正義の王国■二代王Sunday, March 27, 2016 (Easter Sunday)
今日は,正義の王国ということについてお話ししたいと思います。
天聖教202ページ(英語版)を見てみましょう.
“神様は,アダムとエバの両方とも完成させうることを願ったのです.
このようになれば,神様は二人とも収めて持つことができるという言葉も.
成立するのです.”
この事から,お父様はお母様を長成期の完成級まで連れて行かなければならなかったという事がはっきりします。.
完成するためには,最後は自分で決めなければなりません。
誰かがあなたのために決定することはできません。誰かが決めることができたらいいのですが、残念ながらそれはできません。
お父様のみ言に 、2013年迄にお母様は完成しなければならないとあります。お母様は、お父様に従ってこられ、お父様が重要な摂理的な決定をされてこられました。
お父様が地上におられなくなった時、ここで初めてお母様がご自分で重要な決定をしなければならなかったのです。お母様の生涯ではじめて重要な摂理的決断をしなければなりませんでした。
ちょうど善悪知るの木の実のように、善悪のどちらかを選ばなければなりませんでした。
力を選ぶでしょうか?愛を選ぶでしょうか?権威を選ぶでしょうか?血統を選ぶでしょうか?地位や自分が崇められることを選びますか?神様を崇拝する事を選びますか?
これは本当に基本的な選択です。自分の為に生きるのか、神様の為に生きるのか、そこに行き着きます。それが善と悪の違いです。
ですから、ここでお母様は決めなければなりませんでした。自分の為に堕落する事ができない女性となる為に、自分の意思によって選ばなければなりません。力と権威が手に入るとしても、私はそれを選びません。それより重要なことは 、私のメシアに対する愛です。そして、彼の血統です。
多くのお母さん方には、理解できないでしょう。私はただ息子をサポートして “行って自分のやりたいようにやりなさい”と言うのにと思うでしょう。
それは、殆どのお母さんはお金も権力も拝められる事も無い普通の人々だからです。5億ドルやあなたの為に走り回って崇拝する人やあなたからいつも盗もうとしている人など、周りにないでしょう?
子供を育てて、仕事をして、普通の物事を抱えて生活していますね。
それが、最高の力があると話が変わってくるのです。
お母様は、最高のサタンの誘惑を拒絶しなければなりませんんでした。
イエス様が荒野でサタンに、この王国の全てを、全ての権力をあなたのものにできますよ。ただ私の前に屈すれば、全てあげますよと試されました。
それと全く同じことです。
神様との契約をとるか、サタンとの契約をとるかの選択です。
そうでしょう? サタンに試されている時にサタンとの契約を取れば、それで終わりです。たった一度の選択です。その時だけです。とても早く終わってしまいます。 もちろんそれが起こりました。お母様は、地位と力と権威を選んだのです。文字通り目が飛び出すようにして私には絶対権力があると叫んでいました。愚かな韓国ドラマどころではありません。そのような光景は見たことがありません。私と国進様の口は、開いたままふさがりませんでした。現実のものとは思えませんでした。
ですから、選択です。善と悪との間の選択をしなければなりません。
これらのことが、小世界と大世界で起きています。同じ状況です。例えば
アメリカが18,19世紀頃世界に約束していた内容を見てみましょう。
文字通りアメリカは、東ヨーロッパやその他の国々からの移民にとって
まさに天国でした。1日につき2.3セントしか作れないそれらの国から、アメリカにくることによって、週に30ドルも作れるようになりました。多くの自由があり、政府がストーブではまきを燃やしてはいけないとか、税金を払わなければ呼吸できないとか言いませんでした。
あなたは自由です。家族を育て、自由に作物を作り、あなたの土地に許可なしに自由に自分の建物を建てることができます。
信じられますか?アメリカがそのようであったことを!社会主義のようになった今では想像に難いです。今は落ちぶれてしまいましたが、そのころはそうではありませんでした。ですからアメリカを見ても判るように、その頃のアメリカは長成期の完成級でした。天国のすぐ近くでした。あなたは自由な存在ですが、責任を持っています。これは、巨大化した福祉国家になる前のことです。人々が責任を持っていた時のことです。橋をただ燃やしてしまう事は出来ません。橋と人間関係によって、ビジネスが上手くいかない時あなたは助けられるのです。友人や家族や教会などのコミュニティーがあなたを支えるのです。大きなおやじさん政府(big daddy government)がお金をくれるのではありません。勿論お金がほしければ、離婚届けや他の証明書を提示しなければならないなどのいろいろな手続きはありますが、、、。
今とは違って、当時のアメリカは長成期の完成級であり、メシアを迎え世界にメシアを宣べ伝える事が可能な摂理的なローマのような準備された国であったとお父様は何度も言われました。しかしながら、いくら長成期の完成級レベルであったとしても堕落する可能性があります。同じことがお母様にも言えるのです。なぜなら、まだ完成していなかったからです。アメリカも堕落する可能性がありました。アメリカは大きな罪を犯しました。
人々は、この事柄を結びつけて考える事は出来ないと思いますが、国進様はできたのです。文字通りアメリカは世界から人々が来ることが出来る偉大な国だけれども、一つの大きな罪を犯しました。それは奴隷制度です。奴隷制度のために遂には、Amendments (法令の改正)という過程が現れました。その為に、ビックマネー、ビックパワーが政府を買って法律を作りはじめました。1913年の金融流通規制制度です。社会主義的なお金が入るようになると、ほとんど終わりです。そこから落ちていきます。アメリカの没落です。限りのない負債をかかえながらも、費すという悪の循環です。福祉が少数人種を破壊しています。それが今のアメリカです。
完成期においては、落ちる事ができません。修正案は何かというと、1930年代に大きなお金を使って権威を買い取り法律を変えようとしました。天一国の憲法には奴隷制度はありません。ですから、修正案もありません。天国には天法を変える事はありません。あなたが変えたいからといって神の法を変えることはできません。
例えばの話ですが、もしベビーブームの時に生まれた子供達は裕福になり、専門家になります。
一世は一生懸命働いて、二世は少し生活が楽になります。そして、医者や弁護士になります。3世は万物が豊かな環境に生まれますので、親の苦労が分かりません。3世は豊かな物の中で大きくなります。責任がなくなり、自分が住んでいる所が誰が作ったか分かりません。自分のお爺ちゃんが作りました。豊かさが子供をダメにします。ベビーブームに生まれた子供達は、お金の力を使って、只、お金だけに支配されて社会主義者となります。マルクス主義になります。というのは、ベビーブームの子供達は、教授になったりします。現実の仕事をしたり自由市場で競争したがらないのです。大学という社会主義の中でそして背後で銀行などの融資家が、支配します。後で崩れてきます。ダメになった世代がやって来ます。天一国では天法を変えることはできません。ダメになった子孫達が来た時、法を変えることはできないのです。勤勉の価値を知らなければいけません。大きな政府をつくることはできません。GDPの10%以上にすることは法に反します。環境保護を政府がやるのも不法です。人びとが環境を守るのです。政府ではありません。
中央銀行も天一国では不法です。
世代を超えて自由と責任の価値を学ばなければなりません。与えられるお金に責任を持てなければ全て失ってしまいます。傲慢になり怠慢になり親のお金を無駄に使うなら、貧乏になります。無責任な態度に直接責任を持つことになります。
そこでは、繁栄をもたらす為には約束を守ること。正直さ、勤勉さ、道徳を守ること、人の為に生きる事で、契約を守ることであなた達の家庭は祝福が与えられます。3セントでインドで働いたら、ここでは一週間で300ドル稼ぐことができます。大変な貧乏の中から出てきても、新しい人生を出発できます。人々は頂上から始めるのではなく、下の底から始めます。そして次の世代がよじ登ってくるのです。機会が与えられます。社会主義ではコネがない限り、機会はありません。奴隷です。
それゆえ完成級の憲法には新しい過保護の世代のためにチェックアンドバランスが必要です。
新しく数10年経った世代にとって、自由と責任が強調されます。
あなた達は隣人を愛します。私が警察官になって守るのです。政府の警察とか軍隊ではありません。人びと、あなたが隣人を自分のように愛するのです。もし、隣人が強姦されようしている時に、私が行って助けてあげるのです。自分の隣人、兄弟を守る責任があるのです。
誰か他の人に任せるのではありません。私たちがその責任をとるのです。自由な人が責任をとるところです。
イエス様はひっくり返った王国の話をしました 。本当に理解できますか?社会主義がわかりますか?共産主義がわかりますか?隣人を愛する事ができますか?社会主義において敵を愛することに価値を見出すことができるでしょうか?できません。不可能です。
社会主義者は嫉妬深い組織です。嫉妬のシステムです。自由に機会があたえられるようなものではありません。様々な階級を作る組織です。
本当に自由な所とは、自由に交換でき、勤勉で正直な人たちと信じる人たちと共に働けることを選ぶことができる所です。大きな会社で働くようなことや特定の人たちと働くことを強いられるようなことはありません。
本当に自由のある所には競争があります。競争の意味がわからない人たちはいつも社会主義に傾きます。若い時から競争することをしないからです。スポーツとか様々なことでで競争をしないと自然に競争することは悪い事だと思っています。
小さい時から競争すれば、競争というのは必ずあなたを高め強めてくれます。競争は人間の本質を高く実現させてくれます。
実際、本当の自由の市場では、イエス様は自分の敵を愛せ、自分を迫害するもののために祈れと言っています。本当の自由の市場では、きちがいじみているかもしれませんが、敵を愛するのです。競争相手を愛する、なぜなら競争相手があなたに、彼らがより良い製品を作ることにより、あなたに、さらにいい商品を開発させざるを得ないようにしてくれるからです。そのようにしてあなたがもっとお客さんのためによりよくためになれるのです。そしてお客さんがもっと買ってくれるようになり報酬を受けるのです。ですから、あなたは実際競争相手に感謝しなければいけません。柔術でも敵に感謝することが必要です。あなたの尻を叩いて、恐れさせ、努力させ、自分の最高を出させます。
競争相手があなたの弱い所を突っ込むんで、あなたを滅ぼそうとします。ですからあなたは本当に一生懸命やるのです。彼らは強制的に、あなたを考えることもできなかった人にしてくれます。
真の競争、自由なビジネスにおいては真に成功する人は、敵を抱擁します。
独占主義者が競争を嫌うのです。ですから彼らは大きな政府が欲しいのです。政府に力をもたせて、競争相手を殺したいのです。それが社会主義、共産主義 の考えです。自由と責任の土地では実際にはアップサイドダウンの王国がおこっています。クレイジーですが敵を、競争相手を愛さないといけません。迫害するものを愛するのです。あなたをよく、強くしてくれます。
私たちは誓いについて今話しています。契約を守ると言う事です。創世記25章、皆さんはこのところを見た事がありますか?
創世記25章
24:1 アブラハムは年を重ねて、老人になっていた。主は、あらゆる面でアブラハムを祝福しておられた。
24:2 そのころ、アブラハムは、自分の全財産を管理している家の最年長のしもべに、こう言った。「あなたの手を私のももの下に入れてくれ。24:3 私はあなたに、天の神、地の神である主にかけて誓わせる。私がいっしょに住んでいるカナン人の娘の中から、私の息子の妻をめとってはならない。24:4 あなたは私の生まれ故郷に行き、私の息子イサクのために妻を迎えなさい。」
“手を股の下に入れる”と有りますが、何人の人がこの事を聞いた事がありますか? おかしな事だと思いませんか? リチャード、私の手をあなたの股の下にいれさせてくれませんか? これはちょっとおかしな話です。ではヘブライ語で股と言う言葉を見てみましょう。ロインとかサイドとかベースと言った意味です。神様に携わる人々においては、契約を結ぶと言う事は真剣な事です。股の下には何が有りますか? 股の下という意味は性器と言う意味です。アブラハムが契約を結んだ時、カナン人の娘を息子の妻としてはならないと言いました。ここに来て 誓いなさい、手を股の下に入れて。これは真剣な話です。通常では股の下に手を入れません。
聖書を勉強する時に用いる一つの方法は聖書自身を用いる事です。聖書で股はどの様に使用されているのでしょうか?主が帰って来られる時に3つの性格を持って再臨されます。新郎、裁判官、王様、です。明らかに 新郎新婦と言う事は性的契約に関係しています。黙示録第19章を見てみましょう。
13節、
彼は血染めの衣をまとい、その名は「神の言」と呼ばれた。
19:14
そして、天の軍勢が、純白で、汚れのない麻布の衣を着て、白い馬に乗り、彼に従った。
19:15
その口からは、諸国民を打つために、鋭いつるぎが出ていた。彼は、鉄のつえをもって諸国民を治め、また、全能者なる神の激しい怒りの酒ぶねを踏む。
19:16
その着物にも、そのももにも、「王の王、主の主」という名がしるされていた。
これはイエス様が再臨される様子です。注意して見てください。イエス様は裁判官として来られ、サタンの諸国の民を打ち、鉄のつえでサタンの諸国を治めます。そして ももに“王の王、主の主”と名がしるされています。旧約聖書で契約がいかに真剣な事であるかと言う事を理解すると、 再臨の主を証明するものがももであると言う事です。これが 原理本体論の核心です。神様の種子です。股の下に神様の種子を持って神の王国を築きます。
再臨主は3つの性格を持って来ますが、ここで、裁判官と言うのは、唯単にあなたは良い、悪いと言うだけでは ありません。これは政治的裁判です。これはとても重要な事です。そして 黙示録によれば、軍事的でもあります。現在の国々の政治的裁判です。私たちは福音を見る時、政治的な面を忘れがちです。これまでの2週間で、福音を勉強しました。イエス様ご自身が定義されている福音は 十字架ではなく、復活でもなく、復活祭でもなく、復活祭のうさぎでもなく、神の王国です。そして、王様として来ます。
真のお父様が来られて、新郎として確立され、祝福を授けられました。そして、サタンの国を裁判されました。共産主義と集産主義とUNも含めて全ての国を裁判されました。真のお父様がどうしてこんなに政治に関与されたか不思議に思った事は無いですか? 分からない理由は福音は政治的である事を知らないからです。王国と王国の戦いです。神様の世界がこの世界に来て、支配するのです。大いに政治に関与しています。三番目には 神様の天一国を確立されます。そして そこから天一国の憲法が設立されます。
この2〜3週間に次のような聖句を学んできました。
マタイによる福音書
6:33
まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。
10:7
行って、『天国が近づいた』と宣べ伝えよ。
ルカによる福音書
4:43
しかしイエスは、「わたしは、ほかの町々にも神の国の福音を宣べ伝えねばならない。自分はそのためにつかわされたのである」と言われた。
マタイによる福音書
4:23
イエスはガリラヤの全地を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいをおいやしになった。
十字架ではなく、神の国の事を伝えよとイエス様は言われました。十字架上における贖罪と復活は全人類への素晴らしい賜物と救済ですが、それはイエス様ご自身が伝えられた福音ではありません。福音は神の国の宣教です。原理講論はまさに的を得ています。神様の息子の第一の目的は死では無かった。それは第二のコースでした。神様の息子自身がこう言っています、神の国の福音を宣教しに来たと。
マルコによる福音書
1:14
ヨハネが捕らえられた後、イエスはガラリヤに行き、神の福音を宣べ伝えて言われた、
15 時は満ちた神の国は近ずいた、悔い改めて福音を信ぜよ。
マタイによる福音書
9:35
イエスはすべての町々村々を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいをおいやしになった。
マタイによる福音書
24:14
そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。
十字架とか復活の力を否定しているわけではありませんが、それらが福音ではなかったのです。イエスはこう定義しています。
福音が国々に宣べ伝えられる時に終わりが来るのです。終わりが来るのを待っているのではありません。人間の大きな責任分担がここにあります。とても大きいものです。その後に終わりが来るのです。我々が王国を宣べ伝えなければ、終わりがないというのです。
私たちが宣べ伝えなければ、暴政や奴隷制の繰り返しが終わらないのです。
私たちは考えられないような時代に生きています。
宮殿とかベルギーで起こっていることとか、本当に狂っています。
私たちは王国には住んでいません。韓お母様が言われるようにはなっていません。
3年前に申し上げました。神様に背を向けたら、何がおこるか、どうなる、どういう責任を負わなければなくなるか言いました。摂理的に重要なことでした。不幸なことに、惡い方向に向かっていく始まりになってしまいました。
しかし、我々世界中のサンクチュアリーはとても特別な物を持っていると思います。我々は信者のコミューニテイーですが王国を見ることができるのです。艱難の時であり、まだサタンの王国の時代であるかもしれませんが、来たるべき神の王国を見ることができるのです。それは、大きな違いです。エバンジェリカルクリスチャンをも含む世界中の多くの人びとは見ることができないのです。彼らは御国のために、御国が来ることを祈りながらも、その国がどういうものなのかわからないのです。再臨のメシアに会わなければいけないのです。そして王権により王国に来なければなりません。接ぎ木されなければいけません。そして彼らが待っていた王国に引き上げられなければなりません。
我々が進んでいくにあたって、何を得ていくのか、王国、に焦点を合わせる必要があります。艱難の時ですが、必ず王国は来るのです。
サタンの暴政は確実に終わります。神の民、神の子たちは共同相続者になるのです。
キリストと共同の相続者です。
王の権利とは何でしょうか?考えてみてください。
王は領土において権利を持っています。王は王国を持っています。そうでしょう?あなたは王国に税をかけることができません。それが王国であれば税をかけることができません。他の何者かが自分たちに王国を使うことに対してに負債があるなどということはできません。
王国においては天一国憲法を理解するなら、その王の権利はすべての市民の権利であることが分かります。自らの領土における主権を持つのです。そこには強制的に税をかけることはできません。
王国では領土がありますが、それを守る手段を持ちます。王であるのに領土を守る手段がないということはあり得ません。そうでなければヨーロッパのように浮浪者や盗賊に襲われて、乗っ取られてしまいます。ですから、王として王国を守る手段が必要です。
過去にはその権利は王にありました。天一国においてはその権利はすべての市民にあります。
イエス様はあなたたちは御国において私と共に共同相続者であると言われました。どうしてそれが可能になるのでしょうか?もし全てを中央政府が所有しているとするならば、どうやって我々が王国の共同相続者であるといえるでしょうか?それは不可能です。それは奴隷です。
天一国では私たち一人一人が王の権利を持つのです。
私たちは天国を見ることができます。天一国には王と女王の王国があります。王国同士の自由な交流があります。王の王によって統一されています。王政が神様と市民の契約を守るのです。すべてのキリストの体がその王国の顕現を待ち焦がれているのです。
彼らはアメリカが失敗したことを知っています。今はもう否定することはできません。神の王国がこなければいけません。そして、世界中に広がっていかなければならないのです。人びとを奴隷にするためではなく、人びとが神の子になるためにです。世界の相続者になるためです。すべてがつながってきます。
再臨の新郎でありすべての惡を裁く審判官であり王の王である我々の真の父、文鮮明と神の種の血統によってです。
みんなで立って神を讃えましょう。
御国が来ますように、みこころが天に行われる通り、地にも行われますように。
訳byOceanus& the Translation Team in the US.
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