Thursday, April 25, 2019

*名説教*2019年4月21日 英語説教<全文>クリスチャンよ勇敢たれ!王冠をかぶったイエスの兄弟



*名説教*
クリスチャンよ勇敢たれ!王冠をかぶったイエスの兄弟
これは大変素晴らしい名説教です。何度も訓読することをお勧めします。


サンクチュアリ NEWS さんからの全文転載です。字幕化は2nd Israelさん。

いつもありがとうございます。注:カラー太文字写真挿入はファンクラブ


2019年4月21日 日曜礼拝 英語説教

 

翻訳:BANBOOS

良い行いが救いをもたらすのではありません。しかし、ヤコブが語ったように・・・。我々はヤコブについて驚くべきことを発見しています。ウィリアムズ博士と我々は原始キリスト教について研究しました。

ヤコブはイエス様の兄弟でした。ヤコブを中心としてできた初代教会も王国としての教会を作ろうとしました。ヤコブは実際に王冠をかぶっていました。

ヤコブの信条は信仰だけによるものではありませんでした。ヤコブの手紙の中で彼は、行いのない信仰は死んでいると書いています。それは信仰だけを重視する人たちを動揺させるものです。

「行いは必要ない。一度救われたらずっと救われるし、神様の前でいつでも罪を犯してもいい。それでも救われる」というような考えの人たちのことです。
それは違います。救いが失われることはあります。それでヤコブは行いのない信仰は死んでいると言っているのです。なぜなら、キリストを信仰しているのであれば、内面からすっかり転換されて、自然とキリストを喜ばせることを行うからです。すると行いが出るようになります。

行いで救われるのではありませんが、行いは信仰の証なのです。
良い行いによって救われることはありません。私は良い人間だから神様が救ってくれる、というのが救いではありません。善人だといっても神様の前で罪を犯したからです。我々の上にある法、十戒を破りました。神様の名前をみだりに使いました。

私はヒトラーほど悪くはありません、と言いますが、ヒトラーと比較するのではなく神様と比較するなら問題です。神様があなたをご自身と比較する時に大きな問題となります。
神様の前で落ち度のない人は誰もいません。子供の頃に何か盗みました。一日中嘘を言います。「今日の私はどうかしら?」「とても素敵だよ」。それも嘘です(笑)。

神様の神聖さに照らして正直になるなら、誰も罪がないとは言えないのです。善行は救いをもたらしません。良い行いに神様が感銘を受けるということではないのです。
アリが「砂で城を作ったから見てくれ」と言っても、1ミリメートルのものですからアリにとっては大きな成果であっても、2粒の砂を上から見ている人にとっては大きな成果ではありません。神様は、我々とアリを比較するよりもどれだけ偉大でしょうか。

神様は我々のやることに感心しません。良いことをしたことで救われるということはありません。自分の罪を告白して悔い改め、神様を心に受け入れ、「あなたを頼りとして信頼します」「私の命を捧げます」と言う時に救われるのです。
それから良い行いをすれば、神様は喜ばれ、刺激を感じられます。感動されます。それはあなたが自分の行いを自慢しようとせずに、ただ神様を喜ばせるためにやろうとするからです。

しかし興味深いことに、初代教会のことを調べてみると分裂のようなことがありました。過激なパウロ主義が存在しており、信仰だけだと言っていたのです。パウロはそうは言ってはいないのに、極端になってしまったということです。それで、行いはなくてもいいし救いは永遠であり、神様から離れることはないのだと言うのです。堕落の時でも完璧な環境にいて、神様と直接の関係を持っていたのに神様から離れました。

しかし、初代教会のヤコブの教会では信仰だけに集中せずに・・・キリストにある信仰を信じていたのですが、慈善的な行いも必要だと考えていました。隣人を助けなければならないといったことです。それが信仰の証拠となります。外に出て証しをしなければなりませんでした。自分の信仰の証しとなる行動の証拠があるということです。

ポール(ウィリアムズ)博士が発見したのですが、ルティン・ルターはヤコブが嫌いだったという引用を見つけました。彼は実際ヤコブの手紙を取り除きたいと思っていました。行いのない信仰は死んでいるという考えが好きではなかったからです。
ヤコブはもちろん信仰を説いていました。しかしまた、自分の生活を転換しなければならないとも教えていました。酒におぼれ続けたり、売春婦と罪を犯し続けたり、ポルノを見続けたりしてはいけないのです。行動を変えなければなりません。

信仰さえあれば何をやっても良いという過激なパウロ主義によって、教会に多文化主義的な異端が持ち込まれました。一度救われたらずっと救われたままなのだから、ゲイになろうとトランスジェンダーになろうと、小児性愛者になろうと、何でも好きなことをしなさい、ということです。

そして極端な万人救済論にまでつながります。10人の子供をレイプして人身取引した人も、貧しい人のために働き共同体を守っている人と同じように救われると言うのです。極端な万人救済論者は悪魔崇拝者も救われると言います。

イエス様の犠牲は非常に偉大なものなので万人が救われるということです。もちろんこれは全くの異端です。自由意志を排除しているからです。
人は、神様に従うか神様を拒否するかを選択することができなければなりません。(万人救済論には)責任がありません。

興味深いと思いませんか。我々はそれを発見しました。それは隠蔽されていたのです。これが明らかになることで原理に光が当てられます。なぜならお父様は5パーセント(の責任分担)のことを語られました。誰もが自由意志を持ちます。5パーセントの責任分担があるので神様が全てを行うことはできません。
神様は全てを行われません。それは我々にとって良くないのです。我々は5パーセントの責任分担という贈り物を与えられています。

これが初代教会で大きく議論されていました。ヤコブの教会では王冠を被っていました。

ウィリアムズ博士は実に、我々は実際に最初の教会であったイエス様とヤコブの教会だと言っていました。もちろんヤコブは殺されました。特にローマ帝国の支配下では、王冠を被ることで彼らを怒らせたのです。


(イザヤ書 59章)19:こうして、人々は西の方から主の名を恐れ、日の出る方からその栄光を恐れる。主は、せき止めた川を、そのいぶきで押し流すように、こられるからである。20:主は言われる、「主は、あがなう者としてシオンにきたり、ヤコブのうちの、とがを離れる者に至る」と。21:主は言われる、「わたしが彼らと立てる契約はこれである。あなたの上にあるわが霊、あなたの口においたわが言葉は、今から後とこしえに、あなたの口から、あなたの子らの口から、あなたの子らの子の口から離れることはない」と。

受け身のイエス様というのは偽物です。受け身のイエス様というのは嘘なのです。弟子たちはみな武装していました。弟子がローマ兵士の耳を切り落としたのです。――ペテロが。

教会の受け身の異端が西洋のキリスト教を悪化させ、弱くて軟弱な多文化主義者の嘘つきの巣窟にしました。自分たちの父が誰なのか忘れてしまいました。父を恐れていないのです。国と結婚しました。

父親というのは愛情あふれる優しさに満たされているだけでなく、激怒することもあります。そして最大の権威があります。

受け身のイエス様は嘘です。そしてキリスト教は再び勇敢にならなければなりません。それが世界の唯一の希望です。
過激なイスラムを本当に止めることができる唯一のものです。歴史的にはそうしてきました。

キリスト教を再び偉大にしましょう。
それは王と王妃、聖職者によって、神様を信じる人たちによって始まります。

なぜ初代教会で・・・なぜ彼らはヤコブを殺そうとしたのでしょうか。ヤコブは原始教会で王冠を被っていました。
彼らは王冠をかぶらせておけませんでした。自分たちは国の奴隷だと思いこまなければなりませんでした。国に対する良い奴隷になるのだと。

キリスト教が唯一の希望です。キリストにある人々。みなさんと私です。みなさんの命がそれほど重要です。みなさんはそれを信じたくないでしょう。自分は何も影響を与えることはないというのでしょう。しかしどう思っても関係ありません。キリストにあって、あの社会主義のイエス様の下にない我々全ての命が・・・みなさんの声と命が非常に重要なのです。

なぜならみなさんは今、西洋のキリスト教の中では少数派だからです。しかしみなさんはまだお父様を守り、お父様を尊重し、お父様が誰であるか知っている人たちです。そして偽りの神である国に自分を明け渡していません。
みなさんの声と命が非常に重要です。それで戦場でのみなさんの声がとても重要になります。

タイ、フィリピン、どこの出身であっても自分の国の言葉でやればいいのです。自分の言葉で真実を語ればいいです。なぜなら人々は真実に飢え渇いているからです。自分たちのように王国を信じる人に守られていると感じることのできる、聖域となる場所を渇望しています。

社会主義の偽の王国のイメージを受け入れるのではありません。そこではカストロがイエス様で、無料でパンを配ります。それは悪魔があなたにパンくずを与えているということです。
神様は地上全体を与えています。神様はそこであなたをご自分のテーブルに着かせます。犬がパンくずをもらうようなことではありません。それは共産主義者のやることです。サタン主義者がやることです。

我々には、神様の統治の下で地上の全主権が約束されています。そして人が自由意志で悪を行うことを選択し、他人を傷つけようとするなら、鉄の杖によってひどく罰を受けることになります。犯罪者層が悪いことをしようとすれば罰を受けるのです。同様に、銃乱射犯がNRA大会や重武装した教会を銃撃しようとすれば、罰を受けます。即座に罰を受けます。
ですから銃乱射事件の98.4パーセントは銃持ち込み禁止区域で起きています。そこでは反撃ができないからです。

みなさんは羊飼いになってください。羊ではいけません。キリストの姿に似た羊飼いになってください。訓練を受けてください。声を上げるのです。羊に呼びかけてください。
狼に聞こえるように自分の声を聞かせなさい。非難を受け迫害されるかもしれません。ところであなたの人生はもっと興味深く楽しくなるでしょう。

恐れの霊のとりこにならないでください。特に青年たち、左翼を怖がってはいけません。怖がっている人がたくさんいるのを知っています。彼らに反対すると悪口を言われるからです。
友情のことを大切に思っているのも理解しています。恐れを持って生きないでください。神様の王国に参加しなければなりません。世界中で我々少数しかいません。
確かに怖いです。しかし、挑戦を受け入れることが大切です。神様の戦士になるのです。不正に対して声を上げましょう。教会で楽しく過ごそうとするだけではなく。

悪魔といつでも戦えるようにしたらどうでしょうか。すると神様よりも悪魔の話をしていると言われます。そうです。敵について学んでいるからです。敵のことを学ばなければなりません。略奪者は待ち伏せしています。良い人の話しかしないとは言えないのです。略奪者について学んだ方がいいです。
警察が行うのが犯罪心理学です。悪と戦う人はみな悪について学ぶのです。その仲間に入るのではなく悪を滅ぼすためです。まったくひどい論争です。

言うまでもなく神様を信じる人たちは聖句を読みますし、そこには人が悪を受け入れる時にどうやって堕落するかが示されています。またサタンの犯罪者の考え方を示しています。聖書ではうそつきと殺人者と言っています。イエス様ご自身がサタンをうそつき、殺人者と呼んでおられます。最初からです。それがキリストご自身によるサタンの定義です。サタンがどのように嘘を言うのか知っていたほうがいいです。サタンがどうやって殺そうとするのかも。

戦わなければならないとしたら、敵の戦い方を知りたいとは思いませんか。MMAでも柔術でも、敵がどのように戦うかを知らなければなりません。
偽の左翼の教会から出て来た本当にばかげた話です。人々を麻痺させて洗脳させて弱くし、戦うべき敵について何も知らないようにしようとしています。すると黙って従い身をかがめて奴隷になります。

(歌を口ずさんで)

それが今話していることです。我々は奴隷になってはいけません。王、聖職者となるべきです。王の王の似姿、羊飼いとして。

ですから60ミニッツがきて我々のドキュメンタリーを撮るのです。キリスト教が目覚めて再び勇敢になると、彼らにとっては問題です。
ところでシンガポールの国営放送からも連絡を受けました。シンガポールもドキュメンタリーを撮影しに来ます。5月中旬になります。

彼らは心配しています。もし人々が武装した社会の聖書に基づく王国を見れば、羊飼いとして統治することが悪に対して大きな力と権威を持つことが分かるからです。彼らにとって都合がよくありません。

アメリカには北朝鮮を目指す人たちがいます。彼らは民主党と右派のネオコンの中にいます。文字通り北朝鮮を目指している人たちです。
一緒に読みましょう。「主は、せき止めた川を、そのいぶきで押し流すように、こられるからである」(訳注:訳のニュアンスに違いがあるため、説教で引用されたKing James版の聖句を併記します。「When the enemy shall come in like a flood, the Spirit of the LORD shall lift up a standard against him.」)
キリスト教は再び勇敢になります。そして悪の侵略を食い止め、神様の王国を建設します。

(おわり)

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《聖霊役事は贖罪精誠が重要です。感謝できる方のみお問い合わせ下さい。

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