2016年1月12日火曜日

2016年 1月5日 韓国語説教■「生きたみ言」▼亨進様のみ言 3( 16分)


2016年 1月5日 韓国語説教
■「生きたみ言」▼亨進様のみ言 3( 16分)

皆さん、宗教を追求してはいけません。
私たちは、神様とお父様とイエス様との関係を追求しなければいけません。
関係!私達の御霊を養ってくれる関係。満たしてくれる生命水。
私は宗教が必要ありません。私は神様との関係が必要です。





こんな内容をしながら… 例えば、子供達が訓読会の時に、聖書も読むし、お父様の御言葉も訓読します。子供達は幼い時に聖書も学ばなければいけないので。基盤になりますから…
聖書を持って、ここには聖書の聖句がざっーと出ています。この中に…。
皆さんこれが無くても大丈夫です。これが無くても聖書の御言葉ですればいいですよ。じゃあ、最初の子、御言葉を捜して見よう!
例えば…例えば、やってみて。早く早く、考えないで!考えないで!聖書の導きに従って!
早く早く選んで!早く!


(ヨナ様)「これは、モーセがヨルダンの向こうの、スフの前にあるアラバ 荒野において、すなわちパランと、トペル、ラバン、ハゼロテ、デザハブとの間で、イスラエルのすべての人に告げた言葉である。」
申命記。申命記に出てくるでしょ、これは。モーセに対する話。皆さんは全ての環境、全ての内容が理解できなくても、モーセは知ってるじゃないですか!モーセ!では子供達に聞くことが出来るでしょ。「じゃあ今から考えてみよう。神様がおまえに下さった御言葉に対して考えてみよう。」
モーセはどんな方だったか。そうでしょ?では、子供がどうやって答えますか?
「モーセはどんな方だった?」
(ヨナ様)「モーセはエジプトの王子だったんですが…」
ああ
(ヨナ様)「人を…エジプト人を殺して、ミデヤン荒野に追い出されてから、また戻ってきて、神様にもう一度出会い、エホバに出会ってから…また帰ってきてからイスラエル民族たちをカナンに導いた…導いた先知者だった。」
先知者だった.…こういった内容を通して、神様はお前に何を見せようとされていると思うか、考えさせるようにするんです。考え!神様の御言葉をただ何も考えないで、ダーダーダーダーと読んでは駄目です。考える時に、聖霊が降りて来て、聖霊が私たちに知恵をくれます。知恵を。考える時に…聖書の御言葉を、神様の御言葉を考えれば、聖霊も降りて来て、私達の霊人体と私達の肉体と共に…知恵を下さり、知識も下さり、神様の様ないい知識を下さり、それを理解する能力を下さいます。ずっとその一節を見ながら、格闘をし続けなければなりません。格闘!ヤコブの様に。天使と格闘しなければいけないでしょ。格闘。格闘!格闘!


そうしながら考えて考えて考えながら、聖霊がぴたっと皆さんを悟らせてくれる様になります。しかし神様の御言葉から遠く、御言葉を一度も触りもせず 開きもせず、見もせず、考えもしないとすれば、神の導きをどうやって受けるというのですか?皆さん。これは本ではないです。本ではないんですから…これは人です。人!人です。


それからいたずらもしながら、お父さんと討論して、2番目の子、3番目の子…と、こういう風に。 うちの子供たち皆一緒に、大人達も一緒にします。この様にしながら、訓読会を神様の御言葉を受けて、その次に考えて、お父さんと一緒に討論しながら、色々と深い深い内容が出てきます。子供達も神様の御言葉と自分の生活を理解出来る能力も上がります。御言葉を読んで考えるから。そうでしょ? 皆さんもこういうプレゼントを皆さんの家庭、夫婦、子供達に与えるならば、2016年、神様の大いなる福を受けられる事と信じます!アージュ!
じゃあ、ここでも、この様な本もあげます。ただで、うちの教会で。うちの教会に来れば、本とコネクションカードを…
色々な私に対する情報、私が何に関心があるのか…奉仕がしたいのかどうかとか…そんなカードがあります。そのカードを出せば、ただでこの本がもらえます。


この本は本当に美しい本です。この本は、「大工より偉大なイエス様」という本です。一般の大工よりもっと偉大なイエス様。この内容はキリスト教の人が書きました。キリスト教の教授と神学家たちが書いたんですが、この内容は若い人たちに説明するものです。
若い人たちが、 どうやって科学的に物理学的に、芸術的に、歴史的に、どうすれば自分は現代人なのに2000年前に生きたイエス様を理解出来るのか…こういった本です。この本は本当に美しいです。この作家が、無神論者でしたが、この人が、「イエス様は偽者だった。イエス様は偽者で、イエス様を信じる者は愚かな中世期の宗教、中世時代の宗教に従う者たちだ!私は現代の教育を受けた無神論者として、この人たちがどれだけ愚かなのか見せてやるんだ」と言って、イギリスまで行ったそうです。イギリスまで行って、研究に研究を重ね続けていたころ、タクシーに乗ってある人に出会ったそうです。そしてその人に尋ねてみたそうです。「あんたはイエスに対して聞いた事あるか?」と。ところがその人は、イエスの名を聞いた途端、怒り出しました。「とんでもない!あんなのはでたらめの内容だ!偽者だ!イエスは、オサイレスとかエコフとか神話に出てくるのと同じことだ!」と怒って言いました。


そしてそれを見て、自分が大学生だった時ある女の子と話した事を思い出し、女の子は人生が完全に変わってしまったと(その時)言っていました。
その子は人生が変わってしまったというので、「あなたの人生がどうやって変わったの?」と訊ねると、その女の子は「イエス. キリストです。」と答えました。そこで、その男は、「なんだ!気でも狂ったのか!そんなもん…宗教なんて詐欺に決まってる!私は現代人だから宗教が詐欺だって事分かるんだ。」とその子に向って言ったそうです。女の子は何と言ったでしょう?こう言ったそうです。
「私は宗教なんて言ってないでしょ?私が変わったのは宗教ではなかったんです。イエス. キリストです。」このポイントを掴む事が出来ますか?皆さん。イエス. キリストと関係しているのは宗教ではありません!宗教ではないんです。宗教は、ある組織という様な内容ですが、私たちが追求するのは、宗教ではありません。私たちが追求しなければならないのは、神様との関係です。関係…


たとえ息子,娘であって血統が同じだとしても、(神との)関係がなければ、その関係は.弱いです。どんなに血統であったとしても….。関係が深くなれば深くなるほど、その関係、その愛が深くなります。そうでしょ?


世界のシック達が悟るようになり、世界各国で聖殿がどんどん現れていますが、皆さんにこの御言葉を全て伝えます。
皆さん、宗教を追求してはいけません。
私たちは、神様とお父様とイエス様との関係を追求しなければいけません。
関係。生きた関係、死んでいく宗教ではなく、生きた関係。 生命のパン。生命のパン。
生命水、生命のもち,…韓国語ではそうですね。関係!私達の御霊を養ってくれる関係。満たしてくれる生命水。
私は、一生涯宗教を勉強して来ましたが、一切宗教を止めました。私は宗教が必要ありません。私は神様との関係が必要です。


私はお父様に仕える前、仏像もあったし、イエス像もありましたが、何故私がそういった物が好きだったのか考えてみたところ、それは神様との関係がなかったからでした。なので人間が作った物であってたとしも、そのイエスを見て感動を受け、イエスは本当に美しい、という様になるのです。
しかしお父様と一緒にずっと生活した後、お父様が聖和されてから、私がのどが渇いてしまったのは何だったでしょう?仏像?全部捨てました。何にのどが渇いたのでしょう?関係!!お父様との関係!これにのどが渇いていたのです。これを触りたかったのです。もう一度…
イエス像だのマリア像だの全部捨てました。本当に不思議でしょ?ここに来た時、イエス像、マリア像をうちの前で見たのですが、ひょうが降って来て、そのマリア像を完全に壊してしまいました。
わあ。カトリック教は小さい信仰なので、本当のキリスト教ではありません。マリアが罪のない独生女だと信じているので、韓氏オモニと同じです。バビロンの神学に。だから神様はその神学の上に来ません。プロテスタント、主幹組織のない宗教。神様との信仰、お父様は私たちに何をくれますか?
信仰を超えて、信じる事を超えて、祈祷を超えて、関係!血統!関係。一番深い、関係。これを私たちは願わなければいけません。私は他のものは要りません。私はお父様を願います。そうでしょ?
その関係が私の御霊を満たしてくれます。でしょ?この様な内容を通して。この本にこんな美しい証しが出ています。とても有名なケ-ンブリッジ大学で、シ-エスド-という教授がこの様に言いました。人々は私にこの様に言う。「私はイエス様を偉大な聖人、あるいは道徳の先生として受け入れる。しかし神様として受け入れる事は出来ない。それはちょっと。イエス様は偉大な先生ではあった。仏様のように、孔子様のように、モハメットのように…しかし神様だというのは、それはおかしい。」
そこでその教授が言うには、もし人々がその様に言うならば、それは一番愚かな言葉だそうです。
何故か?イエス様が本当に道徳の先生だったなら、とても悪い先生でした。とても悪い先生、何故?いい内容を生徒に見せなければならないのに、自分が神の息子だと言い、自分が世の光だと言い、自分が罪を許す事が出来ると言い、自分で狂った言葉をたくさん言いました。私を見れば、神を見るのだ、とこんな事も言いましたよ。イエス様は。ヨハネの福音書で見てください。もしイエス様が道徳の先生だったら、その内容を生徒に教えるならとても悪い内容でしょ。傲慢にするでしょ。傲慢にさせる事でしょ、これは。イエス様が何をしたのか知らない人はこの様に言います。なのでこの一部分で、こう言います。「イエス様は、ほらふき、狂った者、あるいは主だ。」
“私を見るものは神を見るのである”、“私を知る者は神を知るようになる”、
“私を信じる者は神を信じるのである”、“私を讃える者は、神を讃えるのである”栄光をお返しする事だ。この様な言葉は狂った言葉でしょ。もし、イエス様が神と一つでなければ、こういう事を言うのは一旦嘘でしょ?少なくても、イエス様が本当に神様とひとつでなければ、イエス様はとても悪いほらふきです。

またイエスは弟子に、私に望みなさい。私を信ずればあなた方は永生をうけるだろう。ではその先生に完全に命までも永生までも捧げて、望まなければならないのに、もしその方が神でなければ、神と一つでなければ悪魔、悪いサタンでしょ?とてつもない詐欺を仕出かすサタンでしょ。人々の永世を地獄に送る悪い奴でしょ。そうでしょ?ほらふき、サタン、悪魔。しかし、イエス様がもし合っているなら、本当にイエス様を見るときに神を見ていれば、イエスの言葉を神の言葉として聞いていれば、もしそれが合っていたなら…それは私たちを救って下さる主であるでしょう。この二つのうちから私たちは選択しなければなりません。

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