Monday, November 20, 2017

「ヤコブのような勝利者になりましょう。」康賢實 真のお母様 の礼拝 <全文>2017年11月15日

ヤコブのような勝利者になりましょう。

康賢實 真のお母様


エルダー部長:
はい、それでは、今日は特別に真のお母様が出てこられて、お話してくださります。一度、拍手で歓迎して差し上げましょうか?拍手しましょう。



康お母様

これをちょっと前に行って、置けばどうでしょうか?
(省略)
今から始めますか?はい、わかりました。



ああ、おはようございます。
今日は、韓国語でする礼拝なのですが、私はこのように体があまりすぐれなくて、そうでなければ、立たなければならないのですが、座って、起きてみると痛い所が多くて、うまく歩くこともできなくて、今日はちょっとおかしいので、私が来ながら、
ヨナニムが歌を、賛美歌を歌って、それで私が、今日はヨナニムが(説教を)されたならば、恵みがたくさん満たされると。だから、そのようにしなさいと言ったところ、ああ、私(ヨナニム)も準備もできないので、(説教を)できないと言うではないですか。
だから、そのまま私が出てきたのですが、あ~、年齢というものは、すべてどうすることができず、90を超えたから、このように、本当に心に決めた通りにするということが、これは簡単なことではないのです。それはすべて難しいのです。だから、私はあれこれ考えて、これも持ってきてみて、持ってきたのですが、そのまま、あのみ言を捧げようとして、聖書のみ言を一ヶ所読みます。皆さん、そのまま、ただ聞いてください。  

歴代志下16章
16:9主の目はあまねく全地を行きめぐり、自分に向かって心を全うする者のために力をあらわされる。今度の事では、あなたは愚かな事をした。ゆえにこの後、あなたに戦争が臨むであろう

歴代志下9章、歴代志下16章9節にあるみ言です。そこにどのようなみ言が書かれているかと言えば、主の目は、全地をあまねく監察され、心から神様に願う者には能力を施してくださるという、このようなみ言があります。
ところで、また、聖書には、能力を下さる人の中では、出来ないことがないという、このみ言(ピリピ人への手紙4章13節)もあるが、皆さんが聖書の新旧約聖書を見るようになれば、本当にその中には、私たちが考えることができなかった私たちに本当になることができますか?そのような疑心を、疑心を抱いてしまうような内容もありますが、聖書には、そのすべてのことが全て、本当に万事亨通(万事が都合よく運ぶこと)するようになっています。

今日、それで、歴代志下16章9節は、主の目は、全地をあまねく監察され、心から神様に、心を神様に向ける者に能力を施される。このみ言を見ると、本当に私たちが信仰生活を、一生の間してきましたが、本当に私を中心として、私の思い通りに、自分勝手に生きる時がたくさんありました。しかし、その神に私達が本当に心の中から、深い骨の中から、肉の中から、胸の中から、湧き出る心情を神様に向けて、私たちが求めて向かって、私たちが栄光をお返して向かって、私たちが、神様の息子、娘というような心を持つようになる時に、神様は、私たちを息子や娘として受け入れてくださって一緒にしてくださる、このようなことを感じることが多いのです。

そのため、本当にこのような能力を持っておられる神様、私たちが力くださる方の中では、物事はすべて成就されて、万事がすべてここで実を結ぶことができるというこのみ言、一つの聖句と、その次に歴代志下。その次にエレミヤ書23章9節を見れば、エレミア書29章13節のみ言を見ると、あなたが心から私を求めれるならば、私を見つけるであろう。私に会わせてくださる。
今日、私たちは、この時間に神様に会う時間になることを願います。私たちが心から求める時に、片切れの心そのままで何の考えもなく、するのではなく、心を尽くし、思いを尽くして、精誠を尽くして、全ての心を持って、神様に私たちが叫んで、神様に向かうようになる時、どのようになるのかと言えば、あなたがたはありったけの思いで私を探して、探すならば、私を見つけることができ、私に会うことができるでしょう。このような内容もあります。それで、この朝、神様に会う時間!さらには、神様の息子であり。娘であると神様が認めてくださる貴重な時間を持てたならば、というそんな考えです。

今日、皆さんがすべて望むことは、どのようにすれば、神様に会うことができますか?どのようにすれば、私が神様の息子になり、神様の娘になることができるだろうか?これを皆さんは成そうと一生の間に信仰の道を行きながら、これをたくさん望んできた私たちです。ところで、どうすればいいのかと言えば、ありったけの思いをこめてしなければならなりません。全ての心を尽くし捧げて、私たちが信じてきた心を捧げて、私たちが行って、心をこめを神様に向かうようになる時は、神様に会うことができるでしょう。ここには、そう書かれています。心をこめて私を探すならば、私に会うことができる。こうしながら、これは誰の言葉かと言えば、主のみ言であると、このように書かれています。


だから、私たちが今まで信仰の道を歩きながら、神様の声、声も聞いてみる事ができず、神様に会えなかったのですが、今朝、少ない数がここに集いましたが、本当に胸の中の深いところから、湧き出る心情を持って、私たちが神様を探して、また、神様の、神様に私たちの心が向かうようになる時、神様は訪ねて来られて、私たちに会って下さって、会うことだけではなく、さらには、私たちに神様は男性は息子になり、女性は娘として、神様の息子、娘として認めていただく事ができる貴重な時間になることを信じるのですが、今日、皆さんが本当にどれぐらい、全ての心、ありったけの思いというのは、全ての全体の心を、全て捧げるのです。そうでなければなりません。
これは、約50%や、約60%、これを持ってはダメなのです。アジュ。私の全ての心、100%、1000%を絶対的に私たちが信じていくとき、神様はここにやってきて、私たちにあなたは、神様の、私の息子であり。私の娘であると、このように認めて下さる事ができるのですが、私たちが本当に、大統領が私を認めてくれることも、誰かが私を認めてくれることよりも、神様がお前は、私の娘であり、私の息子である、このようにおっしゃって、認めてくださって、是認してくださったならば、これ以上の幸せなことはありません。

だから、私たちがどれくらい神様からあなたは私の息子である、私の娘である、このようなみ言を聞いてみて生きてきたのか、聞けずに生きてきたのか、今日、皆さんが考えて、ああ、本当に私はどの王の息子、娘よりも、私はどの大統領の息子、娘よりも、私はどの(米)千石の大金持ち、万石の大金持ちの息子!娘よりもっと何を願うのか?神様が、生​​きておられる神様が!さらには、本当に天地万物を創造された、その神様が私の父です。私はその父の息子、娘であるというような信念を、このような信仰を私たちが持って進んで行くときは、ここには、神様が訪ねて来られて、本当に認めてくださるのです。

神様が知っていてくださる、神様を信じてくださる、神様が私たちに、本当に私の息子、娘であるとしながら、満足することができる、この朝になったならば、今まで、神様の息子、娘であり、私自身が本当に信念を持って、確信を持って信じられなかったが、これを私たちが獲得することができれば、とても幸せな日になることができ、ここで本当に神様の、ただ一時的に私たちは神様の息子であり、娘とであるとはされないのです。永遠を中心として創造された基準があったので、私達に一度、神様の息子であり、娘であると印をつけて、印鑑をいっぱい押してくださったなら、永遠にあの国に行く時まで、行く時までではなく、行っても、神様の子女として生きることができる、神様の息子と娘として、認められて生きることができる、そのような貴重な立場に入って行くことができます。

だから、本当に皆さんがどれくらい神様から私は、私(神様)が本当に愛している息子である、本当に愛している娘である。という、この印鑑をもらって、印を受けて、私は生きてきたのか そうでなければ、ただ生きるのに、むやみに生きてきたのか?だから、私たちが生きるとおりに、むやみに生きるのではなく、神様が本当に私たちに訪れて来て、私の息子、娘、私の息子である、娘であるという印を一度、しっかりと押しておけば、あの霊界に行っても。死んだ後で霊界に行っても、その神様もこれは私の娘であり、これはわたしのものである。これは私の側にいる。そうしながら、認めてくださるのですが、今日、私たちがそのように認められても、忘れてしまう時が多いのです。忘れてしまう時が多いので、ああ、私は教会に数十年を出かけて行き、私が信仰の道をたくさん歩いてきたが、本当に神様の息子としての、神様の娘としての道を歩んできたのか?これを一度考えをしなくてはならないと考えています。

なぜならば、今は、私たちが年齢も高く、私はここで私が年齢が一番高いのですが、90を超えて、90が過ぎたのですが、いつも思うのは本当に神様は私の中に来ておられて、私は神様の中で生きるようにしてください。真のお父様は私の中に来られて、私が真のお父様の中で私は自信を持って、神の息子、娘と自分を持って生きるようにしてほしいという気立てを持たなければならないのですが、私たちがそれを忘れてしまって、生きている時が多いのです。神様の息子、娘として生きられず、サタンが好きなことをして、サタンの息子、娘として、私はむやみに行きる時、軽く生きる時がたくさんあるので、この朝、私たちは本当に神様に悔い改める心を持って、私が神様の中で、神様が私の中で一緒に生きる生活をしなければならないと、また、それだけでなく、神様だけでなく、真のお父様が私の中に来ておられて、私が真のお父様の中で一体以上を成し遂げて、どこに持って行って、置いておいても、私は真のお父様の真の息子であり。真の娘である。話をしても、自信を持つことができる私にならなくては、私たちは天国に入ることができません。

ところが、天国入るには要件が多いのですよ。ただ、誰でも天国に送るのではありません。神様が本当に、ここに要件というものが何か言えば、認定を受けなければならない!最初はに誰から、その認定を受けるのかと言えば、サタンが私たちを認定してくれなければなりません。ああ、この人はどこに持って行って置いても、神様の息子であり、神様の娘であって、私のサタンの息子や娘ではありません。そして、認定を与えることができると私とならなければならないのです。ところで、私たちがその認定を今、受けて生きているのか?受けないで生きているのか?これが問題になるしかないようです。

だから、今日、私が聖書の聖句を示したのですが、歴代志下16章9節にも、主の目は、全地をあまねく監察されるので、真心で、真心を神様に向ける者には、ここには、能力を施してくださると書いています。能力を施してくださったなら、出来ないことがありません。できない事がないのです。本当に今日、私たちは能力を与えてくださる方の中で、できない事がないので、私は何でもすることができる能力を今日、皆さんが受けながら、生きたならば、本当に100年にもならない世界が、短い世界、私たちは意味があり、値打ちがあり、やりがいがあるように人生として行かなければならない道を歩いて行くことができるのです。

ところが、人生として歩いて行くことができる道を歩けない時がたくさんあるのです。私たちは、私中心として生きる時が多いです。自分の思い通りに、軽く生きる時が多いのですが、そのような時、神様が私たちの所に訪ねて来られないのです。私たちは本当に私は何もないという謙遜な心を持って、私は不足しているところがあまりにも多いです。ちょっと補って下さなければなりません、という、そのような信仰を持つ時、神様は不足な立場を補ってくださるのです。ところが、そのような考えは一つもせずに、私を中心として、私の思い通りに生きる時が多いので、今日、我々はすべてのことを本当に肯定的に受け入れると同時に、私の思い通りに生きず、神様のみ旨を中心として、神様が願われる通りに生きる、これを今は、皆さんもここで80 80も超えて、70も超えて、60も超えた年齢になっているから、この生きている間に、この不足しているすべての面を補われた立場で、信仰の道を行かなければならないのか?

だから、神の息子、娘になる秘訣はどこにあるのかと言えば、別の所にあるのではありません。サタンに勝つところにあるのです。いつでも、サタンと戦っています。ところで、これを知らずにいるのです。戦うのにも、これはサタンと戦うのか、だれと戦うか、これすら見分けも付けられずに生きている人が多いのですが、今日、我々は本当にこれは何なのか?サタンと、私たちはサタンに勝つ、そのような生活をしなければなりません。

ヤコブですか。イスラエルというその名前を受けた理由はどこにあるのかと言えば、サタンを屈伏させたので、その名を受け取ったのです。ヤコブが本当に長子の嗣業を重要に考えて、神様の血統を重要に、彼は考えました。それで、どのようかとしたかと言えば、まさに長子の嗣業を兄からアズキ粥一杯で、嗣業を買って、兄が殺そうとするから、あのハランの地、母方のおじの家に行って、21年の間に僕の生活をして、もっと外に出て、道を究めた。本当に難しいことが多くありましたが、道を究めたということは、その中で従順に振る舞い、その中で、神様のみ旨が何なのかを見分けながら、彼は生きてきたのですよ。だから、21年の間に、その生きてきた、その跡をこのように調べてみると、誰もできないことを誰が行っていたかと言えば、このヤコブがしたのです。

イスラエルという名前を受けた理由!このヤコブは1代復帰完成者です。1代を、サタン世界で、天の側に移すことをしました。また、さらに、モーセは民族復帰完成者、民族をサタン世界から天の世界に置き換える役割をして、イエス様は世界を、世界復帰完成者の使命を持って、この3人は本当にどのような暮らしたのか?全ての心を神様に向ける生活をしました。今日、私たちは少ないことから大きなことに至るまで、全ての心を神様に向ける生活を皆さんがされたならば、ここに神様が訪ねて来られます。祈りを多くして、たくさんして、そしてなるのではなく、私たちの心構えが全ての心を神様に向ける生活!少ないことから大きなこと、すべてを完全に、このような中心で生活するようになる時、神様訪ねて来られ、一緒にして下さります。

それだけでなく、神様の子女となる秘訣は一言で、み言をしっかりと捧げようとするならば、サタンに勝つ生活をしなければなりません。サタンに負ける生活をするのではなく、サタンに勝つ生活をしなければならないのですが、ところで、サタンに勝つことは、サタンを屈伏させなければならないということです。サタンが私の中に来て、私の前に来て、私は本当に間違っていました。そして、頭を下げながら、サタンが屈服して入ってくることができる、この位置でサタンに勝って、勝とうとすれば、サタンを屈伏をしなければならないのです。今日、サタン屈伏の資格者(?)に、私たちがなって生活するならば、この残った余生を本当に他人が考えることができない、他の人が理解できない立場でも、すべてを勝利に導く生活を必ず、することができるのです。

ヤコブが21年の間に本当に道を究めて、21年以降に懐かしい父母、懐かしい故郷の山河に帰りました。そのように帰った時にどのようにしたのかと言えば、神様が天使を送って、ヤコブと格闘をさせました。相撲をするようにさせたのですが、本当に天使との格闘でとてもヤコブは深刻だったのです。命をかけてしたのです。ただ、したのではありません。昔です。私が日本にいる時に、日本には経済復帰をしなければならないので、難しい日々がたくさんあります。

それで、いつでも、お父様が本当に何を、責任量を全てやったのか?出来なかったのか?このようにみ言を語られる時に、その時にファンファンチェ先生がこのようなことを話しました。お父様、日本は今難しいため、責任量をするのが本当に大変です。このように話をしました。するとお父様は落雷のように叫んで、声を出して叱られたのです。

誰がその事情を知ることができないと言うのか?私が知っていながら、このような話をする時は、ここは、意味があるのだ!
そうしながら、それでも、いろいろと、様々な方法で努力をして、様々な方法で勝とうとしますが、責任量を全て果たそうとしますが、難しいのです。そのように言うと、お父様がどれくらい、どれほど叱られたのか、ファンファンチェ先生が顔を見ると、顔が死んだ人の顔だったのです、死相になっていて、なぜそうなのかと言っても、お父様に叱られて、どうする道理がないのだと。そんな顔をしていたのですが、最後に彼は、ああ、もやってもダメです。どのようにやっても、できません。

そう言ったのですが、その時にそれ何の話をしたかと言えば、命を差し出しておいて、命をかけてやります。このように、このように言ったのですよ。だから、お父様がその時にお笑いになって、オッケー、本当に信仰の道を行くには命をかけて、命を差し出して行ってこそ、その良い天国に行くこともできて、占めることができるが、それをできないようになると、行くことができないのだ!そのように語られながら、命を差し出して置く、それなので、お父様が満足されたのです。

今日、私たちが天国を目標にして行く道は簡単な道ではありません。ここには、どのように行くかと言えば、本当に私の命を差し出しておいて、捧げて、このようにして戦って行ってこそ、勝つことができるのです。そうしなければダメなのです。
そのため、信仰人が行く道は、簡単な道ではありません。聖書にもあります。死ぬほどに忠誠を尽くしなさい、死ぬまで忠誠を尽くしなさい。死ぬまで忠誠を尽くしなさい。死にながらも、忠誠をつくししなさい、それで、私たちは死にながらも、行く道がまさにこの道でした。死んだ後にはもちろん、私たちに天国という貴重な国が私たちを訪ねてくれますが、私たちは死ぬほどに、死にながらも、行って死んでも、行って死ぬように、私たちが忠誠を尽くして、行かなければならない道がまさに信仰の道なのに、今日、皆さんが本当にそのように行こうとするならば、サタンに勝たなければなりません。サタンを屈伏させなければならないのです。サタンが来て、頭を下げながら、間違っていました。あなたは神様の息子、娘であり、私は、この本当にエデンの園でアダムとエバを堕落させたサタンです。そして、自己正体を明らかにして置いて、間違っていたと告白する時に、私たちは、天の側になるのです。

サタンが認めながら、私は間違っている、この人は本当に神の娘であり。神の子です、という、この声を聞かなければならないのですが、ところが、不思議なことに、信仰の道はどうかと言えば、神の息子と娘になろうとすれば、サタンからこの人は正しい人!この人は義人です!この人は天の側に立った人です!この人は、神様のものです!

そして、サタンが領収書を書いて与えなければならないというのです。領収書を受け取ることができないならば、天の国には行けません。そのため、この領収書を受け取るということが、そのように本当に簡単なことではないのです。ヤコブはどのようにしたのかと言えば、ヤボク川で、その神様が、ヤコブが21年の間に道を究めて戻ってきたのですが、どのようにしたのかと言えば、ヤボク川の浅瀬に天使を連れて来て一緒に相撲をさせました。相撲をするのですが、この相撲にヤコブは血統が重要であることを知っていたのです。神様の側に重要であることを知っていたのです。本当に私は正しい道を行かなければならないということを感じたのです。それで、天使と共に相撲をするのに、どのようにしたのかと言えば、天使が非常に力を出して、この手を置きなさい、この手を置きさえすれば、私は勝つことができるから置けと言った時、このヤコブは手を置かなかったのです。最後まで戦うのに、腰骨を天使の腰骨を折ったのです。腰骨を折りながらまでやって、その戦いに勝ったのです。その時の、そのヤコブの深刻な心は、言葉では言い尽くせません。天使は深刻ではなかったのです。ただ、形式的に、儀式的に、きちんとただしたのですが、このヤコブは... 本当に死ぬ境地に入って相撲をしてきたのです

そのため、今日、私たちもどのような道を行かなければならないのでしょうか? このヤコブ、ヤコブのような深刻な心を持って、私の生活の中で、サタンが、一日も何度も侵犯して入って来て、その時に一緒に戦って勝つことができる、一緒に戦ってサタンを屈伏させることができる私たちにならなければならないのです。サタン屈伏資格者にならなければ、神様の側にも立つことができず、私たちは、天の国に入ることができない、その時は、サタンが私たちに、勝ったという領収書を与えることができないのです。天国に入ろうとすれば、サタンから天国に入るチケットを受け取らなければならないのですが、このチケットをどのように受け取るのかと言えば、サタンを屈伏させる時だけ、受け取ることができます。今日、皆さんがサタン屈伏を屈服資格者になって、サタンが本当に私たちの前に来て、神様の娘です。神様の息子です。私は... エデンの園で誤ってそうしたのです。他の事ではありません。そして、自己弁明よりも本当に、自分の誤りを出しておいて、ここで天使と共に戦ってヤコブは勝ったのです。

今日私たちも天使と一緒に、サタンと一緒に戦って勝たなければなりません。負けてはダメなのです。それで、最も重要なことは何かと言えば、どのくらい私たちがサタンを屈伏させて勝利した勝利者の姿を持って、私たちが信仰の道を行っているのか?このようなことが問題です。これができなくなると、神様は私たちを無視するのです。神様は私たちを、私はあなたを知らない。そして、否定するしかないのです。そうではないですか。聖書にマタイによる福音書7章22節にも私が主の名によって、サタンがを追い出し、主の名によって死んだ者まで生かすような奇跡を...行いましたが、そこにイエスは何と答えるかと言えば、この不法を、不法を行った者たちよ、わたしから遠く離れなさい、わたしはあなたを全く知らない。そのように言われながら、否定したのです。それほど、死んだ者まで生かす、そのような役割をしましたが、神様は知らないと否定をしたのです。

今日、皆さんも同じで、サタンと一緒に戦って勝つ生活をしなければなりません。天使との相撲でヤコブは勝ったのです。それは、ヤコブが神様に代わって、サタンを打つのです。なぜならは、サタンが先に打ったので、ヤコブも打つのです。私たちも同じです。サタンが先に打ったので、今日、私たちの生活の中にもみ言です。サタンがあれこれと侵犯して入って来ます。真の道を作る事ができないようにするのです。今日、この聖殿教会に出て来られる皆さんも、やはり同じようにもここに来るのに、ただ来ることができない!できないのです。本当にサタンと一緒に戦って勝った実績を持って、現れる時に来ることができるのであって、それがなければ、ここでむやみに入って来ることができません。

翻訳:ここまでJOHN、ここからJongjong

それで皆さんがこれからはどうすればいいのか。 あ、本当に私がサタンを屈服させた資格者になって万事私の行くところは神に代わってサタンと戦って勝つ私にならなければならないという心を持たなければならないのです。 それだけでなく、本当に神様がこのヤコブを21年間遠回りして帰って来たらああご苦労だった。 よくやったとこのように頭をなでてくれないといけないのに、そのまま天使と相撲をするようにして、それこそ、腰骨を折ってサタンを屈服させたのです。

今日私達の前にもそんなことがたくさんあります。このヤコブはですね。 21年間苦労をしたのですが、もしこの相撲で負けた場合は21年苦労してきたすべてが21年間も築いたすべてのものが一瞬で崩れるのです。 今日私たちの生活のうちの一瞬です。 一瞬で崩れることが多いのです。 瞬間! 1秒間に1分間に全部崩れるようになるのです。とても数十年間に苦労をしてきたのに、この一瞬ですべてを失ってしまって、すべてを崩して、全部が全部折れ曲がってしまったようなことが多いため、その時の瞬間、瞬間が私に近づいた時、あ!これは天の側のことなのか、サタンの側のことかをよく皆さんはこれをよく分別しなければならないことです。 よく分別をして本当に瞬間に崩壊させる私たちにならず、一生の間信仰の道を歩んできたことを保存し、守り、戦って勝利するようなこのような位置に私たちが入らなければならないのです。

ヤコブはどうしたのか。ヤコブは“私は死んでも、私が死ぬことがあっても私はこの手を離すことができません。サタンに対してこの手を放せないのですと言って、離さなかったのです。 だから私たちにもそういう、特に、統一食口はそのように私たちはお父様から育てられてきました。どれほど我々は本当に苦労をたくさんしましたか。 死ぬ境地に入っても、飢えの境地に入っても私たちは何をしたのかというと、本当にそのような場所でも私たちが勝って出たため、やっぱり私たちはお父様が育てて下さったその内容そのまま、お父様が戦ってきながら私たちに教えてくれたその内容通り私たちが受け取り、勝っていく時に我々は、天の側になることができます。天国に入ることができるチケットを受けとることができます。 (拍手)

どれほど貴重なことでしょうか。そうではないですか? これを受けとらなければ、私たちは本当にかわいそうな位置に立ってしまいます。世の中で悪口をいっぱい言われて、本当に統一教の食口だと悪口をたくさん言われてきたのに、今はまた、聖殿食口だと悪口をまたとてもたくさん言われて、人間扱いをされずに来ていますが、今日、我々はどのような立場に入って行かなければならないのか。 戦って負けたら、私は本当に地獄の子になってしまう。負けたら、私が一生の間に歩んできたことが一瞬にして崩れてしまうということを考え、みなさんがそれをよく分別しなければなりません。

もし、私の命を差し出さなければならなかったのです。 昔の言葉で、皆さんがよくご存じの内容ですが、ゴリアテ大将です。 ゴリアテ大将は本当に幼い少年そのダビデが、その大将と戦って勝たなければならないと言って、浜に行って石を拾って、そしてどのようにしたのかというと、その石一つを持ってゴリアテと戦う上で、その石にそのまま糸をつけてぐるぐる回しながら来るから。あ、あれふざけてあの子がふざけているのだ。あの子が今、私をからかおうとしているのではないかと考えて、一つも重要に考えていませんでした。 しかし、彼はその石をペリシテ人大将ゴリアテの額に的中させました。彼はそこでやられてしまったのです。 今日これをめぐって我々が何を考えなければならないのというと本当に、ゴリアテは何ということもない、二十歳にも満たない子供に負けてしまったということです。

私たちも同様にそうすることができる立場に立たなければならないのです。 ゴリアテはダビデが石を回しながら現れたときに、彼は何でもないことのように思いましたが、そこに負けてしまったのです。 私たちも同様に油断しているときに何でもないことだと、そのまま信仰の道を行くのだといいますが、これには本当に命を差し出して、命をかけて私たちが歩まなければ、天の側に神様の息子と娘の立場に立つことができないのです。それだけでなく、さらに私たちが知らなければならないことは、サタンと私は戦っているということをいつも意識しながら生きなければなりません。 それでその戦いには私は決して負けてはいけないという決心をまたしなければならないのです。それだけでなく、サタンが怖くて私ともうこれ以上闘ったらさんざんな目に合いそうだとサタン自身が両手をあげて降伏して、頭を下げて私たちに現れるようになる時に私たちは天国に入ることができる貴重なチケットをサタンから受け取るのです。 サタンから受け取った上で、その次にイエス様からチケットを受け取らないといけないし、お父様から受け取らなければならないし、最後には神様から天国のチケットを我々は本当に受けなければならないのです。

そのためには、私たちはサタンに両手をあげるようにさせなければなりません。 ただやるのではなく、サタンが“私が間違っていました。私はいくら見てもサタンです。あなたは神様の息子です。 娘です。”とこのように証明してくれるその場に私たちが入っていく時に、私たちは本当に勝利した人となることができるのです。本当にその時に神様は私たちを天の側へ立てて下さるのです。それで皆さんも、決して負けないその心を持ってサタンが私たちに降伏することができ、両手をあげて私たちに実に間違ったと言え、サタンに勝つことができる境地に私たちが入らなければならないのです。そのような境地に入るには今日私たちが本当に決意をしなければならないのです。どのような決意をしなければならないかというと、命をかけて戦って勝たなければ、私は生きられないというこのような決意をしなければなりません。 そのような決意をしていくときに、神様はさらに味方になって私たちを守ってくれるのです。
ヤコブは非常に深刻だったのです。

今日私たちも信仰の道を深刻に歩いていかなければならないし、ただ優柔不断に無造作に軽く生きていてはいけないのです。 それで今日朝私が申し上げるのは、このように昔ヤコブ、モーセ、イエス様、天国を得るために探すために彼らはエデンの園から失われたすべての間違ったものをどのようにしたのかというと、そこで勝って出てきました。腰骨を折ったというのは蕩減したということです。 エデンの園で腰骨を間違えて使って堕落したことをここで蕩減していたわけです。 そのため、我々は、信仰の道を行くのに命をかけて、どうすればいいのかというと、闘わなければなりません。
私たち統一教会の食口が、本当にお父様が教えて下さったようにしたなら、我々は勝利しても余りあるのだけれども我々は、そんなふうには生きられませんでした。 お父様のみ言葉をただ聞いて、ただ行ってというようにして生きてきたため、結果はよくなかったのです。 今日私たち本当に統一食口が本当にヤコブと共に、モーセと共に、イエス様と共に一代を民族を世界を全部天の側に立てても余りあるそんな私たちにならなければならないのです。

それで私が今日考えていることは、ほかでもなく、まず皆さんが“私は神様の子供だ、私たちはどこにどのように行ったとしても変わらず、その心を守っていくことができている我々になければならないのです。 それだけでなく、私たちが知らなければならないことは、他でもなく、神様がおっしゃった、お父様がおっしゃったそのみ言葉を私が神様の子供になるためにはサタンに勝利したというそのような立場に立ってこそなるということです。神様に私たちはどのようにしなければならないのかというと、この天国に行くことができるチケットを私たちは受け取って勝利したという立場に私たちが立ってこそなるのです。 地上で私たちは天国に行くことができるという信念と確信を100%100%持って、絶対的な何を持たなければいけないかというと、絶対的な準備をしなければならないということです。 準備なくなされてはいけないのです。 それでマタイ福音5章にも書かれています。

「あわれみ深い人たちは、さいわいである、彼らはあわれみを受けるであろう」(5章7節)神様の息子として娘として現れうるあわれみがまさにここにあるのです。天使は深刻ではなかったのです。 サタンらは、天の側に立っていない人たちは深刻ではないのです。本当天の側に立っている人たちは、最後まで戦って天使の腰骨をわざと折ったように、私たちもそういう境地に行かないといけないということを今日この朝、皆さんがちょっと感じてくれると嬉しいです。

私はこれをちょっと考えてみました。 お父様に私は叩かれながらも、どのように耐えて来たのかわかりませんが。(笑い)叩かれました。そうして、一度お父様がおっしゃいました。「 私にぶたれた人、手を上げてみろ」私は一番前に座っていたから手をさっと挙げました。 「そうなぜぶたれたのか。」 そうおっしゃったので、お父様が何かをしろとおっしゃったたのに、私がしなかったら、あーお父様はどれほど腹が立ったのか台所にまで降りてきて、ここ(腕をたたきながら)を叩きました。それで私が殴られました。 殴られて私は心の中で思いました。

再臨主だという方が何をためにこんなに人を殴ってまでこんなに皆に悪いことを見せるかな。(笑い)その時はそのように思ったのですが。お父様が何とおっしゃったかというと、なぜ叩かれたのかというと、(神様を)信じていないその人たちと一緒に仕事するところに行って、一緒に働きなさいということをいわれました。私はそんなことしてみたこともなかったし、(神様を)信じない人たち、たばこを吸って、お酒を飲む人が来て労働しているところで、私もそこに交じってしろというのです。 それで私が私はしませんというと、お父様は本当にできないのか?と言われるので、できませんと言いました。 そうすると私も怖くて台所にさーっと逃げたら、台所にまで追いかけてきて、ここ(腕の所)を2,3回殴られました。どれ程痛いのかわからないよ。(笑い)

殴られてまで信仰の道を行かなければいけないのか。 私はこのようにたくさん考えました。 その時お父様が言った言葉が何かというと、憎くて叩くことはない。本当に実践してそのままなされるときに天の民になって、天の眷属になるためだ。 愛しているから私が叩いたのだ。このようなお話をされたこともあったのです。

そのために万事を私たちは命をかけて、本当に戦って獲得して、戦って勝利して、戦って私たちはサタンを屈服させるこのような信仰を私たちが持っていなければならないと思います。本当に行く道は、人からの試験も多く、神様からの試験も多く、指導者からの試験もいろいろたくさんありますが、そのたびに我々は、あ!これはもちろん、私が誤ってなされているものも多いが、神様がさせてくれたものと思ったら、勝つことができます。 神様がこのようにさせた。そう考えるといいのです。私がそれに勝とうとするとどれほど大変ですか? 大変ですが、神様が私をこのようにしてでも勝利できるようにし、この場に立てたいのだと思ったら、あまり難しくはないのです。

それで私はそんなこと、その勉強をちょっとたくさんしました。 誰かが何かの話をすれば、それはあの人がしている話ではない。神様がさせているのだ! そう考えると私が勝っていくことができたのです。 今日皆様も誰かが皆さんを迫害したり、誰かが皆さんたちにいろいろ問題を起こしたりして、皆さんが心痛いようにするときにその時どのように考えるのか。 神様が私を愛しているから、あのようにさせて、私がこの道を勝利するように、この道を本当にまっすぐ行くことができるようにしてくださる。 こう考えればそれが一つも間違ったものとはならないのです。

だからお父様が困難な道を歩きながらも、イエス様もそうだったですが、恩讐の前に立って、イエス様は何とおっしゃったかというと、私を殺そうとする恩讐の前に立っても彼のために愛する心を持って祈ってくれたのです。 それがどれほど偉大なことでしょうか? 今日私たちも同じように、そういう心を持って、何事にも勝利していくなら、今日、天国はですね。 自然的に訪れるのです。 自動的に訪れるのです。 誰かが天国を送ってくれるのではないのです。 本当に誰かが送ってくれるのではなく、サタンの試験を勝ち抜いて、また、あらゆる困難な過程を私たちが勝ってサタンを屈服させていく時に天国は自動的に私を訪れことができるのです。 それで皆さんは自動的に天国が訪れるそんな生活をしなければなりません。

ゴリアテは本当にサタン側を象徴するいわば共産党と同じです。
しかし今日私たちはどうしなければいけないのかというと、誰が何を言っても、どうしたとしても、戦って私たちが出来るものではなく、本当にイエスや一緒に神様と一緒に彼のためにお祈りしてあげながら祈って。かわいそうに思って祈って、私達が本当にそこで神様に彼らの罪を彼らに返さず許してほしいというそのような心を持って出るときに我々が勝利しているのです。 私たちが勝つのです。

だから今日の私たちは、勝たなければなりません。 サタンを屈服させて勝つことができる我々自身になるべきであり、そのままではいけないのです。 それで私たちがサタン屈服資格者になれるように神様が、イエス様が、ひいてはお父様が私たちのために本当にいいところに送ってやる為にいつも言っていた言葉は、死なずに最後まで生きろ! このようなお話をたくさんされました。 なぜなら死んだらいけません。 生きている時に生きている間に私たちは勝って戦って勝利して、私たちは生きている間に人生として本当に行かなければならない目的達成をみんな行くことができなければいけません。これができなくなるときはサタンに負ける敗北者になるしかないです。
それで私たち聖殿食口も敗北者にならず勝つ勝利者として、堂々としても余りある準備を私たちは今、しなければなりません。

それで本当にお父様が私たちに教えて下さったみ言葉そのままを我々が実践するならば、ここには驚くようなことが現れるでしょう。 それで私たちは、祈る度に神様、私にあるすべてを奪って行ってもいいです。 しかし、私は神様の息子で、 娘だというこの縁だけは切らずに、この縁を結び、我々にとって、その国の主人になり、その国の師匠になることができるように神様守ってくださいという気持ちを持ってくださって信仰の道を勝利しなければいけません。

本当に信仰するということは本当に簡単なことではありません。憎む人がいるが、この憎む人を愛さなければならないといことはどんなに大変ですか? しかし、イエス様も神様もお父様も昔はみんなそうでした。本当に反対する人たちたくさんいましたが、反対する人の子供たちの教育までもお父様は気を使って、私がこれをしなければならないとお父様はおっしゃいながらお金をどっさりくださり、役事をしてくれたのです。 同じく、私たちもお父様のこのようなことができるという気構えを学んで勝ち抜いていく皆さんになるときにここには驚くべき勝利が私たちにやってくるでしょう。

翻訳;ここまでJongjong、ここからMinion

1:20:20
今日皆様に、最後に私が一言申し上げたいのですが、いつであっても命をかけて、深刻な立場で信仰の道を勝ちながら行かなければなりません。サタンと戦って勝って、サタンを屈服をさせてサタンが頭を下げながら、「あー、もういいです。」ということができる立場に入らなければなりません。

昔、お父様は、私がある冊子を通して見た話ですが、どんな内容かと言いますと、8.15解放になった時に、お父様はどのように仰ったかと言いますと、日本の人々をたくさん…日本の警察もたくさん助けてくださったと私は聞いた話もあります。

日本人にはどのような話しをされたかと言いますと、「韓国人は恐ろしいところが多い。だからあなたたちはここにいたらいつ死ぬかも分からないから早く早く日本に帰りなさい。」と。それで早く日本へ帰った人は生きることができましたが、早く帰ることができず、韓国人から殴られて死んだ人たちもたくさんいたのです。そのくらいお父様は日本の食口をとても重要に考えて下さいました。

そしてお父様は最後に、今から日本が敗戦してあんなに可哀想な立場に直面しているが、お父様が何と仰ったかといいますと、いつの日か復帰摂理歴史がこの地に成される時は、日本の国が日本の国民が本当にどうするかと言ったら、み旨の一線で命を出して戦う時が必ず来るだろう。このような心を持って祈祷されたのです。
その話を私が聴いて日本に行って話すと、日本食口が泣きながら、ここでもあそこでも皆が、泣いてる人がたくさんいました。
それで日本巡回が終わった後にお父様に行って聞いてみました。
お父様、本当に解放されたときに日本人・・・当時は日本人がたくさん韓国に来て住んでいたじゃないですか。日本人たちのために祈り、日本の人々にそれこそ勧告してくださって、御言葉を話してくださり、愛してくれた例がありますか?と、私が聞いてみました。聞いてみたらお父様が何と仰ったかというと、「事実そうした」と言われたのです。

今日世界…私は巡回をたくさんして見て分かるのですが、世界のどこに行っても、日本食口が本当に先頭に立って、手本となって仕事をしているのを見て私も感動をたくさんしました。それで私がお父様に聞きました。「お父様、日本の食口のために祈れば、熱い涙が流れるのですが、韓国の人たちよりも日本の人々のためにする時、はるかに熱い涙があふれます。」このように申し上げたらお父様は何と仰ったかというと、日本人は自分がないということです。自分がない。ただひたすらみ旨、み旨のために、全体を捧げて投入するのだと言われたのです。

そのためにお金が一銭もなくても借金をしてでも献金するような国の民はいません。韓国人にそのような話をすれば笑います。「何でお金がないのに借金をして献金をするのか」と、しかし、日本人は本当にそうします。そのためにお父様は「日本人には自分がない。本当にみ旨のために差し上げ捧げてももっとしたい。そのような心を持っているため、神様が愛して、あなたが日本人のために祈れば熱い涙が出るのだ。」このようなことを仰いました。

今日それで世界のどこに行っても、ここも日本食口たちが来ていますが、どこに行って見ても彼らが一番手本となる生活を して本当に言い表わ苦労をしながらも苦労と考えずにこれがみ旨をために天の為にお父様のために捧げることであると知って彼らは生活するのです。
1:25:13

本当に見たら、借金が山ほど多いのですが、献金しなさいと言ったらそれでも彼らは楽しい気持ちで率先しているこの民族・・・韓国の人はそのようなことはできません。
ですからお父様は日本の食口を本当にありがたく、感謝に思っています。私が韓国にいるときもそうでした。日本の幹部の女性達が来られたら、パッと行って服も買って韓服も、韓服、私もそれで韓服を借りて着たのですが、全てして下さいます。そのために今日皆様も、日本の食口が韓国に来て苦労するのをありがたく、感謝しながら、一つの志を地上に立たせるために犠牲の財物と共にあの人たちが全ての物を差し上げて捧げて注ぎながらしているというこれを、私たちはありがたく思わなければならないことです。
今日は日本の食口たちは数人しか来ていないようですね。(笑)
うん、そのように生きていかれることを願います。

それで私が今日、最後に一言だけ差し上げます。
今から私たちが知らなければならないことが何かといえば、昔 お父様は、本当にお父様の立場で見たら、日本民族は恩讐でした。恩讐でしたが、しかし日本が敗戦した後には、本当に追われただけでなく、かわいそうに暮らしている(日本)民族のために激励をたくさんしてくださり、祈祷を沢山してくださったので、今日、日本食口が前線に立って自分たちの全てを犠牲にしています。今は韓国食口よりも日本食口の数がはるかにとても多いです。私が巡回をしてみたので分かるのですが。
それで日本民族をお父様が愛してくださった、それだけでなくさらには、その時お父様はこう仰いました。「日本人たちは韓国に来て苦労を沢山しているが、今、本当に真に天の戦いが始まった時は、つまり復帰歴史が始まるその時には、日本の国と日本の国民達が、先頭に立って先頭に立って戦うようにして下さい」と精誠を尽くして祈祷をたくさんされたその歴史を私達は記憶しなければなりません。

日本の多くの若者たちが今どうしていますか。今お父様に永遠の命をかけて忠誠を尽くすのか、私たちはこれを知らなければなりません。因果法則によって恩を返さないとしたらいけません。それだけ日本のためにお父様が誠意を込めて祈祷して下さった故に、今、日本の食口が日本の国が、日本食口が本当に先頭に立って仕事をしています。お父様が国家を超えて神様の心情的な御旨に従って、世界に向かってサタンを本当にどのようにしたのかと言いますと、サタンに勝ったため、国家的な恩讐を愛していく道にお父様は導いてこられたのです。

今日ここにいらっしゃる皆さん。韓国の人は本当にこれに比べたら、日本食口が全て献金し、(日本食口の)信仰に比べたら、私達がしたことは本当に少ないのです。
お父様がそれで仰ったみ言がどの様なことかと言えば、私が「お父様、本当に日本食口のために祈祷されたことがありますか?」と聞いてみたところ、「実際祈祷された」ということです。このような歴史が、これは誰も知らない秘密のような話ですが、そう仰いました。祈祷したという話を聞いて私は日本の食口を仰ぎみて祈る度に、本当に日本の食口のために祈る度に、熱い涙があふれる時が多かったのです。それでお父様に聞いてみたところ何と仰ったかと言えば、
「日本人は本当にただひたすら天の御旨だけのために、韓国人たちを見ては、本当に(韓国人)より先頭に立ってやっていく、そのことを見るたびに、ここにお父様も頭を下げざるを得ない」
という話をされました。

今日ここにいらっしゃる皆さんもそんなことを思って、日本食口が韓国に来てこんなに苦労しながら信仰することを、韓国に来たのが、・・・今は米国ですね。ここで、皆さんが本当に先頭に立って天の前に精誠を尽くしていることを私達が見る度に、貴重に見ながら私たちが祈祷をたくさんしてもっと仕事ができるようにしなければなりません。お父様が日本のために祈祷をたくさんしたということを、皆さんはお父様に本当に感謝しながらありがたくしなければならないことです。

祈祷してくださったから今彼らが熱心にして...私は江利川さんがここに来て熱心に働くのを見て本当に感動を受けて頭を下げました。お父様の御言葉、下さった原理の言葉を中心して、そのごとくに生きると同時にさらにはこの地上に神様の天一国、天一国を成すために気を使われる江利川さんのその姿を見ながら、頭を下げ、誰を見ても私がこの話をしました。どれだけ苦労をたくさんしておられるか分かりません。今も聖殿教会に入って本当に自分の命を差し出したのと同じような苦労の多い生活を今されています。今日私達の胸の底から湧き上がる心情を持って私たちも負けないで本当に戦って勝利できる私たちにならなければなりません。

それで今日私が申し上げたいことは、サタンに勝つことができる、サタンと戦って勝利できる、(ということ)だけでなく、さらに今日私たちが勝利の凱歌を歌うその日まで、歩んで最後に、今日、この統一教会に入ってきた来て辞めた人、10年、20年、30年、30年したらたくさんやめて、入ってきて落ちる食口があまりにも多いのです。
しかし、今日ここ座った皆さんは、ここで出会った縁、ここで切らないで、永遠の世界に行って生きるその日まで。共に残りましょう。共に私たちは残らなければなりません。そうでなければどれほど苦労をたくさんして精誠を尽くしたとしても、途中で落ちてしまったら無駄になってしまいます。ですから終わりまで、本当に神様の不変の心情、それを持って最後まで最後まで、私達は倒れる人にならないで、残って最後まで勝利する私たちにならなかったら、苦労した甲斐がある朝一瞬間にして倒れてなくなってしまいます。

ですから私たちが、・・・この聖殿教会は今ソウルでも大騒ぎです。みな反対しろと、今そうしていますが、私たちは恐れずに、怖がらないで、昔、先知先烈たちが歩いた道は、これよりも更に、刑務所で死んだ人が多く、殉教した人々がどんなに多いですか。それでもみ旨を成し遂げて守ろうと苦労してきたために、今日の私たちもそのような殉教の精神を持って、本当に最後まで耐えて忍んで私たちがこれを勝利していく時にすべてが私に大きなものとなって帰って来るのです。途中で下車したら、どんなに苦労した先知先烈であっても何の意味もありません。

それで、ここに座った皆さんは、私たちが霊界に行っても、本当に共に顔と顔を合わせながら苦労をしながら戦ってきた私たちではないですか?ここに来て私たちがこのように会うようになってどれほど感謝ですか?
できるというこの心を、この心情を、お父様のこの精神を、私達も持つようにしましょう。そして少数の群れがしていますが、今からは本当に伝道して、多くの人にこれを教えてあげないといけません。
私たちは、そうではないですか?
二代王様をお父様が立てられました。悪口をたくさん言われて、二代王様もたくさん言われて、従う人たちも悪口を言われるのです。悪口を言われて、今私したちがついていってますが、本当にお父様は遺言と共にお話しされました。二代王であり、カインとアベルが一つになれなかったことを、カインとアベルが勝利して立つことができるようにしてくれました。

また、更にはこれをどのようにされたかと言いますと、3度もお父様は王様を立てて祈祷されて精誠を尽くして、勝つことができるように全てされましたが、お父様のみ言葉も聞かないこのような時になって、このようなことが起きていることを見る時に、本当に終わりの日が来たのだ、最後の時がきたので、お父様の御言葉もお父様のみ言葉として受け入れず、彼らが別の道を歩いている事を思う時に、今日私たちは本当にこれを、まさにして立てなければなりません。正しく立てて、お父様が話された御言葉でありますので、これを私たちも命をかけて守って戦って本当に勝利して、勝利の栄光を神様にお返しして、真のお父様にお返しして、また、勝利の栄光を私達の二代王様をして地上で王の席で行使して、王の席で役事することができるその基盤を私達が生きてこれを作らなければなりません。

それでこれを作る為に私の情熱を捧げて、内的に外的に捧げても不足を感じるその心を持つ時に、神様は私たちを訪れて役事してくださり協助してくださり、また、私たちを導いて戦って勝利できるその場に私たちを立ててくださいます。その役事を、私達ができるようにたくさん祈祷して精誠を尽くして、誰かの悪口を言うことよりも、本当に成し遂げならない、私たちが大きくならなければならない、私たちがしなければ駄目だというこのような心を持って、このような精誠を尽くす時に神様は私達の味方になって役事して下さり、お父様も味方になって役事を今して下さっています。

それだけでなく、更に二代王様を中心して、ここに三代王権が成し遂げられるようになり、さらに私達が本当に予想できなかった驚くべき勝利の歴史がこの地で今日ここから成し遂げられるように、私達が精誠を一度尽くしてお祈りをささげて私たちができるようにしてみましょう。
祈祷いたしましょう。
1:40:18
ー 祈祷 ー

愛なる天のお父様
今日貴重な時間を私たちに下さり、私たちをして真のみ旨を知るようにして下さった恩賜に感謝申し上げます。真を本当に理解できず真を踏みにじるこのような時になって、天にましますお父様が心を痛めて、どれほどどれほど苦痛を受けておられるかを考えて、私たちをして、真に神様が私に何を望んで願っておられるかを正しく知ることができるようにしてくださり真のお父様が霊界でどれほど心を絞りながら2代王様に話された内容がそのまま行われるようにして下さいと、どれほど真のお父様が精誠を捧げておられるかということを私たちをして知って悟れるようにしてください。

そして真に私たちをもって、この地で成そうとされた真の二代王としての責任をすべてで成すことができるように導いてくださることを懇切に願います。私たちには何の力もなく、能力もなく、様々なことがありませんが、神様が、生きておられる神様が私達を訪ねて下さり、同行同事同力してくださる時にはできないものがないことを私たちが知っておりますので、天のお父様、本当に不足な私たちですが、私たちを通してこの地上にお父様が成し遂げ望んでいらしたその世界をそのみ旨を成就してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。霊界に行っているすべての霊人の聖徒たちも、今日ここに歩みを合わせてこの御旨に同じ同士となって御旨がなせるよう共にしてくれますことを懇切にお願い申し上げます。

二代王様、お父様が、本当に健康で心と体が一つになった位置でお父様が願われた事を後継者としての責任を全て成されるようにして下さり相続者としての責任を全て成されるようにして下さりお父様の代身者としての責任を全て成されるように、お父様、ともになして下さることを懇切に願います。人が責任として何かをしようとしてなるのではありません。神様が共にしてくださりお父様が共にしてくださりイエス様が共にしてくださり、全霊界が共にしてくださり、更には本当に天のお父様がが望まれて来られた所願でありますから、その通りに成されなければなりません。 全天宙がここに来て共になすことによって、み旨が天で行われるごとく地でも成されるというみ言葉のごとく、み旨が成されるようにしてくださることを懇切にお願いします。

今や、自分たちも知らず、知らなかった人たちが知っていたかのように共にここに向かって訪ねて来ることができる驚くべき勝利の歴史がここに現れるができるようにしてください。私がするのではなく、お父様がなされるので、霊界がなして天宙が一つになってなすことでありますので、神が共になしてくださることを懇切に願います。

今日このように共に私たちが喜ばしい顔をあげて対しながら言葉を交わすようにして下さった恩賜に感謝申し上げます。 
これから私たちをもって、心を尽くし志を尽くし精誠を尽くしてすべての全体を差し上げ捧げ注ぎながら、この道を成就させて勝利できる私たちになるようにしてくださることを信じながら、このすべての言葉を祝福中心家庭康賢實の名前で切にご報告しおささげ申しあげます。アジュ。

さあ今日のお話をこれで終わることにします。ありがとうございます。皆さんこんなに来て下さって。

エルダー部長:真のお母様、ありがとうございます。貴重なみ言葉をありがとうございます。そしてもう一度拍手をお願いします。


あ、拍手しなくても大丈夫です。

エルダー部長:本当にありがとうございます。それでは讃美チームが出て今日の讃美をしましょう


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