2016年2月8日月曜日

2月7日 ■聖日礼拝キリストとの同盟 全訳



キリストとの同盟       2016年2月7日

愛の神がどうして地獄のようなところを造られるのか?聖書では地獄について、それが火の海であるとか、さそりに噛みつかれる、など様々に描かれています。

お父様は地獄を神様から離れてしまったところであると表現されています。大部分の聖書学者達も同様です。生命つまり創造主から離れているということです。

霊界では神様の愛は空気のようなものです。酸素ではなく神の愛を呼吸するのです。もしそこから離れると霊界においては地獄です。窒息して呼吸することが出来なくなり苦しみます。

聖書ではいろいろ違った形で描かれています。それが重要です。

どうして愛の神がそのような狂った場所を造られるのでしょうか。そんなことが可能でしょうか?

地獄の問題は愛の問題ではありません。地獄の問題は正義の問題です。

裁判官の話があります。人殺しが捕まり裁判にかけられ、そこで裁判官が、”自分は愛のある裁判官だから自由にしてあげます”という話です。この人は罪を犯したのですから、その判断は実際、まったく不当なことです。それ故に神はいつも分けられるのです。神は人間に自由意思によって神から離れることを許されるのです。そのようにして人間は自分で地獄の中に歩いてしまっていくのです。神が人間を地獄に送っているのではありません。人間が自ら選んで神の願いではなく、サタンの道に行き神から離れていっているのです。考えてみてください。

天使長は自分たちだけで、創造主なしに自立することはできないのです。

創造主が命の源です。ですから、創造主に従わなければいけませんでした。しかし神が人間を創造された時に何を見るのでしょうか?神が自らに似せてつくられたのです。自らの神性を神の子供の中に込められました。それで何が起こったのでしょうか?

天使長に反乱が起こったのです。人間が創造された後に反乱し始めたのです。彼らが神から離れた所に自分たちの力の源を見つけたのです。聖書ではサタンはあなたたちを殺し食い尽くすライオンだと言っています。彼らは我々を通して力を得ようとしているのです。天使長が一度神から離れた場合、食べ物にありつける別の場所を探さなければいけません。わかりますか?誰から得ようとするのですか?人間です。人間の魂からです。

今子供達と一緒に学んでいるシリーズを後で紹介します。大変素晴らしい内容です。世界的なレベルのものです。

ヨハネの黙示録22章に戻りましょう。太陽のたとえを使って神の神聖さを見ていきましょう。神聖さとは完全であり、命を支えるものです。太陽は惑星の命を支えています。植物が成長したりするのを助けています。しかし太陽にちかづくことは実際はとても危険なことです。面白いですね。完全に神聖な神に近づく事は実際はとても危険なことでもあります。モーゼが神がいるところで燃えている木々の中で彼自身が燃え上がっていました。焼き尽くされるところだったのです。それで神を見ることもできなかったのです。聖書には神を見た人たちは恐れおののきました。それは神がとても神聖だからです。それで、太陽に近づけば近づくほど危険だというのです。太陽が悪いからではなく、太陽が良いからです。私たちが不完全さ、罪をもっているからです。不完全な魂です。ですから私たちが近づけば近づくほど私たちが燃やされるのです。不完全な魂を持っているからです。神の神聖と直接の関係があるのです。神と直接関係を持つと善と悪を見分けることができるのです。神聖さがわかるからです。神様と直接関係を持つときあなたは脳の死んだゾンビーのようではいられません。私たちはみんなを愛しますーといっているような。私はみーんなを愛したいのーとか言ってる。それは脳の死んだゾンビーです。善と悪を見分けるとこができなければいけません。人生で判断を下さなければならないのです。危ないトラックの前に歩いて行かないように判断をしなければいけません。それは審判です。マイナス30度の寒さの中に出ていくとき服を着るという判断をしなければいけません。多くの人は愛さなければいけないから裁くことは良くないといいます。聖書には正しい判断をしなさいと書いてあります。正義の裁きを行うのです。善と悪を見分けるべきなのです。イザヤ書には終わりの日には善が悪と呼ばれ、悪が善と呼ばれるだろうとあります。それがまさに今起こっていることです。神の目で見て悪いことが聖なるヒーローのように持ち上げられています。ケイトランド、ジェナー。ブルース。完全に冗談のようなものです。見分けることができなければ、今は哲学の時代ですから、奪われてしまいます。訓読会で真の哲学を学ぶのです。子供達でも相対的価値観を見分けるのです。

もし誰かが来て私たちは新しい時代を信じてます。そしてあなたがあなた自身の真実をここの大学で見つけることができる事を望みます。あなたの夢、ビジョン、目標を追い続け、何が真実かを自分のために発見する事が重要です。両親や教会が教えていることなど聞いてほしくはありません。私たちがいうことすら聞く必要がありません。しかし私たちは貴方たちの真実をあなた自身のために見つけてほしいのです。こんな話を聞いたことがある人手を挙げてみてください。大学に通えばこういうこと必ず聞いてますね。

それから、こんなことをいう人もいます。私は善と悪の違いがあるとは信じません。それは人間によってつくられたものです。私たちはもっと高い次元の思考にたどり着かなければいけません。それをキリストの良心、神の良心とか、他の何であれ、とにかく高い次元の良心にたどり着かないといけません。そしてこういうすべての人間によってつくられたものを超えていくのです。そして、真実の究極的な性質の中に入っていかなければ’なりません。こんな話を聞いたことある人何人いますか?東アジア、インドの瞑想の伝統を学ぶとこれを聞くのです。

こういう作戦、方法、こういう哲学は何と呼ばれますか?これは相対的価値観の思想です。あなた自身の真理を見つけられるというのは、若い人たち、あなた自身の真理をつくることはできますか?できない?どうして?子供達にも聞くのですが、ジェフリードマースが誰か知っていますか?彼は自分自身の真理を追求してはいませんでしたか?自分の幸福を追求しなかったでしょうか?ヒトラーとかカンボジアのポルポトとか聞いたことがありますか?彼らは自分自身の真理をつくれると信じています。自分自身の真理をつくることの問題は、誰かが’それをキャンセルできるということです。ほかの人が違う真理をつくることができるからです。実際人々は邪悪な真理をつくりそれを良しとして、良き真理を邪悪と呼ぶこともできるのです。何が善で何が悪かを見分ける方法がないのです。これが道徳的相対思想です。これが主流の文化の中で大変猛威を振るっている哲学です。

ほかには、善と悪は人間的なカテゴリーという考え方もありますがやはり相対思想です。倫理的な相対思想です。道徳的相対思想とつながっています。もし善悪の判断ができなければ殺人とかヒトラーがやったことが良くないということができますか?ヒトラーは自分自身の幸せと喜びを求めていただけです。ほかの人を傷つけない範囲で何をしてもいいというかもしれませんが、傷つけないとはどういうことでしょうか?殆どすべてのことが何らかの形でほかの人を傷つけるのです。歯磨き粉を使うことさえも、それを使うことによって、その商売敵を傷つけるのです。そのような相対的な思想を持つと大きな問題が起きるのです。多くの若者が、考えることを教えられず、権力に従うように教えられているのです。特に学校とか政府の権力に従うように教えられているのです。いつもですが、愚かなことが歴史において’同じように繰り返されているのです。この考え方の伝統が重要なのです。キルケゴールが理由では神に到達できないのに、理屈によって神に到達しようとしています。でも理屈によって山に登ることはできます。最終的には信仰によって飛躍しなければいけません。理屈を超えるのです。しかし理屈は必要です。神は合理的な宇宙をつくったからです。無神論と有神論のデイべートを聞くと検証の技術、科学、エピジェネテイックとかいろいろありますが、一般的に、DNAや細胞組織など、これらの全ての物は創造主、デザイナーにたどり着きます。 こればまた別のトピックになります。

しかし、私たちが善と悪を識別出来ると言う事はとても重要な事です。何故かと言うと、例えば、問題は何かと言うと、家庭連合は完全に相対性価値観に吸収されています。全ての事は  SC教会に関していなければ、問題ないでしょうと想定しています。ホモでもレズでも良いが、SC教会に行く事はだめだ。では もう一度、 相対性価値観の何が問題なのでしょうか? 私の子供でも答えられます。   それは 相対性価値観自体が相対的な価値に落ちてしまうからです。真理に達する事が出来ない、絶対的な真理が無いからです。だから 相対性価値観は既に踏破されてしまっています。 相対性価値観自体が  絶対的な真理が無いと宣言している。私たちはこの事をもう何回も議論しました。どの位議論しましたか? たくさんしました。そこで、私たちは象の例を用いました。仏教とヒンズー教徒に真理は何かと聞きました。でも今日はその話はしません。

重要な事は、神様の御言葉に照らし合わせれば、善と悪が識別出来ると言う事です。実際のところ、 神様の御言葉から離れれば、離れるほど、善悪の区別が付かなくなってきます。何故ならば、テレビ等で聞いた事が全て良いように思えてくるからです。多分 われわれは一つだと思う様になります。全てが愛と平和になってくるでしょう。寛容が必要だと言ってくるでしょう。用意に其の様な罠にはまってしまうでしょう。でも 神様の御言葉を見ると、聖書は善悪に関して、とてもはっきりとしています。それが神様の神聖につながってきます。

例えば、二週間程前にとても良い姉妹が訪問しました。いろいろな所に招待したいと言いました。そして、全てが愛に基づいた素晴らしいキリストの認識が有ると言いました。愛することを学ばないといけないと言いました。私はそのような事を聞いた事があるので、それば何かのインドの伝統ですかと聞きました。何かのインドシャクラ哲学ですかと聞きました。私にはすぐにわかりました。それでその姉妹に大切な事を言いました。愛するならば、憎むこともしなければならない。彼女はショックでした。“えー?どうしてそんな事が言えるのですか?” “憎む、HATE?”彼女はスペルをもじって 聞きました。彼女は信じられなくて、私が ”ATE (食べた)“と言ったと思いました。愛するならば、食べないといけないと私が言ったと思ったのです。しかし 私が言ったのは、愛するならば、憎まなければいけない、です。そして 一つの例を上げました。私が妻を愛するならば、不倫を憎まなければいけない。他には出来ない。わかりますか? 妻を愛して、不倫を愛することはできません。 相対性価値観の問題が分かりますか? もし子供達を愛するならば、誘拐、レイプ、殺人等を憎まなければならない。ここで神様との関係で重要な事は 神様を愛するならば、悪や罪を憎まなければいけない。このように 毎日の神様との関係を形成する事で、新しく新生し、罪からのがれて行くと言う事です。わかりますか? 重要な事は、聖書においては、善と悪は非常に異なっているという事です。では 誰がこの相違を曖昧にしたいのでしょうか? 神様ですか、サタンですか? (サタンです。) そのとおりです。もしどこかの哲学が善悪を曖昧にしようとするならば、そして、愛と言うと全てを愛すると唱えるならば、これは この人は 相対性価値観を教えているという、間近で危険な赤信号です。牧師であれ、イスラムのイマームであれ、教授であれ、誰であっても、すぐに何を教えようとしているかが分かります。そして、その教えの根本も分かります。神様ですか、サタンですか? サタンです。なぜなら サタンが善悪の相違を曖昧にしているので、人々は悪を選択するからです。サタンは此の様な同じ手段を何回も繰り返し 繰り返し使うのですが、人々は頭がバカなので、其の様な報道を聞くと 直に陥ってしまいます。全世代がそうです。ですから、頭を使って、御言葉で防備して、識別しなければなりません。識別は精霊の賜物の一つで、知恵の要素となります。

第三の再臨主の本性は 王様です。王様の中の王様で、千年王国を設立します。 これらが 再臨主の主要な本性です。聖書や聖書学者を勉強すれば それがわかります。私がかってに作り上げたのでは ありません。家庭連合は私がかってに作り上げたと言っていますが、それは家庭連合が聖書と神の摂理からかけ離れているからです。

韓お母様がされてきた事を見てみましょう。お母様は初めにこの写真をかけはじめられました。ハンナムドンとパレスにかけました。真のご父母様の写真を取りはずして、この皇妃の様な写真をはりつけました。そこのスタッフの人も非常に驚きましたが、指示なので、従いました。私は人種差別はしませんが、どちらかと言うと アジア系の考えを持っています。と言うか、韓国人です。アジア人は集団意識を強く持っています。他の人がしているから、自分もしようと言う考えです。本当は選択の余地があるのだけれども、やるしか 仕方ないと思います。そういう意味では洗脳されているかもしれません。そういう訳で、そのスタッフはしたのだけれども、非常に悩んで、いたたまれなくなって、徐々に秘密にSC教会の祝福に来るようになりました。秘密なので、名前は言えません。

韓お母様がこの写真を掲げろといってきたからこのようなことが起こったのです。韓お母様は対象の位置を完成させなければいけませんでした。その位置を離れて主体の位置を奪おうとしてはいけなかったのです。主体がその位置を離れてはいけないのと同じように。自分のためではなくメシアである主体のためです。家庭連合が教えている堕落した四位基台も見ましたね。それを教えている事実が問題です。10年前に周藤先生がつくったとかいう話は問題ではありません。

お父様の王冠を消し去っています。

韓お母様の名前だけ彫られた祝福リングに対してジムステイーブンスが言ってましたね。愛する自分の妻が子供たちに対して、このようなことをするのだろうか?純潔な結婚を誓うリングに自分の名前だけを彫るというこのようなことをするのだろうか?どこの妻がそうのようなことをするのか?そんなことはないですね。

韓お母様のリーダーシップ

*お父様のみ言葉の改竄(天聖教の80%まで)

*天一国国歌の変更

*家庭宣誓の変更

*祝福問答の変更

*唯一神教から多神教への変更

*憲法から原理講論を排除

*お父様のマークを消す訴訟

*忠実な絶対対象の位置を離れ、神、メシア、独生女と宣言

*お父様の冠を捨て去る。

*祝福からお父様の血統圏を消す。

*メシアの血統よりも、韓の血統を(純潔なものとして)讃える。

主体から離れたら、別な主体に仕えるのです。誰がその別な主体だと思いますか?サタンです。正しい主体から離れたら、間違った主体を得るのです。

訓読会で子供達と話します。神の光とルーシェルの光です。ルーシェルも美しいのです。そういうものに騙されてはいけません。ルーシェルは赤い目をした黒い蛇のようではありません。見たこともないような美しい天使です。キラキラ輝いているのです。飛び回ってどこにいってもロマンチックな音楽を奏でているのです。バカになってはいけません。バカがよく見えます。多くの光を放ってます。しかし彼は偽物です。

ルーシェルの光と神の光には大きな違いがあります。ルーシェルの光はいつもあなたを何に導くでしょうか?自己信仰です。いつもです。貴方も神になれるというのです。貴方はもっと優れているというのです。あなたが宇宙の中心だと言います。全ての宇宙はあなたの中にあると言います。それは確実に共産主義に陥る考え方です。自分をそのように崇拝すると、政治的にもそのように振る舞うようになるのです。間違いがわかりますか?

その理由で私は仏教から離れたのです。哲学は個人的には素晴らしいと思いましたが、国を見ると、決して自由を創らなかったのです。ここでは話しませんが、自分で調べられます。

神の光は自己崇拝に導くことはありますか?神の光は自己崇拝を避けるように導いてくれます。お父様が話された昼の太陽のようです。あなたの上に降り注ぎ、影が全て見えるのです。自分の多くの罪が見えるのです。神の光はあなたの罪を隠すのではありません。あなたの全ての罪が顕わされるのです。それで自然に現実を受け入れるのです。自分は光り輝く神のような存在ではなく、とても邪悪であると。その自己否定の段階を越えると、悔い改めに導かれるのです。神に向かっていくようになります。尋ね求めていくのです。この光を求めていきたい、あなたの光。光は自分から出てくるのではありません。あなたの光が私の中に入り私が丘の上の灯りになることができるのです。聖書に書かれています。しかしそれは神の光でありそれが自分の中に入らなければなりません。自分を清め高めそれで私が丘の上の灯りになれるのです。しかしその灯りは自分を崇めるように叫ぶのですか?それとも神を崇めるように導くのですか?

これがルーシェルの光と神の光の実際の違いです。でも騙されてはいけません。両方とも明るいのです。

霊界からも違った声が聞こえてくるのです。ある兄弟は40日条件を立てて、み言葉を読み、神の声を聞き、目覚めるのです。そういう手紙がきてました。しかし別な人は自分も条件を立てたといい、何にも間違いはないと悟ったと言います。2つの声が霊界からきているのがわかります。はっきりした声です。

それで、パナマではみ言葉を読んでほしくないわけです。祈るな!条件をたてるな!と言ってます。これは完全な全体主義です。カトリックチャーチも同じですね。聖書を読むな、み言葉を読むな!(読まなければ)真理を見るかもしれない。

神はあなたの愛する父であり、メシアは男性です。女性ではありません。花婿です。

韓お母様の言動は私たちの心を悲しみに陥れるものです。私がこのようなことを喜んでしているのではありません。子供たちに聞くのです。あなたのお父さんは、おばあちゃんを憎んでいますか?子供たちは黙っています。憎んでいるので立ち上がって非難し叫んでいるのですか?おばあちゃんを憎んでいるからですか?お父さんはおばあちゃんを憎んではいません。おばあちゃんがやってることを憎んでいるのです。やってることは、彼女をそして他の全てを破壊するものだからです。私たちは愛するからこのようなことをするのです。

悪と戦うのは、彼らを憎むからではなく、彼らを愛するからです。その人を救ってあげたいからです。神から永遠に離れて地獄にいって欲しくないからです。タイタニックが沈みかけているとき、みんなが大丈夫といってます。レストランにいてください。シャンデリアを見てみて。美しいでしょう。ピアノもっと大きな音で弾いてー。私の焼肉はまだですかー?船が沈んでいっているのにです。もう半分沈んでいるのでわかっている人は、”全員!速く脱出!”と叫びます。そうすると、”あのキチガイを追い出せ!モーツアルトの音楽、もっとボリュームあげて”とか言ってるのが、ちょうど今起こっていることです。あなたは、彼らを憎むからそこに行くのではありません。助けようとして”速くこのボートから出ろー!死ぬぞー!”というのです。愛しているがゆえに、助けたくてやるのです。

10月24日の韓お母様の話にはリーダーたちが完全に混乱しています。そのような理由で公的な場ではあまり話されなくなっています。話せば話すほど間違った内容が出てくるからです。それが家庭連合には都合がよくないので、隠そうとするのです。韓お母様に話させないようにしています。大変でしょうから私たちがなんか言っておきますという風に。おろか者たちがやっていることは明らかです。2000年のクリスチャンの歴史のすべては独生女を迎えるためのものであったとか、、

何度もいわれてます。12月12日にも言われました。私がでっち上げているのではありません。私は3年前に知ってましたから、同調することは出来なかったのです。お父様に対する尊敬と忠誠心があったら位置や権力にしがみつくことは出来ません。

お父様の伝統を見ると、どのように堕落圏内から人々を救い祝福の恵みを与えるかというと、こうなっています。

神とキリストそして3日儀式を通して堕落していた女性がキリストの花嫁として復帰され、堕落した天使長であった男性が神の息子として復帰されます。

真のアダム神と地上のキリストがその関係の中に存在します。ですからお父様があなた達は私を愛しますか?旦那さんを愛しますか?と聞かれたのです。

誰が主体ですか?とても明確です。3日儀式の主体はお父様です。アダムであり再臨のキリストです。真のアダムです。全ての位置がはっきりしています。

あいまいな点がありません。女性はキリストの花嫁になり男性はキリストの体になります。神の息子の体、神の種の体です。そして神の種が堕落していた女性の胎内に入り、原罪のない祝福の子女が生まれてくるのです。とても単純ですね。

堕落した家庭連合の図を見てみましょう。神と独生女がいます。3日儀式を通して女性はキリストの花嫁、完成されたエバに復帰されます。独生女が女性の胎内を聖別するというのです。そう言います。そうしか言う事ができません。ここに問題があります。全ての男性はサタンの種を持っているのです。問題がわかりますか?全ての男性がサタンの種を持っている。そして独生女の胎内に入っていく。そういう人をなんといいますか?全ての男性の生殖器を入れてしまう。娼婦と言います。この思想はバビロンの娼婦を証明しています。全ての男性が独生女の胎内に入っていくのです。そして女性が聖別されていくというのです。しかし男性の種はまだサタンの種です。全てのサタンの種が彼女に入っていくのです。女性と独生女の関係は親密なものであるべきです。お母様は2000年のキリスト教の歴史は独生女のためと言ってますね。200年の再臨の王に対する期待はなんだったでしょう?花婿です!花婿!花婿が女性ではレズビアンの関係です。私が創り出したものではものではありません。自分の頭でどういう結果になるのか考えてみてください。これは何ヶ月も前に行ったことですが、このような考えによると、同性愛結婚を支持せざるを得なくなるのです。独生女の異端信仰をするならばそうなるのです。同性愛の精神と一つになるのです。そういう時代の波に飲み込まれてしまいます。インターネットでは家庭連合の中に同性愛者の祝福もしようとする動きがあります。若い人だけではありません。毒性女の思想はとても解放的だーとか言うのです。この異端の考え方は神に近ずくものではありません。道徳の指針を失い、善悪の判断基準を失っています。相対的な思想で見分けることができません。

クリスチャンでも同じことが起こっています。ですから再臨のメシアが必要なのです。クリスチャンの中でも歴史を通して同性愛の流れが続いてきました。

キリストの花嫁であることを信じているからです。お父様が与えられた、祝福、3日儀式におけるはっきりした位置ずけがないのです。ですから、代々にわたって、花婿であるイエスをより愛する花嫁でいることが必要になったわけです。自分が男性で主なアイデンティティーが花婿に対する親密な花嫁であればもんだいです。花婿と花嫁の関係は性の関係です。信仰的な忠誠の関係です。自分のアイデンティティーが花嫁であれば、大変な問題です。花婿に対する全ての愛の表現の中で起こってくるのです。イエスに対する愛情を表現したい時、彼は花婿、私は花嫁ですから、毎回、性的なアイデンティティーの問題が出てきます。

ですからカトリック教会の中でも、様々な問題が起きています。同性愛者の権利を主張する、流れに乗ろう、とか。エバンジェリカルクリスチャンでも同じです。大問題です。しかし隠されています。水面下で起こっています。誰も話そうとしません。なぜそういう問題が存在するかわからないのです。多分再臨の主が来る時に、その関係をはっきりさせてくれるのでしょう。エバンジェリカルクリスチャンのマットバイオンのような人は聖書の観点からイエスは同性愛結婚を肯定しているといっています。同性愛結婚に対抗するウェブサイトまで出しています。同性愛は神のみから見て罪ではないと言います。偉大なヒーローとして持ち上げられています。ハーバートのような一流大学に呼ばれマスコミにも取り上げられています。彼は軍の工作員でしかありません。人々を扇動しています。宣伝しているだけです。サタンの軍隊の人間です。軍の司令官です。緑の軍服に赤の羽を頭につけるのがお似合いの人です。自分の頭で考えられないバカな若者を混乱させるのです。

彼らは学校でとても悪い教育を受けているのです。善と悪を見分けられないのです。エバンジェリカルクリスチャンでもそうなのです。統計を見ると、保守ユダヤ運動も同性愛結婚を認めているのです。エピスチカル教会、エバンジェリカルルセラン教会、アメリカプレスビタリアン教会、リフォームユダヤ運動、フランス協会、ユニタリアンユニバーサリスト、ユナイテッドチャーチオブクライスト、見分けることもできないのです。見分けようとすれば、差別しているといわれるのです。そうやって、おじけずかせ、考えさせないようにするのです。ローマンカトリック教会も双いう風にかた向いてきています。世界の政府をひどい、悪い方向に誘導しています。これが、21世紀の主要な、とても大きな問題です。愚かな者たちは、特にアメリカにおいて、分からない。主体を離れたらどうなるか。アメリカはキリスト教の国。主体はイエス。組織を超え、個人個人のキリストとの絆によってこの国は創られました。全ての繁栄はそのモデルからきているのです。地方統治、神様との直接の絆によって。他のどんな宗教からくるのでもありません。宗教の歴史を調べてください。私たちが讃える自由は,分散された社会で宗教改革によってもたらされたキリストとの直接の絆によってもたらされたのです。奴隷制度の廃止は宗教改革の後にきたという事実が現代国家でありました。

主体から離れるとどうなるかというと、別の主体が入ってきます。もしアメリカが今のようなことを信じれば落ちつづけます。

イエスは男と女が何をするべきか、いかに一つになるかということに対してはっきりしていました。もし見分けることができなければ、飲み込まれてしまいます。

天聖教1788にはなんと書いてありますか?フリーセックス、同性愛運動は人間の権利と尊厳性を破壊する行為です。このように見ると、現代の家庭、社会,教会の崩壊は頂点に達しており、いかなる個人も、いかなる思想も、いかなる力も立ち向かうことができない状態になっています。

同性愛運動をみると、政治的な問題になっています。平等のためにだはなく、政府の権力のためのものになっています。だから、政府を巻き込んで、誰が結婚できるとか、誰ができないとか、コントロールしようとするのです。真の自由の思想という者は政府の干渉には反対します。聖書に従い結婚したければそれでもいいし、ルシファリアンチャーチを立てたければそれも自由、あなた達のために祈りますが、強制的に止めさせたりはしないのです。でも政府の力を盾に

して全員に同性愛結婚をさせるようなことは、してはいけません。わかりますか?このことは、フェミニズムであろうが同性愛運動であろうが、社会主義、マルクス主義、同じです。力を中央に集めようとするのです。そうやって、資源を自分のために奪い取るのです。いつもこのように同じ間違いをしています。それが見分けられないと、国が破壊されてしまいます。それゆえにアメリカが国として破壊されてきているのです。

お父様ははっきり言っておられます。醜いものです。全体主義を作り出して、人権と尊厳を破壊するのです。どういう意味でしょうか?なん度も言いますが、政府に全ての規制をさせると、政府が全てをコントロールするようになるのです。それが全体主義、パワーです。オーヂガーキー、ファシズムです。お父様がはっきり警告しておられます。このような行為と、運動が、人間の権利と尊厳性を破壊する行為です. はっきりしています。

家庭連合に急激にこのリベラルな思想が入り込んできています。なぜでしょうか?愚かにも主体から離れてしまったからです。主体を離れたら、善と悪の判断ができなくなるのです。それで、自分の選択により、地獄へと歩いていってしまうのです。自らの過ちによって、他の悪なる存在により、苦しめられるのです。

恐ろしい悪魔ではなくあなた達のような人々です。嘲り笑うのです。一時は天国にいることができた人々です。今はそういう人たちと一緒です。とてもはっきりしています。主体を離れ、お父様の伝統から離れていくとき、神の主体性の話ですが、自由を失い、責任を失います。相対的な思想に陥るならば、共産主義、ファシズムに陥るのは明らかです。必ずそうなります。これが人々の愚かさです。

ですから、この祝福を通してお父様に帰るのです。神をたたえ愛するとき、最も偉大に愛することができる方を愛するのです。神の愛に照らされると私たちの足らなさが見えるのです。そうして私たちに神が、神の主体性が必要なことがわかるのです。神の主体性がなければ混乱します。いろいろな人や考え方に侵されてしまいます。彼らは完全にお金と権力のの虜になっているではありませんか?全てのリーダーシップがそうなっています。今審判を受けています。彼らの自らの選択によってです。神の前に帰っていくとき、目覚める人たちのために祈りましょう。憎しみの心からではなく、愛の心からです。大きな冷たい海で、沈みかけているタイタニックにおいて、愛のゆえに人々の目を覚まさせようとするのです。

Special thanks to Oceanus& the translation team in the US.


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