10月4日 英語説教 The Thousand Year Kingdom of Christ
キリストの千年王国
ヨハネの黙示録20章1節から4節
わたしはまた、一人の天使が、底なしの淵の鍵と大きな鎖とを手にして、天から降って来るのを見た。この天使は、悪魔でもサタンでもある、年を経たあの蛇、つまり竜を取り押さえ、千年の間縛っておき、底なしの淵に投げ入れ、鍵をかけ、その上に封印を施して、千年が終わるまで、もうそれ以上、諸国の民を惑わさないようにした。その後で、竜はしばらくの間、解放されるはずである。
わたしはまた、多くの座を見た。その上には座っている者たちがおり、彼らには裁くことが許されていた。わたしはまた、イエスの証しと神の言葉のために、首をはねられた者たちの魂を見た。この者たちは、あの獣もその像も拝まず、額や手に獣の刻印を受けなかった。彼らは生き返って、キリストと共に千年の間統治した。
以上はキリストの千年王国として知られている部分です。またお父様のみ言を見てみましょう。
天聖経1553
多くの人々、世界の5人種によって築かれた文化的な境界を越えて、それらを一つの文明にする必要があります。つまり、神主義に基づく家庭、社会、国家、その他によって統治される理想世界を打ち立てる必要があります。この過程は完成したアダム中心のイデオロギーと呼ぶこともできます。共産主義でも民主主義でもないアダム主義です。これこそ神主義に導く道です。
このみ言は王国がどのようなものでなければならないかを指し示す意味で重要なみ言です。お父様ははっきりと神主義に基づかなければならないとおっしゃっています。これまでの社会制度、国家組織をみれば共産主義であれ社会主義であれ世俗的哲学に基づくものでありその多くは神様を非難し「宗教はアヘンだ」とするものでした。それらは神主義とはほど遠いものです。お父様は「民主主義でもない」とおっしゃっています。アメリカ合衆国は本来、民主主義を予定した国ではありませんでした。民主主義は歴史を通して最も脆弱な政治体制でした。その多くは「共和制」から「独裁制」の過渡期に現われました。アメリカの建国の父達はギリシャの歴史、また共和制ローマがどのようにシーザーの独裁制に堕ちていったかを知っていました。ローマは共和制として出発し、堕落して民主主義となりそして最終的に独裁制に導かれました。このように民主主義は決まって独裁制に流れていきました。
若い世代の人々はアメリカは民主主義の国であり、民主主義こそアメリカだと教えられて来ていますが実はそうではないのです。建国の父はアメリカを民主主義国家として出帆したのではありませんでした。有名な逸話ですが、独立宣言の起草委員であったベンジャミン・フランクリンはある女性の「どのような国を作るのですか」の問いに「共和制の国です。それを維持できればの話ですが」と答えたそうです。
現状を見ればアメリカは当初の共和制から民主主義に堕落しています。多数派が少数派の権利を奪う衆愚政治です。例えば同性婚が国の習わしだと多数派がひとたび決定するとします。すると「それはわれわれの宗教信条に反する」と言うキリスト教徒など少数派を攻撃、迫害するのです。このようにアメリカは共和制から民主主義に堕落したと言えるのです。非常に危ない話です。
これと同様な霊的戦いが起こりました。お父様が私たちに王冠を被らせ世界教会の相続者、後継者に指名されました。しかし韓オモニと思想的に違いがあったのです。韓オモニが前面に立とうとしたとき私たちはそれを止めるように哀願しました。しかし女王の姿で世界の前に現われました。お父様が病院に入院されておられる時にもうすでに経典の改変を計画していました。私の実の母であり愛していますが、責任分担の観点に於いては失敗です。完全な失敗です。女帝として、最高権力者として世界の前に登壇するようなことは思い止まって下さいと願いました。
その後三年間に様ざまな形で外に現われ出るようになり皆さんも知ることとなりました。この三年間、皆さんも聞いたことがないようなことが数多くありました。私たちが直面しなければならなかった戦いでした。
その後、お父様の玉座に着くようになりました。考えて見てください。ごく普通の韓国の一般的社会において尊敬する夫が他界すればその椅子を尊重するでしょう。お父様は理想自由社会は主体性の神学に基づくとおっしゃいました。王権が重要だとお父様は言われたのです。聖書も王権を重視しています。主体の位置は血統を通して相続されていくからです。お母様が主体的位置を保持できるでしょうか。できないのです。対象的位置にある者が集まってあれこれした所で混乱しか生まれません。そこには主体が存在せずその結果中心も存在しないからです。
それは夫の役割です。夫は家の中心となるべきであり、キリストから家の中心となるべき命を受けています。キリストが教会を愛するように夫は家族を愛するべきなのです。それは夫の責任です。そして(その主体は)血統を通して世代をこえて相続されていくのです。もし主体が血統を通して相続されるというシナリオを失うならば夫を冒涜するという現在の事態を招くことになります。夫を敬うこともなく、夫の価値を損ない、夫に恨みを晴らすことになります。これは理想家庭のモデルになり得ません。もちろん次の世代のモデルとはなり得ません。それは公的位置からの離脱を正当化するものです。自己の対象としての位置を離れそれを好機として主体である夫を攻撃する。これは真の女性や真の子女のなすべきことではありません。
中心を持つべきです。私たちの家庭の中心は真のお父様です。議論の余地はありません。キリスト教徒の伝統的概念においても天国はキリストの王権を意味します。キリストが再臨して千年王国を統治するというものです。キリストと共にある者はたとえ斬首されてもキリストと共に千年間、御国を統治するのです。
(お父様が自筆で亨進様を代身者、相続者と認めた宣布文を指しながら)お父様は明確に真の父母の相続者を指名されました。お父様は聖書に描かれた如くに後継を指名されました。私が男であり家庭の主人であるからです。独裁者ではありません。私には家族を守る責任があります。家族に危害を加えようとするものがあれば私は反撃します。それが責任だからです。何かあれば一番に駆けつけます。また子供にも将来自分の主人としての位置を理解できるよう、その責任を深刻に受け止めるように訓練しています。それが父から子に受け継いでいくべき重要な責任観念です。代わりになる者は誰もいない自分で責任を持つという観念です。特に国家レベルでそれを理解することはとても重要です。(責任を持たない)対象的立場の人々が国を支配するならそれは間違いなく混乱を招くからです。なぜならそこに主体が存在しないからです。そこにあるのは衆愚政治です。大衆が個人の権利を奪うことができるのです。例えば西部開拓時代に30人の集団がある者を捕まえて、自分たちは捕まえた男を殺すと言いだしたとしましょう。これが民主主義ならそれぞれが一票を持っているからその男は殺されることもあるし殺されない場合もあるでしょう。
しかし共和制では男がすぐに処刑されることはあり得ません。保安官がいて男には裁判を受ける権利があるというでしょう。法が彼を助けます。共和制では政府の上に法律があるのでいかに少数派であっても法が彼を護ることができます。たとえばこの部屋の一人を除く全員がその権利を認めないとなれば、民主主義の原理(多数決)に基づけばその人の権利は奪われてしまうでしょう。しかし共和制では上位の法があるのでそうはいきません。また二つ目に大切なことは共和制ではひとたび裁判ということになっても陪審員の前で行われます。自分をよく知る、その動機をしる陪審員が同席するのです。ですから陪審員の一人が無罪だと言えば釈放されるのです。
大衆による衆愚政治があなたを抑圧することはないか、あったとしてもそうすることが困難になります。今アメリカではそれが失われました。
(主体の位置が入れ替わった韓国指導者用教材を示しながら)これも毎週指摘しています。今もなお、お母様は主体と対象が完全に入れ替わった教材で教えています。これも「何かの誤りだ」と言い訳することも可能です。「ああ、それは下の者が犯した誤りです」などというのは韓国人がよくつく嘘です。しかしこれは教団幹部の呉教授が作成しました。何千部も刷られて用いられています。まごうことなきプロパガンダです。堕落した四位基台を教えています。中心の位置はサタンが占め、主体にオモニが来るのです。また「平和の主人、血統の主人」の中でお父様が「母(オモニ)の教材であり、皆さんの教材です。母(オモニ)が果たせずに誤ったならば、『オモニ、悔い改めて下さい。私によって祝福を受けなければ生きる道がありません』といえるような皆さんにならなければなりません。」の部分も大きく書き換えました。
黙示録17章では
同じだけの苦しみと悲しみを、彼女に与えよ。彼女は心の中でこう言っているからである。『わたしは、女王の座に着いており、やもめなどではない。決して悲しい目に遭いはしない。』
とありますがこれも実現しました。単独で王冠を被っています。完全にお父様にとって代わろうとしました。
3年前からこうなることは分かっていました。もちろん具体的に何をするかはわかりませんでしたが、至高の独裁者の道をたどりたいのであろうと思っていました。そしてお母様も私たちもついて来るだろうと思っていたのです。周りのものは賄賂を使おうとしたり、何百万ドルという資産を使って私たちを懐柔しようとしました。「権力の座に座り続けなさい」とささやきました。私たちは言いました。「そんなものよりも大切なものがある」。「それは『名誉』と『高潔さ』、勇気を持ち真実の男としてお父様とその願い対する尊敬を忘れないことである」と。(その後)祝福リングにお父様の名も刻むことなく、「神様とお父様はお母様の内に存在する」と教えるなど、完全な異端となってしまいました。聖書からその正統性の根拠を見出そうとしてもできません。
そして7つの頭と10の角を象徴する家庭連合のマーク。この家庭連合が天一国憲法と称するものを発布し最高委員などというものを創設し「天一国」を商標登録しようとする。その憲法を見ればまさに奴隷制と独裁を絵に書いたようなものです。これを見ても神側から離脱し堕落していることがはっきりとわかります。なぜなら実際の天国のビジョンが完全な独裁であり絶対的政府なのですから。人権に関する規定は「公職につく権利がある」これだけです。まるで全世界を北朝鮮化する北朝鮮の文書のようです。そこで公職につけるのです、おめでとうございます(笑)。
「愚かしい」の一言です。その憲法の中で「最高委員会を設置する」と規定しています。「最高委員会」。この言葉で今朝盛り上がりました。「最・高・委・員・会(Supreme Council )」。皆さんはこの「最高委員会」に隷従しなければなりません(笑)
未来の天国の最高議決機関として「最高委員会」を置くそうです。エリート支配階級が作るこの「最高委員会」をだれも監査することはできません。抑制できないというのです。異議申し立てもできません。それを排除することはできないということです。全体独裁制に他なりません。全世界の人々を、お父様を裏切り冒涜し消し去る者達の奴隷にする文書です。この文書から導かれる将来は完全な独裁であり、絶対主義政府であり、寡占的で不可侵の、誰にも説明責任を負わない「最高委員会」が統治する世界です。お母様でも抑えきれないでしょう。お母様は絶対的最高指導者になることをお望みですが、結局「最高委員会」が実権を握ることになるでしょう。「最高委員会」の助言と推薦にもとづいてお母様は決定を下すことになっているのですから。実際、お母様は「最高委員会」の操り人形になることでしょう。
お金と資産を盗む者達、メシアの聖和後、彼を裏切り、財を得た、そういう人々でつくる最高委員会です。異端を支持することでこれらの大きな利益を得ている神学的姦淫者たちは何をもたらすのでしょうか。
- 国民に「自然権」を認めない。
- 独裁と絶対主義政府を抑制する「法の支配」の欠如。
- 支配階級エリートで作る議決機関、「最高委員会」にたいする抑制と均衡が働かない。
- 最高委員会-最高独裁者を監視、監査することができない。
- 統治に対する抑制と均衡の構造的欠如。
- 寡頭・独裁政治に他ならない。
以上が神学的姦淫者たちが家庭連合の人々に浸透させたいビジョンです。しかし多くの人がペストから逃れるようにそこ(家庭連合)から脱出し始めています。そこに神がおられないことを悟ったからです。そこであわてて人々の流れを止めようとしています。彼らは昔ながらの寡頭政治、独裁政治を支持しているのです。神学的姦淫者たちは地獄を作ろうとしているのです。仮にその世界が実現したとするならどのような立場であったとしてもあなたはそこで暮らしたいと願わないでしょう。たとえ権力者にコネがあったとしても子供を外の世界に送るでしょう。地獄を作っておいてそこから逃げ出そうとする。偽善も甚だしいではありませんか。
(写真を指しながら)これはジョン・バーチ協会が作成したものですが、ここに様ざまな政治体制が描かれています。来週(10/11)憲法を公布することからもこれを知っておくことは大切です。
左端に君主制がありますが、JB協会がいうには君主制も独裁制の構造が似ている。前面に立つ一人が権力者であり、権力を握っているように見えるが実際はその背後にいるグループ、側近のグループが隠れた権力者として存在するということです。ですから現実的には独裁は存在せず実際は少数の者が権力を握る「寡頭政治」だというのです。このスペクトラムの右端に「無政府主義」があります。国進兄さんの「自由社会」の講演内容を覚えていますか。原理的観点、聖書的観点から政府の存在を明らかにしました。神様は人に仕える者として天使長を創造されました。同様に政府も国民に仕えるために創造されたというのです。アメリカ建国の父は「無政府状態」も危険であると見做していました。なぜならそれは「絶対政府」に対する反動に過ぎないからです。「無政府主義」への反動が「すべて政府に任してしまおう」と言う「絶対政府主義」なのです。ですから何らかの形で「政府」は必要である。しかしそれは可能な限り小さな政府が望ましい。これらに関しては天一憲法で入念に規定しています。共産主義、社会主義、ナチズム、ファシズム等などは極大政府、絶対政府の側に位置します。それらはどのようなものであれ中央集権を進めます。ですから政治家が「この政策にはこの機関の設立が必要だ」と言う時、明らかに権力を中央に集めようとしています。権力を中央に集めるとき、それは神の理想に近づいているでしょうか、遠ざかっているでしょうか。遠ざかっています。神様は子供たちに自由と責任を与えられました。子供たちにすべての統治権を与えられたのです。ですから「政府」は主人ではなく適切な僕(しもべ)の位置にあるべきものです。また「民主主義」も過渡的、一時的政治体制です。完全な民主主義では各人が一票の投票権を持ちます。確かに聞こえはいいでしょう。しかし後には必ず社会的堕落を招きます。
例をあげましょう。「共和制」として始まると選挙で選ばれた者たちは次第に利益を約束することで票を集められることを悟りますます力を得ます。すると国民の方も政府に無償であれをくれこれをくれと言うようになります。こうして共和制は民主主義へと変容し、そして(財源のため)さまざまな税を課し社会福祉制度を作り上げ、挙句の果てには個人の土地私有権を侵害するなど、まさに現代アメリカがたどっている道です。そしてローマがそうであったように崩壊にいたるのです。そうして社会が混乱に陥ると、シーザーのような強い力、軍事力をもつ指導者を国民は支持するようになります。こうして共和制は滅びに至るのです。
建国の父はこれらを丹念に観察した結果、独裁制に陥る必然性を持つ民主主義を選択しませんでした。そういう議論をジェームズ・マディソン、トーマス・ジェファーソン達はしたのです。そして残った選択肢は二つ。
一つは一握りのエリートによる支配、寡頭政治、もしくは法による支配、代表民主制をとる共和制体でした。法の文言も大事ですが法に込められた意図がさらに重要です。これは聖書的な解釈による共和制です。なぜならイエスは律法からより内的な基準に移行させました。法で裁くことから、その意図を汲むことを重視したのです。それが陪審員裁判の背景にあります。自分をよく知る人に裁判に加わってもらうのです。「私は彼の隣人で彼の人となりをよく知っている」というこういう人が裁きに加わるのです。絶対政府ではこういうふうにはいきません
アメリカは共和制から堕落して民主制に移行したと見ることができます。
アメリカ政府のウェブサイトではこういう図(三権分立)を使って啓蒙していますが、もはや現実には機能していません。司法、立法、行政の三部門が互いに抑制し合っているという図式はもはやプロパガンダに過ぎません。実際は連邦準備制度に象徴される中央に集められたお金が議会、ロビイスト、各政党、ホワイトハウス、保険会社、大企業、ウォールストリートなどにつながっています。こういう(お金を中心とする)図式はスターリン体制、ヒットラー体制で見られたものですが、それが現在のアメリカにも見ることができます。選挙資金援助は無制限なのでお金さえあれば大統領の地位さえ買えるかもしれません。
大統領は行政命令で統治します。大統領はCIAや他の情報機関を動かせるので大統領の監査自体、難しいのです。そして最高裁裁判所の判事の任命権を握っています。最近知ったのですが最高裁判事は大企業の顧問弁護士がなることが多いようです。ともかく大統領の権限は大きくなりすぎました。ベンジャミン・フランクリンの言葉が思い起こされます。「(新しい国の体制は)共和制です。それが維持できる限りは…」。それから300年も経たないうちに共和制は崩れました。私たちが決してなくならないだろう、崩れることはないだろうと信じていたものが崩れてしまった時代を今私たちは生きています。それは建国の父が誤ったのではありません。聖書的原理で築かれた国に再臨主を迎えることができなかったからです。聖書の中でなぜ王権が必要とされているかを理解できないのです。アメリカに於いてさえ大統領の権限は大きすぎるほどのものです。オバマ大統領は最高裁判事の任命を通して同性婚を合法なものにしてしまいました。
アメリカは本来もっとも神の国に近い体制を持っていました。限りなく自由に良心に従って神を賛美できる国でした。ところが今やとことん絶対政府に近づいています。神様はアメリカ建国を導かれました。建国の父たちに霊を注がれ独裁制を打ち破るよう導かれました。
人権に関してはどうなったでしょうか。憲法に修正条項を入れていく過程で所得税の他諸々の規定で建国の父が想定したものからかなり外れました。後の世代は自分達は先祖よりも賢明でうまくやれると思いこんで何でも変えてしまうのです。建国から300年、これが問題であったということです。見えざる力がゆっくり確実に「共和制」から「寡頭制」へと動かしてきました。BBCなどの調査機関はもはやアメリカは寡頭政治であると結論付けています。どうしてこうなってしまったのでしょうか。
「自由」は神様から来るのです。それは神様に結びついていなければなりません。お父様は「神主義」と表現されました。アメリカは神の基台の上に建てられた国であることを明確にしなければなりません。この事実は人間の力で変えることはできません。神様が与えられた自由と責任は人間の力で変えることはできないのです。子孫がいかに知恵深くとも神のみ言を変えることはできません。現代アメリカ人で建国の父の水準を超えるものはいません。程遠いというのです。ヨーロッパで独裁を体験したこともなければ、堕落した国を目撃したこともない、そしてそこからの自由のために闘ったこともないのです。彼らはおそらく建国の父よりは傲慢であったとしても少なくとも賢明ではありません。これは各世代が抱える問題です。神様のみ言と憲法は実現すべきものから世代を経るとともに大衆の欲に従って逸れていき逆にみ言を世俗的に捻じ曲げようとします。
来週(10/11)に天一国憲法を明らかにしますが、王権と千年王国を聖書が預言している理由、お父様が同じ主旨のみ言を語られた理由がそこで明らかにされるでしょう。
政府が均衡と抑制で保たれる仕組み、神様とお父様が意図された内容が明らかになるでしょう。ここに主体を基礎とするイデオロギーと対象を基礎とするイデオロギーの違いがあります。皆さんの機嫌を取ることが問題ではありません。関心の焦点は将来のためにいかに自由と責任を保持するかにあります。100年後、200年後、300年後も人はこの文書に戻って来るのです。キリストの王権の権威に基づく自由と責任を守るのです。最高に自由で豊かな、バランスのとれたシステムを作ります。もちろん資産家や権力者たちにもその居場所は確保しますが決して政治に過度に口出しすることを許しません。これを一週間かけて解説します。今はまだ明らかにしていませんが、皆さんもどんなものになるか少し緊張を持って期待し、心に掛けていて欲しいのです。不安に思っても結構です。私は皆さんのご機嫌取りはしません。お父様の王権と伝統を残すためにここにいます。お父様のキリストとしての賜物である自由と責任を全世界に残すためここにいるのです。キリストの子女と伝統は韓オモニのように権力を簒奪し搾取的な独裁権力を産み出したりはしません。キリストの子女、自分を売らなかったカイン・アベルはすべてを失いましたが、お父様と神様の賜物である自由と責任と共に立っています。
天聖経1551を読んで終わりましょう。
天国は神様の御旨に従って治められ神様の戒めを重んずる神の子女達の主権により治められる場所であることは間違いありません。そのような所には民主主義も共産主義もありません。ひとたび建つと永遠に残るのです。こういうふうに考えるとき、私たちがその国の市民でないことは本当に悲しむべきことであると考えざるを得ません。
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