2016年8月21日日曜日

2016年8月13日 霊界からのイエス様のメッセージ


2016年8月13日
霊界からのイエス様のメッセージ
私は子羊の婚宴を私が生きている間に行いたかった。
兄弟姉妹の皆さま、私は2000年前十字架上で亡くなったナザレのイエスです。私の心は、いまだにあの悲劇的な死による傷が癒されていません。私は今でもときどき涙を流して泣くことがあります。私は私の残念な運命のためや、肉体的な苦しみがとても大きかったから泣いているのではありません。私は今霊界にいて、ここでは肉体的な苦痛を感じることはありません。
それでは、なぜ私は今でもときどき泣いているのでしょうか。私は失望と恥ずかしさの為に泣いているのです。私は、私の天のお父様が泣いているから泣くのです。私たちは一緒に泣いています。私たちは心の底から泣いているのです。
神様の摂理が多くの勝利してきているにもかかわらず、私たちはまだ泣いているのです。今日も私は泣きました。私は今週何度も泣きました。
私たちは理由もなく泣くことはできません。私自身もそうですが、私たちはいつも泣いている必要はありません。しかし、多くの場合、私の気持ちを抑えることができません。それは自然なことです。ですから、泣きたいときに泣くことに対して恥ずかしく思う必要はありません。
ですから、あなたの毎日の生活の中で、あなたがイエスの心情を感じたら、あなたは泣き始めるでしょう。あなたは突然泣き始めるかもしれません。しかし、心配しないでください。その時私はあなたと共に泣いているのです。
私たちはそのような経験を通して、より強くなれるのです。私たちはそのような経験を通してより心情的に近くなれるのです。なぜなら、あなたは私を理解できるし、私はあなたを理解できるからです。
このメッセージの題は、「私は私が生きている間に結婚したかった」です。このことは実現できませんでした。私が地上に生きている間に、子羊の婚宴という聖婚式と結婚披露宴が行われるはずでした。それは、神学者たちが、教会組織との結婚という形で仮定しているようなことではなく、私がこの地上で実際の女性と結婚するということです。
このことは、新約聖書の一般的な解釈と比べるならば、異端的だと思えるかもしれません。では、それをもう少し詳しく説明しましょう。なぜこのことが私が切実に成し遂げたかったことだったかを、論理的に説明しましょう。
全てのユダヤ人の男は結婚すべきだというユダヤ教の伝統から考えても、男である私、ナザレのイエスが、結婚を求めることはとても論理的なことです。いろんな理由から何人かの人は結婚しませんでしたが、それは律法に対する例外です。私は律法の例外でしょうか。最初のアダムが神様に背いて堕落したので、神様は私を2番目のアダムとして遣わしたのです。
神様は去勢された男をメシヤとして送ろうとされたのでしょうか。神様はアダムとしての基本的な資格を持っていない人を送ろうとしたのでしょうか。アダムになれる基本的な資格とは何でしょうか。それは男の染色体を持ち、男性器を持っている人間の男性です。私はこの基本的な資格を持っていたでしょうか。もちろん、持っていました。
それでは、男はいつ結婚のことを考え、花嫁を探し始めるのでしょうか。私は自慢したいわけではありませんが、肉体的にとても強い男でした。私は家具の修理などの肉体労働をよくしました。では、男は、愛の対象としての結婚相手を捜すことを、いつ考え始めるのでしょうか。
それはかなり早い時期に始まります。全ての若者にとって、ティ―ンエイジの最後の時に始まります。あなたは私が33才の時、私がそのことを考えていなかったと思いますか。どうか論理的に考えてみてください。
私は男です、女ではありません。私は男性の感情を持っています。私が以前説明したように、キリスト教では私は「神様と一体」であると言われています。また、キリスト教では、私は誕生の時から神性を持っていたと説明されています。これらは本当のことでしょうか。
私は、このことが100%真実であることを信じています。それでも、私が男性としての感情と感覚と願いをもっていたと考えるのは論理的です。私は霊的にも心情的にも全ての男性の肉体的な感覚を持った男性でした。
私は神様と一体であり、また、神様によってこの世に誕生してきたにもかかわらず、男性としての感情を持っていました。私は男性としての感情を持っていることを恥ずかしく思っていませんでした。
私が男性としての感情を持っていたことは重要なことだったのでしょうか。もし私がそれを持っていなかったらどうだったでしょうか。
もしそうだったら、私はぼろ布のように価値のない存在だったでしょう。私はとても真剣です。私が男性として生まれたという事実は、私の人生の中で絶対的に重要なことです。それは私の存在目的の中心であり、重要な要素です。
人類の半分を占めるすばらしい女性の皆さん、どうか私を誤解しないでください。私が男性として地上に生まれなければならなかったということが、男性は女性よりも優れているということを意味するわけではありません。
それゆえ、私は神様の計画に従ってこのことを説明する必要があります。それは決して女性の価値を下げたりするものではありません。私は今、男性の価値と、私が男性として来たという事実について説明しています。
私は、哲学者や神学者や学者や思想家やコメンテーターや講師のコメントではなく、神様の計画における男性と女性の絶対的な位置について説明します。
神様は計画を持っておられたし、今でも神様は計画を持っています。あなたは神様の計画に反対することは良い考えだと思いますか。神様の計画に反すれば、どのような結果になるのでしょうか。神様の計画を知り、神様の計画に従って行動することが、はるかに良いことは当然のことです。
では、神様の創造の計画はどのようなものだったでしょうか。創世記を見てみましょう。創世記は神様の計画が一番良くわかる書物です。それは古い言語で古い用語を使って書かれていますが、宇宙の創造と男性と女性の創造について書かれています。
創世記には、「神様は天と地を創造された」と書かれています。それではその創造主は誰ですか。サルですか。電気的な刺激ですか。原始の海が創造主ですか。いいえ違います。神様は宇宙をデザインしたデザイナーです。私たちが自動的に進化したという愚かな考えについて見てみましょう。残念ながら、宇宙は自動的に進化してきたのではありません。神様の素晴らしい計画と複雑なかかわりによってのみ宇宙は存在しているのです。
人間の男性と女性の創造は神様の創造の御業の最後の仕上げに当たることです。サルがハムレットやリア王を書きましたか。システィ―ナ礼拝堂の絵画はどうですか。それらはチンパンジーが書いたのですか。人間が知的で素晴らしい創造性を持っているのは、サルから進化したからではなく、創造主である神様が人間を創造されたからです。
それでは、神様の計画の中での男性と女性の位置は何でしょうか。創世記2章18節には、「人が一人でいるのは良くない。彼の為にふさわしい助け手を造ろう」と書かれています。
創世記には「男性を女性の助け手として造ろう」と書かれていますか。いいえ、そうではありません。そこにははっきりと、男性は神様の計画の中で主体の位置であると書かれています。私は今、神様の計画について話しています。ゾロアスターやジンギスカンや地上での他の指導者たちのことを話しているのではありません。神様の計画の中で、男性は主体の立場なのです。このことは女性に苦しみを与えたり抑圧するようなことではありません。それは全く逆のことです。
真の女性解放は、彼女らが彼女らの夫を神様の似姿として尊敬すべきことを理解する時になされます。女性たちは彼らの夫の良いところを捜し、夫を神様の似姿として尊敬する努力をする必要があります。私が天のお父様について詳しく話したことは新約聖書の中に記録されています。
アダムに対する神様の計画は何だったでしょうか。それは結婚して、堕落していない人類の先祖として素晴らしい歴史と文明の出発点になることです。もしそうなっていたら、人類の文化は急速に発展していたでしょう。人類は今頃宇宙にたくさんの植民地を作っていたことでしょう。話を戻しますが、アダムがエバに対して主体の立場に立ち、アダムが妻である「助け手」を必要としていたことが、なぜ重要なのでしょうか。
それは愛の性質に起因しています。愛は満たされることを求めます。対象との交流がなければ愛は満たされません。それは愛の授受作用です。それは、新しい生命を創造し、新しい血統を創造します。
それが神様の計画でした。アダムは妻を持たなければなりませんでした。この中心的で根本的な要求には例外はありません。
それゆえに、第2のアダムとして来た私は、このアダムの根本的な願いを成し遂げる必要がありました。それは、私は妻を持たなければならなかったことを意味します。このことは、私が十字架に架かって死ぬために来たと教えられてきた信仰的なクリスチャンたちにとっては、とても不自然なことだと思います。しかし、それは私の使命の根本的な目的ではなかったかもしれません。
私が十字架上で死ぬために来たという教えは、聖書が印刷されて一人一人が聖書を読むことができるようになってから、信仰的なクリスチャンの家庭で、両親やおじいちゃんやおばあちゃんから子供たちに教えられてきました。それ以前はカトリック教会を通してそのように教えられてきました。
今私が言っていることを理解するのは簡単ではないでしょう。それは、今まで長い間説教者や牧師たちがしてきた聖書の解釈に反することです。
しかし、私はあなたたちがこのことに対して熟考し祈ってみることをお願いします。新約聖書の行間に何が隠されているかなどと考える必要さえありません。なぜ私が、新約聖書の中で、結婚式について何度も何度も話しているかわかりますか。私は私自身の結婚式の準備をしていたのです。
そこには何人かの候補者がいました。天のお父様が私の為に何人かの良い候補者を準備していたと思いませんか。神様は間違いなくそうされました。第一の候補者はすでに準備されていました。万が一彼女が失敗した時のために、神様は他の女性たちも準備していました。(しかし、それは妻が夫に従い、血統を尊重し、その血統を家族の中で息子に相続させる伝統のあったユダヤ人社会では、最初の候補者が失敗することは、ほとんど可能性のないことだと思います。)神様は私の為に全てを準備されていました。
神様がコントロールできなかったことは、私の家族と神殿の祭司と私の腹違いの兄弟である洗礼ヨハネの私に対する態度です。洗礼ヨハネは私のいとこではありません。私たちはザカリアという同じ父親を持っています。
私には私の誕生のために種を供給した実際の父親がいます。このことは、私が処女から生まれたと教えられてきた信仰的なクリスチャンたちにとっては大きなショックでしょう。処女降臨の教えは、信仰的なクリスチャンの間で世代を超えて教えられてきました。
私の母は「若い女性」でした。ヘブライ語の「処女」を表す言葉には「若い女性」という意味もあるのです。皆さんを失望させて申し訳ありませんが、私の誕生には父親からの種が必要でした。神様は父親からの種(精子)なしに血統を作ることはできません。ですから、私には父親が必要でした。ヨセフは私の実際の父親ではありません。大祭司が血統に種を供給しました。
どうか驚かないでください。このことは、いつかは明らかにされなければいけません。当時の人々は、私の母が神殿に何か月も滞在してから妊娠したことを知っていました。私は歴史的な事実を隠すことはできません。私が男性と女性の一体化から生まれたとしても、そのことが私を罪人にすることはありません。
私の母のマリアは特別な女性でしたし、私の父のヨセフも特別な男性でした。このことについてよく祈ってみてください。それは簡単なことではないでしょう。しかし、それはとても重要なことです。
私の誕生には父親が必要でした。それは神様の計画でもあります。それには例外がありません。私は、種を供給する資格のある父親から種を受け取る必要がありました。ザカリアにはその資格がありました。マリアにもその高貴な資格がありました。私はこの聖なる一体化から生まれました。それは長い歴史の中で最も聖なる一体化でした。
ですから、このような観点から言えば、私は聖霊によって生まれたとも言えるのです。その一体化は、聖霊の影響下で行われました。ザカリアとマリアは両方とも聖霊から直接導かれました。その一体化の前にも、その行為の間にも、その後にも、聖霊は彼らの中にあったし、彼らの心の中にありました。私は聖霊によって生まれたのです。ですから、聖書は正しいのです。
私は、私の信仰的なクリスチャンたちにとって、このことを理解することは、とてもむつかしいことだと思います。私の受胎と誕生に関しては長い歴史的な伝統があります。それは私たちの文化の中に根付いています。しかし今、私たちは新しい「正午定着」の時を迎えています。
今からは全ての真実は、はっきりと明かされなければなりません。神様の計画や、宇宙の究極的な真理を説明する時には、中途半端な真理やあいまいなことは許される時ではありません。
今は宇宙の究極的な真理が明らかにされるのが可能な時ではないですか。量子力学を研究している物理学者はそれを探し出すために人生をかけています。全ての人も、真理を探し求めるべきではありませんか。あなたたちは真理と共に生きたいですか。あなたたちは真理を知りたいですか。
真理によって生きるのと、真理よりも価値の低い何かによって生きるのと、どちらが良いですか。
重力に関する真理が、あなたが崖から飛び降りたら、崖の下まで落ちてしまうことをあなたに伝えたら、崖から飛び降りることが、あなたの骨にとっても、体にとっても有害であることがわかります。このような考えを、どのようにして、私、ナザレのイエスの使命に関する真実にあてはめることができるでしょうか。
私は、私が生きている時に「子羊の婚宴」を持ちたかったのです。それは、メシヤとしての私の使命の根本的な要素でした。アダムがそうであったように、キリストも妻を持つ必要があったのです。
それでは、あなた自身の人生との関係において、メシヤとしての私の使命の根本的な要素についての真実を考えることは良いことでしょうか。
私の使命についての完全な真実を考えることによっておこる結果と比べれば、完全な真実を考えないことは、あなたの人生にとってより有害です。もしあなたが完全な真実を知るならば、あなたは大きな恵みを受けるでしょう。
わたしはなぜこのような強い言葉を使っているのでしょうか。2000年前メシヤとしての私の根本的な使命が、アダムの道を行くことで、具体的には私が聖婚式をすることができる女性を見つけることだったということが、なぜあなたたちにとって問題となるのでしょうか。
メシヤが来て、そのメシヤが、男性と女性が一つとなり、神様が天と地を創造なさった時に心から願われた愛と生命と血統を作るという神様の絶対的な計画に従わなければならなかったということを知ることは、最高に重要なことです。それ以上でもなく、それ以下でもありません。
神様は、男性だけが地球上に存在する人類を創ることはできません。神様は、メシヤの相対として、対象の立場にある女性を再創造することなしに、メシヤとして男性だけを再創造して人類を再創造することはできません。その女性の立場は、聖書の創世記2章18節に書かれているように、「助け手」の位置です。
全能の神様が天地創造を始められた時の人間に対する計画は、男性と女性を創造することでした。神様の人類の救いのための計画も、男性と女性に対してのものでした。私、ナザレのイエスは男性でした。私は、アダムとエバが未完成期において善悪の知る木を取って食べたことによって起こった悲劇的な堕落以来、全能の神様によって心より願われた救いをもたらす男性でした。
ここで言う「食べた」という行為は、桃や柿やあんずなどの実際の果物を食べたという行為ではありません。この果物という観念は、聖書の作者によってたとえ話として書かれました。ユダヤ人はこのことについてより詳しく知る知恵をもっています。多くのユダヤ人には「知る」という意味は肉体的に、あるいは情欲的に知るという意味に理解されています。
つまり、アダムとエバの堕落は、果物を食べたことではなく、男性と女性の悲劇的な非原理的な一体化でした。それは、聖なる一体化のために造られた男性と女性の生殖器を用いた行為でした。これが堕落の悲劇でした。これは、全ての世代を通して相続されている悲劇です。それは原罪として知られています。
では、このことが私の使命や、部分的にではなく完全に理解することが重要だと私が感じる真理と、どのような関係があるのでしょうか。
部分的な真理は、アダムとエバが堕落したことです。それは聖書に記録されている物語です。この話は、ある意味ではほとんどの文化において記録されています。その中で最も正確なものが創世記です。
しかし、この物語を完全に明白に解き明かしたのが、文鮮明師です。文師はアダムとエバの堕落の本当の意味とその過程を明らかにしました。私は、全てのクリスチャンに、2006年に発刊された天聖経に記録されている重要な内容を徹底的に研究することを心から勧めます。
今日は長いメッセージになりました。まるで礼拝のようですね。この長い話につきあっていただきありがとうございます。
私はメシヤとして生まれました。私には選択の余地がありませんでした。私には、真理を知って、天のお父様である神様が私に願っていることを成し遂げたいという熱い思いがありました。私は結婚しなければならなかったことを知っていました。皆さんはそれを知らなかったかもしれない。しかし、私はそれを知っていました。ですから、私は今、それを皆さんにお伝えしています。それは、私の切なる願いであったし、目標でもありました。
神様の計画では、それは最も必要なことでした。私は男性です。私は、ただ神父のような人になりたいとは思っていませんでした。神父は教会組織によって生み出されたものです。私は新しいアダムになりたかったのです。私は私自身の家の主人になりたかったのです。このことは、人間的すぎる弱い考えだと思いますか。いいえ違います。それは神様の願いです。それ以外の何ものでもありません。
兄弟姉妹の皆さま、どうか深く考えてください。メシヤは一匹狼のようであるべきでしょうか。メシヤは、神様が作られた最も美しい被造物である女性から来る愛や抱擁を受けることのない孤独な魂であるべきでしょうか。メシヤは、彼の種から生まれる子供を見た時に感じることを知るべきではないでしょうか。メシヤは孤独に死ぬべきだったでしょうか。どうかよく考えてみてください。
アーメン、そしてアジュ
訳By メイプル


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