Friday, April 5, 2019

LIVE:第60回真の父母の日


LIVE第60回真の父母の日


60th True Parents Day 10th Year of Cheon-gi, 3rd Month, 1st Day by the Heavenly Calendar






真の父母    訓読:キン・ガヨン
第7章 「真の父母」を中心とした生活


 1)「真の父母の日」と「真の父母」


 皆さんは、みんな先生に関心があるでしょう? 先生がどこかに行き、何か言葉を話すようになれば、すべて電話線をつけて回りながら聞かなければならないのです。皆さんは、この「真の父母の日」を迎え、今父母様の苦労がどれほど大きかったか、父母様の心がどれほど苦痛を受けたかということを知るべきです。今、父母様について、知るべき時が来たのです。そうでなくては、伝統が分からないのです。伝統をもつことができないのです。(131-62, 1984.4.1)


 本来、「真の父母の日」の理念は、神様の創造理念の中でも中心理念でした。神様が万物を創造されたのち、その万物を主管する人間を創造され、人間に万物を主管せよと祝福された目的も、正に「真の父母」を立てるためでした。本来は、アダム・エバが神様を中心として一体となり、「真の父母」になるべきでした。そうすれば、「真の父母の日」が立てられるようになるのです。そうなれば、全宇宙が父母の名前とともに、頌栄を捧げるようになるのです。このように、「真の父母の日」は、全宇宙が父母の名前とともに頌栄を捧げる喜びの日なのです。
 この日を迎えることが、神様の願いでした。しかし、人間始祖が堕落することによって、このような「真の父母の日」を天も失ってしまい、地も失ってしまいました。それで神様は、本来計画されたことを成されるために、「真の父母の日」を探されるために、今まで経綸してこられたのです。「真の父母の日」を迎えるには、まず「真の父母」を迎えなければなりません。その「真の父母」は、歴史を審判し、現在を主管し、未来を開拓なさるべき中心存在であられます。それで、人間が歴史的に羨望してきたのも、「真の父母」を迎えることでした。(13-280, 1964.4.12)


 我々が民族を探そうとするのは何のためでしょうか。この民族をして、勝利された「真の父母」に侍らせるためです。そして、サタン世界から讒訴されず、天に代わって、地に代わって、人類に代わって国家基準の上に万天宙の前に、孝子、孝女として自由天地を成し、「真の父母」に真実に侍るためです。
 今までは、我々が悲しい立場で侍り、苦痛の立場で侍りましたが、今からは喜びの立場で、自由な立場で侍らなければなりません。神様が我々の心と共にいらっしゃることができてこそ、我々が喜べば神様が「そうか、お前の喜びは私の喜びだ!」と言われるのです。そして我々は、全人類が「あなた方の感謝は、我々の感謝です!」と言う、その基準を立てなければなりません。
 きょうは、「真の父母の日」です。この「真の父母の日」を、皆さんが本当に皆さん自身の「真の父母の日」として立てなければならず、皆さんの家庭の「真の父母の日」として立てなければならず、社会の「真の父母の日」として立てなければならず、国家の「真の父母の日」として立ててこそ、世界の「真の父母の日」として立てられるのです。世界の「真の父母の日」として立てられ、天宙の「真の父母の日」として立てられてこそ、本来神様が「真の父母」を立てようとなさった創造理念が完結するのであり、人間が堕落によって「真の父母の日」を立てられなかった恨を解くことができるのです。さらにこの全天上天下に「真の父母の日」を立ててこそ、復帰の恨が完全に解怨されるのです。
 我々が「真の父母の日」を立て、「真の子女の日」を立てましたが、個人的な「真の父母の日」から家庭的な「真の父母の日」、民族、国家、世界、天宙的な「真の父母の日」として立てられていません。「真の子女の日」もそうです。「真の万物の日」もやはりそうですが、「真の父母の日」と「真の子女の日」と「真の万物の日」が、世界性をもち、勝利したという基準の前に主管され得る圏内に入ってこそ、初めて天地を創造された神様の、本来の創造目的が完結するのです。

 そうなってこそ初めて、「真の父母の日」が人類の「真の父母の日」になると同時に、天の「真の父母の日」になるのです。また、「真の子女の日」と「真の万物の日」も、人類の「真の子女の日」と「真の万物の日」になると同時に、天の「真の子女の日」と「真の万物の日」になるのです。このような立場に立つようになるとき、初めて天から「みな成した」と言われ得る時が来るのです。個人的な「真の父母の日」、「真の子女の日」、「真の万物の日」を立て、家庭的な「真の父母の日」、「真の子女の日」、「真の万物の日」を立て、民族・国家的な「真の父母の日」、「真の子女の日」、「真の万物の日」を立てなければなりません。
 一国家基準で「真の父母の日」、「真の子女の日」、「真の万物の日」を設定してこそ、この日々がその国家の中心の日になり、世界的な日になり得るのです。これが問題です。(13-294, 1964.4.12)

2)「真の父母」という言葉を
  完全に知るべし


 我々統一教会には、貴く使う言葉があります。初めて聞く人もいるでしょうが、それは「真の父母」という言葉です。「真の父母」という言葉を言うでしょう? 「我々の真の父母様!」と言います。イエス様の時に「真の父母」がいましたか。イエス様がもつことができなかったものを、我々はもったのです。
 イエス様に「真の父母」がいましたか。子供を保護しないのが父母の責任ですか。父母なら子供を保護しなければならないのです。サタンに対する垣根になって、「お前は私の懐の中で幸福でありなさい」と、そう言わなければならないのです。イエス様がそうでしたか。30年の生涯を、かわいそうな連れ子として育ったのです。
 ですから聖書に、真の父母様という言葉は出てこないのです。「真の父母」、真の兄弟という言葉は出てきません。この言葉は全部統一教会の術語なのです。それは、文先生が作り出した言葉ではありません。本来の天理原則にあったものを探し出した言葉です。
 我々は「真の父母」という言葉を言い、「真の子女」という言葉を言います。真の子女はどのようにしなければならないかということを知るべきです。息子に対して自分の生命を捧げることができ、自分のすべてをその前に捧げることができ、自分は地獄に行っても感謝することができなければならないのです。そのような過程を経なくてはいけないのです。そうして、真なる子女の因縁を通じて、父に帰ることができます。(76-73, 1975.1.26)


 我々は、「真の父母」という言葉を言っています。「真の父母」に侍っていこうと、神様に侍っていこうと言うのです。その次には、真なる兄弟になろうと言うのです。何を中心としてですか。それは、イエス様を中心として言った言葉です。イエス様の父母がイエス様に侍れなかったのを蕩減復帰して、侍ることができる父母、それ以上の父母の位置に立つことができなければならないのです。(67-326, 1973.7.22)


 私が神様に対して「父母」と言うのと、皆さんが先生に対して「父母」と言うのと、どちらが易しいかというのです。答えてみなさい。先生がどれほど苦労したか知らないでしょう。どれほど障害が多く、どれほど複雑だったか知らないでしょう。今まで数多くの人たちが、その道においてもがき、すべてどん底に落ちたのです。皆さんは、統一教会に入ってきて、先生を理論的に見ると、「ああ、この方が『真の父母』だな!」という言葉をたやすく言うことができたでしょう。
 では、神様が「真の父母」だということを私が知ったときの喜びと、皆さんが知ったときの喜びでは、どちらが大きいでしょうか。先生は死ぬほど苦労をしたので、「父」という言葉を言うことができますが、皆さんは苦労していないのです。みな教えてあげたのです。ですから、「『真の父母』が分かった、それだけのものか!」と言うでしょう? 誰がもっと喜ぶでしょうか。先生が神様に父子関係で会ったときの喜びと、皆さんが先生に会ったときの喜びと、どちらが大きくなければなりませんか。
 先生は、苦労して初めて会いましたが、皆さんは苦労をしないで会ったから、もっとうれしくなければならないでしょう。私は、億千万ドル払って買ったのです。皆さんは1銭も払わなかったからうれしいでしょう? 皆さんが何を払いましたか。やって来て「原理」のみ言を聞いてみると、みんな分かって、「真の父母」と言えば、「そのようになっていたのだな」とすべて分かるのです。(116-121, 1981.12.27)

3)「真の父母」の言語を習え


 何よりも言語が一番問題なのです。今韓国人たちが来れば、韓国語の分からない人たちは、それは実にあきれるのです。かわいそうに見えます。ですから、言語が一つになれば、どれほど良いですか。先生もアメリカに初めて来て、本を通じて勉強しましたが、それまではイエス、ノーしか知りませんでした。ですから、どれほどもどかしかったでしょうか。言語統一がどれほど必要か分かるでしょう。
 皆さんは先生の言葉を通訳を通して聞きたいですか、先生から直接聞きたいですか。韓国語で聞きたいのです。どうしてですか。韓国語が原語であるからです。それゆえ、原理を勉強するにおいて、原語を知らなければその言葉の意味が分からなくなります。
 そして、これから皆さんが霊界に行って、「ああ、私は先生の言葉をそのまま聞いて話して生きた!」というのが誇りでしょうか、「ああ、通訳を通して私は話を聞いた!」というのが誇りでしょうか。どちらですか。しかも、それは愛の理想世界を表現する言葉だというのです。愛という言葉を通訳を置いてささやけば、それが通じますか。
 我々が前に覚えた誓いの文を見ると、5番目に「一つの文化を誇る」となっていますが、一つの文化がどのようになるのかが問題です。心情世界では、一つにならざるを得ないという事実を知るべきなのです。本当に一つの心情世界を願う人ならば、これを知らなくてはいけません。
 「私がお前たちをこのように愛する」と言って、このように行ってタッチするときは、愛をどのように考えるだろうかという考えよりも、既に足が出ていくのです。足が先であって、愛するという考えが先ではないのです。それがどれほど愚かですか。食べ物でいえば、食べ残したかすを食べて喜ぶということです。
 理想家庭の伝統と精神がなくては、理想世界は顕現することができません。(118-238, 1982.6.6)


 霊界に行っても全部「真の父母」、真のおじいさんが使う言葉を使うのであって、「ああ、私はそれを知らない!」と言って通じますか。外国人の皆さんは、東洋人たちが英語を習うのにどれほど大変かということを、その時に分かるのです。先生の年がもう70を超えたのです。この年に英語を習うことが易しいですか。皆さんは言い訳ができません。
 それで、統一教会には、若い人たちが入ってくるのです。ですから勉強しないといけないのです。分かりますか。道を歩きながらブツブツ言ってでも習いなさい。韓国語をトイレに行ったり来たりしながら反復して習いなさいというのです。これは、ほかに方法がありません。
 先生が「韓国語を習いなさい」と言うのは、先生が父母になったから仕方がないのです。韓国人でも、どこの国の人でも、「何がどうだ」と言っても仕方がないのです。
 それゆえ、統一されれば、「『真の父母』の栄光だ! 世界言語を瞬く間に統一してしまった!」と言うのです。表彰するなら、何の表彰をすべきでしょうか。韓国語を世界のどの国の言葉よりも一番尊敬しなければならないのです。韓国人が頭が良いのは、この言語のゆえなのです。そのような意味で、韓国語では、発音できないものがありません。日本語は、足元にも及ばないのです。「マクダナルドゥ(Macdonald)」をちゃんと発音できずに「マクドナルド」と言うのです。それ、聞き取れますか。ですから、新しい文化に通じなければなりません。先生が韓国人だからそう言うのではなく、それが原則だからです。原理原則に通じないのに、「韓国語を習いなさい」と言うなら、最初から追い出されるのです。原理原則を話すから、皆さんはじっとしていながら、「理論が合うので仕方がない」と言うのです。これから学者たちにとって、原語は韓国語になるでしょう。韓国語が原語になるのです。(130-272, 1984.2.5)

7)「真の父母」の名でいつまでも栄光


 捧げたというのであれば、神様の名と共に、再び神様の名から「真の父母」に来なければなりません。「真の父母」だけではいけません。創造主である神様の名から「真の父母」に回ってこなければなりません。アダム・エバの所有にならなければなりません。再び返してもらわなければならないのです。「真の父母」の家庭を中心として、相続が起こらなければならないのです。
 それで、その次から、第1に再分配時代が来るのです。永遠の天国になるのです。そこはサタンの分立がありません。
 第2は、創造理想生活が可能になるのです。そうではないですか。サタンの讒訴がありません。そこには闘争だとか、決裂があり得ないというのです。真の愛を中心として完全に統一された体制において創造理想の生活が始まるのですから、完全な地上天国が生じ、ここで暮らしてそのまま天上天国に行くのです。宗教は必要ありません。
 第3は何かというと、真の愛のための天上天国、地上天国が実現されるのです。その次に、結論は全部神様の名で、「真の父母」の名で、我々の名で、いつまでも栄光を極めるだろう! 神様の名、「真の父母」の名、我々の名で、いつまでも栄光を極めるだろう! 永遠、永遠、無窮に、栄光を極めるだろう! そこには宗教もありません。終わりです。(212-143, 1991.1.2)

8)「真の父母」の心情伝授と相続

  ① 心情の伝授


 皆さんが、今、「真の父母」の心情と神様の愛とその心情をどのように体恤するのですか。これが問題です。その境地にどのように入るかというのです。そうするには、堕落しなかったアダム、エバにならなければなりません。サタンが讒訴できてはいけません。では、サタン世界でどのように解放されるのですか。サタンと戦って勝たなければならないのです。そうするには、どれほど苦労して、どれほど苦しくなければならないかというのです。(125-204, 1983.3.20)


 ヤコブも10回だまされ、モーセも10回だまされ、イエス・キリストもそのようにだまされました。先生も同じです。それを克服していかなければなりません。そのときに、神様の心情を知るようになるのです。父母様の心情を知るようになるのです。そうでなければ、絶対分からないのです。そうでなくては、サタンが離れないのです。サタンの前に勝利できない限り、父母の心情を知ることができず、神様の心情を知ることができません。ですから、我々は一線に行かなければなりません。全員が一線に行かなければなりません。
 このようにしないで楽な考えをする限り、神様の愛と父母の愛、父母の心情圏、神様の心情圏に訪ねていくことができないのです。ですから、一線に送り出さなければなりません。全部迫害され、蔑視され、殴られ、ありとあらゆることをされてこそ、そこで心情が伝授されるのです。伝授式が、そこで起きるのです。
 ですから、先生のように、いつも先頭に立って行かなければなりません。一線で受ける迫害が、どれほどひどかったか! しかし、それは当然なのです。皆さんがそれを消化すれば、神様が保護するでしょう。同じ立場に立つことによって、同じ心情を体恤することができるのです。
 その心情をどのように体恤するかが問題です。「真の父母」が本当の父母であり、神様が自分の父であるということを、どのように自分が知るのかというのです。どのようにこの骨肉が知るのかというのです。自分が考えなくても、この細胞、肉体が分かるかというのです。サタンの讒訴を受け得ない立場を克服しなければなりません。それが一番大きな問題です。どのように父母様の愛を体恤するかという問題が質問の中心ですが、答えは簡単なのです。世界的舞台でサタンに勝利した、本然のアダム、エバと同じ立場に立ち得る自分にならなければならないのです。
 そうするには、血の涙をどれほどたくさん流し、サタンの前にどれほど讒訴されるでしょうか。蕩減路程を経ていき、勝利してこそそれが起こり得るので、どれほど苦労なことでしょうか。その立場が嫌で、いくら祈っても、いくら何をしても駄目なのです。直接体恤しなければならないのです。その立場に行けば、すぐ体験するのです。直接指導するのです。父母の心情を知るためには、一体ということをどのように感じるか、ということが大きな問題なのです。サタンに勝利するまでは、絶対にできません。来ないのです。
 一つの送電所を造っておいたというのです。個人的、家庭的、氏族的、民族的、国家的、世界的、天宙的、神様まで、このような塔を造っておいたというのです。それなら、今、心情の電線を歩かなければなりません。これは、誰が歩くべきですか。先生がするのではなく、神様がしてくださるのでもありません。皆さんがしなければならないのです。(125-206, 1983.3.20)


  ② 息子、娘は父母のものを相続


 神様が人間に与え得る贈り物があるなら、その最高の贈り物とは何でしょうか。皆さんが人類の先祖になり、真の母、真の父になることです。それはどれほど素晴らしいことですか。それ以上のものはないのです。長官や大統領も、みな追いつけません。それが、神様から人間に下さる最高の贈り物です。「真の父母」になれば、真の子女が出てきて、真の家庭が出てきて、真の氏族が出てきて、真の国、真の世界がここから自動的に生じるのです。そうではないですか。ですから、一番重要な名前とは何ですか。「真の父母」という名前、「真の愛」という用語が一番重要です。(125-117, 1983.3.14)


 堕落とは何ですか。自分勝手にしたのが堕落です。それゆえ、神様と「真の父母」を中心として、そのようにできなかったことをはんだづけしなければならないのです。それで、男性たちはお父様の分身にならなければならず、女性たちはお母様の分身にならなければなりません。神様が皆さんの目の中に入っても、どこに入っても、皆さんが喜んであげるべきであって、「ああ、入れません」と言うことはできません。皆さん、垣根を残したいですか。神様の愛は、皆さんを通じて来るのです。それをみな研究しなければならないのです。おろそかにしてはいけません。皆さんがそのようにしなければなりません。
 皆さんがその伝統を受け継げば、「真の父母」なら「真の父母」が、皆さんを訪ねていくのです。「真の父母」が神様の使者として皆さんのところに来て、相続させてくれるのです。(118-271, 1982.6.13)


 今まで真なる父母が出てこなかったので、真なる子女が出てこれませんでした。まだ地上に真なる人がいなかったために、真なる父母が出てこなかったのです。それで、統一教会では、「真の父母」を認め、その「真の父母」を発見して侍ろうというのです。「真の父母」の息子、娘になろうというのです。(24-322, 1969.9.14)


 その息子、娘になれば、何をするのですか。「真の父母」がもっているものを相続するのです。「真の父母」がもっている相続権は、天地、神様までです。神様までも相続しようというのです。天地に主人がいなければ、その天地は何の価値もありません。その天地の価値を100パーセント認めることができ、その価値を永遠に主張することができ、そうだと言える自分にならなければなりません。また、それを公認してあげられる方に出会わなければなりません。その方が神様です。
 それゆえ、「真の父母」の相続権をもたなければなりません。では、「真の父母」の相続権とは何ですか。天地だけでなく、神様まで相続されるのです。(24-323, 1969.9.14)

9)留意すべき内容


 我々は、心情圏に入らずしては復帰ができないのです。それゆえ、復帰の責任者は父母の名をもって行かなければなりません。イエス様も、「真の父母」を通じなくては、行く道がないのです。イエス様の行かれた道が、「真の父母」の行くべき道ではありません。
 皆さんは、「真の父母」を中心軸にして、「真の父母」の愛を中心として、ぴったりと水平線になっていなければなりません。皆さんに、不平はあり得ないのです。不平は言えないのです。不平を言えば、ぺちゃんこになるのです。(136-67, 1985.12.20)


 皆さんは、「真の父母」に対して、「こうしよう、ああしよう」と言っています。皆さんが、「真の父母」を皆さんの部落にいる有名な金持ちの父母ぐらいに考えるなら、それは大きな間違いです。世界を一つにするには、「真の父母」を迎えなければなりません。世界を一つにする道を、人間としては発見できません。
 「真の父母」という方は、歴史の希望の結実体です。望みの結実体です。すべてを蕩減した勝利の結実体です。これを知るべきです。「真の父母」は何ものとも換えることができません。(55-155, 1972.5.7)


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《遺伝罪恨霊解怨、傍系解怨については、感謝できる方のみお問い合わせ下さい。

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