2016年1月11日月曜日

◆2016年1月10日 『安息日を守る』文亨進님 英語説教 全文

◆2016年1月10日 
『安息日を守る』文亨進님 英語説教 全文

家庭連合ではイエスを口にすることすらないのです。「イエス様ありがとうございます」ということすらできません。「お父様」というと「ではお母さまは?」と言われるのです。家庭連合は私が「父母を敬う」を守っていないと言いますが、私は父と母を敬っています。母を敬うから真実を語っているのです。嘘はつきたくないのです。

訳by oceanus



今、お父様の霊が注がれて、世界のいたるところで目を覚ま人が驚くべき速さで増えています。インターネットを通してこの礼拝に参加するだけで聖霊を体験するというのです。数々の奇跡が起こっています。それは単に「癒し」だけではなく「知恵」「善悪を見分ける信仰」を得るのです。霊の賜物はかくも重要です。

世界を見る時、多くの信じられない出来事が起こっています。世界経済は沈み込み、ヨーロッパでは(流入する)難民の問題で危機的状況です。新年早々、ヨーロッパの複数の場所で難民によって女性が暴行される事件がありました。文化的衝突が起こっているのです。

フィンランドで、イスラムの文字(訳注:アラビア語の落書きか)が何かで見つかった時、(政府は)イスラムとは言わずに難民だ、とイスラムを隠そうとしました。イスラム文化はキリスト教文化とかけ離れた部分があります。だから恐怖を感じ、冷静な判別ができません。

ニュースで見たのですが、レポーターがフランスの閑静な住宅の横を歩いていると思ったらその反対側には3000人もの難民が収容されていました。非常に不安定な状態です。文明の衝突が起こりつつあります。シュミタ(安息年)の翌年は戦争が起こる年であると言いました。過去2回のスーパー・シュミタ、1917年、1967年もそうでした。中東だけでなく、ヨーロッパでも文明の衝突が起こっているのです。一つの国が燃え落ちようかという時にも、「私たちは今、景気好調だ」などとアメリカのニュースなどで叫んでいますが、それは人々に誤解を招きます。なぜなら世界情勢はかならず家庭レベルにまで影響を及ぼすからです。

お父様を冒涜する者たちを激しく非難する一方で、自由の戦士が世界中で立ち上がっています。3年前に「審判の時が迫っている」と言ったとして誰がそれを信じたでしょうか。嘲笑されるだけでしょう。「荒野の王」なんていったら「荒野の狂人」と呼ばれるのがおちです。しかし今は彼らも「狂人」とは言わないでしょう。実際にことが起こり始めていますから。

イスラム法(シャリーア)と自由な世界を実現したキリスト教文化の違いをはっきりと自覚することなしに、ヨーロッパは難民政策として大量のイスラムを受け入れました。文明の衝突が起こるのは目に見えています。

家庭連合の立ち位置はどうですか。彼らはこの世における急進左派の立場に立っています。(深く考えず、ただヒューマニズムの立場から)難民を大量に受け入れるヨーロッパの国々と同じだということです。

急進左派が受け入れる政策をすべて受け入れています。これは彼らの神学についてもいえることです。韓お母様はキリスト教2千年の歴史はただ再臨主である独生女を迎えるためにあったというのです。再臨主とはすべての花嫁にとっての花婿としてこられるのです。その「花婿」が女性だというのですか。神学的レズビアンに陥ります。神学的姦淫者にとどまらず、神学的レズビアンだというのです。女性の「花婿」と交わるのですからそういうことになるでしょう。基本的に彼ら(家庭連合)はサタン主義、ルーシェル主義を教えているのです。完全に神様の王国と家庭を破壊する思想です。そして性的には中性。天のお父様とでも言おうものなら「性差別だ」と非難する始末です。「天のお父様」ではなく「天の父母様」だと。父と子と聖霊という聖書の伝統的教えから完全に逸脱しているのです。

最近彼らが言っていることを聞きましたか。アメリカは「長子国家」というよりも「長男、長女国家」と呼ぶべきだと言っています。家庭連合のトイレも男女共有型に変えられるのではないかと思います。(笑)まったく狂っています。プロテスタント・キリスト教、アメリカ革命を土台とする西洋文明を破壊する急進左派と共同歩調をとっているのです。

急進左派はプロテスタント・キリスト教をサタン視する一方で女性の権利をいささかも認めないイスラム法には寛容です。

イスラムが議論で決まって持ち出すのは「聖書のどこにイエスが神だと書いているのか」です。イスラムを研究しなければなりません。神様はイスラムの人々も救いに導かれたいからです。王の王に繋げたいと思っておられるからです。これはまた時間をかけて行っていきたいと思います。アメリカのどの教団もそれをいましていません。絶対にすべきです。

イスラムとキリスト教の違いをはっきりさせなければなりません。大きな違いがあるのです。ほとんど脳死状態の相対主義的思考に陥っていてはいけないのです。イスラムが・・というだけで人種差別と叫ぶ思考です。若者はここに陥りがちです。2つの違いを合理的、理性的に考えることもできません。

家庭連合も全く同じことをしています。伝統的キリスト教を破壊し、急進的イスラム法を持ち上げる。原理ではプロテスタントが再臨主の基台だということをはっきりと述べています。メシアは新たな宗教を作るために来るのではないのです。地上には何千、何万の宗教が既にあります。メシアはそれらを綜合しようとして来られるのです。(中心の)キリスト教文明をより強め、完成しに来られるのです。

私たちの立ち位置はこうです。キリスト教の兄弟姉妹と福音を守り、イスラム法や、共産主義、家庭を破壊する急進的フェミニズムではなく彼らと協同します。

家庭連合ではイエスを口にすることすらないのです。「イエス様ありがとうございます」ということすらできません。「お父様」というと「ではお母さまは?」と言われるのです。トワイライトゾーンの世界です。一体、2千年の歴史がどうして独生女のためにあったと言えるのでしょうか。それを認めることは神学的レズビアンを認めることです。それが家庭詐欺連合の姿です。新しい時代に合わせよう、(社会的に)寛容であろう…などと。

ひとたび中心であるお父様から離れれば、方向性において収拾がつかなくなります。結局サタンの餌食になるというのです。私が保証します。

世界で大きなことが起きつつあります。エコノミストは今年から来年にかけて1930年代に起こった世界大恐慌を上回る経済危機が来ると予言しています。中国経済のバブル崩壊などから失業率の増大、こう言うことが現実であってもマスコミは「オバマ大統領はこういった、ああいった」とストレートに危機を報じない。これはもはやプロパガンダです。周囲に迫る脅威を推し量ることができません。

異なる文明とは決して両立することはありえません!言論の自由、信教の自由、女性の権利などで決して(イスラム法などはキリスト教文明に)歩み寄ることはないのです。そういう文明が流入してきているのです。

誰もそれを口にしません。それをすると「人種差別だ」の非難を受けるからです。激しく攻撃される。宗教学的差異を語っているのです。その目指すもの、歴史的にどのような王国、政府を築いてきたのかという事実。

例えば、カトリックは決して天国を築くことはできないでしょう。カトリックは徹底したピラミッド型段階組織構造です。歴史的に世界政府を支持し、ヒットラーを支持し、世界共産主義をも支持したこともあります。そのようなイデオロギーが自由と責任に基づく天国を築くことができるはずがありません。なぜなら本体がピラミッド型組織であるからです。

イスラムの歴史を学ぶとよいでしょう。西洋人は「キリスト教は十字軍で多くの罪もない人々を殺した」などと叫びます。しかし歴史を見てください。400年にわたるイスラムの侵略の歴史があるのです。スペイン、ポルトガル、ウィーンやローマにまで迫ったこともあります。キリスト教の5大都市のうち3つまでイスラムの侵略に屈したのです。

戦争においても侵略戦争と防衛戦では大きな違いがあります。文明が他の文明に侵略されるとき反撃を加えるのは当然です。自分を暴行しようとする人間に反撃するのと同じです。それを自衛といいます。自衛権は基本的人権です。何百年にわたるイスラムの侵略行為と西洋の女性を拉致して性の奴隷として売り買いしてきた歴史を学ぶべきです。

イスラムの歴史を学ぶべきです。メディアの報道と現実とは異なるのです。イスラムは言論の自由を認めません。誰もこれを明言しません。テロが恐ろしいからです。(アメリカ国内では)50年にわたってキリスト教を攻撃してきましたが、イスラムが流入すれば結局、非難してきた者たちは孤立するでしょう。対抗する唯一の勢力、それはキリスト教徒だというのです。キリストの福音と自由のために生命を投げだす者たちです。「赤よりは死を選ぶ」です。

ここでの「赤」は共産主義を含む広く独裁を意味します。しかし「死よりは赤を選ぶ」人も多いのも事実です。しかし世界にはkタイプの人々がいます。彼らは文明を築き、守り、自由のために生命をも投げ出す。家庭連合はキリスト教は今、人気がないので同調しようとしません。しかし私は共に戦います。

家庭連合はむしろ全体主義に共感することでしょう。真の自由のために戦う者とそうでない者を区別する必要があります。地方分権自治を生み出したプロテスタントは執拗な攻撃を受けています。私たちの立場ははっきりしています。神様とキリストの側に立つと必ず迫害を受けます。家庭連合との軋轢は単なるウォーミングアップに過ぎません。

真の信仰者が原理に立つとき当然のように迫害を受けるのです。聖書も予言しています、避けようがありません。それを感じて逃げ出すとするなら、名誉ある人とは言えません。臆病者です。

「迫害するならするがよい、殺そうというなら試してみるがよい、私は生命をかけている。首を切り落とすがよい、私はそれでもキリストを拒みはしない」このように言える魂をもつ人が真実の人です。戦士の魂を持つ人です。共産主義はそれを好みません。私たちは人間の知恵で作られた制度、うすっぺらな構造物ではなく神様を信頼するからです。

家庭連合がサタン圏内にあることがはっきり見て取れます。そのレズビアン神学によると夫は妻のレズビアンを認めなければなりません。なぜなら花嫁が交わる花婿は女性なのですから。これで男性と女性による家庭が築けるかというのです。レズビアン家庭です。もはや迷信、盲目的狂信です。だから今、内部崩壊し、世界的に分裂し、日ごとに、手に入る「お金」もどんどん減っているのです。哀れです。彼らははっきりと自由を保証するキリスト教文明を破壊する側に立ちました。いいですか、人類歴史の99.9%は奴隷の歴史です。それを全世界的に廃止したのはキリスト教プロテスタントです。ところがいま、女性の権利などことごとく破壊するイデオロギーを持ち込むものを認めることが流行でありトレンディーだとみなされています。女性が性奴隷、男は奴隷になる世界ですよ!

あなたを守る価値を持っておられるのはキリスト、女性は神様をかたどって作られたことを知る善なる男性です。女性は誰の所有物でも僕でもありません。もちろん結婚生活では主体・対象の区別はありますが女性は男性の所有物ではありません。統一原理の四位基台はひとりの夫と1人の妻です。1人の夫と4人の妻ではありません。私がハーバードの学生時代、学生にある小論文の課題が課せられました。その課題は「メッカへの道のり」つまりメッカ巡礼の途中にある売春宿についてのレポートでした。メッカ巡礼者は途中何箇所もある売春宿に滞在するのです。彼らはその宿を「臨時結婚センター」と呼びます。イスラム法ではそれがまったく合法なのです。売春宿で過ごすことは一時結婚してすぐに離婚することとみなされるのです。完全合法です!

われわれとは全く異なる文明なのです。それは神様から来たものではありません。こういう研究を進めていくとニューヨークにいたとしても命を狙われるでしょう。正義に立てば危険な目に合うものです。それに慣れるのです。銃を携行しましょう。もちろん合法な形で。

自分の身は自分で守りましょう。格闘技を習いましょう。真実に立つために。

今後情勢はますます悪化するでしょう。宗教はあてにならないでしょう。それでは弱い。私たちはここで宗教を実践しているのではありません。(神様とキリストとの)関係を深めているのです。形だけの儀式。乾いたピラミッド型権力構造。骨まで浸透する腐敗。

一方、関係性には力があります。親なる神様、花婿たるキリスト、私たちの心である神様、そこに関係性を求めるのです。真の力を感じることができます。最悪の時をも超えうる力でです。

もちろん家族を守るための具体的行動は必要です。自分の5%です。しかし艱難の時を超える核心的な力はどこから来るのでしょう。それは神様との関係性から来るのです。

もちろん人々の怒りを買うでしょう。ある統計によると現在、最も迫害を受けている宗教はキリスト教だと言います。主流メディアは報道しませんが、シリアでは数十万のキリスト教徒が処刑されました。このように今キリスト教は世界で最も迫害されています。それは何故か。善なるものを知っているからです。自分の父が誰であるのかを知っているからです。

神学的レズビアンに陥った家庭連合が行ったことはキリスト教と比べることができません。キリスト教会に通う方が今の家庭連合に通うよりも数億倍もはるかに良いことでしょう。少なくとも神学的レズビアンを信奉しなくて済みます。これはまさに狂気の沙汰です。

キリストとの関係性がすべてです。だから私たちは父と共に過ごそうとするのです、個人的な関係性を追求するのです。瓶の中の魔神のごとく願えば夢のようなことを叶えてくれるお方ではありません。具体的なお父様との具体的な関係です。

(一人の兄弟を指さして)先週素晴らしい証をして下さった兄弟にもう一度拍手をお願いします。彼は2か月もの間自殺を考えていたというのです。常にズボンにピストルを入れていつ自分の頭を打ち抜こうかと考えていたというのです。悪霊が今の痛みがすべてなくなるからそうしろと彼に語りかけていたのです。

先週の礼拝で何人かの人に前にきてうつ伏せになるように私が行ったことを覚えていますか?あの日の朝、お父様が祭壇でうつ伏せになることを命じられたからそうしたのです。その時、彼が前に来てうつ伏せになりました。その時、悪魔が彼にささやいて「ここで自分がどれほど辛い思いをしているか皆に分からせてやれ。世界が見ているその中で今持っている銃で自分を撃て」と誘いをかけたそうです。その時前で若者たちが讃美の歌を歌っていました。その時私が「みんな真剣に歌いなさい。誰かの人生が変わるかもしれないのだから」と言ったのを覚えておられますか。その時彼の体から

真っ黒な霊が抜け出すのを見たそうです。まるで口から吐き出すように。そして解放されたといいます。

VimeoThe Living Word   Jan. 3  2016   Rev. Hyung Jin Moon   Sanctuary Church Newfound PA

一緒に昼食も食べたのですが、彼は素晴らしい人です優しく、しかも悪に対しては体を張って戦います。様々な話をする中で彼は色々な事情で将来の展望がすべて断たれたといいました。

そこで出エジプト記18章から

あくる日モーセは座して民をさばいたが、民は朝から晩まで、モーセのまわりに立っていた。 18:14モーセのしゅうとは、彼がすべて民にしていることを見て、言った、「あなたが民にしているこのことはなんですか。あなたひとりが座し、民はみな朝から晩まで、あなたのまわりに立っているのはなぜですか」。 18:15モーセはしゅうとに言った、「民が神に伺おうとして、わたしの所に来るからです。 18:16彼らは事があれば、わたしの所にきます。わたしは相互の間をさばいて、神の定めと判決を知らせるのです」。 18:17モーセのしゅうとは彼に言った、「あなたのしていることは良くない。 18:18あなたも、あなたと一緒にいるこの民も、必ず疲れ果てるであろう。このことはあなたに重過ぎるから、ひとりですることができない。

彼とこの内容について話し合いました。神様の命に従うことは重要です。十戒を下さいました。家庭連合は私が「父母を敬う」を守っていないと言いますが、私は父と母を敬っています。母を敬うから真実を語っているのです。嘘はつきたくないのです。また「安息日を守ること」とあります。これは勧告ではありません。戒め(命令)です。「安息日」というのは歴史的にユダヤ人家族が会堂に行って神に礼拝を捧げる日です。また家族でくつろぐ日です。神様と家族とくつろぐ日だということです。

戦争中の兵士でも休憩時にはサッカーをしたりするでしょう。

これまで私たちは、休むな、みんな頑張っているのだから休むことは自己中心的な考えだ・・・と言ってきました。このようにして十戒に背いてきたのです。私にとって、月曜が安息日です。この日は教会に関することは一切しません。電話もしません。私に電話したことのある人はお判りでしょう。神様と私は教会を通じてつながっているのではなく私自身で神様とつながっているからです。どんなことをしていようと神様とつながっているべきです。忙しいとこれを忘れてしまいます。

神様は月に一回でもなく年に一回でもなく週に一回とお決めになりました。毎週一回、仕事を休み、神様と交わるように決めておられるのです。山上のモーセのように。

そんな形であれ人々を導くときには安息日を守ることが大切です。指導者にはとても大切だというのです。あなたに従う人々や子供たちにとっても本当に大切です。

そこでその兄弟にこの前に休みを取ったのはいつですかと聞きました。すると彼は何十年間、まともに休んだ日はありませんというのです。神様との関係が希薄になるにつれて問題も起こってくるという関係を見ることができます。

必ず週に一日は神様と父と子として過ごし、子供とすごす神様の権利を尊重してください。お父様は安侍日によってすべての日を解放されました。神様の権利を奪わないで下さい。あなたがどんなに忙しくても関係ありません。神様の権利なのです。神様は子供たちとゆっくりと過ごしたいのです。神様も子供たちと遊びたいのです。ここに毎週来られる方も、何人の人が神様が子供と過ごす権利を愛しておられるでしょうか。

週一日というのは神様の命令であって推奨ではありません。選択の余地はありません。私たちが問題ではありません、神様が問題だということです。サタンが私のどんな所を一番憎むか分かりますか?それはお父様と楽しむことができるところです。

(家庭連合幹部は)お父様の周りにいて仕事をしていたかもしれませんが、馬鹿げたプロジェクトを立ち上げては大金を無駄にしていました。そういう連中とわれわれは闘わなければなりません。さもなければ結局日本の兄弟姉妹たちが犠牲になるのです。

私たちはお父様と共に楽しい時を過ごさなければなりません。船でお父様が食事をされるときも私はずっと歌を歌っていました。ある時、私は船室の屋根の上に座って釣りをしていました。するとお父様が「息子よ、何匹釣れたのか?」と聞かれました。

私が「今日は一匹もつれません」というと、「どうして一匹も釣れないのか?」と聞かれたので、「頑張っているのですが、(お父様のように)15本の竿を持っていません」と答えました(笑)。お父様も笑っていました、そこに愛があると分かっておられたからです。

私はお父様に面と向かって反抗したことはありません。お父様から見て私は「赤ん坊」でした。ちょうどおじいさんのひげを幼い孫が引っ張りまわしてもおしいさんが嬉しそうに笑う-そんな感じです。おじいさんはそれが楽しいでしょう?

関係性が大切なのです。私たちにとってそれが核心です。今すべてをさらけ出した家庭連合の組織上層部を見たとき、そのような関係を結びたいと思いますか?今そんなことをすると地獄に導かれてしまいます。火だるまの提灯とレズビアンを携えて。

私たちは生きた神様であられるお父様との関係が必要です。イエスとの関係が必要です。イエス様と共におられた神様はお父様とも共にいらっしゃるからです。

昨日、家内(ヨナニム)が素晴らしい証をしました。新約聖書は福音、つまり良き知らせである。救いに関する良い知らせ。私たちが罪びとであるにもかかわらずご自分が代価を払って救ってくださった。そのために十字架への道を進まれて血を流されました。それは私たちが何かしたからというものではなく、一方的な恩恵です。それが福音です。そして完成成段階は、福音と祝福です。霊的救いと肉的救い。救いの完成がそこにあるのです。

私たちはそれを与えられたというのです。神様と生きた関係を持つことが大切です。

これ以上に価値あるものはありません。迫りくる迫害を超える力を与えてくれるものはこれしかありません。

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