2017年12月30日土曜日

2017年12月24日「王国の防衛権」英語礼拝ポイント訳全文


2017年12月24日「王国の防衛権」英語礼拝ポイント訳全文


Kingdom Right of Defence


サンクチュアリ NEWS さんからの全文転載(ポイント)です。字幕化は2nd Israelさん。教会ブログであるため御言をコレクションしています。聖殿食口以外からも読んで頂いています。ありがとうございます

 

翻訳:Bamboos

イエス様の誕生日とは関係ないミトラ教の冬至の祭りに

Vimeo 46:36

これはもちろん有名な聖句ですが、王国の聖句についてすべて調べると、イエス様が福音について説いているということが明確に分かりました。十字架につけられることを説いていたのではありません。聖書には一つもありません。イエス様が福音を十字架の死と復活として述べたことは一度もないのです。実際イエス様は神様の王国の福音を説いています。王国について語っていたのです。福音とはユアンゲリオン、良き知らせのことであり、王国についてのことです。

これをさっと読んでみましょう。(マタイによる福音書6章)31節からです。

(マタイによる福音書6章)

31:だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。32:これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。33:まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。

これがとても大切です。クリスマスのことを話し、イエス様の生誕について話しましたが、何度も言っているようにそれはミトラ教の冬至(の祭り)です。クリスチャンはイエスを崇拝すると殺されてしまうので、ミトラ教に紛れてローマ人たちとこっそり崇拝したのです。そういうわけでクリスマスが12月25日に祝われるようになりました。

それはイエス様の誕生日とは関係ありません。春に近い時期に生まれたのです。春の初め、羊飼いたちは羊を連れて一晩中外で過ごします。それは羊に赤ちゃんがいる時期、年に一度だけのことでした。それが春の初めか冬の終わりの時期です。羊に赤ちゃんが生まれるのは年に一度だけです。オオカミが来て羊の赤ちゃんを餌食にしてしまうので、羊飼いは出て行って守らなければなりませんでした。聖書によればイエス様はもっと後に生まれたということです。

しかし、西洋でもそれ以外でも当たり前のことのようになっています。サンタクロースやクリスマスツリーといったものは長年の間に追加された異教のもの、異教の付属品であり、クリスマスは本来キリストをお祝いするものです。

私たちはキリストの生誕をお祝いするのですが、その方は自分の命を世界の救いのために差し出されました。言うまでもなく聖書の中で最高の愛について語っておられ、イエス様がそうされたように友のために命を投げ出すのがそれだと言っています。

それは最善の道ではありませんでしたが、神様はそれを用いて霊的救いをもたらされたのでした。しかし、肉的な救いや実体的な王国をもたらすことができたかといえば、できなかったのです。それゆえにイエス様は再臨する、戻ってくると言われました。

「毎日こう祈りなさい。神の国が来ますように。御心が天で行われるとおり地でも行われますように・・・」と。私たちは何度も話してきました。

神の王国が来なければなりません。クリスチャンであるなら神の王国が地上に来ると信じなければなりません。それを避けては通れません。昨日詩篇の第2篇、黙示録の2章12節と19章の聖句を読んで説明しました。それらはイエス様が再臨されたときに支配する方法です。もちろん王冠と鉄の杖を持って。クリスチャンであるなら、それもまた避けることのできないことです。

イエス様は再臨して永遠の王国を確立し、キリストが鉄の杖で支配します。聖書の詩篇2篇と黙示録2章にも書いてある通りです。地上の国々を撃ち、陶器師の作った器のように打ち砕くというのです。キリストが再臨するときには暴力もあります。

洗脳を行う学校では暴力は悪いと教えられていますが、必ずしも悪いとは限りません。暴力について学び、暴力を制御することを学ぶことは非常に重要です。そうやって自分を守る方法を学びます。あなたや弱者を暴力的に攻撃するために暴力を利用しようとしている人に対しての暴力の力を学ぶのです。

暴力についての知識と暴力の制御、そして支配、別の言葉では武力ですが、それは非常に重要な責任です。そして善良な人々は絶対にそのような責任を支配すべきなのです。というのも善良な人々は人を食い物にする搾取者ではないからであり、人を支配して上に立ちたいという病的な搾取者のようなことはしたくないからです。ただ本能的に人々を守りたいと思っているのです。積極的に人を食い物にし、弱者を食い物にしたいとは思っていません。弱い人を見るとかわいそうに感じて、その人たちを強くしてあげたいと思います。普通の人はそのようにします。

人口の10パーセントを占めるサイコパスは、弱さを見つけるとそこに付けこみ食い物にしようとします。40パーセントはソシオパスであり、利益を得られるのであればサイコパスや搾取階級と一緒行動します。いわゆる「良いナチス」というようなものです。悪いと分かっていても、利益が得られるとか恩給がもらえるということでそれに従うという人々です。そして残りの50パーセントはそういった傾向を持たず、利益のためにサイコパスだと分かっている人に従いません。一生懸命働いて暮らしていきたいと思っている、普通の人々です。それが人々の社会学的な内訳のようなものです。

神が用いるガサツな人

王国で非常に重要なのは人々が権力を持っているということです。中央集権化した権力がある場合、どのような国、歴史上の政府の例を見ても、その文明の搾取者がその権力に魅了され、自分でもその権力を手に入れたいと考え、中央集権化した権力に向かって引き付けられます。最終的には支配してそれを利用し、道徳的なふりをしても実際は敵を虐殺します。

スターリン、ヒトラー、毛沢東、そして現在なら金正恩を見てもみな同じことです。アメリカの民主党は基本的には共産党のようなものです。本当に違いはありません。中央集権化した軍、警察を求め、中央集権化した銀行を求め、中央集権化した教育を求め、中央集権化した医療を求めています。まさしく共産主義です。マルクス主義の綱領がすべてあります。それから言うまでもなくネオコンがおり、それは偽の共和党です。右派ですが左派の共産主義者と協力しています。

右対左。誰もが選択肢があると考えますがそれは事実ではありません。トランプはその権力構造に対して違ったものを代表しています。たとえ完璧でなく、大げさで、人のことを侮辱していたとしても。まるで2週間前に話した戦士エヒウのようです。誰とでも争い、大げさで、がさつで粗削りですが、神様はトランプを用いるのです。ずる賢い悪魔のような人をサタンも利用していますが、神様も押し通して現状や政治活動家などを打破し始めるために、がさつで大げさなことを言う人を用いることがあります。

しかし、なぜ一部ではトランプやトランプ革命に人気があるのでしょうか。今ヨーロッパのようなところでも広がっており、東ヨーロッパでは実際、銃の権利が必要だと言っています。

私たちはスイスでの協議会に行き、ヨーロッパでの銃の権利について話します。アメリカより劣る原因は何なのかということについて。彼らも自己防衛の権利を持つべきです。そうすることで支配層や君主が君臨できなくなります。ヨーロッパでそのような話をすることは文字通り違法なのです。

ポーランドは違います。ポーランドは変わろうとしています。ヨーロッパには歴史的にイスラムの侵略に対する緩衝地帯がありました。それで少しは現実的なのです。しかし西ヨーロッパはラ・ラ・ランドです。常に守られ、片側は海で守られています。逆側は東ヨーロッパによって守られています。文字通り共産主義の隠れ家となっています。それゆえに崩壊しつつあります。

私たちは、米国銃所有者協会の会長であるラリー・プラット氏とそこに行く予定です。そしてアメリカの銃の歴史について話し、本当の統計について話します。善良な人々が武装すると、犯罪は減ります。犯罪者は恐れをなすのです。

犯罪者がこの小さな町の近所の誰かの家に入ろうとするならどうでしょうか。ここは世界で最低の殺人事件の発生率を誇る場所の1つです。というのも全員が、お母さんも、ショットガンやAR-15ライフルを持っているからです。

老人ホームに入っていけば、おばあさんがショットガンを取り出して撃ち殺してしまうでしょう。気を付けたほうがいいです。この辺でバカなことはできないと犯罪者は分かっています。彼らは盗んだ成果を楽しむために明日も生きていたいと思っています。

もっとも、教授や公立学校の教師に教化され洗脳されている人が多いことは残念なことです。公立学校の先生のすべてが悪いわけではないとしても、彼らは州の公式な教師として自分で同意できないことであっても教えなければなりません。

そして(マタイによる福音書6章)33節です。

33:まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。

イエス様が福音について語られるとき、それは神の王国のことです。これまで何度も、福音は神の王国のことだという様々な聖句を紹介してきました。

キリストはまず神の王国を求めなさいと言っています。そして義です。王国において義は非常に重要です。絶対的に重要です。神様が「まず神の国と神の義とを求めなさい」と言われたのは・・・。非常に興味深いことに、力も愛の道徳を持たなければならないからです。知っていたでしょうか。暴力の支配も、逆説的ですが愛の道徳を持たなければなりません。あるいは慈悲と言っても良いですが。慈悲は古来、苦労を伴うことを意味しています。その言葉の語源を分析すると苦労を伴うという意味です。

権力や資源の獲得、ある地位でも何でもそういったものを高めるといった目的のためだけに、ただ力を行使し、力について学び、また力を支配しようとするなら、悪の結果となり得ることを追求しているのだということです。だからこそ自己防衛も含めた防衛の支配は、愛の道徳とつながりを持たなければなりません。それが絶対的に重要なことです。

実際に重要であるというだけでないということを、この動画で見ましょう。ジョン・ロヴェルです。望むなら明日にでも(戦場で)戦うことができる人です。元陸軍レンジャー連隊の特殊部隊員で、世界中で何度も戦場に行っています。ウォーリアー・ポエット・ソサイエティ(Warrior Poet Society)という団体であらゆる国の人を訓練しています。私たちは彼をここに呼んで訓練しました。すばらしい男です。ショット・ショー(銃の見本市)に来ますので、もしかしたら彼のところに行ってインタビューするかもしれません。まあどうなるかわかりませんが、ショーで彼を探し出してみます。ビデオを見ましょう。

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私にこういった(格闘技などの)技術があることを知っている人は、ほとんどいません。それは良いことです。こういった訓練をしているならその秘密を敵に知らせたいとは思わないのです。責任ある人間ならそういうことはしないものです。人前でただ見せびらかしたりするものではありません。そういうものは文化にありません。

これをやってメダルを取りたいとかいうことも良いでしょうが、だからと言って結局それがどうだというのでしょうか。本当の話、それが価値を与えてくれるものではないのです。

力強い人間になる価値と願望と喜びを与えてくれるもの。私たちが訓練する理由は、神様を愛し、隣人を愛することです。それはイエス様が凝縮した戒めを現実化したものです。イエス様はパリサイ人にモーセの戒律の(重要なものの)一つが何かと尋ねられて、心を尽くし精神を尽くし、思いを尽くして神様を愛しなさい、そして自分を愛するように隣人を愛することだと言われました。自分を守りたいと思うように隣人を進んで守りなさい、ということです。非常に簡単なことです

平和警察平和軍の最も重要な中心的推進力は、キリスト教の道徳を実現化する訓練をすることです。つまり神様を愛し隣人を愛するという道徳です。

クラスの終わりに王妃と話しましたが、子供たちに「隣人を愛しなさい」と言いたくありません。そうすると隣人が神様だと考えてしまうかもしれません。子供たち自身も、神様を愛し隣人を愛することが標語だと理解するようにならなければなりません。始めの部分を忘れないでください。そこが重要な部分です。それが隣人を愛する理由なのです。

この愛の道徳によってこそ、心を躍らされ情熱的であり続けることができます。それによって、普通の人よりも優れた手段や技能を持った人が、必要なら罪のない人を守ることができるようになります。

だからといって何も保障はありません。あらゆる訓練をしていても頭を撃たれて死ぬことがあります。現実に基づいた格闘技では誰もが知っていることです。

彼らを悪しき者の手から助け出せ-

篇82章を読みましょう。

1:神は神の会議のなかに立たれる。神は神々のなかで、さばきを行われる。

2:「あなたがたはいつまで不正なさばきをなし、悪しき者に好意を示すのか。〔セラ

3:弱い者と、みなしごとを公平に扱い、苦しむ者と乏しい者の権利を擁護せよ。

4:弱い者と貧しい者を救い、彼らを悪しき者の手から助け出せ」。

これはいうまでもなくドナルド・トランプが北朝鮮と直面していることです。「弱い者と貧しい者」。北朝鮮の人々は全体主義の共産主義の支配下にあります。それはまさに家庭連合が追求していることです。彼らの憲法を見てみれば。ミクロとマクロで同じサタンの動きが抵抗を受けています。トランプは北朝鮮に対して立ち上がっており、そこには2,600万人の「弱い者と貧しい者」がいるのです。

残念なことにその多くは、ソーシャル・エンジニアリング(↓)によって完全に洗脳されています。ほとんどの専門家は、やがてこの人々のために戦いが行われ救い出されるだろうということに同意しています。ホワイトハウスでは重大な決定について話し合われています。私の言っていることが理解できるなら、北の状況を変え、その共産主義体制を打倒する方法のことです。

*ソーシャル・エンジニアリング:政府やある政治団体が、大衆の社会的な態度や行動に影響を及ぼそうとすること。対立する独裁的な政府や政治団体の運動を批判するときの言葉として使われることが多い。

聖書には「弱い者と、みなしごとを公平に扱い、苦しむ者と乏しい者の権利を擁護せよ。弱い者と貧しい者を救い」とあります。

神様は理由を与えてそれによって人々が強くなるようにしています。道徳を与えているのです。なぜ人が強くなれなければならないのかということに対して。なぜ強くならなければならないかということについての意志と目的を与えています。

誰か他の人に任せることはできません。与えられたあるときに、誰かの命を守るための最前線にいるかもしれません。それは自分に不釣り合いかもしれません。罪のない人を傷つけている人に対抗して行動を起こすように求められるかもしれません。学校に頭のおかしいジハーディストがやってきて、子供を全員殺そうとする場に居合わせるかもしれません。パキスタン、イギリス、ヨーロッパで起きたことです。

それゆえイスラエルはそれを学びました。タイも学びました。タイでは公立学校の教師が銃を携帯しています。知っていましたか。白人至上主義者の話だと思っていましたか。貧しい肌の浅黒いアジア人が人種差別主義者だというのでしょうか。

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箴言24章

10:もしあなたが悩みの日に気をくじくならば、あなたの力は弱い。

11:死地にひかれゆく者を助け出せ、滅びによろめきゆく者を救え。

12:あなたが、われわれはこれを知らなかったといっても、心をはかる者はそれを悟らないであろうか。あなたの魂を守る者はそれを知らないであろうか。彼はおのおのの行いにより、人に報いないであろうか。

神様が知っているのであれば神様がその人を守ってあげるべきではないのか、と言うのであれば、あなたは罪を犯しているということになります。「神様はすべて知っていて私は自分を守るお金もないのに、なぜ私がやらなければならないのか」。それは責任を先送りしているということになります。

神様がその場にあなたを置いたということは、あなたにできるということです。どちらにせよそれを通して成長するのです。またその人はそれによって救われます。

「死地にひかれゆく者を助け出せ、滅びによろめきゆく者を救え。」

あなたは神様がやるべきだと言います。それは神様に罪を犯すことです。

ふたたび道徳のことです。善良な人々が力を支配することを学ばなければならない理由は何でしょうか。神様の王国のため。愛のためです。というのも私たちは神様を愛し、隣人を愛するからです。同意できなくても、飼っている犬が嫌いでも、政治的方針が嫌いでも、それでも守ることができます。

エゼキエル書33章

3:彼は国につるぎが臨むのを見て、ラッパを吹き、民を戒める。

4:しかし人がラッパの音を聞いても、みずから警戒せず、ついにつるぎが来て、その人を殺したなら、その血は彼のこうべに帰する。

5:彼はラッパの音を聞いて、みずから警戒しなかったのであるから、その血は彼自身に帰する。しかしその人が、みずから警戒したなら、その命は救われる。

6:しかし見守る者が、つるぎの臨むのを見ても、ラッパを吹かず、そのため民が、みずから警戒しないでいるうちに、つるぎが臨み、彼らの中のひとりを失うならば、その人は、自分の罪のために殺されるが、わたしはその血の責任を、見守る者の手に求める。

つまり、剣が来ることを人々に警告する責任を持つ「見守る者」が、警告を行わないのであれば、それで人が死んだときには彼の責任となるということです。

ですからあらゆる牧師と宗教指導者のような人は、善良な人々がどうして武装する必要があるのかを教える必要があるのです。そういうわけでお父様は私を、迷彩を着た教皇のような立場に立てたのです。カトリックの教皇ではなく迷彩の教皇です。

宗教指導者は、その信者に自分たちの愛する人や隣人を守る能力を持つように言わなければなりません。

私たちの住むところは逆さまの世界です。そこでは宗教的な人がこのようなことを話すことができません。教会でこのようなことを話せば気が狂っているということになります。

クリスマスイブには、松の木とヤドリギとジンジャーブレッド・クッキーのことを話すことになっているのです。私は自己防衛のことを話します。

イエス様は誕生され、他人への愛のために自分の命を捧げました。ウォーリアー・ポエットの道徳を示されています。戦士の道徳を示されています。本物であること、神のようであることが、人にとってどういう意味があるかを示されているのです。

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政府の警察や軍だけを促進する人もいるかもしれません。市民の番犬であることを恥ずかしいと思わせようとします。「君は戦争を見たことがない」「言っていることが分かっていない」などと言って。しかし、市民を訓練する本物の人たちは、私たち市民のことは好きですが、中央集権化した政府や中央集権化した権力を望んでいません。彼らが市民を訓練するのは、市民が第一線だと分かっているからです。

二人の子供がいてデイケアセンターに行くシングルマザーでも、彼女が子供たちの第一線です。そういう暮らしが子供たちにとって最適なものではないとしても。お父さんとお母さんは子供たちの第一線です。お兄さんお姉さんは弟妹たちの第一線です。軍でもなく警察でもなく自分なのです。ですから社会の保護において市民は重要な役割を担っています。市民がそのようにする社会では市民が力を持ち、罪の意識を持ちません。犯罪率は高くなるでしょうか。ならないのです。ばかばかしいほど低くなります。

「つるぎのない者は、自分の上着を売って、それを買うがよい」(ルカ22:36)

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今度は非常に重要なルカによる福音書22章の逸話です。
35:そして彼らに言われた、「わたしが財布も袋もくつも持たせずにあなたがたをつかわしたとき、何かこまったことがあったか」。彼らは、「いいえ、何もありませんでした」と答えた。36:そこで言われた、「しかし今は、財布のあるものは、それを持って行け。袋も同様に持って行け。また、つるぎのない者は、自分の上着を売って、それを買うがよい。37:あなたがたに言うが、『彼は罪人のひとりに数えられた』としるしてあることは、わたしの身に成しとげられねばならない。そうだ、わたしに係わることは成就している」。38:弟子たちが言った、「主よ、ごらんなさい、ここにつるぎが二振りございます」。イエスは言われた、「それでよい」。39:イエスは出て、いつものようにオリブ山に行かれると、弟子たちも従って行った。
非常に興味深い逸話です。剣は現代で言えば銃です。世界中のすべてのクリスチャンが完璧な人だと信じている宗教指導者が、弟子たちに銃を持っていなければ上着を売って買いなさいと言っているわけです。その時代を考えると本当に衝撃的な教えです。しかし人間の命という観点から考えると、全く衝撃的ではありません。というのも危険な道に行こうとする人は、自分を守ることができる必要があるからです。これは教会でほとんど教えられることのないキリストの逸話です。
もちろん、ローマの兵隊に襲われたときイエス様は剣をおさめるように言いました。そして、剣をとる者はみな、剣で滅びると言われたではないかと言う人がいるでしょう。しかしその同じキリストが、自分たちには暴力に訴える力があり暴力的な革命ができるが、目的があるので進んで自分を捕えさせるのだと言ったというのは興味深いことです。同じキリストが同時に弟子たちに、自分を守ることができるようにしておくように言ったのです。
するとお父様は剣を壊して鋤と鍬にすると言われたではないかと言う人がいます。それは非武装化の主張だ、民衆の武装を解除しないといけないのだと。聖書にそう書いてあるし真のお父様もそれを引用して、剣を壊して鋤に変えるのだと言われていると。
先日も國進様に質問した人がいました。見事な回答をされていました。つまりそれは経済発展のことを言っているのだということです。神様は少しの武器を与えましたが、それらを経済発展に役立つ農業の道具に変えるようにしたのです。しかし言うまでもなく、最終的に神様はそれらを、国でさえ壊してしまわなければなりません。
興味深いとは思いませんか。最後の部分を言い忘れているというのです。しかし、聖書で全の側と悪の側について言っているのはどうでしょうか。
重要なことは、王国においてすべての男女が平和警察平和軍のメンバーであるという理由です。それを通してより良い人になるのでそれを使うこともなくなります。実際それによってもっと愛のある人間になります。そのような訓練によってもっと保護的な人になります。人を守りたい、守る必要があるということに価値を置くようになり、それを考慮するようになります。
レストランで、入口を気にかけて不審者が入ってきたらどうするかを予め考え、自分が守りの一線にならなければならないと考えているのはあなた一人かもしれません。自分を守ろうという意識を全くもたない人ばかりで、ドアに向けて位置を合わせ何か起きたら行動できるような場所にいるようにしよう、という考えを持つ人間は自分だけかもしれません。
それは悪い心構えでしょうか。君は大きな不安の世界で生きている偏執病だ、と言うでしょうか。人を愛したい、守りたいと思うのは偏執病でしょうか。洪水の起きる場所で生活しているのに非常用の物資を準備しておくのは偏執病でしょうか。車を運転するのにシートベルトをするのは偏執病でしょうか。
問題があります。善良な人々は、悪人や自己中心的な人々に罪悪感を持たせる可能性があります。その人たちの心は、意志が弱く、群衆的な心理を持ち、権力のために何にでも従うものです。善良な人々はそのような形で罪悪感を持つことはありません。
私たちは自分たちの考えが奇妙だとは考えられません。実際私たちは人を助けたいと思っており、先行して考えています。頭の中で誰かと格闘することを思い描いて、2つも3つも先の手を考えているのです。それが身についています。
ですから罪悪感を持つべきではありません。特別な考え方を持っているのです。強力な考え方です。それは現実に基づくものであり、魅惑的でロマンティックな政治家の嘘ではありません。
誰かがあなたに罪悪感を持たせようとするなら、そのたびにシートベルトはしますか、それなら偏執病ですねと言えば良いです。交通事故の死亡率を知っていますかと。あなたは運転するときは特に、不安と恐怖と妄想の中で生きているに違いないですねと。シートベルトをするなんて弱い人ですねと。ばかげています。
私が家にいるときも、また銃の愛好家たちも自宅にいるときに武装し、外出する時にいくつもの武器を重ねて身に着けているのは、何か証明したいとか満足したいとか、最高の父親のような存在から承認を得たいという幼稚な願望を満たそうとしているからではありません。性的な抑圧に対するこの内なる怒りを宇宙に向けて放つ? 黙りなさいというのです。どこかの間抜けが家に押し入るときそんなことは関係ありません。
スクラントンの友達のところであった話です。息子さんが一人で家にいるときに男が裏口から侵入しました。息子さんは銃を持っていませんでしたが訓練を受けていて、クロスボウは持っていました。それを持ってお父さんと狩猟に行っていたのです。男が裏口をドライバーでこじ開けて入ってこようとしていたので、息子さんはクロスボウを持って、奇襲しようとテーブルの後ろに隠れていました。男が入ってくると撃って胸に命中させました。良い息子です。男は逃げてしまいました。12歳ぐらいの子供です。
おばあさんが家で寝ていたら彼が防衛の第一線だったでしょうか。そうです。それは警察や軍の人でしたか。いいえ、12歳の少年だったのです。お父さんから狩猟のレッスンを受けてクロスボウの撃ち方を学んでいました。その少年は今、統合格闘技とブラジリアン柔術を習っています。そういう経験をしたからです。将来は銃を見えないように携帯する許可なども持つようになるでしょう。あなたと私が防衛の第一線です。
プレガーユニバーシティの合衆国憲法修正第二条(市民の武装の権利)に関する動画を見てください。10分ぐらいのものですので、ここでは上映しませんがあとから自分で見てください。主旨が分かります。
王国において自己防衛の権利は、単なる権利ではありません。それは責任であり生活様式であり、崇拝のあり方です。神様を愛し隣人を愛するのです。自己防衛の権利、その権利を練習し訓練することは、実際の宗教的な崇拝の行為ではありません。神様がそのような立場に立つことを願われたときに備えて強くなるために訓練することです。そのような生活様式は宗教的な権利です。お父様に喜びを捧げることです。子供が強くなってオオカミに食べられないようになるのを見て喜ばれるのです。喜びをもたらします。対象的な相対を創造された目的は何ですか。
このクリスマスの日に、クリスマスイブに。みなさん忘れないでください。王国を引き継ぐ者たち。私たちには権利があり、義務があり、責任があります。そのすべてがあります。しかしまた、神様を愛し隣人を愛する愛を心に持つべきです。言葉だけではなく実行し、実証となる生活をするのです。その生活が現実の生活で行う準備となります。他の人がそういう生活をすることを願うのではなく、自分がやるのです。それはすばらしい世界です。
天聖経120
神様は、生命の母体です。父母は、その子供の生命を育ててくれるという のです。生命の母体であり、愛の母体であり、保護の母体です。生命を保護してくれ、育ててくれ、愛してくれるというのです。
それゆえ、幸福はどこから出てくるのでしょうか。保護圏が成立しなければ、命が危機にさらされるのです。命が危機にさらされると、愛も成立しないのです。
私たちにはとてもすばらしい責任があります。みなさんと訓練を受けるのが大好きです。みなさんとこのような文化と生活に加わることが大好きです。それを実行しているからです。これが王国の生活です。それが搾取者に恐怖を与えます。若者には力を与えます。強く、誇りある、忍耐強い、愛のある人々になるように。
ローマ人への手紙5章には「患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出す」とあります。それゆえ私たちは平和警察平和軍の訓練を行います。それゆえそのような生活をします。自慢できるなどということのためではなく、神様を愛し隣人を愛することができるようになるためです。私たちにとって神様を愛し隣人を愛するキリストの肢体における力がすべてです。


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