二代王の病気治癒の聖霊役事その1
2019年1月6日の聖日の聖霊治癒礼拝は特に体の悪い方のための聖霊役事でした。
今回のキングスリポートはその証です。皆様も是非、このvideoを通して二代王の聖霊治癒役事を受けて下さい。
二代王が聖霊治癒を受けたい者は降りてきて下さいと言われるときから聖霊が働いています。これは両腕が聖霊で熱くなり共鳴振動するのでとても分かりやすいです。
ビデオで間違いなく聖霊治癒が受けられますので毎日役事ビデオを見ることをお勧めします。
英韓訳:ヨナニム、韓日訳:Yuko MORITA、監修修正:ファンクラブ
キングスレポートへ、ようこそ。
今日の天一宮の天気は曇りで少し太陽が出てきます。
道が結構滑る予定です。 気をつけてください。
昨日日曜礼拝の前に少し具合が悪かったのです。 熱が少し出て全身に寒気がありました。
それで礼拝を少し短くして早く天一宮に戻ろうと思いました。
でもお祈りの時間になると、聖霊がとても強く働かれて私が病気であることさえ忘れてしまいました。
また私に神様が若者を呼んで一緒に祈ってあげるように言われ、一緒に祈祷をしたこともとても良かったです。
結局4時間の礼拝をして家に戻りながら、たぶん今日は完全にダウンするだろうと思いました。
しかし、私にあまりにも多くのエネルギーがあり、喜びがあるのです。
私の娘が食べ物を準備していたのですが、外にいる私は窓の間から見える私の娘を驚かせるほど、私のコンディションと風邪の症状が完全に良くなりました。
ほとんど1時になっても寝られませんでした。
もしそれがアドレナンリンの効果であったなら、祈りの後、1時間程度が経過すると、私は疲れてなければならないのにそんなことはありませんでした。祈りの力でした
私礼拝に入る前は、非常に状態が良くなくて私に会う人会う人が、私の顔色をうかがいながら、「大丈夫ですか?」と聞かれました。
しかし、日曜礼拝の後は、私に残った風邪の症状は鼻水が少しあるだけです。
昨晩は、眠気があまりにも来なくて、聖書の勉強をしている王妃と信俊の窓を突然たたきました。
王妃が物凄く驚く様子をビデオの映像に録画しなければならなかったのに、その姿がとても面白かったです。
神様とイエス様に感謝し真のお父様に感謝します。
昨日の祈りの役事と能力があまりにも強く降りてきて、本当に驚きました。
私のために祈祷をしてくださった方々にも特別に感謝いたします。
昨日聖霊礼拝にも若い人たちが出て一緒に祈りました。
実は若者たちはどう祈りをささげるのかわからないので、前に出てお祈りしようとした姿がとても不自然でした。
しかし若い人たちには純粋な信仰があり、人々が癒されることを望む清い心情があります。
昨日私を見た人なら、私がそんなに長い間礼拝をできると思う人がいませんでした。
しかし神様が完全に私を主管され、祈祷の役事の能力を注いでくださって、ほとんど20人以上を私が祈祷しました。
私の心は完全に綺麗に感じられ私の頭は完全に軽くなりました。
神様が、私が 約2週間患った風邪を超自然的に持って行かれました。
若者の信仰は育っていて、小さいですが、神様は辛子種ほどの信仰も神様の王国のために使うことができるのです。
多くの若者はその日初めて他人のために祈りをささげた日でした。
昨日子供たちの前で王妃と賭けをしましたが 私が当然勝ちました。
何なのかというと赤ちゃんは ほとんど 3ヶ月から 道徳的な思考ができる認知力が 始まるといいます。
とても驚くべきことではないですか。
3ヶ月からだという事実に私はとても驚いて覚えていましたが、クイーンがそうではないと言いました。
それで賭けをしました。
この3ヶ月だという事実にとても特別に驚くべきことは、赤ちゃんがどんなに早い時からお母さんと連帯感を作ることができるのかということです。
フェミニストのベティ・フリーダン(1921-2006、フェニズム運動指導者)のような場合には、女性が子供を運転して、ご飯と洗濯しながら、これが人生に懐疑を感じるクリックの瞬間に生じると言って多くの母親たちの人生を台無しにし、不幸に追い込みました。
しかし、もしその女性がそう感じるなら、その女性は母親として、女性の役割をよく遂行していないという話です。
子どもの脳は早くは3ヶ月から道徳的な認知能力が生じるという事実を知らないということです。
子供たちと運転中にご飯を一緒に食べながらどれほど多くの対話が行き来し、深い絆が持てるか分からないお母さんなのです。
子供を育てるのがいかに崇高なことかを知らない人だということです。
この研究結果はニューヨークタイムズ誌がエール大学で行った研究結果を発表したものですが、赤ちゃんがそのまま横たわっているように見えても多くの対話と関係形成をしているということです。
赤ちゃんはほぼ6歳になると論理を消化することができるし、弁証論的に他人と対話が可能だというのです。
私たちがあまり言わないことですが、女性たちも男性たちと同じくらい暴力的だというのです。
レズビアンカップルの家庭暴力は、一般男女カップルより一層家庭暴力の確率が高いということです。
それは男性のみが暴力的だという一般的な観念を打ち破るものです。
私が昨日日曜礼拝で私の妻が子供を掃除機で殴ったと言ったのですが、そうではなかったのです。
竹で打ったそうです。
それはほかの人でしたね。
もちろんクイーンが悪くてというより、自分でもそのように育ったので自然とそのように子供にしたのです。
聖書ではムチを惜しむと子供を台無しにすると言っていますが、ムチを使って言うことを聞かせる年齢は、3歳以降は適していないのです。
(またムチを使う時、親が成熟していないために、自分の怒りと訓育が区別できないならムチを使わない方が良いと思います。)
私は子どもたちが育つとき一度も叩いていません。 子供たちが大騒ぎしてよくない行動をしたら3回警告方式を与えます。
うちの娘が警告を受けてトイレの便器に一回座ってタイムアウトを受けたとき(3歳だったはずです。^^)
私の娘がとても可愛くて可哀相な目でパパ、と言い、私にトイレから出してくれることを訴えましたが、私は全然屈しません。 もちろんドアを少しだけ開けてあげることも忘れていません。
私の長男が5歳のときに息子を叩いていましたが、息子を殴るクイーンの棒をつかんでやめろと言ったのです。
(笑、そうです。 )
あのときは、クイーンは弱虫だったのでとても驚いたそうです。
そのことが大きなきっかけになって、その次からは絶対子供たちを怒りで叩かなかったそうです。
二番目の子供は自分が叩かれた記憶が全くないと言います。
子供たちは親と仲良く過ごしたいし、親の関心を受けたくていろんな行動をします。
父母の関心という補償を受けるために、様々な行動で交渉をすることをお勧めします。
親がもっと大きくもっと権威的な地位にあるため、子どもたちは親との関係で何かを得るためには交渉をしなければなりません。
そのため子供たちは実は生まれつきの交渉家です。
もし、2歳の子どもが熱いものに触れようとすると子供の手を殴って、触らせないようにしなければならないですね。
だからムチを惜しむと子供を台無しにするという話も必要な言葉ですが、3歳前までにそれが役に立つのです。
多くの女性がフェミニズムに陥って、とても質の低い親の役割をしながら母親になることが非常に崇高であることを忘れます。
皆さんおぼえてください 3ヵ月の赤ちゃんも道徳的な認知力が始まるというのです。
赤ちゃんという存在は完全にぼんやりした存在でしょうか?
赤ちゃんの道徳的な感覚というエール大学の研究結果です。
3ヶ月の赤ちゃんがいい人と悪い人を区別することができるでしょうか
指人形がいい人の役割をして、もう一つの人形が悪い人の役割をするのを見せます。
一つの人形は他の人形を助け、2番目の劇では、1つの人形がもう一つの人形を押します。
全く同じ実験を6回見せています。
実験がすべて終わり、赤ちゃんにどんなキャラクターがいいかと聞くと、赤ちゃんの80%が他の人を助けたキャラクターを選びました。
一人のキャラクターが箱を開けようとします。 最初のキャラクターは箱を開けるのを手伝います。
二番目のキャラクターは箱を開けようとするのを邪魔します。
80%の赤ちゃんが善良なキャラクターを選んだそうです。
本当に驚きませんか
その意味は赤ちゃんが道徳的に正しい、正しくないをすでに認知して生まれるということです。
このような実験は赤ちゃんがすでに良心において、何が正しいのか、何が間違っているのかを知って生まれたということなのです。
本当に驚きです!!
多くの親は赤ちゃんがいかに驚くべき能力を持っているかを知らないで子供を育てるというのです。
本当驚きです。
来週の礼拝でこの映像を見せなければなりません。
聖書で神様の道徳的な教えが我々の良心に書かれているという話は事実でしょう。
もしある女性が私は誰なのか、子供を育てながら私はただの運転手、食事して洗濯する機械なのかと愚痴をこぼしているなら、それは自分自身が質の低い母の役割をしていることを告白しているのです。
少なくは3ヶ月から赤ちゃんたちは親とこれくらいの高いレベルで親との絆を形成できる能力があるということです。
子供達が知的能力と道徳的判断能力があるということを母が認知すれば、親が子供を虐待して暴力を使って子供の行動を規制しようとすると、そう扱われた子どもたちは結局大きくなってからも政府が自分に暴力的に何かを強要しても頭を下げてしまうというのです。
多くの親たちは子供たちが10代になるととても難しいと言います。 でもそれは事実ですか?
いいえ違います。十代で問題が多く出るのは幼い頃親との関係が形成されていないためです。
もちろん公教育も原因だと思います。 公教育は親と子との関係を駄目にするでしょう(特にアメリカではこれが事実です。)
しかし、親と深い絆がある子どもたちは10代になって知的能力がもっと育ちもっと高くなれば、より多くの絆を子供たちと結べるのです。
私は私の子供達と深い対話と討論をして一緒に訓練するのが好きです。
人々はアイデアに反応しません。
原理講論や聖書のアイデアだけを教えます。
その意味は子供たちには思想に過ぎないのです。
ですが人々は(子どもを含め)その思想による結果を見ながら反応します。
子供たちに神様に従わず自分の偶像についていった人々がどのように人生を駄目にするのかその事例を示すことが重要です。
したがって多くの霊的なことだけを重要視しながら霊的なことだけを教えると、子供たちはそれをどうやって人生に適用しなければならないのかわかりません。
もちろん聖書と原理講論を教えることは重要です。
私の言葉を誤解してはいけません。
子どもたちに神様なしに生きるのがどんなものなのか、その結果物とみ言葉をどのように実践して生きているのかを教えて討論してください。
私は私が今話している内容をほとんど20年余り(私の兄弟の一番目が20才だから)を実践して来ました。
私のクイーンも私と一緒にそんな親としての役割をして来ました。
そしてそんな親としての役割は、私の人生の中でやってきたどんなものよりもっと崇高で楽しく、多くの知的能力が必要でした。
ハーバード大学で勉強ができる方法は、すべて出ていて、勉強が良くできることは親の役割に比べたら近寄ることさえできないのです。
子供たちが6歳前の母親が一番必要なときに、お金を稼ぐために電話相談員として働き、あれこれ働きながら、子供の面倒を見ることができなかったら子供たちに謝ることを考えてみてください。
もし子供達に小言一色で、子供たちを怒りで叩いたとしたら、神を信じる人なら子供たちに謝って下さい。
そうすれば子供たちが、神様を信じるお母さんお父さんは、このように神様が変えてくださることもあるのだと思うのです。
もちろんその過程で子供たちの頭を大きくして、子供たちを傲慢にさせてはいけないでしょう。
どんな親も世の中で完璧な親というのはいません。
しかし、親の役割にはレベルの違いがあります。
いかなる格闘技選手にも完璧な戦い手はいません。
だがその選手間にはレベルの差があります。
時々、聖殿食口の中にも本当に質の低い母親たちがいます。
またそのお母さんが私のこのような言葉を誰よりも聞かなければならないのに、それを避けます。
自分を礼拝の時間にさらに忙しくして礼拝の説教時間を避けます。
私が訓練を本当に好きな理由は、訓練が人生と本当に似ているからです。
訓練では私がうまくいくと思うことと現実とは違うことが分かります。
そして同じ訓練でもレベルが違うことを認めざるを得ないようにするのです。
逃げられないようにします。
そのような状況で、逃げて避けなければその人は育つようになります。
皆さんが親の役割の崇高さをもう一度考えて、親としての役割を主の前に正しくされることをお祈りします 。
感謝いたします。
(今日のリマは聖書の旧約と新約の中間が出たそうです。 だから今日は親の教育のみ言葉をリマに代えるとおっしゃいました。 )
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遺伝罪恨霊解怨、傍系解怨については、感謝できる方のみお問い合わせ下さい。》
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