Friday, April 10, 2020

20年4月5日 英語日曜礼拝<前編> 神様がいなければ、闇だけがある ◆ 文亨進二代王

2020年4月5日 英語日曜礼拝<前編>
神様がいなければ、闇だけがある

https://www.youtube.com/watch?v=29tNYbEGt-8



ジュリーヘインさんのシューティングクラスです。とも本格的で目の写真をとって科学的で本格的です。シューティングに関して目や脳の動きを科学的に分析して説明します。素晴らしい証、御父様を通して銃を撃つきっかけになりました。



翻訳:YUMI HOSHINO 編集fanclub
士師記映像翻訳:聖殿情報

二代王様:
それではビデオに行きましょう。テクチーム、ビデオの準備してください。士師記概要です。
 
士師記 バイブル プロジェクト ザ ブック オブ ジャッジズ THE BOOK OF JUDGES  

ヨシュアがイスラエルの部族を約束の地に導いた後、ヨシュアは、イスラエルの民に律法の命令に従うことによって、神との契約に忠実であるようにと呼びかけました。そうすれば、神がどのような神であるかを他のすべての国に示す…というのです。

士師記はヨシュアの死の話から始まります。基本的には、イスラエルの完全な失敗の話を教えます。この「ジャッジズ」という本の名前は、当時のイスラエルのリーダー達のタイプ(職責名)から来てきます。イスラエルの民は王を持つ前にこれらの士師達によって治められていたのです。(「ジャッジ」と言っても)裁判官ではありません。各地域の政治的・軍隊のリーダー達です。部族長のようなものです。

士師記は非常に乱れて暴力的であることに注意する必要があります。イスラエルの道徳的腐敗と悪い指導者の悲劇的な物語を教えます。基本的にカナン人と変わりません。

しかし、この悲しい物語は未来への希望を生み出すことも意図しています。この本は次のように構成されています。

イスラエルの失敗の舞台の紹介から始まります。彼らは(カナンの地を征服しながらも)生き残りのカナン人を追い出さなかったのです。大きなメインセクションには、イスラエルの士師達の腐敗の拡大に関する物語があります。イスラエルのリーダーがどのように、かなり良い状態から、悪い状態へ進行するかを見せています。

最後のセクションは本当に乱れています。イスラエル国民全体の腐敗を見せています。では、各部をもう少し詳しく見ていきましょう。

オープニング セクションは約束の地に居るイスラエルの部族から始まります。ヨシュアがいくつかの主要なカナン人の町を破りました。まだ取るべき土地がたくさんありました。これらの地域には多くのカナン人が住んでいました。

▼チャプター1
チャプター1=第一章では、カナン人のグループと町の長いリストが書いてあります。イスラエルが約束の地からカナン人を追い出す事に失敗した所です。

ここで、覚えておいて下さい。カナン人を追い出すポイントは、道徳の腐敗を避け、子供をにする神達への崇拝を避ける為です。

神はイスラエルの民を「ホーリー ピープル」と呼ばれました。しかし、民達はそうはなれませんでした。

▼チャプター2

チャプター2では、イスラエルの民がカナン人とどのように同化し、すべての文化的、宗教的に取り入れたかが書かれています。

ここで物語が止まります。ほぼ全体の章でナレーターは、これから起こるすべての概要を教えてくれます。

ナレーターによると、イスラエルの歴史のこの部分は、一連のサイクルが下降スパイラルで動いていました。イスラエルの民はカナン人のようになり、彼らは神に対して罪を犯しました。そうして、神は彼らがカナン人に征服されることを許されました。そして最終的にイスラエルの民は自分達の誤りを知り悔い改めます。そうして、神はイスラエルの中から敵を打ち負かした士師を立て、平和の時代をもたらします。

しかし、最終的にイスラエルは再び罪を犯します。そして、最初からやり直します。このサイクルは、本の次のメイン セクションの文学的なデザインと流れを提供します。物語が語られる6人の主な士師達のそれぞれに対して繰り返されるのです。

▼オスネイル=オトニエル、エフド、デボラ

物語の最初の3人の士師は、オスネイル=オトニエル、エフド、デボラであり、冒険物語であり、また、非常に血まみれの物語です。その士師達と士師を助けた人達は、敵を打ち負かし、イスラエルの民を救い出します

ストーリーは次の3人の士師についてであり、ますます悪くなる士師達の性格の欠陥に焦点を当てます。

▼ギデオン

ギデオンは臆病者ですが、最終的に彼を通して神がイスラエルを救えると信じるようになります。
ギデオンはたいまつと土鍋を持つわずか3百人の男でミディアン人の巨大な軍隊を打ち負かします。

しかし、ギデオンは厄介なことに、彼を助けなかった仲間のイスラエル人の集団を殺します。そこからすべて下り坂になります。彼は戦いで勝ち取ったから偶像を作ります。ギデオンが死んだ後、全イスラエルの民は、その偶像を神として崇めて、再びサイクルが始まるのです。

▼エフタ

次の士師はエフタで、彼はならず者で丘の上に住んでいました。イスラエルに紛争が起こると長老達がエフタに助けを求めました。エフタは大変有能なリーダーで、アンモン人との戦いに勝ちました。

エフタはイスラエルの神についてよく知らず、戦闘に勝ったらカナンの神に対するように、独り娘を生贄にして神に捧げます。戦いに勝ったらエフタが娘を生贄にすることを誓います。

この悲劇的な物語は、イスラエルの民が自分達の神について知る事ができないほど堕落した事を示しています。それが殺人と偽りの崇拝を引き起こしたのです。

▼サムソン

最後の士師であるサムソンはさらに最悪です。彼の人生は約束されていました。しかし、彼はイスラエルの神を顧みません。彼は無差別に暴力的で傲慢でした。サムソンはペリシテ人に対する残酷な戦略的勝利をしました。しかし、それはただ彼の完全性によるものでした。そして、彼の人生は大量殺人の激しいラッシュで終わります。

▼ノート

ここで簡単なノートを書いて置きましょう。本のメインセクションで繰り返されるテーマに気が付きます。つまり、重要な瞬間に、士師達それぞれに神のスピリットが救出を達成する偉大な力を与えるという事です。

神がこれらの本当にでたらめな人々を使われているという事実は、士師達が決定したすべてを神が支持しておられる事を意味しません。神は何よりもまず神の民を救う事を約束されました。しかし、これらの腐敗した指導者を通し御業をされるしかありませんでした。

セクション全体は、物事がいかに悪くなったかを示すように書かれています。イスラエル人とカナン人を区別する事もできません士師達はただのリーダーです。

▼最後のセクション

最後のセクションでは、イスラエルが完全に討たれてどん底に落ちた事を見せています。ここには二つの悲劇的な物語があります。彼らは臆病者ではないのですが。

本の終わりに4回繰り返される話が出ています。「当時、イスラエルには王がいなかった。 誰もが自分の目で正しいと思われる事をした」


最初の話はミカというイスラエル人についてです。ミカは偶像をる私的寺院を建てます。そしてそれはダンの部族から送られた私軍によって略奪されます。ダン族はすべてを盗み、ライシュの平和な街を焼き払い住民全員を殺します。

それは恐ろしい話です。イスラエルが自分の神が正しい事を忘れた時。

本のファイナル ストーリーはさらに悪くなります。セクシャル アビューズ(性的虐待)とバイオレンスのショッキングな話で、それがすべてイスラエル初の内戦につながります。大変、乱れます。

それがポイントです。これらの物語は警告として役立つ事を意図しています。イスラエルの自滅は、神に背を向けた結果です。神はイスラエルを愛し、エジプトの奴隷制から救った神でありましたが。イスラエルは再び自ら解放する必要があります。

この物語のかすかな希望の光は、本の最後のリピートされた部分です。それは実際に物語の最後の文になります。「イスラエルには王がいない」。
次の舞台は、ダビデ王の家族の起源をルツ記に伝えるために書かれています。また、イスラエルにおける王権そのものの起源は、第一サムエルの書です。

しかし、士師記は悲劇として価値があります。それは人間についての冷静な説明です。そして最終的には、民を救う王を送って下さる神の恵みの必要性を指摘します。それが「ブック オブ ジャッジズ」です。

 以上翻訳:聖殿情報 以下翻訳YUMI HOSHINO

二代王様:
オーライ!とても良くできた士師記のあらすじです。それでは士師記の21章に行きましょう。19節を見てください。ビデオの中で話しているのは彼らが行った性的暴力についてです。聖句を読んでから学習しましょう。19節です。
(士師記21章19節)
 21:19それで彼らは言った、「年々シロに主の祭がある」。シロはベテルの北にあって、ベテルからシケムにのぼる大路の東、レバナの南にある。 21:20そして彼らはベニヤミンの人々に命じて言った、「あなたがたは行って、ぶどう畑に待ち伏せして、 21:21うかがいなさい。もしシロの娘たちが踊りを踊りに出てきたならば、ぶどう畑から出て、シロの娘たちのうちから、めいめい自分の妻をとって、ベニヤミンの地に連れて行きなさい。 21:22もしその父あるいは兄弟がきて、われわれに訴えるならば、われわれは彼らに、『われわれのために彼らをゆるしてください。戦争のときにわれわれは、彼らおのおのに妻をとってやらなかったし、またあなたがたも彼らに与えなかったからです。もし与えたならば、あなたがたは罪を犯したことになるからでした』と言いましょう」。 21:23ベニヤミンの人々はそのように行い、踊っている者どものうちから自分たちの数にしたがって妻を取り、それを連れて領地に帰り、町々を建てなおして、そこに住んだ。 21:24こうしてイスラエルの人々は、その時そこを去って、おのおのその部族および氏族に帰った。すなわちそこを立って、おのおのその嗣業の地に帰った。
21:25そのころ、イスラエルには王がなかったので、おのおの自分の目に正しいと見るところをおこなった。


二代王様:もう一度あらすじのスクリーンを出してください。最後の場面に士師記のあらすじの全ての絵が出てきましたね。その部分を停止してください。

さあ、何が起こったでしょう。彼らは偽の偶像を崇拝して堕ちていきました。
何と言ったかと言えば、“おのおのが自分の目に正しいと見ることを行った”これは何の哲学でしょうか?皆さんの考えることが正しいというのはどんな哲学ですか?
それは相対主義であり、ルシファー主義の基礎ですね。
全員が、「あー、それは本当にあなたにとって真実です。それは私にとって真実です。」というそれらは多分違いますね。真実は外的に誰もが考える事です。

引力は実在しますか?しませんか?皆さんが信じようと信じまいと引力は皆さんの外側に存在します。アーメン?それは真実ですね?

そこに絵が出てきましたね。真実は外側にあります。
宗教は皆さんの内面を探せば真理が見つけられると言いますが、そうではありません。皆さんは罪を発見し、腐敗を発見します。皆さんは堕落を発見し、歪曲を発見します。それらが皆さんが発見することです。皆さんが内面を見ればそこには貪欲と強欲を発見します。

いいですか?真理は私たちの外面に存在します。それは大きなことです。なぜなら私は仏教など多数の宗教が、自分の内面を見つめなさいと教えるからです。
もしも皆さんが救われて、神様の霊が皆さんの中に住んでおられるならば、皆さんには強い方位軸があるでしょう。それは皆さん自身の中に探しなさいと言う意味ではありません。皆さんはまた罪を発見するでしょう。しかしそれは神様の恩恵の中に覆われているのです。神様の力によって、私たちが持っている神様との関係性によって覆われているのです。オーケー?

その時に私たちがみ言葉を通して、聖句を通して、自分たちの心を調べてみる時に、私たちはキリストをより深く理解します。もしも私たちがそれと関係を持てば。それは大きな変化ですね。
キリストが誰なのか知らず、自分自身を発見するのは腐敗ですね。混乱と腐敗なのです。皆さんが発見するのは本能とそれはあまり祝えない自分の基準なのです。そうですね。

あの士師記を見てください。彼らはエジプトを出て、すぐに全ての戦いがあって、そのあとでカナンに到着しましたが、それは乳と蜜の流れる土地、約束の地にたどり着いたという事です。
彼らは他の多数の民族を倒して、安全で重要な土地を得ました。
しかし、何が起こりましたか?彼らはその精神を失い始めました。彼らは神様とのつながりを失い始めました。初めの場所を所有する目的は何でしたか?それはただ繁栄のためではありません。繁栄は何に向かいますか?快楽主義です。それも宗教の一つです。
繁栄は快楽主義の宗教に導きます。ですからそれは戦いです。
皆さんが繁栄すれば其の宗教と闘わなければなりません。
そしてもう一つの宗教があります。それは相対主義です。
そして相対主義の次は何ですか?道徳的相対主義です。それは快楽主義になります。

それでは若い人たちを見てください。彼らは社会的メディアに洗脳されて快楽主義のカルトに混ざります。快楽主義の宗教は何と言いますか?あなたは神になれると言います。あなたがしたいことは何でもできる、あなたが自分自身の現実を想像できると言います。

もちろん彼らは子供たちに沢山の幻想を注入します。彼らは性別を選べるし、それらの狂った主張全てです。要するにそれは彼らをその宗教に引っ張るのです。彼らを信奉者、信者にします。どこでも若い人たちはとても簡単です。裸の女の子を彼らに投げて、SEXをさせれば彼らはすぐに信奉者になります。何と哀れで動物的なのでしょうか?

ですから若い人たちには利用するのにとても簡単なシステムです。理解できますか?それは宗教的になるのです。それは倫理の形になっていきます。

このビデオが話しているように、それはどのように置き換えられるでしょうか?それは私の平等の権利となっていきます。なぜなら快楽主義の宗教と相対主義の宗教には制限がありません。道徳的差し止めがありません。その意味は皆さん自身自身の真理で決定できるのです。

それは文化に寄りますが、もしもクリスチャンの文化の中で生きていれば、私たちは殺人はしたくない、なぜなら規範は自分たちの所にあるので、と言います。
しかしもしも、キューバの様な或いは中国の様な権力があれば、大量に殺戮します。バーニーの狂人たちは自分たちが愛国者たちを殺すと言っています。ですからとても早く下がっていきます。その文化によって保たれています。

私たちはユダヤキリスト教文化を持っていますので、子供とのSEXは悪いという規範があります。それが悪いというのはユダヤキリスト教文化の規範だからです。

彼らは彼らがもっと力強く感じるまで、とてもそわそわと境界のテストを受けさせられます。ヒラリーが去るまでこれらすべての遅れた、洗脳された、トラウマのSEX中毒の子供たちはカリフォルニアのショーに来て、自分には未成年者とSEXをした友人がいるけど、彼らは牢屋に行ったけど、とてもいい人たちだ、牢屋に行ったのは馬鹿げている、と言います。
それはこのような白痴なのです。彼らは公開的にそれを促進しています。

そしてもちろん逸脱した違うタイプの性別を学校で促進し、子供たちが真実の倫理のどんなものとも交わるのも願いません。特にユダヤキリスト教が基礎の倫理です。

特にステファン モリノーの様な、彼はとても素晴らしい心と素晴らしい知識を持っていますが、実際彼は無神論者です。しかし、彼はクリスチャン文化文明を持った無神論者です。なぜなら彼は善良を生み出せと言っています。

興味深いのは彼はすべて侵略的ではない原理を生み出しました。そして本を書きましたね。彼が生み出したものは無神論にもなりえますが、その中にも善徳を保存しています。そして彼は無神論者たちがそれで幸せになると考えました。彼は祝福されると思いました。

“皆さん、私は哲学のシステムを発見しました。それは何故私たちが善を追求しなければならないかを説明しています。”と。そして大きな政府に対抗しています。なぜならば彼の動機は私たちだからです。

彼は無神論者のコミュニティに賛美されると思いました。しかしどうなったと思いますか?彼は無神論者たちのコミュニティから嫌われました。それは彼らは(無神論者たちは)カルトだからです。彼等の基本は知識ではありません。

彼は実際全てのシステムを構築しました。それは少なくとも無神論者の世界では倫理を持った最も強靭なシステムです。しかし、それは無神論者たちに嫌われたのです。彼がクリスチャンだったら彼らは喜んだでしょう。
彼は自分がクリスチャンに変わるか本当に深刻に考えている。なぜなら理由と論理では、哲学を通しては世界は変えられない、と考えるタイプの無神論者です。なぜなら人口の約10%だけが知的志向だからです。90%は動物的志向か本能的志向です。

彼は知的に訴えています。10%が知的志向です。ですから彼は“自分がこれで世界を本当に変えられるかどうかわからない”と最後に言っています。キリスト教の力は、神の倫理の力はどんな地球上の宗教とはるかに違います。
彼らは“イエスは復活したオシリスの神(古代エジプト神話の神と死者を裁く者)、墓から復活した。”と言っています。全くばかげています。彼等への全ての比較研究は終わっています。完全に彼らとは違うのです。

もっと勉強したければジェームズ ウッズのビデオを見てください。そこには最近の弁証学の素晴らしいビデオもあります。しかし無神論者の教授から何かを聞いたからと言って、馬鹿にならないでください。

ユダヤキリスト教は善の追求に私たちを導きます。私たち自身でなく、私たちの外側です。
なぜ真理を外側に追求することが重要なのでしょうか?
なぜなら皆さんが人のグループの中にいて、その人たちが土地のコントロールと真理は彼らの中にあると信じるとします。その皆さんは決して合衆国憲法や天一国憲法を理解できないでしょう。なぜなら真理は多彩であり得るからです。

しかし、もしもそのグループの人々が真理は外側にあると信じるなら、そして私たちが追求しなければならない外側の本物の真実以外は、誰も信頼しない、とするなら、実際それは個人の権利と人間の権利を守ろうとします。

もちろん共産主義やマルクス主義はそうしません。事実、殆どのマルクスの著書は彼らが暴力革命と呼ぶ権利について書いています。それは殺人です。彼は彼に反対する人たちのことを反動的と呼んでいます。それはただマルクス主義を認めない人たちと言う意味です。それは基本的に愛国者を意味します。しかしマルクスは反動的だと、彼らは反動している、と言います。資本主義が堕落し自然の成り行きでプロレタリアンがコントロールを取り戻すと言いますが、輝く政府、そんなことは決してありません。とんでもない嘘です。常に世俗化した悪魔的トータリタリアン(全体主義者)政府。

なぜ私たち全ての家庭は全体主義になるなと言うのが重要ですか?
真理は皆さんの内にはありません。真理は私たちの外側にあります。それはとても重要なことです。
なぜなら私たちは継続して外側に真理をみつけなければなりません。
ですから聖句を読み、神の言葉を読みます。
ですからキリストを追求してイエス様をお父様を追求します。
なぜなら、彼らは私たちの外にいるからです。

彼らが皆さんの内に住むというのはわかります。しかし、1日に何回くらいそのことに注意しますか?ですからこのことを覚えておかなくてはなりません。訓練もそうです。肉体の訓練、コンバット訓練はとても素晴らしいですが、それらは皆さんがそれはできそうだと見せて、幻想させます。
実際にそれをやろうとすれば皆さんはその中のある部分は自分にはできないと気付くでしょう。限定された動きははそれぞれのポジションでできるでしょうが。
実際の戦いではそれを早く学びます。
また射撃のコンバットにおいても皆さんは現実の銃について、それが信じられないほどパワフルだという事も学ぶでしょう。
ですから良いインストラクターは人が撃たれるのを見せます。皆さんを怖がらせるのでなく、現実を教えるのです。自己の中に起こる破壊の影響の結果です。

もしも皆さんがビデオゲームにはまれば、その行動に何の結末もないと信じ始めます。特にビデオゲームや韓国ドラマ、ポルノです。「喜びを求めて結果は考えない。人生を破壊しても気にするな。その若い男性や女性の人生を破壊しても気にするな。なぜなら全ては喜びを追求するので。」これは常に問題です。挑戦です。繁栄の場所、その宗教は相対主義と快楽主義になります。
若い男の子たちは誘惑に弱く自分をコントロールできません。若い女性は狼の罠に捕まります。それはロマンスですね。ですから韓国ドラマはロマンスポルノです。それはポルノグラフィです。

そして彼らは何を教えていますか?「行為に結果はない。心配するな、楽しめばよい。」それは皆さんが習った原理ではありません。皆さんが学んだのは致死力です。
どんな政府の公立学校で、どこで彼らは彼らの生殖器が他の人々の人生を破壊すると教えられましたか?いつ習いましたか?私たちが教えられたのは、ピストルは皆さんの頭を吹き飛ばすという事です。

なぜ若い年齢の時に生殖器がどれくらい人を破壊するのか教えられなかったのでしょうか?それは明らかに人々の人生を破壊して殺します。皆さんはどこでもそのことを聞きません。
残念ながらキリスト教会でも聞きませんね?
彼らは人間堕落は果実をかじったことによると思っています。リンゴを食べたことで。ところでそれは悪魔のリンゴですが。聖書はリンゴとは言っていないですね。それは禁じられた果実でもちろん皆さんその意味を知っていますね。なぜなら聖書は誰かを知るというのはその誰かとSEXをすると意味しています。聖句の多くの場所に出てきます。

しかし、もしも一般のキリスト教が原理を通して堕落の意味を理解したという事を想像して見てください。
あるいはもしも彼らが若い人たちに明確に教えていたら、
第一にもちろん彼らを自己防衛を使って訓練します。そして危険なことを乗り超えて責任を持たなければどんなに危険になるのか。悪人は責任を持ちません。危険を乗り越える力を持ちません。善の人たちは銃の様な、自己防衛、隣人を守るということ、コミュニティを守るという危険な事を乗り越えるコントロール力を持たなければなりません。
しかし同時にまた、社会の保護の一部は同じように皆さんの生殖器が武器になるという事を知ることです。銃のように危険なのです。それ以上です。
それは人々が喜びの為にそれを利用しようとすればそれは他の人の人生を破壊することができます。
男性だけが女性の人生を破壊するのでなく、女性も男性の人生を破壊します。

皆さん知っていると思いますが、高校生の女の子たちは男の子をレイプしようとします。特にクリスチャンの若い男の子は意図的に標的になります。欲望の力で締め上げられます。それらは悪の遊女たちです。彼女たちは自分の女性器を武器として使い誰かの人生を破壊します。そしてその価値を破壊します。
それはスパイラルになります。そのスパイラルは多分快楽主義に向かい、多分相対主義に向かいます。それが私たちの一般的な文化です。

若い人たちは脳死状態で反応して考えます。何故なら彼らはどのように考えるのかを教えられていないからです。彼らは考える過程を教えられていません。

皆さんが士師記を見れば、彼らは約束の地を得ました。乳と蜜とは物質の祝福です。繁栄の地です。彼らは乳と蜜の地を得て心ゆくまで食べられます。お腹いっぱい食べられます。彼らはこれ以上訓練したくありません。彼らはこれ以上聖書を読みたくありません。彼らはパーティーに行って酒を飲んで、ビキニガールを見て遊びまわりました。許されたことは同じようにばかげた狂った哀れなことです。同じ馬鹿げたパターンです。しかしそれは宗教なのです。

皆さんは韓国のある一つの教会を知っていますか?それは教会と言うより、そこのリーダーが原理を学んで盗んだんです。それはGMSと呼ばれていますね。彼が若い時に原理を学んで、それをおおまかに盗んで、JMSですね。それを盗んでその運動の全員が彼とSEXをしなければなりません。全ての女性がです。
ではどうやって若い女の子たちを伝道するのでしょうか?若い女の子たちは講義を受けます。女の子たちはミニスカートです。彼女たちは講義で神様の話を聞くときにミニスカートです。そして3人を伝道してそのうちの一人と結婚しなければなりません。
そこに多くの男性たちが、私たちもその男性たちを知っていますが彼らはそこに吸い込まれました。彼は?で働いていましたが最後に移りました。彼が言うにはそこに行けば女の子が得られると、皆さんがそこに行けばミニスカートの女の子と神様の話をするのです。そしてやーやー、これは良いこれは良い。

これはJMSだけではありません。そしてまた相対主義も同じことなのです。彼らはSEXを売って、それはマーケティングではありませんが皆さんをその思想に植え付けます。自分自身を楽しめ、喜びに生きろと言って。皆さんは簡単に誘惑され悪質な活動に引き込まれます。もしも皆さんが喜びだけを求めれば簡単に犯罪者になります。皆さんは簡単に腐敗して、腐敗したギャングに入るでしょう。そのギャングとは道端の低レベルのギャングではありません。お話ししているのは高いレベルのギャングです。それはアカデミーであり、学校、大学であり、政治や小児性愛者犯罪グループなどです。簡単に妥協します。

今皆さんが道徳があると言いますが、皆さんは道徳的に神に対しての責任があると言いますがそうではありません。
私はここに生きているのは喜びのためではありません。私の人生の目的は喜びではありません。事実は私の人生は多くの場合痛みで満たされています。
しかし、私はその痛みを超越します。なぜなら私は喜びの為に生きてはいないからです。
もしも私が喜びの為に生きているなら、痛みは私の敵になります。私は喜びの為に生きていません。だから痛みは私の恐れではありません。みなさん、理解できますか?私の恐れは何ですか?それは神の怒りです。神が私を知らないと言われることです。私は神様との関係を失うことです。

それは痛みとは違う感覚です。なぜならそれが最高の人間の繁栄だからです。それは愛の美徳です。それは人間の最高の美徳である私たちの創造主との関係です。これらは超越的価値或いは超越的規範と呼びます。

これらのない社会は動物のグループです。闘う民族のグループです。
皆さんが絵を見ましたが丁度士師たちはそうなりましたね。あのコーナーを見てください。覚えていますか?彼らは合法的な士師ではなく首領たちでした。宗教の首領たちです。彼らはそこらを歩き回るムースたちのようです。悪意は彼らにとって良くありません。
武装の力を使って悪を行う民兵を彼らはもちました。
これらの民兵を何故コントロールできないのか?それは彼らが聖書の神様との関係を失ったからです。ユダヤキリスト教の価値を失ったからです。

人間の犠牲を捧げてはいけない。小児性愛をするな。子供をレイプするな。レイプは悪です。罪のないものを守れ。貧しい人たちを助けなさい。ただ与えるだけでなく、彼らを教育しなさい。そう言ったことです。わかりますか?
それらの価値を失いました。彼らは神様との関係を失い、バアル神崇拝の価値を取り入れました。私を、金の子牛を崇拝せよ、そうすれば裸の女性を与えると言うようなことです。私を崇拝すれば金の力を与える、などです。

繁栄と若い世代がそのために堕落しました。
なぜならば彼らの殆どが考えませんでした。だから彼らは若い人たちを捕まえ、彼らにSEX教育をしました。なぜなら子供たちは考えないからです。そして若い彼らの精神は乱され彼らはトラウマとなり、早期のSEX教育はSEXに結果は無いと教え、そして全人生は完全に彼らにコントロールされ、快楽主義と相対主義のカルトに入っていきます。
もちろんそれらは.サタン主義を弱く希釈したものです。文化的に彼らはサタン崇拝の多くを行っていませんでした。

中絶クリニックで赤ん坊を殺す多くの無神論者たちがいます。彼らはサタン主義になるでしょう。彼らはサタンの名を叫んでいても気にしないでしょう。彼らはサタンの仕事をして手伝っています。彼らは人権を保護していません。彼らは弱く、彼らは悪です。多くの場合人々は混沌とします。

「私たちが神様を知っているならなぜ私たちは問題を起こすのでしょう。」「どうして私のお父さんとお母さんは沢山喧嘩するのか?」「なぜ私の兄弟姉妹はこんなことをするのか?」「何故なら彼らは不良の人たちです。」
若い人たちは常にこの便利な言い訳をします。
馬鹿げた言い訳で合理的でも何でもありません。

「私は教会が嫌いだ、私はあの人が嫌いだ、私はあのミニスターが嫌いだ」などです。神様とは何のも関係ありません。「私はクリスチャンにあったが彼にこんな風に扱われた。」
オーケー、それが神様と何の関係がありますか?それは神様のせいではありません。人々には自由意志があって彼らは選択しなければなりません。

多くの人が日曜礼拝に来て神様の言葉を学び始めます。そして彼らは彼らの態度を改善しようとその過程の中にいます。彼らは完ぺきな天使ではありません。彼らはここに来てそれと向き合うために一生懸命話を聞こうとします。彼らはどうやって自分の気違いさと向き合うのか、ガイダンスが欲しいのです。その狂った状態を何とかしたいのです。

皆さんが完璧なのでここにいるわけではありませんね。理解できますか?しかしまた人々は脳死です。サタン主義者たちはこれを使って早い時期に若い人たちに言いますね。彼らはそれが実際の論争だと考えますが、論争ではありません。それはクリスチャンへの反論ではありません。それは哀れで無慈悲な攻撃です。

そこには何の神様や聖句の正当性も妥当性もありません。そしてキリスト教が提供する倫理もありません。何にもありません。そこに馬鹿な人が自分はクリスチャンだと主張する人がいますが、彼の行動はどうしようもないことを見せています。それが何でしょうか?教会は病院です。そこは病気の人たちが良くなるための病院です。
教会は全ての人が健康なのでしょうか?理解できますか?それは教会に対する誤った理解です。

「アーこの教会の人はポルノを見ているので自分もポルノを見る。」
それは何にもなりません。それは馬鹿げていて多くの若い人たちがそうしています。なぜならば残念なことに彼らは読んでいます。彼らには彼らの反論が弱いという考えがありません。もちろん友人のエコーは同じように馬鹿げています。なぜなら彼らは実際、教育を受けて彼らの反論をとても早く崩す誰かに直面します。そして彼らは逃げたくなります。
何故なら真理は皆さんの中にはありません。

聖句はとてもパワフルですが、私たちは聖句を読んで時々逃げ出したくなります。それは私たちが暴かれるからです。それは私たちが馬鹿のように見えるからです。私たちが哀れだと思い出させます。私たちが清くないことを思い出させます。

私は完全でなく、それは誰にでも起こります。これらのエジプトから来たばかりの人々は奇跡を見て、彼らが受けた種はすべて半分に分かれました。彼らは敵を破って約束の地に入り、良いものを食べて神様を忘れました。同じ馬鹿げたサイクルはいつも起こります。馬鹿のように何度も何度もです。それは知恵深くありません。

問題は親がこのサタン主義文化を受け入れています。多くの親がこのふざけた相対主義を受け入れ始めます。皆さんこれを知っていましたか?

その例が韓マザーはその背後でフエミニズムを特に指導者の中で作り始めました。そしてお父様は悪だ、お父様は私を抑圧した、というような文化が背後にありました。
またそれと並行したことが外側の世界で起こっていました。それは既に学校でその哲学に洗脳された若い人たちにとっては簡単に受け入れさせられることです。強い保護の男性そして父親の悪魔化は「女性は何も悪くない、女性はいつも正しい」という宗教に役に立ちます。「女性は清く男はみな変質者」狂ったカルトです。

男性は多分性的変質者にはならないでしょう、誰かはそうなるかもしれませんが、全員はそうはなりません。しかし皆さん女性は永続的な力でとても変質者になれます。とてつもない変質者です。それは深刻な問題です。
しかし、その様な文化があります。

私たちの兄弟姉妹の結婚を見ればそのように分裂して、成功しません。多くの場合、お母さんがこのような馬鹿なフエミニズムを受け入れているのです。「自分はいつも正しい、私はいつも被害者でお父さんはいつも私を攻撃する。」このように常に被害者化します。それを韓マザーがやりました。
その結果何を生み出しましたか見てください。
真の家庭の女の子女は誰もお父様に従いません。どんな影響があるかわかりましたか?とても影響があります。

私たちが韓国にいた時のことを覚えていますが、韓国男性と結婚した日本女性の文化は「私はこれらの男性には良すぎる。私たちは日本から来て宣教師として神に仕え韓国を救う、韓国を攻撃した自分たちの国の罪を悔い改める、私はこの国のいなかっぺが与えられた。」
もしも皆さんが男性を継続してこのように扱えば、彼は本物の憎しみをみなさんから常に感じる事でしょう。彼の国のいなかっぺの銃が出てきます。皆さんが彼のいなかっぺさを放たせています。傲慢馬鹿の様な行動によってです。これは問題です。
王妃様もこれについて多くの姉妹たちと話しました。「私は韓国の夫に問題がある。」いつも全部同じシナリオでした。初めはかの女達が夫から言葉の暴力、肉体の暴力を受けてこれは問題だ、危険だと信じました。それは本当です。
しかしポイントは彼女たちは決して自分たちがしたことは話しません。それを残しておくのはとても便利ですね。その部分をです。
もしも男性が皆さんが彼を嫌っていると感じればそれは皆さんが彼を見下しています。そして皆さんは自分が彼より良いと思っています。皆さんは女性としての神の役割を果たしていません。
皆さんは彼が最高の神の祭司になるように助けてあげなくてはならないのです。それをしないで見下して、あなたが優れていると。皆さんは彼を励ましてあげなければならないのです。もしも皆さんがスキルを学んでいるなら、誰かが見下して「あなたは問題だ馬鹿だ」とそのように言って見下されたくはないでしょう。
女性の皆さん、真実ですか? 
「おー、なんで美しいの?こっちの側もペイントしてみたらもっと良くなるわよ。オー、良く見える。どちらの先生がいいですか?あなたが間違って描いたものを掴んで、しわくちゃにして、これはダメだという先生がいいですか?」

皆さんはそんな芸術クラスはすぐにやめるでしょう?皆さんは芸術の先生ととても早く離婚するでしょうね。それは冗談ではありませんね。
なぜ皆さんは自分の夫にそうしますか?私は殆どのサンクチュアリの姉妹たちは今そうしないことを知っていますが、私は皆さんが過去にしたことを言っています。

皆さん、過去に沢山のことをしたでしょう。皆さんはそのカルトの中にいました。サタンは皆さんにサタン的神の文化を紹介します。真のお父様から分離させます。それは皆さんがこの運動に入ってキリストに従ったからです。
もしも皆さんが「女性はいつも清く、犠牲者で、愛に満ちていて、そして男性には愛がないと。」これらの男性はいつも戦争で戦っています。血を流し愛はありません。「彼らは自己中心な変質者だ」と、その様な哲学を一旦受け入れたら、韓マザーがそうですがどうなるか皆さんは知っていますね。

皆さんにお聞きしますがそれがより良い人生だと思いますか?もちろん違います。
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