2021年5月1日土曜日

キングスリポート4月17日,4月26日◆リベラル監視検閲帝国米国

 リベラル監視検閲帝国米国

キングスリポート4月17日,4月26日(2日分)

2021年4月26日(月)キングスリポート

The King's Report 2021/04/26 (月)


英韓訳:Jake.Kwon 韓日訳:yuko.m


キングスレポートへようこそ。進行のティム・エルダーです。


今日は天基12年3月15日です。15日、つまり、雲さえなければ夜に満月が見られることを意味します。天暦は三日月で始まり三日月で終わるため、15日頃には丸い月を見ることができます。

天一宮の天気は華氏37度(摂氏3度)で、曇りがちな天気になります。また湿度は20%以下で風が強く、山火事注意報も発令されています。

大体晴れの涼しい天気になり、日中最高気温は華氏58度(摂氏14度)になります。降雨確率はありません。夜の最低気温は華氏36度(摂氏2度)になります。

今日は年間の平均気温から大きく外れない気温となります。レーダーを見ると、ネバダ東北地域や北ウィスコンシンにもまだ雪が降る地域があるでしょう。ロサンゼルスからミネソタまで雨雲が連なっています。


週間の天気を見ると、二代王様が北に向かって戻られている最中ですが、テキサス州の天気を一緒に連れて来られているようです。水曜日の気温は華氏83度(摂氏28度)になり、その後、減少して平均気温が華氏70度(摂氏21度)と低くなるでしょう。リバティーロック地域を見れば、水曜日は華氏90度(摂氏32度)まで上がるそうです。雷雨が火曜日から木曜日まで続きます。金曜日は曇りで快適な天気になるそうです。


今日のリマを見てみましょう。列王記上3章です。内容は「ソロモンが知恵を求める」です。

3:1ソロモン王はエジプトの王パロと縁を結び、パロの娘をめとってダビデの町に連れてきて、自分の家と、主の宮と、エルサレムの周囲の城壁を建て終るまでそこにおらせた。 3:2そのころまで主の名のために建てた宮がなかったので、民は高き所で犠牲をささげていた。


3:5ギベオンで主は夜の夢にソロモンに現れて言われた、「あなたに何を与えようか、求めなさい」。 


3:9それゆえ、聞きわける心をしもべに与えて、あなたの民をさばかせ、わたしに善悪をわきまえることを得させてください。だれが、あなたのこの大いなる民をさばくことができましょう」。

3:10ソロモンはこの事を求めたので、そのことが主のみこころにかなった。 3:11そこで神は彼に言われた、「あなたはこの事を求めて、自分のために長命を求めず、また自分のために富を求めず、また自分の敵の命をも求めず、ただ訴えをききわける知恵を求めたゆえに、 3:12見よ、わたしはあなたの言葉にしたがって、賢い、英明な心を与える。あなたの先にはあなたに並ぶ者がなく、あなたの後にもあなたに並ぶ者は起らないであろう。 3:13わたしはまたあなたの求めないもの、すなわち富と誉をもあなたに与える。あなたの生きているかぎり、王たちのうちにあなたに並ぶ者はないであろう。 3:14もしあなたが、あなたの父ダビデの歩んだように、わたしの道に歩んで、わたしの定めと命令とを守るならば、わたしはあなたの日を長くするであろう」。

3:15ソロモンが目をさましてみると、それは夢であった。そこで彼はエルサレムへ行き、主の契約の箱の前に立って燔祭と酬恩祭をささげ、すべての家来のために祝宴を設けた。


ソロモンは神に善悪を見分けることができる知恵を求めます。知恵を求めたのは大変素晴らしいのですが、最初の一節から出てくるように、彼はパロの娘を妻に迎えます。この選択は結局、王国が南と北に分かれて国が衰亡する始まりとなります。


彼は神から善悪を見分けられる能力を与えられましたが、彼は千人余りの妻を持ってはいけないという事実が分からなかったようですね。もちろん、非常に賢明な決定も多く下しました。

この話の後に、二人の女性が一人の赤ちゃんを巡って争う有名な説話が出てきます。しかし、結局、王国を次の世代に伝えることはできませんでした。これは非常に重要なことです。

王国を次の世代に継承させること、これには教育が必要であり、神の道を正しく歩む必要があります。14節にもあるように「14 もしあなたが、あなたの父ダビデの歩んだように、わたしの道に歩んで、わたしの定めと命令とを守るならば、わたしはあなたの日を長くするであろう。」 歴史の中でソロモンはイスラエル王国の三番目の王として記憶され、その後王国は分裂することになります。


(訳はここまでです。)


2021年4月17日(土)キングスリポート

左派監視社会となった米国

The King's Report 04/17/21 

翻訳:Yumi HOSHINO

リチャードパンザー会長:

 リマの聖句は歴代誌下 20章10節から15節です。


20:10今アンモン、モアブ、およびセイル山の人々をごらんなさい。昔イスラエルがエジプトの国から出てきた時、あなたはイスラエルに彼らを侵すことをゆるされなかったので、イスラエルは彼らを離れて、滅ぼしませんでした。 20:11彼らがわれわれに報いるところをごらんください。彼らは来て、あなたがわれわれに賜わったあなたの領地からわれわれを追い払おうとしています。 20:12われわれの神よ、あなたは彼らをさばかれないのですか。われわれはこのように攻めて来る大軍に当る力がなく、またいかになすべきかを知りません。ただ、あなたを仰ぎ望むのみです」。

20:13ユダの人々はその幼な子、その妻、および子供たちと共に皆主の前に立っていた。 20:14その時主の霊が会衆の中でアサフの子孫であるレビびとヤハジエルに臨んだ。ヤハジエルはゼカリヤの子、ゼカリヤはベナヤの子、ベナヤはエイエルの子、エイエルはマッタニヤの子である。 20:15ヤハジエルは言った、「ユダの人々、エルサレムの住民、およびヨシャパテ王よ、聞きなさい。主はあなたがたにこう仰せられる、『この大軍のために恐れてはならない。おののいてはならない。これはあなたがたの戦いではなく、主の戦いだからである。


パンザー会長:そして、私達の国が憲法的な共和国として生き残ることは大変なことなのです。ですから覚えておかなければならないことはこれは私達の闘いではなく、神がこの闘いに関与されているということです。神は私達の国が世界の中で自由のチャンピオンになって欲しいのです。もちろんわたしたちには5%の責任がありますが、この闘いは私達だけの闘いではなく、神がこの国を自由の共和国として維持するための闘いであることを決して忘れないでください。


それでは次に1965年4月21日に指導者たちに語られた真のお父様のみ言葉を読みます。


私の最大の関心は2つの主要な点に焦点を当てています。一つは悪の勢力の束縛から人類を解放する方法であり、2つ目はどうすれば神の傷ついた心を和らげ、全ての人が神の悲しみを理解できるようにすることができるか、ということです。

 

パンザー会長:クリスチャンや私達がしばしば、再臨主は終末の時に来られて、私達は報われて天国に行くというようなことを考えるのですが、お父様は報われる時として考えられていたのではありません。お父様が語られた内容を見れば、第一に悪の勢力の束縛から人類を解放することで、お父様は悪の勢力が地球上を主管していることを心配されて、人類をそこから解放したいと考えられました。


中国共産党は私達の国の選挙に干渉して、私はコントロールという言葉は使いませんが、実際に彼らは多くの大学や政治家達、そして企業やメデイア、ハリウッドとの情報取引など今日もお話するのですが、本当に沢山の干渉を我が国に対して行っています。中国は我が国に対して影響力を獲得することを意図的に行っています。


そして中国では私達が知っているように法輪功学習者やクリスチャンたちが、強制労働収容所に送られ臓器を摘出されて売られるなどの邪悪な力の束縛の都市になっています。お父様はそれらの人々を解放してあげたいのです。そして神も彼らを解放してあげたいのです。


私達はただアメリカだけを考えるのではなく、もちろん神はアメリカを用いて世界を救いたいので重要なのですが、世界のことを覚えておかなければなりません。神はアメリカを越えて世界を見ておられます。

そして世界中でクリスチャンたちが働いていますが、悔しいことに彼らは再臨主が来られたことを知りません。再臨主が生涯なされたことを知りません。


二つ目を見ると、「どうすれば神の傷ついた心を和らげ、全ての人が神の悲しみを理解できるようにすることができるのか」とありますが、ほとんどの人々は、神には力と権威、許しについて考えるのであって、神の苦労は考えません。

そして私達が神を助けるために何かができると言うことは驚くべき解放なのです。文 鮮明牧師が世界ににもたらされた解放とは私達クリスチャンが神を解放することができるということなのです。

その考えはこれまでのクリスチャンの考えとは全く違うレベルです。それでは次に真のお父様の証しを皆さんと共有したいと思います。これは子どもたちに対しての真の父母の歴史という内容なのですが、大人の皆さんにもとても良いものだと思います。


サンドラ ローレンによって書かれた興南刑務所での試練、というタイトルです。

一ヶ月の間、真のお父様は平壌の刑務所に留まりました。その後北朝鮮の北東側にある興南地区のトンニ特別労働集中キャンプに移送されました。

これは囚人が軽い仕事をして、きれいな独房で何時間も過ごして、家に手紙を書いたり、リラックスしたり、大学の学位を取得したりするアメリカの刑務所とは異なりました。


この刑務所は窒素肥料工場にありました。固まった石灰の小さな山があって、囚人たちはそれを壊して別の場所に運ばなければなりませんでした。彼らは石灰を砕き、それぞれ80ポンドを保持する稲わらの袋に詰め、重さを計り、積み込みドックに降ろさなければなりませんでした。

10人の男性の各グループが毎日1,300個の袋を積み込む責任がありました。これは30分毎に約1個の袋詰めを意味し、袋はとても重かったのです。

石灰は彼らの指を大きな痛みで出血させました。皆さんは男性たちが単に働かないことを決めるだろうと思うかもしれませんが、これは強制キャンプでは不可能なことでした。

チームがその仕事をしなかった場合、彼らはその日は何も食べられませんでした。生きるためには食べなければならず、食べるためには仕事をしなければなりませんでした。

彼らはステーキや鶏肉や野菜を食べることはできませんでしたし、私達が強靭であるために食べるようなものも食べられませんでした。


彼らは大麦の小さなボールとご飯や小麦をスプーン1杯分だけ受け取りました。

幸運にも毎日食べることができたとしても、生きていくには十分な食料ではありませんでした。

数週間以内に男性はとても痩せて骨の形が見えました。彼らの腹は飢餓で膨れ上がりました。


この刑務所で6ヶ月間過ごした後には彼らの殆どは死ぬほどの病気になっていました。1年後には殆どの囚人が亡くなりました。真のお父様は5年間の刑を言い渡されました。


お父様はどのようにして生き残るつもりだったのでしょうか?

お父様は刑務所に到着するとすぐに、どのように生き続けるかを計画し始められました。

お父様のご計画はとても珍しいものでした。

殆どの人はエネルギーを節約してより多くの食べ物を得る方法を見つけることが最善の計画であると考えるでしょう。

しかしそれはお父様のやり方ではありませんでした。


まずお父様は食べ物を見られました。もしもお父様がこの小さな穀物の塊に必死になられたとしたら、お父様は死なれたでしょう。


そしてお父様の周りの人々がどのように行動されるかを見られました。

ある日、非常に病気だった囚人が食事中に亡くなられました。彼が倒れた時、2,3人の囚人が彼の側に駆け寄り、口を開けてまだ飲み込んでいない米粒をすくい取って食べました。


お父様はより多くの食物を得る方法を見つける代わりに、量を少なくすることを決心されました。そしてお父様が定量の食事の量を取られた日には、それはご馳走のように感じられたことでしょう。

暫くの間、お父様はおにぎりを半分に分けて、残りの半分を他の囚人の一人に渡されました。その囚人の顔の驚きはお父様にとっては食べ物のようだったに違いありません。


朝鮮戦争前の時代は刑務所にいない人々にとっても非常に困難な時代でした。オク婦人や金 ウオンピル氏などの弟子たちは、2ヶ月毎に訪問することを許され、彼らは時々お父様に米粉なの小さな袋を持ってくることができました。お父様は静かな場所に行って、一人でその米粉を食べることは簡単でしたが、そのようにされませんでした。お父様は常にそれを他の囚人たちと共有されました。彼らが見ていない時に時々、彼らのポケットを貴重な粉で満たされました。


ある日、お父様が米粉のパッケージを受け取られ、それらを共有される前にいくつか数が足りないことを気づかれました。他の囚人たちは憤慨しました。誰がそのようなことをしたのでしょうか?ついに彼らはその犯人を見つけ、彼をお父様の前に引きずり出しました。

彼は罰せられることができましたが、お父様は彼を見られ、「食べ物を盗まなければならないのは、とてもお腹が空いたに違いない。お腹が空いた人には食べる権利がある。鞄をください」と言われお父様は残りの米粉の全てを彼の鞄の中に注がれました。


お父様はまた、仕事の量を見られて刑務所の中の誰よりも一生懸命に働くことを決心されました。

お父様のチームの9人の労働者たちは彼らがお父様と一緒に働いた時、石灰を袋に十分に詰めることができることを発見しました。それで他のチームの囚人がお父様のチームに来ようとしました。

お父様の努力に対して共産主義者から、特別賞を授与されました。

ですからサタンでさえもお父様が一生懸命に働いたことを認めなければなりませんでした。


そしてお父様は霊的な生活を見られ、とても困難でしたがお父様はご自分の状況に対して、神に不平を言われることはありませんでした。

お父様はご自分の立場が弱いということを神に祈られませんでした。お父様のお考えは、お父様が経験されているお姿を見られる神様ご自身が苦しんでおられるに違いないということでした。

もしもお父様が悲しんで行動されれば、それを見ておられる神をもっと苦しめることになるでしょう。

それでお父様は神様にとても勇敢に話されました。

「天のお父様、私は決して諦めません」と大きな愛を持って祈られました。「私を心配しないでください。」とお父様はご自分の使命を果たすと神様に言われました。


囚人たちは十分な睡眠を取ることができませんでしたが、お父様はご自身の睡眠時間を瞑想と祈祷に使われました。囚人たちは後に彼らが眠りにつくときに、お父様が祈るためにひざまずかれているのを見たと言いました。そして彼らが目覚めた時にはお父様はまだ祈られていました。


そして囚人たちはお父様を愛するようになっていきました。彼らがお父様をとても愛したので、何度も涙が彼らの目に浮かびました。お父様はご自身の使命について一言も言えず、神や宗教についても全く話すことができませんでした。


もしもお父様が神について話したなら、共産主義者たちはお父様を殺したでしょう。したがって霊界がお父様のために声をあげました。多くの囚人たちが夢の中で、お父様はとても特別な人物であり、彼らはお父様の助け手になるべきだと霊界から言われました。少なくとも12人はお父様の弟子になりました。

これらの男性の一人はジョンファ パクと言いました。パク氏は囚人グループのリーダーでした。お父様は彼のグループにいましたが彼は可能な限りお父様に簡単な仕事と余分な食料を与えようとしましたが、お父様はいつもこれらの好意を拒否されました。


夏はとても暑かったのですが、お父様は服を全て着られて脱がれませんでした。それでパク氏はお父様に服や靴を脱いではどうですかと提案しましたが、お父様は「神様が肌を見せてはいけないと言われるので服は脱がない」と答えられました。


ある時にお父様はマラリアにかかられてとても病気になられました。病気になれば休むことができたのですが、お父様はご自分の使命のために休まないと言われました。お父様はそのような状況で働かれましたが誰もそのような中で生き残ることはできなかったのです。

お父様の囚人番号は596でしたが、(억울해)韓国語の意味で悔しいです。



◆パンザー会長:オーケー、証しに感謝します。次にとても興味深いビデオをお見せしたいと思います。


それはロッド・ドレ−アーの 「クリスチャンはどのようにして新しい文化的宗教に抵抗することができるか」という内容ですが皆さんが興味を持ってくださると思います。


---(ビデオ)---

ロッド・ドレ−アー:

インディアナ州で大企業が州のLGBT権利活動家の側に立った時、州の法律が可決して、キリスト教や他の宗教的な人々がに彼らが差別のために訴えられた場合、法定での積極的抗弁で信教の自由の擁護は彼らが勝つことを保証するものではありませんが、それは彼らが立ち上がるために何かを与えたでしょう。

アップルのセールスフオースは多くのメジャーを通過しました。企業は多くが州に来ます。この偏見のある法律を廃止すれば経済的な影響があって、状況が後退してこれが本当のターニングポイントでした。

なぜならこれがそのようなレベルでの文化戦争に大手企業が関わった初めてのことで、それはアメリカの生活の本当のターニングポイントでした。

今だけでなく大企業は、社会正義思想の覚醒の主な推進力で、テクノロジーはその大きな部分です。


私は監視資本主義と呼ばれていることについての本を書きましたが、元ハーバードビジネススクールのショシャンナズバッハ教授は、今世紀初めにグーグルはビジネスモデルを開発したことについて書きました。それは一見無意味に見えるデータからの収集に基づいています。私達が毎日クラウドとやり取りしています。ラップトップやスマートフォンを使ってクレジットカードやデビットカードを使うたびに彼らはその情報を収集しています。この全てのデータを使って彼らはアルゴリズム(手順や計算方法)を開発しています。彼らはそれを検索して私達により良く物を売るために、私達が好むものを見つけて、私達に売り込む方法を理解しています。


それらは全て完全に合法的に行われて、アマゾンやアップルの使用で有益になりました。彼らは上手く使っています。これは中国共産党がすることと同じことです。そして彼らはそれを信じられないほど悪質な方法で使用しています。彼らは社会信用システムというものを持っています。そして中国では彼らは彼らの技術を使って完璧にしています。スターリンと毛沢東にはそれが決してできなかったことです。


中国ではそれぞれの市民が電子プロフアイルを持っています。それは政府が彼らのために準備して、政府は毎日インターネットを使用している全ての中国人から膨大な量のデータを収集しています。中国は現在ほぼ完全にキャッシュレス社会で、彼らは買い物のためには携帯を使わなければなりません。ですから彼らがする取引は全てスマートフォンを使ってなされ、それらは全て政府に彼らのプロフアイルを与えるデータを作成します。


それで政府のコンピューターは彼らが何かをしたときには、彼らが考えていることを知っています。そして彼らが社会的に前向きであるか、例えば共産党の会合に参加した、習 金平のスピーチをダウンロードしたかどうかなどです。しかし、また社会に対して否定的であるかどうか、例えば教会に行ったこととかそれはGPSによって追跡されます。または社会主義が悪いと考えている人たちと交流することなど、それは彼らの社会的信用の格付けを実行し続けます。


人々の伝えるクレジットスコアと共に彼らが信頼できる善良な市民であるかどうか、社会的信用度が高いかどうかについて全て公開されています。そして社会的信用度が高いほど中国ではその特権を持っています。もしも低い社会的信用度であれば、彼らの持っている特権は少なく、旅行に行ったり、彼らの子供は大学に行ったりすることができません。また特定の場所で買い物をすることさえできません。


彼らの考えはこれを非侵襲的(直接触れずに測定すること)に使うことです。それは彼らに秘密警察を送る必要がないという感覚です。システム自体は彼らが実際に彼らの親戚や友人の社会的信用度が低ければ、彼らの社会的信用スコアを守るためにそれらの人たちを遮断しなければなりません。私達はここで(アメリカで)それを行うことができるのです。システムは企業であって政府ではありませんが、彼らはその情報を収集してすでに準備が整っているのです。これらのシステムを実行するための情報はすでに収集されています。


実際に中国ではこのシステムは人気があります。なぜなら誰が市民社会を信頼できるのかわからないので、共産主義によって非常に崩壊しているので、人々は実際に誰が信用できるのかをこのように測定しているようなものです。


ここでも同じことが起こると思います。企業が社会正義の正当性を行使するというためだけでなく、それは彼らとだけビジネスをしたいという人達だけが良いということを可能にします。そしてキリスト教の保守派やその他の人々を避けて疎外するために彼らは経済に参加することができません。私達はそれをすでにイギリスの経済や銀行で見ていますが、彼らが政治的な過激派と考える人たちとビジネスをしないために、彼らの口座開設を拒否しています。彼らにとっては右翼の不快な人々です。


しかしもしも銀行が政治的な理由で口座開設許可を拒否するという原則を最も基本的なレベルの人たちに行えば、その経済はひどいものになるでしょう。彼らがしなければならないことは、線を少し動かすことであって、わたしやあなたを含めることです。殆どのアメリカ人はそのようなことがくることを見ていません。彼らはそれが起こると想像できません。


しかし、社会主義の最悪の事態を警告した場合、皆さんができることはロシアで何が起こったかを考えることです。地球上のどこにでも起こりうると思います。


女性:

一年前の写真にこれがあります。写真の半分には電話線の付いた電話で60代の女性が電話をしていて、彼女は「私はあまり話したくない。なぜなら政府がこの電話をタップしているから。」そして右側にはアマゾンのデバイスに話している男性がいる。私が彼女に話しかけると彼女は答えます。「パンケーキのレシピは何?」そんなようなものだと思うのですが、私達はこの情報のアクセスがあることを知っているのですが、私にはよくわからないのですが、人類を高く評価しすぎているのか、または人間の堕落を大切にしているのか、あなたはなぜ私達がとても満足していると思われますか?


ロッド:

私達は便利さを大切にしています。そしてこれはそれがどのように起こっているかです。


政府の誰かが入ってきて、スマートスピーカーを使ってこれをあなたの家にインストールしたいと言います。それはいくつかの点であなたを楽にするでしょうが、それはまたあなたの会話を録音します。

私達はこれができると言って法律を可決しました。これが最終的にどこに向かっているのか知っているので、彼らにドアを閉めます。

しかしそれが私達が選んだものとして私達に売られた場合、私達消費者の便宜のためにアマゾンにそれを支払います。

私はカミラ・ベンデヴァという女性と話しましたが、プラハで彼女と彼女の夫は地下の反体制運動、実際に彼は亡くなりましたが、80年代に彼は彼の仕事のために4年間刑務所に行きました。

彼女の名前はカミらで、彼女は今日なぜ多くの人たちが自分の情報を自由に利用したいと言っているのか理解できないと言いました。「あなたが生きてきたものを利用して生きるとすれば、それは彼らはその情報を罪意識なく収集してそれをあなたに対して使用する」と彼女は言いました。いつだったか彼女は居間の壁を指して「あれを見て」と言いました。


向こうを見るとペンキの下の壁に傷跡があったようです。彼女はそれが共産主義崩壊のあとに彼女と夫が引き裂かれた場所だと言いました。彼女の家全体を盗聴するために秘密警察が入れたワイヤー、彼女はそれが彼女にとって息を飲むようなものだったと言いました。

今日の若者やアメリカの人々は考えもしません。彼らはこの情報は決して使用できないと言っています。自分たちは何も罪を犯していないのになぜ心配する必要があるのかと言います。

彼らが情報を持っていればあなたが今罪を犯しているかどうかは問題ではありません。彼らはそれを持って皆さんを迫害する理由を見つけることができます。これは彼らが私達に伝えようとしているメッセージの一部なのです。


女性:

あなたの本で素晴らしいことの一つが、あなたはそれに前半を費やされていますが、何に注意すべきなのか、問題の設定、思想、そしてこれは過去どのように起こったかなどです。そして後半部分にあなたは私達に沢山の希望を与えてくれています。そして率直に言って私はそれがとても刺激的であると感じました。


あなたは本質的にクリスチャンにこれらの考え方に抵抗するガイドブックを与えています。聖書の真理に生きる方法、キリスト教の世界観を支持し、それはあなたが私達を励ます方法の一つが真実以上のことはないということを評価することです。そしてそれは私が道だと言っているイエスのことを考えさせます。イエスの人生は真実なので私達がイエスを大切にするなら、私達は真実を大切にする必要があるのです。真実は全てにおいてどのような機能を果たしますか?


ロッド:

本のタイトルは生きていませんが、私が得たアレキサンダー・ソルテニチンのエッセイはソビエトの彼の信者に送られました。それはソビエトが彼を1974年に追放する直前のことです。そして彼のポイントはソビエトシステム全体が生きて構築されたということです。誰もがそれに同意しなければならないことです。


彼らは全て彼らが見ているものであり、誰もが恐れて真実を話すことはできませんでした。彼は私達がこのシステムを覆すことができないなら、ソルテニチンが言った私達ができることの一つが、ある意味協力することを拒否することです。私達が彼らに同意すると彼らに思わせる。これらのことを受け入れることは真実であり、彼は単に戦うだけだと言いました。嘘をつくことを拒否することはあなたの誠実さを救うことであり、それはシステムに疑いを植え付ける方法です。


私が本に書いてある他の人々、ボツラパベルはチェコスロバキアの地下運動家のリーダーでした。彼はクリスチャンではありませんでしたが、勇敢な人でした。彼は真実に生きると呼んだものの重要性についてのエッセイを書きました。彼はその架空の例を持ち出しました。それは共産主義の下の八百屋、ある人が果物野菜スタンドを所持しているとします。そして彼はその都市に住む誰もが共産主義のスローガンの看板をそのショーウインドウに掲げなければならない場合のことについて書きました。彼らがその看板を掲げれば彼らに対して政府は嫌がらせをしないので、彼は適合者として知られます。


しかしもしもその八百屋がそのスローガンの看板を外したとしたらどうなるでしょうか?そうですね、政府はそこに来て、多分彼のビジネスを閉鎖するので彼は仕事ができなくなって、彼の子供も大学にいけなくなり、彼は普通の人ではなくなります。しかし、彼は苦しみを受け入れる意欲を示していました。彼は真実のためにシステム内で誠実に生き続けることが可能であることを示しました。ほとんどの人々は彼の例に従わないでしょうが、しかし他の人の中には、真実に立って正しいことをすることができるし、喜んでその結果を受け入れることができる、という人がいるでしょう。そして多分私もそうすることができます。そして最終的にはそのシステムを終わらせることができます。それは今日の私達にとって強力な教訓だと思います。そして企業や学校や大学の人たちが口にすることは私達はそれが嘘だと知っています。それは社会主義のイデオロギーと関係しているのです。


私達が自分の中に「ノー」と言う勇気を見つけることができれば、「私は言わない」「私は自分の名前をサインするつもりはない」「私は誓わない」と言い、そして自分たちはその結果を喜んで受け入れる、と言うのです。そして他の人々に対しても私達に参加することが可能であることを示します。そして十分な数の人たちが私達に参加すれば私達はこの種のことを覆すことができるのです。しかし、この真実へのコミットメントは兵士が必要としていることの一つであり、真実に対するこの基本的な方向性が彼らの抵抗の基盤となりました。


---(ビデオ終わり)---


 

パンザー会長:


ロッド・ドレーヤーに対するこのインタビューは私にとってとても魅力的でしたが、彼は私達の国の状況について正しく説明してくれたと思います。

私達の自由はすでに何年も前から取り上げられてきました。本当に信じられないくらい短期間に自由が無くなりました。


もちろん私達にはコロナウイルスによるロックダウンがあって、しかしまた彼らは保守派たちを監視しているのです。多くの保守派たちのユーチューブチャンネルが取り除かれて、もちろん私達自身のロッド・オブ・キングダムのチャンネルも取り除かれました。


多くの銀行は彼らが保守派のグループとはビジネスをしたくないと言います。ここアメリカではビザやマスターカードはNRAとはビジネスをしないと思います。それは本当に大企業の社会的なコントロールなのです。それは政府のロックダウン命令とコンビネーションのコントロールです。多くの場合は非憲法的なのです。


そして今日私が後に取り組もうと思う企業の一つは、左の神学を持った企業と企業の取締役会の浸透です。大企業は保守を迫害しようとします。


ジョージアの例を見れば投票のための有権者身分証明の提示要求の法案が可決されました。それはとても良いアイデイアです。しかしその有権者IDを取得することができない黒人たちにとってはそれは明らかに屈辱的なことだと私は言いたいですが、またそれは投票の拡張でもあります。

この国の多くの州では法律は厳しくなくなっているのです。野球のオールスターゲームはジョージア州からコロラド州に移されました。投票の正当性を願う州に対する迫害がジョージアに向けられています。


それは基本的に左翼から始まっています。カール・マルクスはこのアメリカで実際に起こっていることを見て喜んで驚いていると思います。プロレタリア(資本主義社会における賃金労働者)がその境界線を越えて資本家の領域に踏み込むことのできる構想を書いた人は誰もいないと思いますが、そして教育された資本家達は左翼の支配を強要されます。私達は更に中国のようになっていきます。そして私達はこれを遠ざけなければなりません。そして彼が行ったように私達は人気やキャリアや仕事よりも真実に価値をおかなければなりません。私達がそのようにできないならば真実の少数派のクリスチャンたちは疎外されて良くない状況になります。


ですから私達は立ち上がって、勇気を持って真実を伝える必要があります。私自身のことを言えば私は自分のFBに様々なことを掲載していますが、私は自分の親戚や友人からの情報が欲しいのでそのようにしているのです。友人の牧師たちもコメントを書いてくれますが彼らがどのように気付いたのかという情報が必要なのです。しかしまた私自身を評価してみると何をFBに書いたら良いのかということなのです。そして私は真実を書き込もうと挑戦しています。私達はその事を通してしか方法を見つけられません。

二代王様は多くの方法で読まれます。


 

◆では次に大きなビジネスは何をしているかについての記事を読もうと思います。


---(記事)---


「大企業は左翼の歩兵として喜んで参加する。」


企業連合はビジネスリーダーが人々に彼らが要求する価格を支払うように強制する方法について共に共謀する時に形成されます。しかし、CEOが共謀して価格でなく投票のルールに従って人々にプレイを強要する場合それはなんと呼ばれますか?アメリカの企業がアメリカの民主主義を覆そうとしたことは一度もないので、英語にはそれを意味する言葉はありません。今までは。


週末に100人近くのトップ企業のリーダーが、ジョージア州が可決したばかりの選挙安全法に反対するためにどのように取り組むことができるかについて、知能顧問を招集しました。

リストにはデルタ航空、アメリカン航空、ユナイテッド航空などの大手企業が含まれていました。スターバックス。目標:Linkedlin、リーバイ、ストラウス、コカコーラ、メジャーリーグ、UPS(輸送会社)NFLのアトランタフアルコンズ、AMCシアターズ、それ以上。PJメデイアのジニア編集長であるタイラー・オニールは「選挙の完全性関する法律を攻撃する資本を目覚めさせた」ことは「継続的な話」であると述べました。Face Book のマーク・ザッカーバーグが4億ドルを注ぎ込んで、青の(民主党)地域の投票率を上げ、「ジョー・バイデンが選挙を締めくくるのに役立った投票率を上げた」ので、2020年の選挙でその事を見ました。そして私達はそれを巨大企業がその選挙安全法をめぐってジョージアをボイコットすることを脅かしていると見続けています。

彼らは中国とキューバの共産主義政権と協力することに間違いありません。


政府は選挙を保護する責任があり、その責任を企業の指導者に再割当てするための全国的な国民投票があるのは見たことがありません。1%の人々が自分たちを考えるのと同じくらい重要ですが、州政府から権威を奪ったり、人々の声を消したりすることはありません。


上院の少数派党指導者のミッチ・マッコーネル(共和党)は彼らに「それはあなた方が設計されたものではない」と鋭く警告しました。大企業は喜んで左翼の社会政策の騾馬になりました。

そして州に対する彼らの戦争は単なる選挙法を越えています。


例えばNCAAの女性スポーツに対する戦争を考えてみましょう。月曜日に彼らの理事会は、女性として特定する男性が女性のスポーツに参加できる、つまり不当に支配できると宣言しました。彼らは場所に「差別がない」事を要求することによって、女性のスポーツを保護する州から選手権を撤退させると脅かしました。一方女性のスポーツを保護する州のリストは急速に増えています。アイダホ州は昨年最初の保護を制定し、アーカンソー州、ミシシッピ州、テネシー州もそれに続きました。同様の法案が他の29州で導入されており、フロリダ、テキサスなどの州を積極的に通過しています。サウスダコタ州の知事のクリスティー・ノーム(共和党)が女性のスポーツを保護する法案を破棄した時に受けた反発に基づいて、彼女は自分の政治的未来も破棄した可能性があり、女性のスポーツを保護する勢いの程度を強力に示しています。全てが言われ、行われる時にNCAA は差別に反対するふりをしながらいくつの州を差別しますか?


フロリダ州議会議員のクリス・ラトヴァラは(共和党)NCAAの弓が横切って撃たれるのを押し返し、「NCAAはフロリダの家で行うことではなく、自分の家に焦点を合わせる必要がある」と述べました。言い換えればNCAAが女性に男性との競争を強いることで、女性を差別するのをやめたらどうか、と言いました。


ミシシッピ州上院議員のクリス・マクダニエル(共和党)は更にカラフルでした。彼は「NCAAで[ブザー]を鳴らす」と反論しました。彼が「競争相手に安全で健康的な環境を提供することを本当に気にかけているのなら、それはミシシッピ州の先導に従うでしょう。NCAAの男性と競争して女性のスポーツを物理的に支配することに関するその[目覚めた]姿勢について講義する人もいますが、私は快適に話をすることができます。ミシシッピ州民の圧倒的多数のために私のコメントを簡潔にそして要点を述べます。:NCAAに[怒る]こと。」


フロリダ州知事のロン・デサンテイスは「私達のプロセスは選出された人々によって統治されています。大企業によって代表され統治されるべきではありません。」と述べました。それが私達自身の選挙を実行しているのか、私達自身の文化的価値観を擁護しているのかに関わらず、アメリカ人は彼らがよりよく知っていると主張する少数のエリートに親切には応じません。アメリカ人が彼らの投票用紙と彼らの財布で大企業を叱責する時、、大企業は驚いてはいけません。


---(記事終わり)---

 

パンザー会長:

皆さんがここのポイントを掴まれたと思います。

私は州がこのような迫害する大企業に対抗して立ち上がっていることを皆さんが見ることを本当にお薦めしたいです。

私は常に自由企業を支持しています。

しかしもしも企業が残りの人々を迫害し始めて、彼らをもっと価値視するように言えば私は「ノー」といいます。「私達にはそんな間抜けな企業は要らない。この州から出ていけ。」といいます。そしてもしも私達に必要ならば、自分たち独自の選手の協会を作れば良いと思います。そしてその自由な州の協会内での競技では生物学的男性と競争する必要はありません。人々は立ち上がって押し返しているのを見ることができます。そして他の国々も左翼から立ち上がることを願いますが、もしそうでなければその国は分断されるでしょう。

私達が覚えておかなければならないことは、もしもサタンの価値観によって情報取引が行われれば神の価値観はサタン的な価値観とは一つになれません。


何かが腐敗すれば神は分別しなければなりません。そうでなければ神はサタンと一つになりますか?そうではありません。神の子女達、サタンとアダムとエバはエデンの園で失敗しました。なぜなら神様はサタン的な価値観と一つになってほしくはなかったのです。神様はサタンの先導に従ってほしくはありませんでした。


今日も同じで私達は自分たちの信じていることに立ち上がらなければなりません。私は多くの州が立ち上がったのを嬉しく思いますが、サウスダコタの州知事のクリステイ−・ノームを気の毒に思います。彼女は目覚めなければなりません。


(翻訳、46:40まで)

2021年4月30日金曜日

21年4月28日韓国語水曜礼拝◆私達は排斥されても神様の言葉を伝える預言者

私達は排斥されても神様の言葉を伝える預言者

2021年4月28日韓国語水曜礼拝<>

ティム・エルダー本部長

Sanctuary Church Korean Wednesday Service 04/28・21


11:44 翻訳:minion 監修fanclub

今日は二代王様はいらっしゃいませんが、二代王様がいらっしゃらない間も同じ基準を守るという気持ちで礼拝をお捧げします。


特に今日は、ペンシルベニアの東部地域は30度近くまで気温が上がると言うことですので、春を過ぎて初夏の天候になっていると思います。

教会の前には二代王様が植えられた色々な果実の木が花を咲かせています。特にリンゴの木ですよね。白い花はリンゴの木ですね。枝枝に沢山咲いています。今も綺麗ですが、これから5年後、10年後、20年後には、木々がどれほど美しい姿になるだろうかと、これからの春を期待しています。


それを見ながら、私が考えることは、神様が私たちをご覧になる気持ちもそうなのではないかと考えます。私達一人一人が完成するとき、どれほど美しい人になるか、どれほど美しい創造物になるか、そのように期待される心情を、私達はその木を見ながら学ぶことが出来るのではないかという、そのような思いになります。

その様な面で私たちが人格完成、家庭完成、そしてそれから主管性完成のためにもっと努力する気持ちになれたら嬉しいです。


今日は、私が祈りながら受けた聖書の句節は使徒行伝15章です。

ユ・ノスク勧士が韓国語で読んで下さいます。

御言を読む前に(少し状況を説明します)。初期の教会の信徒達は、メシアがこの世界に来られて行かれたのですが、最初はすぐに再臨されると思っていました。使徒行伝1章を見たらイエス様が昇天された場面があるのですが、それを弟子達はずっと天を見つめていました。

「上がって行かれたが、すぐに下りてこられるだろう、完全に行かれたわけではないだろう、すぐに来られるだろう」と。

しかし、5分10分待っても来られず、1時間待っても来られないので、結局、横に立っていた天使ですね。白い服を着た男性だと聖書に出てきますが、天使達は「どんなに見ていても来られない。行かれたのと同じ路程で来られるだろう」と弟子達に教えます。どういう意味かというと、これから結局、赤ちゃんとして生まれて、女性の子宮を通して、この世界に生まれて、苦難の道を経て、そして世界を救うそのような摂理をされるだろう。このような意味で私たちはお父様の教えを通して知っています。


使徒1:10イエスの上って行かれるとき、彼らが天を見つめていると、見よ、白い衣を着たふたりの人が、彼らのそばに立っていて 1:11言った、「ガリラヤの人たちよ、なぜ天を仰いで立っているのか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう」。


ところで、使徒行伝に記録された、このような路程を歩んでいるキリスト教徒達は未だに分かっていません。今日は来られなくても明日は来られるだろう。まさか明後日、いや、その時も来られないのではないかと、このような期待を持ってずっと生きていた人々です。それでも来られないのでパウロを中心としてキリスト教の信仰を伝えることを始めました。


しかし、伝える過程で少し問題が起こりました。イエス様はユダヤ人を中心に伝道をされたのですが、私たちもその様にするのか、或いは異邦人も伝道しなければならないのか。また異邦人が入教したときにモーセの法を守らなければならないのか。ですから、まずユダヤ教に改宗して、ユダヤ教に入教してから次の段階でキリスト教に入教しなければならないと主張する人達がいました。


しかし、パウロはそれに対して反対しました。「そうではない。イエス様は全ての人類の為に来られた方であり、ユダヤ教を信じてこそイエス様に会うことができるというのは違う。」このように発言しました。それで、その場面を現したのが、ここ使徒行伝15章です。


エルサレムで大きな会議をしました。総会をしました。当時としては、初期キリスト教の全ての指導者が集まってこの問題をどのように解決するのかと会議をしました。その会議をどのようになったのか読んでみて下さい。


使徒行伝15章。

15:1さて、ある人たちがユダヤから下ってきて、兄弟たちに「あなたがたも、モーセの慣例にしたがって割礼を受けなければ、救われない」と、説いていた。


15:5ところが、パリサイ派から信仰にはいってきた人たちが立って、「異邦人にも割礼を施し、またモーセの律法を守らせるべきである」と主張した。


15:7激しい争論があった後、ペテロが立って言った、「兄弟たちよ、ご承知のとおり、異邦人がわたしの口から福音の言葉を聞いて信じるようにと、神は初めのころに、諸君の中からわたしをお選びになったのである。

15:8そして、人の心をご存じである神は、聖霊をわれわれに賜わったと同様に彼らにも賜わって、彼らに対してあかしをなし、

15:9また、その信仰によって彼らの心をきよめ、われわれと彼らとの間に、なんの分けへだてもなさらなかった。

15:10しかるに、諸君はなぜ、今われわれの先祖もわれわれ自身も、負いきれなかったくびきをあの弟子たちの首にかけて、神を試みるのか。

15:11確かに、主イエスのめぐみによって、われわれは救われるのだと信じるが、彼らとても同様である」。

15:12すると、全会衆は黙ってしまった。それから、バルナバとパウロとが、彼らをとおして異邦人の間に神が行われた数々のしるしと奇跡のことを、説明するのを聞いた。


15:25そこで、わたしたちは人々を選んで、愛するバルナバおよびパウロと共に、あなたがたのもとに派遣することに、衆議一決した。

15:27彼らと共に、ユダとシラスとを派遣する次第である。この人たちは、あなたがたに、同じ趣旨のことを、口頭でも伝えるであろう。

15:28すなわち、聖霊とわたしたちとは、次の必要事項のほかは、どんな負担をも、あなたがたに負わせないことに決めた。

15:29それは、偶像に供えたものと、血と、絞め殺したものと、不品行とを、避けるということである。これらのものから遠ざかっておれば、それでよろしい。以上」。


15:35パウロとバルナバとはアンテオケに滞在をつづけて、ほかの多くの人たちと共に、主の言葉を教えかつ宣べ伝えた。


そこまで、35節まで読みました。この後、パウロとバルナバが少し争ったのですが、その部分は読まなくても良いでしょう。


とにかく私たちがここで学ぶことができるのは、神様は時代ごとに条件を立てられます。それでモーセには多くの律法を下さいました。ユダヤ民族には律法を守るように命を言われました。それには十戒だけでなく無数の法が定められていました。


このようなものは食べて良くあのようなものは食べてはいけない、それから割礼をすることはもちろんのこと。

ところで、ここ10節に出てくるように、私たちの先祖もそのごとくに守っていないのに、どうして私たちが新しく入教した異邦人に強要するのか、どうして正当化することができるのかについてここで指摘しています。


しかし、イエス様は実際、これを守らなくても良いように条件を既に立てられました。イエス様が摂理をそのように進展して下さったのです。ですから、昔の律法を守らなくてもイエス様を迎えて、そして聖霊を迎えることができる条件を、イエス様が十字架上で勝利されることによって立てられたのです。


私たちも、統一教会に通ってからいくらもたたない人は、昔に比べたら、今は条件が大変緩和されたでしょ?昔は礼拝のたびに断食しました。そのようなことが思い出されます。礼拝のたびに朝食断食をして、祝福を受ける前は少なくとも3年が経ってなければならず、そして家庭を持つ前は霊の子女が3人ずついなければならず、このような多くの条件がありました。七日断食もありましたね。


しかし、今は二代王様は、真のお父様を万王の王、真の父母、救世主として信じる人には誰でも祝福を下賜して下さいます。さらに、二代王様がお父様の唯一の代身者、相続者として受け入れて、そして、今後、三代王になる方を認定し受け入れさえすれば、誰でも祝福をしてくださるのです。


これは神様の恩恵によってその様になったのです。本来は、私たちが昔あった条件を充足して、そうしたら祝福を受ける資格があったのか。そうではありません。祝福は資格があるから受けるのではありません。ひたすら、神様の恩恵として受けるのです。


私たちが最低限の責任分担をしなければならないので、お父様が条件を立てられたのですが、その条件を下さったのも恩恵だったのです。今、考えてみたら。


しかし、今、その様な条件を立てなければならない時代が過ぎたので、今は先ほどお話した条件を充足させたら受けることができます。


ここでは、20節と29節に異邦人は最低限の条件が羅列されていますね。29節をもう一度読んで下さい。


15:29それは、偶像に供えたものと、血と、絞め殺したものと、不品行とを、避けるということである。これらのものから遠ざかっておれば、それでよろしい。以上」。


はい、そうです。ここで絶対性の御言もありますね。不品行(韓国語聖書は淫行)を避けると出ています。そして偶像に...ここ英語の聖書では偶像に捧げられた肉を食べるなと翻訳されています。とにかく偶像に供えられた食べ物、これは既に偶像の霊を受けているため、キリスト教徒はこれを食べてはならないとなっていますが、私がこれを読むときに考えることは、名節の時にお父様が捧げられた聖餐を私たちが、行事が終わったら全て持って行きますね。


どうしてそうするのですか?お父様は行事の時に聖餐をお召し上がられます。その時お食事をなさいます。ですから勿論、ご飯と汁とおかずを召し上がられますが、前にある全ての果物やお菓子などを一緒に召し上がる条件を立てられるのであって、後で私たちがそれを分けて食べる時、私たちもお父様を、真の父母様に侍って食事をした、このような条件になるのではないかと考えます。


では何故、偶像から受けた餐、供え物から出てきた食べ物をどうして食べてはいけないのか。偶像はサタンですね。サタンに侍って食事をした条件になるため、キリスト教徒達は避けると考えます。


ですから、霊的なことは実体です。霊界は私たちがただ想像するものではありません。今、科学はそれをまだ受け入れませんが、お父様ははっきりと話されました。平和世界が来れば、条件の一つとして全ての人は霊界が分からなければならない。はっきりと分からなければならないと話されました。


ですから、お父様の聖餐からのものを食べる時と、偶像の供え物からのものを食べる時と、明らかにここに霊的に大きな違いがあります。それを私たちが認識し気を付けて、名節の時に、そのようなお父様の聖餐からのものを食べる事ができる、そのような恩恵を感謝する必要があると考えます。


ここ本部教会だけでなく、名節ごとに世界のあちらこちらにあるサンクチュアリ教会で聖餐を準備して、お父様に捧げ、後でその食べ物を分けますね。その時ごとに私たちがお父様の食事の下賜を受け、お父様に侍って食事をするのだという心で参席することが必要だと考えます。


それで「この最小の条件だけ立てればあなたたちは平和を受けることになる。」...救いを受けるという言葉はありません。救いはどのようにして受けるのか?イエス様ははっきりと語られました。「私を信じる者は誰でも永遠の命を受けるだろう」とおっしゃったので、ここ15章29節に出ている条件を立てたと(言っても)救いを受けることではありません。それはイエス様を信じたらなります。食べ物を食べたからと言ってそうなるわけではありません。それでもこの条件に注意したら平和を受けるだろうということです。


ところで不品行(淫行)は、特にその時、初期キリスト教の人達は、私たちのように絶対性教育を受けていないため他のことと比べてどれだけ重要かと言うことを認識できないのかも知れませんが、それでもここに不品行(淫行)という言葉が一つ出てくることは幸いな事です。


それで、これさえ守れば異邦人も、まずユダヤ教に入教しなくても、モーセの律法を守らなくても、その様な条件を立てなくても、イエス様が立てられた条件のお陰で、救いを受けることだろうというところなのです。


初期キリスト教の人達は継続して迫害を受けながら、何百年間も迫害を受けながらも、それでも迫害の中で信仰を維持して、1時代、2時代ではなく、それを子女達に相続して、そして結局4世紀にローマで勝利する日までそれを守り続けました。それはどれほど立派なことでしょうか。


初期キリスト教の人達は子女を育てるときも、どうして私たちだけが迫害されなければならないのか、他の人達は私たちを変な目で見て、そして似非宗教だという言葉も多く聞いたことでしょう。初期キリスト教の人達は。しかし、結局それが真理なので、結局4世紀に勝ちました。ローマに勝ちました。


しかし問題は何であったかと言うと、その時、ローマ国家、ローマと主体と対象の関係があったので、結局キリスト教がずっと主体の立場を守らなければならなかったのに、そうできませんでした。それがキリスト教の悲劇だと言うことができます。


では「あなたたちを許してあげるので、宗教の自由をあげるから、私たちの下に入りなさい。私たちを、ローマをあなたたちの主体だと認めなさい。」このような誘惑に勝つことができなかったようです。


それで結局その時からキリスト教の腐敗が生じ、様々な問題がその後1000年以上続きました。

ところが宗教改革で16世紀に改革があったのですが、その時も結局、ルターや違う宗教改革を推し進める人達が、結局はやはり国家指導者、外的な力のある人達に頼りながら改革をしました。これも問題です。


それで、これを見るとき私たちが初期キリスト教の人達の信仰を尊敬して、それを学ぶことも良いのですが、後に国家との関係を正しく立てることができなかったという教訓も得なければならないと考えます。


結局、私たちにもその様なときが来ることでしょう。「さあ、あなたたちは社会でこれ以上、排斥される立場ではなく、完全に受け入れる、その代わりに我が国家に精誠を尽くしなさい。」その様な日が来ることでしょう。


「大統領にも会えるようにしてあげる、色々な行事にも招待する、しかし、その条件として国家に精誠を尽くさなければならない。」その様な言葉があるでしょう。

すでに中共はそうですね。共産党に忠誠を捧げる宗教だけが認定されています。忠誠を尽くさなければ法輪功のように、地下キリスト教のように多くの迫害を受けます。


ところで、それは中共だけではありません。米国や韓国でも同じ現象が起こり得ます。「大統領の就任式に招待する。その代わりにあなたたちの姿勢を変えなさい。」このような言葉があることでしょう。


しかし、キリスト教はいつも預言者の立場です。預言者は何か?王に正しい言葉を伝えることが預言者です。神様の立場として。「これは違う。悔い改めなさい。」悔い改めなさいと叫んで廻るのが預言者ではありませんか?ですから、預言者は常に人気がありません。いつも国家の指導者が嫌うのが預言者です。


自分の思い通りにしたいのに、しょっちゅう預言者が来て神様の道はこっちだ。違う道を行こうとしているから悔い改めなさい。その様に言うのです。


しかし預言者がその立場を守らなければ、どうなりますか?神様が話すチャンネルがなくなります。そうなれば、その国は滅びます。


イエス様は、神様が多くの預言者を送られたが、そのたびに排斥して石で殺したではないか。それは結局神様のメッセンジャーです。神様の御言を伝える人達です。ところで、その様な立場を継続して守ることも難しいことです。


お父様がそうでした。国家がどんなことを言っても、社会がどんなことを言っても、メシアとして真の父母として言わなければならない言葉を継続して言われました。


おそらくワシントンタイムズでその時は何周年記でしたでしょうか、 おそらく25周年でしたでしょうか、30年前、ワシントンでお父様が演説をされました。大きなホテルで約1000名ほど、人々を招待されて御言を話されました。その時はワシントンタイムズですから、政治界、経済界、そして各界の米国のエリートたちが集まりました。ワシントンタイムズが主催する行事であるからです。 


ところでお父様はその席でどのような御言を語られたかと言いますと、イエス様について御言を語られ、マリアンに対して語られ、そしてイエス様の生涯路程においてマリアが責任分担を果たせなかったことに対して、御言を語られました。 

これは米国の政治家、経済人達を集めるところで絶対に話してはならない言葉だけを話されました。 


実際私も参加して、そしてその時に語られた内容を、お父様が予め作られた原稿を 翻訳をするように言われたことを思い出しているのですが、その時ワシントンタイムズの責任を持っていた人が続けてお父様に懇願しました。「お父様、どうかお父様が準備された原稿をお考えにならず、私が個別に準備した原稿がありますので、この原稿をどうか代わりに読んでください」と、この人は言いました。


なぜならば誰が見ても、お父様が準備された内容を、そのまま読んでしまえば完全にこの行事が失敗することが、あまりにも当然であったからです。

ですから最後まで、お父様が壇上にあがられるその瞬間まで、この責任者はずっとお父様にしがみついて「どうか私が準備したこの原稿がありますので、これは無難な原稿です。これをどうか考えてください」と。

しかしお父様はそうされませんでした。


そして1000人集まった人々、 長く話されました。長く話された最後に、1000人集まった人の中で、後で見ると、お父様の御言が終わる頃には、私が見たところ一人も残っていませんでした。全ての人が「何を言っているのか」と言ってみんな出て行ってしまいました。

イエス様について話をしされたのでユダヤ人たちがまず出て行って、マリアについて話をされたのでカトリックの人たちが出て行って、そしてこのような政治家の人達を集めて宗教の話をしたので、残りの人たちもみんな出て行きました。無神論者も皆出て行きました。ですから残った人がいませんでした。スタッフだけが残りました。 

それでもお父様は、失敗であるとみなされませんでした。「預言者として、メシアとして話さなければならないことを話したので成功したのである。これを受け入れるか、受け入れないかはその人たちの責任である。」それが責任分担です。お父様さんはメシアとして言わなければならない責任分担をされたのであり、聞いた人の責任分担はその人の問題なのです。 


ところで、そのようにすることは実際勇気が必要です。私たちは「社会が私たちを受け入れてくれば良いのに、私達を認めてくれれば良いのに」そのような気持ちがありませんか? しかし「違う、私たちは、誰が私たちを批判したとしてもずっと行くべき道を行く」と言う信念をずっと持ち続けることは簡単ではありません。

そこでやはり社会に出て行こうとする人もいるでしょう。ところで続けて残っている人達もいることでしょう。 ところで私たちは最後まで残る人々になることができれば良いと思います。

社会的に成功することが問題なのか?私たちが大統領になることが問題なのか?私たちが大会社で経営陣になることが問題なのか?何か大きな大学の教授になり名誉教授になることが問題なのか?ニューヨークタイムズのベストセラーに上がる本を5冊、10冊、書くことが問題なのか?

そうではありません。それは全て重要ではありません。

重要なことは神様の御言を聞いて、神様が望まれる道を歩むことが問題なのです。


ある時には経済的に難しくなる時もあります。しかしそれは神様が喜んでおられるのであるならば、喜ばれる道を行くのであるならば、それよりも価値が有るものは無いのです。 

今日は短く御言を伝えることになりました。

最後に私が祈祷をいたします。


- 祈祷 -


天にまします私達の神なるお父様、感謝いたします。今日天基12年天暦3月17日、私たちは神様を中心にニューファンドランド、サンクチュアリー教会に集まりました。

神様が今、世界のあちらこちらで、努力している食口たち、そして祝福家庭を見守り、そして導いてくださっていることを知っています。

その全ての祝福家庭が神様の御言を受入れ聞いて、そして自分の本心、良心に従って生活できますように勇気を与えてくださりますよう懇切にお願い申し上げます。


また、トランプ大統領のために祈祷を捧げます。 

今米国は非常に難しい時期を経ていますが、神様の導きさえあれば、私たちが成功的に勝利的に経ることが出来ると、そのように信じています。


ここに二代王様が語られる内容を心の底で受け入れて、日々成長して行き、そして人格を完成させ、家庭を完成させ、主管性を完成させることができる姿を神様にお見せすることができるそのような日が早く来るように努力することを神様に約束いたします。


感謝します。今、神様が使われている全ての国家指導者たち、世界各国の国家指導者達が心の中で、神様の御言を聞くこと ができる、そのような恩恵をくださるよう懇切にお願い申し上げます。

感謝いたします。

この全ての内容を、祝福中心家庭ティム・エルダー、ユ・ノスクの名によって報告お伝えいたします。 


アジュ

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