛沢東が国家を通じて、薬物、中毒性のある物質、さまざまな種類の薬物を促進するためにナイトクラブの開設に資金を提供しました。アルコールも非常に中毒性があります。麻薬、アルコール、そして何?セックスです。それは国家によって推進されました。国家はそれにお金を払いました、皆さん、それは乗っ取りシステムの一部だからです。何を言っているか、分かりますか?(2020.11.29)

 

(ペテロの第二の手紙2:14-15)

その目は淫行を追い、罪を犯して飽くことを知らない。彼らは心の定まらない者を誘惑し、その心は貪欲に慣れ、のろいの子となっている。彼らは正しい道からはずれて迷いに陥り、ベオルの子バラムの道に従った。バラムは不義の実を愛し、

 

(ペテロの第二の手紙3:17)

愛する者たちよ。それだから、あなたがたはかねてから心がけているように、非道の者の惑わしに誘い込まれて、あなたがた自身の確信を失うことのないように心がけなさい。

 

 

福祉制度は離婚を促進するだけでなく、フリーセックス文化を促進しています。「淫らになってはいけません!」「姦淫をやめなさい!」という道徳的な教えはありません。そのような教えは一切ありません。(2020.11.29)

 

(コリント人への第一の手紙7:9)

しかし、もし自制することができないなら、結婚するがよい。情の燃えるよりは、結婚する方が、よいからである。

 

(マタイによる福音書7:15-17)

にせ預言者を警戒せよ。彼らは、羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、その内側は強欲なおおかみである。あなたがたは、その実によって彼らを見わけるであろう。茨からぶどうを、あざみからいちじくを集める者があろうか。そのように、すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。

 

(ホセア書4:12)

わが民は木に向かって事を尋ねる。またそのつえは彼らに事を示す。これは淫行の霊が彼らを迷わしたからである。彼らはその神を捨てて淫行をなした。

 

 

欲情して他人を見れば、心の中で姦淫したことになりますから、心の中での姦淫者になりますよね?それは男性だけの問題だと思うでしょうが、そうではありません。男性には非常に強い視覚的な性的誘惑があっても、女性も常に欲しがっているのです。(2020.12.06)

 

(マタイによる福音書5:28)

 しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも、情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである。

 

(出エジプト記20:17)

「あなたは隣人の家をむさぼってはならない。隣人の妻、しもべ、はしため、牛、ろば、またすべて隣人のものをむさぼってはならない」。

 

(ローマ人への手紙13:9)

「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」など、そのほかに、どんな戒めがあっても、結局「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」というこの言葉に帰する。

 

 

通常、キリスト教文化圏では、「姦淫してはいけない。姦淫すると神の王国を受け継ぐことができないからだ。」と教えられます。これは、聖書に書かれていることです。だから、デートしたり姦淫したりしてはいけないのです。禁欲、独身であるべきであり、結婚においては、そこで性欲を開花させ、膨らませ、花を満開にさせるべきです。結婚生活こそが、満開にさせることができる唯一の場所だからです。それ以外の場所では、悪魔的なものになります。(2020.11.22)

 

(ガラテヤ人への手紙5:19-21)

肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。わたしは以前も言ったように、今も前もって言っておく。このようなことを行う者は、神の国をつぐことがない。

 

(テサロニケ人への第一の手紙4:3-5)

神のみこころは、あなたがたが清くなることである。すなわち、不品行を慎み、各自、気をつけて自分のからだを清く尊く保ち、神を知らない異邦人のように情欲をほしいままにせず、

  

アメリカのキリスト教を見てください。西洋のキリスト教を見てください。全世界で弱体化しているキリスト教です。そのすべてが姦淫に関わっているのです。結婚前の禁欲を教えている教会はほとんどありません。結婚前の禁欲は、キリスト教の全歴史の中で、基本的な、基本的な道徳的行動でした!それがキリスト教を、古代世界やフリーセックス文化、同性愛、トランスジェンダーから切り離したのです。(2020.11.22)

 

(ローマ人への手紙13:13-14)

そして、宴楽と泥酔、淫乱と好色、争いとねたみを捨てて、昼歩くように、つつましく歩こうではないか。あなたがたは、主イエス・キリストを着なさい。肉の欲を満たすことに心を向けてはならない。

 

(テモテへの第二の手紙2:22)

そこで、あなたは若い時の情欲を避けなさい。そして、きよい心をもって主を呼び求める人々と共に、義と信仰と愛と平和とを追い求めなさい。

 

(エペソ5:28-31)

それと同じく、夫も自分の妻を、自分のからだのように愛さねばならない。自分の妻を愛する者は、自分自身を愛するのである。自分自身を憎んだ者は、いまだかつて、ひとりもいない。かえって、キリストが教会になさったようにして、おのれを育て養うのが常である。わたしたちは、キリストのからだの肢体なのである。「それゆえに、人は父母を離れてその妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである」。

 

 

それは聖書が警告していることです。"あなたの子供をモレクやバアルの火に通してはいけません!"。この二つの神は、子供の生け贄や子供の殺害を要求するような神々です。基本的に、それは社会学的に何をしていたのでしょうか?それは、性の責任を奪っていたということです。そして、これが堕胎の目的なのです。性に対して無責任な人が子供を産んだら、それを殺せばいい、破壊すればいいのです。抹殺してしまえば、何の問題もありません。(2020.11.22)

 

(レビ記20:2)

「イスラエルの人々に言いなさい、『イスラエルの人々のうち、またイスラエルのうちに寄留する他国人のうち、だれでもその子供をモレクにささげる者は、必ず殺されなければならない。すなわち、国の民は彼を石で撃たなければならない。』

 

(エレミヤ書19:5)

また彼らはバアルのために高き所を築き、火をもって自分の子どもたちを焼き、燔祭としてバアルにささげた。これはわたしの命じたことではなく、定めたことでもなく、また思いもしなかったことである。




第2章 家庭:神の王国の礎

2.5 ショーン牧師(二代王)の祈り

 

父なる神よ、今日という日を感謝します。主よ、この美しい日に私たちを集めてくださり、交わりと御言葉を学ばせてくださったことを感謝します。ガラテヤ人への手紙第5章で、「自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのである。だから、堅く立って、二度と奴隷のくびきにつながれてはならない。」とおっしゃってくださったことを感謝します。

 

神よ、私たちはこの国のために祈ります、アメリカのために祈ります、全世界のために祈ります。心から自由を切望している世界中の愛国者たちのために祈ります。(ガラテヤ人への手紙5章)13節で、「その自由を、肉の働く機会としないで、愛をもって互に仕えなさい。」とあなたがおっしゃっているように、自由には大きな危険が伴うことを知っています。

 

しかし、あなたが与えてくださった自由は、私たちが守らなければならないもの、防御しなければならないもの、子供たちに教えなければならないものという責任があると受け止めさせてください。そうすれば、子供たちは、主であるあなたを起源とする、神から与えられた人権を守る次の世代になるでしょう。この復活の日曜日に、あなたに感謝します。私たちはイースターのウサギや卵、そしてそれらの儀式を理解することができるからです。私たちは、あなたの偉大な愛、死に対する勝利、私たちの中に、そして神を畏れるすべての男性、女性の中に存在する力を洞察することができます。

 

私たちは、あなたへの信仰を持ち、イエス・キリストの名を私たちの主であり、救い主として公言するだけでなく、主よ、私たちを結婚と家族の契約であなたと結びつけてください。

あなたに仕えます。

あなたに敬意を表し

あなたを守るために、そして

あなたの文化と文明を守ります。

 

神よ、私たちが不完全であることを知っていても、ここにいるすべての人々に感謝します。聖書が警告しているように、私たちはお互いに注目したり、ねたんだりしてはいけません。しかし、あなたが「あなたがたの交わりと兄弟愛の中で、互いに罪を告白しなさい」とおっしゃるように、私たちがお互いに弱音を吐くことができることを感謝します。あなたは完全ですが、私たちはそうではないことを知っているからです。

 

私たちが証しを分かち合うのは、「罪の報酬は死である」ことを知っているからです。私たちは、それがどこにつながるかを見てきました。そして、そのような哲学を国家的に採用している国がどこにつながるかを見てきました。

 

ですから、神よ、私たちは祈ります。アメリカが神の下に戻ってくるように。あなたの光の方へ導いてください。私たちがあなたのもとに戻るように、手綱を取り、ハンドルを握ってください。私たちは人間関係を築き直し、社会が私たちの価値のために置いた人工物や小さな付属品を取ることはありません。

 

それゆえ、私たちは、1番目にあなたとの関係を、2番目に配偶者との関係を、3番目に子供たちとの関係を失うことはないでしょう。

 

そして、私たちが一つになって、神の王国のために働き、奉仕し、福音を広め、死に打ち勝った命があること、代価が支払われたこと、私たちが多くの恵みと多くの感謝で満たされていることを伝えることです。

 

復活祭の日曜日の本当の意味を理解し、その復活の力を私たちの中に息づかせ、そしてアメリカの中にもう一度、そのすべてをお送りください。

 

神様、私たちはあなたにすべての賛美を捧げます。この復活祭の日曜日に、ここに集まっているすべての人々、ここに集まっているすべての王権の血統があなたを賛美し、あなたにすべての栄光と名誉を捧げます。アーメン! アジュ!

 

さあ、皆さん!全員起立して主に栄光を捧げましょう!アーメン!(2021.04.04)


第3章 主権者たる王国の市民

 

神を愛し、隣人を愛する個人や家族は、自然と地域社会にも責任を持つようになります。神がアダムとエバに「地を従わせなさい」と言われたのは、人類が創造に責任を持ち、土地を所有して管理し、自然界の豊かさを刈り取り、神から与えられた創意工夫を用いて「エデンの園」を開発し守るべきだという意味でした。キリストの共同相続人である私たちには、正義をもって統治し、専制政治に反対する政府を樹立する権利と責任があります。

 

(ルカによる福音書4:43)

しかしイエスは、「わたしは、ほかの町々にも神の国の福音を宣べ伝えねばならない。自分はそのためにつかわされたのである」と言われた。


 

3.1 神と隣人に仕える壮大な冒険

 

強くなりなさい! 政治的悪魔主義に抵抗しなさい!彼らは、あなたが強くなることを望んでいるのではなく、AR15と鉄のつえを奪い去りたいのです。なぜでしょうか?なぜなら、それは偉大な平衡装置(銃、力の差を調整して、平衡状態を維持)だからです。あなたは80歳の愛国者にもなれますし、80歳の愛国者のおばあちゃんにもなれます。「善をなすおばあちゃん」になることもできます。社会の誰もがそれを持っていれば、まあ、権威主義者、全体主義者、社会主義者、共産主義者、政治的悪魔主義者になりたい人たちは、成功も繁栄もできないでしょう。(2021.05.09)

 

(コリント人への第一の手紙16:13)

 目をさましていなさい。信仰に立ちなさい。男らしく、強くあってほしい。

 

(ヤコブの手紙4:7)

そういうわけだから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ちむかいなさい。そうすれば、彼はあなたがたから逃げ去るであろう。

 

 

「左翼のシステムを通して、とにかく、アルファ男性に対する卑劣で不名誉な去勢が行われたり、ゆっくりと殺されるのではなく、本物の男性は立ち上がって、「ダメだ! そうはさせない、それなら死んだ方がましだ。もし私がやって死んだら、自分の妻にとっても、息子や娘にとっても、自分が何か重要なことのために戦って死んでいくのを見ることは、善なる結果を生み出すだろう。もし私が死ぬことになっても、それは良い教訓になるだろう。子供たちは、自分の父親が自分よりももっと偉大なことのために生きたことを知るだろう!」(2020.11.13)

 

(ヨハネの第一の手紙3:16-18)

主は、わたしたちのためにいのちを捨てて下さった。それによって、わたしたちは愛ということを知った。それゆえに、わたしたちもまた、兄弟のためにいのちを捨てるべきである。世の富を持っていながら、兄弟が困っているのを見て、あわれみの心を閉じる者には、どうして神の愛が、彼のうちにあろうか。子たちよ。わたしたちは言葉や口先だけで愛するのではなく、行いと真実とをもって愛し合おうではないか。

 

(詩篇144:1)

わが岩なる主はほむべきかな。主は、いくさすることをわが手に教え、戦うことをわが指に教えられます。

 

 

(銃の)登録は常に没収につながり、それは常に大虐殺につながることを、歴史が示していることを知っています。この時、アメリカ人は勇気を持たなければならない。それに対して立ち上がる人、抵抗する人、この人たちは基本的に殉教の準備をしているのです。この殉教の精神は、サタンに負けることのない精神なのです。(2021.03.13)

 

(詩篇23:4)

たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。

 

(コリント人への第一の手紙15:55-57)

「死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」。死のとげは罪である。罪の力は律法である。しかし感謝すべきことには、神はわたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちに勝利を賜わったのである。

 

 

サタンは勝てません。サタンは勝てないのです。復活の日曜日には、キリストを知っているすべての人が、このことを自分自身の心で知るべきです。彼らが何をするかは問題ではありません。イエス様が言われたように、「また、からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。」(マタイによる福音書10:28)そして、それこそが私たちの力と超越性の源なのです。なぜなら、結局、私たちは肉のしもべではなく、私たちを肉でしか脅せない国家のしもべでもないからです。私たちは肉体を超越し、恐怖を超越するのです。なぜなら、キリストの勝利、勝利があるからです。(拍手) それが復活祭です。皆さん、うさぎと卵ではありません。(2021.04.04)

 

(ヨハネの第一の手紙5:4-5)

 なぜなら、すべて神から生れた者は、世に勝つからである。そして、わたしたちの信仰こそ、世に勝たしめた勝利の力である。世に勝つ者はだれか。イエスを神の子と信じる者ではないか。

 

(詩篇2:8-9)

わたしに求めよ、わたしはもろもろの国を嗣業としておまえに与え、地のはてまでもおまえの所有として与える。おまえは鉄のつえをもって彼らを打ち破り、陶工の作る器物のように彼らを打ち砕くであろう」と。


神は「天に行われるとおり、地にも」神の王国を築こうとされているのであって、永遠に、心の世界で期待するような天上のおとぎの国を建てようとされているのではないのです。違います!「毎日祈りなさい!」と言われたのです。「毎日祈りなさい。天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。御国がきますようにみこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください。わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください。(以下、KJVより)あなたの王国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。 アーメン!」(マタイによる福音書6:9-13)(2020.12.06)

 

(ダニエル書7:27)

『国と主権と全天下の国々の権威とは、いと高き者の聖徒たる民に与えられる。彼らの国は永遠の国であって、諸国の者はみな彼らに仕え、かつ従う』。

 

(ヨハネの黙示録11:15)

第七の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、大きな声々が天に起って言った、「この世の国は、われらの主とそのキリストとの国となった。主は世々限りなく支配なさるであろう」。

  

私たちは、もっと偉大で、もっと強力な、人類への贈り物である、自由、責任、信仰、家族、自由のために戦っているのです。私たちは、神がすべての人々のために意図しているもののために戦っているのです。(2021.05.02)

 

(ガラテヤ人への手紙5:1)

自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのである。だから、堅く立って、二度と奴隷のくびきにつながれてはならない。

 

(使徒行伝13:47)

主はわたしたちに、こう命じておられる、『わたしは、あなたを立てて異邦人の光とした。

あなたが地の果までも救をもたらすためである』」。

 

 

だからこそ、私たちは歴史を理解することが大切なのです。ジョージ・ワシントンも、ボストン茶会を非難しています。後に彼はそれを撤回しました。「おい!我々はこれに立ち向かわなければならない!」と知っていたからです。それは私たちのことではないのでしょうか?なぜなら、私たちは今、それを目の当たりにしているからです。2021年1月6日は、悪に対抗する驚くべき霊的な態度でした。それはアベル側が「ダメだ!ダメだ!これ以上はダメだ!」と言ったのです。お前たちに、私たちの人生を好きなようにはさせない、子孫を奪わせない、運命を支配させるつもりはない!」と言ったのです。それは何よりも霊的な姿勢であり、その霊的な姿勢は、実際にその場所に立ち、霊的にその場所を支配し、さらに議事堂の敷地など、芝生の上などでも、それを囲み、修正第一条の権利を行使し、本当に壮大で壮絶な状況でそれを囲む結果となったのです!(2021.01.17)

 

(エペソ人への手紙6:12)

わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。

 

(詩篇94:15-16)

さばきは正義に帰り、すべて心の正しい者はそれに従うでしょう。だれがわたしのために立ちあがって、悪しき者を責めるだろうか。だれがわたしのために立って、不義を行う者を責めるだろうか。

  

神はカナンをヨシュアとカレブに約束されたとき、そこに住んでいた王たちを追い払ったのです。つまり、ヨシュアとカレブはその土地のために戦わなければならなかったのです。当時の王たちは、ただその土地をヨシュアとカレブに渡したわけではありません。現代のキリスト教の牧師は、困難な時期を乗り越えるために信仰を持つことを説いています。そのために戦うことについては、決して語らないのです。(2020.11.18)

 

(詩篇18:32-34)

神はわたしに力を帯びさせ、わたしの道を安全にされました。神はわたしの足をめじかの足のようにされ、わたしを高い所に安全に立たせ、わたしの手を戦いに慣らされたので、

わたしの腕は青銅の弓をもひくことができます。

 

(ヨシュア記2:9)

そして彼らに言った、「主がこの地をあなたがたに賜わったこと、わたしたちがあなたがたをひじょうに恐れていること、そしてこの地の民がみなあなたがたの前に震えおののいていることをわたしは知っています。

 

 

現代世界の多くの教会の問題は、彼らが左翼に同意していること、いじめに同意していること、同性愛の政策に同意していること、トランスジェンダー、小児性愛、赤ちゃんの殺害などを社会に広め、正常化しようとしていること、結婚の破壊、家族の破壊に同意していることです。こうしたことをすべて黙認しているのです。「もっと簡単にすれば、もっと多くの若者が残ってくれるだろう」と考えているのです。いいえ、それは間違っています。もっと多くの人々が去っていくでしょう。なぜか?なぜなら、神に仕えること、これ以上壮大な冒険はないからです!これ以上の壮大な人生を歩むことはできないのです。たとえそれが困難であっても、犠牲や苦しみがあっても、それでも、まだ壮大なことなのです! 何かがあるはずです。なぜなら、私たちの内なる何かが、その英雄的な冒険をしたいと願っているからです。私たちの中にあるもの、それは、神に仕える壮大な探求心なのです! (2021.05.02)

 

(ローマ人への手紙12:2)

あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。

 

(テモテ人への第一の手紙6:12)

信仰の戦いをりっぱに戦いぬいて、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたは、そのために召され、多くの証人の前で、りっぱなあかしをしたのである。

 

これが今の教会とキリストの体の問題点です。愛国者や友人があちこちから電話をかけてきて、「こんなこと教会の誰にも話せないよ!」と言っているのです。人々は、標準的なキリスト教の教会が、悪が侵入してきても何もしないことを知っているので、叫んでいるのです! ちょうど、説教壇が政治的悪魔主義者、社会主義、共産主義者に占拠されても何もしなかったように!(2020.11.13)

 

(イザヤ書58:1)

「大いに呼ばわって声を惜しむな。あなたの声をラッパのようにあげ、わが民にそのとがを告げ、ヤコブの家にその罪を告げ示せ。」

 

(ペテロの第二の手紙2:1)

しかし、民の間に、にせ預言者が起ったことがあるが、それと同じく、あなたがたの間にも、にせ教師が現れるであろう。彼らは、滅びに至らせる異端をひそかに持ち込み、自分たちをあがなって下さった主を否定して、すみやかな滅亡を自分の身に招いている。

 

 

ルカによる福音書22章で、キリストは弟子たちに「あなたの外套を売って、剣を買いなさい」と言われました。だから、彼(キリスト)もまた憲法修正第2条を支持していることがわかります。自分の身を守るためなら、そうなのです。調べてきてください。ところで、ローマ帝国時代のユダヤ人は剣を所有することができなかったことを知っていましたか?それは違法行為でした。ユダヤ人が剣を買うのは違法行為だったのです。それは軍用兵器です。ガラテヤ人への手紙5章13節に「兄弟たちよ。あなたがたが召されたのは、実に、自由を得るためである。ただ、その自由を、肉の働く機会としないで、愛をもって互に仕えなさい。」とあります。(2021.04.04)

 

(ルカによる福音書 22:36-38)

そこで言われた、「しかし今は、財布のあるものは、それを持って行け。袋も同様に持って行け。また、つるぎのない者は、自分の上着を売って、それを買うがよい。あなたがたに言うが、『彼は罪人のひとりに数えられた』としるしてあることは、わたしの身に成しとげられねばならない。そうだ、わたしに係わることは成就している」。 弟子たちが言った、「主よ、ごらんなさい、ここにつるぎが二振りございます」。イエスは言われた、「それでよい」。

 

 

暴力や武力を行使しているのは右派ではなく、ヒトラーの下で行ったように「法律を行使」しているのは左派です。彼がやったことはすべて合法でした。彼はすべての法律を違憲に変更し、そしてもちろん、大量虐殺を実現するために合憲の法律にしたのです。同じように、左翼もすべての法律を変えています。彼らは、自分たちを守ってくれる憲法修正第2条に逆らい、破壊し、削除しようとしているのです。(2021.03.13)

 

(詩篇20:1-2)

主が悩みの日にあなたに答え、ヤコブの神のみ名があなたを守られるように。主が聖所から助けをあなたにおくり、シオンからあなたをささえ、

 

(詩篇59:1-2)

わが神よ、どうかわたしをわが敵から助け出し、わたしに逆らって起りたつ者からお守りください。悪を行う者からわたしを助け出し、血を流す人からわたしをお救いください。




第3章 主権者たる王国の市民

3.2 霊的主管と肉的主管

 

訓練はとても重要です! 聖書では、肉体の訓練が良いとされていますが、肉体を鍛えるだけでなく、霊の訓練も重要であるとされています。肉体を鍛えることは訓練の一つの側面であり、肉体を鍛えれば強くなれます。肉体を鍛えて自分自身を健康に保つことで、善良な人間にもなれるし、他の人たちを守ることができるようになります。それと同時に、自分に訓練を課す一方で、神に栄光を返しているのです。潜在能力の種、力の種を与えてくれた創造主に栄光を帰するのです。しかし、繰り返しになりますが、自分のために使うのではなく、何のために使うのでしょうか?平和警察・平和民兵のモットーは何ですか?「神を愛し、隣人を愛せよ。」 そこが違うところなのです。(2021.02.06)

 

(ルカによる福音書 10:27)

彼は答えて言った、「『心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。また、『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』とあります」。

 

(ヘブル人への手紙 12:11)

すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。

  

神様は恩寵によって、私たちが神様のもとに戻り、聖霊のプロセスを通して自分のやり方を変える場所を与えてくださいます。そうすれば、私たちは自分が行う罪を好きになれず、自分が甘んじている罪を好きになれず、自分をヒトラーや死刑囚と比べなくなるのです。そういった人間と自分を比べるのではありません。しかし、完全で聖なる神と自分とを比べて、「ああ、なんてことだ!私は本当にこのようなことを改善し始めなければならない!黙想を始めなければならない。」と思うのです。そして、聖別の実践が始まり、訓練が始まり、そして今、私たちは努力を注いでいるのです。自分の努力で救われるためではなく、神を喜ばせるためにです。要は、訓練して、訓練して、より良くなって、より強い配偶者との祝福の結婚関係を持ち、より強い訓練を子供たちと一緒にして、子供たちとの絆を深めることなのです。 これらのことは全て、良い人間関係を持つという利益のためだけではありません。もちろん、あなたには、とてつもない恩恵がありますが、同時にそれは神に喜びをもたらすためなのです。アーメン!!(2021.03.07)

 

(テトスへの手紙3:5)

わたしたちの行った義のわざによってではなく、ただ神のあわれみによって、再生の洗いを受け、聖霊により新たにされて、わたしたちは救われたのである。

 

(詩篇18:32)

神はわたしに力を帯びさせ、わたしの道を安全にされました。

  

ですから、善良な人々には戦うべき相手がいます。悪と戦うことを通して、彼らは善と、彼らが何のために戦っているのかを理解するようになるのです。悪と戦うことによって、彼らはまた学ぶことになります。つまり、悪が人に与える恐れ、すなわち死の恐れ、苦難の恐れ、拷問される恐れなど、悪が恐怖を与えるものなら何でも、それを超越する方法を学ぶことになるのです。その恐怖と戦い、抵抗するためには、私たちは内面から力を引き出し、その恐怖を超越するための力を与えてくれる神に頼らなければなりません。なぜなら、恐怖は圧倒的で、強力で、大きな渦のように、大きな沼のように皆さんを巻き込んでいくからです。神は愛に満ちた父ですから、私たちに試練の時を与えてくださいます。(2021.01.10)

 

(ペテロの第一の手紙 5:8-9)

身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食いつくすべきものを求めて歩き回っている。この悪魔にむかい、信仰にかたく立って、抵抗しなさい。あなたがたのよく知っているとおり、全世界にいるあなたがたの兄弟たちも、同じような苦しみの数々に会っているのである。

 

(ヤコブの手紙1:12)

試錬を耐え忍ぶ人は、さいわいである。それを忍びとおしたなら、神を愛する者たちに約束されたいのちの冠を受けるであろう。

 

(箴言29:25)

人を恐れると、わなに陥る、主に信頼する者は安らかである。

  

私は子供たちに訓練を受けさせています。子供たちは、格闘技に取り組んでいます。ブラジリアン柔術や、ボクシングをしなければなりません。頭を殴られたりします。私や娘が頭を殴られるようにです。首を絞められたり、腕を掴まれたり、怪我をすることもあります。こういうことで怪我をしないわけにはいきませんから。それを見ている父親として、子供たちにとってストレスであり、ある意味苦痛であることは分かっていますが、それが彼らのためになることも分かっています。そうしながら、彼らの人格が形成されて行きます。カオスの中で考える力を養い、 スキルを身につきます。 能力が開発されます。自分の子供が不必要に苦しむ姿を見たい親はいませんが、愛する父親は自分の子供がより強くなることを望むでしょう。(2021.01.10)

 

(ヘブル人への手紙12:6-7,11)

主は愛する者を訓練し、受けいれるすべての子を、むち打たれるのである」。あなたがたは訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを、子として取り扱っておられるのである。いったい、父に訓練されない子があるだろうか。   すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。

 

(箴言22:6)

子をその行くべき道に従って教えよ、そうすれば年老いても、それを離れることがない。

 

(詩篇144:1)

わが岩なる主はほむべきかな。主は、いくさすることをわが手に教え、戦うことをわが指に教えられます。

 

ディフェンダー(防御者)になるための訓練、自分の体を守る方法を知るための訓練、そして他の人を守るための訓練!これは、皆さんが社会に払っているサービス(奉仕)です。なぜなら、より優れた防衛者になり、防衛できるようになれば、ある狂人が政府機関から解雇されたからと、みんなを撃ち殺そうと決めたというような、とんでもない重大な瞬間に呼び出されるかもしれないのです。それを止められるのは皆さんだけかもしれないし、皆さんしかいないかもしれません。そして、状況によって、あなたは動かなくていいケースもあるかもしれません。でも、勇気は必要でしょうし、大胆さも必要でしょう。また、知識も必要でしょう。経験も必要でしょう。その場に訓練が必要とされるでしょう。アーメン!!すべてがそこになければならないのです。(2021.03.07)

 

(エステル記 8:11)

その中で、王はすべての町にいるユダヤ人に、彼らが相集まって自分たちの生命を保護し、自分たちを襲おうとする諸国、諸州のすべての武装した民を、その妻子もろともに滅ぼし、殺し、絶やし、かつその貨財を奪い取ることを許した。

 

(箴言25:28)

自分の心を制しない人は、城壁のない破れた城のようだ。

  

私の柔術のコーチや多くの柔術の先生がいつも言っていたのは、「無力な人間と平和な人間には非常に大きな違いがある」ということです。無力な人とは、力を使うことができない人であり、その人は無力です。平和な人は、武力を行使することができるにもかかわらず、平和主義であることを選択しているのです。それは無害な人間とは全く異なるものです。なぜなら無害な人間とは、共産主義者、社会主義者、政治悪魔主義者が作りたいものだからです。彼らは、自分たちが行うあらゆる命令に黙って従う無害な男性や無害な女性を作りたいのです。この武力を支配する能力を持つ平和な男性や女性ではなくて。彼らは武力を使って平和的になるのです。彼らは他人の自由を侵害することを望んでいません。彼らはより大きな目的を持っており、他人の人生と目的を守るために、より大きな愛の心を持っているのです。アーメン!!(2021.05.02)

 

(詩篇82:3)

弱い者と、みなしごとを公平に扱い、苦しむ者と乏しい者の権利を擁護せよ。

 

(コリント人への第一の手紙 9:27)

すなわち、自分のからだを打ちたたいて服従させるのである。そうしないと、ほかの人に宣べ伝えておきながら、自分は失格者になるかも知れない。

 

 

皆さんはこの武道の訓練を初めて行うかもしれませんが、いくつかの課題を乗り越えて、神のために勝利することができます。血と汗と涙を流すことを通して、皆さんは神に近づくのです。皆さんはアルファ男性の性質を理解し、自分の内なる性質を発展させることができます。自分の心と体をコントロールし、互いに発展させることができます。(2020.10.28)

 

(ペテロの第一の手紙 4:1-2)

それは、肉における残りの生涯を、もはや人間の欲情によらず、神の御旨によって過ごすためである。

 

(ヨエル書3:10)

あなたがたのすきを、つるぎに、あなたがたのかまを、やりに打ちかえよ。弱い者に「わたしは勇士である」と言わせよ。

 

 あらゆる悪のシステムは、アルファ男性を破壊しなければならないことを理解しています。だから、西洋、ヨーロッパ、特にアメリカでは、男性が悪者扱いされているのです。「男性は常に間違っている、男性は犬である、男性はただの変質者である。」と。(2020.11.29)

 

(ダニエル書10:19)

(そして、彼は)言った、「大いに愛せられる人よ、恐れるには及ばない。安心しなさい。心を強くし、勇気を出しなさい」。彼がこう言ったとき、わたしは力づいて言った、「わが主よ、語ってください。あなたは、わたしに力をつけてくださったから」。

 

(詩篇139:1)

主よ、あなたはわたしを探り、わたしを知りつくされました。

  

お父様が日本の植民地支配下の北朝鮮の死の収容所に入れられた時、初期の頃の韓国人の下に入れられた時、宗教的迫害でそこに入れられた時・・・そしてもちろんダンベリー(刑務所)に入れられた時でさえも、です。どこで迫害されても、どの政府が迫害しても、お父様はいつも何か手を打ち、対策を講じておられました。毎日、何かしら積極的に行動されました。食べ物があればいつでも収容者に分け与え、何か積極的な行動を取られました。お父様は受け身の状態ではありませんでした。何か魔法のようなことが起こるのを待っていたのではありません。違います!1950年、爆弾が爆発して収容所が吹き飛ばされたとき、彼は解放されたのですが、それは神の手によるものでした。しかし、毎日、前向きな一歩を踏み出すことは、とても重要です。非常に重要なのです。それには意志が必要であり、規律が必要であり、満足しないことが必要です。怠惰さに自分を蝕ませてはならないのです。(2021.01.24)

 

(ローマ人への手紙12:21)

悪に負けてはいけない。かえって、善をもって悪に勝ちなさい。

 

(ルカによる福音書22:26-27)

しかし、あなたがたは、そうであってはならない。かえって、あなたがたの中でいちばん偉い人はいちばん若い者のように、指導する人は仕える者のようになるべきである。食卓につく人と給仕する者と、どちらが偉いのか。食卓につく人の方ではないか。しかし、わたしはあなたがたの中で、給仕をする者のようにしている。

 

(箴言3:5-6)

心をつくして主に信頼せよ、自分の知識にたよってはならない。すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。


訓練によってエピジェネティクス(DNAの塩基配列を変えずに細胞が遺伝子の働きを制御する仕組みを研究する学問)が解明されると、人々の視点が変わり、耐えられる痛みの量も大きく変わります。訓練を受けている女の子たちは、2、3年間、一生懸命訓練した後、子供を産みます。ある姉妹は、3時間半で最初の赤ちゃんを産みました。彼女はタフで、トレーニングのやり方を学び、平和警察や平和軍のトレーニング、そして本物の武道の戦闘トレーニングを学んだので、赤ちゃんを産んだとき、「簡単だった、問題なかった!まるでスパーリングの試合を2、3回やっているみたいだった!」と言っていました。他の姉妹もそう言っていました。それで、彼女たちは強くなり、痛みへの耐性も上がりました。小さなことでは文句を言わなくなったのです。女性戦士になったのです。(2021.03.07)

 

(ローマ人への手紙5:3-4)

それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、 5:4忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。

 

(ピリピ人への手紙4:13)

わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。

  

私たちは、捨てられて孤児であったルツを、神がどのように連れてこられたかを、もう一度、理解する必要があります。神はこの終わりの時代に、教会に行ったことのない人、強く安定した地域社会に属したことのない人、ひどい虐待や機能不全の中で育った人を、何度もご自分のところに連れてきているのです。数え上げればきりがありません。しかし、神は彼らが救われることを望んでおられます。アーメン!」。そして、彼らは救われるのです しかし、救われた後は、もちろん聖別されるように歩む必要があり、それには訓練が必要です。訓練を始めなければなりません。私たちの罪や悪い習慣は消えませんから。罪は洗い流されますが、悪い習慣は、ずっと残っていくのです。だから救われたら、今度は精神的に格闘技に打ち込まなければならない。肉体的な格闘技も役立ちます。エペソ人への手紙6章に「戦士の武具を身につけなければなりません。救いのかぶと、真理の帯、義の胸当て、信仰のたて、御霊の剣」とあるように、これらの防衛術は戦う戦士のメンタリティーを築くものだからです。言っていることがわかりますか?「平和の福音の備えを足にはく」のです。平和の福音の準備で足が磨かれる!よし!すべて良い事ばかりだ!それを身につけましょう!それが戦士のシンボルなのです!(2021.02.28)

 

(エペソ人への手紙6:10-11)

最後に言う。主にあって、その偉大な力によって、強くなりなさい。悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい。

 

(エペソ人への手紙6:13-17)

れだから、悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい。すなわち、立って真理の帯を腰にしめ、正義の胸当を胸につけ、 6:15平和の福音の備えを足にはき、その上に、信仰のたてを手に取りなさい。それをもって、悪しき者の放つ火の矢を消すことができるであろう。また、救のかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち、神の言を取りなさい。

 

 嫌なことがあっても、今日一日ワクワクしながら過ごさなくては。嵐が来るって?ワクワクしなさい!その風を感じろ! それに身を任せよう! 行くぜ、ベイビー!雨を降らせろ!皆さん、興奮しましょう!それが全てです。神は負けていない!神は負けていない!神は勝ったんだ!(拍手)今、違う方向に進んでいます。この道もあったかもしれませんが、今はプランBに進んでいます。この道には岩だらけの道があるかもしれませんが、皆さん、それに備えて準備するのが賢明です。 多くの、過酷で危険な岩だらけの道があるのです。 しかし同時に、たとえそうであっても、私たちは不安の中で生きてはいけないのです。 この壮大な時代に生きていることに興奮し、毎日起きることに興奮し、「おい!あのさ、もしかしたら、俺たちはやりきれなかったかもしれないし、今、ヤバいかもしれないよ。だから、成されたことにワクワクしよう!」とさえ言うべきです。そうでしょう?そして、それとうまく付き合い、それにとりかかり、それを繰り返して行い、祈りを捧げ、全ての事柄の中で訓練を行うのです。(2021.03.07)

 

(ローマ人への手紙8:28)

神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。

 

(ローマ人への手紙5:3-4)

それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。




第3章 主権者たる王国の市民

3.3 アメリカにおけるキリスト教の遺産

 

ジョージ・ワシントンは就任する前に、アメリカを神に捧げました。彼はこれをニューヨークで行いました。当時の首都はニューヨークだったからです。ピルグリム・ファーザーズが初めてここにやって来た時、彼らはこの土地を神に捧げました。彼らは、この土地が、あらゆる快楽主義とみだらさに満たされた豊かな土地になることを求めることはしないで、神の土地であることを願ったのです! 神はその祈りに答えて、私たちにこの素晴らしい土地を与えてくださり、私たちはそこで人生を送ることができるようになったのです。(2021.04.11)

 

(エレミヤ書29:11-13)

主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。その時、あなたがたはわたしに呼ばわり、来て、わたしに祈る。わたしはあなたがたの祈を聞く。あなたがたはわたしを尋ね求めて、わたしに会う。もしあなたがたが一心にわたしを尋ね求めるならば、

 

(詩篇2:8-9)

わたしに求めよ、わたしはもろもろの国を嗣業としておまえに与え、地のはてまでもおまえの所有として与える。おまえは鉄のつえをもって彼らを打ち破り、陶工の作る器物のように彼らを打ち砕くであろう」と。

 

(民数記14:8)

もし、主が良しとされるならば、わたしたちをその地に導いて行って、それをわたしたちにくださるでしょう。それは乳と蜜の流れている地です。

  

私たちは、神がこの時代のために、貴重なものを守るために、アメリカを乗っ取りから守るために、悪から守るために、私たちを召命されていることを理解しなければなりません。なぜなら、アメリカは完璧ではありませんが、王国の原則を守り、神から与えられた自然な人権、つまり個人や家族、社会が持つ宗教の自由、言論の自由、自衛権の自由など、世界の他の国々が持っていないすべての権利を維持し保護しようとする立場をとっているからです。これは大変なことです。皆さん。なぜなら、これらの権利は国家から与えられるものではないからです。私たちの憲法と神の王国の哲学的前提は、権利は創造主である神から与えられるということです。これはアメリカ合衆国憲法の基本的な哲学的前提であり、独立宣言にも記されています。この国が成立した前提なのです。もちろん、そのために若い人たちをそこから遠ざけなければなりません。そのため、敵対する者たちは神をあざけり、聖書を神話のようなばかげた物語のように見せかけなければならないのです。現代人は、このような内容とは、まるで無関係で、現代人が無神論者や虚無主義者などになって、この国を支えてきた原理や倫理を受け入れないように、このような内容が現代の私たちには全く無関係であるかのように、仕向ける必要があるのです。(2021.05.30)

 

(歴代志下7:14)

わたしの名をもってとなえられるわたしの民が、もしへりくだり、祈って、わたしの顔を求め、その悪い道を離れるならば、わたしは天から聞いて、その罪をゆるし、その地をいやす。

 

(イザヤ書40:28-31)

あなたは知らなかったか、あなたは聞かなかったか。主はとこしえの神、地の果の創造者であって、弱ることなく、また疲れることなく、その知恵ははかりがたい。弱った者には力を与え、勢いのない者には強さを増し加えられる。年若い者も弱り、かつ疲れ、壮年の者も疲れはてて倒れる。しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。

 

(ペテロの第一の手紙2:15-16)

善を行うことによって、愚かな人々の無知な発言を封じるのは、神の御旨なのである。自由人にふさわしく行動しなさい。ただし、自由をば悪を行う口実として用いず、神の僕にふさわしく行動しなさい。

  

憲法は、ある種の国の法律であるだけでなく、神との関係を持つというユダヤ・キリスト教文化に基づくものです。建国の父たちは皆、最も多く聖書を引用しています。聖書は彼らの著作の中で最も引用された著作物なのです。そして、聖書の次に引用された当時の3人の哲学者モンテスキュー、ブラックストーン、ジョン・ロックは、いずれもキリスト教の哲学者でした。(2021.04.04)

 

(申命記7:12)

あなたがたがこれらのおきてを聞いて守り行うならば、あなたの神、主はあなたの先祖たちに誓われた契約を守り、いつくしみを施されるであろう。

 

(詩篇 19:7-9)

主のおきては完全であって、魂を生きかえらせ、主のあかしは確かであって、無学な者を賢くする。主のさとしは正しくて、心を喜ばせ、主の戒めはまじりなくて、眼を明らかにする。主を恐れる道は清らかで、とこしえに絶えることがなく、主のさばきは真実であって、ことごとく正しい。

 

(詩篇 33:12)

主をおのが神とする国はさいわいである。主がその嗣業として選ばれた民はさいわいである。

 

 

建国の父たちを見てください!彼らは相当の力強い決意をして、世界最大の軍隊に逆らい、その軍隊に対する反逆行為を行うに至ったのです! あなたは理解できますか?彼らはすべてを危険にさらしたのです!彼らは、そのとてつもない決意を持って、「死んでもいい、これが唯一のチャンスなんだ。もしこのチャンスを失ったら、みんな死んでしまう。だから、どうせみんな死ぬなら、戦った方がいい」と。そして、彼らはそれを実行したのです (2020.11.13)

 

(ローマ人への手紙14:8)

わたしたちは、生きるのも主のために生き、死ぬのも主のために死ぬ。だから、生きるにしても死ぬにしても、わたしたちは主のものなのである。

 

(詩篇37:12-15)

悪しき者は正しい者にむかってはかりごとをめぐらし、これにむかって歯がみする。しかし主は悪しき者を笑われる、彼の日の来るのを見られるからである。悪しき者はつるぎを抜き、弓を張って、貧しい者と乏しい者とを倒し、直く歩む者を殺そうとする。しかしそのつるぎはおのが胸を刺し、その弓は折られる。

 

(テモテへの第二の手紙4:7)

わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。

 

 

自分の銃器を作ることができるのは、常にアメリカ人の権利です。実際、修正第二条が書かれた時、あなたは大砲を所有することができたのです!それは、当時彼らが持っていた最高の軍事技術だったのです。戦車を所有するようなものです。飛行機か、それに匹敵するものを所有するようなものです。最高レベルの軍事力であり、アメリカ人としてそれを所有することができたのです。やろうと思えば、やり方さえわかれば、自分で作ることもできるのです。自分で銃を作ることができるのは、常にアメリカの遺産であり、アメリカ人は常に自由に、自分たちが所有する銃を作ってきたのです。(2021.05.09)

 

(詩篇18:39) あなたは戦いのための強さで私を武装させました。あなたは私に刃向かう者たちを私の下に従わせました。

 

(エペソ人への手紙6:11)

悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい。

 

(エレミヤ書51:20)

おまえはわたしの鎚であり、戦いの武器である。わたしはおまえをもってすべての国を砕き、おまえをもって万国を滅ぼす。


アメリカに存在するユダヤ・キリスト教的価値観を軸にした、信心深い人たちが起こした革命では、国全体が分裂せざるを得なかったのです。エリートが一つの集団でいることはできません。エリートは分裂しなければなりません。悪側に対抗する神側が存在する必要があるのです。中流階級にも、神側と悪側がなければなりません。あるいは、基本的に、サイコパス階級はそれぞれの階級で分裂しなければならないのです。サイコパスが共産主義思想を通して、伝えようとしていることは、「ダメだ、ダメだ!私たちを分断しようとするな!水平方向で戦え。下層階級と上層階級の戦い、白人と黒人の戦いをしなさい。サイコパスを孤立させるな、自分たちを分離させるな!」 上流階級にも、中流階級にも、下層階級にも、サイコパスはいるのです! アーメン!!(2021.04.11)

 

(詩篇94:16)

だれがわたしのために立ちあがって、悪しき者を責めるだろうか。だれがわたしのために立って、不義を行う者を責めるだろうか。

 

(詩篇94:20-23)

定めをもって危害をたくらむ悪しき支配者はあなたと親しむことができるでしょうか。彼らは相結んで正しい人の魂を責め、罪のない者に死を宣告します。しかし主はわが高きやぐらとなり、わが神はわが避け所の岩となられました。主は彼らの不義を彼らに報い、彼らをその悪のゆえに滅ぼされます。われらの神、主は彼らを滅ぼされます。

  

これは詩編38編に見られる非常に力強い節で、ダビデはこの信じられないような詩を書き、ただ苦しみながらうめき声をあげているのです。これは、今アメリカで起こっていることと非常によく似ています。国家レベルでは、大きな不安の底流がありますが、皆、何も問題がないかのように生活しようとしています。しかし、皆、何事もなかったかのように生活しています。ダビデも「わたしの胸は激しく打ち、わたしの力は衰え、わたしの目の光もまた、わたしを離れ去りました。」と言っています。(詩篇38:10)なぜなら、アメリカや、その建国、建国の父たち、ユダヤ・キリスト教文化の遺産、ユダヤ・キリスト教文化を受け継いだ家族、一般的なユダヤ・キリスト教文化一般を完全に憎む者たち、つまり共産主義者、政治的悪魔主義者、666の獣(キリストの敵)が今や完全に権力を持ち、そういう現実を目の当たりにしていることを、私たちは今知っているからです。今、私たちは、下院の中の共産主義者たち、政治的悪魔主義者、左翼主義者が、誰もが知っていることを正確に実行するために、素早く動いていることが分ります。私たちは最初からそれを言っていました。彼らは、権利章典、憲法、神から与えられた権利、全能の神から与えられた自然権によって保護されている憲法上の権利から、アメリカの武装を解除しようと動いています。私たちが予測した通り、そして誰もが知っている通り、政治的悪魔崇拝の実態が明らかになりました。彼らは大胆です。彼らは権力に飢えています。権力に貪欲です。 彼らは完全に邪悪であり、権力のため、自分たちの宗教、権力のカルトのためなら、何でもするのです。彼らの欲望は権力と支配権と主権に向かっています。なぜなら、それが彼らのものでないことを知っているからです。(2021.03.13)

 

(ヨハネによる福音書16:2-4)

人々はあなたがたを会堂から追い出すであろう。更にあなたがたを殺す者がみな、それによって自分たちは神に仕えているのだと思う時が来るであろう。彼らがそのようなことをするのは、父をもわたしをも知らないからである。わたしがあなたがたにこれらのことを言ったのは、彼らの時がきた場合、わたしが彼らについて言ったことを、思い起させるためである。これらのことを初めから言わなかったのは、わたしがあなたがたと一緒にいたからである。

 

(ルカによる福音書6:22)

人々があなたがたを憎むとき、また人の子のためにあなたがたを排斥し、ののしり、汚名を着せるときは、あなたがたはさいわいだ。

  

今、彼らは愛国者たちに対して、この信じられないような、情け容赦のない反米的、違憲的な暴力行為を行うために、素早く行動しているのです。愛国者は誰も暴力を求めていません。左翼は、権利章典で保護されている権利を盗み、拭い去り、破壊し、抹消し、完全に消し去る違憲の法律を、武力で執行しようとしているのです。全能の神によって与えられた自然権は、憲法に刻まれ、歴史に刻まれ、アメリカに刻まれたのです。 彼らはそれを排除し、私たちに忘れさせ、記憶を失わせ、「詐欺によるパンデミック」に注目させ、どこかの知事が設定した制限を一人超えたからといって、互いに怖がり、互いに報告し合うようにしようとしているのです。これは、まさに異常な狂気です。これは、「『心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。また、『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』」(ルカによる福音書10:27)という基本的な戒めを破壊している文化なのです。(2021.03.13)

 

(ガラテヤ人への手紙5:13-14)

兄弟たちよ。あなたがたが召されたのは、実に、自由を得るためである。ただ、その自由を、肉の働く機会としないで、愛をもって互に仕えなさい。律法の全体は、「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」というこの一句に尽きるからである。

 

(申命記8:10-11)

あなたは食べて飽き、あなたの神、主がその良い地を賜わったことを感謝するであろう。あなたは、きょう、わたしが命じる主の命令と、おきてと、定めとを守らず、あなたの神、主を忘れることのないように慎まなければならない。


マルティン・ルーサー・キング牧師や公民権運動全体は、奴隷制度の罪を否定するためのものではありませんでした。私たちには奴隷制度という罪があり、建国の父たちはそれをなくそうとしました。しかし、奴隷制度の罪はありました。それは罪です。それは私たちの過去の一部です。しかし、重要なのは、私たちはそれに対して何をしたのか、ということです。そう、私たちは奴隷制を廃止しました。奴隷制度は聖書の世界観と矛盾していることに気づきました。そのことに気付いたのです。そして建国の父たちは、奴隷制度を廃止するためのシステムを導入しました。もしアメリカの目的が少数民族を支配することであったなら、今でもそうしているはずです。それが内面的な目的であったなら、それが明確な目的であったなら、あるいは間接的な目的であったとしても、私たちはまだそれを持ち続けているでしょう。しかし、自由は、他の国にはない世界の特別な場所で、政府の介入なしに自由に自分のビジョン、夢、信仰などを追求できる、あらゆる肌の色のすべての民族に開かれているのです。皆さん、私が行っていることが分りますか?そして、それはとても特別なことなのです。(2021.05.30)

 

(ローマ人への手紙8:14-15)

すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち、神の子である。あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは「アバ、父よ」と呼ぶのである。

 

(ヨハネによる福音書8:36)

だから、もし子があなたがたに自由を得させるならば、あなたがたは、ほんとうに自由な者となるのである。

 

私たちは、決して小さなことのために戦っているのではありません。だから、私たちは祈らなければなりません。私たちは愛国者の一人ひとりを祝福しなければならないのです。白人であろうと、黒人であろうと、アジア人であろうと、そんなことは関係ないのです。私たちは神の贈り物である自由のために、捕食者、悪魔主義者、児童虐待者、悪魔の支配者、権力に立ち向かっているのですから。そして、皆さん、どうでしょう?この戦いは価値があります。その価値があるのです!もし私たちが負けてしまったら、おそらく世界を失うでしょう。しかし、もし私たちが勝てば、この自由という壮大な自由という背景で勝つならば、私たちは新しい時代、主の王国と主の文化が現実となる時代に立つことができるようになるのです。(2021.05.09)

 

(コロサイ人への手紙3:10-11)

造り主のかたちに従って新しくされ、真の知識に至る新しき人を着たのである。そこには、もはやギリシヤ人とユダヤ人、割礼と無割礼、未開の人、スクテヤ人、奴隷、自由人の差別はない。キリストがすべてであり、すべてのもののうちにいますのである。

 

(箴言28:1)

悪しき者は追う人もないのに逃げる、正しい人はししのように勇ましい。

 

(ペテロの第二の手紙3:13)

しかし、わたしたちは、神の約束に従って、義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいる。




第3章 主権者たる王国の市民

3.4 共産主義、社会主義、政治的サタン主義との戦い

 

イエスは、私たちは毎日祈らなければならないと言われました。「天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。」(マタイによる福音書6: 9-10))分かるでしょう。神様はこの地上に関心があるのです!神は、地上に神の王国を創建することに投入されました。もし私たちが霊界の中にいるだけで、肉体の救いがないのであれば、つまり血統の中で神と結ばれることがないならば、私たちは理解できません。地上に関心がなく、地上で何が起ころうが、問題ないと考えるでしょう。そうではありません。 そうなってしまうと、政治的悪魔主義者、サタンの手足であるマルクス主義者、共産主義者、左翼主義者たちが、その思想を使って若者を洗脳し、魂を奪い、悪魔主義に引き入れ、神から引き離そうとするので、そのために立ち上がり、それを守る姿勢が持てなくなるのです。このようなことはすべて起こっていますが、私たちは理解し、姿勢を整えて、それに立ち向かう意志を持たなければなりません。なぜなら、それは私たちが取らなければならない、単なる形而上学的、内面的、霊的なスタンスの一種ではなく、具体的な最初の一歩だ」からです。それは最初のステップに過ぎませんが、その後ははっきりとした形で、実体化しなければなりません。それは肉体を持った地上のものとして、世界的な王国として現れなければならないのです。なぜなら、神の王国は「天にあるように地にも」創建され、実体化されなければならないからであり、そのために主は私たちに毎日祈るように教えられたのです。(2021.03.13)

 

(申命記30:15-16)

だから、あなたがたはこう祈りなさい、見よ、わたしは、きょう、命とさいわい、および死と災をあなたの前に置いた。すなわちわたしは、きょう、あなたにあなたの神、主を愛し、その道に歩み、その戒めと定めと、おきてとを守ることを命じる。それに従うならば、あなたは生きながらえ、その数は多くなるであろう。またあなたの神、主はあなたが行って取る地であなたを祝福されるであろう。

 

(イザヤ書 61:8-9)

主なるわたしは公平を愛し、強奪と邪悪を憎み、真実をもって彼らに報いを与え、彼らと、とこしえの契約を結ぶからである。彼らの子孫は、もろもろの国の中で知られ、彼らの子らは、もろもろの民の中に知られる。すべてこれを見る者はこれが主の祝福された民であることを認める。

 

(テサロニケ人への第二の手紙2:9-10)

不法の者が来るのは、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力と、しるしと、不思議と、また、あらゆる不義の惑わしとを、滅ぶべき者どもに対して行うためである。彼らが滅びるのは、自分らの救となるべき真理に対する愛を受けいれなかった報いである。

 

マルクス主義は、一種の疑似宗教的なイデオロギーです。人間の罪について独自の概念を持っています。人は欲深いので、私有財産を増やそうとします。そして、それが不平等を生み、不平等が原因で、人類のすべての苦しみが発生します。これが彼らの言う人間の罪の話なのです。彼らはそれを人間の罪とは呼びません。必ずしも神学的な言葉を使うわけではありませんが、実際の宗教的な視点は持っています。人間は本来、善良な存在であるというのが彼らの立場です。人間性に問題はなく、貧困や人種、肌の色、社会的経済的地位といった外的なものが、人種的不公正や社会的不平等を生み出す要因であるというものです。人間には何の問題もないと思っているから、人間には何の責任もないのです。「ビッグダディがやってくれる!」「政府がやってくれる!」。悪魔にやらせればいい!」。「天使長に任せなさい!彼が問題を解決してくれる。」間違っています。そんなことはありません。それはキリスト教の見解ではありません!キリスト教の見解は、人間には深い欠陥があり、私たちは罪に満ちていて、神の前で常に罪を犯しているということです。そして、私たちは自分の罪を悔い改める必要があり、神のもとに来る必要があるのです。そして、神を通して、私たちは救いを見つけ、義を見つけ、聖別されていくのです。私たちは、政府や政治家に身を任せるのではなく、神と関わりながら、神を通してより良くなっていくのです。(2021.01.24)

 

(ヨハネの第一の手紙1:8-9)

もし、罪がないと言うなら、それは自分を欺くことであって、真理はわたしたちのうちにない。もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。

 

(ローマ人への手紙3:23)

すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、

 

(ヨハネによる福音書3:16)

神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。

 

 

私たちの心を悩ませているもの、人類を悩ませているものは、神からの分離です。神から離れることが罪であり、罪は私たちに神を忘れさせます。罪は私たちを神から離れさせ、神と神の心情に関心を持たないようにさせます。罪は私たちを神から引き離します。それで、マクロコスモスのレベルで見ると、巨大な分裂を目のあたりにします。というのも、この国を襲っている社会主義、共産主義、政治的悪魔主義から出た不道徳、罪、窃盗、暴力に基づいているシステムを見ることができるからです。そこには、アメリカを破壊しようとする世界で最も危険なマルクス主義者、共産主義者、政治的悪魔主義者のグループによって資金が提供されています。しかし同時に、今は、古いことわざにあるように、「共に立つか、別々に吊るされるか」なので、互いに交わり、互いに祈り、互いに支え合わなければならない時なのです。アメリカが自らの遺産を取り戻し、遺産を取り戻し、中国共産党からそれを奪い取るには、ほんのわずかな機会しかない、絶対に、絶対に、重要な時なのです。(2021.01.31)

 

(イザヤ書59:1-2)

見よ、主の手が短くて、救い得ないのではない。その耳が鈍くて聞き得ないのでもない。ただ、あなたがたの不義があなたがたと、あなたがたの神との間を隔てたのだ。またあなたがたの罪が主の顔をおおったために、お聞きにならないのだ。

 

(ヘブル人への手紙10:23-25)

また、約束をして下さったのは忠実なかたであるから、わたしたちの告白する望みを、動くことなくしっかりと持ち続け、愛と善行とを励むように互に努め、ある人たちがいつもしているように、集会をやめることはしないで互に励まし、かの日が近づいているのを見て、ますます、そうしようではないか。

 

(歴代志下7:14)

わたしの名をもってとなえられるわたしの民が、もしへりくだり、祈って、わたしの顔を求め、その悪い道を離れるならば、わたしは天から聞いて、その罪をゆるし、その地をいやす。


左翼と政治的悪魔主義は、国家を支配し、中央集権的な政府を成長させることを信じている。これは悪なのです!なぜか?中央集権的な政府は、力に等しいからです。それはあなたを助けることではなく、権力なのです。政府が作るすべての法律は、あなたに対する死の脅しです。もし法律を遵守しないなら、あなたは罰金を取られます。その罰金を守らないなら、あなたは訪問を受けるでしょう。おそらく、あなたの逮捕状が出されるでしょう。もしそれを守らないなら、銃を持った人たちがあなたを捕まえに来るでしょうし、もしあなたが抵抗すれば、おそらくあなたは射殺されるでしょう わかりますか?あらゆる規制、あらゆる政府の法律は、銃と力の権力によって支えられているのです だから、結局、共産党や左翼は、銃が嫌いだと言っているが、銃が大好きなのです! 自分たちが銃を所有したいのです。それがエリートなのです。(2021.03.07)

 

(マタイによる福音書10:28)

また、からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。

 

(マルコによる福音書14:48-49)

イエスは彼らにむかって言われた、「あなたがたは強盗にむかうように、剣や棒を持ってわたしを捕えにきたのか。わたしは毎日あなたがたと一緒に宮にいて教えていたのに、わたしをつかまえはしなかった。しかし聖書の言葉は成就されねばならない」。

 

(ルカによる福音書21:12)

しかし、これらのあらゆる出来事のある前に、人々はあなたがたに手をかけて迫害をし、会堂や獄に引き渡し、わたしの名のゆえに王や総督の前にひっぱって行くであろう。

  

マルクス主義はプロレタリアートの理論であり、権限付与の理論であり、生産手段の支配の理論である、などとも言えますが、それが適用されると、100%専制政治となります。批判的人種理論が人種的本質主義を教えているとすれば、学問的にはそうではないかもしれませんが、それが適用されると、基本的には人種的本質主義が教え込まれます。つまり、あなたのアイデンティティは黒人であるか白人であり、あなたはこれらのカテゴリーに投げ込まれるということなのです。もしあなたが白人なら、あなたは抑圧者であるか、あるいは彼らが言うように、あなたは「自分の白人性を内面化している」ということになりますが、それはどういう意味でしょうか?あなたは隠れ白人至上主義者であり、それは何を意味するのでしょうか?あなたが抑圧者であるということなのです!あなたの肌のメラニン色素が少ないという事実だけで。(2021.05.30)

 

(使徒行伝10: 34-35)

そこでペテロは口を開いて言った、「神は人をかたよりみないかたで、神を敬い義を行う者はどの国民でも受けいれて下さることが、ほんとうによくわかってきました。

 

(ペテロの第一の手紙2:12)

異邦人の中にあって、りっぱな行いをしなさい。そうすれば、彼らは、あなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたのりっぱなわざを見て、かえって、おとずれの日に神をあがめるようになろう。

 

 

アメリカでは、黒人社会は、特に男性が、福祉国家のターゲットにされてきました。 生活保護の小切手を受けたいなら、離婚していることを示さなければなりません。これは離婚を奨励するものです。その結果、黒人の家族はバラバラになってしまいます。かつて黒人社会には、80%以上の強固な無傷のキリスト教家庭がありました。強い男性がいて、家庭を力強くリードするアルファ男性がいて、また、信心深い女性が、信仰の熱い母親がいて、彼らは率先して家庭を守っていました。そして、もちろん、親子関係を理解し、親を敬うだけでなく、自分の才能を伸ばそうとする子供たちがいました。だから、黒人社会は強かったのです! もちろん、社会主義者や共産主義者は皆、強い社会を破壊するためには、家族を分裂させ、家族を破壊しなければならないことを知っています。そうしなければならないと。戦争でも、銃でも、他の手段で、それらを用いて、破壊すればいいのです。次の世代を洗脳することでも、それができます。ロナルド・レーガンが言ったように、「自由というものは、一世代で消滅するものではない。(世代ごとに戦い、守っていかなければならないものなのだ。)」のです。自由を失えば、次の世代は社会主義、共産主義、左翼主義、文化的マルクス主義、ハリウッドなど、あらゆる自由主義思想に洗脳されます。彼らは、自分たちは正しいことをしている、道徳的な聖戦をしていると考えています。それで、彼らは自分たちのことを「ソーシャル・ジャスティス・ウォリアー」と呼び、正義の聖戦に参加していますが、ブラウン・シャツやナチスの若者のように、エリートに権力をもたらすために吸い込まれる駒なのです! もちろん、彼らが助けた共産主義運動によって、真っ先にバスの下に投げ出されるのは彼らなのです。(2021.03.07)

 

(申命記6:5-7)

あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない。きょう、わたしがあなたに命じるこれらの言葉をあなたの心に留め、努めてこれをあなたの子らに教え、あなたが家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、これについて語らなければならない。

 

(詩篇12:2)

人はみなその隣り人に偽りを語り、へつらいのくちびると、ふたごころとをもって語る。

 

(ペテロの第二の手紙2:18-19)

彼らはむなしい誇を語り、迷いの中に生きている人々の間から、かろうじてのがれてきた者たちを、肉欲と色情とによって誘惑し、この人々に自由を与えると約束しながら、彼ら自身は滅亡の奴隷になっている。おおよそ、人は征服者の奴隷となるものである。

  

すべての悪魔の勢力が連携しているのです。黙示録の四騎士を見ると、白い馬は国際銀行の悪魔崇拝者に代表され、もちろん赤い馬もいます。赤い馬は1億人の軍隊を持っていて、戦争の馬、戦争の獣なのです。中国を赤い馬、赤い竜として見ています。黒い馬は、正義を行うかのように正義の天秤を握っていますが、もちろん、CIAやFBIの一部であり、俗に「沼」と呼ばれる、悪魔崇拝者や全体主義者によって乗っ取られた情報機関です。そして、獣に乗る死の騎手、死の青白い馬があります。ジハードの旗はどれも緑か黒が特徴的で、もちろんそれは死の宗教なのです。これらの勢力はすべて、キリスト教を通じて広く名を馳せ、絶賛されている偽預言者、反キリストの獣、それは広く名を馳せたカトリック教会、地球上で最大の教会、そして、小児性愛ネットワークと共謀している法王と偶然にも一緒に行動しているのです。(2021.05.09)

 

(エペソ人への手紙6:12-13)

わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。それだから、悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい。

 

(ヨハネの黙示録6:2-8)

そして見ていると、見よ、白い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、弓を手に持っており、また冠を与えられて、勝利の上にもなお勝利を得ようとして出かけた。小羊が第二の封印を解いた時、第二の生き物が「きたれ」と言うのを、わたしは聞いた。すると今度は、赤い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、人々が互に殺し合うようになるために、地上から平和を奪い取ることを許され、また、大きなつるぎを与えられた。また、第三の封印を解いた時、第三の生き物が「きたれ」と言うのを、わたしは聞いた。そこで見ていると、見よ、黒い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、はかりを手に持っていた。すると、わたしは四つの生き物の間から出て来ると思われる声が、こう言うのを聞いた、「小麦一ますは一デナリ。大麦三ますも一デナリ。オリブ油とぶどう酒とを、そこなうな」。小羊が第四の封印を解いた時、第四の生き物が「きたれ」と言う声を、わたしは聞いた。そこで見ていると、見よ、青白い馬が出てきた。そして、それに乗っている者の名は「死」と言い、それに黄泉が従っていた。彼らには、地の四分の一を支配する権威、および、つるぎと、ききんと、死と、地の獣らとによって人を殺す権威とが、与えられた。

 

(ヨハネの黙示録19:20)

しかし、獣は捕えられ、また、この獣の前でしるしを行って、獣の刻印を受けた者とその像を拝む者とを惑わしたにせ預言者も、獣と共に捕えられた。そして、この両者とも、生きながら、硫黄の燃えている火の池に投げ込まれた。


だから、野獣はその霊を破壊したと思っているかもしれませんが、神から与えられた霊を破壊することはできないのです。(アーメン!)今、世界中の何億もの人々の心の中にあるその霊を、あなたは破壊することはできないのです。破壊することも、奪うこともできない。そして、全体主義の手によって殺される人はすべて、その霊をより強くするだけです。殉教者はみな、神の霊を持ち、自由を切望しているので、自由を乱用するのではなく、自由を守ることを知っているのです。全体主義政府、ナチ、シュタージ、ファシストなど、市民を牛や豚のように扱う邪悪な社会主義共産主義政府によって、死ぬすべての人は殉教者になり、その殉教者の血は失われることはありません。殉教者の血が流されるたびに、サタンがますます暴露されて行くのです。そのたびに。 (2021.04.04)

 

(ヨハネの黙示録20:4)

また見ていると、かず多くの座があり、その上に人々がすわっていた。そして、彼らにさばきの権が与えられていた。また、イエスのあかしをし神の言を伝えたために首を切られた人々の霊がそこにおり、また、獣をもその像をも拝まず、その刻印を額や手に受けることをしなかった人々がいた。彼らは生きかえって、キリストと共に千年の間、支配した。

 

(ローマ人への手紙8:11)

もし、イエスを死人の中からよみがえらせたかたの御霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリスト・イエスを死人の中からよみがえらせたかたは、あなたがたの内に宿っている御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも、生かしてくださるであろう。

  

左派は、自由主義に傾いているのか、放縦に傾いているのか。彼らはあなたの子供たちに何を押し付けたいのでしょうか?国連は同意年齢を10歳に引き下げようとしています。彼らは、5歳の子供が生殖器を切り落としたり、ホルモン療法を受けたりして、自分の体を破壊するようなトランスジェンダーという考えを、(子供たちに)大人として決定できるようにしたいのです。5歳の子供ですよ!?その子がそうする法的権利を持つということは、その子は大人のあらゆる決定に対して法的権利を持つということです。小児性愛を受け入れる法的枠組みが作られるということが分りますか?これは自由に向かっているのではなく、放縦に向かっているのです。皆さん!国民が快楽主義者になったら、何が起こりますか?彼らは社会主義や共産主義を100%支持するようになります。そうやって、彼らは自分たちの思想を受け入れさせるのです。「ああ、これを無料で差し上げます、あれも無料で差し上げます。働く必要はなく、ただリラックスしてください。ユニバーサル・ベーシック・インカムを手に入れましょう。家に座って、好きなだけビデオゲームをしても良いですよ、その分お金がもらえるのです!」 皆さん、お分かりですか?これが導入方法であり、彼らの考えを受け入れさせるいつもの方法なのです。(2020.11.29)

 

(エペソ人への手紙4:17-20)

そこで、わたしは主にあっておごそかに勧める。あなたがたは今後、異邦人がむなしい心で歩いているように歩いてはならない。彼らの知力は暗くなり、その内なる無知と心の硬化とにより、神のいのちから遠く離れ、自ら無感覚になって、ほしいままにあらゆる不潔な行いをして、放縦に身をゆだねている。しかしあなたがたは、そのようにキリストに学んだのではなかった。

 

(ガラテヤ人への手紙5:13)

兄弟たちよ。あなたがたが召されたのは、実に、自由を得るためである。ただ、その自由を、肉の働く機会としないで、愛をもって互に仕えなさい。

(箴言6:6-9)

なまけ者よ、ありのところへ行き、そのすることを見て、知恵を得よ。ありは、かしらなく、つかさなく、王もないが、夏のうちに食物をそなえ、刈入れの時に、かてを集める。なまけ者よ、いつまで寝ているのか、いつ目をさまして起きるのか。

 

キリストが来られる何百年も前に、プラトンはそのことを書いています。彼が『国家』について語ったとき、基本的に彼は社会主義的な国や国家について話していたのですが、そこでは子どもは国家の所有物となり、親は子どもを手放さなければならないのです。ですから、この悪魔のようなシステムの新しい売り手たちが、若者たちに信じさせようとしているのは、新しい考えではないのです。大昔のものです。古いのです!若者は、最新で最高のものを欲しがるものです。社会主義の考え方は古いのです。で、老朽化していて、古いのです!(2020.11.01)

 

(コロサイ人への手紙2:8)

あなたがたは、むなしいだましごとの哲学で、人のとりこにされないように、気をつけなさい。それはキリストに従わず、世のもろもろの霊力に従う人間の言伝えに基くものにすぎない。

 

(テモテへの第二の手紙4:3-4)

人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう。

 

(レビ記19:29)

あなたの娘に遊女のわざをさせて、これを汚してはならない。これはみだらな事が国に行われ、悪事が地に満ちないためである。

 

 中国政府は、毛沢東の指導者をすべての地方に配置し始め、彼らに中央集権を与え、警察に彼らを迫害させないようにし、そして彼らに地主を標的にし始めるためのイデオロギーを教えました。そして彼らは地元の人たちに「あの地主たち!」と声をかけていきました。あの丘の上にいる地主を見ろ、あの大きな土地を持ってるだろ?あいつがお前たちからあれを盗んだんだ、お前たちからあれを奪ったんだ!」と。「お前にはあの土地がふさわしいんだ!なんであんなに偉いんだ?あいつをやっつけようぜ!」そして若者を動員し、激昂させ、怒らせました。その時点では彼らは全く教育を受けていないので、それに従って、1億人以上を虐殺することになりました。 1億人以上!これは「流行に敏感で寛容な若者たち」の手によって行われたのです!トレンディでもなければ寛容でもない、そうでしょう!もちろん、儒教的な価値観に親しんでいる人なら誰でも敵に回したのです。家族をまとめるような価値観があれば、それを引き裂こうとするのです。(2021.03.07)

 

(ミカ書 2: 1-2)

その床の上で不義を計り、悪を行う者はわざわいである。彼らはその手に力あるゆえ、夜が明けるとこれを行う。彼らは田畑をむさぼってこれを奪い、家をむさぼってこれを取る。彼らは人をしえたげてその家を奪い、人をしえたげてその嗣業を奪う。

 

(マタイによる福音書10:21-22)

兄弟は兄弟を、父は子を殺すために渡し、また子は親に逆らって立ち、彼らを殺させるであろう。またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての人に憎まれるであろう。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。


それは邪悪なものであり、彼らはそれを行います、皆さん。彼らはそれを実行するのです! 敵を過小評価してはいけません、彼らはやります!北朝鮮にいる私たちの家族全員、文一家全員が根絶やしにされたのです。私たちに誰がいるというのでしょう?叔父が一人、そこに一人!北朝鮮に文家はもういないのです!わかりますか?奴らは皆さんと皆さんの家族を大量虐殺するのです! 実際にそうしています! だから、恐怖を煽るとかそういうことではないのです、皆さん! 違う、違う。違う、全く違うのです!わかりますか?本物の共産主義者は、それを行うのです!そして、どうやって奴らの考えを浸透させるのか?奴らはこういうのです。「こいつらは元から邪悪で、人種差別主義者だ。奴らはお前たちから盗んでいる!」毛沢東もそうでした。「地主がお前たちから奪っている。」それが奴らのやり方です!ベネズエラでは、社会主義を実現するためのもう一つの戦術は何だったのでしょうか?それは人種に基づくものでした。ベネズエラでは白人が20%、非白人(褐色人種)が80%くらいですから。(2021.01.10)

 

(出エジプト記23:7)

あなたは偽り事に遠ざからなければならない。あなたは罪のない者と正しい者とを殺してはならない。わたしは悪人を義とすることはないからである。

 

(ルカによる福音書18:20)

いましめはあなたの知っているとおりである、『姦淫するな、殺すな、盗むな、偽証を立てるな、父と母とを敬え』」。

 

お父様は、ワシントンタイムズ、ティエンポス・デル・ムンド、世界日報(セゲイルボ)、世界日報等を通して、またロシア、中国、南米、ヨーロッパ等で行った全ての関連する訓練を通して、世界中で「勝共」を教えるために何十億ドルも費やしました!何十億です!世界のどの国の、どの大臣が共産主義との戦いに何十億ドルも費やしたというのでしょうか?しかし、なぜそんなことをしたのか、私たちには分かりませんでした。私たちは分からなかったのです。「お父様はなぜこのようなことをなさるのでしょうか?」今、私たちははっきりと理解していますよね?お父様が何をなさっていたのかがわかるのは、いつも20~30年後のことです。当時は嵐の中のようだったからです。戦いの真っ只中だったので、何が起こっているのかよくわからなかったのです。しかし、20年も経って、事態が収拾されたなら、そうなると見えてくるものがあります。「ああ、すごい!なんてことだ! あれは重要な戦いだったんだ!」もしこの戦いを続けなければ、全世界があっという間にダメになってしまいます。全世界が破滅に向かい、全世界が専制政治の鉄拳の下に置かれるようになるのです!(2021.03.07)

 

(ヨハネによる福音書12:31-32)

今はこの世がさばかれる時である。今こそこの世の君は追い出されるであろう。そして、わたしがこの地から上げられる時には、すべての人をわたしのところに引きよせるであろう」。

 

(イザヤ書45:22-23)

地の果なるもろもろの人よ、

わたしを仰ぎのぞめ、そうすれば救われる。わたしは神であって、ほかに神はないからだ。わたしは自分をさして誓った、わたしの口から出た正しい言葉は帰ることがない、『すべてのひざはわが前にかがみ、すべての舌は誓いをたてる』。

  

試練の時です。そして、私たちはそれを行うことができるのです!それは、私たち全員がそれを経験し、全員が生き残ることが保証されるということではありません!!そうではありません!私たちは皆、イエス様のようにならなければならないかもしれません。彼は自分を犠牲として捧げました。愛国者は皆、究極の代償を払う覚悟が必要なのです。愛国者は皆、そこにいるすべての戦闘帰還兵や、そこにいるすべての戦争戦士と同じように、究極の代償を、喜んで支払わなければならないのです。皆さんは、殺し、傷つけ、破壊するためにここにいる悪意のある敵と戦っているのです。 奴らは、皆さんと戯れるためにここにいるわけではないのです!彼らは保守派を破壊するために来ています。結婚して子供がいるクリスチャンの白人男性を大量虐殺するために来ているのです。これは本当の戦争であり、実際の戦争であり、そのような戦争では、人々は勇敢でなければならないのです。聖書に「強く、また雄々しくあれ。」(ヨシュア記1:9)、「神に従いなさい。そして、悪魔に立ちむかいなさい。そうすれば、彼はあなたがたから逃げ去るであろう。」(ヤコブの手紙4:7)とあるように、勇気を持たなければなりません。だから、もし人々が社会主義、共産主義、政治的悪魔主義に抵抗する方法を学ぶなら、奴らは一時的にしか力を持つことができない。一時的なものに過ぎないのです。それは永遠の王国ではなく、悪魔の王国だから、決して続くことはないのです。(2021.03.07)

 

(申命記31:6)

あなたがたは強く、かつ勇ましくなければならない。彼らを恐れ、おののいてはならない。あなたの神、主があなたと共に行かれるからである。主は決してあなたを見放さず、またあなたを見捨てられないであろう」。

 

(ヨハネの第一の手紙3:16)

主は、わたしたちのためにいのちを捨てて下さった。それによって、わたしたちは愛ということを知った。それゆえに、わたしたちもまた、兄弟のためにいのちを捨てるべきである。

 

(ヨハネの黙示録12:9)

この巨大な龍、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは、地に投げ落され、その使たちも、もろともに投げ落された。

  

あなたがいじめっ子や社会主義、共産主義に屈服すればするほど、事態は悪化するのです!決して良くはならない あなたが政治的な悪魔主義に屈服すればするほど、それは悪くなるばかりで、決して良くはならないのです!人々は、それに抵抗する方法を学ばなければなりません。それに抵抗するのです!抵抗しなければ!その抵抗は強力です! なぜなら、それは「私はあなたに服従するつもりはない!」という内的なコミットメントだからです。政府は神ではありません!皆さんの上には皆さんを凌駕する誰かがいて、私はその人に忠誠を誓っています!だから私は、神を名乗るあなた方に抵抗しているのです、あなた方は神ではないからです。」皆さん、私が言っていることが分かりますか?愛国者として、神のための人として、王国の王として、祭司として、天一国の市民として、心の中で決めたその根本的な決意と意志、それが内的なコミットであり、それが力です。それが私たちの中にある神であり、私たちの中に流れる神の力だからです。そして、それこそが、社会主義、共産主義、政治的悪魔主義を止めることができる唯一のものなのです! (2021.03.07)

 

(ヤコブの手紙1:12) 誘惑に耐える人は幸いである。それは、その人が認められたとき、主がご自分を愛する者に約束された命の冠を受けるからである。

 

(コリント人への第一の手紙2:9-10)

しかし、聖書に書いてあるとおり、

「目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、人の心に思い浮びもしなかったことを、神は、ご自分を愛する者たちのために備えられた」のである。そして、それを神は、御霊によってわたしたちに啓示して下さったのである。御霊はすべてのものをきわめ、神の深みまでもきわめるのだからである。

 

(ヨハネの手紙4:3-4)

求めても与えられないのは、快楽のために使おうとして、悪い求め方をするからだ。不貞のやからよ。世を友とするのは、神への敵対であることを、知らないか。おおよそ世の友となろうと思う者は、自らを神の敵とするのである。




第3章 主権者たる王国の市民

3.5 天一国憲法:地上における神の王国の起源

 

ここリバティロックでも、将来的には、素晴らしいトレーニングエリア、ナマズ釣り、ハンティング、訓練、ワークショップ、つまりみ言の勉強ができるようになるのでしょう。なぜでしょうか?なぜなら、神はこれらすべてを通して、私たちが証し、また支持することを望んでおられるからです。何を?スタンド(台)の上にある照明のような存在になり、前方を照らすのです。何を輝かせるのでしょうか?神の文明、神の愛!神様の文明は、神様の愛の現れです。天一国憲法、神の王国の憲法がそうである理由は、神様の愛のためです。神は私たちに自由の贈り物を与えてくださるのです!憲法はその自由の賜物を保護して、王国の人々は王と祭司の権利と義務を持つようになります。つまり、神を愛し、隣人を愛することです。キリストにあって強くあり、また隣人のために強くあることです。アーメン!(2021.02.06)

 

(マタイによる福音書5:14-16)

 あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。また、あかりをつけて、それを枡の下におく者はいない。むしろ燭台の上において、家の中のすべてのものを照させるのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。

 

(ヨハネの黙示録1:5-6)

また、忠実な証人、死人の中から最初に生れた者、地上の諸王の支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。わたしたちを愛し、その血によってわたしたちを罪から解放し、わたしたちを、その父なる神のために、御国の民とし、祭司として下さったかたに、世々限りなく栄光と権力とがあるように、アァメン。

 

例えば、天一国憲法では、毎年、成立した法律の10%が抹消されるため、その後、再制定しなければならないのです。法律の数が多ければ多いほど、市民にとって不利になります。法律は、その数は少なく、シンプルであるべきです。法律が多すぎると、超エリートは既存の法律を武器にすることができるため、彼らが得をするだけです。だから天一国でも、毎年10%の法律が削除され、立法府で再び成立させることに躍起になることでしょう。このように、天一国憲法は市民を統制できないので、政府にとって怖い憲法なのです。なぜでしょうか?彼らは皆、王であり祭司であり、神と真の父母の下にいる存在だからです!(笑)。(2020.11.18)

 

(ヨハネの黙示録5:10)

わたしたちの神のために、彼らを御国の民とし、祭司となさいました。彼らは地上を支配するに至るでしょう」。

 

(ヤコブの手紙1:25)

これに反して、完全な自由の律法を一心に見つめてたゆまない人は、聞いて忘れてしまう人ではなくて、実際に行う人である。こういう人は、その行いによって祝福される。

  

天一国には税金がありません。稼いだお金は自分で管理して使いなさい。家族を養って行くために父親と母親の両方が共に働く必要はありません。今の社会は、両親二人分の収入がなければ生きていけない環境を作り、子供たちが親から離れるようにしてしまいました。(2020.10.28)

 

(マタイによる福音書17:25-26)

ペテロは「納めておられます」と言った。そして彼が家にはいると、イエスから先に話しかけて言われた、「シモン、あなたはどう思うか。この世の王たちは税や貢をだれから取るのか。自分の子からか、それとも、ほかの人たちからか」。 ペテロが「ほかの人たちからです」と答えると、イエスは言われた、「それでは、子は納めなくてもよいわけである。」

 

(詩篇128:2-4)

あなたは自分の手の勤労の実を食べ、幸福で、かつ安らかであろう。あなたの妻は家の奥にいて、多くの実を結ぶぶどうの木のようであり、あなたの子供たちは食卓を囲んで、オリブの若木のようである。見よ、主をおそれる人は、このように祝福を得る。

 

 天一国において、中央集権的な教育は違法です。学校間の競争を通じて、最高の教育を受けることが可能になるのです。天一国では、国家教育委員会が作成した政府のテストは存在しません。それらは何の妥当性もないのです。誰でもが自分を成長させ、事業を起こし、人々に最高の形で奉仕することに役立たないからです。国家教育は完全な愚民を生み出すのです。学生が公立の学校にいる間、実践的な教育を受けることはありません。なぜ、これらの学校では、資産を作り、管理する方法を教えないのでしょうか?(2020.10.28)

 

(ヨハネによる福音書7:15-16)

すると、ユダヤ人たちは驚いて言った、「この人は学問をしたこともないのに、どうして律法の知識をもっているのだろう」。そこでイエスは彼らに答えて言われた、「わたしの教はわたし自身の教ではなく、わたしをつかわされたかたの教である。」

 

(箴言1:7-8)

主を恐れることは知識のはじめである、愚かな者は知恵と教訓を軽んじる。わが子よ、あなたは父の教訓を聞き、母の教を捨ててはならない。

  

天一国では、中央集権は違法である。中央集権化された軍隊、教育、環境、警察など、中央集権的なものはすべて、天一国においては違法です。天一国では、あらゆる形態の税金が違法です。だから、国民はより多くのお金を持ち、自由な市場を持ち、成功することができ、政府が彼らの富を盗むことを防ぐことができるのです。国家は、天一国憲法の枠組みの中で、繁栄するようになるのです。平和警察、平和軍は、中央集権的な政府の所有になるのではありません。市民の所有権の下に置かれることになります。その結果、自分の国だけでなく、隣人をも守ることになるのです。(2020.11.18)

 

(ルカによる福音書12: 31-32)

ただ、御国を求めなさい。そうすれば、これらのものは添えて与えられるであろう。恐れるな、小さい群れよ。御国を下さることは、あなたがたの父のみこころなのである。

 

(申命記11:8-9)

ゆえに、わたしが、きょう、あなたがたに命じる戒めを、ことごとく守らなければならない。そうすればあなたがたは強くなり、渡って行って取ろうとする地にはいって、それを取ることができ、かつ、主が先祖たちに誓って彼らとその子孫とに与えようと言われた地、乳と蜜の流れる国において、長く生きることができるであろう。


アメリカの保安官を見本として、警察も国民に対して説明責任を果たすようにしたいのです。天一国憲法には保安官モデルがあり、中央集権的な警察は天一国憲法では違法なのです。アーメン!違法なのです! 中央集権的な警察は違法です。連邦化された警察は違法であり、連邦軍も違法なのです。(2021.02.28)

 

(使徒行伝20:28)

どうか、あなたがた自身に気をつけ、また、すべての群れに気をくばっていただきたい。聖霊は、神が御子の血であがない取られた神の教会を牧させるために、あなたがたをその群れの監督者にお立てになったのである。

 

 (ペテロの第一の手紙5:2-4)

あなたがたにゆだねられている神の羊の群れを牧しなさい。しいられてするのではなく、神に従って自ら進んでなし、恥ずべき利得のためではなく、本心から、それをしなさい。また、ゆだねられた者たちの上に権力をふるうことをしないで、むしろ、群れの模範となるべきである。そうすれば、大牧者が現れる時には、しぼむことのない栄光の冠を受けるであろう。

 

 

天一国において、所有権は非常に重要です。そのため、軍隊でさえも、政府ではなく市民が所有し、市民が陸上歩兵隊、空軍、海軍を担っています。そうすれば、無駄な戦争を防ぐことができます。上記をすべて政府が所有すると、無意味な戦争が生まれます。(2020.12.02)

 

(詩篇2:8-9)

わたしに求めよ、わたしはもろもろの国を嗣業としておまえに与え、地のはてまでもおまえの所有として与える。おまえは鉄のつえをもって彼らを打ち破り、陶工の作る器物のように彼らを打ち砕くであろう」と。

 

(詩篇120:6-7)

わたしは久しく平安を憎む者のなかに住んでいた。わたしは平安を願う、しかし、わたしが物言うとき、彼らは戦いを好む。

 

天一国憲法では、捕食者(略奪者)が簡単に人を食い物にできなくなるため、非常に怖い人たちが生まれます。女性でも、必殺技の訓練を受け、鉄のつえを所有し、使い方を知っているので、おっかないのです。天一国における捕食者は、天一国市民を捕食しようとすると死ぬ可能性があります。特に女性を捕食しようとすると死ぬ可能性があるのです (2020.12.02)

 

(士師記5:26-27)

ヤエルはくぎに手をかけ、右手に重い槌をとって、シセラを打ち、その頭を砕き、粉々にして、そのこめかみを打ち貫いた。シセラはヤエルの足もとにかがんで倒れ伏し、その足もとにかがんで倒れ、そのかがんだ所に倒れて死んだ。

 

(サムエル記上17:34-36)

しかしダビデはサウルに言った、「しもべは父の羊を飼っていたのですが、しし、あるいはくまがきて、群れの小羊を取った時、わたしはそのあとを追って、これを撃ち、小羊をその口から救いだしました。その獣がわたしにとびかかってきた時は、ひげをつかまえて、それを撃ち殺しました。しもべはすでに、ししと、くまを殺しました。この割礼なきペリシテびとも、生ける神の軍をいどんだのですから、あの獣の一頭のようになるでしょう」。

  

キリスト教に基づくシステムでは、根本的に人間は信用できないと見ています。権力者のある時点で、チェックを受けて、バランスを取る必要があります。だから、天一国憲法にもチェックアンドバランス(権力が特定部門に集中するのをさけ、各部門間相互の均衡をはかること)があり、天一国憲法では、お父様の王権ラインも絶対的な権力を持っていないことが分かっています。軍事力もなく、法的な立法権もないのです。司法府の中にあるのです。だから、政府の一つの部門にしかないのですが、もちろん、それをチェックして、バランスをとる5つの部門があります。天一国憲法でさえ、神の根本的な人間観の本質を反映しています。私たちは善を行うことができますが、神の助けが必要なのです。アーメン!私たちは自分たちではできないのです!分るでしょう、それが(天一国)憲法なのです! 天一国憲法は、道徳的で正しい方法で行動するのを助けてくれるのです!隣人から奪おうとせずに、自分が獲得していないものを盗もうとせずに、政府が国民から盗んでいるお金を、自分たちが盗もうと考えているときに、それが良いことをしているという偽りの幻想を作り出すような政府のプログラムを作ることをしないのです。それはすべて偽りであり、妄想であり、嘘なのです!それは偽りの正義なのです!(2021.03.07)

 

(詩篇143:10)

あなたのみむねを行うことを教えてください。あなたはわが神です。恵みふかい、みたまをもってわたしを平らかな道に導いてください。

 

(箴言21:2)

人の道は自分の目には正しく見える、しかし主は人の心をはかられる。

  

クリスチャン・コミュニティとして、私たちはドラッグに反対しています。子供たちにドラッグやアルコール、そういったものに 関わってほしくないのです。子供たちには、そういったことに手を出さず、訓練を受けてほしいのです。厳しい訓練を通して、規律を学ぶことができるのです。しかし、同時に、中央集権的な組織が薬物との戦いを宣言し、薬物と戦っているように見せかけている、そんな王国文化はいらないということです。実際にはその結果がどうなっているのでしょうか?薬物の使用量が増え、薬物に関連した犯罪が増加するのです。だから天一国憲法では、政府がGDPの10%を超えて成長することを禁じています。また、教育省、エネルギー省、環境省などの機関はすべて違法です。政府機関ではこういった問題を進展させることはできなのです。それらの機関は、すべてが憲法違反の内容であり、すべて違法です。これは憲法に明記されています。もちろん、麻薬との戦い、貧困との戦い、こういったものも違法です。なぜなら、結局は犯罪を増長させ、麻薬に関連した死亡事例を増加させることがわかっているからです。(2021.02.28)

 

(詩篇119:134)

わたしを人のしえたげからあがなってください。そうすればわたしは、あなたのさとしを守ります。

 

(ヘブル人への手紙12:11)

すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。

 

 聖書には「夜はよもすがら泣きかなしんでも、朝と共に喜びが来る。」(詩篇30:5)とあり、どんなに暗い夜の時間でも目を離さないようにしなければなりません。 暗闇を覗き込むと、その暗さと遠さを見ながら、それに呑み込まれてしまうことがあるから、決して暗闇に吞み込まれてはいけないのです。しかし、それは罠です。サタンは、あなたがサタンに関連することに集中することで、希望を失い、士気を失い、サタンと戦うためのエネルギーと力をすべて失うことを望んでいます。あなたは、暗闇に焦点を合わせてはならないのです。 暗闇は、一時的な試練に過ぎないのです! 私たちは、神の国に焦点を合わせなければなりません。「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。」(マタイによる福音書6:33)とイエス様が言われたように、王国に焦点を合わせましょう! 自由に目を向けなさい! 自由に焦点を合わせましょう! 家族を重要視しなさい!分散化された武装社会で、互いに保護し合う平和警察-平和軍に意識を集めましょう! その善良さに目を向けなさい!その正義に焦点を当てよう!神と隣人のために立ちあがる、そのような社会を大切にしましょう!そして最後に、皆さんは再び神の力と愛を感じることでしょう。もう、皆さんの周りに迫ってくる暗黒の雲に、サタンがあなたを包もうとしている暗黒の雲に惑わされることはないでしょう。皆さんは、「サタンよ、私から立ち去れ!引き下がれ、悪魔!」と言うことでしょう。そして、神の王国の驚くべき香り、芳香、感覚、力、愛、連帯、お互いを保護し合っている姿を、見て、嗅いで、味わって、触れることができるようになります。この驚くべき力のすべてが、神の王国にあるのです。そして結局のところ、サタンの勢力は決して打ち勝つことはできません。なぜなら、それは、この宇宙の正義の、正当なる支配者である全能の神のものであり、私たちは神の子、神の王国としての宇宙を正当に継承する者であるからです。(2021.03.13)

 

(歴代志下20:6)

われわれの先祖の神、主よ、あなたは天にいます神ではありませんか。異邦人のすべての国を治められるではありませんか。あなたの手には力があり、勢いがあって、あなたに逆らいうる者はありません。

 

(ダニエル書2:44)

それらの王たちの世に、天の神は一つの国を立てられます。これはいつまでも滅びることがなく、その主権は他の民にわたされず、かえってこれらのもろもろの国を打ち破って滅ぼすでしょう。そしてこの国は立って永遠に至るのです。

 

(ローマ人への手紙8:16-17)

御霊みずから、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子であることをあかしして下さる。もし子であれば、相続人でもある。神の相続人であって、キリストと栄光を共にするために苦難をも共にしている以上、キリストと共同の相続人なのである。

 

 キリストは、征服するために来ると信じていたユダヤ人たちのメシア王国の預言を実現するために、この地上に来られたのであり、彼は王国を樹立するために来られたのです。もちろん、このことはルカによる福音書にも書かれています。イエス様ご自身が福音を定義されるときはいつも、「私は福音を宣べ伝えるために来たのです」と言っています。何の福音ですか?神の王国の福音です。「私が死ぬという福音を 伝えるために来た。」とは言っていません。そんなことは言ってないのです。「神の王国の福音を宣べ伝えるために来た。」と 言っているのです。 (2021.05.30)

 

(ルカによる福音書4:43)

しかしイエスは、「わたしは、ほかの町々にも神の国の福音を宣べ伝えねばならない。自分はそのためにつかわされたのである」と言われた。

 

(マタイによる福音書9:35)

イエスは、すべての町々村々を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいをおいやしになった。




第3章 主権者たる王国の市民

3.6 ショーン牧師(二代王)の祈り


父なる神よ、今日という日を迎えられたことを感謝します。そして、父なる神様、私たちが666の獣の危険な専制的なイデオロギーとシステムに堕ちることがないことを望んでおられることを知りました。あなたは私たちがそれに対して強く立ち上がることを願っておられます。あなたは私たちが正しく、道徳的であることを望んでおられます。


あなたは、私たちが愛に満たされることを望んでおられます。他の人々とその神から与えられた人権を守る愛に。独裁者を止め、それらを抹殺しようとする悪の勢力を止める愛に。人々を奴隷制度の下に、専制政治の下に、権威主義の下に、共産主義の下に、政治的悪魔主義の下に置こうとする悪の勢力に打ち勝つ、そのような愛に私たちが満ちていることを望んでおられるのです。


神よ、あなたはこの時代、人々を活気づけ、建国の父たちが語ったように、人々の心情と精神の中の藪に、火を放とうとされています。しかし、それはまた、大変な戦慄の時代であり、大きな恐怖と動揺の時代でもあります。それは、その存在の可否に関する次元で、アメリカが終焉に近づいているのかもしれないと、私たちのDNAにさえ感じることができる時代であることを知っています。しかし、神様、私たちは、人間には不可能でも、あなたには万事が可能であることを知っています。


そして、神様、選ばれたイスラエルの民が不完全で、エジプトの奴隷であったにもかかわらず、荒野への困難な道を導き、決して彼らのそばを離れなかったことを、私たちは知っています。アマレク人との戦いで、あなたは彼らと共に立ちました。カナンの31人の王たちとの戦いでも彼らと共に立ち、約束の地に入るときも彼らと共に立ち、彼らの中心にあなたを置くようにと思い起こさせました。


神様、アメリカがあなたから、はぐれてしまったことを私たちは知っています。しかし、人々は目を覚まし、その罪を悔い改め始めています。


人々は、神様、あなたの恵みのために、私たちは再びあなたに近づく必要があることを理解し始めています。


私たちは、左翼主義、ニヒリズム、社会主義、共産主義、政治的悪魔主義の奈落の底に落ち続けることはできません。それらが行きつく先は、全世界レベルのテロと恐怖と悲劇なのです。



神様、今日も私たちを強くしてください。このみことばを聞くことができるすべての人を強くしてください。荒野で叫び、人々を統一し、まとめようとしているすべての人を強くしてください。そうすれば、サタンの力とサタンの王国の侵食を阻止する聖霊の抵抗となることができるのです。


親愛なる神様、私たちは今、2000年前にパトモス島のヨハネが預言したような壮大で神秘的な時代、そして、不確実に満たされた時代の中にいます。しかし、私たちはあなたが宇宙の神であることを知っています。あなたは創造の神です。


あなたは、私たちに「成熟しなさい、産み殖やしなさい、被造物を主管しなさい」という三つの祝福を約束し、与えてくださった神様です。あなたは、私たちが王となり祭司となるよう祝福してくださった方です。私たちが暴君として支配するためではなく、良い羊飼いのようにポイマイノするために、世界の支配権を与えてくださった方です。


今日も私たちを強くしてください、父なる神様。私たちの決意を強め、聖霊を与え、あなたの力と権威で私たちを満たしてください。あなたは「私たちに恐れの霊ではなく、力と、愛と、健全な心の霊を与えた」と言われました。この逆境の時にしっかりと立ち向かい、恐怖の痛みを感じたら、それを地獄の穴へと投げ捨て、叱りつけましょう。私たちの中には、あなたの血統の力、あなたとの関係の力によって、あなたが与えてくださる永遠の希望がありますから。


そして、たとえすべてのことが私たちの想定通りにならなくても、あなたはすでに王国の勝利がどうなるかを計画されています。父なる神様、私たちにその活力を与えてください。私たちはお互いを尊い存在だと思い、赦し合います。私たちは互いに強め合い、そして互いに、自分たちの家族を応援し、世界を守り、アメリカを守り、あなたに栄光を与えるために、この王国の原理において、あなたと共に立ち上がることができるようにさせてください。


私たちは今日ここに集まったすべての王権の血統と共に、あなたに賛美と栄光と誉れを捧げます。あなたの尊い御名によって祈ります、アーメン!アーメン!アジュ!(2021.05.30)

 

≪終わり≫


翻訳:kijoksori:出版販売された(著作権のある)本の翻訳であるため扱い注意

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