Monday, April 4, 2016

王国の刈り入れ■二代王説教(日本語訳)4月3日

KIngdom Harvest (Sunday, April 3, 2016) Matt. 6:33

Kingdom Harvest - April 3, 2016 - Rev. Hyung Jin Moon - Sanctuary Church Newfoundland PA


今日は「王国の刈入れ」についてお話しましょう。
過去2週間に渡って、この聖句に焦点を合わせてお話してきました。
マタイによる福音書
6章33節
「まず神の国と神の義を求めなさい。
そうすれば、これらのものは全て添えて与えられるであろう。」
イエス様が語られた福音とは何でしょうか。
それはとても重要な問いですね。
一般的なクリスチャンの宗教に於いては何世紀にも渡って教えられてきた事ですが、特にコンスタンティヌス皇帝によって国教となった後に始められた福音の教えは益々限定され、個人の救いのみに焦点が当てられるようになってきました。もちろん、個人の救いは重要です。とても重要です。アーメン。
しかし、イエス様が語られた福音とは何だったでしょうか? 何を成すためにイエス様は来られたと言われたのでしょうか? この事ゆえに”宗教”という概念を取り除いて実際に福音書を見てみることが重要なので
私達は皆、キリストが”宗教”を創るために来られたのではなく、人々がイエス様を通して神との心情関係を結ぶことを求めておられたことを知っています。イエス様は心情の王国を築くことを望まれたのです。
マタイによる福音書、6章33節ではとても明白に言われています。「まず神の国を求めよ」と。 まず初めに神の王国を求めなければなりません。最初にあなた方がしなければならないことは神の王国を求めることです。まず初めに神の国を求め、そして神の正義を求めなさい。そうすれば全て添えて与えられるでしょう。
しかし弟子たちは何を着ようか、何をどのように食べようか、何を飲もうか、水はどのようにして得ようか、休息場所はどうするのか等あれこれ思い悩んだのです。それでイエス様は「そうではなく、まず神の国と神の正義を求めなさい。そうすれば全て添えて与えられるであろう。」とたしなめられたのでした。
今日、クリスチャンの”宗教”が焦点を当てている聖句が「ヨハネによる福音書3章16節」ですが、キリスト教神学の核とも言うべきものです。
ヨハネによる福音書
3章16節
「神は、実に、その独り子を賜ったほどにこの世を愛して下さった。それは御子を信じるものが、ひとりとして滅びることなく、永遠の生命を得るためである。」
基本的にはイエス様は私達のために亡くなられました。そうですね?
彼を信じる全ての人々が滅びることなく永遠の命を与えられるために。
私たちは十字架の救いが無かったとは言っていません。
十字架が救いをもたらしたのは事実です。それは本当のことです。
しかしながら、それと同時にイエス様が語られた「福音」とは何だったのでしょうか? どのような定義をもって福音を述べられていたのでしょうか?
「福音」とは「良き知らせ」のことですね。
では「良き知らせ」とは何のことでしょうか?
マタイによる福音書
10章7節です。
「行って、『天国が近づいた』と述べ伝えよ。」
イエス様は「行って、私が十字架で死ぬと述べ伝えよ」とは言われませんでした。彼は民衆のいる公の場ではただの一度も自分が死ぬだろうとは話されませんでした。 
事実、十字架の福音についても大衆の前でひと言も説教されていません。死んで3日後に復活することを公に話されたこともありません。
身近な弟子たちとの個人的な集まりでは亡くなる直前に「私は死ななければならない」と話はされましたが...
イエス自身の言葉で次の聖句のように述べられています。
ルカの福音書
4章43節
しかしイエスは、「私は他の町々にも神の国の福音を述べ伝えねばならない。自分はその為に使わされたのである。」と言われた。
正規のキリスト教神学や、一般のクリスチャンの宗教は
「イエス様は私たちの(命の)為に来られ、亡くなられた」のだと教えています。しかしイエスキリストは宗教を創るために来られたのでもなく、それを国教にするために来られたのでもありません。 アーメン
イエス様の福音は十字架での死や、復活や、復活祭について説かれたのではありません。彼が来られた理由は ”神の王国”の福音を広く伝播されるためだったのです。考えてみてください。
過去に、古代ローマにおいてキリスト教が国教となったことがありましたが、当時そこには既存の王国が存在していました。そしてその王国の中にいた為”王国”という言葉さえ使うことができなかったのです。
例えば韓国でも、聖書が韓国語に翻訳された1800年代の終わり頃は、当時の王国が存在し皇帝が在籍している時でした。
「神の王国」という言葉は使えず、「神の国」と訳されていたのです。なぜなら、クリスチャンである彼ら自身が住んでいる既存の王国の感情を害し、怒りを買いたくなかったからです。
キリスト教という宗教は、彼らが伝道する際「王国」という言葉を語るのを避けたのです。彼らが語る神の国とは、何処か別の世界にあるかのような判然としないものでした。
イエス様は弟子たちに「神の王国が天に成されるように、この地にも成されますようにと祈りなさい。」と言われていたのです。具体的にこの地上にです!
問題はクリスチャン達がイエス様が語られた福音の本来のメッセージを失ってしまい、既存の宗教と化してしまったことです。キリスト教は神やイエス様との心情関係を度外視した、ただの宗教になってしまいました。
再びルカによる福音書 4章43節を見てください。
「神の”王国”の福音を述べ伝えるために、そのために自分は来たのだ!」と言われているのです。驚くべき話です!
教会の中で生まれ育った全てのクリスチャン達は”宗教”となったキリスト教をして、「イエス様は私達の救いの為にこの地に来られ、死んで下さった」と教えられてきたのです。これが彼らにとっての福音だったのです。十字架が救いなのです。
私達は初期の教えから離れ、あまりにも宗教そのものになってしまいました。
王国の王との心情関係や結びつきがないのです。
このような話をあなた達が初めて聞くならきっと驚くことでしょう
「これは私の教会の教えではない!」と、「バブテストではない!」と
「ペンテコスタルではない!」と、「カトリックではない!」と、「エピスコパルではない!」と。
宗教に属するメンバーは神に気に入られようとします。でも王国は違います。あなたは神の王国の市民になるので関わる次元が異なります。
私達が十字架の福音を信じたのは”宗教”に教えられて来たからです。
宗教の伝統を教えられてきたのです。
自分で聖書を直接調べてみてください。
宗教にひざまずくのではなく、王の王に侍るのでなければなりません。
あなたの所属する宗教がどんなに居心地良くても、これが真実です。
イエス様が話される”良き知らせ”とはいったい何でしょうか?
神の王国の福音です! 十字架の福音ではありません!
マルコによる福音書
1章14節
「ヨハネが捕らえられた後、イエスは、ガリラヤに行き、神の福音を述べ伝えて言われた。」

福音とは神の王国についてのことなのです。

マタイによる福音書;9章35節
 イエスは、すべての町々村々を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病 気、あらゆるわずらいをおいやしになった。
マタイによる福音書;24章14節
 そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。
 そして今がまさに終末です。なぜなら誰かが天国のことを説いているからです。
 次にマタイ13章24節から30節まで読んでみましょう。
 2年以上前のことですが、まだ私がアメリカの会長だったころ、自分のお母さんに何の理由もなく 解雇される以前のことです。私はこの内容について説教していました。
 「良い性」対「悪い性」です。覚えていますか?
 良い性とは、結婚という神様との契約のもとにあってのものです。そして悪い性とは、結婚外での関係です。
 これらは、とても重要です。R組織体とK組織体の研究のことを覚えていますか?
 ここでは、経済と性の自由ということをみてみましょう。なぜなら性と政府の間には、関係があるのです。興味深いでしょう?普通、これらのことは結びつけませんが、性に対する態度と政府の間には、大きな関係があるのです。
 RとKを比べてみましょう。Rタイプは、性の欲望が強く多数の相手を望みます。自由経済市場では競争力に劣ります。経済の自由より、性の自由を好みます。経済的な決定が価値の概念を破壊してしまいます。
 正当な自由経済の中で競争しても、勝ち目がない、それだったら遺伝子をふりまいて子供をつくっていたほうがいい。
 たとえば、共産主義組織をみてみましょう。共産主義の革命を起こすとき、中国やロシアでは、社会革命のために性を使いました。どのように使いましたか。 
あなた方が今もっている道徳観は、古代原始宗教からのものだ。我々は自分で自分の道徳をきめることができる。そのように、伝統的な道徳を攻撃しました。そんなばかげた道徳を信じることはない。基本的に性を売りものにしました。
結婚などは、女にとって監獄のようなものだ。一生を獰猛な夫のためにみじめな主婦として終わるのか、等々。
実際は、結婚している女性のほうが幸せだという統計があるのですが。そして子供にとっても安全であるということもいえます。
 Rタイプは、経済的な自由よりも、性的な援助と免税をこのみます。性的な援助とは何ですか?
 もし大きな社会福祉政府であれば、政府から社会福祉の小切手の支給を受けるためには、離婚証明書をみせなければなりません。男が家にいないことを証明しなければいけません。ですから、社会福祉の政治下では、離婚率がとても高いのです。夫を追い出すことになり、最悪のことには、子供にとっては父親のいない危険な状況になります。
そのような、Rタイプの女性が、複数の男性と子供をつくっていったらどうなりますか?どんどん支給されていきます。
 ですから、これが性的態度と政府の関係なのです。人々はあまり気ずいていませんが、政府は、秩序のない性文化にお金を出しますか?契りを結んだ夫婦の性文化にお金をだしますか?秩序のない性です。 
これを性の援助といいます。Rタイプは、高い税金を払うよりは、複数の相手を持ち免税を受ける性の援助を好みます。無責任に対して報酬を受けるという低い性の基準と無節操な政府の政治を好みます。経済の自由よりは、性の自由をこのみます。これらを学んだことをおぼえていますか?
 Kタイプは、動物の世界でもいえることですが、Rタイプがうさぎやねずみなどの繁殖率の高い食物連鎖の世界では下の級であるのに対して,上の級の狼やライオンなどのように子供の数が少なく、脳が大きく知性が高く、性欲が低く、相手は限られています。実際、狼は一生同じ相手とすごします。 自由競争の世界で争う自信があります。Kタイプは、高い基準の相手を求めます。       
Kタイプは子供の数が少なく、子供に価値をおきますので、堕胎援助政策にも反対です。競争社会で戦って成功できるので、高いレベルの人と出会うことができます。それは、また高いレベルの遺伝子の組み合わせにつながっていきます。政府が行う、秩序ある人々を罰し、無責任な性的行為に対する援助政策を好みません。
 次に、 社会福祉と個人の慈善行為についてみてみましょう。このことも性と福祉に大きなかかわりがあります。
 イエス様はなんと教えましたか?大きな中央政府をつくり、たくさん税金を集め、富を分配することをとなえましたか?それとも貧しい人に施しなさい。我々一人ひとりに苦しんでいる人を助けるという責任がありますといいましたか?これが、慈善行為です。私たちは、自由意志により善意でもって困っている人を助けるという個人の責任をもっています。大きな政府が人々から税金を盗むことではありません。
 Rタイプの遺伝子をもった人たちの政治的立場の選択について見てみましょう。普通、革新的リベラルであり、社会、共産主義の傾向があります。社会福祉は、無責任な性を助長するので、Rタイプの人にはうってつけです。うさぎの、いつ狼に食べられるかわかからないので、なるだけ速く多く子供をつくるという遺伝子の態度です。ですから、Rタイプの人間は政府からお金を出してもらう福祉に頼る傾向があります。
 価値に対する概念が低くなり、経済に対する哲学にも影響し、このような環境に生まれついたのだ、抜け出す事などできないとあきらめ努力しません。ただ性行為に没頭しよう。そのようなのが、ヒッピーでしょう?
 社会福祉システムでは、つぎの世代のために投資する必要性が低下します。永久に物質が与えられるという妄想をもち、父親に対する敵対心を植え付けられます。社会福祉の小切手を受け取るために、男を追い出さなければならないことが、男に対する敵意をそだてます。父親のいない家庭の子供たちが、社会的な問題となっていきます。
最も重要なことは、子供のための健康、安定した収入、結婚、離婚率、職業、犯罪、など父親がいないことが、大きく影響します。お父さんです。お母さんよりも大切なのはお父さんです。お父さんのいない家庭で育った子供は、犯罪者になる率、低い教育レベル、離婚率、失業率が高くなり、無責任な性交渉に走りやすいなど、さまざまな問題をひきおこしています。ジョンソン大統領は、そのような黒人階級をターゲットにしました。民主党がしました。共和党ではありません。Dinesh D’souza がつくった映画がそのことをいっています。6月公開です。
 Kタイプは、自分の意志で奉仕活動を行います。イエス様が、愛は寛容であり、愛は情け深い。すべてを忍ぶなどいわれましたね。その愛というのは、実際には、奉仕ということです。
 自由意志の奉仕は責任のある性を助長します。関係を重要視するので、ともに働き、マリファナをすって家にとじこもっていることなどありません。奉仕は、価値の必要性をたかめ、経済的なことで決定されることを拒否することは、価値観をつよくします。価値のある相手を探します。そして次の世代のために投資します。物質の供給に限りがある現実を認識し、男性に対する敵対心もありません。父親が存在します。
 これらの2つのグループが、歴史的な政治的構成です。R側が、社会、共産主義で、K側が民主主義です。
 このことがイエス様のいわれていることです。
マタイによる福音書
13:24−30
24 また、ほかの譬を彼らに示して言われた。「天国は、良い種を自分の畑にまいておいた人のようである。25 人々が眠っている間に敵が来て、麦の中に毒麦をまいて立ち去った。
26 芽がはえ出て実を結ぶと、同時に毒麦もあらわれてきた。27 僕たちがきて、家の主人に言った、『ご主人様、畑におまきになったのは、良い種ではありませんでしたか。どうして毒麦がはえてきたのですか。』28 主人は言った、『それは敵の仕業だ』。すると僕たちが言った。『では行って、それを抜き集めましょうか』。29 彼は言った、『いや、毒麦を集めようとして麦も一緒に抜くかも知れない。30 収穫まで、両方とも育つままにしておけ。収穫の時になったら、刈るものに、まず毒麦を集めて束にして焼き、麦の方は集めて倉に入れてくれ、と言いつけよう』」。
 人がよい種をまいたけれども悪い人が来て悪い種をまいたとあります。以前の説教でも言ったと思いますがサタンが堕落を通して神がアダムとエバの結婚を通して願われた前に、堕落した悪いセックスのアイデアをもたらしたのです。エバを誘惑して堕落させました。反逆し自分のために生き、悪魔とセックスするのです。いって悪魔のクラブに入って遊ぶようになるというのです。これが政治とつながっているというのです。
マタイによる福音書
13:36−43
36 それからイエスは、群衆をあとに残して家にはいられた。すると弟子たちは、みもとにきて言った、「畑の毒麦の譬を説明してください。」。37 イエスは答えて言われた、「良い種をまく者は、人の子である。38 畑は世界である。良い種と言うのは御国の子たちで、毒麦は悪い者の子たちである。39 それをまいた敵は悪魔である。収穫とは世の終わりのことで、刈る者は御使たちである。40 だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそのとうりになるであろう。41 人の子はその使いたちをつかわし、つまずきとなるものと不法を行う者とを、ことごとく御国からとり集めて、42 炉の火に投げ入れさせるであろう。そこでは泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。43 そのとき、義人たちは彼らの父の御国で、太陽のように輝きわたるであろう。耳のある者は聞くがよい。
弟子が毒麦のことを聞いたときに、イエス様自身がこのように答えてます。よい種を蒔いたのは人の子である。よい種は王国の子供たちである。私たちは王国には慣れていません。
王国は太陽系のようなものです。全てが太陽を中心に回るのです。全ての惑星が太陽の周りを回るのです。王国では全ては何を中心として回りますか?王でしょう。イエス様が王国の王であれば全ての民は王を中心として回ります。
そうでしょう?よい種を巻いたのは人の子だとあります。キリストの種です。それがどこに?世界に広がっていくべきです。畑は世界です。人の子のよき種は神の子です。王国の子供たちは市民たちです。共同相続者です。神の子です。悪い子の種は悪魔によって蒔かれたものです。天使が刈り入れるとあります。人の子はその使たちをつかわし、つまずきとなるものと不法を行う者とを、ことごとく御国からとり集めて炉の火に投げ入れさせるであろう。
王国では神の子の子供たちがいます。毒麦は悪い者の子たちである。とあります。王国に悪い者がいるのです。王国に行くとハープを奏でて全てが完全で飛び回っているというような考えがありますが、イエス様自身が王国に悪魔によって蒔かれた悪いものがいるといっているのです。政治的には社会主義共産主義がRタイプです。共産主義です。民主主義のように見えても社会主義です。人々の頭脳が停止していてばかげています。
民主主義という言葉をつかっているだけで、社会主義です。
王国でも3世とか、話しましたが、裕福に生まれ、甘やかされ、いろいろなものを働く意欲もなく、タダで要求するようになり、腐敗することがありえるのです。どこの発展した社会でも起こります。そして彼らは社会主義に傾いていきます。100%共産主義に傾いていきます。
新未来派,新星未来派、民主的社会主義とか言ってます。頭脳が停止しています。
イエス様は分けられると言ってます。
刈る者は御使たちである。、、13:41 人の子はその使いたちをつかわし、、
天使は王国では執行者のようです。王国の何らかの執行者、それが天使です。いつも天使は霊的なものと語られてきました。天使、天の軍隊が降りてきて悪をやっつけるという感じです。
この天使という言葉をみてみましょう。
古代ギリシャ語ではアガロスと呼ばれる天使は メッセンジャーか代理人、 ”人間”  ”人間"  "人間" か ”超自然的な” 存在であるということです。私たちは普通は超自然的な存在としてみます。ここでは(マタイ11:10、ルカ7:24、ガラテヤ4:14、ヤコブ2:25)
人間が天使でもあるというのです。
これは重要な問題です。王国に関する根本的な内容があります。警察は飛び回って悪をやっつけている超自然的なものであるわけでは必ずしもないのです。
2005年にお父様がどうおっしゃってるか、みてみましょう。
神の理想家庭と平和、理想世界の王国
国連の平和活動を考えてみてください。時には任務を果たす前に軍隊を引き上げました。韓国動乱の時がそうでした。このような理由で、ウクライナにおいて10月20日に、120ヵ国のUPF発足ワールドツアーの間に、平和王国警察隊,平和王国軍の確立を人類の未来の繁栄のために宣言しました。この二つの組織が新しい世界において秩序と平和を守ります。人類はまだ分裂と自分の利益の罠にはまっています。天国到来の前の残党です。この二つの組織が天国到来のあと、真の愛によって人類を教育する前衛に立ちます。この教育の目的は真の個人、真の家庭、真の国、真の世界と、真の宇宙を造るためのものです。
イエスがおくると言っていた天使とはまさにこのことです。これは超自然的なものではありません。その責任を政府に頼るのではありません。天使を超自然的な存在としてだけ、とらえることにより問題が生ずるのです。
ある説教者がこのことを理由に、銃を政府に返して、政府の言う通りにするべきだというのです。私が実際にその説教を聞きました。それは間違っています。とても明確です。
ですから憲法がとても重要です。人々が王の権利を持つのです。イエスはあなたたちは自分と共同相続者で王国を共に統治していくと言ってます。社会主義や共産主義ではそれはできません。独裁制や5家庭とかで国のすべてを統治し、所有しているようなところではできません。
天一国によってだけできるのです。すべての市民が王の権限を持つのです。私有地の権利,主権を持ちます。そこに税をかけられることはありません。それは王の権利です。王国、領土を守る権利があるのです。
神の王国は実際の現実の王達と女王達の王国です。自由に交流し、自由に取引をします。自由と責任を実行できます。王の王によってつながっています。王の王によって神からの自由と契約が与えられます。それが天一国です。
お父様は平和王国と平和警察をこう言われました。政府の体とは中央政府ではなくて、市民です。市民が平和の警察になるのです。中央政府の警察を私が待つのではなくて、私が近所を守るのです。私が私の兄弟を守るのです。
ですから、銃の規制が大切になるのです。私達は、教会でこう教わりました。
天国とは政治をする所ではありません。彼らは聖書を読んでいません。どうしてそれが可能でしょうか?人々が集まるやいなや、政治が始まります。一度天国が来れば、何千年続きます。政治がなくてどうしますか?政治は生きています。どういうタイプの政治かというと、かつての政治は君主制で統治され、中央政権が力で武器や銃を持ちます。中国、韓 国、日本、アフリカ、ヨーロッパ、 そして南米などがそうです。市民から武器を奪いとり、政府の下に利用して軍隊を支配します。決して、絶対に、市民に力を与えません。
神様の王国が逆さまになっています。反対です。中央政権に支配されてはいけません。
力を使うという事は、中央政権に利用される事では、ありません。いろいろな所に利用されなければなりません。悪の勢力に対して点検して、均等を保たなければなりません。
悪が王国に入り込みます。黙示録を見れば、千年王国の事が書かれてあります。
サタンは、また、立ち上がると書いてあります。何人それを知っていますか?
サタンはもう一度立ち上がり破壊していきます。ですから、悪に対しても、点検して、均等を保たなければなりません。天一国の神が願われた憲法を保護していく事です。王の権利は軍隊に対する力を持っていません。中央集権の下には何の力も何もありません。全ての国民が武器を持ちます。王の権利で、武器を使って人に何かさせる事はできません。王の権利の役割は、神が人類に願われた約束事を守ることです。今まで、悪の政府がやってきたのは、軍隊の力を利用して国を治めてきました。このすべての国は悪い事をしてきました。100%、全ての国が、罪を犯してきました。神の王国とは何でしょうか?全く反対です。 軍隊の力を持っていません。すべての国民が、武器を持っています。
王国の組織は力がなくなってきました。
犯罪人を認識します。私は神の前に正しく立っている人であり、犯罪人ではありません。リベラルな人たちは、犯罪人とは、ちょうど私とあなたのようです。と言います。それは、全く違います。違います。安定性を強めたり、危険を少なくする事は、犯罪の機関を消滅させようとします。Kタイプは競争を恐れてはいません。あなたも、競争を恐れないでしょう。自分を防御しなければならないのなら、そうしなさい。Kタイプは、政府の圧力に反対する事ができません。Rタイプの社会主義者や政府の中央政権支配に反対する事ができません。
ですから、天国の王国では、政府が10%以上のGOPは不法です。それは不法です。政府にとって、世話と同情と社会福祉を巧みに扱う事は、不法です。人々は、それは自分でできます。今、共産主義国家で子供を教育して医者などにさせる事も、不法です。西洋社会でも、同じです。それが今なされています。アメリカでもそれがされています。共通の問題です。
不法です。中央銀行がやってきて、金融機関を支配するのではなくて、地方の銀行が相続するべきです。たくさんの銀行があり、人々は銀行を選択する事ができます。自由と責任です。
Rタイプの人はけん銃保持者が警察官に対して摩擦をひきおこしています。
けん銃保持者が警察官と戦うように仕向けています。それが、Rタイプです。
黒人があるspeechを聞きに行きます。それは、完全に共産主義です。
少しでも、不同意すると、それは人種差別だと言います。
Rタイプの人はいつも警察官とけん銃保持者が喧嘩するようにします。
警察とけん銃保持者は両方ともKタイプです。そして、もっとKタイプの人をなくそうとします。そしてRタイプを増やそうとします。ちょっと病んでいます。彼らは、ヒッピーの世界で生活をします。いつでも、お花がある生活をします。でも、悪魔がいて殺そうとしたり強姦しようとする事を知っています。それが、生物学的に起こっています。病気です。KタイプはRタイプと闘います。
平等で広い分野においては、銀行は必要ありません。
ここで、王国とは何でしょうか?
大胆な現実があり、大胆な自然の法則があります。大胆な数理的な創造者、大胆な建設的な宇宙があります。でも、そこには、人間の性質があります。
どのようにしたらいいのか?行って雑草を取りましょうか?
出て行って、ふんずけましょうか?
例え話しがあります。
収穫の時期まで待ちなさい。そうして、分けましょう。
収穫の時期まで自由を与えます。そして2つに分けます。
天一国もそうです。
新しい怠慢な若い世代が、その人たちは民主、社会主義です。
天一国の憲法を変える事はできません。不可能です。
神様は、天使を送って、これを2つに分けます。分かりますか?
平和警察が活発化され、その暴力的な革命を潰します。そして それらの人々を分離します。イエス様は神の国を見せようとされています。
マスロウ(Maslow) は心理学的な必要性の色々な階層について説明しました。心理学を勉強したならば、このピラミッドのことを聞いた事があるでしょう。人間として色々な必要性の階層を追求しなければならない。一番下には 呼吸、食物、水、セックス、睡眠, 恒常性、排泄等の身体的なニーズが有ります。これらを満たさないと 次の 体の安全、雇用、資源、道徳、家庭、健康、所有物等を達成する事は出来ません。食べて、呼吸しているだけで本当に忙しいならば、これらの高いニーズを獲得する事は出来ません。
王国について 一つ質問が有ります。どうして神様は アフリカの子供達が飢餓で苦しみ 死んで行くのを許しているのでしょうか? ひどい状況です。これでは 神様は善の神様であるはずがないでしょう? ところで、この課題も“神は死んでいない、第二弾”の映画で取り上げられています。 これはよく聞かれる質問です。考えてみましょう。どうやったら アフリカが地上天国に一番速くなるでしょうか? アフリカの人々を貧困から一番速く救う道はお金を投げつけてあげる事ですか? これは全世界がこれまでUNやUNISEF等を通してやってきた事です。彼らは何をしていますか? まず募金をして 彼らにあげてくれと頼みますが、腐敗した政府をそのままにしておきます。全てのお金はアフリカの貧しい人々には行かず、政府の悪い官僚に行きます。
一番のアフリカの人々の潜在能力をいかし、地上天国を達成する方法は何でしょうか? まず初めには憲法、それによる保護です。二番目は自由です。彼らに自由をあげましょう。彼らを自由にしましょう。私の民を解放しなさい。彼らを自由にし、責任感を持たせましょう。政府を取り除きましょう。政府の作る法律や規制は金持ちの会社を助けるだけです。それらは土地を奪ったり、ダイヤやオイルや資源を奪っているだけです。
アフリカ人を自由にしましょう。そうすれば 自由に交流を始めるでしょう。自由貿易を始めるでしょう。革新を始めるでしょう。起業家が起こってくるでしょう。 新しいビジネスが起こるでしょう。政府の干渉を無くしましょう。特に腐敗した政府は削除しましょう。
だから 天一国の憲法が必要で、人々を保護し、社会主義が入らないようにします。これは 人々に食べ物、水、安全、居住等を供給する一番の方法です。一番大切な事は機会をあげる事です。人々を貧困から救うには機会をあげることです。これは一番強力な手段です。
梯子対ロープの例を聞いた事が有りますか? ロープは共産主義です。屋上に特別な人々がいて、上からロープを下ろし、ロープにしがみついていれば 引き上げてやると言います。しかし 彼らがどれだけ引っ張ってくれるか分かりません。30センチだけ上げてくれるだけかもしれません。1メートル引き上げて、1メートル下げるかもしれません。支配する人の慈悲に頼るしか有りません。共産主義のエリート層の慈悲次第です。
反対に、梯子があれば、あなたは自由です。自分が自由で、能力が有って、そして、他の人と共に働く能力が有れば、その分だけ どこまででも 高い所にたどり着けます。
これが貧困から抜け出す道です。これが 人々に基本的なニーズを満たしてあげる道です。これが 保障された、安全な社会を作る道です。このような構成はモラルを奨励します。人々が自由ならば、契約や約束を守らなければなりません。なぜなら、このような社会では、評判が最も貴重になるからです。だれかが約束を破れば、皆 その人とは取引しないようにと言うでしょう。道徳的でなければならないし、一生懸命働かなければならないでしょう。約束を守らなければならないでしょう。何故ならば、皆が、一緒に働くのに最適な人だと話しくれるでしょうし、高く推薦してくれるでしょう。このような状態で あなたはモラルを高め、奨励するし、より強い家庭を奨励します。
反対に、社会主義では、この様な弱い家庭を推進します。そこでは 罵ったり、家庭関係を破壊したり、家出したり、橋が火で燃えていても 何もしなかったり、バカバカしいと皆に言ったり、それでも 政府の援助を受けます。社会関係を弱くし、家庭を弱くし、子供の失敗を起こし、競争から逃避したり、そして 均一化を強調し、社会主義化し、文明破壊のサイクルを繰り返します。発明が無く、繁栄が無く、破壊に行きます。
この二つのグラフを覚えていますか?家庭構成統計です。児童虐待の統計です。 子供にとって一番安全な所は 既婚の実の両親の家庭です。それと比べて、愛人の有る方親家庭では 4対33の割合で 被害が起こっています。違いを見てください。幼い子供が方親家庭に居る事はとても危ない状態です。愛人のいる片親家庭はもっと危ないです。これが社会主義で起こります。家庭が弱いです。家庭が破壊されます。子供は別な沢山の親に育てられます。もしくは、子供は自治体の管下で育てられます。児童虐待を考えた時 どちらの方が良いですか。 子供だったら、どちらで育ちたいですか?


訳by Oceanus






















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