Saturday, January 23, 2016

2016年1月17日■亨進님英語説教『 十字軍の真実』<要点>

Jan. 17 "Crusading Truth" John 14:1-7


 


この説教を読むにあたり、以下の論文をお読みください。今回この教材を多用しておられるます。


神様を礼拝するとき、すべての芸術もお父様の圏内に引っ張ってこなければなりません。 いま様々な、聖なる芸術分野を開拓しています。

ヨハネによる福音書14章
14:1「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。
14:6イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。
14:7もしあなたがたがわたしを知っていたならば、わたしの父をも知ったであろう。しかし、今は父を知っており、またすでに父を見たのである」。


イエス様ははっきりと「私は道であり、真理であり、命である。だれでも私によらないでは父のみもとに行くことはできない」と言い切っています。


2013年偽りの基元節に韓オモニは女帝宣言をしました。
時が経つにつれてどんどんそれは表に出てきました。その結果、お父様から王位を簒奪し、エバを主体の位置,アダムを対象の位置に置く堕落した四位基台を作り出し、神学まで変えてしまいました。 これがいま家庭連合の問題になっています。
結局、アダムが問題だというのです。アダムが諸悪の根源であると。 またここに無責任な女性の自由奔放を見ます。祝福リングに自分の名前だけを刻み、堕落の血統を先行させています。


・天聖教の改変(80%削除) 聖婚問答変更
・一神教から二神教へ。
憲法に原理講論の記載なし
・ お父様の統一マーク削除の訴訟
・ 従順な対象の位置を離れて自分自身を神、メシア、独生女と主張
 ・真のお父様の王位を簒奪
 ・祝福式からお父様の血統(神の血統)を排除
 ・メシアの血統の上に韓氏の血統を置く


 2015年10月24日にはもっと露骨に独生女について語っています。時が経てば経つほど、自分の考えていることが表に出てくるのです。

 私がオモニを憎んでいるだのという人がいますが、そうではなくただ真実を語っているのです。真実を話すことが私の責任だと思っています。
これらのことを言いだしたとき、狂っている、おかしいという批判を受けましたが、いまやオモニが自らの口で語り始めました。

「すべてのキリスト教の基盤は独生女を迎えるためのものです」「神様の摂理は独生女を見出すものであったということです」
 続けて、大きな韓王朝が存在し、そこから現在の朝鮮、日本が生まれたと語りました。まったく史実と異なる内容です。

 結論を言えば、韓半島の歴史は再臨のメシアである独生女を迎えるためのものであったということです
話すたびにオモニの本音が出ます。


これでは支持するわけにはいかないでしょう? 2015年12月12日には「サタン世界とは異なる神の独生女が神様の娘として生まれる必要があったのです」と語っています。 
オモニは堕落の血統から生まれメシア、お父様によって清められたにもかかわらずです。

「今も言ったように、2千年のキリスト教歴史は神の独生女を探す摂理であったということです。私はそういう基準を持っていたということです」



キリスト教2千年の歴史においてキリストは一貫して「花婿」の位置に置かれてきました。「花婿」「裁き主」「王」。この三つが歴史的キリスト教が守ってきたキリストのアイデンティティです。もしその「花婿」が女性だったとすれば大きな問題が発生します


二千年キリスト教歴史の待ち望んできた理想がレズビアン革命であった。
それが聖書の目的、神様の創造目的、四位基台の結実ですか? このように家庭連合は今、レズビアンを最高の理想として教えているのです


これは神聖冒涜であるばかりでなく完全なサタン神学です。このような内容を持つ神学はルーシェル主義神学です。この現実が分からないとするならば文字通り脳死状態に陥っていると言ってもよいでしょう。


家庭連合の主張を一言でいうと、「真の父母様は一つ」です。 ところが彼らが選んでアメリカを巡回している史吉子氏がこんなことを言っています。 「お父様は亨進様を擁立されましたが、お母様はそうではありませんでした。お母さまは駄目だと言われました」

真の父母は一体のはずではなかったのではないのでしょうか?これはお父様とお母さまが一つ出なかった証拠ではないですか。
レズビアン神学を所有する結果として家庭連合の社会学的立ち位置は次のようにならざるを得ません。

・中絶は女性の権利(胎児の人権無視)
・銃規制賛成
 ・急進的フェミニズム
 ・中央集中権力構造
 ・中央集権政府
 ・教育の中央統一化
 ・気候変動=エリート階級の贅沢を支えるため徴税
 ・神学的レズビアン
 ・福音キリスト教派を憎み、イスラムには沈黙(相対主義支持)
(イスラム難民を問題視する)を発言すると人種差別だ、イスラム全体を憎む者と言われます。
この問題について発言するだけです。イスラム法(シャリーア)によるとイスラムを批判することを一切認められていません。


西洋人は罪深く、邪悪にも全世界を破壊し、キリスト教徒の快楽のために人類を奴隷のように扱ってきた血に飢えた悪魔のような者たちだ。自虐の念をもち、その罪悪感を少しでも薄めるためにも(寄付など)お金を出せという訳です。

そのお金で共産主義者は組織を大きくする。 フェミニズム団体もそうです。みなきれいごとを言いながら共産主義、社会主義的思想に繋がっています。


教育の中央管理、官僚組織、中央集権、銃規制、すべてにおいて女性運動は共同歩調をとっています。
ここで十字軍の真の歴史についてみてみましょう。


622年から750年の130年でイスラムが支配した地域をご覧下さい。






何もないところから北アフリカ、中東全域、そしてヨーロッパにまでその勢力を広げました。これが現実です。人類史上最大の侵略イデオロギーであるということです。しかも政教分離がないので国家が宗教であるというのです。しかしこの事実を言うだけで、この上下逆の国やヨーロッパでは「人種差別」と言われるのです。


「白人は残忍で、世界で多くの人殺しをした」ですって?
現実の数字を見てわかるように歴史的に100万を超えるヨーロッパの男女、子供が奴隷として売り飛ばされたというのが現実です。こういう事実に触れずに、一方的に欧米人を裁く…これはプロパガンダ以外の何物でもありません。

 また計り知れないほど多くのアフリカ人奴隷が中東に流れ込んだにもかかわらず中東に黒人はあまりいません。その理由はアフリカ女性と交わってできた子供は殺されたからです。


どうしてプロテスタントが憎しみを買うのか。 それは彼らが真の自由の闘士、独裁者にとっては反抗者だからです。 段階権力構造のカトリックが数々の異端的教義を生み出しました。その一つの例が罪なき聖母マリア思想です。

キリスト教とイスラム教が同じようなものだと思いますか。それらは、とんでもなく異なっています。もし同じだと思っているとすれば、もはや脳死状態であり全く愚かなことです。

そして全く異なる文明です。ここでいうキリスト教は福音主義的なキリスト教、プロテスタントのことをいっています。なぜならそれは中央集権的なカトリックとも大きく違っているからです。

これが歴史的現実だということです。これが拡大主義、征服主義の歴史的背景にあります。これがイスラム法成立の背景です。

もし戦で命を落とせば楽園で72人の処女が与えられることになっています。イスラムのために死ねば、女性だけでなく望めば男性も与えられるのです。キリスト教とは鋭く異なるというのです。



あまりにも共産主義的な考え方に侵されているので、すべてを同じレベルで平等に見ることにより、免疫が効かないのです。違いが分からなくなったのです。相対主義化が文明を滅ぼします。善悪を見分ける免疫系が破壊されるからです。

過去50年、西洋のフェミニズムはキリスト教徒の男性をののしってきました。フェミニストだけではありません。
 父なる神様を愛するのか。天の父を愛するのか。それとも天の父を憎み、その主体性を憎むのか。それはサタン主義に他なりません。サタンは常に自分を神様の上に置こうとします。悪なるアダムを神様の上に置こうとするのです。そして相対化し、主体の位置を狂わせます。


善なる男性を排除すれば、悪なる男性がその位置を埋めるでしょう。これがまさに西洋諸国で起きているのです。まもなく文明間の衝突がおこるでしょう。



家庭詐欺連合との争いにおいてもそうです。彼らがいかにお父様を憎んでいるかを見てください。お父様の名を口にすることもできない。お父様の主体性を語ることも許さない。お父様が力強く男らしい方であることを語ることすら許さない。すべてを消し去りたいかのようです。
お父様の愛から離れるとき、地獄が解き放たれます。


私たちは力強いお父様がそこに座っておられることを決して忘れてはなりません。


すべての芸術をお父様の権威の下に取り戻すのです。芸術は自己表現だと思わされている人は神様の御前で裁きを受けるでしょう。
天聖教1706
生殖器は神聖なものです。それは神聖で、神聖で、神聖な生殖器です。神聖なものです。堕落していない、完成したアダムの位置です。神聖な場所であり、神聖な宮殿です。最高の宮殿です。生命の本神殿が生殖器であり、愛の本神殿が生殖器です。
私たちが芸術をもって神様に美をお返しするとき自己表現に満ち満ちたこの世的なものであってはなりません。神様のための美であり表現であり栄光であるということです。
世俗の世界でのトップ・アーチストは性の世界をホモセクシュアルであれ何であれ讃美します。非常にサタン的です。文化を破壊します。
私たちが求める芸術は自己表現、自己崇拝の世界ではありません。神の栄光を求めるものです私たちのために命まで捧げ、血を流し、十字架についた方に感謝と礼拝をお捧げするものなのです。神様の愛をほめたたえるのです。


これからここで讃美を行うとき、これらのことをしっかり心に留め置いて下さい。神様との関係が問題です。芸術は手段であって目的ではありません。自己表現は力弱き芸術です。それは自己陶酔にすぎません。真の芸術は偉大な神様、私たちのために血を流し犠牲になって下さったお方に導くべきものです。

神様の喜びのためにするのです。そこに美と永遠の力があります。



最後に心に触れたみ言を紹介します。

詩編69章35節

天よ地よ、主を讃美せよ 海も、その中にうごめくものもすべて。


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