Tuesday, August 25, 2020

ライブ第30回 7.1節と第24回7.8節◆2020年8月25日


ライブ第30回 7.1節と第24回7.8節



七・一節(神様祝福永遠宣布) 
1991年7月1日宣布
(2000年7月1日から「神様祝福永遠勝利宣布」と改称)
縦横の八段階の責任を果たされた真の御父母様が、その勝利圏を祝福家庭に相続させる摂理の出発を宣布した日です。
真のお父様は、1991年、1月から6月までの6000年歴史を象徴する6数を復帰した勝利基台を立てた上で、7月1日午前7時、韓国・漢南国際研修院において「七・一節Jを宣布されました。天宙的な長子権、父母権、王権復帰の三権復帰の基準を立て、真の父母としての責任分担を完遂されることによって、神の直接主管圏に入る基台が整いました。
「神の安息日」が樹立され、神の祝福はもはや永遠なるものとして揺るがないという意味を込めて「神様祝福永遠宣布式」とし、7番目の名節とされました。
この勝利により、真の父母様の前には怨讐(敵)がなく、真の愛を中心にすれば、自由にできる時代を迎えました。
真のお父様は「七・一節」を宣布することによって、父母の責任時代が終わり、子女の責任時代が始まったと語られました。
子女の責任時代とは、祝福家庭が氏族的メシャとして真の父母の勝利圏を相続する時代を意味します。「七・一節」の宣布をもって、全世界の祝福家庭が本格的に氏族的メシャとして出発することが願われたことから、この日は「氏族的メシヤ宣布」の日とも言えます。
真のお父様は、「すべての祝福家庭は、ただひたすら天の因縁に従って、アダム・エバが失った長子権・父母権・王権復帰の基準を家庭に立て、サタンも動かすことのできない勝利圏を確立すべき使命があることを忘れないように」と語っておられます。
  
七・八節(天地父母天宙安息圏宣布) 
1997年天暦7月7日宣布
完成期の世界的祝福式である360万双祝福式の勝利の上に神の安息圏が確立され、神が全権を行使できる時代を迎えたことを宣布された日です。

真のお父様は、1997年天暦7月7日(陽暦8月9日)7時7分7秒と、77歳、七数復帰を意味する7(安息数)が八つ重なった時点に合わせて、「七・八節」を宣布され、安息圏に入られました。安息圏宣布後、真の父母様は完全に自由な立場に立たれました。「安息圏」とは、サタンの識訴条件を超えた圏内を意味します。神が本来の全権を行使できるようになる時を迎えたのです。


訓 読 
第四章 宗族的メシヤ活動をせよ
 一 今は東西南北統一の時代

先生は、南北統一運動をする事のできる基盤をつくる為に、一生の間苦労してきました。
これから皆さんは、既に造成された雰囲気の中でその運動ができるので、ずっと容易なのですから、勇気をもって一生懸命活動してほしいと思います。もし南北統一運動に反対する人がいるとすれば、その前に行ってデモをしてでも反対しないようにしなければなりません。
            
 皆さんが韓国で楽に暮らしながら南北統一の目標が達成できるでしょうか。ここは一線です。世界の一線なのです。ここは世界の焦点だという事です。ですから、決意した分、私達のみ旨を中心として様々な役事が起こると考えられるのです。完全に団結して南韓さえ動かす事ができれば、霊界で役事するのではないでしょうか。何が起こるか分からないのです。
           
 お金がなくてもしなければなりません。自分の家も売るのです。そうすればこそ、天が行く道を守り、責任をもってくれるのです。問題はそこにあるのです。お金に従ってはならないし、体制に従ってはなりません。天の喜ばないお金は毒薬です。滅びるのです。精誠が必要です。これからは教会で泣いた以上に、泣きながら歩くべきです。それは簡単な事です。教会で精誠を尽くした以上に、南北統一運動の為に泣きながら歩きなさいという事です。

 いかにして統一された体制をつくるかという問題を考える時に、思想的な面において、民主体制と共産体制を越え、それらを消化する事のできるもう一つの統一的な思想がなければならないのです。そのような理論的基盤の上で、統一体制を形成しなければならないという結論が出てくるのです。統一体制を形成するには、この韓国が一つのモデルとなります。韓国を中心とした国民連合の形態を持っているのが、世界の東西南北統一連合です。すなわち韓国が世界のモデルだという事です。世界がそれに従ってくるならば、全てが統一的世界体制になって行くのです。
          
 今後の問題は世界を動かす事です。その為にはまず、理念の徹底化、二つ目は組織の強化、三つ目は協同活動によって一致する事。それ故私達は共産主義に対して、共産主義以上に強い組織力と活動力をもって対決しなければなりません。少し発展すれば組織化しなければなりません。

 南北統一運動国民連合は、南北統一運動の為の、統一の為の運動機関です。そこでは国民が連合して南北統一運動をするのです。そこでは六千万を動員しなければなりません。六千万民族が一つにならなければなりません。六十万を代表として団結させ、新しいエデンに向かって六百万、六千万の団結した旗手が生じるならば、世界は完全に地上天国の基地へと直行する事でしょう。

 統一教会には教会もあり、勝共連合もあり、教学統連(注:全国大学教授学生南北統一運動連合)もあるし、南北統一運動国民連合もあります。これらは何をしようというものでしょうか。南北統一だけではありません。南北解放だけではありません。人類解放と共に、神様を解放しようというものです。何を中心としてするのでしょうか。真の愛を中心としてするのです。それを知らなければなりません。
南北統一運動は神様の伝統的思想を中心として南北を統一しようというものです。そうして全ての国民が新しい建国思想をもって、天国を建設しようというものなのです。

         
 問題はこれです。歴史の勝敗圏を分ける最後の激戦場の勇士として闘うにあたって、今後迫ってくる激戦、戦争の前に、どれだけ強く雄々しくあるか、どれだけ克服して行くか、生死の交差路においても、第二の決意をする事のできる希望ある勇士と成れるかという事が問題なのです。死の道においても、再び生きて闘う事のできる希望があり、それがかなわなければ再び生きかえって闘おうという思想があるならば、共産主義を吸収する事ができるのです。


 いまだに統一教会を知らない人がいますね。それは責任を果たせなかったという事です。楽に休み、遊んでいる人はいても、この民族に責任を持つ責任者がいなかったのです。骨が砕けても、この山河、あの町の谷間、全てが私の血の汗のにじんだ精誠の手を待っているのですから、行かなければなりません。自分にそれが出来ないならば、鐘に綱を結びつけて引っ張り、四方にガランガランと鐘の音を鳴らしてでも、ひとつ所に動いて行く事のできる統一戦線をつくらなければなりません。そうしなければ、行くら南北韓が会談したとしても、統一法案を模索する道はありません。私達が主体的な立場でそのような道を切り開かなければなりません。


 今はどんな時でしょうか。イスラエル民族がエジプトからカナンの福地に向かって出発する時です。そのような時なので、夜を明かしてでも、ありったけの力を出して、エジプトの地に住んでいるイスラエル民族に、何日、何時にその家を出なければならないと通報をしてあげなければなりません。知っていながらも知らせてあげない人は、永遠の罰を受ける事になります。そのようにカナンの福地に向かって出発する時代になったので、私達は三千万民族全体の前に、彼らが行くにしても、行かないにしても、知らせてあげる責任があるのです。ですから今まで全国的な活動を展開してきたのですが、いまだに統一教会を知らない人がいるというのではいけないのです。


 呻吟の声の高まる、息の詰まるような世界的最後の交差点に向かって行く混乱した渦中で、自分の主体性をいかにしてもって行くかという問題が、今後の韓国において宗教人が解決すべき問題であり、多くの僑胞が解決すべき問題であり、大韓民国全体が解決すべき問題ではないでしょうか。これもいいし、あれもいい、というのではなりません。主体と対象を確実に分けて、天を主体とし、人間を対象として完全に分けて、立つべき位置に立ち、いるべき所にいなければならないという事です。それ故、息の詰まるような時代の交差点に向かって私達は今前進しているのであり、今がその瞬間なのです。


南北が一つとなる為には、北韓を自分の兄弟以上に愛するという愛をもって、養ってあげる事のできる南韓の政権にならなければなりません。

今、全羅道と慶尚道が互いに「自分がやってやろう」と闘っているのですが、そんな事で南北統一をしようというのでしょうか。とんでもありません。そういう事では全てが滅びます。滅びるのです。このような話は耳に痛いかもしれません。耳に痛い話だとしても、私は正しい事を言っているのです。

 天運に従っていかなければなりません。個人的運勢、国家的運勢も、アジアの運勢を捨てたならば、大韓民国はここで失脚するのです。天運に従って、アジアの運勢に足並みをそろえる事のできる大韓民国にならなければなりません。

 大韓民国は、天運に従ってこそ天運の保護を受けるのであって、そうでなければ滅びるのです。その道を行くら知っているといっても、文先生に学ばなければならないという結論まで出したのです。今日も同じです。


 南北が統一されれば、統一された大韓民国は、堂々と世界の前で先頭に立って、世界の為に犠牲になる事のできる、伝統的思想を残す国家とならなければなりません。そう成れば、この大韓民国がなくなり、主権がなくなったとしても、この民族の思想は今後二十世紀を越えて、三十世紀以降いつまでも残り、必ずや世界を指導する事のできる民族として残る事でしょう。皆さんはそれを知らなければなりません。


 貿易する事によって南北統一が成されると思いますか。とんでもありません。共産主義思想とはいっても、神様の愛の中では力なく吸収され、消滅してしまいます。私達が今までそれが分からなかったからであって、愛する心を持つならば、南北統一は絶対に問題ではありません。のみならず東西問題や南北問題も、この神様の愛で完全に解決する事が出来ます。このような神様の理想を中心として、世界の理想を消化し、そこで国家の理想を消化し、国家理想から民族、家庭、個人まで連結し得る理想世界の平和的無限景(この上もなく素晴らしい景色)ができる事によって、この地上にはユートピアが建設されるに違いありません。


 この時代においての願いは南北統一です。北韓と南韓を統一して、神様が安息する事のできる基台を、皆さんの家庭と、私達民族と世界に築く事を天は願っているという事です。それでは何をもって神様にお仕えするのでしょうか。他の何でもありません。自分の母親、父親を愛する以上の、夫、妻を愛する以上の、子を愛する以上の愛を中心として、祭物的な祭壇を築こうという所から、初めて理想的南北統一というものが出てくるのです。理想的東西文化の統合が成されるのです。地獄と天国の解放圏ができるのです。愛をもってしなければ解く事は出来ません。愛のキーが必要なのです。


 韓国で南北統一が成されれば、世界の統一は自動的に成されるようになっています。軍事力、武力を使って統一できるでしょうか。とんでもない話です。軍事力だけならば、私は何で持つくる事のできる力のある人物です。しかし軍事力だけでは絶対に出来ないので、このようにみ言を伝播しているのです。


 我が国の政治を執り行う指導者達は、国を愛しているでしょうか。国がどうなっていっているのかも知らずに、このごろも民政党やら、新民党は自分が大統領になるといって闘っていますが、やってみなさいというのです。本当に国民と共に生きようという心が彼らにないならば、全ては流れて行くのです。行くら立派だといっても、水の泡のように流れていってしまうのです。国民を愛する事の出来ない指導者ならば、国民から、そしてのちには歴史からの審判を免れる事は出来ないはずです。


 分かれた南と北は、そのままでは一つとなる事は出来ません。愛国の同志達が闘争するその過程では、夜寝ずに、時間を超越し、困難な環境を屈服する事のできる心の決意と実践が必要なのです。真に共に生きたい。死ぬにも共に死に、生きるにも共に生きたい。私達の先祖、霊界の霊人達とも共に生きたい。そのような皆さんとなる事によって、今後南北統一をここから始めるのです。


 北韓があのように困難に処しているのは、北韓が閉鎖社会となっているからなのですが、その事情を知れば知るほど、その治下にある人々がどれほど悲惨か知れません。共産主義が怨讐なのであって、人々が怨讐なのではありません。北韓を眺めながら、可愛そうな暮らしをしている同胞の為に、喉を詰まらせて涙を流し、「あなた方の困難と共に私は生きている。解放の一日を準備して皆さんの前に現れよう」と誓い、統一の為の実践運動がここから繰り広げられたならば、北韓に行く日は遠くないのです。


 統一をどこからするかが問題です。南北統一は、どこから、何をすべきなのでしょうか。こぶしや力によってでしょうか。力によって屈服させたとすれば、のちに向こうの力のほうが大きくなった時に、再び闘いが起こります。そのような方式では統一する事は出来ません。たとえ以南(南韓)の地で生きているとしても、以北(北韓)に住む人々と本当に共に生きたいという心、一つとならなければという心があってこそ、統一の道が開かれるのです。


 「共に生きたい」というその内幕の共通分母は何でしょうか。それは権力ではありません。権力は歴史を超越する事が出来ません。それは一時のものです。知識でしょうか。知識の世界は発展するものです。皆さん、知識の世界で学問と共に、永遠に共に生きたいという気持ちはありますか。私達が共に生きる事のできるものは、知識でもなく、金銭でもないという事は確かです。このように考えるならば、上や下や前後左右を問わず、過去、現在、未来の時間性を超越した場で、共通的に認め得る一つの分母とは何でしょうか。それはすなわち愛なのです。


 人間がいかに生きるか、あるいは、私達の人生航路をいかに行くべきかを念頭において考える時、その骨子を要約すれば、孝子の行く道、忠臣の行く道、聖人の行く道、聖者の行く道の根本があるのです。すなわち、永遠に共にいたいと思い、共に生きたいと思う心です。上下を問わず、共にいたいと思い、前後左右、昼夜を超越して、生涯を越えて共に生きたいという切なる思いをもった生涯ではないか、という結論が出てくるのです。


 三十八線を中心として南北に分かれているこの国において、私達はどうしたらよいのでしょうか。問題の解決をいかにすべきかという事が問題です。それは北韓の人々よりも苦労し、南韓の人々よりも苦労する事です。苦労の中で立てられた超民族的な愛国心をいかにしてもって行くか、それが韓国を生かす近道であり、解決方案です。悪なる世界と善なる世界を統一するのもやはり同じです。悪なる世界の忠臣以上の忠臣が現れなければなりません。今まで善を志向してきながらも、私達の先祖が立てた忠臣の道理以上の忠節を主張し得る人が現れてこそ、決裂した歴史を収拾する事ができるのではないでしょうか。そのように考えるのです。


 今、南北の間で行き違いがあります。方向を異にする立場で、一方は南に、一方は北に行こうとするという二つの別れ道があるので、その目的は異なるのです。いかにすれば統一されるかという問題を考えると、深刻なのです。その主体的な使命を誰が果たすべきなのでしょうか。南韓がすると言えば、北韓が反対するでしょうし、北韓がすると言えば、南韓が反対する事でしょう。自分自体にこだわる立場では、再び決裂する事でしょう。これをいかにするかが問題です。問題は、南韓の誰よりも北韓をより愛する韓国人が現れなければならないという事です。北韓の人が北韓を愛する以上に、北韓を愛する韓国人が現れればよいのです。それ以外には模索方案、解決方案はありません。南韓の誰よりも国を愛する人、北韓の誰よりも国を愛する人、そのようにして一つの道を行く人がいるとするならば、そこから統一方案が出てき得るのです。その他に道はあるでしょうか。それ以外に道はないのではないでしょうか。


 今、南北統一を願っているのですが、南北統一する為の方案は何でしょうか。次元の高い統一の内容を提示せずしては、統一される事はありません。以北(北韓)から以南(南韓)に来て、また、以南から以北に行って互いに「私の言うようにしよう」というのではなりません。互いに損害を受ける立場では統一はされないのです。互いにプラスとなる所において可能なのです。そうではないでしょうか。男女が結婚して互いにマイナスとなる立場では、一つとなる法はありません。それ故互いに利益となる事を求めなければならないのです。


 南韓が北韓を武力で打って屈服させるのではありません。私達は彼らよりも強い思想の基盤をもたなければなりません。彼らが国を愛する以上に、私達も我が国を愛さなければならないのであり、彼らが共産主義を愛する以上に、私達も天を愛する事のできる思想的な強い力をもち、人格的な面において彼らを自然屈服させる事のできる実力者とならなければなりません。そうでなければ北韓を吸収する事は出来ないのです。生活的に潜伏させて、人生観や生涯を通して感服させる事のできる、人格的な基準を中心に現れた人格の価値を中心として考える時に、共産主義の思想で武装した彼らを凌駕する私達とならなければなりません。私達が彼らに影響を与え得る環境をもたなければ、カイン国家を復帰する事は出来ません。カイン国家を復帰出来なければ、天国を中心とした世界的な国となり得る復帰の国家は、成立しないのです。


 神様が、サタンを敵であり怨讐だと考えて、復讐しようという思想を持っているとするならば、絶対に勝利の頂上を占める事は出来ません。そのような観点から、神様は「怨讐を愛せよ、怨讐を愛せよ」と、愛の作戦をとってこられました。イエス様のみ言の結論も「怨讐を愛せよ」というものです。


 世界的に迫害を受けたとしても、世界的な怨讐圏に立ったとしても、彼らを愛したという条件を立てなければなりません。この一筋に神様もかかっており、神様の子女になろうというあらゆる宗教界の全ての人がかかっているのです。「怨讐を愛せよ」というみ言は偉大な真理です。内容は簡単ですが、これが神様とサタンの闘いの勝敗を分かつ境界線となってきたという事を誰も知りませんでした。


 私達の願い、私達の願いは何でしょうか。統一です。統一教会を中心とした統一ではありません。統一教会が祭物となって南北韓を統一する、その統一の事を言っているのです。


 統一教会の行く道は、何をしようというものなのでしょうか。統一です。統一が核心です。

 二 宗族的メシヤ宣布の意義

 先生が宗族的メシヤの宣布をしました。宗族的メシヤ。なぜそれをしなければならないか分かりますか。韓国が先生に反対したからです。それを蕩減復帰しなければならないでしょう。アメリカもみな反対したのを私が蕩減復帰してあげましたから、私が蕩減復帰してあげるのです。そうしなければならないではありませんか。


 どうして宗族的メシヤを韓国と共に世界に宣布したのか分かりますか。これを韓国でさえやれば、世界の国家全てが真の父母を中心として一つになるのです。霊界でどれほど総動員されたか考えてみなさい。この時だと、みな目に火をつけて解怨成就する事のできる、数千、数万年の歴史を蕩減する事のできる良い時が来たと、全てが下りて行く事を願っているのに、みな橋を切ってしまったらどうしますか。今はもう国家的次元、世界的次元です。ですからこれが全て崩れたので、自分が立つ場がありません。立つ位置をつくるには、宗族的メシヤとして祝福家庭を配置して、イエス様の完成、自分の完成、アダムの完成、三大先祖の基準を立てる事によって、この地上にいる全ての人間達を抱く事のできる自由な環境に入るのです。ですから宗族的メシヤの宣布をするようになったのです。南北統一がいい加減にできるのではありません。これをつないでいってこそ可能です。それが家庭的基準と氏族的基準に連結されたので、国家的基準に連結されるでしょう。ですから統一教会と政府が内的に一つにならなければならないのです。


 イエス様が失敗したのち、皆さんに宗族的メシヤを委任して、堕落したアダムと同じように、自分勝手に結婚した自分の親を今になって、「祝福」という神様の天恵によって、堕落していない親の立場に立てるという、それはとてつもない事です。夢のような話です。そのような事を完成する為に、宗族的メシヤを宣布したのです。イエス様は一人で宗族的メシヤを宣布したのです。イエス様は一人で宗族的メシヤ、国家的メシヤになる為に送られたのですが、先生は全世界的に祝福を受けた二万五千名以上の祝福家庭達を宗族的メシヤとして発表しました。この威力というものがどんなものか考えてみて下さい。

 韓国の統一教会と日本の統一教会は、カイン・アベルとして一つになりましたが、一つになった統一教会の女性達がプラスとなって、統一教会の団体である国際勝共連合、南北統一運動国民連合など、全ての団体をはじめとして、統一教会に連結された団体の全ての女性達をこれから捧げなければなりません。どこにもっていって捧げなければならないかと言うと、家庭に訪ねて行くのです。どこからしなければなりませんか。家庭です。これを促進化する為に、氏族メシヤを宣布したのです。先生の代わりに男達が行ったので、女性達がみな収拾して、女性を四人しっかり収拾しておけば、男達はその国の氏族的王になるのです。そうすれば女性のお出ましを中心として、全ての男性までも収拾する事ができるのです。教育さえすれば全て終わるのです。


 地で成される事が天でも成され、地における成就が天の勝利として刈り取る事のできる時が来たし、真の父母のみ名と共に今日挙行した全ての式典が、霊界のイエス様を中心として、統一的な霊界と地上の真の父母を中心として、統一的な一つの世界になりました。二つの世界が一つの真の愛を中心とした家庭的な血縁関係を通して、つないで行く事のできる新たな世界拡張時代として、宗族的メシヤを宣布しました。これを受け入れる事のできる新婦と家庭、エバとカイン・アベル圏を中心とする真の家庭の基盤において、新郎の心情を接ぎ木する事のできる世界的な全ての終末的な清算期間をもたせて下さったのです。


 宗族的メシヤが家庭的メシヤの橋を見失えば、重生する事のできる道がふさがってしまうのです。先生がこのような事を知ったので、人類を解放する為に、宗族的メシヤを宣布したのです。これは世界的な革命的事件です。特権的事件、特赦的な事件です。

 三 宗族的メシヤの責任を与えた理由

 宗族的メシヤとは何でしょうか。真の愛の主人です。真の愛の主人、これはイエス様が願い、アダムとエバが願い、神様も願った所願でした。ですから、全て真の愛の主人になって前進しなければなりません。そうすれば全てが終わるのです。宗族的メシヤになりなさいというのは、氏族的先祖になりなさいという事です。


 宗族的メシヤとは何でしょうか。一言でいえば、父親、母親を王権の位置に上げて立てる為の役事をする事であり、その次には、今まで愛を中心として父母が始めて、私の生まれた本来の故郷である天国の故郷に行く事ができるのです。

 そうでなければ故郷はありません。これをしてあげなければ生まれた故郷がないのです。故郷のない所には父母がいるわけにはいかないのです。故郷が定められる事によって、韓国で暮らしていた全ての人の故郷は、今後天国の故郷の地に入り収められるのです。それによって、地も、人間の生まれたあらゆるところが天国に属し、堕落していない立場で生まれた父母の位置を代わりに受け継ぐようになるのです。


 宗族的なメシヤは、一代において氏族を中心として、故郷を案内する先鋒者であるという事を知らなければならないのです。モーセのように出エジプトの先鋒者である事を知らなければなりません。盲目的であってはなりません。モーセは何も分かっていませんでしたが、私達は具体的に全て知っています。理論的に全て知っているのです。故郷を訪ねていかなければなりません。

 しかし、カインを探し出さなければ故郷に入る事が出来ないという事は原理的な事実です。サタン世界に兄の氏族が残っているので、彼らが自分の氏族に来るように、兄を救ってあげなければなりません。そうしなければサタンになるので、仕方がないのです。兄を救ってあげて行ってこそ、兄が囲いとなり、自分の故郷に帰って、自分の一族を救う事ができるのです。そうしなければ、皆さんの母親、父親を伝道しておいても、サタンが再び連れて行くのです。引いていかれるのです。そのようになる危険性があるので神様はこのような摂理をせざるを得ないのです。自分の父親、母親、自分の一族、故郷を全て伝道しても、再び引っ張って行くのです。


 氏族的なメシヤは、まず父親、母親を、堕落していないアダム・エバにします。その次に故郷、故郷を探し出す事によって、どんな事が起こるかというと、王権回復が成されるのです。そう成れば、全て終わるのではないでしょうか。それをさっと入れるのです。まずは、父母同位圏に立つのであり、次に故郷復帰をするのです。王圏復帰するのです。それ故生まれた全ての人々、ソ連でもアメリカでも、生まれた人々が天の国の故郷を持つようになるという事です。天国の故郷を持つには、天国の父母をもたなければなりません。天国の父母をつくるのが、宗族的メシヤの使命なのです。


神様の息子になる為には、垂直の位置に行かなければなりません。東西南北の感覚と前後、左右、上下の感覚全てを体得する事によって、神様が見る時に、見るまでもなく経験したと言う事のできる位置に入った時、息子の位置に入るのです。本然の位置に行かせまいと、サタンが百方をふさいでいるのです。サタンが最も恐れる事は、神様の愛に接する事です。お金も恐れはしませんし、権力も恐れません。神様の前では権力は必要ありません。神様は全知全能なお方なので、知識は必要ありません。全知なるお方に、何の知識が必要でしょうか。知識の王様なのですから。


垂直の位置で、天にいる神様に代わって地上に降りて、地上から横的な面で宗族的メシヤを送るというのが、今回する事なのです。宗族的メシヤは、自分は死んだとしても、必ず世界的に築かれた版図、この鉄柱、垂直的世界に接ぎ木されるようになるのです。それ故、今先生は宗族的メシヤを送って、アベル的門中の先祖となるようにしているのです。その先祖は生命の種を持っているという事です。メシヤは父母なので、種をもって現れるのです。皆さんの一族と、両親は、サタン世界の種を受けたのです。皆さんが生命の種をもってぶつかれば、どこへ行っても通じます。

宗族的メシヤは、ユダヤ教、キリスト教、統一教会を中心として、伝統的全ての失敗を圧縮し、勝利的権限をもって仏教、儒教などの全ての宗教が受ける事を望む全ての恵みを総合した位置で、決定的核として伝授したものです。それが宗族的メシヤです。皆さんが国家の事を心配する必要はありません。皆さんが世界の事を心配する必要はありません。皆さんの一家の事を心配すればいいのです。
         

自らの氏族を復帰する為には、宗族的メシヤの責任を果たさなければならないのです。このような命令は、歴史上なかったものです。宗族的メシヤの立場は、第二の真の父母の立場であり、イエス様の立場よりも上なのです。そのような立場を与えられたという、とてつもない価値があるのです。これは何ものとも換える事は出来ません。


なぜ宗族的メシヤとして責任分担を果たさなければならないのでしょうか。最初の理由は、皆さんの父母を救わなければならないからです。父母というのは第一のアダムの立場です。皆さんは第二のアダムの立場にいます。父母を復帰し、再創造してアダムの使命を完遂しなければなりません。

二番目の理由は、皆さんには故郷が必要だからです。宗族的メシヤの使命を果たす事によって、自分の故郷を持つ事ができるようになるのです。結局の所、宗族的メシヤの責任分担を果たす理由は、アダム家庭の完成の為なのです。具体的には、氏族を教育しなければならないという事です。


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