【王の配偶者受諾の証し】
■李妍雅(イーヨナ)任(ニム)の干證(カンジュン=証し)
時:2011年6月23日
場:訓讀會における李妍雅任の干證
所:ラスベガス天和宮
アボニム:妍雅(ヨナ)や、来て干證(カンジュン)を一言話しなさい。
妍雅任:父母任(プモニム)の家庭に入るとき、父母任がいろいろな人を揀擇(かんたく)されるじゃないですか。私が父母任の家庭に入るとは考えてもみませんでした。なぜなら私の弟が精神薄弱なので、家庭に傷があれば絶対に入ることができないと考えたのです。
揀擇(간택・かんたく):王の配偶者を選ぶこと
揀擇(かんたく)を受け持っている沈雨(シムウ)師母(サモ)が私どもの家に来られるというので、「私の家庭はこんな事情なので、来られる必要はありません」と言ったのですが、「遺伝的なものではないので大丈夫」と言われました。
初めに亨進任に会う前に、父母任にお会いしたのです。父母任(プモニム)両位分(ヤンウィブン=御夫妻)が座っておられたのですが、いつも写真で尊影(そんえい=御写真)を見たり、カレンダーの中で座っておられる父母任ですが、その方が目の前で座っておられるので、これは本当だろうかとほほを何度もつねってみたのです。本当だとわかって、近くでお目にかかっただけでも大きな栄光だと思いました。
尊影(そんえい):他人の肖像または写真など敬っていう語。
父母任は、「한번, 형진이를 둘이서 만나봐라(一度、亨進に二人で会ってみなさい).」と言われました。その時に私が考えたのは、「どうせ私はだめなんだから、子女任(チャニョニム)に私たち食口たちの心情でもお伝えしよう」と会いに行きました。なぜそのように考えたのかわかりません。
そうして亨進任にお会いしたのですが、亨進任は、そのときは韓国語ができないし、私も英語が充分でもなかったので、手振り身振りもして話を少ししました。
私が亨進任にこんな話をしました。「子女任(チャニョニム)たちは何もわかっておられません。祝福家庭がどのように暮らして来たか、どれほど苦労して暮らしているのか子女任たちはわかっておられません。水が漏る家で暮らしたことがおありですか?冷たい床の上で暮らしてみられましたか?いつも平安に暮らされていい学校にも通われて、どうして私たち祝福家庭たちの心を理解することができますか」とそんな話を堂々と話しました。どうせだめなんだから話したいことを話しておこうと、「温室の中の花のように暮らされた方だから、私たち雑草のような者の理解はできないでしょう」とこの言葉を差し上げました。
亨進任は驚かれたのか、私を見ながら笑われたので、私は、「なぜ笑われるのですか」と聞いて、言われた言葉が、「そうだね。そんなに考えることもできるでしょう。しかし、私たちが祝福家庭たちを理解することが難しいように、あなたたちも私たちがどのように暮らして来たか完璧に理解することはできないものです。人たちは私たちがすべて持っているように見ているけど、私が何を失ったまま暮らしているのか、それはあなたが知ることはできない」と言われました。
そのとき私は何を意味するのかはわかりませんでした。そうして、私を見て笑われながら、「それでもあなた(妍雅任)が一緒に暮らしたら、私(亨進任)を好きになるだろうよ」と言われたのです。私は衝撃を受けました。「どうしてそんな言葉を言えるのか、王子病ではないのか」と一人で思いました。
そして、どういうわけか私が揀擇(かんたく)されました。それから10年の間、亨進任は、「あの時、あなたはこんな言葉を言ったね、私に」、「あなたはたいしたものだ」と大変からかわれました。
私が世界會長をより愛してより尊敬していますが、アボニムはいつも遠い所におられますが、亨進任は夫ですから結婚していつも見て近くいて13年目になります。いつも夫と出かければ新婚夫婦と見られます。「新婚夫婦か?」、「男妹(ナンメ=兄と妹)か?」とよく聞かれます。それほど似ているし、それほどチャンプモニムが下さった祝福に感謝しています。
私は食口によく、「世界會長は、私の信仰のアボジです」と紹介します。それは、私たちが3年間牧會をしながら、本当に私は再びチャンプモニムに出会いました。「本当にチャンプモニムは私の再臨主でメシアだ、本当にチャンプモニムだ」と誰にでも言うことのできる私の信仰の中心をつかませて下さいました。
原理講論は、創造原理から堕落論があり、復帰摂理歴史がずっと流れて最後の結論が、「だからこの方が再臨のメシアである。この方が2000年前に亡くなったイエスニムの使命を持たれた方である」と教えるくれるものだと言うです。それで原理講論は終わります。
それは2000年前にハナニムの息子として来られたイエスが馬小屋で生まれて、「だからこの方がすなわちあなたのメシアである」と言って終わるのと同じだと言うのです。3年の公生涯路程を話さずしてはイエスニムのメシア性を話すことはできません。そのように、チャンプモニムがどのように生まれてどのように生きて来られたか、その生涯路程を話さずしては、アボニムがメシアとしてどのような道を歩まれて来られたのか知ることができません。
私たちはイエスニムの3年公生涯路程で本当に多くの感動を受けて、私たちが、「イエスニムについて行かなければ、基督教人にならなければ」と思うように、十字架の血の路程の為に、「私が復活を受けた」ことがわかります。
そのようにアボニムの路程をどうやって心情的に説明することができるか、私と高い所におられるチャンプモニムをどうやって直接的に連結させることができるか、これを世界會長が3年の間、多くの苦悩をされました。
アボニムのその生涯路程を、それも膨大に説明してもだめです。本当に簡単明瞭でなければなりません。伝道をしながらも感じたことは、説明をする時間は2分、3分しかなりません。深い関係にならない限り、それ以上の時間は説明できません。
そうして苦悩しながら、その説明をするために言われたのが、アボニムのマルスムにもありますが、それがすなわち、「七顛八起(しちてんはっき)」の言葉です。「七顛八起」は世界會長は他の言葉で、「七死復活八段完成」とも言われます。
七顛八起(しちてんはっき):七転八起。倒れても倒れても起き上がること。
イエスニムが一死復活の十字架の路程を行かれたのとは違って、チャンプモニムは七回死の道を行かれ、八回復活される「七死(しちし)復活八段完成」の道を歩まれたことをアボニムのメシア性と提示されます。
私たちもアボニムが八回死の道を行かれたと言いますが、いつどこでどのような状況で行かれたのかよく分からない場合がありますが、
第一回目は、1944年京畿道(キョンギド)警察部に行かれました。光復になる少し前に行かれました。アボニムが地下で独立運動をするという理由で行かれました。これは個人の路程で行かれました。
二回目の復活は、1945年10月中旬に行かれました。ですから8月15日後に解放されたにもかかわらず、アボニムは南韓の紙幣を北韓で使用したという理由で行かれました。アボニムはすべての親戚関係の因縁も絶たれてこのような祈祷をされたと言います。
「人間的に見れば、これはつれないことですが、天倫、ハナニムとの血縁から見れば、このような道を行かなければならないのがメシアの道です」と祈祷され苦難に勝ち抜かれたということです。
三回目の戦いの道は、1946年にアボニムが大同(デドン)保安署に行かれました。これは、南韓の諜者(ちょうじゃ=スパイ)という理由で行かれました。多くの苦痛を経ながらも、アボニムはハナニムに「安心して下さい。私は弱者ではありません。サタンのどんな威脅(いきょう)にも勝利することのできる息子です」そのように祈祷されたということです。そうして個人・家庭・そして宗族(そうぞく)の勝利の基盤を勝ち取られたのです。
このように復活という道を行かれたのですが、この復活というのは、原理的立場から見ればサタン側からハナニム側に行くことを復活と言います。だからそれらに「復活」という言葉を付けられたのです。
そして四番目は私たちがよく知っている興南(フンナム)教導所に行かれたのですが、アボニムは面会に来られた忠母任(チュンモニム=母)に、「私をあなたの息子と思わないで下さい」と言われ、「私が監獄で死ぬ中で涙を流す時に、天におられるアボジはこの不足な子息の為に血の涙を流しておられます」と言われながら、御自身よりもハナニムの心情をまず思い慰労されるそのようなアボニムでありました。625(ユギオ)戦争が勃発した後、1950年10月14日に出監されました。四番目の復活を通して民族的に勝利されたと言われます。
そして、五番目の復活は、西大門刑務所での苦難で、1955年でした。多くの梨花女子大学生と延世大大学生がたくさんチャムアボニムについて行くので、政府がアボニムを弾圧し、つまり民族的な次元でアボニムが弾圧を受けたのです。西大門刑務所でアボニムは、「汗は地の為に、涙は人類の為に、血は天の為に流す路程を通して、基督教界を兄任(ヒョンニム)として侍り最後まで愛さなければならない」と食口たちに教えられました。後に無罪で釈放されました。
そして、六番目の復活は、1984年にアボニムは税金納付脱税の理由でデンボリ(=ダンベリー)路程を行かれました。オモニムはアボニムとの面会を通して言われたマルスムを食口たちを集めて伝えました。アボニムの自敍傳(じじょでん)に出ているように、アボニムは、「私の為に泣くのではなく、美国(ミグク=米国)の為に祈祷し泣きなさい」というマルスムと、「私はこの受難を越えて、その後に来る大きな勝利を見ている」と、このように言われました。
そして、七番目の復活は、2008年7月19日に起こったヘリ機不時着苦難でした。私の子供の三番目の信宮(シングン)と四番目の信俊(シンジュン)がそのヘリ機に乗っていましたが、奇跡としか見ることができません。随行員も搭乗していた全員が火の中で生き残ったというのはメシアでなければ、ハナニムが愛する息子でなければあるはずのないことでした。
チャンプモニムが個人的段階から、家庭、宗族(そうぞく)、民族、国家、世界、天宙、ハナニムの段階まで八段階をチャンプモニムは生涯路程を通して完成させられたのです。それは単純に「メシアである」と終わるのではなく、八段階を通して天宙を越えてハナニムの段階にまで、アボニムは昼のハナニムになられ夜のハナニムと一つになられ、チャンプモニムがハナニムの体となられ、この地上で私たちと対され生活され一挙手一投足されていることを、私たちが「七顛八起(しちてんはっき)」、「七死(しちし)復活八段完成」を通して見ることができるのです。
アボニムはこのようなことを話をされたと言います。「あんたたちは基督教人の悪口を言ってはいけない」。ステファノは石を投げられて死に、一度も会うことのなかったイエスニムの為に、使徒パウロは地中海地域を廻りながらイエスニムのマルスムを伝播しながら、首を切られて死んでしまいます。そのような「イエスニムに侍った基督教人の歴史があり、その歴史を知るなら、あんたたちは私をどのように侍るべきかわかるはずだ」と、このようなマルスムを下さったと言います。
アボニム:
死ぬ人でなければ生きている者。死を追慕する者が生活を吟味しながら、狭い心を広めて今でもより広めることのできる雅量(がりょう)のある統一家の貴重な資料をつかんで、誇ることのできない恥ずかしい心で誇りの名前が汚されないか心配する注意深い生涯の美しさが歴史に残る可能性が多く、それだから、私たち統一家の最後の祈祷文として残れることのできる資料を天とチャンプモニムすべて、夜・昼のハナニム、その柱を強くし育てるように、私たち敬拝させることのできる国の生活を育てて出ていけば、その国とその民族は希望的祭壇を結び、一人で立っていたとしても、萬民全体が和合した結実と同じように、天の心情をすべて催促もでき新しい気運を持って私とハナニムを再起させることのできる力の宿ることのできる根が思い出され、多くの思いが思い出される。その心の姿勢に拍手を一度してあげなさい。(拍手)
訳video作成 By 韓国協会日本聖殿翻訳チーム
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