Sunday, June 9, 2019

神は我々を奴隷ではなく王として作った<全文>2019年6月2日 英語説教 文亨進二代王 説教

「神は我々を奴隷ではなく王として作った」

2019年6月2日 英語説教 文亨進二代王 説教

<全文>

サンクチュアリ NEWS さんからの全文転載です。字幕化は2nd Israelさん。

いつもありがとうございます。注:カラー太文字写真挿入はファンクラブ



翻訳:BANBOOS

今日は申命記5章に行きましょう。出エジプト記20章15節を昨日勉強しました。十戒を見ると盗んではならないとあります。「汝盗むなかれ」です。それが示しているのは第1に、物を所有できるということです。次には、誰かの物を盗むことは大罪であり、神様がとてもお怒りになることだということです。

例えば先週例を挙げましたが、共産主義のように何かを共同で所有して、全員が全員の物を共有するとします。私はリックのネクタイを取ります。それは盗みではありません。私のネクタイだからです。

共産主義のように全てを共同で所有するなら、私があなたの素敵な靴を足から脱がせて取っても盗みではありません。自分の物を取っただけです。問題です。

ですから神様は所有を認めます。というのも神様は所有者であり、主権者だからです。すると人間はみな神様の形に作られたので、主権者でなければなりません。

しかし我々はいつも納得させられ、・・・怠惰、情欲、権力といった罪の誘惑を受け、そうした責任をあきらめてしまい、彼が代わりにやってくれると言います。そのような政府、言うまでもなく天使長の反キリスト的体制の政府では、人間性が奪われてしまいます。あなたはもっと動物のように飼育されてしまいます。
あなたの労力、投資をすべて彼らが盗みます。あなたが何をしても中央政府はさらにあなたから奪います。それが反キリスト的な体制だということを我々は知っています。

聖書にははっきりとあります。詩編第2編を学んだことを覚えているでしょうか。先週も勉強しました。異教の国々を嗣業として与え地の果てまでを所有させると聖句にあります。それが8節です。9節が、鉄の杖をもって彼らを打ち破り、陶工の作る器物のように彼らを打ち砕く、です。

2:8わたしに求めよ、わたしはもろもろの国を嗣業としておまえに与え、地のはてまでもおまえの所有として与える。
2:9おまえは鉄のつえをもって彼らを打ち破り、陶工の作る器物のように彼らを打ち砕くであろう」と。

有名な聖句ですが、前者の8節は主権のことを言っています。神様が我々に地球を所有させるということについて話しています。地球は、ニューエイジのカルトの人たちが信じているように、宇宙に浮かぶ偽の女神のようなものではありません。彼らは私をカルトと呼びます。土地を所有すべきであり、自分の身を守る権利を持つべきであり、王と王妃になるべきだと私が言っているので、彼らは私のことをカルトと呼びます。

ニューエイジ・カルトの人たちは大きな政府を推進しており、つまりは共産主義・社会主義の体制を求めているということになります。それは必ず、貧困層と富裕層をさらに階層化します。しかし彼らは言葉巧みに人々にそれを受け入れさせているのです。共有しましょう、貧しい人を助けましょう、と言って。しかし最終的には逆になります。

(略)

左翼や社会主義者の多くが行う議論があります。残念ながら教師や教授が子供に教えているものです。我々は最高の意識を持っている。だから動物に悪いことをすべきではないし、苦痛を止めるべきだ、といったようなものです。

全てが意識に基づいていて、道徳はより高いレベルの意識に基づくのだとしています。つまり我々は宇宙で知る限り最高レベルの意識を持っているので、より高い道徳基準に縛られるのだというのです。あるいは、自分たちで道徳を決めることができるのだと。それは他の生き物や存在に向けて、正しいやり方で徐々に知れ渡るようになるべきだとしています。

その論拠の問題点はこういうことです。もし宇宙の他の存在がもっと高い意識を持っていたらどうでしょうか。仮に狂った悪いエイリアン種族が地球にやってきたとして、彼らが超7次元的な高い意識を持ち、過去も未来も見通せるとしたら。

本当にエイリアンがいると信じてはいませんが、例えばという話です。もっと高い意識を持つ存在がいたら、ということです。意識が脳から出たものだとしたら、もっと大きな脳を持ち、多くの情報を処理できる動物や宇宙の種族がいたらどうでしょうか。それによってより高いレベルの種族になるでしょうか。その種族は効率的で道徳的になることができ、我々が豚や牛を飼育するように、我々を飼育することができるでしょうか。なぜなら我々の意識のほうが低いからです。

より高いレベルの意識を持ち、より賢い種族には低レベルの種族を飼育する正当な権利があるという論拠は破綻します。

実際には意識レベルがもっと高い存在がいないとしても、単なる論理の演習でその論拠の弱点が分かるのです。馬鹿げていてスイスチーズのように穴だらけであることが分かります。
脳の大きさやどれだけのものを処理できるかに基づくものではないのです。たくさんの情報を処理できるスーパーコンピューターが将来他のスーパーコンピューターを産み、そのロボットの種族が人間を飼育するというのでしょうか。まるで多くの未来SF映画でやっているように。より高い脳の機能や高い知能の処理能力、高い意識を持つことで、道徳的になるでしょうか。彼ら自身で道徳を判断し、我々に対することを決定していいのでしょうか。

その論拠からは、それができるということになります。あなたが、最高レベルの意識が道徳を決定すると考えている無神論者であれば。それはヒトラーも、社会主義者や共産主義者、全体主義者もみな信じていたことです。

(略)

そうしたことから、道徳は他のどんな種族からではなく創造主から来たものでなければならないのです。というのも創造主を超える者はいないからです。

創造主をだれが作ったのか、というのは愚かな質問です。創造主は創造の外にいます。時間と空間を超越しています。
自分のことを賢いと思って、神が創造主なら誰がその創造主を作ったのかと質問しようとする人がいます。

しかしそれが影響を及ぼすのは時間と空間の中だけのことです。インテリジェント・マインドは時間と空間の外にあります。時間と空間の中にいるのであれば自分を作ることになってしまうからです。携帯電話を作ろうとする場合、自分が携帯電話の中に入ることはできません。

特に物質の空間と次元にある物質を作ろうとしているなら、その次元の外にいなければなりません。クリスチャンが非物質的と呼ぶものです。時間と空間、宇宙の全ての物質を超越していなければなりません。自分の作ろうとする物質の一部であることはできないのです。

(略)

創世記の23章に行きましょう。これが興味深いのは章全体として、サラが死んだ後、アブラハムは土地を買うための交渉をヘテの人々としているからです。それを見てみましょう
3節からです。
3:アブラハムは死人のそばから立って、ヘテの人々に言った、4:「わたしはあなたがたのうちの旅の者で寄留者ですが、わたしの死人を出して葬るため、あなたがたのうちにわたしの所有として一つの墓地をください」。
5:ヘテの人々はアブラハムに答えて言った、6:「わが主よ、お聞きなさい。あなたはわれわれのうちにおられて、神のような主君です。われわれの墓地の最も良い所にあなたの死人を葬りなさい。その墓地を拒んで、あなたにその死人を葬らせない者はわれわれのうちには、ひとりもないでしょう」。
7:アブラハムは立ちあがり、その地の民ヘテの人々に礼をして、

礼をすることは聖書的でないという人がいますが、聖書的なのです。聖書には礼をするところがたくさん出てきます。なぜサンクチュアリは、なぜムーニーは礼をするのか、と。礼は聖書に出てきます。アブラハムはヘテの人々に礼をしています。サラを葬るために交渉していた土地を彼らがくれたからです。一部のアジア人よりもアジア人らしいのです。

8:彼らに言った、「もしわたしの死人を葬るのに同意されるなら、わたしの願いをいれて、わたしのためにゾハルの子エフロンに頼み、もっと後まで飛ばします。
13:その地の民の聞いているところでエフロンに言った、「あなたがそれを承諾されるなら、お聞きなさい。わたしはその畑の代価を払います。お受け取りください。わたしの死人をそこに葬りましょう」。

彼らはそのほら穴を無料であげると言っています。しかしアブラハムは、いやお金を払いますと言っています。彼は実際、妻を葬るための場所を見つけるために人々と取引の交渉をしています。
つまり、資産の所有のもう1つの例だということです。それは、仲間と、または祖父母、父母、子供の3世代で住めないということではありません。ただ、家族であっても子供たちがあなたの土地の一部を購入するようにしなさいということです。共産主義者のように行動してはいけません。土地の一部をただ与えてはいけないのです。それは共産主義者です。それを王国に持ってきたいとは思いません。そうすれば、次第に悪くなっていきます。
土地を持っていてもただ子供に与えるだけではいけません。彼らに買わせなければなりません。


略)
繰り返しますが、奴隷の精神と王国の精神は異なります。みなさんは神様が与えてくださった王国を守らなければなりません。それはみなさんの責任です。感情的に考えてはいけないのです。

みなさんの子供は、第1に、あなたからどれだけもらえるかが自分たちに対する愛の大きさだと考えるようであってはいけません。それは全く実利主義的な子供です。もうそう信じているなら、実際そうなのですが、正直に言って何ももらうべきではありません。
彼らがそう考え、そのように実利主義的であるなら、彼らに何も力を与えることはありません。みなさんは自分で作り上げたものを管理しています。彼らはあなたが作ったものを所有していません。オバマが言ったように。

みなさんの子供たちは、あなたが築いたものや神様の助けで築いたものを所有していません。彼らは、あなたがそれに対して100パーセントの支配権を持っていることを知らなければならないのです。それを尊重しなければなりません。

みなさんが、彼らがそれにふさわしいとみなすのであれば、また、その責任の一部や全てを担うだけの価値があるとみなすのであれば、それはみなさんが判断することであり、彼らが知るべきことです。しかし彼らは、お父さんとお母さんが、その築いたものに対して権限を持つのだということを知らなければなりません。

お父さんとお母さんが築いたものが自動的に自分の物になると考えてはいけないのです。それは共産主義です。子供たちは自然と共産主義に傾きたいと思います。というのもきつい仕事をしたくないからです。子供がそう信じるようにしないでください。とても悪いことです。彼らを強欲にし、悪くします。感謝せずに兄弟と比較するようになります。

お父様が私に相続権と継承権を与えてくださったときのことを考えてみてください。國進兄さんは喜んでいました。私のことはどうなっているのか、とは言いませんでした。

私の話を聞いていても、自分のことになると翻弄されます。それは問題です。誰かが行ったことを聞いて、「そうだ、分かった」と言いますが、突然自分のことになると翻弄されるのです。今度は子供にだまし取られるのです。突然のことに、学んだことや聞いたことを忘れます。非難するつもりではありませんが、自分に対して現実的にならなければなりません。

神様のみ言は骨にまで浸透すべきです。聖書で骨髄と言うように。浸透すべきなのです。

(略)

全く別の文化なのです。キリストが我々を解放してくださり、奴隷の立場から王国につれてきてくださいます。しかしまた、その違いが何なのか学ばなければなりません。大きな違いです。ただ王国に入って、奴隷のようにふるまっていてはいけないのです。それらは違うものだからです。

文化マルクス主義のシステム、文化を王国の中に持ってきてはいけません。それは王権と、神様が与えた王国の物を破壊します。

家族は資産以上のものです。一緒に過ごした素晴らしい時間、思い出。子供と一対一の関係であるはずです。共にエピジェネティクスを解放すること。共に重労働をすること。王国の文化のことを行うこと。お互い助け合い力をつけること。家族は資産以上のものです。資産は物質的な物の所有の重要な部分です。それを鼻であしらうことはできませんが、それが全てでもありません。

つまり子供を訓練する限り、神様の文化を中心とする限り、また神様のみ言を理解する限り、物質的な豊かさと資産だけではないということを理解すべきです。それは自分たちを本物にしてくれるものではありません。それは真の価値ではないのです。
親として、子供を育てるのにそうした王国の物質的な豊かさを守らなければならない状況があります。しかし同時に、王国の文化も守らなければならないのです。

信俊を当惑させるつもりはありませんが、私が信俊を選んだのではありませんでした。彼は大きな仕事をしなければならなくなるでしょう。天一国の下にどのような国々ができるか誰にも分かりません。彼かその子孫がやらなければなりません。若者にとっては大きなプレッシャーです。しかし、例えばこの若者たちはお父様の王権とつながりを持っていなければなりません。これはキリストの王権なのです。キリストなしには王権はありません。

ですから三代王を助け、傲慢にならず・・・彼が行う田舎のことでも世界的なことでも、たとえどんなことであっても助けてあげ、また霊的にも助けて・・・。若い人たちがそうした責任感を持つのです。これがお父様の血統であり、これがお父様の相続の血統である、と。

・・・私は自分で自分を選んだわけではなく、王国を作るためにお父様に自分を選ばせたわけでもありません。選ばれたのはお父様でした。私はお父様の相続者ですが、私が望んだからではなく、お父様が選ばれたからなのです。彼(信俊)が相続者となったのは彼が望んだからではなく、お父様が選ばれたからです。

ですからお父様が王権のために求めていることを私が話したとしても、利己的ではありません。というのもお父様は、全ての世代で地上に、キリストとして、また地上の父としての自分を代表する実体的な代身者を持つと語られているからです。私がその引用を作ったわけでもなく、その伝統を作ったのでもありません。その伝統作ったのはお父様です。残念ながら私がそれを言わなければならず、利己的だと責められなければなりません。自分で自分を選んでいないというのに。誰も言わないから私が言っています。

我々の文化の一部としてお互いに助け合うべきです。またお父様の王権の血統が続く中で責任も持つ必要があります。引き継がれていく中でこれらの王も成功するように守らなければなりません。

我々は、お父様の王権が引き継がれて行く中で成功してほしいと思っています。王国の文化の中で天一国が世界に広がるからです。お父様が我々に与えてくださった行事が全て、国のアイデンティティの一部になります。真の父母の日。子女の日。万物の日。こうしたことが、国のユーチューブ・チャンネルや、その時代にあるシステムに出ます。
全ての人が番組に注目し、こう思い出すのです。この国は再臨主によって始まったのか。この国は実体的な王権の血統によって始まったのか。この国は我々が持つ憲法で始まったのか。と、振り返って結びつけるのです。
我々はただ孤立して生きているのではありません。我々はただ王と王妃になっているのではありません。ある日決意したためです。それは真の父母の実体、実体的勝利によってできています。そうでなければ我々はまだ奴隷のままです。霊的なことだけを言っているのではなく、実体的なことも言っています。

(略)

我々はみな王権があります。王権とそれを世界に広めることについてこのような話をしていますが、それは真のお父様の勝利のおかげです。再臨主の勝利。実体的血統。実体的王国。実体的王権。そこからみなさんの王権が生まれました。お父様が私を戴冠させ、私がみなさんを戴冠させました。それはお父様がから来たものです。つながりを持つことが重要です。
王国が一緒になって・・・300世代の後、王国が地球に広がります。自由と主権が世界的なものになります。しかし同時に、物事がまとまって真のお父様がそれについて何と言われていたのか理解します。それが我々の国のアイデンティティの一部になります。

私が万物の日を作ったのではありません。真の父母の日も作っていません。・・・行事をして白い服を着て、おかしなローブと帽子を身に着けて・・・。私が作ったのではなく、私ならむしろやらないことです。私のスタイルを知っているでしょう。着飾りたくないのです。私も人間ですから不満を感じることもあります。しかし明らかにそうしなければなりません。なぜならそれが伝統を維持していくことだからです。

相続の家系の全世代の王が、お父様が語っておられた文化を教えていかなければなりません。またもちろんお父様に栄光をささげるのです。

キングス・レポートがあってもなくても、どんなことがあっても朝の訓読会はあります。十代王、十一代王も、やはり政治的サタン主義の危険性について話さなければなりません。マルクス主義、共産主義について警告しなければなりません。悪に対抗して話さなければなりません。真実と聖句から話をしなければなりません。

(略)

重要な点は、主権は神様からくるものであり、聖書でも見てわかるように主権は重要なものであり、神様の約束であるということです。我々は資産を相続し、所有することになっており、それは神様が与えてくださったアイデンティティです。そこに向かって努力していくことはとても重要です。

子供たちも、おそらく20代前半までに自分たちが地主になるべきだと気づいています。18歳になるまでに家を持つべきです。どうやって建てるかを知っているべきです。維持の仕方を知るべきです。50歳や60歳で家を持つように言う、反キリスト的な体制の話をなぜ聞く必要があるでしょうか。40年間借金を抱えるよう洗脳を受けて。なぜそうしなければならないのでしょうか。18歳で地主になれないでしょうか。

大学に行って洗脳されなければならないでしょうか。そうしなければならない――なぜか?みんながやっているから。なぜ穴から始めるのでしょうか。家を建てなければならないのに、なぜ大きな穴を掘ることから始めるのでしょうか。家を建てるのになぜ砂の上に建てるのでしょうか。なぜ大きなクレバスの上に建てるのでしょうか。自分に逆らっていこうとしています。

なぜ借金をするようにならなければならないでしょうか。なぜ18歳までに子供達は家の所有者になれないのでしょうか。若すぎるでしょうか。いいえ、正しい訓練を受ければ、18歳で家を所有して維持することは簡単です。2トントラックも運転できます。訓練を受けたらできます。アメリカでは18歳で銃を持って戦争に行けます。それほど危険なことはありません。家を建てるのはもっと危険が少ないです。訓練を受けていないだけです。


王国の文化では、子供が生まれたら銀行口座を作ってあげ、それを未来の家のための口座にするのです。小遣いをあげるたびに、ばかげたSFビデオゲームを買わないで、その口座に入れるのです。18歳になる頃には何千ドルものお金が待っています。モルモン教ではそうやって伝道に行きます。伝道のためにそれを行います。早くから伝道のための口座を作り、18歳になるまでに、2年間外国にミッションに行きます。

王国では人々は子供のためにそれをやります。子供を訓練し、お金をためて18歳の時までに銀行口座の準備ができています。彼らの下で小さい子供を訓練させ、次世代が自立した人たちになるよう助けます。これは他とは異なる王国です。反キリストの体制の中にいるように考え続けることはできません。奴隷の文化のように考え続けていてはいけないのです。全く異なる王国なのです。
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