2016年1月31日礼拝 《世代を超えた戦士の精神》亨進님のリマは詩
金曜日、柔術の黒帯師範と練習中に膝を痛めてしまいました。
関節技が柔術にはたくさんあるのですが、 私から足の固め業で攻撃していたのですが、 私の膝がやられました(笑)。
膝がパチンと音を立てたので相手が「大丈夫ですか?」 と聞いてきたのですが「大丈夫」 と答えてそのまま練習を続けました。
一時間後には燃えるように痛み始めました。 面白いことにその日に限って家内を道場に一緒に行くよう誘ってい ました。家内は他のミーティングがありました。「 もし私が交通事故にあったらどうするの」と訴えていました。 そして家内は別のミーティングに参加したのです。
誰がその日に膝を壊すと思ったでしょうか。運転などできません。 階段を登ろうとしてもつまずくばかりで、カバンを放り出し、 いつも持ち歩いているサバイバル・ キットを使って何とか階段を上りました。
その日の夜、ニュージャージ―に行って、 深部組織の針治療を受けました。ドクター・ リーという針治療のいい先生がいます。
結局右側のじん帯が伸びていたのです。 左半身全体に針を打って全身のバランスを整えたうえで右ひざのじ ん帯の治療をしてくれました。針でじん帯を裂くんですね。 針によって血液や体液の巡りをよくして治癒力を高めるわけです。 そのあとまだ痛みはありましたが土曜をすぎ今日の朝にはなんと奇 跡的に歩けるようになりました。感謝します、 私は御手の中にあります!
いつも御手の中にあるので心配はしません。 武道の訓練については心配なさらないで下さい。 これは必要なことなのです。
お父様との関係を語る際欠かせないものです。 2011年か12年にサッカーのピースカップを開催したときです が。 お父様に私が格闘技を訓練していることを話したことはなかったの です。 神学を学んできたので神学についてはいろいろ話をしましたが格闘 技について話をしたことがなかったのです。
私が韓国で責任者をしていた頃、 その手の格闘技はならず者がすることのように思われ、 世間ではあまり評判がよくありませんでした。 普通の人はしないことのように思われていました。
私は韓国のトップチーム、コリアンゾンビと呼ばれるジョン・ チャンソンなどの総合格闘家と一緒に練習していました。 彼らのように体が大きくて強い韓国人を見たことがありませんでし た。全身にタトゥーが入っています。 こういう人たちと訓練することが私の日常生活の一部でした。
フランシスコもビデオに登場しますが彼は教会員です。 お父様の警護チームに総合格闘技や柔術の技を教える者を日本をは じめ、様々な国で探していたのですが、 その中で一人見つけたのがフランシスコです。お父様は「 聖フランシスコ」と彼のことを呼んでいました。
フランシスコは総合格闘技の選手です。 ブラジル柔術の有段者でありムエタイのエキスパートでもあります 。彼自身は小柄です。 その彼が警護チームに加わり常に行動を共にしました。 空いた時間があると私は彼と練習しました。
われわれのレベルは高く、 お父様の周囲にいてひとたび不測の事態が起こった時にはいつでも 応戦できるようにしていました。お父様は毎日、 私たちに技のデモンストレーションをさせました。訓読会の時に「 亨進!出てきて、ちょっと技を見せなさい!」 とよくいわれました。 そこで私とフランシスコが出て行って技をかけるのです。
本当にお父様は楽しんでおられました。 ある時リトルエンジェルスの公演で、お父様が「 ここで格闘技の模範演技をしなさい」とおっしゃったのです。
私は「バレーに格闘技はなじまないと思いますが」と言うと、「 早く行ってやってきなさい」 と言われるのでワシントンDCまで出かけて行ったこともあります 。バレーを見に来た人たちにどう説明すればいいと思いますか?
神様の計らいでその公演(訳注: 韓国戦争60周年リトルエンジェルス世界公演) の観客には大勢の退役軍人がいたのです。
そこで私は「退役軍人の皆さん、 お父様が皆様のためにと私を送りました」 と言いましたといって模範演技を開始しました。
2012年のサッカーの大会ピースカップでも総合格闘技の模範演 技をしなさいとおっしゃいました。警護員を指して「 あいつと闘いなさい」。私はピースカップの主催者であり、 お父様に仕えるとともに現場から様々な報告を受けて、 指示を出さなければなりませんでした。おまけに模範演技です。
それは不可能に思えたので、 あらかじめ格闘技の映像をビデオに撮り、 それを会場で流すことで条件的に実演をすることにしました。
今からお見せするビデオはその時に撮ったものです。 カメラは私たちの訓練を写しています。 午前2時半からの訓士の人たちと一緒に瞑想をするところから警護 員の一人である北辰一刀流四段の佐藤先生に居合道、 剣道の教えを受けるところ、 そのあとジムで格闘技のスパーリングなどを写しています。 まさに映像にある同じ技をかけていて今回、ひざを痛めました。
よくよくご理解ください。お父様の命でこれら実演を行いました。 私自身は公にしてこなかった内容です。 隠しておけば暴漢が襲ってきた時、 私の動きの予測がつかないでしょう。 しかしお父様はそれを公にするようにおっしゃいました。
今、息子たちをトレーニングし、娘も屋内で訓練しています。 祝福式の後には日本から青年たちがやってくるので、 そこでもトレーニングをしようと思っています。 銃器の訓練と組み合わせれば高度な自衛のための訓練になることで しょう。 すべて基本的人権の一つである自衛権にかかわることです。
この映像からお父様が戦士の精神、 戦士の文化を限りなく尊ばれたことが分かるでしょう。 神様との関係においてあらゆる迫害、 監獄生活を超えさせてきたものは戦士、 闘志の精神ではありませんか。
特に若い人たちが闘志の精神を学ぶことが大切だと思っておられま した。
ではその映像をみましょう。2011年のものです。
このビデオはサッカーの大会(訳注:2012年ピースカップ) のために用意したものです(笑)。
お父様はどこでもこの実演をするように命じられたのです。
本当に喜ばれるました。
人は私のことを瞑想する人、 精進料理を食べ仏教を修業する人だと見ていました。
実際は90年代の若い頃からトレーニングしていました。 国進兄さんもニューヨークでヘンゾ(訳注:ヘンゾ・グレイシー、 ブラジルの柔術家、総合格闘家。リオデジャネイロ州出身) に付いてかなりのレベルまで学んでいます。
だから生活の一部だったのです。それをお父様も愛されたのです。
私に関していえば、お父様は特に喜ばれました。 なぜかというと私が弱々しくなるのではないかと心配しておられた からです。内なる自分の世界に入り込んでいく、 そういう世界を乗り越えさせたかったようです。
この「戦士の文化」とその「倫理」を受け入れ、 拡散することが今重要です。 これまで見たところお父様を守るために立ち上がって集まって来る 人たちの中で武道、格闘技の背景を持つ人たちがとても多い。 ブラジルの兄弟、フィリピンの兄弟もそうです。
武道を通して行動規範を知っているというのです。 師に対する敬意と尊敬。揺るがぬ忠誠心。 それらを持っているのです。
若者たちもこれを学ぶことがとても大切です。 しかしどこででも学ぶことができる訳ではありません。
来るべき戦い、 世界的レベルでの戦いのためにお父様が準備されたのではないかと 今思います。ただ、 道場の中で肘ロックや関節技をかけて終わりではない文字通りサタ ンとの闘いです。世界的な詐欺、腐敗、 裏切りと神聖冒涜との闘いです。
私が将来そこに向かって攻勢をかけることをお父様は知っておられ たのではないか。
今週、家で子供たちに稽古をつけていたのですが、 今回の祝福式の後日本から12名の若者が5日ほど修練会に参加す るためアメリカにやって来ます。
そこでは射撃訓練、護身術、ナイフの使い方から火の起こし方、 ブッシュクラフトまで彼らが今までやったことのないようなことを するつもりです。もちろん原理も学習します。
7日修練会をすればどうですかとの提案を受けましたが、 ここは荒野(ミドバ―)です。 それを利用して今まで体験したことのない怖れと立ち向かう良い機 会となるでしょう。
これを避けて通ることができません。お父様も私が「戦士の文化」 に関心を持つことを喜ばれました。サムライ文化、武士道、 その行動規範は本当に私の中の大きな部分を占めています。
それらは天一国の基礎です。平和軍、 平和警察に関してもその理解の基本になるでしょう。
私は今36才、今年で37になります。 まだ体は20代のように感じています。武道は状況判断、 心と体や感情の制御にも良い、それが拡大すると国家レベル、 つまり修正第2条、国民は専制主義国家から自分をまもる能力を持 つところまでいくのです。これは自由な天一国の基本的人権です。 これは体内に内蔵された免疫系のようなものです。 自分以外に求めることができません。
そして金曜日、知り合いのインストラクターと久しぶりに練習しました。組み合っている時、「2年程やっていませんが、よく覚えていますね」というので「自転車に乗るのと同じですよ(体が覚えている)」と答えました。
すると彼は「お子さんたちが良い稽古をつけているんですね」と言ったので、「子供たちはまだまだですけどね」と私。
ちょうどビデオのなかでフランシスコとやっていたような足を絡めての寝技をしていた時突然、膝が音を立てました。激痛で丸一日動くことができませんでした。日曜の礼拝は無理だろうと思いました。少し曲げるだけでも痛くてしょうがありません。
そして次のようなことを考えました。
確かに格闘技を学ぶのも大切だけれど、銃器など、より高度な攻撃法をまなぶことが必要だ。それは恐ろしいものかもしれないが、それによって後成的遺伝(epigenetics)をもたらし、身体的に弱い人、老人でも自分の身を守れる。こういうことに気付きました。
ベッドの中で「お父様、今日の怪我はどうして起きたのでしょうか」と祈りました。そして聖書を開いてリマを得ました。それは詩編145章13節でした。
「あなたの国はとこしえの国です。あなたのまつりごとはよろずよに絶えることはありません。」
魂の求めに応じて今日はハイレベルのインストラクターと練習をおこないましたが怪我をしてしまいました。今後も練習による怪我に悩まされることは避けたいのですが、今日の教訓は何でしょうか、と祈った時のお父様の答えがこれです。
お父様が私に一見、聖職者にふさわしくない武道の伝統、戦士の伝統をもつことを奨励されたことには理由がある。現代人のもつイエス像を思い起こしてください。まったく女性のような姿です。ハリウッド映画に登場するイエス様の姿は金髪、碧眼(青い目)まるでサーファーです。ローマ・カトリックの影響もあるでしょう。
しかし私たちの知るイエス様は激しいお方です。パリサイ人を叱り飛ばし、神殿にいた両替商、二十数名を鞭で追い払うこともされたのです。その鞭はその前から用意されたものですから計画的な行為と言えるでしょう。そういう出来事は横に置き、大衆文化の中でイエス様は女性化され親しみやすいものにされたのです。
その過程でイエス様の実像が失われ、ただイメージや評判と付きあわさせられることになりました。大きな問題です。
お父様のみ言(リマ)の意味するところはこうです。少々の怪我で戦士の精神、戦士の訓練を諦めてはならない。今回のことも大ケガではなく小さなケガではないか。治療しながら戦う者としての路程、体の状態が悪い時にも善なる者としていかに悪と戦うかいついて考えるがよい。
そのようにお父様が語られているように治療しながら私は感じました。
この(戦士の)伝統を世代を超えて継承させなければならないとお父様は明確に語っておられるように感じました。お父様の力強い主体性と男らしさを忘れてはならないのです。
このように愛に満ちた美しい雰囲気で音楽で讃美し、描画などで讃美していますが、ときたま霊界が働いて兄弟を前に出して叫ばせたい気持ちになります。神様の男性格の霊、霊的主体性がここに臨在しなければなりません。ただ幸福感に満ちて漂っているだけではいけないのです。
キリストは力強い男性なのです。それはキリストの本質です。子供を守る力強い父親であり、花嫁をまもる力強い花婿です。世代を超えて伝えなければならないとリマにもありました。
ですから私の思いにかかわらず、自分自身を守るための方法をこれからも教え続けていくでしょう。そしてこれは天一国全体の在り方にも関わってくるのです。天一国は平和警察と平和軍が守ります。天一国を守るのは市民です。国家機構でも中央政府でもありません。外から雇ってくる者でもありません。市民自身で守るのです。私たち自身で、兄弟、隣人を守るのです。隣人が襲われたなら私が行って救い出すのです。
この仕組みは天一国の重要な構成要素です。この世のサタンを恐れない自由と責任を持つ強い市民がいる。こういう文化が重要です。
だからお父様は訓練を続けよとおっしゃるのです。将来は子供たちがまた教えなければならない。
お父様が三代目の王として選ばれた信俊もこれを教えなければならず、それが生活の一部にならなければならないのです。彼も戦士にならなければならないのです。王であるとともに戦士でなければなりません。
これを考えさせるために神様は怪我を与えられたのです。私の父性を決して忘れないように、人々にも忘れさせないようにと。力と強さ、戦士の精神を忘れないように。
これが千年王国、天一国を守る鍵なのです。
神様は今回の痛みを通して、私が戦士の文化を忘れないようにさせて下さいました。
今世界を舞台にして戦っていますが、個人レベルでは心と体をもって戦うのです。それがより大きな戦いのための良い条件となります。
だからこの2日間、膝を故障したことを恵みと感じています。
み言に向かうことを忘れないでください。なぜ神様こんなことが起こるのですかとつぶやき続けても否定的になっていくばかりです。そのような時こそみ言を求めるのです。
私の場合そのみ言は明快でした。
「あなたの国はとこしえの国です。あなたのまつりごとはよろずよに絶えることはありません。」
すべての世代の中心にキリストはいなければなりません。キリストとの関係、その絆を強めるのです。
将来的には讃美歌、讃美の描画、讃美の舞踊に加えて讃美の格闘技も始めたいと思っています。素晴らしいとは思いませんか?これも芸術です。
それらすべてを神様の喜びのために捧げるのです。神様と共に暮らす者として、偽りの神ではなく真なる神と共にある者として、また、強さと名誉、高い道徳性をその魂に備えた神の前にある強力な者として神様に喜んでいただくのです。
私たちは争いを求めているのではありません。銃で誰かを撃ちますか?いいえ違います。しかし万が一何かが起こった時には真っ先に人を救える者になります。
力強き善人がいるだけで一体どれほどの人々が犯罪の犠牲になることから救えるでしょう。
怪我についてはどうか心配しないでください。強くあらねばならないと悟るための神様からの良い教訓となりました。
神様、お父様の御手の中にいることを悟りました。だから恐れがありません。
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