Friday, July 9, 2021

’21年6月29日(火)キングスリポート◆自己鬼神と闘う勇気、それは子女が信仰を失ったのはあなたゆえに

 2021年6月29日(火)キングスリポート

自己鬼神と闘う勇気、

それは子女が信仰を失ったのはあなたゆえに

信仰を失い世間人になった子を如何に導くか、珠玉の子女伝道書です。

編集タイトル:fanclub

Witnessing To Children Out of The Faith

 (The King's Report 06/29/2021)

信仰から離れた子供たちへの証し

The King's Report 2021/06/29 (火) 


英韓訳: ジャン·スナム 韓日訳: yuko.m


2代王様:おはようございます。皆さん、キングスレポートへようこそ。

今日は火曜日、2021年6月29日、天暦では天基12年5月20日です。

進行の天一国2代王、ムン·ヒョンジンです。まずティム王の天気予報を見てみましょう。ティム王!


ティム·エルダー本部長:おはようございます。今日は技術的な問題で少し違って見えるかもしれません。とにかく天気予報に行ってみましょう。

今、天一宮は華氏71度(摂氏22度)で、晴天です。94度(34度)まで上がり、体感温度は105度(40度)です。暖かくて湿った日になるでしょう。今日と明日まで続くようですが、木曜日には変るでしょう。今夜は71度(22度)まで下がり、また暖かく湿った日になるでしょう。気持の良くない夜です。明日はまた94度(34度)まで上がり、体感温度は104度(40度)です。


これから希望のあるニュースをお見せします。

これをここに移すことさえできれば…できましたね。これを押して···こちらの木曜日を見ると、7月1日、最高気温が78度(25度)まで下がるとのことです。金曜日、7月2日は74度(23度)で、土曜日7月3日は69度(20度)です。日曜日、7月4日は最高気温が80度(27度)ですが、55パーセントの降水確率があります。そして月曜日、月曜日には多くの人が休みをとると思います。最高気温は83度(28度)です。7月4日の週末よりももっと普通の気温になるでしょう。これがいいニュースです。

しかし、今日と明日が過ぎたらそのようになるでしょう。

今日の天気予報でした。


2代王様:わあ、94度(34度)、95度(35度)なんて、なんだかテネシーのように感じますね(笑)。テネシーかフロリダか、そのうちの一つです。

とにかく、皆さん、テネシーでの清平摂理復元のために続けて祈ってください。

不動産の件ですが、計画通りに事が進みませんでした。おそらく差別のせいかもしれません。しかし、神様は提供されるはずです。


そして友美さんとグレッグ・ノールさんのために祈ってください。グレッグさんはこの前病院に行きました。神様に感謝することは、心臓麻痺や脳出血といった命にかかわることではありませんでした。彼の心臓や脳は大丈夫ですが、ライム病かもしれません。見守っていかなければなりません。私の考えでは、彼は今日、家に帰って来ると思います。どうか友美さんとグレッグ・ノールさんが早く回復するように祈ってください。



さあ、ヨハネ黙示録3章、今日はヨハネ黙示録3章です。

第3章

3:1サルデスにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。

『神の七つの霊と七つの星とを持つかたが、次のように言われる。わたしはあなたのわざを知っている。すなわち、あなたは、生きているというのは名だけで、実は死んでいる。 3:2目をさましていて、死にかけている残りの者たちを力づけなさい。わたしは、あなたのわざが、わたしの神のみまえに完全であるとは見ていない。 3:3だから、あなたが、どのようにして受けたか、また聞いたかを思い起して、それを守りとおし、かつ悔い改めなさい。もし目をさましていないなら、わたしは盗人のように来るであろう。どんな時にあなたのところに来るか、あなたには決してわからない。 3:4しかし、サルデスにはその衣を汚さない人が、数人いる。彼らは白い衣を着て、わたしと共に歩みを続けるであろう。彼らは、それにふさわしい者である。 3:5勝利を得る者は、このように白い衣を着せられるのである。わたしは、その名をいのちの書から消すようなことを、決してしない。また、わたしの父と御使たちの前で、その名を言いあらわそう。 3:6耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい』。


わかりますか?そして、これはサルデス教会です。サルデス教会がヨハネ黙示録の最初の部分で警告を受ける7つの教会につながっているので興味深いのです。そしてこれらの教会は7本の燭台で呼ばれます。そして、先週の日曜日にこのことについて話しましたが、7本の燭台は子羊のろうそくの火を支えています。燭台自体は光りません。燭台は光を放つ子羊を支える台となります。


聖書に「あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です。(詩篇119:105)」と記されています。それで、これは彼が言っていた灯台です。そしてこの場合は7つの教会についての内容です。教会が灯台になります。

我々は民数期8章で、旧約時代において祭司長階級が灯台だったのか、または祭司長階級だけが入ることのできた幕屋が灯台の上の灯火ようなものだったのかについて説明しました。そして、神の選民は幕屋の中にあった、または一緒にあったその灯火を火の柱、雲の柱のようにずっと掴んでいなければなりませんでした。幕屋は祭司長の階級で運営されました。


選ばれた選民の中には平凡な彼らたちと離れて中心になった祭司長階級がいました。

しかし、新約時代には祭司長の階級は教会に移されました。それでこれ以上はイスラエルのレビ種…レビ族属だけのことではありません。なぜなら、教会時代は異邦人を含んでいるからです。拡張されているのです。ユダヤ人だけ含むのではありません。異邦人も含むというのです。


そこで、祭司長の階級はもはやユダヤ人を越え、レビー族の属だけではなく、ユダヤ人の血統では全くないキリストの中の聖職者、キリストの中の牧師たちになりました。新約時代では祭司長階級は教会で拡張され動いたのです。そうしてこそ、教会が光を支える灯台や燭台になります。それによって彼らが世の中の光となります。それが教会です。教会の時代です。


そしてもちろん、教会時代はメシアの準備のためのものです。彼らが新郎の花嫁になるためのものです。しかし、成約時代にメシアが、再臨主が、再臨される時、戻って来られる主が再臨される時、そうなればより中央組織化されます。教会だけが祭司長の階級を受け入れるのではありません。


しかし、神は「あなたのすべての人を呼んで祝福中心家庭になるようにし、地上の牧会に参加せよ」と言われます。祝福中心家庭です。そして、その祝福中心家庭のいる場所は、神の役事、牧会、王国の建設が成される場所となります。


私たちは日曜日にこのことについて話しました。我々が祝福中心家庭になれば、我々は王や祭司長、王妃や伝道師にならなければなりません。子供を生むだけでいいのではありません。私たちはこれからは子供たちを牧会して教えなければなりません。そして、我々は子供たちを伝道しなければなりません。


このことについて日曜日に話し合ったところ、子どもたちは約10~11歳までは、あなたがしなさいということをします。彼らが幼い時にはです。しかし、子供たちが成長するにつれて、特に10代に入ると、あなたがしなさいと言ったからといって彼らが喜んですると期待してはいけません。なぜならその年代には知能と分析能力が発達するからです。子供たちは6~9歳の間から発達し始めますが、十代になるとそれをさらに使うようになり、それで自分の人生を指揮するようになります。私たちは子供たちに関与して子供たちに説明しなければなりません。ただこれをしろ、あれをしろと言って命令してはいけません。説明しなければなりません。


それはどういう意味でしょうか。もっと難しくなるという意味です。子供たちが幼い頃に何かをしろと言うとおとなしくしますが、我々は彼らの成長に合わせて説明しなければなりません。子供たちを奴隷のように扱ったり殴ったりせず、喜んで何かをさせるには納得させることが必要です。説明しなければなりません。


そのような観点で見ると、その年齢層が伝道を始める時です。その時には神様、家庭、自分の生き方の方向性のいろんなことに対して大きな疑問が生じるからです。

また社会は反対の事を言うのです。お金や名誉、知識、権力などを求めろと子どもたちに言います。そして、その言葉に従った他の子供たちがハリウッドスターとかになって、うまくいっているように見えます。


だから我々は、子供たちが大きくなるにつれ、彼らの分析的な思考を扱う必要があります。彼らが克服できるように手伝ってあげなければなりません。伝道する必要があります。彼らの分析的思考や彼らの疑問を扱ってあげる必要があります。彼らが18歳(アメリカの歳)になる前に、その重要な年代にさらに相談してあげなければなりません。それで、子供たちが十代に入る時は、我々が相談してあげなければならない最も重要な時です。ただ彼らについて回りながら何かをしろと命令してはいけません。我々は子供たちの相談をしてあげなければなりません。


それはどういう意味でしょうか。その意味は、我々の牧会のレベルと伝道するレベルが発展しなければならないということです。教会学校の先生レベルに留まってはいけません。そのレベルで青年牧会をして教えようとするのは無理です。教会学校の先生は青年牧会ではうまく教えられません。うまくいかないでしょう。彼らは4~10歳位の子供たちの扱いに慣れているからです。彼らは先生が何を言ってもよく聞く小学校の生徒だけ扱うのに慣れています。


10代に入ると、子供たちはより多くの能力を持つようになり、より誘惑され、より多くの疑惑も生じるでしょう。彼らは麻薬と外部の友だちに対応しなければなりません。かっこよくなろうとし、認められようとし、よく付き合おうともするでしょう。同じ年頃の圧力ももっと受けることになるし、そして…その年齢の子供たちにはそれがすべてです。だから彼らは麻薬に全ての圧力、彼らを引き込もうとするフリーセックス文化の全ての同年代の圧力、名誉を追求しようとする全ての同年代の圧力、権力知識の同年代の圧力などなど… 地位、権力の地位。難しいことです。


したがって、我々の教会のレベルも向上されなければなりません。子どもを育てるためには、教会学校も青年牧会も両方必要です。青年牧会とは十代と若い子供たちの牧会のことを言います。そのような能力がなければ、1対1の日を過ごしても彼らは離れていくでしょう。

1対1の日はいいですね、しかし、私たちは常に改善しなければならず、成長していかなければなりません。

十代についても学ばなければなりません。十代に合った聖書を学び始めなければなりません。それについて膨大な量の資料がキリスト教の世界にあります。これからはキリスト教弁証論について扱わなければなりません、特に知的基盤のある人たちがですね。疑問について扱わなければなりませんが、疑問は信仰を持っている誰もが戦わなければならない問題です。無神論者たちの主張について扱わなければならず、私たちは子供たちが無神論者や不可知論者になりたがる誘惑を100%受けるだろうとすでに仮定しなければなりません。


なぜなら、その年代には神様に対して道徳的責任を持ちたくないからです。その年代に女性たちがきれいになり、ホルモンが活性化され、セックスしたいし、遊びやパーティーをしたり、麻薬もしたいので、神様がいないことを望みます。子どもたちはその年代にこんなことを望みます。それで、いつも無神論者になるための理由を探しています。いつもです。


そして彼らの友だちは絶えず彼らを誘惑しようとします。そして、その年齢の子供たちは、美貌の頂点にいます。特に、その時は「わあ、女だ…」と言いながら女性を見始めます。十代になると、「わぁ、本当にきれいだ」と言いながら女性を見始めます。その時には異性に対して意識し始めます。そのため誘惑が強くなります。それで、その幼い年であらゆる言い訳を探して、きれいな女性とセックスしたいのです。


だからあなたは、親としてそれを解決しなければなりません。その子供を導いてあげ、牧会しなければなりません。そして、子供たちのために、子供たちのその年齢の期間中はリーダーシップを持たなければなりません。そうしてこそ子供たちが結婚に向かって成功的に乗り越えることができます。


そんなわけで牧会が家に移されてしまうのですが、これが多くの1世たちの問題なのです。そしてもちろん、彼らをこの方向に導く指導層もあります。

しかし要点は、彼らは教会が子供を育てるものだと考えました。または、2世たちが原罪なく生まれたので誘惑されず、堕落することもないと思いました。そしてそれは100%そのようにいかなかったのです。それは100%事実ではありませんでした。

それで、多くの人が自分の子供が堕落してサタンの子供になるのを見て、苦痛を経験しなければなりませんでした。


それではそのような状況で何をするべきでしょうか?

私は年上の方からそんな質問を受けました。何をすればいいですか?私たちは彼らの切実で切迫な心情を感じてその家族をかわいそうに思います。

なぜかというと彼らは窮地に陥りました。彼らはこのような話をもっと子供が幼い時に聞きたかったのです。これに対する実際的な教育をもっと子供が幼い頃に受けさせたかったのです。もっと子供が幼い頃に力をもらいたかったのです。しかし、それができなかったのです。


それで短く言うと、彼らはとても多くの失敗を犯しました。外的には神様の仕事をしたかも知れませんが、王と祭司長の役割に対してはよくできなかったのです。大変多くの失敗を犯しました。自分の親が犯した過去の罪を子どもに繰り返しただけなのです。または、子供を放置したり、他の状況に置いたかもしれません。


彼らは多くの場合、学校の制度に自分の子供を育てるように任せました。ほとんどすべてのケースがそうですね。彼らは、子供を政治的サタンの内容が濃厚な環境に置いても子供は篤実にやるだろうと信じていました。

子供たちが完全に左派、政治的サタン主義者、文化的サタン主義者になる状況が非常に多かったのです。一部は実際的なサタン主義者になりました。確かに子どもたちは親に捨てられたという感情で反抗したり反応したりしました。


私たちもそれを処理しなければなりませんでした。うちの家族でもです。「2代王様は資産がある」または「真の家庭は財政的に安定していたのでうまくできたんだ」こんな理由のためではありません。

もし、そうだとすると、すべての真の家庭は完全で強い家庭を持たなければなりません。そうでしょう?ところが全然そうではありません。真の家庭の彼らは完全に台無しになりました。そうでしょう?

それとは全然関係ありません。私たちが投入する努力にすべてがかかっています。


私はお父様の子供だという理由で、柔術の黒帯を取ったのではありません。私が得たものです。努力しました。子供たちも同じです。努力をしなければなりません。牧会に努力を傾けなければなりません。絶えず努力をしなければなりません。放置してはいけません。そんなことがありました。

とにかく、1世たちの状況と蕩減時代は、人々が自分の家庭に集中できず、彼らを壊そうとするサタン世界と戦わなければなりませんでした。そしてお父様はまだ定着時代にはいませんでした。


とにかく、要点は我々は何をすべきですか?

自分の子供たちは堕落し、文化的サタン主義者で、政治的サタン主義者で、実際のサタン主義になったかもしれませんが、何をすればいいですか?


ラインホールドニーバー(Reinhold Niebuhr)が残したという格言がありますが、とにかく彼は、「神様、私が変えさせることができないことと、変えさせることができることを悟ることのできる安らぎを与えてくださり、それらを見分けられる知恵を与えてください」と言いました。

子どもたちが自由意志で神様を離れ、サタンに仕えると決めたら、彼らが成人した時、あなたにできることはあまりありません。多くの場合、できることがあまりありません。


あなたにできることはあります。彼らのために祈ることができます。

彼らと関係を再び築こうと努力することができます。そのようなことはゆっくりと起きます。当然、毎日のように祈ってあげられます。

しかしもう彼らはあなたの下にいる段階ではありません。彼らはもう家を出ました。彼らはもう完全に別の空間にいます。その人に強要することはできません。そのため、40~50年かかるかもしれません。長い道のりの準備をしなければなりません。


しかし、他の重要なことができると思います。子どもたちに手が届かないのなら、あなたの妻と祭司長の関係を強化することができます。それを輝かせてください。その光を眩しくしてください。

なぜなら、もし子供が神に反抗した状況であるなら、彼らが神に反抗しているという事実を見ることができます。


ご覧のように、彼らはこの世の暗闇に入りました。そこには光がありません。偽りの幻想しかありません。光明の約束だけがありますが、それさえも偽物です。サタンは光明の天使ですが、『偽の光明』です。神様の光明の影にしか過ぎないのです。だから世俗的な世の中、文化的サタン主義、政治的サタン主義はいかなる光もありません。全て暗闇です。


無知な人々には、明るく輝いて、きらきらと華やかに見えます。そして彼らは心から喜んで入っていきます。彼らは「よし!借金をして政府のプログラムに入る。」莫大な借金をして20~30年働きながら返済し、失敗する性関係に身を任せ、「喜んで暮らすぞ。」そして、「子供は絶対に持たない。いや、おそらく40代で産むか、もしくはそのままゲイになるか。」こう思いながら入って行きます。不幸につながるだけです。暗闇しかありません。


それで、何をしなければなりませんか?あなたがもっと強い光にならなければなりません。これはヨハネの黙示録1章、2章、3章で話したことです。光を支える、より強い灯台になるのです。


例えば、悪い状況に置かれているとしましょう。あなたの子供たちが堕落し、サタン王国の一部であり、暗闇の中にいます。第一に、彼らに強要することはできません。無理やりあれこれ信じさせることはできません。暗闇から出て光に入りたくない人に強要することはできません。プラトンの洞窟に対する比喩のようです。

暗闇で暮らしていた人が洞窟の中から出てきて、自由と光、そして新しい世界に向き合えば、目がとても痛くなり、再び洞窟に飛び込みたくなるでしょう。洞窟の方が安らかなのです。暗闇の方が安らかになったのです。

ロード·オブ·ザ·リングのゴルム…でなければグレムリン「大切なもの!大切なもの!」という場面があるじゃないですか。彼は外に出たくないのです。なぜなら、暗闇に慣れていて、隠れることに慣れていて、欲しがることに慣れていて、「私の大事な指輪!私の大事な指輪!」ということに慣れているからです。


あなたの子供たちがそうなったとしましょう。

そうなら、彼らに集中してはいけません。彼らに集中するほど彼らは反感を感じるでしょう。そして彼らは自分が正しい決定をしてあなたが間違っていて、あなたに対する怒りが正当であることを証明しようとさらに自分の行く道を行くでしょう。こうやって生きるんだと言うでしょう。

だから、彼らに集中してはいけません。ただ、彼らのために祈り、それを置かなければなりません。あなたはこれ以上、彼らに影響を及ぼすことはできないということを悟るべきです。10歳の子供じゃありません。もう彼らに親レベルの影響力はありません。それを置かなければなりません。それが彼らの状態だということを受け入れなければなりません。それを置き、神様が彼らの人生に役事できるようにしてあげなければなりません。あなたは神様ではないので、あなたは彼らの心を変えることができません。できないのです。神様だけが心を変えさせることができます。


その様な状況であれば、何をしなければなりませんか?

毎日子供たちのせいですねたり嘆いてはいけません。教会の牧師がそのようにしてはいけません。

教会を離れて道に迷って堕落する人を見たなら、一日中その人のために悲しんだりはしません。彼のために祈ります。そうでしょう?その後、牧会をすることになります。その人のために祈ることができます。時々、彼のことを考えることもできます。

しかし、その人のために悲しんだり、その人に集中したりする事はあなたのする事ではありません。自由意志が関わっているということを理解しなければなりません。そして、前に進まなければなりません。

どうやって進むんですか?牧会を強化させてください。教会にいる人たちとの関係を強化してください。伝道できるよう助けてあげてください。他の子供たちを教えるのを手伝ってください。あなたの過ちについて教えてあげてください。自分の子どもに過ったことに正直になれば、あなたは次の世代を強化させ、同じ過ちを犯さないようにできるのです。


このようなこともありますが、もっと重要なことがあります。

すなわち、あなたの子供たちが見ているということです。

あなたの宗教、信仰、教会を見るのではなく、あなたの夫との、妻との関係が改善していくのを見るのです。

あなたは、外の世界にないものを持っていますか?あなたの祝福が光になっていますか?

なぜなら、そんな状況にある子供たちは、暗闇にいるため、淫らな性関係、数人とパーティーしてセックスすること、堕落した同性愛、両性愛関係、すべての種類のソドムとゴモラを見ています。わかりますか?彼らは若いうちにそれが正常で大丈夫なものだと信じたいのです。

しかし、彼らが育ち、10年が経って、30歳、また10年が経って、40歳になると、「ああ、これは私が20代の時、あるいは私が反抗していた18歳の時に考えていたこととは違う」と悟ります。「これは世間が言っていたこととは違う。このように生きながら私に幸せを与え、満たされるふりをするがそうではない。20年間、数十、もしくは百人の様々な男たちに身を差し出したが、私にはまだ男がいない。」...


私が言っていることが見えますか?外部の世界で彼らが持っているのはこれが全部です。文化的価値のためです。文化的サタン主義の価値のためです。「性的に節度がなく、誰とでもセックスし、愛は感情的だから、愛を感じなかったら関係を放棄し、犠牲にならず、あなたの快楽を追い求めなさい。」彼らはこのような文化的価値を学ぶのです。これは失敗の価値です。

したがって、彼らがより暗くなればなるほど、より一層暗闇を見るようになれば、より神の王国にいる人々と対照的になるのです。でしょう?


しかし、もしあなたの結婚が崩れており、子どもたちが去っており、そしてあなたの結婚が崩れているのに、それに時間を投資していないとしましょう。毎日聖書を100回読むこともできるし、一日も欠かさず毎日訓読会のような宗教的「活動」をすることもできるし、すべての行動をしているかもしれません。

しかし、何の結実もなく、神の王国を具体化する強い関係を持っていなければ、王国についていくら話しても誰も信じません。それである人たちは理解できません。 「私を先生にすることはできますか?私を先生にすることはできますか?」

いえいえ、あなたは結実を結ばなければ先生になれません。人々はあなたに従いたくないでしょう。そして教会はあなたの上に先生を置くことをしません。特に結実のない人たちのことです。誰もが知っている未熟で関心だけを引きたがる人々のことです。 誰も彼に従いたくないのです。 誰も彼に従わないでしょう。


人々が自分の群れと指導者を選ぶことができる自由市場は、人々に非常に力を与えます。なぜなら低レベルの指導者が権力を強制的に握って自分たちに従えと強要できないからです。

有能な指導者になるためには、実を結ばなければならず、高いレベルの意思疎通をしなければならず、そのような能力を発展させなければなりません。

ただ講義だけをしていてはいけません。実際的に実を結ばなければなりません。そうすれば人々が自然にあなたに従うようになるでしょう。


しかし、要点はあなたのお子さんがそういう悪い状況にあるとしましょう。私たちはそれについては胸が痛いですが、とにかくそれに集中しないでください。それはもう牧会ではありません。あなたの牧会ではありません。神が彼らを牧会されます。あなたは彼らのために祈り、機会が生じる度に光を見せようと努力しても彼らに強要することはできません。そんな状況に置かれていれば、そのような方法はまったく無駄だということを見たはずです。むしろもっと遠くしてしまったでしょう。


あなたは時間が経つにつれ、「ああ、このように行動をしてはいけない!」と学ぶでしょう。その次に成長し始めます。そして、第一に実を結ばなければならないということを悟るでしょう。


したがって、妻との関係が改善し、強くならなければなりません。あなたの夫との関係が改善し、強くならなければなりません。 あなたは山の上の光にならなければなりません。彼らが暗闇にいて、彼らのすべての関係が失敗して崩れている時にですね。

そして、そのフリーセックス文化が彼らを駄目にしています。彼らはあなたを見ながら「お母さん、お父さんが言うことを信じないし、彼らの神様も信じないし、文牧師も信じないが、それ知ってる? お母さん、お父さんの結婚生活が本当に良いと思う。すごい。」と言うかもしれません。たとえそのレベルで始まったとしても、それは大きな変化です。そして、ゆっくり「あの結婚生活はどこから来たんだろう?」と思うかもしれません。真のお父様から来たのです。そうですよね?



要点は良くない状況にあるなら、その良くない状況に集中してはいけません。 その良くない状況を切り抜けながら、前に進むことを考えなければなりません。 それは難しいことです。感情的に難しいですがそれが要点です。どんなことでも感情的に難しいです。何でも価値があるとしたら難しいです。だから、そのような状態にある場合、我々を悲しくさせ、我々にできることさえ崩してしまう否定的なことだけに集中してはいけません。引き続き前に進まなければなりません。


子供たちが船を乗り換えると決めたら、彼らはその道を行くと決めたのです。私たちがいくら彼らの後を追って哀願しても--私はそうする人々を見ましたが、子どもたちはますます遠ざかっていくばかりでした。

なぜ?無意識の世界にある多くの問題を解決せず、彼らに宗教を強要するだけで関係を回復しようとしなかったからです。

彼らに過ったのにそれに対して謝ろうとせず、その状況について説明もせず、関係を回復しようとせず、外的にだけ集中します。「私はあなたがお父様のみ言を知ってほしい。訓読会もしてほしいと思う。」と言います。

彼らはお父様に対する気持ちがないので、しないと思います。神の御言に対する心もありません。

彼らはあなたとの関係を願っていて、そのために叫んでいるのですが、あなたは聞いていないのです。それであなたは関係を結んでいません。整理すべきことがあったり、悔い改めなければならないことがあったりするのに、そのようなやり方で彼らを傷つけたなら、解決しなければなりません。そのようなことを解決しなければなりません。そうでしょう?

子供たちの人格形成期間中に彼らを感情的に殴ったかもしれません。あなたは怒って感情的に小言を言ったり感情的に接したかもしれません。それらには結果が伴います。そのような行動には結果が伴います。


それで私はそのように行動しないように若い人々を訓練しました。あなたの子供があなたを憎み、あなたに虐待された感情、そしてあなたに捨てられた感情を持つ可能性を減らすことができます。あなたがそのように行動しなければ、そうした多くの傷を減らすことができます。もしそのような訓練を受ければ、親があなたにそうしていたので、お子さんたちにもそうしていたかもしれません。あなたは感情的育児というのをしました。そのようにしたなら傷は必ず100%あります。正義がなかったからです。不当に行動し、感情で罰を与えたからです。殴ることや途方もない量の小言や不当な罰です。必要なかったものですね。


ある子供は、自分の親が子供の一人を殴っていて、それを見たという理由で、「お前もこっちおいで!」と言いながら自分まで殴ったということを覚えているそうです。この親がしでかしたことはおぞましい過ちです。恐ろしい間違いです。子供たちに与えた罰は不当でした。それは過度の武力行使だったし、あなたはそのようなことが起る王国には決して住みたくないと思うでしょう。自分勝手な法律、自分勝手な規則、感情的な支配者のせいで、彼はあなたを殺すことができ、過度の武力であなたを殴ることができるのです。彼がそう感じたり怒ったからです。あなたはそんな王国に絶対住みたくないはずです。要点は多くの親が自分の子供にそんな環境を与えました。多分、自分の親から学んだのですから。それが道だと思っています。しかしそうではないでしょう。


育児は統治権の行使です。あなたがどうやって治めるかということです。あなたが誰なのか出てきます。あなたは暴君ですか? それとも正義を行おうとして法律を守ろうとする人ですか?あなたが正義をもって治める者や牧者になろうと努力しますか?それとも力があるか、体が大きい時にお子さんが屈服するまで殴るんですか?だとしたら、あなたは暴君です。

要点は、子どもたちとの関係でこれを理解し、実践して実を結ぶことですね。そして、これは子供たちの人格形成期間中にのみできます。多分、約18歳までですね。その時期以降はとても難しいです。その次の期間は20~30年はかかるでしょう。それが現実です。あまりにも抑えられた怒り、恨み、葛藤、不当な感情があるからです。今、彼らにはお金を稼いで自分の人生を生きる機会、能力があるので、それを取り戻すことは非常に難しいです。取り戻す事を早く始めなかったからですね。


だから、そのような状況に置かれている場合には祈りは重要です。祈り。また神様が管理されているということを忘れないでください。あなたが変わらなければならないということを理解してください。宗教を強要したり、宗教的な面に集中しないで関係のある面に集中してください。あなたにも開けることができる心の接触点を見つけてください。

例えば、あなたが不当に行動したとしたら、それに対して謝罪するということです。機会を探してみてください。神様が提供してくださいます。その機会を使って傷を治癒し、許しを求めてください。


不当に行動したなら、過度な武力を行使したならですね。我々はもちろん、父母がそれらをしないように導きます。それさえしなければ未来の多くの傷を防ぐことができます。過度な武力行使をしないでください。自分勝手に感情的に治めないでください。彼らを本当に傷つけることになるとはっきりと言います。自分を制御してください。自分の感情を制御してください。


警察は、「今日は本当に運が悪い日なので、人を撃ちました」と言うことができません。それをやったらダメです。あなたは大人です。親です。そういう行動をしてはいけません。縁起が悪い日だからといって不当に行動することはできません。分かりましたか?そのようにしてはダメです。そうしたなら、許してもらわなければなりません。


そしてもちろん、関係が回復できるような行動をとるか、そういう機会をゆっくり探す必要があります。急いではいけません。彼らを18年間傷つけたのですから、少なくとも18年間、関係を回復しようとする努力を投入しなければなりません。本当に長くかかるでしょう。少なくとも、あなたが不当に行動した、少なくとも子供たちの心から、そのように感じた時間と同じ量の時間を、昔のことを改め、許しを求め、義を持って、関係回復に投入しなければなりません。時間はかかります。




ある研究で誰かと誰かが別れれば、例えばその二人が10年一緒にいて別れたとしたら、その関係を回復するには少なくとも5年はかかるそうです。5年、その関係の時間の半分です。しかし、お子さんたちとは多分もっとかかると思います。彼らが、18歳を過ぎて彼らは自分で生活しており、自分の行く道を歩んでいるなら、早くには解決できないでしょうし、ただこれに集中してはいけません。集中したらダメです。機会があれば、それをもって関係を回復しようと努力してください。


多くの親はこれについて怖がります。彼らは18年間にわたって非常に多くの過ちを犯したということを知っているので、これから「関係を回復するために努力しなければならない」というふうに言えば、やっとあなたが彼らに与えたものを受け取らなければならないということに気づくからです。


これからは子どもたちがあなたに大声を出し、あらゆる悪口を浴びせかけ、あなたが自分を虐待したと言って、あなたにあれこれ浴びせかけるでしょう。あなたはそれを通過しなければなりません。多くの親がそれを通過したくなくて逃げ続けます。

そう言いながら不平を言い続けます。「なぜ神様が私の子供を救わないの?」そりれは、あなたがあなたの5%を果たしていないからではないですか。そして、あなたが主原因じゃないですか。神様はあなたがそうするように創造されなかったのです。

おそらく感情的に治めて、自分勝手に感情的に治めて、あなたが主原因だったら、神から学んだのではなく、おそらくあなたの親やあなたを育てたメンター(mentor)のせいでしょう。彼があなたにそのように教えたかも知れません。それであなたがあなたの子供たちにそうしただけなのです。


子どもたちの心の中では、あなたが彼らの虐待や見捨てたことの主原因になっているのです。それで、それを直視しなければなりません。関係を回復するためには、それを直視しなければなりません。

自分に向かって叫ぶのを経験しなければならず、自分がどれだけ悪かったかについて聞かなければならず、子どもがどのようにダメになったのかを聞かなければなりません。

それをそのまま飲み込まなければなりません。飲み込まなければなりません。なぜなら、彼らは過去20年間、もしくは彼ら人生の初めの20年間、それを飲み込んだからです。

しかし、それは小さな代価です。怖がらないでください。恐怖に生きないであれこれ正当化しないでください。


私はこのような親を見るのですが、彼らが今もなお怖がって生きています。相変わらずおじけづいたまま生きています。彼らは事実関係を回復したくないのです。とても大変だからです。

しかし考えてみればそんなに大変でもありません。ただ自分の自尊心を下ろして…関係を本当に大切にするなら、それをしなければならないなら、多くの虐待があったなら、あなたはひどく怒られなければなりません。叩かれることをしたでしょう。怒られるでしょうし、それは来るでしょう。

なので、ただぶつかってみてください。そんなに悪くないです。回復過程の速度を落とさずに、むしろスピードを上げることができます。速度を上げることもできるというのです。


子供がいると、子供は支配されていると感じます。いつも彼らに感情をぶつけて小言を言ったし、何であれ、彼らはそれを感じたかもしれません。いつも彼らに不満を抱き、彼らが悪かったと言い、彼らがしたすべての些細なことを審判し、そしてあなたの心の中では自分が過ちを犯し、未熟だったということが分かるはずです。分かります。


しかし、あなたは関係を回復することを避けて逃げました。そしてあなたの友人や教会の食口たちに「私のために祈ってください」と言ったかもしれません。

しかしこれは巧妙なごまかしです。重要な部分を解決しなければなりません。重要なところを解決しなければなりません。あなたが子供を虐待し、子供時代を奪い、息を詰まらせたと感じる子どもに対して、あなたがやったことを解決しなければなりません。そのことを解決しなければなりません。

あなたがどれだけ友人を説得して祈ってもらったかは重要ではありません。あなたがその5%をしなければなりません。しなければなりません。そんなに怖くないです。ごまかすことをやめさえすれば--そして私は親たちがそうすることが分かります。私には見えます。


ごまかすことをやめて実行してください。2年位はかかりますが、子供たちに怒鳴らせ、自分が感じるには、自分が飲み込まなければならなかったすべての傷や息詰まりを噴出させれば、そしてあなたに悪口を言いますが、ただ飲み込まなければなりません。

なぜなら、あなたが不当に治めていた状況だったかもしれませんから。あまりにも過度な武力を行使しました。何も説明もしませんでした。あなたは彼らに宗教の外的なことを強要しました。強制的に従わせたじゃないですか。そんな事をしたなら、彼らはあなたを非難するでしょう。彼らはそうして神を離れ、教会を去って、このすべてから去りました。

それで、あなたは恨み、その傷を飲み込まなければならない期間を通過しなければならないかもしれません。そして多くの場合、その恨みは彼らの人生を台無しにしました。だからあなたに復讐したいのです。だから子育てで悪い指導者だったら、彼らがあなたに復讐できるようにしてあげなければなりません。責任を負わなければなりません。


夫と喧嘩をして妻と喧嘩をするような悪い環境に子供たちをいさせたとしたら、それもまた子供たちを傷つけることになるでしょう。そのことを解決していなかったなら、責任を負わなければなりません。それを避けて逃げてはいけません。子どもたちに影響を与えた無意識の問題から逃げ出すほど、もっと分裂するでしょう。

彼らはあなたのそばに絶対いたくないはずです。あなたがこの問題を解決しようとしないことを知っているからです。そして、子供たちがその関係を結び直したとしても、あなたがまた同じことをするかもしれないからです。


誰もそんなことを望んでいません。特に成人はですね。それであなたがそのように行動したなら、あなたは自分がこれ以上不当な人ではなく、自分のやり方に対する罪に気づいたということを見せなければなりません。そして責任を負って「私は正義の人だ。私の結実を見て。私がお母さんとどう行動するか見て。」または「私がお父さんとどう行動するか見て。私はあなたを不当に接しはしない。過去に傷つけたならごめんね。」と言わなければいけません。あなたはこのような事をしなければいけません。


時々、私たちが見る親のレベルは信じられないほど最悪です。

神様にありがたくも、大多数ではありません。それでも何人かは計り知れないほど最悪です。

もし私がその家庭の子供なら、その家庭から100%出て行きたかったことでしょう。信じられないほど虐待されるだけでなく、不当なことだけでなく、非常に最悪な指導力だけではありません。私たちはそのような多くの家庭を見てきました。神様にありがたくも、大多数ではありません。それでも多いのです。


そして、親が認めたくない場合には、子供たちは皆、親を恨んで怒っています。

彼ら(親)は未だにこう言うのです「私は篤実なんだ。祈りが必要だ。」わかりました。ところで、子供たちと穏やかに向かい合って、過去の罪に対する悔い改めをするという大変な事を行っていますか?まだそこまで行っていないんですか?

「いいえ、いいえ、やりたくありません!」 そうであればよくならないでしょう。いくら祈ってもよくならないでしょう。

なぜなら、霊界があなたを阻止するのではなく、100%あなたの責任だからです。大人だってそうですよ。多くの大人も脳の95%である無意識の世界を解決していないので、子どものように行動して決めます。


ですから、マーケッターたちは例えば同じ製品項目があっても、写真を変えたりマーケティング戦略を活用し、あなたの無意識の心に影響を与えることであなたを騙すことができるということを知っているのです。なぜなら、あなたはまだ子供のようなレベルで決定するからです。シャンプーやシェービングクリームだけでなく、あなたの他の決定でもです。


それで、私達は何をするべきですか?これらを明らかにしなければなりません。 出さなければいけません。

そして、まずこれらは大丈夫ではないと言い、行動を変えなければいけません。変えなければなりません。

多くの場合、その関係では彼らに(子供に)問題があるわけではなく、その人(親)にあります。

悲惨な状況にあり、子どもたちを残酷に抑え、抑圧的でとても暴君の親であったなら、あなたがその関係を回復するには、子どもたちがあなたに声を張り上げ、悪口を言い、呪い、そしてあなたが恐れるすべてのこと、その期間を経なければなりません。そして私は、非常に暴君的だった親が、自分が悪く、非常に暴君的だったと自分の心の中で分かっていると信じています。しかし、子どもに言われたくありません。なぜなら、自分の心の中で事実だということが確認され、自分が暴露されるということを知っているからです。それで彼らからいつも逃げて、その状況を避けるのです。


とにかく、要点はそれをやれば(逃げれば)関係がよくなる可能性はありません。相手の観点から考えてみてください。相手は「いいえ、私はもうこれに関与しません。あなたの横暴下に入りません。あなたがこれ以上暴君ではないということを私に証明しなければなりません。」・・・どう証明するのかですって?怒鳴ったり、大声を出したり、悪口を言ったり、あなたの横暴な態度の下で生きることがどれほど悲惨だったか、この話を受け入れて謝罪し、これに対して成熟した態度で受け入れ非難せず、自分を弁護しないでください。

あなたは自分が暴君だった事が分かっています。あなたが暴君だったことを知っています。申し訳ないですがあなたは分かっています。毎年それを隠しているだけです。しかし、あなたが暴君だったら、そして過度の武力を行使していたなら分かっています。あなたが不当な統治者だったら自分のことをよく知っているのです!


私は多くの母親が、多くの場合は母親です。子どもとそういう会話をするのを恐れるのを見ました。そうすれば、本当に何も起こらないでしょう。

神様が「強く雄々しくあれ」(ヨシュア記1:9わたしはあなたに命じたではないか。強く、また雄々しくあれ。あなたがどこへ行くにも、あなたの神、主が共におられるゆえ、恐れてはならない、おののいてはならない。)とおっしゃったとおり、勇気を持たない限りよくならないでしょう。

自分の罪を悔い改めれば、神様があなたを洗って下さることができるのです。

今は勇気を持って自分の鬼神たちに正面から立ち向かわなければなりません。あなたが罪の中にあったとき作り上げた問題に立ち向かうためには、勇気を持たなければなりません。鬼神に立ち向かわなければいけません。鬼神が人を操っているからです。彼らに対抗しなければならないし、一部の場合、彼らから怒りを受けなければなりません。

その場合は、怒りを受けるに値するからです。

そしてそれを経なければなりません。通過しなければなりません。それを経なければ全く変りません。ずっとずっと同じだと思います。人々があなたが90歳になるまであなたのために祈ることができますが、絶対によくならないでしょう。行動しなければなりません。雄々しく、勇敢にならなければなりません。


暴露されることに対する恐れを克服してください。

あなたが暴君だったらあなたが暴君だったということが分かるはずです。

だから、あなたの子どもたちがあなたに暴君だと言うのが怖いのです。

なぜなら、彼らは、あなたのように自分の子供たちを育てたくないという点で、彼らはあなたを乗り越えたからです。あなたは良い親ではなかったと感じることができます。

だから何ですか?ただの感情じゃないですか?あなたが勇敢になりさえすれば、まだその関係を回復することができます。

信仰に対して妥協しろというのではありません。あなたの信仰に対して妥協しろと言っているのでもありません。

しかし、自分が暴君だったら、それを認めてください。そして「それは罪だった。悪いことだった。それについて私を許してくれる?」と言ってください。


これですべての状況を解決することができますか?違います。ある場合は、あまりにも悪くてお子さんが(親に)悪口を言うのです。「許すとは言わない。あなたあまりにも悪だったし、悪かった。あなたには許される資格がない。」という子供が必ずいます。

もしそうだとしたら、彼に許してもらえなかったら、何をしたらいいですか?次に移らなければなりません。「わかった、それを尊重するから、尊重するから。」と言って、次に移らなければなりません。なぜなら、あなたはそれに対してどうすることもできないからです。


だからこう仮定してはいけません。「私が2代様のおっしゃる通りにすればこうなると思う。」 

いえいえいえ。横暴の強さによるのです、その子があまりにもひどい横暴さを経験したなら、その子はあなたを絶対に許さないかもしれません。しかし、許すかもしれません。してみなければ全くわかりません。

人々があなたのためにいくら祈っても関係ありません。

ヨシュア記1章で「強く雄々しくあれ」と言っているように勇気を持たなければなりません。その過去と鬼神に向き合わなければなりません。逃げれば逃げるほど、関係を悪くさせるでしょう。


繰り返して言いますが、特定の反応を与えようと強要してはいけません。あなたがその関係を回復しようとするなら、(彼らがどう反応しようと)怒ってはいけません。そのような状況で神様が何を開いても受け入れなければなりません。

結果が良ければ、神を讚美してください。たとえその人があなたを許さなくても神を賛美してください。

神は少なくともその人の立場を明確に知っています。そして、今からあなたにできるすべてのことは、その人のために祈ることしかないのではないですか?

少なくとも今は分かりますね。もはや、あなたの心を悩ますこの曖昧な混乱、漠然とした考えはなくなります。だから、そんな状況では勇敢にならなければなりません。


そして、神に悔い改めなければなりませんし、その後、その人に許しを得なければなりません。それは非常に重要です。


アルコール依存症治療システムでも成功したすべてのシステムは信仰に基づいたものです。しかし、人々が悟っていないことがあるのですが、信仰に基づくものだけではなく、AAAというわけでもありません。信仰だけでなく、しなければならないことの1つに、あなたが傷つけた人々のところに行って許しを得なければなりません。

AAA--Alcohol Recovery Program(アルコール治療プログラム)の一部は神様に基づいたものですが、それでもあなたがアルコール中毒者として誰かに傷を負わせたかもしれないなら、その人々のところに行き、それらに立ち向かわなければなりません。

あなたがアルコール中毒者だった時、虐待した可能性もある人たちにです。実際に彼らの許しを得なければなりません。許されるかもしれませんし、許されないかもしれませんが、結果はどうすることもできません。

しかし、あなたにできることは、彼らのところに行って許しを請うことです。それはあなたにできることです。まさにその程度です。その後は彼らの自由意志次第です。


これは霊的な戦いだけではありません。人は関係で避けることが多いのですが、あなたはしなければなりません。行ってしなければなりません。5%の責任分担があります。

その時、多くの人が「ああ、私の子供たちはこうです、ああです。」と言うのですが、しかし、避けています。それは明らかなパターンです。

「私の子供たちはこうです、ああです。私のために祈ってください。」と言う人たち、多くの場合、彼らはしなければならないことを避けています。


しなければならないことは、過去の問題との健全な対峙であり、許しを請うことです。その人があなたを許すという意味ですか?

いいえ、違います。少なくとも彼らはあなたが間違ったということを悟るほど成熟しているのです。それは彼らの心の中ですでに成長の信号になっているのです。

もしかすれば、神が関係回復する扉を開くかもしれません。そうして関係が戻り始めながら、神が彼らの心に早くではなく、ゆっくりと回り始めます。神がなさったようにあなたも忍耐しなければなりません。


この話しが役に立つことを願います。

あなたがそのような悲惨な状況にいるなら、あなたのために祈ります。

しかし、終わったのではないよいうことを理解してください。


あなたにできることがあります。

あなたの配偶者との関係を改善してください。美しい光になってください。

そして過去に暴君的に振る舞ったなら、謝罪してください。キリストのような姿を見せてください。

もう、あなたの自尊心は立てないということを見せてください。過ちをしたら謝ってください。ごめんと言ってください。

そして神が役事されるようにしてください。


あなたにできることがあります。

悪魔の望み通りに力を失わず、力を持ってください。「強く雄々しくあれ、主があなたと共にあられる」しかし、あなたがしなければならないことがあるということを記憶しておいて下さい。


例えば暴君的な行動をしたなら、難しい会話をして多くの場合怒りを受けなければなりませんが、はい、通過しなければなりません。すみません、本来そうなんです。数年間、あまりにも多くの怒りを子どもに、子どもの心に与えたので怒りを経なければならないのです。

しかし、その過程を加速化することもできます。あなたが願う回復と牧会をスピードアップできる門になるかもしれません。


お父様が『家庭なしで天国に入ることはできない』と言われた時、力を失ってはならず、私たちができることをして忍耐するために力を持たなければなりません。 忍耐して私たちができることをしなければなりません。忍耐してあなたにできることをしなければなりません。忍耐、忍耐強く、できることをしなければなりません。忍耐してあなたにできることをしてください。信仰を持っていたら神があなたと共にされ、あなたから離れないでしょうし、あなたを捨てないでしょうし、そしてあなたが行った小さな勇気を使われるでしょう。神はそれを用いてあなたの摂理を進められるようにされるでしょう。アーメン


今日、勇気を持ってください。そんな状況にあったとしたら、勇気を失わないでください。終わったわけではありません。神が終わったと言われる時まで終わったのではないのです。

諦めたならそれで終わりですが、あなたが強くて雄々しくあれば終わりではありません。

神は勇気ある行動を用いて治癒、救い、復元を持って来られ、事を前に進めるようにされるでしょう。


あなたができないことではなく、できることに集中してください。

あなたのプライドを捨ててください。

キリストの内に死に、キリストがそれらをゆっくり回復させるようにしてください。キリストにやってもらってください。

怒らないで挫折しないでください。

一日で終わることを望まないでください。

一日ではできません。

彼らは人であり魂です。時間はかかります。忍耐心を持ってください。

急がず、神を信じてください、神はご存知です。


不安な時には息を吸ってください。

「私は生きています。お父様、ありがとうございます。私は生きています。お父様、ありがとうございます。私は生きています。お父様、ありがとうございます。」

あなたが生きてさえいれば、あなたにできることがあります。

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