2015年9月20日日曜日

2015年9月16日 李妍雅祝師長(韓國語)証(あかし)



2015年9月16日 
▼李妍雅祝師長(韓國語)말씀


実は、亨進様は数ヶ月前からこの説教を準備され、準備される中でとても心痛く思っていらっしゃいました。どのような思いでこの説教をされているのか、傍で見てよくわかっていたので私もとてもつらかったです。亨進様がお話される中、この現実がお父様の前にとても申し訳なく、悔い改めるしかない立場にあると思いました。


数日前に訓読会をしたのですが、聖書を開いてみると民数記が出てきました。民数記を見ると、贖罪の日に対する内容でした。贖罪の日には、祭司長、今で言えば牧師のように高位にある聖職者が贖罪のために羊を捧げます。全てのユダヤ人たちが自分の罪や家族の罪の購いのために羊を捕まえて血を流す贖罪の儀式をします。


その中で祭司長は、一頭は自分の罪、家族の罪のために、そして、もう一頭は全イスラエルの罪を悔い改めるものとして祭壇に羊を捧げます。その部分が民数記に出てきました。


亨進様は説教の準備のためずっと心を痛めておられたのですが、これを読まれながら「あぁ、これ(説教)は本当に言い難い話だ。」とおっしゃいました。


亨進様は末っ子としてお母様を愛すれば愛するほど、真実を語らなければならない立場で、この説教はとても言いがたい内容だったのですが、この聖句を読まれて、「お父様が私に答えをくださるのだな」とおっしゃいました。


私たちが真のお父様の前に、3年間この話を言い出せない、大きな秘密を持った、「バビロンの秘密」だと亨進様がお話されたのですがこれを話すときは、お父様の前に悔い改める心でしなければならないとおっしゃいました。


多くの方々が質問されます。「この真実を食口たちに伝えたいのですが、全く聞こうとしてくれません」とこのように話されます。


ある日本婦人は、「私は亨進様のみ言葉が本当だとわかるのですが、夫が死んでも祝福を受けないと言いました。でも夫を連れて共に天国に行かなければならないので、眠っている夫の口に聖酒をふくませて祝福式を済ませました」と話されました。どれほど切実でそこまでしたんだろうかと、私にはその方の心が理解できました。


ある韓国人のご主人は、「私はどうしたらいいでしょうか。妻をどうしたらお父様の権限圏に返らせることができるでしょうか」と悩んでいたのですが、今回一緒に来られて「答えを教えて頂きました」ということでした。


そして、ある方はこのようなお話をされました。


私がある人に亨進様のお話をしたら、その人は亨進様のお話は本当だと、お父様はこのように哀痛されるのだと悟られたそうです。その日本婦人は、お父様から愛された方で、中東で宣教師までされた方だそうです。


亨進様の説教を聞かれ、胸が張り裂ける思いで日常生活ができないくらいに苦しまれたそうで、
そのような姿を見ると、私が真実を伝えたことで、彼女がこれほど苦しそうにしているのを見て、
自分がつらかったということでした。


私もそのような過程を越えてきた者として、とても役に立った聖書の一説があります。『コリント人への第2の手紙』に出てくる聖句ですが、皆さんと一緒に読んでみたいと思い聖書を持って来ました。


コリント人への第2の手紙 7章10節
神のみこころに添うた悲しみは、悔いのない救いを得させる悔い改めに導き、この世の悲しみは死をきたらせる。


韓国語ではそれほど心に響かない一節でしょうが、このように言いました。


(*日本の聖書では「悲しみ」と訳されており、韓国の聖書では「근심(クンシム/心配事、気がかり、憂い) 」


神様のみ心に添った悲しみ、ギリシャ語の原語では、苦痛、哀痛、悲痛という意味があります。


神のみこころに添うた悲しみは、悔いのない救いを得させる悔い改めに導くと話されています。その悔い改めは救いを得させると言いました。しかし、この世の哀痛と悲痛と苦痛は死をきたらせると、コリント人への第2の手紙に書かれています。 


今の状況は本当に哀痛、苦痛であり胸が張り裂けそうなことは誰が何と言っても事実です。そうでしょう?日曜日にもそうでしたが、今日また亨進様のお話を聞き、聞くたびに胸が張り裂けそうな思いになります。


それは神様のみ旨の中で、お父様がくださったみ言葉を聞いて、これはお父様のみ言葉だと思っても、しかし私たちが苦痛を感じるのは事実でしょう。しかしその苦痛、哀痛は私たちを悔い改めに導き、その悔い改めは再び、私たちを救いに繋いでくれます。


しかし、「あぁ、とても恐ろしい、どうして去ることができるでしょう、亨進様のみ言葉は正しいと思うけれど、私は教会を去ることができない、コミュニティもそこにあるし、地位もあるし、私のアイデンティティもそこに全部あるのにどうして去ることができるでしょうか」と。


しかし実はそれは、世の中を中心にする憂いであり、世の中を中心にする哀痛です。それは死をきたらせると言いました。


ここでコリント人への第2の手紙 7章11節ではこのように書かれています。


神のみこころに添うたその悲しみが、どんなにか熱情をあなたがたに起させたことか。
また、弁明、義憤、恐れ、愛慕、熱意、それから処罰に至らせたことか。
すべての点において潔白であることを証明したのである。


この苦痛が、お父様のみ言葉を中心として、お父様の権限圏に再び帰っていける悲痛な思いを通過しなければならない過程ですが、私たちに残っていることはただ、お父様をしっかりつかんでいくことしかできません。お父様しかいません。主に従っていくことしかありません。それしか私たちには残るものがないと思います。今の苦痛はありますが、私たちは永世にお父様が残そうとされた地上天国に一歩でも近づける私たちになれるよう、懇切にお祈りします。

アジュ。
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