原罪が清算されても他の罪は残る。二世にも罪が残る。
私たちは生涯、罪と戦わなければなりません。韓国語キングスリポート6月6日(水)より
贖罪に関する部分だけを再掲載します。
今回祝福二世は原罪が清算されても原理で言う他の罪(遺伝罪・連帯罪・自犯罪)が残ることを明言されました。そのよう二世教育をヨナ王妃はしておられます。
祝福二世であっても四世であっても原罪以外の遺伝罪連帯罪自犯罪は残るということを言われました。
そして一世の責任は大きく、二世に対する考えを大きく間違えているとのことです。
どんなに罪がなくても堕落社会で生きている限りその堕落社会に迎合するようなことがあれば罪がつくことを言われました。
どんなに罪がなくても堕落社会で生きている限りその堕落社会に迎合するようなことがあれば罪がつくことを言われました。
ましてや遺伝罪連帯罪自犯罪があれば、堕落社会に蠢く遺伝罪連帯罪自犯罪が吸い寄せられるのです。
生命の書入籍完成祝福を受けることにより直接主管圏に入ったので真の父母様と同じように、 原罪も無いし遺伝罪もないという人もいますが、2世がそのように罪があるのであるならばましてや我々一世です。
生命の書入籍完成祝福を受けることにより直接主管圏に入ったので真の父母様と同じように、 原罪も無いし遺伝罪もないという人もいますが、2世がそのように罪があるのであるならばましてや我々一世です。
完成祝福後の僅か3ヶ月、210代先祖解怨もしたのにこの二世の事故による死亡など、既に聖和、大事故などの不幸が聞こえていますが、完成祝福を受けたのにどうしてと思う人もいるかも知れませんがその理由を、今回のキングスリポートで明確にして頂いたと思います。
これからますますそういう不幸が多く起こることでしょう。210代先祖解怨をしたのに、完成祝福を受けたのにと苦しむ食口が多く出てくるでしょう。あまりにも遺伝罪連帯罪自犯罪を食口は軽んじています。
210代先祖解怨先祖は210代先祖も祝福を受けてもその先祖の罪の被害者は解怨されるのではないですから、私達には遺伝罪連帯罪自犯罪は残ります。その被害者が解怨されていないのですから罪は残るということです。
被害者が解怨されていないのに、それが故に自分たちが犯した生前の罪で子孫が苦しんでいるのに解怨祝福を受けた210代先祖が、その遺伝罪・連帯罪・自犯罪から清算されるという先祖解怨に対する解釈は矛盾したおかしなことになります。最初に金孝南が使い出しお父様も使われるほどに認められた絶対善霊の内容は後日、金孝南が言う絶対善霊の説明にはそのように矛盾した明白な誤りが入るようになりました。それは明白は誤りであり祝福を受けてもそれぞれの基準が有るのは地上の祝福家庭と同じです。
地上の祝福家庭を中心に先祖解怨式を通して、彼らを霊界の修練を経て絶対善霊にし、地上に再臨協助することのできる基台を立てられました。また、地上の肉身をもつ人間に憑いている恨みの霊と悪霊たちを分立し、彼らもやはり霊界の修練所を経て、善の役事をすることのできる絶対善霊にすることができる道を開いてくださいました。2002年2月22日 「六千年役事大解怨式」
地上の祝福家庭を中心に先祖解怨式を通して、彼らを霊界の修練を経て絶対善霊にし、地上に再臨協助することのできる基台を立てられました。また、地上の肉身をもつ人間に憑いている恨みの霊と悪霊たちを分立し、彼らもやはり霊界の修練所を経て、善の役事をすることのできる絶対善霊にすることができる道を開いてくださいました。2002年2月22日 「六千年役事大解怨式」
この御言は嘘なのかとその霊障に不幸に悩む食口も出てくることでしょう。金孝南は霊界で解怨されれば遺伝罪、連帯罪までも無くなるような間違いを言うようになったのです。
遺伝罪連帯罪自犯罪の清算は氏族メシアがしないといけません。
天宙メシアは人類の原罪清算に責任があります。私たちもまがりなりにも氏族のメシア王と王妃です。先祖の罪による被害者の解怨祝福は地上の氏族メシアがしないといけないのです。
つまり氏族の遺伝罪連帯罪自犯罪に対してイエス様のように真のお父様のように責任があるメシアが氏族メシアなのです。
今回「皆さんもこれを認識して、常に悔い改めの心情、謙遜な心情」つまり具体的な悔い改めと贖罪のことをエルダー本部長は言われましたが、これは伝道、訓読、平和軍訓練、そういう精誠や条件の信仰生活が必要だということなのです。
このことが聖書に明らかに書いてあります。
ヨハネの黙示録22章
22:14いのちの木にあずかる特権を与えられ、また門をとおって都にはいるために、自分の着物を洗う者たちは、さいわいである。
22:15犬ども、まじないをする者、姦淫を行う者、人殺し、偶像を拝む者、また、偽りを好みかつこれを行う者はみな、外に出されている。
22:14いのちの木にあずかる特権を与えられ、また門をとおって都にはいるために、自分の着物を洗う者たちは、さいわいである。
22:15犬ども、まじないをする者、姦淫を行う者、人殺し、偶像を拝む者、また、偽りを好みかつこれを行う者はみな、外に出されている。
私たちは210代先祖解怨も受け完成期祝福により、いのちの木に預かる特権を与えられました。
しかし門をとおって都にはいるためには、自分の着物を洗う者たちとなるべき責任分担があるのです。
自分の着物を洗うとはどのような事でしょうか?つまり罪を洗うことです。原罪は天宙メシアしかできない事ですから、私たちが洗わないと行けない罪とは自犯罪・遺伝罪そして連帯罪です。
この自犯罪・遺伝罪そして連帯罪を贖罪するものが幸いなのです。氏族メシアは氏族に対しこの自犯罪・遺伝罪そして連帯罪の贖罪の責任があるのです。
(ファンクラブ)
監修:亨進ファンクラブ
二世にも罪がある。原罪が無くても他の罪がある。
2代王様がキンダムアカデミーをされたのですが参加者に感想を言っていただきたいと思います。
ジョンへさん:アカデミー第一期のイ ジョンヘです。
動画で見るのと違って二代王様が師範になって直接教えて下さるので王様がいつも言われた神様を愛し隣人を愛するということが実感できました。
二代王が言われる後生遺伝子が少しは開いたのではないかと思います。
体力的には準備してきたので適応できましたが人が多いからか人間関係が大変でした。
サンフラン師範とムエタイ(タイキックボクシング)もしました。
2世のギデオンという食口が原理講義をしてくれました。通訳もありました。
ミキさんのバイブルクラスもありました。ヨナ王妃も直接講義をしてくださいました。私たちは罪人であるという講義でした。私も罪人であるということを実感することができましたが、それでも愛してくださる神様に集中することができるようになりました。
次に女性のポルノについて学びました、韓国ドラマを見てドラマに出る男性と自分の夫を比較することが、女性ポルノです。
体力がない人は基本運動などを準備してここに来るのがいいと思います。ソウル聖殿で柔術を少し学んできたのですが、道場に通うとか準備してきた方がいいと思います。そして英語の勉強。意思疎通できないことが非常に心が重かったです。
そして信仰面においても信仰の基本があるのがいいと思います。信仰的観点で感謝して考えることができることも必要だと思います。
エルダー本部長:あなたたちを罪人であるという言葉を聞いて気分はどうでしたか?
ジョンへーさん:受け入れられない友人たちが多かったようです。個人的にはそれについて悩まなかったのでよく分かりません 。
エルダー本部長:キリスト教は私たちが全て堕落の後孫でありアダムとエバの子孫であり、もちろん一世はそうですが、罪人であると。しかしイエスさまを通して救われる事ができるという希望をくださいました。
以前も二代王様がお話されましたが、統一教会の二世の中には「私は罪がない」、以前も私がある方からメールをもらいました。その方の息子さんが事故で亡くなられました。二世なのですが。
ところが「息子も先祖解恩祝福をしなければならないのか。二世なので解恩は必要ないのではないか。」と、私に尋ねられました。
そこで、返事をしました。「二世なので原罪がないのは事実ですが、私達は言動だけでなく言葉や考えを通しても、実は毎日罪を犯しています。それは二世も例外ではありません。例えば、このような汚れた世界、泥沼のような世界に生きているのですが、泥沼のなかで生活しながら、人が汚れないと言うことができますか?罪がつくのです。万が一完璧な人であったとしても、完全に罪の無い清い人であっても世間とタイアップ(共同)すれば、そこで罪を犯すのです。
しかし、私に罪があると言って絶望する必要はありません。それに対して自責する必要もありません。悔い改めたらいいのです。悔い改めて罪を告白して、赦しを受けたらいいのです。これが、聖書の御言葉にも出てくるのですが、イエス様が流された、お父様が流された、血の価値です。
ですから、罪がある人ほど、事実お父様の価値を、自分の罪を認識している人ほど、お父様の価値を認識できるという部分があります。
イエス様に従った人の中にも娼婦がいましたね。イエス様から赦しを受けました。なぜなら、その人達は自分の罪を認識しているからです。だからといって、わざと罪を犯す必要はありません。
神様がご覧になった時に、みんな似たり寄ったりです。似たり寄ったりです。私は罪が無い!と言う人も、罪を多く犯した人も、神様から見たら似たり寄ったりですが、罪を犯す事は神様の心情を蹂躙することです。私達が罪を犯すということは。
ですから、あるときにはこう考えます。この世界で最も赦すことが難しい人は自分自身だ。(ユサモニム:そうです。)こう考えます。ですから、自分を赦すことができなければなりません。
神様は赦してくださいましたが、私が未だにあなたを讒訴している。そういう場合が多いです。
ですから、自殺する人も結局は自分自身を赦すことができず自殺する場合もあるのではないかと考えたりもします。
ですから私が、「あなたは罪人だ」という言葉を聞いて「なにを言っている、私は二世なのに!」、
(ユサモニム:そんな子どもたちは多いでしょう。)
しかし、原罪無く生まれても、罪は原罪だけではないのですね。原理をもう一度読まなければなりません。もちろん原罪は根です。根を切ったら、木全体が死ぬことになりますが、それは時間が必要ですし、あっという間になされるのではありません。
一世の責任は大きいです。私達が二世に対する考えを大きく間違えました。
二世は原罪無く生まれたので、完全に罪のない子供が生まれる、こう考えて、二世の子供は完全だと考えたかはわかりませんが、そのような考えは変えなければなりません。
私達がそのように変わることによって、信仰がもっと深くなります。信仰が強くなるのです。真理をより深く分かるようになります。
一日にして(罪が無くなる) 。これを考えてみてください。罪が、聖書的にいえば6000年、実際は人間が誕生してからどのくらいですか?25万年?分かりません。とにかく、長い時間、今まで罪があったのですが、これが一日でなくなるのではありません。
ですから、皆さんもこれを認識して、常に悔い改めの心情で、謙遜な心情で(過ごさなければなりません)。
自分を讒訴するのも、ある面、傲慢なのです。私は完全でなければならないのにという(傲慢なのです)。
しかし謙遜な心情で、悔い改めの心情で、常に生きていれば、神様に従っていくことができ、神様の愛を受けることができると思います。
私の罪を認識して「ああ、このためにお父様は立派な方だな。お父様の犠牲は私を救うためのものだった」と認識してくださればいいです。
結局は私達すべてが、二世も三世も四世もみなそうです。お父様は私の救世主だと言うことを体験しなければなりません。体験がなければなりません。その体験無く頭だけで原理がわかっていたら弱いです。お父様が私を救ってくださった。
私の罪をお父様が責任をとってお父様が蕩減してくださった。お父様が私の罪を赦してくださった。このような体験をしてこそ強い信仰を持つことができると考えます。これが重要なことです。
実際、韓氏オモニがこれを体験できずにこうなったのではないか、私はそう考えます。今朝、ここに来る車の中でも三人でこのような話をしました。
最近奇妙な写真が出ましたね。名前が何ですか?(ユサモニム:イ・ギソンですが、本当はイ・キュサムですが、イ・ギソンという名前を韓氏オモニがつけてくれたのです。)
とにかく、李朝時代の服を着て・・・、チョンエさんが、これは完全に巫俗信仰ですねといったのですが、よく言ったと思います。今や家庭連合はシャーマニズムの一つの派になってしまいました。旧約聖書に出てくるバール神です。
結局お父様を救世主だと体験できなかったのでとんでもない方向に行き「実は私がメシアで、私がお父様を救い、私と結婚したことにより文鮮明氏の原罪がなくなり、私に合う前に結婚したらいけなかった。」という言葉が出る背景にはお父様を救世主として体験できなかったと考えることができます。
私達も一人ひとりがそのような体験をすることができるように神様に祈祷するのもいいのではないかと考えます。
そのような体験をすることで罪がなくなるということではありません。私たちは生涯、罪と戦わなければなりません。戦わなければなりません。それが、お父様が常に語られた心と体の戦いです。戦いを私達が終止符を打たなければなりませんが、お父様が語られたように。お父様の御言葉を見たら、そのような御言葉がたくさん出てきます。体と心の戦い、結局それは罪との戦いです。
他に話したいことはありますか?
(ユサモニム:キングスアカデミーにたくさん来たらいいでしょ?二代王さまを中心にして。)
もう一つ言いたいことは、二代王さまとのスキンシップ、・・・スキンシップという言葉は確か須藤先生から出てきたと思います。75年にベリータウンでワークショップをされて、そのときにスキンシップという言葉を使われて、その時から統一教会で使われるようになった記憶があります。スキンシップは皮膚と皮膚の接触ですね?そのような関係。
そこで重要なのは、記者からこのような質問を受けます。「サンクチュアリに入ってきた人たちをどのように考えるのか?サンクチュアリに入って来ない人は地獄に行くと考えるのか?」このような質問を受けます。
他の、キリスト教などはそうですね。私達の教会に入らなければ地獄に行くという教会があるので、そのような質問をしたようです。
サンクチュアリに入ったからと言って必ず天国に入るのではありません。(ユサモニム:愛の多い人が行くのです。)
サンクチュアリに入って来ても、地獄に行く人はいるでしょう。なぜなら、天国に行くのは、ある教会にある組織に所属したて天国に行くのではありません。メンバーシップカードを持っているからIDカードを持っているから、天国に行くのではありません。
二代王さまが仰ることは、宗教が問題ではなく、関係が問題だ。religionではなく relationshipだと仰いますね。説教でそのように話されます。relationship、ですからキリスト、キリストというのはお父様です。お父様がメシアで、メシアというをギリシャ語に翻訳したのがキリストです。ですから、キリストはメシアです。りんごがアップルであるように。
ですからキリストとの関係、これを私達は求めるのです。
では、お父様がメシアであられるなら、お父様との関係を結ぶ最も良い方法は何か?お父様の代身者、相続者と繋がるのが最も良い方法です。
ですから、ここに来て二代王さまとスキンシップを経験することが大変重要だと私は考えます。お父様を体験することができる契機になるかもしれないと考えます。
(ユサモニム:信仰というのは、神様との関係、お父様との関係です。律法は単なる人間関係です。)
そのような話をしながら、時間になりました。
ありがとうございました。
遺伝罪恨霊解怨、傍系解怨については、感謝できる方のみお問い合わせ下さい。》
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