2017年12月3日日曜日

家庭盟誓とメシア 2017年11月29日水曜礼拝<全文> 康賢實 真のお母様


家庭盟誓とメシア



康賢實 真のお母様

家庭盟誓に神様と真のお父様の思いの全てが入っているそれをもって苦難においても凡事においても喜び感謝し信念をもって成せば成る、という珠玉の康お母様の御言です。



お元気ですか。食口のみなさん、こんにちは。では皆さん一緒に立って栄光の賜物を天一国国歌を賛美いたしましょう。

お父様に感謝の拍手を捧げながら、席についてください。今日、真のお母様をお迎えします。大きな拍手で私達のお母様をお迎えしましょう。

(姜賢實お母様:照明が眩しくて文字が見えません。もう少し横に行けば大丈夫です。始めますか?)



今日、皆様に申し上げる題目は「家庭盟誓とメシア」という内容をもってお話し致します。まず聖書の一節を読みます。ピリピ人への手紙1章20節にあるみ言です。

神様を畏敬することが人生の根本であり、また、神様に栄華を捧げることが人生の目的であり、次に私たちが神様に帰ることが人生の帰着点ですが、これはルカ福音書15章11節から24節にあるみ言で、今日私が主に考えているのはピリピ人への手紙1章20節にあるみ言です。

1:20そこで、わたしが切実な思いで待ち望むことは、わたしが、どんなことがあっても恥じることなく、かえって、いつものように今も、大胆に語ることによって、生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストがあがめられることである。

これは使徒パウロ先生がピリピ教会の食口達に、教会員たちに語られた言葉です。ところで、昔、お父様が家庭盟誓についてお話をたくさんされました。とても重要な内容として話をたくさんされましたが、今日私がそれに関する内容を少しと申し上げたいと思います。

家庭盟誓は天一国を成す絶対的な基準です。また、憲法と同じものなのです。皆さん世の中で家庭盟誓という言葉を聞いたことがありますか?歴史上初めて出てきた言葉です。太初に神様がご自身の息子であり、人類の最初の先祖として創造された男性と女性が堕落によって真の家庭を失ってしまいました。したがって、神様はご自身の創造理想を絶対的な基準で成し遂げなければならない摂理的使命のために家庭盟誓を設定して宣言されたのです。

人間がこの地上に本来の理想の家庭である真の家庭の母体を完成して、神様に永遠の喜びをお返しすることができ、また更には、神様を皆様の家庭で直接侍り住むことができる地上天上天国を創造した必然的な道具として祝福をされたのです。

この境地に私たちが入るには、皆様の心と体が完全一体を成して一心一体一念、また、一和の境地まで行かなければならなかったということです。皆さんの主人であり、親であり、師匠として下さった良心の命令に従って、体が100%従順屈服し、絶対信仰、絶対愛、絶対服従して、今日、私たちの人格完成基準が望まれ願われる御旨に合致した位置に私たちが立たなければならないのです。更に、皆さんの家族全てが天の意思を中心として一つになる心身、心と体の統一、父母統一、夫婦統一、父子統一、兄弟統一の基本枠、つまり真の愛の一体圏を完成してこそ家庭盟誓を言う事が出来るとお父様は仰っていました。

それで、家庭盟誓は成約時代を超えて天宙平和統一王国を成す絶対基準であり、憲法と同じことなのです。これからは、世に出るときは一人でするのではなく、家庭が一緒にしなければならないと仰いました。ですから、天の最大、最高の祝福であり、また、そのごとくに私たちが生きることができなければ私達自身の家庭がとても恐ろしい境地に入るしかありません。

それで、本当に今日、私たちは天一国を創建する礎にならなければなりませんが、その為に私たちが真の家庭を成して、更には、天一国の市民権を獲得する道が何かといえば、真の家庭を成すこと、ここにあるということを、私達は考えなければならないのです。それで、お父様は祝福をして真の家庭を成して正しく生きる道を開くために祈祷をたくさんされて精誠をたくさん捧げられたのです。
30:08

愛する祝福家庭の皆様、祈祷の中で最高の祈祷が何かと言えば、家庭盟誓です。家庭盟誓は真のお父様の伝承全勝記録です。それで、私たちはこれを常に考えなければなりません。今日この時代は侍義の時代です。それで本当に成約時代の教えを与える法道が何かといえば、家庭盟誓です。家庭盟誓は真の愛を骨にして、真の家庭を心臓として立て、皆さんの人生を神様と連結させてくれるこの脚が家庭盟誓なので、今日、私達はこの法度を守り、このみ言をそのごとく実践する位置に私達自身を置かれなければなりません。

家庭盟誓は縦と横、南と北、更には、前と後を連結する中心に真の愛を置き侍り永遠の球形運動を出発させる、何かといえばエネルギーであり、知恵になるということを私たちが知らなければなりません。

家庭盟誓は天国の門を開く鍵です。天国の門は金や銀で作った鍵を持って開くことができのではなく、何によって開くかというと、真の愛によって完成した真の家庭の鍵であけてこそ、この門は開くとおっしゃいました。ですから家庭盟誓は1節から8節まで、最初に「천일국 주인 우리 가정은(天一国主人、私たちの家庭は)」で始まります。

皆さん、侍義の時代という神様に侍り生きる時代です。聖書のみ言を見てもまず先に、私の神以外に他の神を置いてはならないと言われ、何よりも神様をまず愛して神様の上に何も置いてはならないと仰いました。ですから天地開闢時代である今日は、神様が真の父母の姿として万人の前に顕現する時代です。したがって、真の父母に侍る統一教会の位相は、世の中のいかなる力や勢力と比較できない位相を持っているのです。これと比較することのできない力を持っているのです。

それで今日私たちは、本当にお父様がおっしゃった通りに家庭としての道理を守って家庭としての責任を果たすことができる位置に私たちが立たないとすれば、本当に神様は人類始祖が堕落して以来、初めて真のお父様によって歴史が・・・今、統治されるようになったのです。今日、私達はこの意味を知り、私達が生きなければなりません。ですからお父様は天の血統を持って来られ、世界を天の血統に変える摂理をしておられるのです。真のお父様によって新しい世界に戻ることができる基本が生じ、真のお父様によってサタンを屈服できる内的な因縁が決定されたのです。それだけでなく、真のお父様によって神様を解怨、成し遂げて差し上げることができる中心が決まったのです。

それ故に、真の父母から、本当に私たちは真の父母とともに私達が生き、更には、真に真のお父様から直接命令を受けながら生きなければならない課題が、私達の目の前に置かれています。それで私たちは真に驚くべき時に生まれて、驚くべき恩賜の中で私達は生きていることを、まず神様の前に私たちは感謝しなければなりません。

皆さんが真の父母と完全に一つになる時、皆さんの国家があるのであり、民族もあるのであり、宗族もあるのであり、また更には、ここにどのような役事が現れるかというと、天地に全ての栄光の価値を総合した実体的な基準が真のお父様を通じてこの地上に現れるようになっているのです。

真のお父様は、旧約時代の多くの人たちが行き来しました。ですが、この行き来したすべての人類を合わせた価値よりも、もっと大きくもっと貴重でもっと高い方です。新約2000年の間にも、ここには十二弟子をはじめとして多くの人たちが行き来しました。しかし、行き来した、このすべての人類を合わせた価値よりも、もっと大きい価値を持って現れた方です。なぜかと言いますと、本当に天の血統で世界人類を変えて、天の血統で世界を変えるということは、これは誰もできないことです。

それで今日私たちがこの価値を知らなければなりません。それ故に、真のお父様とともに、私たちが生きなければならず、真のお父様から直接命令を受けて、私たちが生きていくことができる驚くべき恩賜の時代に生まれて、時代的な恩恵を受けて、これをありがたく感謝する心で、私のものと分かって私がそのまま実践していく時に、神様が私達に来られて同行同事同役してくださり一緒にしてくださるということを私達が本当に信じて出ていく時には、信じて出たごとくの実を結ぶことが出来るでしょう。

皆さんが真の父母と完全に一つになって生きるようになる時、ここには本当に言い表す事が出来ない天地の全ての栄光の価値を総合した実体的な基準が真の父母になるのです。真のお父様は、旧約4000年間行き来したすべての人類を合わせたそれ以上、それ以前に行き来した、これらの人々を合わせた価値よりも、もっと驚くべき価値を持って来られました。それだけでなく、更には現在70億・・・私が幼い時は24億人類と言いました。常に24億と言いましたが、今は70億人類とこれから生まれてくる、人類を合わせた価値よりも高い、もっと高くもっと貴重な価値を持っていらっしゃった方です。
40:55

このように私達が信じる時に、事実信じたそのごとくの役事が私達から実を結ぶようになるということも、私たちが考えなければなりません。皆さんがこのような価値を確実に分かったなら、真のお父様を世の中のどんなものとも替えることはできません。皆さんの生命を与えても得ることができない価値の真のお父様でいらっしゃるということを、私達がこの時間また感じなければなりません。

それで私たちが特に知らなければならないことが何かといえば、サタンもですね、サタンが間違いました。暗い世界、地獄の世界を成し遂げましたが、この本当の意味を分かる時どうなるかというと、本当にサタンがこの意味をまさに分かったならば、サタンも両手を上げて自然屈服して来なければならないのです。ですから、ここに神様の祖国、天一国を創建することができる足がかりをなすことができます。

それで本当にメシアになられる方は、自分が良い所に行くために自分が良い席に座ろうと、この復帰の歴史を始めたのでは絶対にありません。メシアは一人、二人を助けようと来られた方ではなく、一つの国二つの国だけを立てるためにいらっしゃった方でもありません。本当に個人から家庭、宗族、民族、国家、世界、天宙まで、本当に天国の礎をなして、もう一度メシアは「あ~まだ地獄で苦労している人がいる」こんな悲しい責任を責任を負っていらっしゃった方がメシアであります。

それでメシアは、メシアの主人であられる神様を解放しますとするこの責任を持っておられ、天上に天国を成して地上に天国を立てる、この責任を負っていらっしゃった方です。それで2001年1月13日、王権即位式がソウルで行われました。その時神様がその光景をご覧になって、そして本当に今や救援摂理がない程、どこへ行こうと万国の万民すべての民が心の天国を成し遂げて生活の天国を成し遂げて、本当にもう成しました。メシアは天国…それを全て成した後に、メシアは天国の最も高い天の宝座に座られるのがメシア思想なのです。

天地万物を創造された父なる神、私たちのお父様の神様(であるということ)だけでなく、今日この時間私たちは、本当に神様は私の神であるという私の父なる神だとというこの信念と確信を持って私たちが出て行く時、神様は私の神様として私達に現れて来られて、私の神様になって小さな事から大きな事に至るまで役事してくださり一緒にしてくださるということを信じる人たちには、信じたそのごとくの実が必ず実ると信じています。(拍手)
46:08

今日皆様、私たちは他の人々と違う道を歩んでいます。統一教会は皆反対していますし、更には今日皆様が聖殿教会(サンクチュアリー)だといえば、皆が歓迎しないで反対しています。この反対を押し切って皆さんは、真の道を行き真の道を探し真の御旨の中で生きなければならないというこの意味を重要視し、皆さんは今日この道に歩み出ています。そうであるならば、本当に私がどれほど厚い信念と確信を持って、世の中の何を払っても変えることのできないこの道と世の中の何よりも貴重な道が、この道だというのが今日私の心の中から、血の中から肉の中から骨の中から染み出るようになる時、初めて神様はここへ来てあなたは私のものであり、本当に私達の父なる神様、私の父なる神様としてお前は私を信じているのだなと、私たちを訪ねてこられると信じています。

それで今日私たちが本当にこのように反対を押し切って来ながら、皆さんの胸の中に本当に言葉では言い表せない喜びを持って、ありがたい心も持って、感謝する心も持って、このように出て行かなければならないのに、まだ私たちは、私がたくさん中心になっています。
私が以前、日本の食口が本当に献金もたくさんして先頭に立って働くのを見てお父様に尋ねたことがあります。「お父様、韓国の人たちのために祈れば、ただ心が痛くて涙が出ますが、日本の人のために日本の食口のために祈れば、熱い涙が溢れます。」そう言った時、お父様は日本の食口は自分がないというのです。

まだ私たちに自分がたくさんあるので、私たちが仕事をしてもうまくいかず、また、信仰の道を行きながらも、疑って私達は真の道を行くとしながらも、なぜか暗い暗雲が私達の前に横たわり行く道を防ぐ場合が多いのです。今お父様がおっしゃったとおり、日本の食口のために祈れば、なぜ涙があふれますか?と言った時に、お父様は日本の食口は自分がない。ただひたすら御旨、ひたすら神様、ひたすら真のお父様、真の父母様、このように考えるので、神はそこに来て役事しないではいられないということなのです。

今日私たちもやはり同様に、そのような信念、信仰、そうすることができる位置に私達が直面するようになったら、神様は私たちを本当に愛しながら訪ねて来て一緒にしてくださり、望まれる御旨を私たちに本当に成し遂げて下さり、実を結ぶことができるように神様が一緒になしてくださることを考えなければなりません。
50:23

それで今日、聖書テサロニケ人への第一の手紙にこのような聖句があります。聖書テサロニケ人への第一の手紙5章16節に何と言ったかというと、やはり使徒パウロ先生がテサロニケ教会に送った手紙を見たら、あなた達の信仰を維持して進むには、常に喜びなさいということです。私たちが本当に私は神様の子供で、真の父母が私たちの父母だったということを私達が知って本当に全面的に信じる時、16節に常にあなた達は喜びなさい。喜ぶそこに神様が訪ねてこられると言うのです。そして次に、休まずに祈祷しなさいと言うのです。私たちの生活がいつも喜んで、休まずに祈祷しなさい。これは17節にあります。5章17節にあり、18節には奉仕に感謝する生活をしなさいと仰いました。

今日皆様がどれだけ自分が本当に感謝しながら生きているのか、常に楽しく喜んでとても明るい表情で、本当に神様を呼ぶ時・・・皆さんそうですね。神様というと、なぜだか分かりませんが粛々とします。罪を負ったすべての罪をその前で私達が赦しを受けざるを得ず悔悟をせざるを得ない、このように粛々となるのです。神様と呼ぶだけでも。そうではありませんか?その時私達が本当にどうするかと言えば、神様に感謝しながら生きなければなりません。

どのように感謝して生きるかと言えば、昔の事になりましたが、チョン・ソグォン権士様がいらっしゃったのですが、お父様を本当に好きでした。なぜなら、器量が良くありませんでした。ですからお父様が直接遠慮無く、あのような器量なのに気にもせず追いかけると、そのようにいつもお話をされたのですが、しかし、その方がとても器量が悪いと言われるから、何日か断食しながらお祈りしたそうです。
お父様が私をあのように不細工だと仰るのですが、私はどうすればよいのかと。そうしたところ神様が返事をどのようにされたかというと、器量が良くてもあなたは私の形状であり、器量が悪くても私の形状である。器量が良くても悪くても私の形状からあなたを作ったため、あなたは私の形状に似た私の娘だ。このようにおっしゃったそうです。

それでお父様を見て、その方が話した言葉が何かと言えば、「こんなに不細工だとお父様がおっしゃったので泣きながら断食祈祷をしたら、器量が良くても私の娘であり、器量が悪くても私の娘、器量が良くても私の形状、器量が悪くても私の形状と言いながら、そのチョン・ソクウォンおばあさんに心配するなと仰ったと回答を受けた」と言ったところ、お父様がその人を前に立てました。
立てて一度話をしてみなさいと(仰って)、それで話をしたのですが、私は神様の形状に似た神様の娘です。神様の形状に似た器量が悪くても器量が良くても神様の娘です。神様の形状に似た神様の娘であると証しをしました。
そうしたところ、お父様がどのようなみ言葉を語られたかというと、本当にご名答を神様が下さったとおっしゃいながら言われたみ言葉は本当に今日、我々は神様の形状として作られた神様の息子、娘、ですから神様の息子、娘としたら、世の中では高い地位を持った人の息子、娘だと誇って大騒ぎするのに、私たちは生きている神様の息子、娘であり、その資格を我々にくださり、私たちに、神様の息子、娘と認めてくださり決定してくださって判定してくださりながら探してくださった神様が私たちの私の父神様だということを皆さんが信じて、私がそのことを言ったのは私が悪かったのだ。 私は今日中に取り消さなければならない。 そうした時があったのです。

今日皆様本当に父である神様が私の父です。 私の神様というこの固い信念と確信この信仰を持っている時、そこには神が本当に来てくださり私の娘私の息子と神様が撫でてくださってそこに多くの恩賜を施してくださるということであるため、今日この時間皆さんは本当に神様は私たちの父であるということだけでなく、私の父である神様としていて生きて行くことを願います。 本当に今日皆様は、私が神様の息子です。 私が神様の娘です。 こう考える時は、ここには宿縁があるだけでなく、本当に今日この時代に驚くべき恩賜を私が受けて暮らしているというのが、夢かうつつか分からないほどの驚くべきことであるため、皆さんそのみ言葉を聞いて、あー私も私の父である神様というこの信念を今日皆様の胸の中で、心の中で、胸の中で、血の中で、肉の中で、骨の中で! 深く皆さん本当に深いところから生まれる心情を持って神様の方に立つことができる皆様になってくれたらと思います。

それで、あ、そのチョン・ソグォン権士様、1968年度に私たちが2人ずつ組んで伝道をしました。 伝道に送られたのですが、このおばあさんがパゴダ公園で私と一緒に、7年間一緒に仕事をしていた方なのですが、お父様がこの方に特別に何をおっしゃったかというと、伝道に出かけ、かわいそうな人を見た時、病人を見た時、かわいそうだと思ったらお祈りをしてあげなさいというみ言葉をくださいました。

それでこの方は全羅北道井邑に伝道に出ました。 出ましたが、そこにどんな人がいたかというと、中学校の生徒ですが、ハンセン病の患者です。 財産はちょっとあるので、たくさんお金を使い、お金をかけて薬を飲んでも治らないのです。それではどのようにするのか。ハンセン病患者たちが大勢で訪れたそうです。それで、米を一俵、二俵もあげてそうしてなだめて送りました。
そうすると可哀想な気持ちになったそうです。ところで、祈る時に神様この学生、ハンセン病患者の学生の病気を治してほしいという祈祷は一つもしないで、お父様が私を伝道に送るときに何とおっしゃたかというと、かわいそうな気がするならそこで祈ってあげなさいと言いました。 それで私はお父様のみ言葉に従うため私が祈っているだけで、病気を治してほしいとお祈りするわけではありません。と言いつつ、ハンセン病は治ってもいいし、治らなくてもいいです。それには関係ありません。お父様の命令にしたがって私が祈りますから、神様の思い通りになされるままにしてください。そのようにお祈りしました。

そうしましたら、3日が過ぎてから曲がっていた手がまっすぐになりました。 それだけでなく、顔色が真っ青だったのに、赤みがさしてきました。そうして、赤ちゃんまで産みました。今もソウルにいますが、それでその方がこういうのです。お祈りもそれほど大きくもしていないし、別に特別なこともしなかったのに、時間がたつほどに、手もまっすぐになり、ハンセン病で歩くことも大変辛かったのが、まさに歩けるようになり、全部できるようになったという証をする話を私が聞いたことがあります。 お父様が行って、病気を治してほしいとそのようにお祈りしなくて、かわいそうな気がしたらお祈りしてくださいと言われたので、かわいそうな気がして祈祷したら完全に良くなって祝福を受けて一人の息子を生んだのを私が覚えています。

今日そのためにお父様のみ言通りにするようになったら、お父様がしなさいと言ったその役事をするようになったら、必ずそれは実を結んで行われるということをみなさんが信じてくださることを願います。

皆さんを見るとかなり疲れているように見えます。 悪口を言われるので疲れたのかよく分かりませんが、疲れた顔です。 だから今日皆様はここでみ言葉のとおりいつも喜んで、休まずに祈祷して、凡事にも感謝しなさいと言ったのですから感謝する生活をしましょう。
それでいつも楽しく、嬉しくまた、とても明るい皆さんの表情で神様を呼んで本当にお父様を呼んでまた、周りの人のために祈祷してみてください。 友達のために祈って教会のために祈ってまた、教会の指導者牧師様のために今日皆さんらが祈祷してみてください。

そうすればどうなるかと言いますと、本当に祈祷を受けた人たちが皆様の味方になって、祈祷していた人の味方になって、病気も良くなって、生活も変わってすべてが復活されことができる道が開かれているのです。 私もそのようなことをたくさん見ました。 私は何か病気を治す人でもないですけれど、そのように、心がけ、本当に信念も確信も持って神様が生きていらっしゃるということを信じて祈祷した時には、神様はじっとしてはおられないのです。必ず来て、役事し、協力してくださり、一緒にいてくださりながら、今日皆様もそのような心情を持ってするようになったら、必ずそこには皆さんが考えられなかった奇跡の役事が起こりうるものなのです。

今日、私たちが歩いていく道はそのように簡単な道ではありません。生活が苦しくて心配している人もいて苦境の中で病苦の中でまた、本当にとても自分だけが知っているような厳しい環境の中で、心配の中に積まれている人々がたくさんいますが、私たちが本当に神様ありがとうございますと叫びながら一度生きてみてください。
ただ声を出して叫ぶのではなく、心の中で本当にありがとうございますと。骨の髄までしみるそのような心情でみなさんが、ありがとうございますと叫んだら、感謝することが度々生じるようになります。

私はそのようなことを体験しました。 本当に神様ありがとうございます。
神様、私の中にやって来られて、一緒にいてくださって、私が神様の中で暮らせるようにしてほしいと切実にお祈りしたら、神様の中で暮すことができる道が開かれるのです。お父様が私のところに来て一緒にいながら、私が真のお父様の中で生きるようにさせてくださり、イエス様が私の中に来て、私がイエス様の中で生きるようにしてほしいという切実な心情で皆さんが祈祷する時、心情の変化が来ます。 心に変化が来て変わります。昨日の私と今日の私が完全に変わることができる道が開かれます。

今日皆様が人生路程を歩いて見ると壁にぶつかる時が多々あります。 その時、皆さんは来ることも行くこともできずに、イスラエル民族が紅海を渡る時、前には紅海が立ちはだかっている、後にはペリシテ人軍隊が追ってきて、本当に生きる道が無い時、その時にお祈りする際にモーセが祈る時にどうなりましたか? 紅海が壁のようにちょうど分かれ、イスラエル民族は渡るようになり、その次にエジプト人は水の中に全部沈んでいくようになりました。
私がそんなこと考えたら、神様はあるのもなくすことができ、ないものもあるようにして、死んだ者も生かし、生きた者も殺すこの能力を持った方が神様であるということ。
これを私たちが考えるときに今日皆さんもそうすることができるという信念、そうすることができるという信仰、そうすることができるという気持ちになる時にはここには皆さんが予想できなかった、考えられなかった驚くべきことが起こるのです。

使徒パウロ先生は本当に信仰が厚かったのです。だからその手紙を書くのにもそのまま書くのではなくて、あなたたちはいつも喜びながら生きなさい、休まずに祈祷せよ、凡事に感謝せよと言いながら、説教をし、手紙を書いていたのです。
今日私たちの胸の中にも本当に沸き上がる思い、何かが来て止めようとしても止められない、邪魔をしようとしても邪魔できない湧き出る本当に天に向かう切実な思いを持ち私が生きるようになる時は、ここは万事思いどおりになる、すべてのことが行われて、成されるということを皆さんが信じる心を持つように願います。

本当に逆境の中で、危機の中で、また、病苦の中で、生活苦の中で、脱け出すことができない窮地に追い込まれて生きても本当にその胸の中には神様、お父様ありがとうございますという気持ちで。 それで信仰の道を行きながらも、これはだめだ、これは本当に大変なのだこれは本当にどんなに祈っても、いくらやってもできないという人は一生をできないという立場で苦しむしかないのです。

しかし、心構えを本当に真っ直ぐにすることでなるようになります。お父様は、それゆえに獄中に六回も無実な立場で獄中に六回も閉じ込められましたが、一度も私を早くここから出てほしいとお祈りしなかったということです。
1秒もお父様は御旨を知って意志を実現する過程で1秒でも、1秒も不信をしたことがないということです。 神様に祈りながら私を出して送ってほしいと言わず、何とおっしゃったかというと、神様心配しないでください。 私は私の行く道を行く人であり、これは私がしなければならない、私が行かなければならない、行かなければならない道だから、私がします。
だから何一つ心配しないでください。とこのようにお父様は六度獄中生活をしながらも、一度もお父様は心が弱くなることはなかったし、できないという不信の中で生きませんし、なるという確信の中で生きてきたのです。

そう、今日私たちもこの王様を本当に立てて、後継者に立てて、相続者に立てて、すべてのことを代身者に立てながら、何かしてほしいとおっしゃった時に、どれだけ神様の胸が痛くて、苦しくて、息が詰まるようなお気持ちだったでしょうか?
本当に私はできるという確信を持ちましたというこのような信念を持っていく際に神様はここに訪ねて来て本当に一緒にいてくださるのです。

今日私たちがその心情を持たなければなりません。 それで、ここにいらっしゃった方たち、韓国人礼拝であるため、もちろん韓国人だけが来ましたが、実にそういう...
その1968年度に2人ずつペアになって伝道に送られた私は全羅南道光州(クァンジュ)に行って光州(クァンジュ)教会を建てました。
そういう時によく伝道できました。人の家で働くその家政婦さんが大学教授を伝道してみ旨の前に立てたのです。
それでお父様は何とおっしゃったかというと君たちがやればできるという信念と確信をちょっと持ってみなさい。あのように人の家で働く人が、大学教授が頭を下げて入ってきながら、あ私もこの道を今や行かなければならない。 もうこの道で私が死ななければならないというこのような話をしたと言いながらお父様が喜ぶのを私は見たことがあります


そのため、今日の朝、私たちが考えなければならないことが、この家庭盟誓を私たちはよく守って、実践して、伝えながら、お父様が家庭盟誓を重要に思っておられたように、今日の私たちも重要に考えて、また更にはお父様はメシアの立場におられながらも、どのように考えておられたのかと言えば、地獄にいる一つの生命でも、全て救わなければならないという心情で地獄撤廃書をお父様はお話されたということです。

そのため、今日、私たちの心構えによって、神様が来られる事も、幸せになっていくこともあり、不幸になっていくことも... 幸福と不幸は、自分がすべて作るのです。誰かが作るのではありません。ですから、いつでも幸せな、本当に福の中に生きている人もいるかと言えば、いつでも死んだ立場のような地獄で生きている人もいるのですが、今日、私たちはここから飛び出して、本当に神様が私の生きておられる父だという、この心情一つを持つだけでも、私たちに信じられない役事が起こり得るのです。それで、いつも私たちは喜んで、常にお父様のように本当に100%信じて、絶対的な信仰を持って進み、すでに全て成されたと、すでに全て成されたという、そのような心情を持つ時に、成された結果が、私たちの前に必ず現れることを信じて下さるように願います。「アジュ」

何「はい」という声が一つもないのをみると、一人も感動できなかったようですね。ハハ。(はい、拍手)事実なのですよ。

ああ、本当に今日、今日、私は本当に起きながらも、うまく起きられない、あ、今日は私がみ言も語れないと躊躇して、座っていなければならない、このような考えを持ったのですが、その後に私の心を変えたのです。神様が私と一緒になされ、真のお父様が私と共になされ、霊界が私と一緒になされ、天宙が私と共に成されるはずなのに、私ができないということは駄目だ、話にもならない。神様、一緒にしてくれますように、という心情を持って出てきたのです。私と一緒にいる人が見て、私はこれ、歩くこともできないから、今日は立つ事もできないから、駄目だと言ったのですが、それでも、(出てきたのは)何かと言えば、このように出て来て、皆さんにみ言を語るようになったことを、とてもありがたく感謝してしております。(拍手)

今、望むことは、他のことでもなく、私たちが感謝するという、このみ言、ありがとうございます。5文字にしかなりません。文字は5文字しかなりませんが、本当に私の頭からつま先までの感謝の生活をもって巻き込んで、私が生きるようになれば、どのようになるかとは言いますと、本当に今日、私たちは、神様が生きておられるということを、神様が私と一緒にしてくださることを、私たちは信じることができて、(神様が)一緒になされることができるのです。どの、何よりも生きておられる神様の側に私が立っていて、生きておられる神様が私と一緒に小さなことから、大きなことに至るまで同行同事同役してくださるという、この心情を、私たちが持つようになる時は、力がグングンと出て来ざるを得ないのです。


それで、今日、私たちは本当にみ言がとても多いです。聖書のみ言もあって、原理のみ言もあり、天聖経もあって、たくさんの言葉を持っているのですが、このみ言をもって命を私たちは生かさなければならないのです。この一言で人を傷つけることもでき、傷つけられることもできるのです。言葉、み言で勇気が湧き出ることもありますし、また、私たちの気分もここで左右されるのです。心が揺れる時もあり、心が本当に意欲に燃えて、希望に燃えながら、ああと、本当に私が勝利する生活をすることができるのです。それで、私と一緒に戦って、勝って、世の中と戦って、勝ち、サタンと戦って勝つことができる位置で、神様から認定を受けて、決定を受けて、判定を受ける、その位置で私は本当に神様の側に立った神様の息子であり。神様の娘であるという、この心情を、この信仰を私たちが持って、貫いて進んでいく時にできないことが無いというのです。

それで、皆さん、感謝するという、この言葉を聞くならば、気分が良くなっていくでしょう。聞く者は、さらに、ここに応えようと尽くすのです。それで、上におられる方には、私たちが本当にありがとうございます。下にいる人には本当に多くの賞賛をしてあげれば、ここでどんな役事が起こるのかと言えば、考えられなかった奇跡の役事も起こるのですが、堕落の後孫であった私たちであったので、どんなに本当にそうしようとしても、思い通りにならなかった時がたくさんあります。それでも、そうしなければ良かったのにと思う時もたくさんあるのです。そのため、今からは、私たちはもう少し生活に私たちは、変化を持って来なければならないのです。

どのような変化を持つのかと言えば、本当に今日、私が読んだこのみ言、ピリピ人への手紙1章20節にあるみ言です。
この内容を一言で申しますと、神様に栄華を捧げることが人生の目的であるということです。本当に神様をどれくらい崇められるようにするのか、それでピリピ人への手紙1章20節に、使徒パウロがどのようなみ言を語ったかと言えば、このみ言を語ったのです。

1:20そこで、わたしが切実な思いで待ち望むことは、わたしが、どんなことがあっても恥じることなく、かえって、いつものように今も、大胆に語ることによって、生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストがあがめられることである。

このように、使徒パウロがこの言葉を語ったのです。いつもこのように今も、大胆に語ることによって、生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストがあがめられることである。ただイエス様を、主を、本当に尊い立場に立て、主の立場に立てる、この役事に彼は、昔も今も変わらずと行うという、このみ言だったのです。

一言で申し上げるならば、神様が崇められるようにすることが、主が崇められるようにすることが人生の目的であるということ、これを私たちは、私が生きている目的は何なのか?神様に栄華をお返しすることであって、神様を畏敬することは、人生の根本になる知恵なのです。箴言1章7節にそのようなみ言が出てきています。また、今日、私たちは、年齢が皆、高くなっているのです。おそらく、ここで私は年齢が一番高いでしょう。神様に帰るのが人生の帰着点となるのです。今日、私たちは戻って行く時も、神様に本当に戻らなければならないという、この心情を持って、私たちにある、すべての信仰と信念を固め、固め、また固めて、本当にどこ行っていても、ここのみ言、その通り恥じない自分として現れなければならないことを心の中に記憶されることを願います。

それで、今日私がお話したことは、この家庭盟誓をさらに私たちが尊く、お父様のように、いつも家庭盟誓を書いた原稿を持って出て来られて、たくさん読んで下さり、教えて下さり、また、このまま実践しなさいと愛で激励してくださった、その時を考える時は、心がどれくらい痛いか分かりません。
それで、私たちをして家庭盟誓を守る、実践する、家庭盟誓通りに生きる今日の私たちにならなければならず、また、私たちのお父様が、メシアであられるお父様、お父様が本当にご自身が良い天国の上座に座るために、人類を救われる救援摂理の役事を始めたのではなかったのであり、なぜ、されたかとと言えば、一生涯、万国の万民の万の民をして、本当にすべてがよく生きることができる、その世界、皆が本当に、この世の中に生きながら、私は神様を通して、イエス様を通して、真のお父様を通して、世の中に勝ったと言えるような勝利者の姿、勝利者の生活をもって実を結ぶ、今日の私たちにならなければならないと思います。

ですから、今日、皆さんにお話しながら、私自身が感じたことは、私はここに来て、今の片隅で光、光もない暗い場所でも良いのです。どこでも、片隅でわたしをして、本当に今日の万国の万民、そして世界人類が皆入り、世界人類が皆よく生きていくことができる、その世界を作るためにお父様がこの世に来られたのであり、イエス様もそれで来られたのです。
神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さったので、御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためであるという永生の道理を教えて下さるために、イエスも来られたのです。
それで、世界に、本当に万国の万民、すべてが本当に天国です。

これを、この世界を神様は探そうとされ、この世界を成し遂げようと、また、イエス様も十字架を背負って行かれながらも、本当にご自身の苦しみを考えずに、本当にこの地上に万民をして、意味があり、価値があり、やりがいのある人生として行かなければならない真なる道を行って、痛みのない世界に行くことができるようにしてくれという、このような切実な祈りをすることだけが、私がしなければならないことであることを知っております。

また、本当に生きながら、非常に本当に堕落の子孫であるために、いろいろなことが思いのままにならない時は、苛立ち、胸中も傷つくということもありますが、今からは、これを跳び越えて、本当に父が訪ねて来て、一緒にされているということを、本当にお父様が訪ねて来られて、本当に同行同事同役してくださっているという、この信念の中で、私は祈祷する心情を持って、今日、この世界のすべての万国の万民がすべてよく生きることができる、その世界を、今日、私たちが作ってみましょう。

私たちの王様が王として来られて、本当に役事をすることができ... ある食口が私を見て、言ったのです。
「康会長、今から、王様のために祈りをたくさんしてください。他の人の祈りよりは、私たちの康賢実巡回師様の祈りがはるかに効力を多く現れるようです。祈りをたくさんしてください。」としくしく泣く、その食口がいたのです。
それで私は言いました。「王様は頭から足の先までみ旨で満たされておられるので、本当に神様が願われておられる、またさらに、お父様が願っておられるその世界を、そのみ旨を必ず成し遂げていかれることができます。」と私はその話をしたところ、「アジュ」と言って、そのように喜ばれたことがあったのです。

今日、王様のために、私たちが本当に渾身を尽くして、精誠をたくさん捧げて本当にそのように成されていくことができる役事を作らなければなりません。

私たちの國進様が何と語られたかと言えば、私がですよ、そのキングスレポートに出てくる、そのたびにみ言を聞いたところ「家庭連合のズドン、ズソンと崩れる音が私の耳に聞こえます。」と言われますから私はああ、信仰が本当に良いな、どうすればあのように信仰が良いのか...それで私は「本当ですか?」と尋ねてみましたら「本当だ」と言われるのです。今日、そのため、私たちが全員そのような心を持って、本当に一つになった時に、道行く人も、この場所を訪ねて来なければ我慢できない.. お父様がそのようなみ言を.. 語られました。「天国がどこかと言えば、道を歩いていた乞食もそこに留まろうとするところが、その場所が、言ってみれば天国だ。」このように言われました。ですから、今日、私たちはここに天国を成しておいて、またさらには、全世界の万国に、万民、全国民が皆、天国を成し遂げて置いて生きることができる...私の家庭が、良く暮らさなければならない。私は何、子女が良くなければならない。もちろん、それもしなければなりません。しかし、それよりももっと重要なことが何かと言えば、今日、本当に王様を中心とする、この新しい摂理、これが必ずし成し遂げられてこそ、神様が喜ばれるのであり、イエス様も喜ばれ、お父様も喜ばれ、全霊界が喜びながら、全天宙が喜びながら、一緒にされることであると、私は信じるのですが、皆さんもそのような信仰を持ちましょう。「アジュ!」

本当です。そのような信仰を持たなければならなりません。それで、本当にたくさんの国民たちが自分たちも知らずにこの場所でなければ、生きる道がないという、この道でなければ、生きる道がないという、このような心情を持って訪ねて来ることができる、多くの民が今、蜂の群れのように立ち上がることができるように、私たちは祈りを多く捧げ、精誠をたくさん捧げるようにしなければならなりません。「アジュ」
それで、今日はこれだけお話し申し上げるのですが、私がいつもそうです。この、何、説教をしたりみ言は、心が本当につらいのです。なぜならば、本当に恵みをたくさん与えなければならないのですが、私がそれをできない時はどうすればいいのか?ですから、いつも昔もそうでした。いつもみ言を語ろうとする時は、とても地獄を多く経験しながら、話していたのです。今日も今、恵みにもならない重言復言のみ言を捧げて大変申し訳ありません。
二代王様:ありがとうございます。(拍手)

康お母様:お疲れ様でした。

二代王様:さあ、真のお母様のために大きな拍手を一度送りましょう。ありがとうございます。オモニ、ありがとうございます。さあ、片付けて。祈祷されたいのですね?ああ、「父の祈り」 はい。

お父様の祈り
不足な私達を受け入れてくださりますように。お父様、多くの群れが、命が性急に、この聖団に集まりましたので、集まった私たちが、父の栄光を代身することができるように許諾してください。喜びの祭壇を代身し、父の心配と苦喪を私たちをして、知ることができるして下さり、父の心情を体恤することができるように許諾にしてくださりますように。お父様は取るに足りないものに対して、信じて下さって、私たちに訪ねて来て下さり、一緒にして下さることをを感謝せざるを得ません。

今、今日まで天が本当に私たちを信じて下さって、また信じなければはならない、その立場に私達を立てて下さったことを、私たちをして、胸痛く思いながら、ここに神様が訪ねて来られていらっしゃいますように。できる私たちになるようにしてくださることを懇切願うものであります。今日、この世の中には本当に不信の群れが多く、逼迫する群れも多くありますが、お父様が彼らの過去の過ちを容認にしてくださりますように。そして本当にこの地上に神様が成し遂げ、願われた世界、そのみ旨を必ず私たちが生きて、このみ旨を成して差し上げることができる勝利の群れにして下さることを懇切に願ってやみません。今日も一緒にしてくださったことを感謝申し上げながら、すべての言葉を真の父母様の名前でお祈りしお捧げ申し上げます。

1956年5月22日にお父様が祈られた内容です。ありがとうございます。

「私たちの真のお母様に大きな感謝の拍手を送ります。アジュ!皆一緒に賛美の時間がなったでしょう?賛美賞賛される方は出て来られて、今日、我々はいくつか... 少し早く入って行って、キングスレポートの非常に特別なゲストもインタビューしなければならないので、賛美に入って行きます。」
賛美礼拝
私は何でもありません。  
私は天使の言葉を語ったとしても
十字架の伝達者
詩篇139篇
私のすべての人生の行動が主の中に

神様王権樹立勝利 億万歳!
万王の王、天地人真の父母様、三大王権 億万歳!
天一国創建億万歳!
アジュ!アジュ!アジュ!


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