Saturday, July 24, 2021

’21年7月21日水曜礼拝<第一部>天一国国民の王権と祭司長権◆ 文亨進二代王

天一国国民の王権と祭司長権

2021年7月21日水曜礼拝<第一部>

文亨進二代王

監修編集タイトル:fanclub

天一国国民の生き方

천일국 백성에 삶 (한국수요얘배 07/21/2021)


5:0540:45 翻訳minion



今もイエスを地獄にいると言うイスラエルのラビ達


さあ、席についてください。今日は赤ちゃんも後ろで聞いていますね。


今日はダニエル書9章ですね。

ダニエル書9章です。一緒に読みます。


1 メデアびとアハシュエロスの子ダリヨスが、カルデヤびとの王となったその元年、

2 すなわちその治世の第一年に、われダニエルは主が預言者エレミヤに臨んで告げられたその言葉により、エルサレムの荒廃の終るまでに経ねばならぬ年の数は七十年であることを、文書によって悟った。


3 それでわたしは、わが顔を主なる神に向け、断食をなし、荒布を着、灰をかぶって祈り、かつ願い求めた。


4 すなわちわたしは、わが神、主に祈り、ざんげして言った、「ああ、大いなる恐るべき神、主、おのれを愛し、おのれの戒めを守る者のために契約を保ち、いつくしみを施される者よ、


5 われわれは罪を犯し、悪をおこない、よこしまなふるまいをなし、そむいて、あなたの戒めと、おきてを離れました。


6 われわれはまた、あなたのしもべなる預言者たちが、あなたの名をもって、われわれの王たち、君たち、先祖たち、および国のすべての民に告げた言葉に聞き従いませんでした。


7 主よ、正義はあなたのものですが、恥はわれわれに加えられて、今日のような有様です。すなわちユダの人々、エルサレムの住民および全イスラエルの者は、近き者も、遠き者もみな、あなたが追いやられたすべての国々で恥をこうむりました。これは彼らがあなたにそむいて犯した罪によるのです。


8 主よ、恥はわれわれのもの、われわれの王たち、君たちおよび先祖たちのものです。これはわれわれがあなたにむかって罪を犯したからです。


9 あわれみと、ゆるしはわれわれの神、主のものです。これはわれわれが彼にそむいたからです。


10 またわれわれの神、主のみ声に聞き従わず、主がそのしもべ預言者たちによって、われわれの前に賜わった律法を行わなかったからです。


11 まことにイスラエルの人々は皆あなたの律法を犯し、離れ去って、あなたのみ声に聞き従わなかったので、神のしもべモーセの律法にしるされたのろいと誓いが、われわれの上に注ぎかかりました。これはわれわれが神にむかって罪を犯したからです。


この内容から私たちは見ることが出来ますね。ダニエル預言者は、バビロンはエルサレムを掌握してユダヤ民族を僕にしたのだ。ここでダニエルはバビロンのネブカドネザル王に仕えていたのだが、バビロンも滅びた。バビロンが滅びてペルシャが入って来た。ペルシャはメデペルシャ(メディアペルシャ)と言いますね。


そしてダニエル預言者はバビロンの王達に仕え、ペルシャ王にも仕えるようになる。だから簡単に言えばダニエル預言者は政府預言管理者、政府の中で活動をしようとする。私たちイスラエルの民を助けるために。何故なら旧約時代では、メシアを準備する時代ではないですか。メシアを準備する時代なので自分達の王権と所有権の価値を知りません。


ですから、サタンの王国だけがあるので、サタン王国の中で最大限に努力して、そこでイスラエル民族を保護しなければならないという次元。旧約聖書でレビ記の族属が、神様の祭司長になったように、イスラエル民族の1つのグループがレビ記の族属が祭司長になります。


ですから、その当時でも旧約聖書でメシアを、王の中の王を待っている、準備している旧約時代なので復帰摂理路程を通して、この人達は王の中の王のメシアを待っています。


現代のイスラエルのラビまでイエス様は火の地獄にいるだけでなく、肥だめ沸き立つ火の地獄にいると言っています、今も。現代のイスラエルのラビは。肥だめでイエス様は罰を受けているとこのように言っているのです。偽の預言者が。いや本当に狂った内容です。


しかし、それほど主が来られた時、イスラエル民族は主を分からないでいるのです。

今や主が来られてから何百年関もキリスト教徒達は迫害を受けて、キリスト教徒達は300-400年間拷問を受けて、万一イエス様を信じたら暗殺されるのです。国から殺されるのです。死刑。


ですから、ラビの立場からはイエス様は偽のメシアでした。「見ろ見ろ。偽のメシアに付いていった奴は皆死んでいるではないか。」と言いながら、300年間も。1世、2世、3世、5世から8世までクリスチャン達は皆死刑にされた。


イスラエル民族のラビの立場からは「クリスチャン達は偽のメシア、肥だめの火(の地獄)に繋がれて罰を受けている偽の預言者、イエス・キリストを信じた。ハハハ!・・・」と言いながら8世代、300-400年間クリスチャン達は何の証すものがない。基本がない。キリストを信じること自体が不法。


考えてみてください。その時代にキリスト教を信じることはとてつもなくきついことです。全ての人に迫害されるだけでなく、国まで。今、中国のキリスト教徒達が死刑になっているように、迫害されるように、大虐殺されるように、初期のキリスト教は3-400年間、そのようにして死んだのだ。


これはどれほど悲惨な内容ですか。その当時、イスラエル民族は「ハハハ、メシアは死んだ。ハハハ!お前のメシアは死んだ。お前のメシアは失敗した、お前のメシアは肥だめ沸き立つ火の地獄に繋がれている。お前のメシアは何も証すものはない。お前のメシアは失敗者、お前の国がお前達を死刑にして、お前達は国内テロ組織だ。」こう言うのです。


キリスト教徒達を憎む嫌う派が何と言うかというと「キリスト教徒達は赤ちゃんを食べる」と言いいました。その当時、ローマにいる学者や記録者達の書き残したものを見たら、「キリスト教徒達は自分の神様、自分の神であるイエスの血と肉を食べる、人肉を食べる団体だ、皆さん。血を飲み人肉を食べる事により自分達は救いを受ける」その様に言うのです。


そうしながら、「クリスチャン達は人肉を食べる団体なので子供達も食べている。あなたの子供達を絶対にキリスト教団体に送るな」と言うのです。3-400年間、どこに行ってもその様なうわさが回ってくるのです。


その当時はソーシャルメディア、ツイッター、フェイスブック、インスタグラムはなかったが、それでも言論、噂、その様なものは全てありました。その様なものを通してキリスト教徒達はこんなことを信じている、十字架の形を持っている人は子供を食べる、人肉団体と言われたのです。


一般のキリスト教徒が市場に行ったら「あいつはクリスチャンだ。ほら見ろ。」ローマの市場でトマトや野菜などを買いに来たのに「おばさん達があなた達はクリスチャンだ、クリスチャンだ、人肉を食べる」人々は「ヤー、あいつらは秘密的に儀式をして子供を殺して食べるんだて。」このように言うのです。人肉食。


このバビロン王国、ペルシャ王国、ローマ王国までもが、そのようなサタン主義をしているのに、クリスチャン達がしていると言うのだ。自分達はそれが罪だと分かっているから。本能的に良心的に分かります。自分達がサタン主義であっても本能的に分かります、それを。


このような思想に従ったら人が人肉を食べて自分の子供を食べたら人類自体がなくなることを本能的に分かるのです。良心的に。

しかし、スーパーエリートはそうしながら、クリスチャン達がしていると言うのです。


旧約、新約、成約、それぞれの王国の王と祭司長


だから、ダニエル書で、旧約聖書時代に預言者として、サタン主義、サタンシステムの中で神様の族属を保護しようとしたのに、自分達が王になる事ができない、所有権を持つ事ができない、祭司長になることができない、その様な基盤で、大きな違いを見ることが出来ます。旧約時代、新約時代、成約時代の違い。

 

新約時代の預言者は、ダニエルのように、パウロとペテロは全国から反対されるようになったのです。むしろカイザーの王がパウロを殺そうとしました。ローマ強大国が。ダニエル預言者は完全に政府の中に入っていきました。その時代はイエス様自体を知らないから。イエス・キリストを通して救いがまだなかったから。さらに、イエス・キリストを通して神の王国が霊的次元でも来なかったから。


イスラエル民族は聖幕を中心として、神の律法を中心として、神様の心情世界と無意識世界を知らなかった。メシアが来られる基盤を磨かなければならなかった。


そうしてこそ主が来られたとき、主に侍りたいイスラエル民族が主に侍り、エルサレムを再び掴みイスラエルの国を立てて、世界の中心になる神の王国、霊的王国だけでなく肉的王国も地上に来ることができる。


絶対的違い。旧約、新約、成約の違い。新約の時は旧約聖書でイエスに会うために、僕の位置から抜けて主の息子になる。主の弟子に。霊的息子であっても。


そうしながら、その関係を通して霊的神の王国と所有権と王権を少し理解出来る。イエス様を通して。

しかし、これはまだ霊的次元だ。イエス様の血統の実体、イエス様のDNA、イエス様の種、イエス様の家族がこの地に実体となっていないので、実体的王国が来ることができないのです。イエス様は聖霊の御言を語られました。実体的王国が来るために主は実体的血統と家族を立てなければならない。


そうしながら、新約時代にクリスチャン達が旧約聖書と違い僕の姿を抜け出して、主を通して神様の前に行くことが出来る霊的王国と所有権を理解することができる。成約時代に主が再臨されて、血統を立てられて、王権を立てられて、サタンを審判されて、また祝福を通して市民と王国を実体的に霊的救いだけでなく肉的救い、実体的な国、神の王国に仕えなければならない。


更に、霊的王国だけでなく実体的再臨主の血統を通して神の王国の憲法が出てきて全ての国がその憲法に従うことができる時代にならなければなりません。新約時代にそれを望み望むことができる、その日が来ることを祈り、祈願する事ができる時代だったが成約時代は違う。


霊的王国だけでなく肉的王国も立てられるようになる。その肉的王国はどこから始まるか。王権と祭司長はどこに行くか。家庭に入ってこなければなりません。家庭。


レビ記の族属から旧約聖書、新約時代の牧師と神父を通して役事があったが、成約時代にお父様の三代王権と共になった祝福中心家庭から祭司長と王の責任が来るのです。



若い時に王権と祭司長権で赤ちゃんに投資する


だから、祝福中心家庭になったとき、男性は王と祭司長になる。妻は王妃と伝道師にならなければならない。子供は未来の王と王妃、祭司長と伝道師に育てなければならない。


しかし、ただ牧会だけでなく、牧会は霊的内容を代表することによって王権は肉的内容を代表するのです。だから、全ての王と王妃は祭司長と伝道師は平和軍警察なのです。男性も平和軍人であり平和軍警察人であり、女性も平和女性軍人であり平和女性警察人であり、このような過程が拡大するほど天一国の王国が来るのです。


しっかりとした夫婦、強い親子関係、一緒に神様を愛し隣人を愛し保護する倫理と愛で共に訓練をして共に冒険もして、共に国と町を保護する。だから、全ての夫と妻はそのような霊肉の責任があるのです。霊的責任の部分で男性は祭司長の責任、簡単に言えば家庭の牧師をしなければならない。家庭を導き妻のために祈り子供のために祈り、霊的にサタン世界と戦うことを教えて。


妻は夫の祭司長の位置を保護して子供が信仰を持って神様の御言を学び、神様の倫理と神の王国の文化文明圏の内容を教えなければならない。


そうしながら、子供達はお母さんが訓練をすることを見て、お母さんも平和女性軍女性警察として訓練することを通して、子供達は「ああ、私はこんなお母さんにならなければ、このようなお父さんにならなければ」・・・そのような霊的祭司長と伝道師の部分が有り、王権の部分で夫と妻は王と王妃の責任がある。


その意味は、子供を正義に子供を育てなければならない。全体主義、暴君共産主義、左派の奴らのようにではなく正義に。間違ったら罰を与えるにしても罪に合う罰を与える。自分が腹が立つから子供を叩いて殴るのは未成熟な失敗の王。その様な国は市民が逃げるようになる。


何故なら言葉だけは「神の王国、神の王国、自由、自由」と言うが、実体内容は暴君主義、全体主義。これは問題です。

だから、その様な内容を通して夫と妻は霊的責任、肉的責任をとおして、霊的に子供を成長させて、肉的内容として子供に対して正義的な夫婦関係、正義的な王と王妃の国を見せてあげなければなりません。


だから、この若いお前達が若い時に王権と祭司長権に投資するのだ。平和女性軍、女性警察達は子供を産んで育てているではないか。その子供はただベビーだけでなく未来の平和軍警察人たちだ。ベビーだけでなく未来の王と王妃達だ。そして未来の祭司長と伝道師たちだ。


だから、このような小さな赤ちゃんが来たときに、ただの赤ちゃんだと見てはいけない。その赤ちゃんは10年15年20年が経てば、お前達よりも大きな人になる。だから、お母さん達はこのような訓練を受けなければ、赤ちゃんはただの赤ちゃんだと考えて、赤ちゃんは小さいから赤ちゃんをコントロールして支配して、赤ちゃんが大きくなって言うことを聞かなくなれば、お前達は暴君に変わって全体主義のカストロ、毛沢東のように、その子供を掌握しようとする。それでは駄目だ。


子供は間違った時には直さなければならないが、その犯罪(の大きさ)が罰(の大きさ)と合わなければならない。自分の一番目の子供が親のものを盗って行ったとき、・・・王妃も証ししましたね。王妃が子供の時、お母さんの財布からお金を盗ってアイスクリームを買ったのです。幼い時に。だからお母さんが「ヤー」と、もの凄く叩いた。もの凄く叩かれても、関係がないのです。


しばらくして再び盗ってアイスクリームをまた買いに行った。だから、その犯罪が、子供がお金を盗ったら当然叩かなければならないだろ。「盗ったらいけない、盗ったらいけない。」と。針の泥棒が牛の泥棒になる。だから、小さな盗みの時に、強く懲らしめなければならないと・・・。このような方法を通して失敗の結果が出るのです。


米国の法律の場合は18歳以下の犯罪と18歳以降の犯罪は違います。1つは未成年で1つは成人です。それは、米国の法律では、また全ての民主主義の国では、人が成長しているとき自分が成人と違うことを認めます。分かりますね。だから、成人が盗んだときと子供が盗んだときは違う。何故なら盗んだことは同じだが、その人の成熟感と歳の違いがあるのだ。理解出来るね。未成年者法。


これがどこから来るのか?もし、律法だけを見て、盗んだら手を切らなければならない。子供であれ成人であれ。そうでしょ?律法を見たら盗んだら手を切らなければならない。盗むことができないように。何故なら針の泥棒が牛の泥棒になるから。これは旧約時代、また、異邦神に出てくる正義。これは実際は正義ではない。


ユダヤキリスト教、特にイエス様が来られてから後、最も重要なことは何か?人は信仰によって救いを受けるようになる。律法で救いを受けるのではない。イエス様を信じることによって救いを受けるのだ。何故信仰の基盤が重要なのか。


信仰基台を通して実体基台が出てくるだろ。信仰基台はそれほど重要な最初の段階だ。とても重要信仰基台には何が必要だ?自由意志。選択権がなければならない。その意味は、私が神様を信じようと、信じまいと、或いは嫌いだろうと、憎かろうと、拒絶しようと、そのような選択権がなければならない。


選択権があるために私たちの結果、天国か地獄かは私たちの責任だ。選択権があるために。選択権があるために、結果自体がより強くなるのです。対価、対価が。


選択権がなければ、例えば動物には選択権がないではないですか。自分達は他の動物たちを殺しますね。ご飯を食べたいときに他の動物を殺して食べます。選択権がない。だから、動物が他の動物を食べることを、自分の赤ちゃんを食べることを、お前は人肉食人種だと言って、その動物に、ある代価を与えてとはしないではないですか。


何故なら動物は生物学的に選択権がないのです。本能に従うのです。しかし、人間には選択権があるのです。選択権。

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