2015年9月11日金曜日

2015年9月6日説教 文亨進師 「神様の王権」 【英語説教日本語訳】




神様の王権
2015年9月6日
今日は神の王権についてお話しましょう。
ヨハネの黙示録を一緒に読みましょう。(21章22節から27節)

21:22わたしは、この都の中には聖所を見なかった。全能者にして主なる神と小羊とが、その聖所なのである。
23都は、日や月がそれを照す必要がない。神の栄光が都を明るくし、小羊が都のあかりだからである。
24諸国民は都の光の中を歩き、地の王たちは、自分たちの光栄をそこに携えて来る。
25都の門は、終日、閉ざされることはない。そこには夜がないからである。
26人々は、諸国民の光栄とほまれとをそこに携えて来る。
27しかし、汚れた者や、忌むべきこと及び偽りを行う者は、その中に決してはいれない。はいれる者は、小羊のいのちの書に名をしるされている者だけである。
2001年1月13日の神様王権即位式での宣言文をもう一度見てみることにしましょう。
「天国の憲法第一条は(1)血統を汚してはならない。血統を保持し、完璧に清く保つことが目的である。 そうすることで血統の純粋性を永遠に保つことができる。神様の愛、神様の生命を通して相続した祝福された血統は堕落世界に蔓延する慣習的行為によって汚染されてはならない。(2)人権を蹂躙してはならない。(3)公金を盗んではならない。公的資産を自分のために用いてはならない」であることを真の父、メシア、再臨主、万王の王は宣布された。

次に天聖経227から一緒に読みましょう。
「カインとアベルが完全に一つになるとき、この王権は永遠、不滅の王権となる。金日成は自分なりの三大主体思想を持っていた。自主、独創性、意識がそれである。しかしこれは人間中心であって、本然の主体を欠くがゆえに完全な理念と見做されない。」
これは先週、いろんな人が撮った写真のスライドです。お父様の聖和三周年記念式の時のものです。歓迎接待のチームが世界各国から訪れた人びとを出迎えました。国進兄さんも皆に挨拶していますね。歓迎チームだったのでしょうか。そしてここでは真のお父様に伝統に従って捧げ物をしました。また聖酒式と共に祝福の意味について特別な教育を行いました。
また式典の最後にある儀式を行いました。そこで国進兄さんが王であるお父様に従順に屈伏してお父様が願われた通りに弟の頭に王冠をかぶせたのです。人類史上で前代未聞のことです。カイン・アベルの歴史は失敗の歴史であり、殺し合いの歴史であり、父を中心に一体化を成したことはありません。自分達の願いではなく父の御心を中心に一体となったのです。これは凄いことでした。この時私は霊的に圧倒されて顔をあげることができませんでした。ただただ涙を流し続けるしかありませんでした。皆さんには離れていたので分からなかったかもしれません。この時のことは表現できないほどです。自分を抑えることができませんでした。まさに歴史的な事件でした。
(戴冠の場面では)私たちは涙を流し続けました。また国進兄さんは儀式を執り行っただけではありません。王冠も兄さんが準備しました。お父様の御心だと知っていたからです。ここでは泣きはらした目をして写真に写っていますが、本当に信じられないような出来事でした。

この写真は聖酒を渡しながら祝福についての教育をしているところです。世界各国から参加した人々が聖酒を飲みました。
世界から集まった人々を見て下さい。救われた人々です。同じ時、韓国では50人入れば満員の部屋になんと130人もの人が集まりました。定員の3倍もの人が集まったのです。神様の聖霊が世界中で力強く働いています。神様の権限、お父様の権限に戻ろうとする人々が日ごと週ごとに増えています。まさに指数関数的に増えています。これだけの兄弟姉妹が集まり壮観ですね、しかしインターネットを通じて参加した人たちもいるのでここに写っている人数だけではないのです。
Vimeo Sanctuary Church Sunday Service  Sept. 61th  2015
天聖経270を読みましょう。
「イエス直系の息子・娘の出現と共に王権と真の王家がこの地に初めて根を下ろし一つの世界を造るのです。そうすればキリスト教の教団も教会も必要なくなります。バチカンも必要なくなるというのです。民主主義も必要なくなるのです。民主主義は兄弟愛に根ざす理念です。だから人は闘うのです。兄弟とは闘うものだからです。兄弟愛の理念から父母中心の理念、神様中心の理念、神主義に戻らねばなりません。」
この内容を理解することが重要です。先週の式典は密度が濃くて、重要な行事が次から次へと行われました。その意味意義を把握する余裕がありませんでした。これから一年間かけて解説していくつもりです。そこでの内容の一つは、民主主義は最後には失敗するということでした。その300年の歴史は失敗の歴史でした。この国(アメリカ)も共和制で始まり、民主主義を採用したのです。民主主義では多数の力によって人権が否定されます。これによってギリシャに始まるあらゆる民主主義政体が失敗してきました。また民主主義原理に基づく体制を作った国では、ひとたび多数派が少数派の人々の権利、言論の自由、信仰の自由を否定することができると知りそれを行使することで失敗してきたのです。今、アメリカでもそうではありませんか。同性婚に賛成しなければ訴えられてしまいます。憲法上の権利が認められないのです。多数派が自分達の考えを強制するのです。これが民主主義が失敗し堕落するパターンです。
これをお父様がおっしゃるのです。歴史を見ても民主主義は続かないということです。神様中心でなければなりません。神様中心の国家。国民でなければならないのです。またこれに関しては先で述べます。

(写真を指しながら)これは聖婚問答を読み上げているところです。聖婚問答が終わった時、引き続き、宣言(宣布)をしようとしました。「これから宣言をします。黄色の封筒を持ってきて下さい」と私が言った時に一瞬凍りつきましたね。針が落ちる音も聞こえるかと思いました。皆必死になって黄色の封筒を探したのです。最後の瞬間、まさに人権宣言そして神様との誓約の宣言をしようとしたときに悪魔の攻撃にあいました。どれくらいの時間が経ったか分かりませんが私には永遠の時間に思えました。最後の瞬間にある力が妨害してきました。エルダーさんがプリンターに走って行って急いで打ちこんでやっとの思いをして用意が整いました。いかなる試練もキリストに強くつながるときに克服できるということです。こうして人権宣言をしました。
その後、こうして皆で子供達も一緒にエンターテイメントを楽しみました。次の週は心情のローラーコースターを体験しました。韓国のメンバー達と一緒にいてまさに韓国ドラマの様なダイナミックな心情の起伏、あるとき笑ったかと思えば次の瞬間には泣きだす、そして次の瞬間、億万歳を叫ぶという様なふうでした。滝にも行きましたし、荒野を裸足で歩くこともしました。滝への道で迷子になったりしながらも、周りの大自然を楽しみました。野生の食物を採取したり水を飲んだりしました。途中で道に迷ったりもしましたが、荒野で素晴らしい時を過ごしました。
Vimeo The Kingship of God   Sept. 9  2015   Rev. Hyung Jin Moon  0anctuary Church Newfoundland PA
またきれいな滝があったのですが、皆、中には泳げない人も自分が泳げないことを忘れて飛び込んでしまうのです。この深さです。また2、3歩後ろに行くととても滑りやすい岩がありそこで滑りでもして頭から水に浸かると泳げなければ大変です。この女性は泳げないのですよ。なのに飛び込んでしまいました。皆に「落ち着いて下さい。まだ霊界に行ってはいけません。まだ時ではありません。」と言わなければなりませんでした。水でバプテスマをしたのですが皆さん「アボジ、天のお父様、億万歳!」と叫んでいました。
Vimeo The Kingship of God   Sept. 9  2015   Rev. Hyung Jin Moon 2  Sanctuary Church Newfoundland PA
横にいる人と比べて滝の大きなことがおわかりでしょう。荒野の奥地にこのような美しい秘境があったのです。この方は韓国のハマダ・ユミさんです。彼女は真の闘士です。大きな迫害を受けて来られましたが、ご覧の通り彼女は力強くサムライのようです。彼女のフェイスブックのページでは「サンクチュアリに行きました」と言ってどんどん写真をアップしています。韓国のグループの帰路では、食用の植物を採取しながら荒野で楽しい時を過ごしました。私の息子も荒野では必携の5C(サバイバル用キット)を持って参加しました。ルートビアの味がするサッサフラス(クスノキ科サッサフラス属の樹木の総称)の根を掘ったり、木や草の色々な効用を確認しながら歩きました。天国のために神様が用意されたものを体感しました。

自然とあまりにもかけ離れた生活をしているので歩いても周りが見えません。普通、重いブーツをはいてドシドシと歩くので自然の生き物は離れた場所からでもその気配を感じて逃げ去ってしまいます。ところが靴を脱いでゆっくりと歩くと鳥の鳴き声やすべての物音、動物たちが逃げていく様子などを音で聞くことができます。地面の湿り具合や肌触りなどを感じることもできます。(写真を指して)これはベイトガ(米栂)の根を調べているところです。有毒な方ではありません食べることもできます。鳥は警告の鳴き声をあげて他の動物もそれを聞いています。荒野のへブル語はMidbarでその語源はdabar、み言です。荒野に行けば神様のみ言と出会うということです。

それからグレッグさんの農場に行き、パーマカルチャーの仕組について学びました。真の持続可能性の追求です。政治家が国民の税金を使って主張する持続可能性とは全く別物です。言葉の真の意味での持続可能性、人が自分の土地、家などの真の所有者として、それらの価値をより健康により豊かに持続的に高めていく手法です。グレッグさんが採用しているパーマカルチャーはそこに投入すればするほど年々、より少ない手間でやっていけるようになります。神様が創造された自然の生態系、循環系を理解することの素晴らしさです。
これは全く新しい農業のアプローチです。小さな家庭でもこのやり方で自分達を養える、自給自足できるというモデルを提供しています。単に既存の頼り合うシステムにはない、自然の持つ意味を理解して運用するものです。

またブルーストン農場では素晴らしい食事を頂きました。また丸太を切る機械での実演もありました。楽しく交流ができたと思います。ある韓国の方が証の中でこの農場での体験がとても素晴らしいといっていました。なぜなら今まで私達を宮殿で遠い所から何千人の人々の中で見て来たが、今回、岩の上に一緒に座ったり気さくに自分の所に来て話しかけたりしてくれるということを初めて体験したというのです。
Vimeo The Kingship of God   Sept. 9  2015   Rev. Hyung Jin Moon   Sanc3tuary Church Newfoundland PA
国進兄さんも韓国人グループに気前よく農園を解放してくれました。彼らもささやかながら荒野の雰囲気を体験しました。恵まれていましたね。氷点下の寒さでもなかったですし、大きなテントにプロパンガスもありました。ブッシュクラフトではありませんでしたね。お湯のシャワーもありました。しかしソウルなどの大都市に住む人は普通、体験しないことです。寝袋の正しい使い方も覚えましたし、適切な体温調節も習得しました。
国進兄さんの農園には家族を養う動物を放し飼いで飼育しています。放し飼いの鶏です。そして夕食では私たちも参加して楽しく過ごしました。いつもはボディーガードに囲まれて黒塗りの車の車列の中に見ていた人物が、「さあさ、ここに座って食べましょう」という姿にかなりショックを受けたようでした。彼らはそれを大層喜び、楽しい時を過ごしました。また韓国の兄弟姉妹は私達をテントに入れて、韓国式の挨拶をしたいと言い出しました。式典の中で十分には敬意を込めて丁寧に敬拝できなかったので国進様に敬拝を捧げたいというのです。彼らが言うには全人類を代表するカイン圏の子女としてアベル代表格の国進様に最初の敬拝を捧げて共に王冠を捧げた立場に立つことを願うというものでした。そういう訳で私も問答無用でテントに連れていかれました。そして国進兄さんに敬拝を捧げました。
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その後もテントのなかで楽しく過ごしましたが、私は南米ジャルジンにお父様と行った時わずかなメンバーと過ごした時のことを思い出しました。ブッシュクラフトをするときは氷点下で訓練をしますが、ここはそれに比べればとても快適で贅沢なものでした。何というか霊的導きでしょうか、私もサバイバル用ズボンに入っているものを全て彼らに見せました。ビデオでは紹介しているのですが。5つのサバイバルキットのことです。

アジア人は言葉の背後の意味を読もうとします。西洋人のように直接的には語らずに、間接的に語って文脈から伝えようとします。西洋の人には理解し難いところです。マタイ福音書何章何節から・・と直接的に言う代わりにサバイバル用ズボンの話になりました。それは私たちが宮殿を追い出された、裏切りを目撃して来たという大きな話の流れから生じたものでした。進むあてなく神様とキリストだけを頼りに過ごしてきたこと。
ただサバイバルキットが問題ではないのです。西洋の人は何をしているのだと思うかもしれませんが、大きな背景の流れがあるのです。なぜ火起こし棒を見せただけで日本の女性や韓国の老婦人が泣くのかといぶかしく思うかもしれませんが、彼女たちはこれまでの経緯(いきさつ)を全て知った上で涙を流すのです。お父様が私に王冠を被せたことは周知の事実です。誰もが私を後継者だと認識している。それにもかかわらず宮殿を後にせざるを得ませんでした。そして現在のこの状況です。

この3年間のことで韓国と日本のメンバーは大きな「恨(ハン)」を抱えています。なぜなら彼らは実際にお父様を間近で見て来たからです。「恨」は消化することのできない痛みです。言い表すことの出来ない、深い所にある、自分でもその正体を掴むことのできないもので、それでいて心情的に圧倒されます。そして「恨」の核心は、とんでもない悲劇に襲われながらも自分ではそれをどうすることもできない所にあります。自分ではどうしようもないという全くの無力感です。
そういう感覚が理解できるでしょうか。もし理解することができなければ何かで調べてください。50を超える意味内容が出て来るでしょう。
英語で表現することが本当に難しい言葉です。しかし現実に存在します。韓国人は5千年にわたり抑圧を受けてきました。ほぼ平均5年ごとに征服され、凌辱され簒奪されました。中国の漢、蒙古、日本など様々な大国によって征服されました。ですからこの「恨」は絶え間ない暴力と凌辱の繰り返しにもかかわらず、小国であるがゆえにどうすることもできなかった難しい現実に根ざしています。これが「恨」の背景です。「ああ気分が悪い」という様な簡単なものではなく長い背景があるのです。
VimeoThe Kingship of God   Sept. 9  2015   Rev. Hyung Jin Moon   S00anctuary Church Newfoundland PA
このとき皆さんに道具を見せているのですが、皆で笑っていますね。これは背景を知らないことには非常に奇妙な風景に見えるでしょう。ブリキ缶を見せているだけなのに何がそんなに可笑しいのかと。アジアの兄弟姉妹の背景を理解しなければそれはわかりません。また、私はこのあいだ貰った保安官バッジを皆に見せながら、天国では王も警官であり軍人であることを話しました。すべての人が家族や自分を守るための武器を持つ権利を持っています。自由な男女にとっても義務が重要です。
一つ一つの物を見せていることが実はこの間の大きな流れに関わっているのです。人々は泣き、笑い、素晴らしい夜のひとときでした。またこのときの映像をアップするつもりです。ペンシルバニアの農場の中に立てた小さなテントの中で祈り、億万歳をしました。驚くべき聖霊の恵みでした。翌日には国進兄さんの工場見学をしたのですが、国進兄さんは建ったばかりの様々な施設をまわりながら説明してくれました。
VimeoThe Kingship of God   Sept. 9  2015   Rev. Hyung Jin Moon   Sanctuary Church1 Newfoundland PA
皆さん、神様が国進兄さんに賜った恵みを感じてとても感動していました。これらは国進兄さんが10年くらい前にアフリカで狩りをした動物のはく製です。
VimeoThe Kingship of God   Sept. 9  2015 2  Rev. Hyung Jin Moon   Sanctuary Church Newfoundland PA
皆がこれらの(動物)を取り囲んで、集まって写真を撮ったりして大騒ぎでした。
その後、会議室に入ったのですが韓国の兄弟姉妹であふれかえりました。サンクチュアリ教会でも礼拝が終わってから3時間4時間、時には8時間も話し続けることがありますが、考えてみてください、彼らは3年間も私達に会うことができなかったのです。話すことも聞くこともできず、YouTubeで見るしかありませんでした。3年後にようやく来て一緒に話すことができました。

前日には日本からのグループ、この日は韓国からのグループと話をしたのですが二つのグループの違いがとても際立っていました。

日本の人たちの質問の大半が組織の在り方についてでした。どのように日本で組織を作って活動していくのか。長年、中央主導のヒエラルキーに慣れています。私はこう言いました。「いえ、そう(中央主導)ではありません。江利川会長を中心とする公式(official)のサンクチュアリ教会を立てますが、それとは別に独立教会も公認していきます」。それを日本の皆さんが大変理解に苦しんだのです。そのような形でどうしてやっていけるのかと疑問に思うのです。こういう訳で2、3時間の話の内容はほとんど組織作りについての話題に終始しました。
次の日は韓国からの人たちと話したのですが、彼らは組織についての話をひとこともしませんでした。受けた質問は「いつ審判が起こるのでしょうか」「いつ韓国から逃げ出せばよいのでしょうか」などです。

兄弟姉妹達と話をすることはとても楽しいことでした。長年会っていない人達です。もちろん何人かはソウル(天福宮)で知っている人達もいましたし、日本人宣教会で一緒に活動した人もいました。再会することで私自身も感動しました。ハグするとただただ泣くのです。言葉にならない思いが通じるからです。

次の日、韓国のグループが礼拝を行いました。その時間は3時間半に及びました。礼拝というよりはむしろ親睦会でした。ここでも12時から12時半頃まで礼拝した後多くの人が5時6時まで残りますよね。ちょうどそのような感じでした。
李教会長はじめ色々な人が証をしました。私も15年前の狩りでの惨めな体験を話しました。狩猟は自然に対する敬意の証とは思えなかったからです。動物を殺し、その血を飲む。それに加えて、その時、一日中兄達から色々言われたことも原因になってそれから15年以上狩りには行かなかったのです。

ところがペンシルバニアに来て国進兄さんが狩りについて話す内容を聞きました。それは非常に進んだ考え方でした。猟の獲物をさばく時の思い、動物の命を奪うことについて意味深いことを話してくれました。重い責任感を感じなければならないというものです。動物の命を奪ってそれを食べて自分のカロリーにすることは、より大きな目的のために資するものではありますが、感謝の念を持たなければならない。この話をしたとき泣く人もいました。この話を聞いて、国進兄さんの狩猟についての哲学を知りました。それを知って私はもう一度狩りに行ってもいい、狩りを学ぼうと思いました。動物に対する支配の思いではなく生態系についての考え方を知ったからです。
VimeoThe Kingship of God   1Sept. 9  2015   Rev. Hyung Jin Moon   Sanctuary Church Newfoundland PA
皆にビリー缶を見せていますが、このとき「われわれにはこれさえあればいい。宮殿は必要ない!」と叫びました。荒野に出ても宮殿生活を引きずっているなら5分も経たないうちに死んでしまうでしょう。荒野で役に立つのはロールスロイスではなくこのビリー缶です。
そして最後にお父様がお好きだった歌「心の自由天地」を皆で歌いました。心の中の壮大な自由を歌う歌です。たとえ王冠をもらっても自然の中を好むという歌詞の歌です。お父様はこの歌を好まれ、事あるごとに歌っておられました。韓国の兄弟姉妹と一緒にこの歌を歌っている間、皆泣きむせびました。お父様の霊を感じたからです。まるでお父様と一緒に歌っているようでした。
また翌日は電動工具を使わずに丸太を削ってつくる丸太小屋の屋根組の作業場を紹介しました。すべて手作業で子供も女性も参加して作業を進めているものです。そしてその荒野で忠清北道の指導者夫妻に祝祷を授けました。大学の先生ですが非常に能弁な方でした。
私たちは神様王権即位式でお父様が発表された天一国の法を見ました。
(1)血統を汚してはならない。血統を保持し、完璧に清く保つことが目的である。 そうすることで血統の純粋性を永遠に保つことができる。神様の愛、神様の生命を通して相続した祝福された血統は堕落世界に蔓延する慣習的行為によって汚染されてはならない。(2)人権を蹂躙してはならない。(3)公金を盗んではならない。公的資産を自分のために用いてはならない。
先週(8月30日)の儀式で理解しておかねばならないことは「人権の内容は神様が決める」ということです。アメリカの建国の父達は抑圧的独裁的な国を逃れてこの地にやってきました。そうしたヨーロッパの独裁的金融システムなどを見て来た彼らは神様が人間に与えられた権利のために戦い血を流しました。不幸にもそれは政治的な文書として書かれたがゆえに世界は政治的なものとして捉えました。また合衆国憲法の中でも人権は修正条項として組み込まれました。8/30の式典の力強い特色は人権条項(権利章典)を神様と人間の誓約である憲法の一部として取り入れたことです。人間同士の誓約ではなく、神様から賜り人間が授かった誓約です。そこでは王権の範囲、王権の内容も明らかにしています。憲法の中で明文化されるでしょう。これまでの堕落した王権で見たような絶対王権ではなく、そうならないように制約が課せられています。

神様の王国はサタンの王国と全く別のものでなければなりません。サタンの王国では常に王が全てを所有し国民は奴隷のような状態でした。お父様もはっきりおっしゃいましたが、神様の王権はその逆です。人々が天使長(政府)の僕ではなく、国の所有者となるのです。そして天使長(政府)が僕です。これは「自由社会」でも「原理講論」でも明らかです。王国は必然的に「国民国家」となることでしょう。

堕落した教会は偽りの憲法を発表しましたが、そこでは実質的に全世界の人民が「清平」の僕になるというものです。その最初の2ページを読んだだけで貴族・特権階級による政治そのものであり全体主義国家のそれであることがわかります。
人権条項、権利の章典もなければ国民の権利の規定もありません。権力のあり方のみ記述するだけで、ピラミッド型ヒエラルキーの終わりなき権力構造を延々と列挙しているだけに過ぎません。これは全体主義への道であり、今の組織が地獄のようになり組織にいるのが耐え難くなっている理由です。サタンに支配されているからです。彼らに国民国家があったとしてもしそこにその憲法を押し付けていたとするならば全体主義よりももっと酷いことになっていたでしょう。神側、神の王国ではないからです。なぜなら三大天法の二番目は人権、つまり市民の権利はいかなる権力も蹂躙してはならないと規定しているからです。ここに大きな違いがあります。

人間の権利は政府や権力が付与するものではありません。神様によって与えられたものだからです。ですから天一国憲法では人権に関する規定は修正条項に押し込めるのではなく正式に権利第1項、第2項、第3項、第4項…と定めるのです。そして王権の範囲ですが、王権は国を支配するためのものでも、王の名声のためにあるのでもありません。王はただ王と国民の間に結ばれた誓約を維持し保護するために存在します。そして外部から天使長や巨大な独占、巨大な金融機構、大企業が介入して国民の権利を侵すことのないように守るのです。大きな違いがあります。堕落したサタンの王国のための王権ではなく誓約を護り、保持するための王権です。
アメリカではどうでしょうか。多数決制を採っています。共和制から始まって現在は民主主義国家です。もしもそこで多数の民衆が正しいと見做している事がらにひとたび反論すると人は「ヘイトスピーチ」だと言って訴えるでしょう。そこに人権はありません。多数派が「間違っている」と言えば黙るしかないのです。そこに言論の自由はありません。民主主義に於いては多数派によって少数派の権利が奪われます。だから少数派、たとえ一人であってもその権利を保護しようとするのです。ロバートさんが銃を持つ権利を奪われるとするなら、たとえ70億人がそれでいいと言ったとしても、そこに王が介入して「神様と人間の間に結ばれた誓約によればロバートは自己を守る権利がある」と言ってこれを認めます。また国が問題ありとしてある人を捉え、裁判にかけるようともしないとすれば、それが天一国なら王が出てきて人権条項に戻り、すべての国民は迅速な裁判を受ける権利があると宣布します。すべての権力、司法、立法、行政はチェック・アンド・バランスを受けます。国王も例外ではありません。また天法の三番目に従って財政の透明性を憲法に定めます。
(8月30日の)宣言の中から主要な点を見ていきましょう。一番目にすべての神の民は不変の権利を持つということです。神様中心の見方をしなければなりません。無神論者は不変の権利を与えることができません。なぜなら彼らにとって人は宇宙の片隅のちりに過ぎず他の生物よりは価値がありそうに見えるに過ぎないからです。
自由の哲学も自由に根ざした権利も創造主抜きには考えられません。
無限の能力を持つ知性があなたに与えて下さったものなのです。もちろん無神論者もその自由を喜んで享受するでしょうが、彼らの哲学からは、ただ人権について社会的合意が得られるだけで基本的人権は生まれません。もちろん残念ながら哲学的にはこの論議は持ちこたえないでしょう、神学的立場から議論しなければならないのです。だからアメリカの人権宣言も憲法も「創造主(Creator)」という言葉を用いているのです。「権利は創造主から与えられた」。これは自由な国家にとって絶対的に必要とされる哲学的大前提です。
「神様の王権の確立はサタンの王権による過去の独裁の終焉を意味する」韓氏オモニの失敗によって審判は起こるでしょうしまたサタンの王国がその間、力を伸ばすでしょう。また摂理は三代に延長されました。神様の王国は最終的に勝利します。なぜならそれが神様の本然の計画であり、真実であり、神様のものだからです。神様と人間の間の真実の関係であるからです。全体主義ではありません。神様はアダムとエバに自由を与えられました。神様から離れ去る自由までも与えられたのです。これは天一国でも同じことです。
またこの部分(8・30宣言)では未来の王について怖ろしい警告が記されています。「将来の王は代替わりの度にこの誓いと聖約を新たにしなければならない」「もし王位を簒奪したり神様から与えられた範疇を越えて聖約を侵す時は厳しい審判を受けるだろう。」
そして天一国権利の章典では「信教の自由」「言論出版の自由」など規定する他、武器を有する権利は絶対的権利であること、民家を兵士の宿営にしない、などを定めます。これらは神様からの啓示であり、また政治的文書であり、天一国の核となるものです。キリストへの信仰の及ぶすべての場所にこの人権宣言も及びます。キリスト、再臨主への信仰が広まるとき共に人権宣言も広まるのです。
ただの政治文書ではありません。なぜなら天一国憲法の一部だからです。聖書の言う神様の千年王国でこれらの権利条項が侵害されたり変更されることはありません。信仰が広がれば、自由も広がるのです。多数派の意見にかかわらず、一人でも保護されるというのです。私たちはお父様がおっしゃったような主権国家をまだ持っていません。しかし摂理が三世代に延長された結果、三代目の時代にそれは成されるでしょう。
しかしその国家、自由、国民の権利の枠組みは作っておかねばなりません。実体の国家が成った時にそれは祝福となることでしょう。
地上天国は理想的にはアメリカ50州を越えて全世界に及ぶべきものです。神様から私達に与えられた権利は全人類に及ぶべきです。
194の国に限定されません。何百、何千でも及ぶべきです。それらの国は理想を中心として治められます。理想世界、地上天国は自由と責任の下に生活し、個人に課される規制は最小限であって、神様の求めに応じて自由に行動できる世界であり、個人の才能や能力を最大限に生かせる社会でなければなりません。国や権力、官僚主義的なものから一切の干渉を受けず、良心の国で神様と共に暮らすのです。
理想を言えば全世界がそのように暮らすこと、及びアメリカの持つ権利章典を持つことが必要です。ただし建国の父の時代の後に付加された修正条項は憲法に反するものも多いので省きます。天一国憲法に列挙されているこれらの権利は世界中のすべての人々が、飽くなき支配を求めるこの世の政府や中央権力その他の天使長的権力から護られるように世界の隅々まで拡散することが理想的です。
10項(天一国権利章典)この憲法により世界的「CIG(天一国)合衆国」に委任されているか、もしくは構成国に禁じられている権力以外のすべての権力は、それぞれの国と国民が有する。
この部分はこれまでとは大きく違っています。サタンの王国はこれまで最終的な権限を中央集権的権力機構に委ねてきました。ご覧のように神の王国はその逆です。われわれはコモンロー(慣習法、とくに判例法主義)を採用します。地方政府が中央政府よりも高位の決定権を持つのです。この違いが分かりますか。全く異なるのです。堕落した教会が採用しているのは完全な奴隷制です。これに対して、世界中のサンクチュアリは自由、繁栄、良心、責任、自立、そして神様に与えられた才能を最大限に生かせる世界の種を蒔こうと思います。そしてその才能はもちろん神様の栄光のために用いるのです。ここが大きな違いです。
ここで世界中のサンクチュアリ教会員に拍手を送りましょう。(拍手)
アジアの兄弟姉妹は真の自由社会で暮らしていないのでこの仕組みを理解できません。だから繰り返し説明するのです。アジアのすべての地域は、いまだピラミッド型権力構造に支配されているからです。先週の儀式での戴冠式を見て西洋人は「王冠の戴冠などと一体何なんですか」と言い権利章典を見てはじめて「素晴らしい」と言いますが、アジアの人々はそれとは反対に戴冠式を見て感動しますが「われわれは独裁主義を採らない」という言葉に「それはどういう意味ですか」と言います。本当に違っています。神様が見せて下さるこの時についてまだ学習の途上です。 ■
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