Monday, July 5, 2021

’21年6月30日水曜礼拝<第一部>聖殿よ、キリストの灯火を掲げる燭台たれ◆文亨進二代王

聖殿よ、キリストの灯火を掲げる燭台たれ

2021年6月30日水曜礼拝<第一部>

文亨進二代王

監修編集タイトル:fanclub

20210630 성전교회 수요예배

0:0123:45 翻訳minion  


新約で全ての人がレビに成れるようになった


さあ、席に着いて下さい。後ろは幼稚園だね。一番後ろにマットは敷いてないの?赤ちゃんたちの為にマットを敷いたらいいね。OK。皆、韓国語を理解出来るね。この子は日本語も流暢だ。今日は、イギョンとユナは来てないね。イギョンはまだ回復中ですか?イギョンには日曜日に会ったけれど。


とにかく、韓国語礼拝に入りましょう。韓国食口が参加していますから。Numbers、民数記8章。


(二代王妃「民数記8章です。読みます。」


8:1主はモーセに言われた、 8:2「アロンに言いなさい、『あなたがともし火をともす時は、七つのともし火で燭台の前方を照すようにしなさい』」。 8:3アロンはそのようにした。すなわち、主がモーセに命じられたように、燭台の前方を照すように、ともし火をともした。 8:4燭台の造りは次のとおりである。それは金の打ち物で、その台もその花も共に打物造りであった。モーセは主に示された型にしたがって、そのようにその燭台を造った。

8:5主はまたモーセに言われた、 8:6「レビびとをイスラエルの人々のうちから取って、彼らを清めなさい。 8:7あなたはこのようにして彼らを清めなければならない。すなわち、罪を清める水を彼らに注ぎかけ、彼らに全身をそらせ、衣服を洗わせて、身を清めさせ、 8:8そして彼らに若い雄牛一頭と、油を混ぜた麦粉の素祭とを取らせなさい。あなたはまた、ほかに若い雄牛を罪祭のために取らなければならない。 8:9そして、あなたはレビびとを会見の幕屋の前に連れてきて、イスラエルの人々の全会衆を集め、 8:10レビびとを主の前に進ませ、イスラエルの人々をして、手をレビびとの上に置かせなければならない。 8:11そしてアロンは、レビびとをイスラエルの人々のささげる揺祭として、主の前にささげなければならない。これは彼らに主の務をさせるためである。 8:12それからあなたはレビびとをして、手をかの雄牛の頭の上に置かせ、その一つを罪祭とし、一つを燔祭として主にささげ、レビびとのために罪のあがないをしなければならない。 8:13あなたはレビびとを、アロンとその子たちの前に立たせ、これを揺祭として主にささげなければならない。

8:14こうして、あなたはレビびとをイスラエルの人々のうちから分かち、レビびとをわたしのものとしなければならない。 8:15こうして後レビびとは会見の幕屋にはいって務につくことができる。あなたは彼らを清め、彼らをささげて揺祭としなければならない。 8:16彼らはイスラエルの人々のうちから、全くわたしにささげられたものだからである。イスラエルの人々のうちの初めに生れた者、すなわち、すべてのういごの代りに、わたしは彼らを取ってわたしのものとした。 8:17イスラエルの人々のうちのういごは、人も獣も、みなわたしのものだからである。わたしはエジプトの地で、すべてのういごを撃ち殺した日に、彼らを聖別してわたしのものとした。 8:18それでわたしはイスラエルの人々のうちの、すべてのういごの代りにレビびとを取った。 8:19わたしはイスラエルの人々のうちからレビびとを取って、アロンとその子たちに与え、彼らに会見の幕屋で、イスラエルの人々に代って務をさせ、またイスラエルの人々のために罪のあがないをさせるであろう。これはイスラエルの人々が、聖所に近づいて、イスラエルの人々のうちに災の起ることのないようにするためである」。



OK。燭台。日曜日に沢山話しましたね。燭台はともし火を乗せるものです。燭台から光が出るのではありません。燭台から光が出るのではなく、ともし火から出ます。


その如く、教会も同じです。教会も燭台ですが、教会から光が出てくるのではありませんが、教会の中でキリストを掲げなければなりません。ともし火のように。キリストは教会のともし火、人の灯火。私たちは燭台。私たちは燭台として来て、その灯火の中のともし火はキリスト。


だから、日曜日に、旧約聖書に出てくるレビ族は特別な使命を受けて、ユダヤ人の中でレビ族を祭司長の民族として立てたのです。祭司長として立てて聖幕のなかでレビ族が全ての行事を行って神様に仕えるのです。


ですから、旧約聖書においてユダヤ人は特別な民族で、ユダヤ人の中でレビ族は祭司長の責任があるのです。

そうしながら新約時代にイスラエル民族だけでなく異邦人もキリストの中に入って来ることができます。異邦人が牧師になる事ができます。神父になる事ができます。レビ族でもない、ユダヤ人でもない、異邦人がキリストを受けるようになれば、その異邦人は神父にも牧師にもなる事ができるのです。分かりますね。 


ですから、発展します。旧約聖書で、それはイエス様が来られる責任と路程なので、(再臨を)待つ路程なので、基盤を作る路程なので、ユダヤ人は特別に、ユダヤ人の中でレビ族だけが祭司長をするのです。


ゲッセマネで弟子達が眠ったことは大罪


しかし、イエス様が来られて後、本当に驚きです。ゲッセマネで十字架に架かって亡くなる前、そこにいる弟子達はずっと眠ります。続けて眠ります。これがどれほど、驚くほどの罪でしょうか?私たちは現代に生きているから、これがどれほどの罪か分かりません。


しかし、ローマ強帝国時代において、ローマの軍人がどこかを守らなければならなかった。その日に、もしも自分が寝てしまったらそのローマ軍人は殺されます。ローマ帝国はその軍人を殺します。OK?それほど大きな罪です。寝ることは。特に何かを守っていたら。ローマの建物や軍部隊や国境線や。とにかく、眠くなって、眠ってしまったら capital punishment、死刑です。


ですから、それはどういうことですか?イエス様の弟子達はローマの一般軍人の次元でもなかったと言うことだ。ローマの軍人達はイエス様の弟子達よりもローマ強帝国をもっと守ったと言う事です。その基本的なことをこのベーシックな内容をこの弟子達はできなかったのです、イエス様に。これは驚くべきことでしょ?


実際、ローマ文化文明圏の中で主は王の中の王です。皇帝(カイザー)の王ではないですか?イエス様は。カイザーの王です。カイザーの王を守りながら眠ってしまう。これは100%死刑です。どういうことか分かりますね?


ですから、この弟子達がどれだけ大きな罪を犯したのか人々は理解出来ないのです。そして、この弟子達のレベルがどれほど低かったか。一般の軍人よりもカイザーの王をそれほど守らなかった。驚くでしょ?


そのような信仰を持っている、そのような態度の軍人がいるので、イエス様はカイザーの王としてどうすることもできないのです。十字架の路程に行かなければならないのです。自分の弟子達が(出来なかった)、サタン世界のローマ帝国の一般軍人はサタンのカイザーをもっと守るのに。


ですから、イエス様はヨハネによる福音書16章でしたか?このように言われます。「もし私の王国がこの地にあったら私の弟子達はあなた達と戦うだろう。」と言われたではないですか。17章ですか?この言葉のように、ローマ帝国の将軍でもない管理者でもない一般の軍人よりももっと低い精誠と信仰なので、トレーニング中だったのです。このように信仰の基盤が弱いので、イエス様は十字架の路程に行かれたということなのです。


しかし、イエス様は実際、ローマ皇帝、カイザーの王ではないですか。驚きでしょ?その時にいた人達は、ナザレのイエスをローマ帝国のカイザーの王と考えませんでした。それを想像も出来ませんでした。もし、その弟子達がその現実を分かっていたら絶対に寝ることはなかったでしょう。自分が死んでもイエス様を一人で放っておくことはないのです。


ですから、このような内容の下で、新約時代で神の王国が来ることはできませんが、救いの摂理は霊的救いを通して、霊的神の王国と連結することができる権利が生じました。弟子達の信仰の不足故に不信故に。ですから神の王国は実体的に来ることはできず、神の霊的王国が来るのです。


しかし、イエス様が再び来られて、再臨されて神の王国を建設するという預言もされましたね。そのような部分で、新約時代にそのレビ記、祭司長のパワーは異邦人にも開かれました。異邦人が主を信じたら、異邦人も牧師や神父、伝道師になる事ができるように。特別なユダヤ民族でなくても、特別なユダヤ民族のレビ族でなくても、新約聖書、新約時代に祭司長の階級が開かれたのです。


再臨主の時代の祭司長は非中央組織


そうしながら、主が再臨されて神の王国が地上に立てられるとき、その祭司長の責任は中央組織に行くのではなく、非中央組織に、もっと広く広がります。ユダヤ民族の時は中央組織のレビ族だけ、祭司長が現れました。そうですね。


そして新約聖書でその責任が開かれたのです。異邦人もその責任、牧師にも神父にもなる事ができるようになりました。

しかし、神の王国が建設されるとき、全ての市民が王と祭司長、王妃と伝道師にならなければなりません。そうしながら、全市民の家庭の中で祭司長の責任はより広くなります。どういうことか分かりますね?


ですからお父様は、祝福の中心家庭と言われました。天一国の主人。そうしながら、私たちの基盤がこの旧約聖書に出てくるような聖幕になるのです。その聖幕を指導するレビ族は教会だけでなく家庭に入ってきます。多くの中央組織ではなく、非中央組織,Decentral organization(分散型組織)。


そうしながら、私たちの家庭においてお父さんお母さんは、王と王妃、牧師、祭司長と伝道師になるのです。


ですから、二つの責任があります。王と祭司長。右側の王の責任は、その国を運営しなければなりません。羊飼いを行わなければなりません。その国を羊飼いのように・・・韓国語で何と言いますか?Rule、万国を・・・治める。ヨハネの黙示録で治めるといいますね。国を治める、それも少し変ですね。ポイマイノは羊飼いから来ます。治めるは、羊を治めますか?羊を飼育する?。韓国語ではちょっと。


とにかく、右側の王の責任は、良い羊飼いのように小さな王国、ミクロコスモスの家庭の王国をよく運営しなければなりません。正義を持って。


ですから、多くの人は私がもの凄くやられたのに、子供を少しくらい叩いたらどうだ?こうでしょ?とくに韓国では。韓国人は自分の子供を叩く事が好きだろ?私が子供の時はそうされたのに、そうしなければならないだろ、と簡単に考えるのです。


しかし、王国を運営するときはそのように簡単に考えることはできない。なぜなら王国には正義がなければならない。正義がない国で、暴君がただ怒って、自分を殺して殴って監獄に入れて、そんな国は共産主義の国だ。暴君の国だ。


韓国、日本の親、日本の親は子供を叩くか?日本の親は冷淡にするだろ?違う?とにかく、韓国、日本、中国の親は有名だ。お父さんとお母さんは叩くか、あるいはタイガーマムのようにピシッと狂ったように勉強させるとか、このようにさせると東洋の人は(米国では)有名だ。幼いときから子供を一日中勉強させて、また塾、塾、塾、子供を殺してしまう。だから、世界で韓国、日本の子供の自殺率は世界で最も高い、世界で。あまりにも多くのストレスを、特に勉強勉強と勉強させて。

23:45


二部に続く

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