2017年12月31日「鉄の杖の王国」ポイント訳全文
Kingdom of the Rod of Iron 1
サンクチュアリ NEWS さんからの全文転載(ポイント)です。字幕化は2nd Israelさん。教会ブログであるため御言をコレクションしています。聖殿食口以外からも読んで頂いています。ありがとうございます。
翻訳:サンクチュアリNEWS管理人
いま新しいシリーズに取り組んでいます。
皆さんにもすぐに分かるでしょう。
それは「イエス・キリストが説いた王国の福音」と、「キリストの鉄の杖による統治の方法」を組み合わせて研究することです。
そのためにもう一度、これまで「王国」に関する聖句をみてきた、新約聖書の内容に戻ることにします。今度は「鉄の杖」の観点からそれらを見直していきます。すなわち、終末、いや、千年王国における、キリストによる「王国」統治の方法の観点でからみていくのです。
いいですか、これから「鉄の杖」を中心に考えるので、ARなどが数多く登場することでしょう。このシリーズを進めるとき、おそらく皆さんから「そんな話を聞きたくないのです。もっと心霊に関する話をしてください」という声が出るかもしれません。
間違いなくそういうことを私に行ってくるでしょう。だから前もって言っておくのです。
だからそういうことを言わないで下さい。
もし声をあげるなら、ただ私のために祈ってください。(笑)
今後そういうふうに進めていきます。
皆さん、天国はわれわれだけのものではありません。神様が予定された他の相続者たち、すなわちアベル型キリスト教圏の人たちのものでもあるのです。
キリストと一つになったアベル型キリスト教圏、彼らはそれだけなく強く、強く、自分達の主権を重んじる人たちです。「主権者」であることの意味を誰よりも深く理解する人々なのです。また建国の父を深く愛し、武器を所持する権利と、武器所持を誰よりも愛する人々。
彼らこそ、アベル型キリスト教徒だというのです。彼らはキリスト教会から「教会に来るな」と言われているような人々です。むしろ、教会の方こそ、国に寄り添い、めめしくなっていて、群れを率いる雄(アルファ・メイル)のような彼らは、そこが自分たちの天国だと思えないのです。
だから前もっていっておきます。ここで毎週行なうパワーポイントを使ったプレゼンテーションを自分も他の銃所持者にそれを使って講義したいという人は、言えば私があげます。
それを用いて、聖書に基づく「鉄の杖による支配」がいかに重要なものであるか、王国のキリストを理解するうえで聖書の絶対的核心であるか、これが講義できるのです。
だからスライドが必要なら私に行ってください、スタッフが持っています。それを用いて保守派の中でも、準備された、より保守的な人々、キリスト教徒であってイエスを愛する、キリストを愛する人々に講義できるのです。彼らは黙示録3:16にあるようにイエスが「新しい名」で来ることを知らないかもしれません。イエスが「新しい名」で来られるという聖句に気づいていないかもしれません。それでもイエス様の愛し、キリストを愛し、他人から踏みにじられることのない主権をもつ者であることを理解しているのです。彼らは文明の戦士、われわれの社会の戦士なのです。
多くの人が退役軍人に感謝の言葉を述べたりするのですが、彼らも王国の福音、「鉄の杖の支配」につながっているのです。彼らは王国を相続すべきアベル型キリスト教徒なのです。
神様が大きく後押しして下さり、ラリー・プラット氏(GOA米国銃所有者協会名誉会長)をつなげて下さいました、プラット氏はすでにキングズレポートに2度出演して下さっています。2月には、スイスから私たちと一緒に過ごしてくれることになりましたし、そこからここペンシルバニアに来る飛行機のチケットまで準備しているのです。それも2月です。
GOA名誉会長ラリー・プラット氏
プラット氏は銃器社会のゴッドファーザー、紛れもない大物です。ラリー・プラットを知らない者は銃社会ではもぐりといわれます。(笑)
ラリー・プラット氏は、ガン・ゴッドファーザーです、天的なゴッドファーザーです。彼は善なる素晴らしい愛国者です。プラット氏の主催する団体(GOA)はNRA(全米ライフル協会)にも良い影響を与え、国民に対して責任と力、そして権利に対する理解を深めるよう働きかけています。
ですから、このシリーズを進めていく過程で、耳慣れたキリスト教会的な霊的内容をこれまでほどは話しません。通常教会で話すような内容です。
聖書も読み、祈祷もして、必要であるなら神様が神霊を満たしてくださるように普段の生活で努力して下さい、なぜならここに礼拝に来るとき、鉄の杖(銃)の話を多くするからです。どうか祈祷とみ言学習で、心霊的に自らじゅうぶんに補ってください。
このことを壁にでも貼って告知しようかと思います、数週間もたたないうちにリアクションが来るでしょうから。
「鉄の杖の王国 1」に入りましょう。ここに番号を付けたのはこれを本にするつもりだからです。こちに聖書を中心とする福音派のグループに向けて公表する予定があるからです。
これが2018年に神様が導いて下さる方向です。
その前にすべてを計画しておかなければなりません。とにかく(摂理の)動きが速いので、それについていかなければならないのです。正直これほど速いとは私も思いませんでした。
私は少しずつ着実に進めたかったのです。まず、この地域のNRA(全米ライフル協会)の人から始めて、徐々に広げていけばいいと。それが神様はいきなりトップにつなげられました!われわれは、いきなりトップのラリー・プラット氏につながったのです!
だから急いで、それに合わせて全速力で走らなければなりません。神様が紅海を真っ二つにわられて、「さあ、急いで渡ろう!」という状況です。走り抜けなければならないのです。
だから今われわれがどこにいるのかを知らなければなりません。神様が終わりの日に新しい道を開いて下さったのです!
では「鉄の杖の王国1」に入ります。NO.1でもセクション1でも第1章でも構いません。
まず、福音の意味は何であったか、もう一度復習することにしましょう!
イエス・キリストが自ら明らかにした福音とは何であったのか。
これはキリスト教徒たちと議論するには大変に意味のある内容です。
「福音」とは何か。
歴史的に説明づけられてきたエウアンゲリオン(ギリシャ語:福音)、教会が説いてきたその内容は「十字架上の死」と「イエス・キリストの復活」、これが「福音」でした。
それを通して救われる。
それに関して決まって引用されるヨハネの福音書3章16節、
「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛してくださった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」
決まってこの聖句を引用するのです。
しかし、聖書に何と書かれているのか、イエスご自身は何と言っておられるのか。イエス様がこの議論の中心人物ではないですか。イエス様が「これが福音だ」というものが福音なのです。それを知らなければなりません。
この点をクリスチャンの兄弟姉妹たち、とくにアベル側の銃所持者たちが理解できるように支援しなければならないのです。
「イエス様自身が福音派なんだと言っているか見てごらんなさい」というのです。
何と言っているのか。
その前にイエス様が私たちに神の国について毎日、祈りなさいといわれた内容をみてみましょう。マタイ6章で、弟子たちに毎日こう祈りなさいとおっしゃっています。
それが主の祈りとよばれるものです。
ところでローマ法王はそれを変えようとしています。フェイクな法王です。私が真の法王です。あっちは偽の法王だ。その偽の法王が「主の祈り」を変えようとしている。私は再臨主の相続者、後継者です。彼は違います、偽の教皇であり、「主の祈り」を変更しようとしています。私は変えません。毎日、平和警察・平和軍の訓練の終わりに皆で唱えています。毎回、主の祈りで終えるのです。
天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように、
み国が来ますように、
み心が天に行われるとおり地にも行われますように。
御国が来ますように。そして、御心が天におこなわれるとおり地にも行われますように。
これを、イエス様が、信仰者、キリスト教徒たちに毎日祈りなさいといわれたのです。
だから、クリスチャンが話に関心を示したときに、その活気のある友好的な話し合いの中で、天一国憲法を見せたりしながら、さらに深く議論するとき、「御国のために毎日祈らなければならないことを知っていましたか。イエス様ご自身が命じられたことです」と尋ねる。
「ヨハネ第1の手紙に『神を愛するとは、すなわち、その戒めを守ることである』とありますよ」だから、「あなたがクリスチャンでイエス様を愛するなら、主の祈りを唱えるでしょう」と。
これは日々の霊の糧です。王国(み国)が来ますように、御心が天におこなわれるとおり地にも行われますように、というイエス様の願いを自分の願いとして願っているのか。
マタイ6章33節では、あれこれ悩んで、明日どうなるだろうかなどと案じる前に「まず神の国と神の義を求めなさい」とあります。イエス様は「まず、神の国と神の義を求めなさい」といわれるのです。
「まず民主主義を求めなさい」でも「まず共産主義を求めなさい」でもありません。その他、役に立たない「学位を求めなさい」でもありません、「まず神の国を求めなさい」といわれました。
「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」
マタイ6章をみると、福音において、聖書の中で、イエス様は「まず神の国を求めなさい」といわれているのです。
マタイ7章21節では、クリスチャンに対して注意を喚起しています。
「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである」
クリスチャンは私をカルトの指導者だといい、みなさんをカルト信者だといいますが、それではイエス様もカルト主義者になってしまうでしょう。原始教会の活動もカルトになる。わたしたちは聖書をただ読んでいるだけです。派手な衣装の国営カトリックの説教を聞いたり、牧師の説教を聞いているわけではないのです。聖句を読みながらその真意を探っているに過ぎない。
連邦政府の援助を受ける牧師たち。これについて何度も何度も繰り返し非難してきました。どうしてそれが善くないのか、国がどうやって教会を買収するのか、教会の慈善活動をすべて連邦政府のもとで登録しているではないですか。政府のひも付き教会では説教者に大きな圧力がかかるのです。
イエス様が警告しているのはこれだけではありません。クリスチャンがよくよく覚えておかなければならないこと、人のことをカルト、カルトという前に意識しておかなければならないことが何かと言うと、いまわれわれをふくめ多くの人びとが「主よ、主よ」と言っていますが、「皆、天の国に入るわけではない」ということです。
だから、クリスチャンたちと話をするとき、聖書に関する知識を持っていることは当然のこととして、聖書を学習し、聖句を暗記し、それをもって議論できるようにしなければなりません。数カ月前に、ある牧師さんと議論したとき、イエスの再臨やあれこれを論じた後、私が聖句を持ち出すと彼は「あなたの父親はメシアじゃない」といいました。
そのとき私は「黙示録3章12節によると、キリストが再臨されるときあなた方はその名を知らない-キリストは新しい名で来られるからとあります」「そして彼の上に、わたしの神の御名と、わたしの新しい名とを、書きつけよう」と。その名前は誰にも分らない。それでもあなたは、イェシュア、イエスの名で再臨すると信じている。聖書はイエスの名ではこないといっている。
たいていのクリスチャンはこの話が耳に入らないのです。それは聖書をよく読んでいないからです。だから彼らの注意を促すことが重要です。
そんなに自信過剰になってはいけません、私もクリスチャンです。自信過剰のクリスチャンではいけない。マタイ27章21節には、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない、と書かれているではないですか。これはイエス様がいわれたことです。聖書をよく読まなければなりません。キリストが新しい名前で来られることを理解しなければならない。多くのヘブライ語や古代ギリシャ語の専門家がいたとしても、聖書は、それでも彼の額に書かれた名を誰も知らないといっているのです。
キリスト教福音派クリスチャンと議論するとき、たいていこのような話の展開になるのです。やり取りの中で彼らも聖句から引用し、それに対してこちらも聖句を引用する。「よろしい、お互いに合意できないことを認めよう、最後の審判でどちらが正しいか見極めることにしよう」と。結局そこに落ち着くのです。
そこで、神様はわたしたちに鉄の杖をもたらしました。
それは単に信仰やライフスタイル(生活様式)の問題ではありません。
それは全人類の権利、全人類の人権を守る基本的、根本的な能力の問題なのです。
しっかりとこれらの聖句を把握すれば・・・(スクリーンを指して)これを適当なサイズにして、希望者全員で共有できるようにするつもりです、そこの兄弟に声をかけて下さい・・この聖句を机の上や電話に貼り付けたり、これを写真に収めて、「ほら、この興味ぶかい聖句を見てください」と(クリスチャンに)見せるのです。
こうしてアベル型の準備されたクリスチャンと話をするのです。皆さんが好むと好まざるとにかかわらず、彼らも王国の相続者なのです、そうあらねばならないのです、たとえ彼らが知らないとしても-。
マタイ10章7節には、「行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい」とあります。
ルカ4章43節には、「しかしイエスは、『わたしは、ほかの町々にも神の国の福音を宣べ伝えねばならない。自分はそのためにつかわされたのである』と言われた」とあります。これらはイエスご自身の言葉です。普通のクリスチャンに「この聖句をご存知ですか」と尋ねてみなさい。「いや知りません」と答えるでしょう。
また、イエス様は「私は、神の国の福音を宣べ伝えなければならない。自分はそのためにつかわされたのである」とおっしゃってる。「私は十字架で死ぬためにつかわされた」とは一言もおっしゃってはいない。キリスト教神学の根幹は「イエスは十字架で死ぬ」ことです。これが2千年間のキリスト教による霊的救いの神学の核心だったのです。イエスは十字架で死ぬために来られたと。父なる神様も十字架での死を知りながらイエス様を地に送ったと。
しかしイエス様ご自身は、十字架で死ぬためにではなく「ほかの町々にも神の国の福音を宣べ伝えねばならない。自分はそのためにつかわされたのである」と語っておられます。
ジェームズ王欽定訳聖書でもこの部分は、「これが私がつかわされた理由だ」となっているのです。神の国の福音を宣べ伝えるために来たと。
マタイ4章23節、「イエスはガリラヤの全地を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいをおいやしになった」御国の福音です。
イエス様は何と言ったか、「御国の福音」。
十字架の福音でもなければ、死と復活の福音でもない。民主主義の福音でもない。
神の国の福音だというのです。これは聖書に書かあれている内容です。
次に、マルコ1章14節、「ヨハネが捕えられた後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べ伝えて言われた」。ここでも福音は、十字架の死、墓中3日、復活の福音ではない。これをクリスチャンに言うと衝撃を受けます。これをいうとたいていのクリスチャンは、「おまえはとんでもない異端だ、とっとと向こうへ行け」というのです。
「とんでもない異端だ」とは言葉を変えれば「どうしてそんな大胆なことを言うのか」ということです。だからみ言は大事だというのです。私がいっているのではなく聖書に書かれているのです。派手な説教者や、金持ちの福音説教者、またフェイクな自由神学の牧師がどういおうと関係ないのです。偽の福音を説いている。イエス・キリスト本人が福音は、神の国の福音だといっているのです。十字架上の死、墓中3日、復活などとは言っていません。
これはショッキングな内容です。皆さんはいつも聞いているので「この話は知っている」と思っているかも知れませんが、もちろん知っているでしょう。だけども、ここにクリスチャンがいればとんでもなく狂った話に聞こえるでしょう。なぜならどこの日曜学校でも聞いたことがないことだからです。クリスマスでも教会でも一度も聞いたことのない話だからです。しかし聖書にはこう書かれている!これは問題です。
このことから、ほとんどのクリスチャンは聖書をよく読込んでいないということが分かりました。自分で聖書をよく読まずに大小の教会の説教師の話を鵜呑みにしているのです。
聖書自体は、エウアンゲリオンすなわち、福音、良い知らせ、これを十字架の死、空の墓、復活ではなく神の国のことだと定義しているのです。だからこのことは簡単に聖書から導き出せるのです。
イエス・キリストは神の国の福音を宣べ伝えたのです!
クリスチャンなら、これを否定するとき、聖書を否定することになります。いかに信仰者を装い、手をあげて讃美し、聖書を讃美したとしても。神のみ言、聖書を否定しているのです。
福音を間違ってとらえながらキリスト教徒だということができません。聖句は別のことを言っているからです。
マルコ1章15節、「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」。どの福音ですか。神の国だということです。バシリウス、これは王と言う意味です。そしてバシリアは王国を意味します。王を中心とする国だからです。
これをクリスチャンとしてどう話しますか、現代西洋の民主主義を愛する人々に。しかしクリスチャンなら「王国」を信じなければならないのです。この地上に実体を持って現れる王国です。ここで困ったことになりました。民主主義が大好きだからです、この300年と続いたことのない体制が大好きです。トランプもこれを続けていくでしょう。しかし民主主義は300年以上続きません。かならず衆愚政治にとってかわられるのです。大衆は自分が欲しいものを国から取ろうとし、政治かは国民に迎合して票を集めようとする。そして文明は崩壊する。例外はなかった。
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さて、ここからクリスチャンの心に二分法の問題が生じます。神の王国を愛さなければならない。イエスの再臨を信じなければならない。この民主主義体制が最高のものではないということも理解しなければならない、これは「王国」ではありません。
しかし心の奥で、ジョージ・ワシントンやトマス・ジェファソンをあまりにも愛している。それを手放したくない。われわれはアベル型(クリスチャン)の心に向けて「あなた方は王国の相続者です」と訴えているのです。保守的でキリスト教徒、そして誰より建国の父を愛している-こういう人々はもっとアベル型なのです。もう王国の福音を受け入れる準備ができているのです。
神の国の憲法を受け入れる準備ができているというのです。
「ああ、憲法に王が定められているじゃないか。われわれに王様は必要ない」とアメリカ人なら言うでしょう。しかし(天一国では)王様は最高裁判所の判事のようなものです。王は司令官ではありません、軍を率いることもないのです。中央権力も持っていません。一生涯、最高裁判事だというのです。それが奇妙なことですか。アメリカには死ぬまで(終身)最高裁判事を務める人が9人もいるのに! 天一国の9倍ですよ!
問題は「無知」にあります。無知だから奇妙だと思うのです。王はそれほど奇妙なものではありません。王国から見れば9人の終身判事のほうが奇妙だというのです。
だから合衆国憲法も学ばなければなりませんし、天一国憲法も学ばなければなりません。
ここにはこう書かれています。
そのとき、王は右にいる人々に言うであろう、『わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい。(マタイ25:34)
クリスチャンはイエスの再臨を知っています。イエス様が来られたら鉄の杖で支配するというのも知っている。そのすがたは独裁者の姿に映るのです。聖書には(キリストは)国々を打ち倒す、とあります。陶器を打ち砕くように!これは暴力的に思えるのです。力、力、力です。
さあ、クリスチャンは聖書を読んで、イエスの再臨を知っている、鉄の杖で国々を打ち砕かれるということも知っている。しかし、ここではたと困るのです。彼らはあまりにも民主主義と西洋文明を愛している。自由がいいのでイエスの独裁の下では生活できないと感じる。しかしそんなことを言えば不信仰だといわれるのでそれは言えない。現代のクリスチャンの心にはそれがあるのです。彼らはイエス様がどのように統治するか全く知らないのです。聖句には世界の基礎を整えるとあり、神の国は新しいエルサレムのようだとあり、新しいエデンのようだとあります。
神様がエデンでどのように成されたかは知っているのです。独裁者のようには振る舞われなかった。だからキリストが再臨されて鉄の杖で統治するといっても独裁体制などではありえません。たいていのクリスチャンはそれを認めたくないのですが信じています、必ずそうなるだろうと。そしてそこに住みたくないとも認めたくない、選べるのなら。
天一国憲法だけがキリストの統治法を示しているのです。そこでは信仰者はキリストとともに共同相続人です。王国では人びとが裁き主に任命されるのです。王国は鉄の杖で支配されますが、そこには主権と自由と責任があります。自由市場も言論の自由も結社の自由もある。天一国憲法だけが(キリストによる)統治の方法を明らかにしているのです。
これを理解し、説教する聖職者は世界に1人としていません。個人の武器所有の権利を定めて憲法修正第2条を説教で話す人はいます。アメリカがなぜこのような憲法をもっているのか、武器を所持すべきだと。これは一つの議論です。
しかしここでは、神の王国について語っているのです。アメリカ市民としてあれやこれやと話しているのではありません。神の国の話をしているのです。
ただの一人もこの話をしません、説教しないのです。全世界を見渡しても1人もいません。
キリスト教のテレビ番組をご覧なさい。その世界に慣れないと奇妙なのです。(テレビ牧師が)「神がこうしなさいといいました」「神様が啓示をくださいました」などといいます。それを見慣れていない人は唖然とします、とくにカトリック系の人は言葉を失くすでしょう。
カトリックでは頂点の法王から順番に階層がありますから。だから奇妙な感じがする。しかし、これが今のキリスト教文化なのです。
だから私が「神様が鉄の杖について啓示を与えてくださった」といってもおかしくないのです。奇妙じゃない。キリスト教文化に馴染みのない人には奇妙に聞こえるでしょう。キリスト教文化を知る者にはそうではありません。まったくおかしく聞こえない。
神様はわれわれに「鉄の杖の真実」を啓示されたのです!
天一国憲法を通して、天一国憲法の中で輝いています。
ここで「鉄の杖」と聖句に戻ることにしましょう。
ところでこれらの聖句はキングモビールの車体にもプリントします。
今週中には迷彩柄にキングモビールが出来上がるでしょう。素敵な鉄の杖と迷彩柄の車を目にすることでしょう。国進ニムが平和警察・平和軍のために寛大にも献品してくれた車です。国進ニムに拍手を!
ここで今、公開していいか分かりませんが、国進兄さんは「鉄の杖(Rod of Iron)ARシリーズ」を製造するそうです。聖句が刻まれます。でもまだわかりませんけれど。
鉄の杖-詩編2:8
8わたしに求めよ、わたしはもろもろの国を嗣業としておまえに与え、地のはてまでもおまえの所有として与える。
小さなその形跡はありますが、しかしもうすでに神様に「求め」たので世界は神の国と天一国憲法で覆い尽くされることでしょう。神様の約束は確かです。「もろもろの国を嗣業としておまえに与え、地のはてまでもおまえの所有として与える」、天一国として。レバレント・ムーンは気の狂った人ですか。クリスチャンよ!天一国憲法を見てみなさい!あなたがクリスチャンで、レバレント・ムーンが気違いだというのなら。そのレバレント・ムーンの実を見なさい。実を見ればその木がわかるのです。天一国憲法を見てみなさい!
あなた方が銃保持者で愛国者だというのなら、人の権利と主権を重んじるというなら、はたまた私有財産、自由市場、自由な集会、自衛権をそれほど重要視するというのなら、もしそれらが損なわれるのではないかと懸念しているのなら、レバレント・ムーンを異端視して排斥するというのなら、この(天一国)憲法をみなさい!
これが「悪い実」だというのなら私にそう言いなさい!
この憲法は、ジョージ・ワシントンやトマス・ジェファソンがあなた方に残したもの(合衆国憲法)よりも、もっと自由で、もっと個人の権利、主権が尊重され、ずっと開放的です。
「その実を見れば、樹が分かる」といいます。天一国憲法をご覧なさい。
もし彼ら(クリスチャン)が、「王様なんて・・・」とぐずぐず言うなら、簡単な話です。天一国の王は終身職の最高裁判事のようなものだというのです。それに王以外のものは終身職でありえない。
合衆国憲法にまさっているではないですか!
アメリカには(終身職の最高裁判事が)9人もいます。
だからこれを伝えなさい。それほど難しいことではない。
「地のはてまでもおまえの所有として与える」(詩編2:8)とあります。だからといって強欲になってはいけません。個人の主権と私有財産を理解するということです。自分の私有財産をもち、他の人もその人の私有財産をもつ、だから他人の土地を尊重するのです。そうしなければ撃たれます。だからこの社会では他人の土地を尊重するということをすぐに学ぶことができます。王、王妃として尊重するからです。
「おまえは鉄のつえをもって彼らを打ち破り、陶工の作る器物のように彼らを打ち砕くであろう」(黙示録2:27)
「鉄のつえをもって、打ち破り」とあります。あまり耳に心地よい言葉ではありません。「陶工の作る器物のように打ち砕く」といっているのです。優しい物言いでは決してないのです。
クリスチャン心理はこうです。「ああ、怖ろしい」といってここを飛ばし読むのです、恐ろしいのです。イエスが再臨して、(キューバの独裁者)フィデル・カストルのようになるのではないか。独裁者のようになれば、その下で生きるのも辛いでしょう。クリスチャンは実際、怖れているのです。
愛国的アメリカのクリスチャンがこの部分を読めば、最初は「よし、主は悪を木っ端みじんにしてくださる」と喜ぶのですが、その後どうなりますか。
「われわれは、独裁者のもとで生きるのか」と不安になります。
これは大きな問題です!
黙示録2:27には「彼は鉄のつえをもって、ちょうど土の器を砕くように、彼らを治めるであろう」とあります。キリスト教徒なら、この聖句を避けて通ることはできません。
キリスト教徒たち!鉄のつえを避けて通ることはできないのです。あなた方はそこから逃げている!
そこから逃げることはできない。これは聖句です。天国の王の統治の方法なのです。
「鉄のつえをもって、彼らを治める」というのです。
「キリストは鉄のつえをもって治める、ちょうど土の器を砕くように」
「それは、わたし自身が父から権威を受けて治めるのと同様である」(黙示録2:27)
ふ~む。クリスチャンがこの「鉄のつえ」の聖句を読むとき怖れを抱く。最初はいいのです。キリストが悪を一掃するのですから。ヒラリー・クリントンやジョージ・ソロスのような者達を一掃する。それは喜ぶのです。しかし「鉄のつえで治める」となると心の内で葛藤するのです。葛藤です葛藤。
黙示録12:5では、「女は男の子を産んだが、彼は鉄のつえをもってすべての国民を治めるべき者である。この子は、神のみもとに、その御座のところに、引き上げられた」とあります。
ほら、ここでもキリストは鉄のつえを持って国民を治めると書かれています。
例えば、皆さんもこれを知らないと仮定しましょう。私の説教で聞いていないとするのです。そしてこの聖句を見たとき、みなさんは、キリストの王国が独裁的な統治ではないとどうやって信じるのですか。聖句は特に具体的ではありませんが、一見したところ独裁ではないですか。
黙示録19:15、その口からは、諸国民を打つために、鋭いつるぎが出ていた。彼は、鉄のつえをもって諸国民を治め、また、全能者なる神の激しい怒りの酒ぶねを踏む。
ここに恐怖の鉄のつえによる支配があります。
すべてのクリスチャンが待ち望む天国にです!
偽りの教会、国におもねる教会、カトリック教会がいかにフェイクであるか。
この内容を受け入れない!
なぜなら、ハリウッドの描くイエスと大きく隔たっているからです。
金髪で青い目のイエス様。ローブをまとってふわふわ、何かの音楽でひらひら飛ぶような。
イエス様は天から来られてあなた方を打ち砕くでしょう。
(ビデオ視聴)
これらの話を銃社会と縁のない人が聞くなら少し引くでしょう。しかし銃社会に馴染んだ人びとは私の話がスーッと入ってくるのです。どういうことでしょうか。
皆さんがもうワンステップ、引きあがらなければならないということです。
この守護者、護る人々の社会に入らなければならないのです。
もっと銃器について知識を得なければなりません。
まだ多くのサンクチュアリの人々は「鉄のつえ」の世界から遠いのです。
もっともっと精通しなければなりません。(ビデオで語っていたNRAの人物)彼が全うで正常な人と思えるようにならなければなりません。皆さんの多くはこういう銃器社会、このサークルから遠いので、彼らが普通だと思えないのです。
彼らこそ、この国の真の守護者なのです!分かりますか。
ここが本当に肝心です。とくに神様はどんどん彼らに近づくように導いて下さっているのです。アベル型の福音派のグループに!
まさに真の愛国者、群れを率いる男女です。それは銃を所持する、保守派のクリスチャンです。彼らは誰よりも自由を失うことを心配しています。その思いはネオコンのポール・ライアンとは比べものにならない!
マタイ4章23節
エスはガリラヤの全地を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいをお癒(いや)しになった。
さてここで鉄のつえをもって治めるイエス様-クリスチャンは今も再臨主は、たとえ黙示録3章12節にあるように別の名をもって来られたとしてもイエス様はイエス様、神様だと信じている-このイエス様と、ここでのイエス様、すなわち出かけて人々を癒す姿、癒してくださる、この2つの異なる姿をキリスト教徒として、いかに一人の方として折り合いをつけるのか。戻られたイエス様は鉄のつえをもって治めることになっている。
しかし、イエス様は病んだ人を癒すお方でもあり、愛の神様でもあるのです。もちろん頑強な方で、両替商の屋台を打ち壊すこともされる。これをどうクリスチャンとして折り合いをつけますか。そうしないで、無視して行き過ぎますか。2つの姿はどうしても折り合いをつけて消化することができない-なぜならそれは無理だからです。
しかし、再臨主を理解するとき、再臨主の実となる天一国憲法を理解するとき、はじめて「鉄のつえによる支配」がこの地を癒すものであることを悟るのです。
そう、鉄のつえによる支配は地を癒す。これは興味深いことです。社会を見るとき、暴力的犯罪、強姦、略奪、盗み、強盗、複数の殺人などを、社会の病理として目にします。
そうですか、そうでないですか。
社会で、超一流大学を出て、法を作って国民を支配して、それらの問題を解決しようとするスーパーエリートに全て委ねる場合には、そこに展開するのは地上地獄です。地上地獄、地上地獄。その代表がシカゴ市、そしてデトロイト-ここは殺人件数が国内最高です、そう、ボルチモアも。
それらの都市に行くと、火の海で角を生やした化け物が尻尾を振りながら走り回っているわけではありません。愚か者になるな。
そこでは他の都市とは相対的に人々に自衛手段、その力をもつことを許さない。だからはるかに危険で邪悪なことは、だれからも攻撃を受けることなく何でもやり放題にさせるのです。悪い者が好き放題して、処罰がない。
実際に罰を受けない、自由、放縦だというのです。
ここに善人たちが「鉄のつえによる支配」を行使するなら・・・クリスチャンよ、よく聞きなさい、キリストは戻ってくるとき、あなた方はキリストの共同相続者にならなければならないのです。ただの僕(しもべ)ではありません。
ジョン・マッカーサー(マスターズ神学校校長、グレース・コミュニティ教会の牧師、及びラジオ放送牧師)が自分の教会で教えているような「キリストの僕」になるのではないのです。ある面ではそうですが、神の国でキリストの共同相続者にならなければならないのです。ここを忘れがちです。王国の相続者としての責任を持つというのです。聖書にもキリストから裁判官として任命される、と書かれているのです。
天国で福祉は与えられない、イエス様からタダで何ももらえない。責任を与えられるのです。私はここで、(インターネットを通して観ている)クリスチャンたちにも説教しています。
イエス様は鉄のつえをもって治められる。この意味がわかるなら-またイエス様は人々を、天国の相続権と責任をもつ王、王妃とされる。クリスチャンたちがこれを理解すれば「ああ、これが鉄のつえの支配か」「これが、父なる神、愛なる神だ」と悟るでしょう。
鉄のつえの責任を与えることで、その地の社会的病を癒そうとされる。そして略奪者(プレデター)が悪を働くのを阻止し、弱い人々を食い物にすることをやめさせる。これを癒しと呼びましょう。これも癒しなのです。
マタイ4章24節
人々があらゆる病にかかっている者、すなわち、いろいろの病気と苦しみとに悩んでいる者、悪霊につかれている者、てんかん、中風の者などをイエスのところに連れてきたので、これらの人々をおいやしになった。
強制的に悪霊を人の中から追い出しました。それを国家レベルでやらなければなりません。ある時は強制的に-自己防衛です、攻撃ではありません-略奪者らが、もし殺そうとし、傷つけようとしたらそれらの略奪者を排除するのです。これは文字通り国家レベルでの「悪魔祓い」ではないですか。
これを近隣で実践し、人々もこれを学習し、犯罪者たちもこれを思い知ったなら、おばあさんの家に押し込み強盗に入ることは、霊界行きを意味することを悟るのです。
私はキリスト教会を厳しく非難しているのです。クリスチャンたちを非難している。善良そうな、たわごとを説教するのはやめろといっている。聖書をよく読み、きたるべき鉄のつえの支配とキリストの王国に備えよ!(拍手)
鉄のつえの支配の地は恐ろしい場所ではありません。ただ悪者には恐ろしい場所なのです。
オオカミには最悪の日、善良な人々には素晴らしい日だというのです。絶対的に素晴らしい。
ここで実際にあった事件を紹介しましょう。ディエナ・グエイさん、癌の手術を経た人です。
彼女が5人の強盗に発砲して身を護ったケース。真夜中に5人の強盗が彼女に家に押し入ろうとしたのです。ディエナさんは34才で癌の手術を受けた女性、デトロイト出身。6月のある日、彼女が寝ていたところ、彼女は何も暴力的なことをしていません、ただ自宅でやすんでいたのです。翌日に備えて休息していた。午前3時前に寝室の窓ガラスが不審な音がして、カーテンを開くと銃をもった男が立っていた。窓から入ろうとした男たちに向かって、なんとか自動拳銃グロックを掴んだディエナさんは、4発発射しました。男たちは逃走。もしディエナさんが、拳銃を持っていなかったとしたらどうなりましたか。一人の所に4、5人の男が入って来る。あなたならどうしますか。
彼女は普通の人に過ぎません、しかし鉄のつえの力をもっていた。悪なる意図をもって5人の犯罪者、犯罪の意図をもった男たち。この女性の家に押し入ろうとしたが、その力の前に逃げ出した。もちろん彼女の力ではなりません、彼女は34才のか弱い女性です。体力にも弱者です。しかし力を与えるあるものをもっていた-力を均衡させるものを。それを善良な人が持てばどうなるか、5人の犯罪者、罪を犯そうとしている者が逃げ出すのです。
天聖経134
自分の愛する人は、命を投入してでも保護したいものです。本来、創造理想がそうなっています。神様御自身も、 息子、娘を愛するがゆえに、自分の命までも投入しなければならない悲しみの神様となったのです。(206-24,1990.10.3)
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