天地人真の父母定着実体み言宣布の意味
このみ言は、2010年陽暦9月3日、天正宮博物館で行われた安侍日の敬礼式および訓読会で真のお父様が語られた内容の一部を翻訳し、整理したものです。このみ言は、陽暦12月7日、天福宮に天地人真の父母様を迎えて行われた「世界平和カイン・アベル圏和合統一大会]で訓読されました。
「家庭盟誓」で乗り越える基準
天地人真の父母定着実体完成宣布!実体み言宣布です。きょうの盟誓文と実体自体を成した天の主人の位置に立って、世の中の万事における真の神様、見えない神様と見える神様となって万王の王と真の父母の実体み言宣布、天地人真の父母定着安着み言宣布の上に立った2010年天暦5月27日(天地人真の父母定着実体み言宣布大会開催日)です。きょうはそういう日だというのです。
全体解放された蕩減復帰時代として、夜の神様と昼の神様のように、体と心が闘う時代から、どうなりますか?皆さんの体と心が闘っています。この闘う怨恨の穴を完全に埋めてしまうのです。埋めてしまうことができるのは盟誓文しかありません。
きょうから、第一イスラエル、第二イスラエル、第三イスラエルの定着宣言が終わって、見えない神様と見える神様の実体になり、万王の王と宗教圏、サタン世界の宗教圏と万王の王、その次に信仰圏ではなく宗教の上に内的心の世界の心情圏を中心として、それと真の父母が一つとなったというのです。ですから、サタン世界の数多くの雑多な各地の王たちがいましたが、万王の王が、その(サタン世界の)子孫の血筋を一度にすべて切ってしまうのです。
神様と目に見える神様の一生、父母様の一生を通じて、皆さんが知らない世界、地獄のどん底から地上まで上がって来るときに、世界から未曾有の冷遇、迫害を受け、世の中に見たこともないようなかわいそうな乞食の中の乞食の世界にも落ち着く場所がなく、片隅に立って乞食をしながらも神様に向かって行ったのです。堕落前の世界、光明なる天地、盟誓文の解放圏を望みながら来たのです。
天地父母天宙安息圏、解放圏を中心として絶対性です。絶対精子の旅路は定着ができませんでした。夜の神様と昼の神様が一つになって、地上のどん底から天上世界に定着をすることができなかったのです。この暗闇の世界、この悪なる世界を脱するためには、どれほど多くの事情があることでしょうか。アダムとエバが絶対性を守ることができなかったために千万年の歴史の恨みを抱いたため、神様を解放させるべき責任があるということを考えるとき、人間自体では不可能なのです。
しかし、夜の神様と昼の神様が別々にその二人を引き受けました。創造の神様はアダムとエバの父母ですが、ルーシェルすなわち天使長の父母は誰なのか、主人が誰なのかと言えば、アダムとエバの神様と同じであるということが分かりました。
このふたりは分けられないのです。天国と地獄は一つになるはずでしたが、このふたりが分かれました。
それが一つになる境界線は、別に場所にあるのではありません。宇宙にあるのではありません。皆さんの心の根本にあるというのです。これを知らなかったのです。
心が思いのままに振る舞いうる道をふさいできたものは何でしょうか?夜の神様が昼の神様を主管することができる愛の実権、「原理」の本体、神様本体の神の宮を失いました。神の宮とは何か?神の宮が何かと言えば、愛の家です。愛の家がどこにありますか?神様の住む家がどこにありますか。宇宙の中のどこかの見えない太陽世界へ行って住むような神様でしょうか?
太陽世界の三億度を超える灼熱の中に入って住事ができ、燃えず、匂いも出さず、本然の愛だけが花を咲かせ香りを放つことができる基準を、神様は成し遂げることができませんでした。堕落によって、引っ繰り返してしまったというのです。これを引っ繰り返した人間自体によっては、天地人真の父母定着実体宣布のみ言の上に上がっていくことができません。
家庭盟誓を行うことによって、この基準を乗り越えることができるのです。家庭盟誓の冒頭は何ですか?「天一国主人、私たちの家庭」です。皆さんの家庭は天一国主人になりましたか?
2010年天暦5月27日に宣布
今日は安侍日ですが、安らかに侍る日が「安侍日」です。侍る「侍」(の字)です。神様に祈るのではなく、侍るのです。侍るというのは一つの家庭を中心としてのことです。家庭の父になることができる人は天地に侍るのであり、父が侍る無形の神様に侍って、実体の母が実体の神様と一つとなって、歴史時代にふさがっていた垣根をどうするのですか?
サタンが愛によって生命の起源である神様の位置を奪って引っ繰り返したもの対して、神様は思い通りにすることができません。神様は上へ行くことができず、創造世界が上へ行くことはできません。どこにおいても天を標榜し、地からそれを追慕し、天地人の主人になることができる開放的体と心を持って初めて盟誓文を唱え、天地人真の父母定着実体み言宣布大会をすべて成し遂げたというのです。
皆さんがそうしたのではありません。無形の神様と真の父母が万王の王と真の父母の愛の主人を捜し出したために、宇宙はその本然の位置に入ってきて、2010年天一国10年の何月ですか?天暦5月27日です。これが私たち人間においては何ですか?この前の、天地父母天宙安息圏絶対性・・・・・。絶対性をすべて壊してしまいました。絶対性を持てなかったために皆さんの心と体が闘っています。
皆さんの絶対性の王宮の跡となっている凸凹が自己主義によって、ありとあらゆることをしてきたというのです。女は女なりに、男は男なりに、天が好まない家庭を代表してつくり、天の宮殿と地の宮殿、無形の神様と実体の神様が一体をなすべ
き所に永遠の国境線を作り、城を築い上げ、之をこれを越える者がいないというのです。
真の父母に対して、サタンたちが「創造理想がどんなに大きいとしても、天の玉座と地の地獄を支配しているサタンの血統的な根を抜くことはできない」と言いました。私に対して「おまえが、考えもつかないそのことを成し遂げることができるのか。成し遂げることができるなら、やってみろ!」と言ったのです。
ですから、「百回千回死んでも、私が同情し、私がかわいそうに思って見ることのできる道を捜すことができない限り、お前の解放の座は永遠にありえないのだ」と言うのです。
それで、天地人の「地」の字を見てみると、「地」の字も「土」の字が三段階になっていて、「也」が一つになれません。天地人が一つになれないのです。天地人はそのようになっていますが、真の父母が定着実体です。盟誓成文を唱えることができる位置だというのです。
天地人真の父母定着、定着です。定着実体になったので、み言宣布なのです。実体としてみ言を宣布したのです。神様がみ言によって神の実体をつくるのに、先頭に立つことができません。裏返ってしまったふろしき包みを正しく元返さなければならないというのです。ですから、み言の宣布です。
み言が上へ行ったのです。み言が上で、宣布が下です。引っ繰り返っているのです。み言を中心に引っ繰り返したので、上へ行っていたみ言ですが、これからは地に広げて、み言完成解放圏を成し遂げることができる真の盟誓文、家庭盟誓を唱えうる初日をきょうという日によって迎えたというのです。
きょうから先生の権限は何ですか?天地人真の父母安着実体宣布み言大会です。上に行って、小さな頂にくっついていた「み言」が下がっていかなければなりません。全体が引っ繰り返るのです。上はそのままで、「宣布み言」と、引っ繰り返るのです。み言を引っ繰り返して打ち込むのは誰が・・・・・。それは、真の父母です。
真の父母一人で、血筋全体が編んできたもの、数億年間になされたことを、血筋を通して覆すことはできません。み言を心にして宣布の一言が全体を覆し、本然の世界に向かって行くのです。勝利の太平聖代、億万歳、億兆京万歳の時代を越えていくのです。
氏族メシヤが氏族を率いて天国に入って行くのが、堕落前の理想でした。氏族圏を失ってしまったのですが、初めて統一教会が氏族的メシヤ絶対権限を中心として、どうするのですか?それ以上のの民族、民族以上の国家、世界、天宙までを父母様がすべて成しました。父母様が橋を架けたので、心配しなくても皆、連携して入ることができるのです。
それゆえに、氏族的メシヤ圏を中心にして、皆さんが死ぬ前に「天国と地の問題の主人は私だ」と言わなければなりません。そうできない人は落ちていきます。消えてなくなるのです。
先生は一生の間、闘いながら、ありとあらゆる冷遇、迫害を受けても我慢してきましたが、2013年まで耐える力はありません。文総裁には下に降りていく道がありません。どんなに進んでも、戻って反対に行く道がないので、私は私の行く道を進まざるをえない宣布式をして、立たねばならないのです。
これからは地獄の門がなくまります。今日が最後に宣布する安侍日です。この朝に、天地人真の父母定着実体です。定着してこそ実体があるのです。実体があってこそ、み言を思いのまま注入して主人の位置になるというのです。み言は上へ行き、宣布は下に広げておいたのです。「布」の字を使うのは三度目です。
「布」の字を見てみると「巾」の字の上に(ハングル子音字母の)「キヨック(ㄱ)」の字を書いて、そこから右側に白いものが見えますか?そうしておいて、その真ん中を中心に支えとして「巾」を書いたのです。「巾」の字の上に「民」の字の上の部分を書くと、葬式の時に書く字である「吊」(弔の俗字)の字です。死体を踏み越え始末し、その葬式の日に打ち勝って、もはや天地に死がありません。
み言もこの前に出られず、実体も出られず、天地人真の父母安着もこの実体の前に出ることができないというのです。この前にキヨック(ㄱ)、二ウン(ㄴ)、ティグッ(ㄷ)があってリウル(ㄹ)まで来れば次はミウム(ㅁ)ですが、サタン世界の実体が残っています。「布」の字はそういうふうに書かれています。
「天地人真の父母定着」までは、くっつけて書きました。鳥の尾(のような冠飾り)も付き、真の父母も付いて、定着に来て、どうですか?
安着実体圏では一番上にいて踏み越えて立ち上がるのです。実体の体を中心に「宣布」というのはどこにもくっついていません。宣布の「宣」の字も「み言」の一番端に付いているでしょう。引っ繰り返しておくのです。み言(말씀)という単語の最初に子音字母のミウム(ㅁ)があるのも、ピウップ(ㅂ)が連結できるようにしたのです。それを中央からずっとやって、み言の端を連結して、地上でみ言に従っていかなければならないということなのです。
今も亨進は父母をしっかりつかんでいます。手をつかむなと言っても、手をぎゅっと握り、「どうか、お父様、私が手を握ったら、放せと言わないでください。私はこの手を放すと死んでしまいます」と言うのですが、そのとおりです。私が手をしっかりつかんでやるのです。「私につかまって行け!」というのです。五十の峠を越えなければなりません。その様に謙遜です。どこに行っても自分を立てるということがありません。
私はどこかに行って主人のように振る舞おうという考えをしたことがありませんが、正にそれとそっくりです。五十の峠を越えてこそ、自分の服を着て軍人のようにクリーンカットの青年として堂々と進み出るでしょう。それ以前には私はそんなことはできないと言っています。亨進も父の伝統を受け継いで、その道を行かなければならないというのです。
これからは私が国の下に敷かれて越えていく時代は過ぎ去りました。向きを変えたので、半分になるときに、これは離れるのです。これの半分になるまで走ってきましたが、ここになるときはどうですか。中央を越えたら、「おまえはお、おまえの道を行かなければならない」というのです。私は私の道に従ってどこかに行かなければなりません。一、二、三、……十二人がこのように大きくなっていくのです。従っていくことはできません。従っていくことができないことが分かるので、離れていくのです。
そういうことをラスベガスでしているのですが、もう二十八回、二十九回目になります。三十回目を中心にして越えていく期間として、二十九・九九九です。イエス様は三十歳に行く道をつかもうとして失ってしまいましたが、その道をつかんでおくことによって天地が即座にでき上がるのです。一秒を中心に立て直すというのです。
「真の父母定着実体み言宣布」の字解
『天国を開く門 真の家庭』、『平和の主人、血統の主人』とは何ですか?家庭ではないですか?誰の家庭ですか?父母様の家庭です。お母様と私と完全に一つになったという最終の一体圏の上で服従するという宣言の下に事がすべて始まるのです。
皆さんが事態的な自立勝利の覇権者にならなければ天国の皇族圏内に同参することができないということをこの時間に宣布するのです。
それでこの時間を貴重に思って、皆さんが分かりうるだけの内容で教育しているのですが、師の責任を最後まで果たそうと、一秒も忘れないように苦労する教育の信念を皆さんも持って生きなければなりません。息子、娘を育てなければなりません。恩讐の子を息子、娘にするために先生が精誠を尽くしてきましたが、皆さんの息子、娘を天国の民より何百倍もりっぱな息子、娘につくり上げるために私が努力してきた時間を惜しみながら守ることができなければなりません。そういう人にならなくては、天国の皇族圏内に入ることはでいません。
残される群れが十四万四千と言われてますが、一万二千人を十二倍すれば十四万四千人です。第一の復活に同参した人だけが残されると言われています。その時が近くに来ています。
皆さんは座っていても、つかんで立ち上がらなければならないのです。お母様もそうです。お母様も私がつかんであげるのです。私をつかまなければなりません。私をつかみなさいというのです。私は倒れません。私をつかんで最後まで信じるようになれば、一緒に行くことができるというのです。そのことを決定する瞬間が歴史の宿命的な決定の時間であると宣布する日として、神様も待ってこられたので、その日をこの朝に宣布しました。
韓国民族の伝統的思想は「ハンニム」(한님・一なる大いなるおかた)、宇宙にはおひとりの主人しかいないというのです。韓国身民は、そのハンニムに侍る民族です。ハンニムが神様になったというのです。一つ、二つ、三つ!数理と係数を中心に秩序整然たる大宇宙を想像したのは、ハンニム自体だけではだめなのです。神様がいらっしゃらなければなりません。一があってこそ、二があるのです。私たち韓民族は、天を知りません。
それでも侍ってきたのです。高句麗以前からハンニムに侍ってきました。宇宙にはただおひとりのだけの貴い主人がおられるというのです。神様という言葉は使いませんでした。ハンニムです。夜も昼も一なる主人に侍る民族、そういう民族は韓国人しかありません。神様が万物を想像して実体を持って現れるのです。一つ、二つを数えることができる実体世界の主人として、おひとりの神様の位置まで現れるのです。
神様になることができる内的なおひとりと、実体を持った一、二の数理世界とは違います。一つは高い山(凸)になっていて、もう一つは穴(凹)になっていますが、穴は水平になることができません。
天地に創造された世界は世界は水平世界ではありません。夜の世界や水の世界に丘があり、昼となる高い山と平野と丘があるように、丘が必ずあるのです。
調和の世界になればなければ、安着地になることはできません。それゆえに天地人真の父母定着実体み言宣布です。み言を中心として実体を宣布したのが、2010年5月何日ですか?(「27日です」)五月二十七日です。
一九九七年に七数の完成を夢見ましたか、初めて相対以上の調和の世界が現れたというのです。……天地人の中の「地」の字をどうしてこのように折ったのでしょうか?三水偏(さんずい)を付けたように見えます。三水偏(さんずい)に似ています。
ですから、どこに基準を置いて書かなければなりませんか?一番下の底に基準を置いて書かなければならないでしょうか?底を中心にして端から「也」を書いて、創造理想の内外を分けて書きました。先生がそう言う考えをしながら書いたと思った人はいないでしょう。そのようになっています。
「참」チャム(「真の」の意)の字は明らかです。「참」の字は、「자」チャの字の真上に(、)を打ち、中に口が入っています。天地父母は口がなければなりません。(ハングルの子音の)キオック、二ウン、ティグッ、リウル、ミウムのミウム(ㅁ)です。真の父母の「父」の字は点が二つです。後でこの棒を中心にして「母」の字の一番端に行ってくっつきます。解いて書いてみなさい。
「母」の字は始めの部分で頭が割れていて、穴だけがポンと突き抜けています。「母」の字が上に上がったり下に下がったりするのです。下に降りてから、このようにして線を引いて初めて「母」の字の頂とこれが連結されるのです。それで定着できる相対理想が現れることができる「母」の字なのです。「女」字を逆にして、二つを張り付けて点を打ったのが「母」です。「母」というのは、女を百八十度逆にして組み合わせた字です。下から上に登ってきて上の穴をふさいでしまい、真ん中にいて渡るのに、降りてから登って右側の基準を持ってきて、ちょうど中央に掛けておきました。
その次に定着の最初と連結させて「定」の字を書いたのです。女がいなければ定着ができません。「着」の字も、足を右から左につけて、その下にあるのが「日」の字ですか、「目」の字ですか?(「目」の字です)……七数を合わせたのです。二つの根から三つの枝に分けて伸ばし、これがずっと来るのですが、下が三数になってはいけません。もともと「日」の字を書くときはこのようにして、これをこのようにしておいて、中をあけるようにして、下にはこれくらいの差が残らなければならないというのです。それは「目」の字ではありません。それでは七数になりません。
一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、十一、十二と、十二が合わなければなりません。十二数がです。それゆえに双子の峰を載せた「王」の字の下にこれ(ノ)を付けて、これで一、二と、それに一、二、三、四、五で、ここは七数に当たるわけです。「目」の字と思われるかもしれません。分かりませんか?ここからわからないように点を付けておいて、下はあけてあります。
それが先生の最後のみ言による文字解きの秘訣、「判決正文版」です。あっているかどうか見てみなさい。定着の「着」の字はここに三本あって、ちょうど、三人が冠をかぶっています。旧約時代、新約時代、成約時代です。実体の「体」の字は「人」偏に「木」を置き、倒れないように柱を打ち込んだのです。画数が一、二、三、四、五、六、七で、七数をちょうど満たしています。「体」(體)の字は、もともとは「骨」偏に「豊」の字を書きますが、略字にすると「人」偏に「本」の字を書きます。
宣布の「宣」の字は「み言」の端にくっついています。「宣」の字の点が一番大きいのです。点を付けて、その次にこのようにして。これは神様を象徴します。み言の上に神様ですが、その神様がどのように出てくるのかと言えば、正に宣布の下に降りてくる、実体み言宣布大会なのです。
「布」の字は一度キヨック(ㄱ)を書いてから消してしまい、このように書いたので、この隅に白い点が……。私の目には白い点が見えますが、見えますか、見えませんか?皆さんの目には見えないでしょうか?こうしておいて、ここに「巾」です。
これに「民」の字の上部を書くと、「吊喪」という言葉、葬式の死体を意味します。死体が蘇るというのです。
天地人真の父母定着実体み言も、人のためにはどうですか?人以外にはないというのです。東西南北、四方の上に人がいて、み言、人を宣布するのです。み言が東西南北に線を引いて人を立てるのです。み言が今まで全体の代表の役割を果たしてきました。そうして、サタンが権勢をふるってきましたが、引っ繰り返るのです。これからは百八十度変わるのです。下がっていくのです。
左手はこのように一から十二まで持つと、ここから左に曲がっていくので、水平線に分けられるというのです。水平線を中心にこの世界において端と端が中央点を中心に連結されますが、一、二、三、四、五、六、七番目になってこそ初めて、人が自分の時代をむかえます。七数を完結するのです。人の完成です。地ですべてを完成するようになっているのです。
神様が侍る侍義時代ではありません。「神様に侍ることができる地であるために、太平聖代を成すことができる家庭盟誓が出現せり!アージュ」という解釈になるのです。
それでは、重点があるのは、こちらですか、あちらですか?頭はどこですか?「天地人真の父母定着」が頭か「実体み言宣布」が頭かといえば、「天地人真の父母定着」は体であって頭ではありません。天地人父母は宇宙の鳥の尾(冠飾り)です。
実体の神様、夜の神様と実体の万王の王と真の父母が初めて頭になることによって、天地の原則的な世界の復帰が完了のである、アージュ!「トェッタ」(「オーケー、よし」の意)
「トェッタ」というのは中国の地の意味です。中国人が韓国を評価しています。中国が放してくれるのか、放してくれないのかというのです。北朝鮮の地の金銀財宝を中国のものとして名義を移動したことを知っていますか?それの主人にはなれません。
「初不得三」チョプドックサム(うまずたゆまず行えば成功できるという意)で、始めたら再び行き直す事ができません。そこで消えなければならないのです。初不得三を計算しながら生きる民族は、ただおひとりだけの神様に侍ることができるのです。おふたりなら夜の神様と昼の神様ですが、万王の王と真の父母が……。万王の王に侍ることができる民がおらず、真の父母に侍ることができる民がいません。……一つになった神様おひとりの主人の種がないので、皇族がいないために、その種を受けられる根本の天地の父母が再び現れて宣布してくれてこそ初めて地は安定安着、永遠太平、億万慶時代を超越するのであり、それは永遠無窮に継続せざるをえないのです。
実体と対象は根本的に同じではありません。主体が実体になるのです。それで「すべて成し遂げた」となるのです。
家庭盟誓を唱えることができる最後の結論を宣布するきょうこの時間となったことがすべて分かりましたか?
キリスト教の思想では、十四万四千の群れ、十四万四千の群れだけが生き残ると言いますが、十五数です。無形の神様と実体が十五数で相手を合わせたので、これだけが永生するのです。消えないで永存するのです。アージュ、オーケー、結論が出ました。理論を立てる暇がありません。そうならなければなりません。
孝子、忠臣、聖人、聖子の道理を果たした真の父母様
……アダムとエバが偽りの父母となり看板を引っ繰り返してしまったので、真の父母の看板を取り戻す日には天地が平和の王宮とならざるをえないのです。自動的に息子、娘たちが引っ張っていくのです。息子、娘たちがさっと飛ぶときに、十四万四千人、十四万五千人を乗せても、陸地のブリッジポートから飛んで行って、天国で眠っていた神様の目を覚ますのです。
「私が勝利して覇権を回復しました。神様、目を覚ましてください!」と言いながら神様を目覚めさせ、地上の高座にお迎えするのです。
地の権限を備えて、太古に追い出された神様を再びはるかに高い天国にお迎えして、侍ろうというのです。主人に侍ることができる世界の孝子が現れました。その孝子が、父母様です。
堕落した世界より何千倍も高い大宇宙の核に神様をお迎えしたのです。先生は地の何倍もの度数合わせることができる孝子、忠臣、聖子の道理を果たしました。何千倍も超越した天上世界の基準を持って、孝子、忠臣、聖子の家庭を成すことができる内容をいま一度教えてあげるというのです。そこから完全に地上世界は天国一元化によって永遠なのです。
永遠の絶対価値というのは、唯一、不変、永遠を主管することができ、勝利の覇権により世界に抗することができる讒訴条件がなくなってこそ永遠無窮の天国、太平聖代、億万京の万歳時代であらざるをえないのです。それゆえに、私の家であり、神様の祖国であり、故郷の地だというのです。私の本郷の地を見つけたので、永遠無窮に安着安心の太平に安息するのです。アージュ。とても、よし!その時を宣布する時間です。
その位置にもう行きましたか、まだ行けていませんか?まだ行けていませんが、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の真の父母が提示した標題を中心としてその上に登り立つようになれば、間違いなくそのとおりになるというのです。ならざるをえないため、あらゆる万事に通じる真の父母様が解放の主人としてその座まで皆さんを忘れずに引き連れて、最後の宣言を宣布するのです。
宣言宣布したと同時に何ですか?天地父母天宙安息圏絶対性……、境界線なき水平の園、私の国の園において万事が亨通(こうつう)できる時代を迎えるためには、感謝、億千万歳、億千万歳、感謝の平和の主人にならなけらばならないのです。神様に侍って生きるのです。「異論の余地なく、億万歳、絶対服従の一点だけが私の誇りの標的として、変わることなく進みます」と言わなければなりません。
億万歳の変化無双ピョンファムセン(「これ以上ないほど変わる」の意)が無い絶対、唯一、不変の実体の王子圏と王女圏となって、この王子、王女が祝福を受け、天の国と地の真の父母と無形の神様の王権、内外を代身して実体となり、それ以上がない故に、世界の果てまで勝利した覇権的かつ唯一のわが祖国なのです。アージュ!
心配することはないというのです。腹中でも心配しませんでした。そこから出てからも心配しませんでした。生きてきながらもそうです。神様が心配しなかったのと同じように、私も祖国光復の国民の勝利の覇権の座に向かうのです。神様が万王の王となり、真の父母の座を公認し認定した版図を否定する存在など夢にもありえません。太平聖代、億万京の勝利の祖国であらざるをえないのです。アージュ!太平王国の統一世界となりました。万事亨通した感謝を捧げます。そうなるのです。
きょうこの時間にできなければ、時間がないとしても、「私に千年万年が残っていますので、待ちます」と言えば、なくしてしまうことはできません。
「地獄へ行って私が千万年以上、困難を受けても、神様が忍耐して全歴史の基準を総体的に越えていった、越えてきたと言える位置を知っているので、私を引っ張っていく人がいません。その時まで待てば、地上に生きてきた先生の地上天国理念圏を中心として絶対、唯一、不変の座はまだできていないけれども、絶対、唯一、不変の座を持って進むことができると言うようになれば、天国を保留氏ておいて待つ世界を……。十四万四千年を短縮して、十五日、十五分、十五秒以内に父母様が、愛の心情が通じて許すようになれば、その時はあっという間に天国に代わります」
個人時代からサタンに勝ったという証明書を持たなければなりません。個人完成、家庭完成、氏族完成、民族完成、国家完成、その次に天宙完成です。天宙を完成すれば、神様の完成、創造主の完成です。サタンに勝つことができます。その次に無形の神様はどうしますか?サタンの実体を代身して、天地父母となるべき父母が引っ繰り返してしまったので、神様の解放圏を宣布することによって初めてこれがつながって正されて、天上は右に行きます。サタンは水平からこれに対し従って、越えることができないので、自分は左に曲がって助けてやらなければなりません。
ますます近づき、三年六か月以内にけりをつけなければなりません。サタンが自白書を書いて公文を発表するまで、天地が正されて神様の絶対王権が始まることはできません。その時間までも説明して越えることができる操作を可能にするこの時間を持ったというのです。驚くべき参席者の、悲運ではなく喜運の歴史を、千世万世、神様の代わりに、父母の代わりに任せられた責任として担わせてくれたというのです。
歴史の悲運を独りで責任を負ってきた文総裁
東洋と西洋において一週間以内に復興会をするために、先生が三年以上何の山を越えたのか知っていますか?三十四年の間アメリカへ行っていましたが、どうしてでしょうか?東洋と西洋、ヨーロッパと東洋が恩讐になっていますが、これを連結しなければなりません。アメリカはアベル国家として独立した国だけに、英国、カイン国家の基地が(アメリカの)東側の国です。東側です。アメリカの天地の、アベル国の東側の国の重要な都市は英国の地名になっています。ボストンなど、すべて英国本土の名前を付けたのです。
そこにいる民族の中で、アメリカインディアンの主人になることができるのは、どの宗族でしょうか?韓国の民以外には、そうなることのできる宗族がありません。地球星を見ると東洋と西洋がありますが、東洋の国と言えば日の出る国、すなわち朝鮮です。朝、海に浮かび上がる太陽を中心として、朝鮮なのです。
朝昇る太陽を先に眺めることができる民族、半月の間に三日月から十五夜を経て死んで蘇り……、一度死んで蘇ることを知っている民族と言えば、どの民族でしょうか?おひとりの神様とおひとりの神様が実体対象として丘を造ることができ、ま
ず高いところを展望することができ、まず太陽を眺めることができる立場に立ったのは韓民族、神様の国しかありません。神様に仕える国しかありません。
血筋を、夜の神様も昼の神様も忘れてしまったまま、血筋が引っ繰り返り、食い違っていく中で、四千年の歴史を正してきたのです。神様を否定することはできません。救世主が来る時まで待ってきましたが、救世主が来るや否や、どうしたのですか?
誕生したところはベツレヘムであって、エルサレムとは違った地方です。逃げていって、イエス様を生んで、馬小屋の飼い葉桶に寝かせた所がベツレヘムなのです。
ベツレヘムのイエスとして生まれるべきではありませんでした。エルサレムの城の中で王子として生まれることができなかったというのです。賤民中の賤民の種を受けたような立場で生まれたので、馬小屋の飼い葉桶に寝かされてクリスマスを過ごしたというのです。馬小屋で三十一か国の代表者たちを中心にして、どうするのですか?アダムに侍ることができる神様の国とイエスの国とエバの国、三人の代表者を束ねて四千年待つのです。
その時になって、「あなたが王子の座に立てることができて、アベルが王子の座に立つようになれば、私も夜の神様を昼の神様として侍ることができるように侍らなければなりません」と言うのです。すべて分かりました。分かったのですが、サタンが屈伏することはできません。
「私の横にいる息子、娘をどのようにすべて殺して、神様に侍りますか。私を追い出そうとすれば、これらを皆殺してしまい追い出さなければならないはずなのに、殺してしまうことができないのです。神様が殺せないので、夜の神様も殺せず、その次に昼の神様になりすべてを解放できる真の父母がそうできないのです。真の父母が消えれば天地がすべて消えるのです。そうはできないので、真の父母が気を引き締めてこれを正すのを私たちは待つしかありません」と言うのです。
神様と息子と娘、このエデンの三人と霊的に議論して、「そうしましょう」と言って、再臨主が自ら明らかにしなければなりません。自ら日(昼)と月(夜)を悟らなければならないというのです。エバは、昼も夜も知るエバになることができませんでした。
アダムとエバが、自ら明らかにできる日を待ったのです。自ら明らかにできるようになれば終わるはずです。「エバの言葉が誤りだった」と引っ張って行って、ふたりが四十日間、悔い改めなければならないのに、悔い改めなかったのです。隠れて暮らしたのです。
後に「エバよ、アダムよ!」と言いながら捜し始めたので、四十日間隠れてしまいました。隠れてしまう前にアダムが現れて、四十日が満ちる前に「神様、私が間違っていました」と言っていたなら、こんな歴史にはならなかったというのです。
アダムは分かっていたというのです。知ってみると、世の中がこのようになったこと、エバの過ちを自分が請け負うことはできないというのです。エバがしたことはエバのものとして返し、カエサルのものはカエサルに、ラバンのものはラバンに、アベルのものはアベルに返しなさいと言うことによって、神様が夜の神様と昼の神様に分かれるしかありませんでした。それゆえに、昼夜共の主人がなくなり、人も体と心の闘争歴史を抜け出すことができなくなったのです。
その闘争する歴史の中で平和の夢を抱いてきましたが、平和は一度も成し遂げられなかったために、再臨主が来て太平天下を完成しなければなりません。宣布しなければならないのです。
歴史を解くために、悲しい歴史の悲運を独りで責任を負ってきた文総裁の悲しさを誰が分かってくれるのかというのです。神様も分かってくれず、夜の神様も分かってくれず……。
アダムが堕落したことも知りません。教えてくれません。自ら明らかにしなければならないというのです。「おまえの責任だ。尋ねるな。私の責任ではない。私は知っているが答えることができず、教えてやることはできても教えてやれる立場ではない。お前の世話、おふたかたの世話にならずに解放の主人公にならなければならない。『あなた方が教えてくれなくても、天上世界へ行って再び教えを受けなくても、私たちが責任を負って、あなたが行くべき天下を引き受け太平王国の時代をきれいに成し遂げます』と言わなければならない。死ぬ前にその境界線を越えよ!」と言うのです。
夜の神様と昼の神様が皆さんの前にいることを皆さんは知りません。神様をおひとりと思いやすいというのです。夜の神様がいることを知らなければなりません。夜の神様が現れ、昼の神様が現れ、異なるおふたりですが、昼の神様は夜の神様に侍ることができないというのです。侍ることができないので、昼の神様は世界の事情を通して夜の神様に侍らなければならないというのです。
それが終る時まで、昼の神様も夜の神様に侍ることができるように、文総裁の統一教会全体の完成した先祖たちを引っ張っていくのです。先祖を動員し、氏族を動員して、後代の子孫万代を動員して、先祖が教えてやれなかったことを直接文総裁が知って、文総裁が先祖を呼んで、氏族を呼んで、子孫を呼んで、三時代を教えてあげるのです。
それを中心として皆さんが何になりましたか?三時代を教育されましたが、イエスの新婦も、相対圏も成すことができず、新郎も知らず、神様も知りません。それを教えてやらなければなりません。何年かかるか、分かりますか?先生は九十二歳になろうとしている今も、教える仕事が終わっていません。百四年、百十四年が過ぎなければなりません。
百十四年の峠をどのように越て行くのか。百十四年の峠、境界線を作ってしまったのは、九・九、八十一です。サタンの血筋は八十一から下がっていく時代になりますが、私は上がっていくのです。九十一から百数、百二数から百四数を超えて、百四数から百十四数を超えて、百十六数、百十八数、百二十一歳、百二十四歳を過ぎなければならないのです。太平聖代の王権時代が来るということです。
私が思いどおりにすることに不平があるなら言ってみなさい。不平があっても従って行くべき父であることを知って、師であることを知って、兄であることを知って、自らはその立場から兄とし
て侍り、父として侍り、神様、夜の神様に侍ることができる最初の第一王子の名を捜し求める真の父母を本当に知って侍ってください。お願いです!
私は王になるために進むのではありません。私の頭にある影なき世界で王になることができる王に再び侍ることができる理想郷の祖国と郷土を見出した伝統の父母に再び侍るために出で立つ道が、先生が行かなければならない解放の世界なのです。それがどれほど待たれてきたかということを皆さんは知りません。
生きてみなさい。父母様の事情を倍にして、倍にして、さらに倍にして、何千万倍でも救いの手を差し伸べなければならないことを知ったために、私は手を差し伸べて、どのように正しくつかむのかということを夢にまで刻まれるように考えて生きてきた人なのです。これからは解怨成就して、船を、何ですか?「船を漕ぎ行こう、険しい海の波を越えて……」歌ってください!(韓国の歌「希望の園に」を歌う)
それは、私たち独立軍の歌でした。「自由、平等、平和、幸福の満ちた所、希望の国に……!」行きましょう。行くのです。できるのです。その日をこの時間を中心として宣布したことを忘れずに、船を漕げ……!その恨めしい歌を本当に歌ってみよというのです。
その峠を越えることができません。
祖国光復なのです。「希望の国へと帆をあげよ」。抜け出せと言うのです「吹く風を受け、波を越え、前に進もう、自由、平等、平和、幸福の満ちた所」。その他の分かれ道がまたあるというのです。「希望の国に」、その国のために行かなければならないのです。私は涙が出ます。涙が止まることを知りませんが、もう止めなければなりません!
朝日が昇ればその歌を歌い、日が暮れるごとにその歌を歌ってきた先生の生涯を忘れないでください。そうしなければなりません。そのような孝誠(真を心を尽くして父母に仕えること)の道理をこの宇宙に残すことができる夜の神様、昼の神様の所願成就の解怨の日を私がどうして忘れるでしょうか。
夜空を照らす日月星辰が消え去らなければならず、永遠なる世界の天地を二十四時間照らし出す目覚ましの鐘がやむことない私の正午の影なき世界の孝子、忠臣、聖人の家庭の道理を成し遂げてささげるべき真の父母の所願成就の日を、私が奉じてさしあげないでいられる宗族にはなりえないということを天理の何ものも全て知っているのです。それゆえに、恥ずかしくない姿を備えるにおいて不可避的に私はその運命の中で生きて逝かなければならないのです。
天国がわが祖国
きれいに結論を締めくくりました。
神様は絶対者なのです。絶対者として存在しうる内的な雲のようなものとは何でしょうか。足場が地になければなりません。その足場が何かと言えば、絶対唯一です。唯一の足場、永遠の足場、瞬間的な足場を神様は持ち、その上に立たれています。堕落がなかったなら永遠無窮の真の祖国光復の主人になることができたのですが、偽りの父母が引っ繰り返してしまったのです。それで、真の父母時代にこのすべての問題を懸けて解決しなければ解放の理想本郷の地は永遠に現れないのです。
その仕事をして解放完結を成して宣布する時間が天地人真の父母……。「父」の字もそうだし、「母」の字もそうです。定着し、侍らざるをえません。安着のウ冠(ウ)もこれも引っかかるものがありません。あの「着」の字の下の部分まで通じるのです。
いまだに安着ができていません。ウ冠に三人の人が、大きい人が一つになって、その一つになった膝の上に「人」の字を乗せて体が立ってここの後ろまで……。七数、八数を中心にして七から、八、九から十数まで、十一数、十二数、十三数まで越えていって、この十字の中で、ここの中で二番目をふさいでしまい、二本の支えを東西にふさぎ南北にふさいだので人は倒れないというのです。その余計なものはすべて天地人父母安着が不安です。この上にみ言が宣布されるべきものが逆になっています。
ティグッ、リウルの上に行くべきものが引っ繰り返ったのです。「布」の字が何かと言えば、「布」の字は葬式の日です。忌日を表す時にこの字を使うことを知っていますか?「民」の字を書くことを知っていますか?三番目が(「宣」の字を見ると、み言を象徴する「いわく」という意味の)「日」の字の下にみ言と一つになったとして初めて「一」の字がこの字全体の最も低い位置に付けられており、この「布」の字までもその上にあって、この支えはその一の字の中に刺さって見えないというのです。あの字の中がすべて説明されているというわけです。
いざ知ってみると、すべてが、明月天下が美しいですね。夜空の光が一つになった恒星群、空中に浮かんだ恒星が群れをなして、夜の神様と昼の神様が一つになって先生の頭の上を照らすので、永遠にその光が消えないので、永遠な解放天国であらざるを得ないのである!船を漕いで行こう……。その実感が分かりますか?
私の祖国、神様の祖国の民として私は生きます。サタン世界とは永遠に離別したので、そこに現れたりすると瞬間的に消されてしまう。そこに現れるようになれば、眺めていることはできるけれども、君たちの先祖と民と後孫が待っていたのに、それまで嫌だとするなら、君たちの後孫たちだけではなく地上の天の眷属までも三分の一を逆に食い尽くしてしまいうる輩が出てくるのです。神様は夢にも想像できないふざけた真似事が生じえないようにしなければなりません!アージュ。よい。結論がそのようになっています。惨めな族属を残すなというのです。
祝福を受けた人は四百三十冊の先生の自叙伝を中心に今や氏族メシヤの統一世界が決定され、昇華式が重生昇華、復活昇華……。先生はその過程を経てきたけれども、君たちはその過程を経なくても昇華式へと越えていける特権を賦与するので、先生の歴史に、これをそのまますべて成し遂げたと言える人になれというのです。
間違いなく一人も残さないで地獄に……。そう言っても分からないなら、私が足で蹴ってでも千里の遠くまで行って消えたものをさっと隠し抱いて連れて入って行けば、一人たりとも地獄へ行く人がいなくならざるをえないというのです。天国だけが私の国と私の祖国とならざるをえなくなるのです。
それでは「統一賛歌」を歌ってみなさい。船を今漕いで行きます。
(歌)
「船を漕いで行こう…」、今も行きます。「険しい海の波を越え、向こうの丘に…」、先生も行きます。先生と一緒に行くのです。「山川景観、麗しく、風涼しき所、希望の国へと帆を上げよ。吹く風を受け、波を越え、前に進もう、自由・平等・平和・幸福に満ちた所、希望の国に……」、神様の祖国と故郷です。わが故郷であり、わが祖国です。
ユートピアの定着です。ユートピア、統一天下のことです。ユートピアとは、ユニオン、理想の世界のことです。「ユートピア、自由世界、自由、平等、平和、幸福が満ちた私の国へ行って暮らします」と言うのです。
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